私は以前から、人間の死後其罪によっては畜生道に堕ち、再生の暁畜生となるという訳をかいた事があるが、今度其生々しい事実を報告して来たから左に載せるが、之を見たら何人と雖も、最早疑う余地はあるまい。之に就て些か茲に解説してみるが、如何なる訳で畜生道に堕ちるかという事である。それは生きている内に、畜生と同様の想念を持ち、畜生の如き行いをするからで、形は人間であっても、霊は已に畜生になり切っているのである。
死とは、勿論亡骸を娑婆に打ち棄て、霊だけ霊界へ入るのであるから、霊界に入った時は畜生そのままという訳である。そこで、どんな人間でも改心せざるを得ない事になるが、といって仲々簡単にはゆかない。そこで殆んどの霊は、生前の罪を悔ひ、如何なる難行苦行をしても、一日も早く人間に生れ変りたいと思い世の為人の為罪の償いをするのである。であるから畜生は好んで苦難を求め犠牲になりたがる。其意味を知らない人間は以前も私は書いた事があるが動物虐待防止などを可いとして行うが、実は畜生にとっては有難迷惑なのである。
然し畜生道といっても種々ある。というのは、現世に於ける時、その行為に相応するので、例えば執着の強い者は蛇、人を騙した者は狐、横着な奴は狸、スパイ行為は犬、無鉄砲な奴は猪、怠け者は猫、奸智に長けた奴は猿、チビチビ金ばかり貯めたがる人間は鼠、年中ブラブラして活動を嫌う者は牛、獰猛な奴は虎や狼、又ノド自慢を種に罪を作る者は小鳥等に生れるものである。
特に、○○主義者の如きは、霊界へ往くと悪龍又は鬼となるものである。従而、これなどは、再生迄に長年月苦しむのは当然で、之も仕方がないであろう。
以上、概略かいてみたが、要するに人間生きてる間に、神を信じ出来るだけ善事を行い、死後の準備をなしおくべきである。その結果安楽往生を遂げ、霊界に往くとすれば天国の天人となり、再生の場合幸運者となるのは明かである。之は私の長い経験によって帰納された結論で、一点の誤りのない事を断言するのである。
転生の牛御光に救はる
(本文省略)
(栄光八十一号 昭和二十五年十二月六日)