原爆の善悪両面

天国だと思って歩いて来た道は豈計らんや、実は地獄の道だったのだ。一瞬にして幾十万の生霊を奪ふといふ物質が出来て了ったのだ。恐らく歴史上之程人間の予想と喰違った事件があったであらうか、人類、特に文化民族が此戦慄を生んだ以上、其脅威から何が何でも逃れなければならないといふ大問題が起って了ったとは何たる皮肉ではなかろうか。然し乍ら退いてよく考えてみると、此物質そのものは些かも恐るべきものではない、寧ろ幸福に役立つべきすばらしい福音だ。恐れるといふ事は、戦争の道具として使ふからであって、平和に使ったとしたら、右の如く人類にとっての大発見である。そうして此物質を戦争に使用する其根本は悪であり、平和のそれは善である。とすれば、善か悪かによって、仏にもなれば鬼にもなるといふ訳である。

此意味に於て、此物質を駆使する人間が善であれば可い訳だが、それはそう簡単にはゆかない事は勿論である。故に実際上から言って、悪を善に転換する事で之が宗教の尊き使命である事は言ふまでもない。