世の終りと天国

そうして、今日迄その役目をして来た処の宗教、道徳、教育、法律等も成程或程度の功績は挙げ得たが、今以て予期に反し悪の跋扈によって善は虐られている。前述の如く原子物質が悪に使用されるといふ憂慮がよくそれを物語ってゐる。茲で別の面から今一層深く考えてみなくてはならない。例へば、原爆による悪魔的破滅行為がもし許されるとしたら、人類滅亡の運命は当然来るであらう。とすれば、森羅万象を造り給ひ、之程文化を進歩せられた造物主が黙認され給ふ筈はあるまいではないか。

斯う説いて来ると、キリストが予言された世の終りとは之でなくて何であらう、と共に此事だけの予言としたら人類は只滅亡を待つにすぎない事になる。処がキリストは又言った、天国は近づけりと。之だ、此二大予言が世界の将来を示してゐる事は明である。とすれば、世の終りも来ると共に天国も出現するといふ意味になる。而も之に附随してキリストの再臨、メシヤの出現をも予言された。そうして今一つ考えなければならない事は、原子の破壊から絶対免れんとすれば前述の如く悪を善に転化する事である。この力こそメシヤの力でなくて何であらう。唯然し、善悪の大転換が行はれるとしても善化しない悪人も多数あるに違ひないから、此様な見込みのない者は清算されるより致し方ないであらう。此事をキリストは最後の審判とも言はれた。之によって之を見れば、善悪転換、破壊と建設、旧文化と新文化との交代が今将に来らんとする直前である事を知るべきである。