私は、私の創成した日本医術なるものは、如何なる理由によって生れたかといふ事と、今日迄病気の原因が不明であると共に、既成療法なるものの殆んどが誤謬であって、それが発見されなかったといふ事に就て徹底的に説明してみよう。
抑々、此大宇宙を観る時、それは実に際涯(サイガイ)なき天空の無限大より顕微鏡によっても視る事を得ない無限微に至るまで、実に凡ゆる物質は大中小それぞれ相応の理によって生成を化育し、離合し、集散し、破壊し、建設しつゝ、無窮の進展を挙げつゝあるのである。そうしてすべてに陰陽ある如く一年にも寒暑の別あり、一日の中にも昼夜の別あり、十年にも昼夜の別あり、百年に千年に万年にもそれがあるのである。
以上の如き理によって、数千年か或は数万年目に当然来るべき夜と昼との転換期があり今やその時が来つゝあるのであって、今日はその黎明期に相当するのである。私の斯様な言説に対して読者は判断に苦しむであらう、何とならば夜昼は一日の中にのみあるからである。従而此説明は非常に困難ではあるが、何人にも解釈出来得る筈である。
それは曩に詳しく説いた如く吾々の住んでゐる地球の上には、霊界空気界物質界の三段階によって構成されてゐる。そうして之は亦二段に分ける事も出来る。即ち空気の水素と地球の土素とは物質であり、霊即ち火素は全然非物質であるからである。即ち霊と物質とを区別すれば、霊界と現界とになる。
そうして霊界と現界との関係を説くに当って先づ知らなければならない事は、凡ゆる事象は霊界に先に起り、其儘が現界に移写されるといふ事である。恰度映画に於けるフィルムが霊界であり、銀幕が限界であるのと同様でそれが天地の厳然たる法則である。丁度人間が手足を動かすといふ事は、眼に見へぬ心が先に動きその命によって手足が動くので決して手足が先に動いて後に心が動くのではない。之と同じく霊界は心であって現界は手足であるやうなものである。
そうして私が前に述べた数千年又は数万年目に来るといふ夜と昼とは霊界に於ての事象である。故に此意味に於て今日迄の世界は永い間夜であったのである。それが今や将に昼の世界に転換せんとするのである。此事は古事記にある天の岩戸開きの事であって、天照大御神御出現とは、昼の世界になるといふ一大予言でもある。又西洋に於ての昔から唱へる東方の光といふ言葉は、此事の予言に外ならないと私は思ふのである。
そうして右の如き夜昼転換といふ事を立證せんとするには、霊感や神憑的では一般現代人には受入れ難いであらうから、私は最も判り易い例を以て説明しようとするのである。
即ち、日本の国名は日の本即ち太陽の本であり、国旗は日の丸である。「東方の光」即ち太陽の光は日本から出現するといふ事も動かすべからざる宿命である。
それによって私は、黎明期の第一歩が満洲事変であると思ふ。即ち日の光が先づ西射し満洲を照し始めたのである。次いで支那を照し、今や南洋を照さんとしてゐるのである。何れは西比利亜(シベリヤ)も西南亜細亜も太平洋もそうなるであらう。日の丸の国旗が立つ所--それは太陽の光が届いた所である。
(明日の医術 第三篇 昭和十八年十月二十三日)