無肥の方は毛根が有肥のよりもずっと多くて長いから粘りが強いのである。(『栄光』一四一号)
人肥でも金肥でも、作物が吸収するやそれが有毒化し、その毒が害虫の食物となり繁殖するのである。(『栄光』一四一号)
(二一・二二六)
静岡県 K・T
私はこのたび、実際行った稲作自然栽培の体験、並びに感想を御報告させて頂きます。実は自然栽培法の御教えを頂きました瞬間、脳裡を走った事は「作物が肥料無しで」と言う申し上げるも恐ろしい言葉でございました。実際私共は肥料は人間で申しますなら食物に相当する物で、作物の食物であると信じておりました。併しこれも善い事とは思えど悪いことでありまして、大自然即ち神様の御意志に反しておりました。
自然栽培法でありましたならば、如何なる風水害にもお蔭を頂ける御教えを賜わりました私は、昨年約三分の二倒伏した土壌の軟かな一毛作田の所に実施致しました。品種は最も草丈の長い、病気に弱い晩生種の「大正赤穂」を選定致しました。苗代播種の季節も目前に迫り、苗床に、一寸程度に切った藁を入れ、種子の浄霊を致しまして、五月七日坪一合宛播種致しました。苗代も勿論水田苗代で数日後発芽致しました。併し余りにも薄く、この時早くも行末を案じられたのであります。日増しに多少は賑やかになって参りましたものの、多少黄色がかり、不安の内にも植付の時節も迫って参りました。
実施田の歩積り三畝一歩で、この中に青草一〇束を打ち込みました。この仕事に従事している時、不思議にも心の晴れとしていた事は、今も記憶しております。時既に梅雨の期に入り、シトシトと小雨降る植付に絶好の機も訪れて居りました時、六月二二日無事植付を終了致し、御神前にひざまずき、良く御念じ申し上げました。植付方法と致しまして畦巾一尺三寸、株間五寸の並木植と致し、一本植を主として植付けました。中耕は除草第一回を七月三日実施致し、この頃は隣の有肥田と変りなく、来るべき浄化の時の一大心構えの頃でありました。この第一回除草後清水で作りました堆肥(半熟で最も香りのよい頃)を反当約七〇貫程度打込みました。七月一〇日頃より、漸次黄色を呈しまして、七月二〇日頃から最も浄化激しく苦しみの頃と思い特に御浄霊を毎日行いました。
当時の私の心も随分迷い肥料をと思ったこともありましたが、そのたびに、明主様と心を呼び醒ましまして、静かに御教えを思い浮べ、肥毒の為の浄化なるを信じ、やがて稔る黄金の波を思い浮べ横道にそれず進まして頂きました。七月二三日第二回目の除草を致しましたが、その後一週間頃より漸次緑色を増し、赤穂本然の姿に立ち帰りました。ここで分蘖に就き記さして頂きますが、七月一八日に一〇本乃至二三本で、八月七日に一五本乃至三〇本でありました。有肥であれば遅い分蘖は無効なるを聞いておりましたので、試みに一株を数え覚えておきましたが、収穫の折見ますと何と少しも無効分蘖はなくよく稔っておりました。七月下旬一杯で中耕の用事もなく、稔りの秋を楽しむばかりとなりました。この頃より農家で最も恐れられます台風襲来の季節でありますので、又もこの心配が盛んとなりましたが、予測通り見舞われ、ここかしこで倒伏の憂目に遇い、悲痛な叫びも耳に致しましたが、何と有難いことに、有肥であれば当然倒伏すべき稲にも拘らず、一株として倒伏致しませんでした。三尺八、九寸もありましたこの稲が一株も倒伏致さなかったのは、奇蹟でなくして何でありましょう。
炎熱焼くが如き真昼間に汗水流し除草し、稲葉は赤く、心身共に苦しかった時節も何時しか過ぎ去り、朝夕涼味を感ずる収穫期となり、根切の鎌を入れました折、余りにも茎が硬く丁度「かや」のようでありました。この時初めて感じました。このような稲なれば倒伏や病虫害の心配のないことを知りました。左に実収量を記さして頂きます。
一、品種
大正赤穂
二、苗代
イ、水田苗代
ロ、播種一坪当二合播
ハ、反当苗代坪数二二坪
三、堆肥
反当七〇貫打込(清水使用堆肥)
四、植付
イ、並木植、畦間一尺三寸、株間五寸
ロ、植付月日、六月二〇日
ハ、植付本数、一本又は二本植
五、中耕除草
第一回七月三日、第二回七月二三日
六、分蘖
イ、七月一八日一〇本―二三本
ロ、八月七日一五本―三〇本
七、収穫
イ、坪当の籾量三升一合
ロ、坪当玄米量一升二合五勺
ハ、反当収穫、九俵一斗五升
ニ、昨年迄の最高反収穫より一俵二斗五升増収
右の如き結果となり、収量の意外だったのに驚かされました。見たところより収量の出ますのは、茎が有肥より硬く、従って穂首が同じ重さでも有肥程垂れておらず、全部が完全に稔っております為と思いました。風水病虫の憂いなく穀の意外に出ますこの自然農法こそ真に神様の垂れさせ給うた食糧増産の秘訣であります事は、強く強く信じさせられると共に、先ず「体験」、理論よりも実行と存じます。
明主様有難うございました。
(昭和二五年一二月二二日提出)
宮崎県 N・T
水稲三年目の経過御報告を大要述べさせて戴きます。田植も順調に終り、生育状況も一般と余り差はございませんでした。一年目、二年目は、この頃が特に色あせて、世間から何かと大変な非難攻撃を受けて参りました。愈々三年目村人達は「今年できれば本物だ、これで若しできなければ肥料を使え」と又或人は「今年出来たら俺の首を渡す」と憎々しげに反対するのでした。農民の血と汗は肥料代に供されている今日、無肥料耕作「自然栽培」とは何事だ。これでは増産は肥料にありとする吾々の農業常識は何処へ行くのだ」というのが憎悪に迄変る根源なのでございましょうか。私は自然農法こそ真理の具現であると信じさせて戴きました。これこそ将来農民の帰一すべき唯一つの道である。神様の御言葉を事実に依って示させて戴く光栄の一端をお受け申している事だ、と気付かせて戴きますと、猛烈な反対も益々私に勇気をつけることになるのでございました。
明主様寔に有難うございました。衷心より御守護を御願い申し上げますと御神前に額ずくのでございました。
除草を終るころまでは一般より背丈も低かったのが、出穂期に入りまして断然他より好調になり、この頃より一般有肥田には病虫害の大発生となり、薬剤は注文中だが思うように入手できずと歎き、被害は益々拡大され、この分では五割減収との一般観測でございました。私のは色鮮かで誰が眼でも一般より抜きんでておりました。その上、その後二〇日、あのルース台風に見舞われたのでございます。最大風速五〇米余という烈風に吹きまくられ、有肥田は見る影もなく撫でつけられ、その中にあって自然栽培田は遠目でもくっきりと色鮮かに区別され、然も皆誇らしげに頭を持ち上げておるのでございました。この毅然たる成育状況に異口同音、感嘆する村人達はこれを通して何と覚られたのでしょうか。病虫害の発生も、台風の被害も、唯偶発的被害とのみ思い続けて行くのでしょうか。私共は神様の御恵みと御示しを身辺に拝さして戴くのでございます。
一、苗の生育状態
自然農法三年(無肥)
色鮮やかにして茎硬く、毛根太く頑丈である
一般農法(有肥)
青黒色を帯び、成育状況にムラがある
茎軟弱にして徒長す、毛根細く軟弱である
二、本田植付方法
長方形植に致しました
横一尺一寸、縦五寸
三、田植後の生育状況
自然農法三年(無肥)
毛根旺盛なるため、活着よく、順調に生長する。色は一時淡青色となる
一般農法(有肥)
軟弱徒長、活着悪し、植痛み多き為、予備苗を置くのを通常とする
四、除草と手入れ
土軟かく(私のは家の都合上藁一本ずつ入れておりませんでした)除草し易く、雑草特に少し
土固く(肥料は土を硬化させる)雑草多し
五、分蘖(一株)
平均二〇本位
平均二三本位
六、出穂期
無効分蘖皆無
無効分蘖多し 約一割程度無効
七、一穂の粒数
平均二三五粒
平均七〇粒―九〇粒
八、病虫害
皆無
浮塵子、白葉病、稲熱病、発生少ない
九、風害
斜傾れが五割程度(特に昨年村人に糞尿を撒かれたる五坪程の処は、はっきりと倒れておりました)
茎折れ多量、八割―九割の被害
一〇月一四日ルース台風
一〇、収穫
優良
反収籾一一俵(平年作一〇俵程度)
籾摺 玄米六割強
反収籾六俵―七俵(平年作一〇俵程度)
砕米多し
籾摺 玄米四割―五割
一一、品質
味良く、有肥米と格段の相違あり
(昭和二七年一月二三日提出)
長崎県 T・Y
感想を御報告させて戴きます。
実は「自然栽培法の御教えを戴きました瞬間、脳裡を走った事は「作物が肥料なしで」と言う、申し上げるのも有難い言葉でございました。実際私共は肥料は人間で申しますならば食物に相当する物で、作物の食物であると信じておりました。併し、これも善い事と思えど悪い事でありまして、大自然即神様の御意志に反しておりました。
自然栽培法でありましたならば如何なる風水害及び虫害にも御蔭を頂ける御教えを賜わりましたが、私は丁度今年で三年御教え通り実行しておりますが、例年通り私の稲は二尺五寸位で、色は黄色にて、上下畦一重の他人の有肥田は色黒々として、丈は三尺から四尺のできばえですが、色々な害虫ができ色々な薬剤を撒布し乍ら「肥料も一銭がた(程)もやらず、只手を翳って何が出来るか、色を見ろ出穂前にうんだような色じゃないか」とか、「神様田じゃけん(だから)虫はおらんえ(ものか)」とか、色々聞き流しておりましたが他人の稲は穂も出揃わず、色黒々としていましたが、みな神様に御委せしている以上、刈取る時になれば善悪が分ると思いしところ、去る一〇月一四日ルース台風雨、夜にして有肥、無肥の稲が立て別けられました。有肥の稲は穂は出揃わぬまま、根から折れ込んで、藁は腐り、籾はもえて、後れ穂は青米ばかりで、その後小雨にて色々と近頃迄悪口いった人は今度は「どうなるでっしょうなあ(でしょうか)虫気しちょったもんじゃけん(あったものだから)大風でこっとり(ことごとく)やられて、籾は青芽切り、藁は牛も喰わんとん(喰わないよ)」と皆掛声で話しておりますが、私の七反歩の稲は御蔭様にて台風前と変りなく、何と有難いことでしょう。有肥であれば当然倒伏すべき稲に拘らず、倒伏致さなかったのは奇蹟でなくて何でありましょう。一見しますと直立不動の姿勢にて、黄金の波と申しますか、今日では早く刈りに来る様にと穂が招いているように思われます。自然栽培を知らない方は、今年の稲は虫害のできたのに台風に遭い、倒伏したと思っておられますが、明主様の御教え通り害虫は肥料から発生し、肥料の種類が多くなったので虫の種類も多くなると御教示戴いております。私が今年の稲作体験致しました事実です。妻が便所の肥の捨て場がないので、三畝位の田一枚を肥捨田として、植付前後に亘り担い込んでいましたが、出穂時期となるや、ウンカは勿論色々な害虫が大発生し、二、三日にして全滅しましたので、神様にお詫び申し上げて焼却させて頂き、体験させて頂きました。今後便所の肥料捨て場は、山の中に井戸みたいに掘り、捨てさせて頂くようにする考えでございます。
私共農業者は偉大なる真理を明主様より御開示になられているのですから、その真理を大いに活用し研究して、発展へと進むことは私共の使命であると考え、無肥料三年目の土地には色々と研究的に栽培法を実施しておりますが結果の御報告はいずれ又させて頂きたいと思っています。私の自然栽培も愈々当地では注目の的となり、心ある者は随分注意深く見ておりますが、彼等も驚てこの自然の真理になびかざるを得なくなることも遠からず、この農業の一大革命の山村僻地に迄知れわたり、一大飛躍発展することを期待しつつ一生懸命です。願わくば世の農耕者が一刻も早くこの偉大なる明主様の真理に基く自然栽培を実施して大自然の恩恵に浴されんことを切望して止みません。色々と御守護有難うございました。
(昭和二六年一一月八日提出)
青森県 K・K
昭和二三年一二月六二歳の老骨に有難いお守様をお授け頂き、明主様の御教えのまま自然農法で全耕地、即ち水田一町一反、畑二反五畝を自然農法にて四カ年実行させて頂き、茲に御報告申し上げます。昨二七年度は天候のお浄化きびしく、当下北方面は有肥田に於ては種子もとれないほどの大不作で、O区内は平均して平年作の半分位で反収六、七斗位でした。ところが自然農法の私のところでは、一カ所の四反九畝は水不足のため、土は固く割れ、除草もろくにできない状態で、前年度よりは少しおちましたが、他の方の六反二畝は前年度以上で、平均反収二石強で立派な出来でございました。そしてO町の供米量の大半を私のところで受け持たして頂き、郡内で一番先に完遂さして頂きました。そして町長より感謝状と記念品を供出者を代表して頂きました。明主様、本当に有難うございました。今年度は五年目でもあり、より以上一生懸命に御教えのままに実行さして頂き、一日も早く迷い苦しめる有肥農家に目覚めて頂くように頑張らして頂きます。そして食糧不足を一日も早く解決さして頂き、肥毒の入らないおいしい食物を鱈腹人々に食って頂きたいと思っております。
自然農法を実行することによって農家は肥料代と手間代が省け、増収によって経済苦から解放され、その上子々孫々まで肥毒のない清浄な田畑を残さして頂けるのですから、この上ない仕合せと歓びであると信じております。自然農法の有難さに只々嬉し涙で一杯の私であります。昨年の九月九日には先生方の御案内で、青森県上北郡、下北郡、大湊、三戸、田子、田名部、北海道余市方面、秋田県大館市方面から、本州最北端のここO町まで、自然農法四年目の水稲の成育状態を見学にお出下さいまして、本当に有難く衷心より御礼申し上げます。見学終ってから座談会に移りましたが、その時O町の有力者で、有肥栽培の篤農家Yさんがいわれるには「今日、Kさんの自然農法の水稲を見さして貰って実に恐れ入りました。今年のように天候が悪いのに、畔一本隔てた隣の有肥田の方は半作又は三分作であるのに、Kさんの自然農法は全然病気もなく平年作の倍以上であるのには全く驚きました。実は農林省統計局のK・S技官がこちらに居られた時三カ年私に自然農法の話をすすめるのでしたが、私は『無肥に有肥が負けてたまるものか』とつねに反撥し、いろいろと栽培方法を研究してやって来ましたが、今日只今、全然無肥に及ばぬことをこの眼で見せられ、心底から兜をぬいで降参します。K・S様が今こちらにおられたならば酒を買ってお詫びするのですが、北海道に転任になられたのでいたし方ございませんが、早速手紙でお詫びいたし、私も来年(二八年度)から自然農法に切り替えますから、皆さんもやって下さい」と、二度も三度も繰り返し繰り返し話されました。Yさんは未入信ですが、私もこの話を聞いていて目頭が熱くなりました。
明主様の御教えにございますように、世の中は善悪の戦いです。そして双方とも勢いを増し、しのぎをけずっている有様です。ところが明主様の御教えを実行さして頂くことによって、善が悪を救うことになるとはじめて覚らして頂きました。明主様、本当にありがとうございました。明主様の御教えはどこまでも自然でございますから、田も秋うちがよいとの御教えに従って二六年度には一カ所(田地は四カ所にわかれております)を何とかして秋うちしてみたいと思い、一二月末藁を切って、人夫をたのみ秋うちをはじめました。その日の夕方は雪が降って、一枚の田はうち残るかと思いましたが、人夫の人達が頑張って下さいましてやっと打ち終らして頂きました。それからすぐ根雪となってしまいました。その秋うちしたところが特別昨年度は成績がよかったのです。昨年度は全反別を秋うちの心組みで、半分脱穀して藁を機械で切り、約半分の田地に入れて秋うちをやりました。後少し雪が降りましたが、残りを脱穀している中に雪も解け、一一月二五、六日頃よりお天気となり、この分では全反秋うちが出来ると思い、藁を切りながら人夫を雇い二八、二九、三〇日と仕事して貰いました。三〇日の夜はまわりの山々には雪が降りましたが田圃には雪がなく、一二月一日には「人夫を二、三人増してやらないと、このお天気は待っていないかも知れないよ」と教えられて、人夫を増してやりました。その日の夕方は非常に凍ってつき、鍬に土が凍って固まり、仕事も出来ないほどでしたが、やっと夕方おそくまでに全反別を打ち起さして頂きました。その翌日は一尺余りも雪が積り、とうとう根雪になってしまいました。二カ年とも秋耕ちが天気に恵まれ、人夫の方々も驚いておられました。明主様、こうして未入信の人夫の方々にもお力の偉大さを感じさせて頂きまして本当にありがとうございました。数々の有難い御教えとお力の偉大さに、一人二人と周囲がお救い頂ける姿に只々感泣するばかりでございます。今後一段と罪をお許し頂き、地上天国建設の御神業に自然農法を通して御用させて頂けますように衷心よりお願い申し上げます。
(昭和二八年一月一五日提出)
愛媛県 T・T
明主様入信以来数々の御守護を戴きまして厚く御礼申し上げます。この度は自然農法によりまして大変な好成績を戴きましたので、謹んで御報告させて戴きます。昭和二七年五月一八日に名古屋よりK支部のH先生がお越し下さいまして色々と自然農法の尊いお話をいたして下さいまして、是非全面積切替えいたす様色々と御話し頂きましたが、私は何だか不安な気持でございました。色々考えた末一切を神様にお任せ致し、全面積四反三畝を自然農法に切替える事を先生と約束いたしました。
まず地ごしらえをいたし、苗代に種を蒔きましたが、苗の伸びは悪く、有肥にくらべますと情ないくらい小さく、近所の方達からは笑われ、ともすれば私も不安になり無事植出しができるだろうかと心配し、「栄光」新聞を読み先生に色々とお尋ね致しては一心に明主様にお縋りいたしておりました。いよいよ田植も近付きましたが苗は小さく、とてもくくれそうもございません。私は毎日苗代に行っては一心に御浄霊を続けました。近所の方は蔭で笑っておりましたが、「今に見ていろ」と思いつつ、それでもおかげでやっと苗はくくることができました。田植の折に根伸びのよいのにはびっくりいたしました。
だんだんと日がたち有肥の田は青々と伸びますが、私方の田は黄色にて近所の人達の笑い種になり、中には親切そうに肥料を勧めてくれる人もありましたが、かねて先生より聞いていた肥毒の浄化とはこの事じゃと歓えて御浄霊いたしました。八月に入ってやっと伸びるのがわかって参りました。稲も有肥とくらべますと大変に固く丈夫です。二七年度は有肥は二化螟虫、三化螟虫と次々に害虫が湧き、消毒をせよとて、やれG・S、チャレホリドールと大変なことです。私方の田も二化螟虫が少しありましたのでF先生におたずねいたした処「消毒は悪いからぜったいやらない方がよい」とのお話にて止めました。いよいよ秋になり、実が色づいて来ました。有肥の田は白いような色にて大変悪いのに、私の田は本当に黄金色といいますか、近所の人達も「お宅の稲はきれいだ、虫の気がない」と人目を引くようになりました。有肥の方達が高い肥料や消毒をしてかえって虫がわき、消毒をしない田がかえって虫が少なく、明主様の御教えの通り肥料の毒の悪いことをはっきり分らせて戴きました。取入れも始まり、刈取って見ますと籾のきれいなこと、有肥の方達がびっくりいたし「お宅はきれいな籾だ」と今更の如く驚いています。籾も昨年ほどあり、付近の有肥田はよいところで七俵半、八俵はまれで、悪いところは五俵位です。私方も籾摺りをしましたが、どうでしょう。お米のきれいなことお手伝いの人達はこれはきれいだとほめてくれました。籾摺りも終り調べましたところ三反八俵ありました。その時の嬉しいこと、只々嬉し涙にむせび、早速御神前にぬかずき明主様に御礼申し上げました。いよいよ供出に出すべく検査を受けましたところ、有肥の方達は四等米又は五等米でしたのに、私のところだけ全部三等に通りました。重ねての御利益に唯感涙いたすのみでございました。この上は御恩返しの万分の一にもとどきませんが、一人でも多くの方にこの尊いお道の教える通りの方法をお伝えさせて戴きます。どうか農家の皆様、一日も早く高い肥料をやめて自然農法に切替え救われる道はこれ以外絶対にございませんことを私は申し上げたいのでございます。私の思うことの万分の一も書けません事を残念に思います。明主様誠に有難うございました。御礼申し上げます。どうか今後共宜敷く御願い申し上げます。
(昭和二八年一月二六日提出)
富山県 N・G
私は昭和二三年五月入信させて戴き、その後身に余る御守護を賜わり、日夜感謝の日暮しをさせて戴いております。
入信当時自然農法の御話しを拝聴いたしましたが、(二三年は当地方は早場米地帯なるためすでに四月上旬苗代実施済)翌二四年より、全耕地一町二反余りを自然栽培に切替えさせて頂き、その間数々の御守護を賜わり、特に昭和二七年度は当地方の悪作にも拘らず平年作(反当約二石四斗)の収穫を得ましたことを、茲に御報告申し上げさせて戴きます。
昨年は私共の区域は、県下でも最悪のイモチ被害をうけ、平年作の八割減乃至三割五分減(当局調査)の悲惨なる状況にて、供出どころか自家保有米すらこと欠く農民もありました。一般は不作のため、当然供出の減額補正の止むなきに至り、従って農家経済難は益々増すばかりであります。
御教えにより、自然栽培を実施いたした田は、殆んど被害はなく(但し例年よりシイナが多かった)村人達は立止って手に穂を持って見る人、私達にいろいろ聞く人、全く村の折紙付となり、注目の的になりました。
おかげ様で私達は早期に予想で昨年より控目に供出をいたしましたところ、村当局の割当以上となり、超過供出のその又超過供出七石余りという村一番の絶大なる成績を上げさせて戴きました。明主様の御構想であらせらるる地上天国建設の万分の一なりとも御手伝いさせて戴くと共に、入信者、未入信者の未だ実施なさっておられない方々に、現実に絶大なる実績を挙げました自然農法こそ、農村天国化の課題でもあり一大福音であることを声高らかに世の人達に切望してやみません。
以上拙文ながら実績の一端を御報告申し上げます。
明主様御守護有難うございました。
(昭和二八年二月一三日提出)
岐阜県 H・M
当地は国鉄H駅を中心に南北にまたがる村でございます。当地方は全国的に有名な紫雲英種の産地で、終戦後食用菜の栽培と麦作で、全村二毛作田が多いのでございます。二七年度の自然稲は植付直後十数日間冠水した為、収穫皆無と思うほどでありましたがその後の天候に恵まれ、少いながら穫入れさせて頂けました事を感謝いたします。私も自然栽培四年目、お蔭様と父が丈夫に働いてくれますので、私はほとんど父と子供に農業をまかせ、自身は中国、四国地方へ出張させて頂き、僅かに帰宅の折に手伝う程度でございます。
有肥の方では天候回復と同時に、速効肥料を施されたことと思いますが、私は耕起の際、切藁を入れたのみでした。全耕地一町二反、平均六俵強の御恵を頂きましたが、有肥の方では三俵半平均位のもあったかに聞いております。有肥の方では水害と初秋の虫害でお気の毒な有様だったのに、自然栽培なればこそと思います。殊に二毛作田は七俵の御恵を頂き、今後は一毛作でなければだめだとはっきり御教え頂きました。
ところどころ方々で多くの収穫を聞かされ恥ずかしいように思っておりましたが、立春祭の節御参拝、明主様の「有肥の倍ぐらい取れるのだ」との御話にこの地方としては約倍の収穫を得させて下さったことに気付きおくれて申訳ありませんが、ありのまま御報告させて頂きます。明主様御有難うございました。
(昭和二八年二月一〇日提出)