本農法は年と共に増収する

本農法に切替えてもその水田の土と種子に残っている肥毒の多少が大いに影響する。先ず普通としては左の如し。若し、余りに成績の悪い場合は人為肥料が多量に残っている為であるから、一時客土によって緩和すればよい。

(『栄光』二一四号)

一年目……平年作
二年目……一割増
三年目……二割増
四年目……三、四割増
五年目……五割増

昨年の特集号に、五カ年で五割増産という記事を出したが、左の報告はそれが現実に現われたのであるから、最早一点の疑う余地はあるまい。そうしてこの人だけが五年以上であるから、先ず本農法の第一人者というべきである。

(二一・二一五)

岐阜県 M・T

入信以来茲に七年目の明るい春を迎えさせて戴くことができ、その間数々の大きな御利益を頂き、感謝に満ちた毎日を過させていただいている者であります。苦難の多い今日、幸福なのは世界に吾独りといいたい程、明るく希望豊かに自然農法に励んでいます。

初年よりは二年目、二年目よりは三年目と明主様の御教えの通り、五年目には五割増産は間違いないことが実証され、更に昨秋六年目の実績は反当四斗一升の増収となりました。

洵に明主様の広大無辺なる御守護の賜物と御礼申し上げます。

今年の七年目は、あらん限りの努力を尽し、普及に粉骨砕心し、以て御恵みに報い奉るべくお誓い申し上げます。

左に成績の大要を御報告させて戴きます。

年次 年度   反当収量   付近有肥田反当最高収量
五年目 昭和二六年 四石五斗八升 三石五斗一升
六年目 昭和二七年 四石九斗九升 三石四斗八升

(昭和二八年二月一六日提出)

大分県 F・K

拙文ながら御明主様に御守護の御礼を御報告させて戴きます。私は農家に生まれ、農業専門の教育を受け、農業をたのしんで日々を過しております一人でありますが、M先生の御指導で昭和二二年入信いたしまして種々御守護を戴きましたが、私の専門的に働いております農業の面、いわゆる自然栽培の御守護を御報告させて戴きます。入信当時「農作物には肥料を施さないで作物はよくできるのだ」ということを、御指導下さる先生方より時々聞いておりましたが、最初は肥料学を頭に打ち込んでいて肥料迷信に陥っている私には信ずることができなかったのでありますが、M先生の熱心な御指導によりまして昭和二三年度の稲作より自然栽培を実施することになりましたが、完全な自然栽培ができずに昭和二四年度より本格的に実施いたしました。

初年度は肥毒のためと自然堆肥の不備等のために苗は小さくして黄色く、有肥田の青々とした太い苗に比べると非常に見劣りがいたしますし、近所の人は笑い、家族の者も「馬鹿なことを」というので肥料(硫安)を一寸施したいなと思いましたが、待て待てと思いとどまり、本田に植付けましたが、生育が思うようにならず、付近の人よりも笑われていましたが、御明主様、光明如来様に一心に御縋りいたし、この上はと神様に全部御任せいたしましたところ、左表の如く平年作を一寸下廻る位で草丈の割に収穫が多く、御明主様に感謝いたし、二年三年と続ける内に次第に成績も上り、近所の人も立寄って見る度に「不思議だ、夜でも肥料を施すのではないか」と疑視いたしておりましたが、五年目の二七年度の如きは三石八斗という好成績を得ました。又別田で二年目の上田ですがT町主催米多収穫品評会に出品いたしましたところ、四石五斗七升という好成績で二等賞になりました。これも皆御明主様の御蔭と日々感謝いたしております。

ここに私の農業経営の一部を書かせて戴きます。水田一町五反、畑一反で昭和二三年より第一年八枚の田を自然栽培にし、次第に増反し、二六年度より全耕地を自然栽培田といたし、人肥、金肥、厩肥を使わず二割五分の増収をいたしました。

次の表は土質は灰質土で(中ノ下田)五カ年の成績を御報告致します。(左記表は何れも反収です)

平年  二石四斗五升
二三年 二石二斗五升
二四年 二石四斗
二五年 二石六斗二升
二六年 三石一升
二七年 三石八斗

(六割増収)

右の成績を収めました。何と御礼を申し上げて良いかその言葉もありません。御明主様有難うございました。厚く御礼申し上げます。

(昭和二八年一月二日提出)

山形県 A・S

明主様、日々の御守護を有難うございます。

私は昭和二三年四月一四日に入信いたして、爾来歓びの日を迎えさせて戴いている者でございます。

この度Y会長先生より稲作の自然栽培について何か体験を述べよとのお言葉がありましたので資格者としてこの上もなき光栄と存じ拙い御報告ではございますが、ここにその水稲自然栽培の実績に就いて皆様の御参考迄に供したいと存じます。

吾等農民は先祖伝来から指導されて来た人為肥料に不知不識の間に一種の肥料迷信に掛り肥料を絶対のものと信じて参りました。

明主様より減産の原因は、実にこの施肥料にあるということを御垂示戴きましてより、その迷夢を醒まし、農耕法の大革命をしなければならないと痛感いたし、昭和二五年に六反歩の試作を初めとし、二六年度より全耕地二町三反をやらせて戴いております。

苗代時には黄色く松葉の様な苗に、近隣の人々は「肥料を使えば良く作る男であるが、あの苗では」と非難いたしましたが、私は秋を待つよりいたしかたないと、ただ笑っておりました。

果せるかな、第一年目というのに平年作三石二斗のところを三石八斗穫れました。

二年目は有肥が二石七斗のところを、自然栽培では三石八斗三升でした。

三年目の本年は五石一斗ありました。

お言葉通り、三年目には絶対に増収になることをはっきりとわからせて戴きました。

苗の色も一年目より二年目、二年目より三年目とだんだん色よくなり、本年は近隣の人々は「魚粕か油粕でも施したのではないか」と聞くような次第で「何も別に入れません。入れたのは神様の霊光放射、御浄霊ですよ」と申しますと、眉を上げてつくづくと私の顔を見ておりました。私はなお言葉を続け「この苗を七、八本ずつ植えるのですが、秋にどんな結果が来るかよく注目していて下さい」と申しました。

ところが昨年は特に自然農法に恵まれた天候にて、出来栄えが非常に良好なので、近隣の人々はなお「魚粕を入れたのでしょう」というのです。

その時私は強く「見えざる神を信ぜず、唯物思想、肥料迷信にかかっている方にはわからない事でしょうが、きたない物を入れるときたなくできるものですよ。人為肥料という汚物を入れなければこのように美しい稲になるのですよ。この稲色は、我が集落三〇〇町歩といえども他にありますか」と申しますと「なるほど」とうなずいておりました。

昨年は何度も「自然栽培の稲作を見せてくれ」といって参る信者や未信者も沢山ございましたが、九月一九日Y会長先生始めM支部長、K支部長各役員の先生方が御見えになりましたので、最初に三年目の田圃に御案内しました。そのすばらしさにただ感嘆の声をあげるばかりでした。その時隣接某氏の有肥の稲は倒伏されたままで、大きな被害を蒙っておりました。反当り肥料金二〇〇〇円以上も使い、このような有様ではと、つくづく御導き頂いている自分の仕合せをただただ感謝いたしました。

次に二年目の所を見て戴いたのですが、そこは堆肥も何も入れない所でしたので、会長先生は「何も入れなくとも立派にできるではないか、一番良くできておるではないか」といって下さいました。各先生方も「結実もよいし、実に素晴らしい」と、皆で無言の教えに目を止められました。穂の長さといい、粒数といい、粃一粒ない立派な結実で、その時二、三本見本に取ってきましたが、その穂の粒数は一七〇粒にて長さは七寸、長き六寸五分のは一六〇粒でした。

次に昨年土地改良をいたしたところを参考に見て頂きましたが、ここは他人より入った田圃(有肥)と自分の田圃(自然)と三寸五分の高低があるので自分の田圃に三寸五分の客土をいたして高さを平均いたしましたが、その結果自分の田圃と他人より入った田圃とは、線を引張ったようにはっきりと差異が現われ、実に客土が良好であることと、肥毒の恐ろしさをまざまざと見せられました。

次に苗代の稲を見て戴きましたが、品種は「晩」で、比較的粒数が多いので増産向きなのですが、茎丈が長い為、当地方のように風当りの強い所では不向きとされておりました。

しかし自然栽培の結果は茎が丈夫なため倒伏の心配なく、非常な成果を挙げることができました。なおこれも見本に二、三本取って参りましたが、分蘖も十三、四本、穂の長さは九寸五分、粒数は三三五粒でした。

会長先生は「非常によい参考になりますから写真を撮り『栄光』新聞に発表させて戴きましょう」とおっしゃいました。その時はうれしさに感涙いたしました。なお昨年の坪刈成績における有肥との比較を左に記します。

(自然栽培三寸五分客土した所)

      品種     株数   一升重量  全量
一年目   唐治郎(早生)五五株  二九〇匁  八四〇匁
自然栽培三年目 同じ   五五株  三一〇匁  六五〇匁
有肥栽培(A・K)同じ   五三株五分 二八五匁  五八〇匁

以上のような成績にて、この時の立会者B氏も驚き「實男より農業特集号を見せて戴いたが、御論文の通り客土がよい。三年目にはよいということは本当である。この位結果のよいのは見たことがない。確実に大増産ができる」といって喜んで下さいました。

土自体の力をできるだけ強化させることである堆肥以外、些かの不純物も混えずできるだけ清浄にすることで、素晴しい成績を挙げられるので、今迄の頭脳では到底信ずることはできないのでしょうが、一八〇度の大転換をしなければなりません。私は肥料代も手間もかけないで経済面からも恵まれ、家内中神の恵の偉大さを今更ながら有難く感じ、一層努力すべく心に誓い、少しでも皆様の御参考になればと御報告をさして戴きました。

なお余話ではありますが、O町の某魚粕商が私の所の稲と魚粕栽培の稲とを見本に店頭に並べ「魚粕肥料ならば他の肥料のような被害がなく、このように自然栽培に劣らない稲になる」と説明しておりますが、随分ややこしい話だと大笑いいたしました。

(昭和二七年二月一日提出)

山口県 K・A

明主様、謹んで本年度の自然栽培の実績を御報告申し上げます。一昨年は自然栽培の第二年度として、初年度に比べ六割もの増収を戴き、御神徳の広大無辺に感泣いたしましたが、昨年は更に御守護を戴き、自然栽培三年にして、有肥時代の実に四倍強という驚異的なお恵みを戴き御礼の言葉もございません。

顧みますれば、当地に自然農法の「一粒の種子」が播かれて、ここに満三年を迎えましたが、最初のうちは何と申しても頑迷な農民の心の扉はとざされ、「作物を作るには、絶対に肥料をやらねば穫れない」と言う、幾百千年の伝統の殻にとじ籠り、肥料迷信のコチコチでございましたが、この蒙を啓き、有難い明主様の御救いを戴くには、実際に見せてあげるより他に方法はないと思い、信者のOさんの、元薑田を耕地に転換したものを五畝歩程借り受けて、実施に移しましたのが昭和二五年でございました。有肥時代は反当五斗という実収で、供出にも足りなかったのが、御守護により一石という成績を戴き、更に二六年度には、反当一石八斗という素晴らしい御守護を戴き、ために頑迷なる人達も逐次自然農法の偉大さに頭を下げ、一人二人と実施する人も増え、昨年度には実施者も、実に三二戸、四町一段九畝と飛躍させて戴き御守護を戴き、厚く御礼申し上げます。

さて過去三年の実施成績を顧みまするに、絶大なる御守護を戴き、着々その成果をあげているとは申せ、意に満たないところもあり、種々反省させて頂きましたところ、次の件に気をつけて戴きました。と申しますのは、実施水田は勿論自然栽培田ではございますが、水利が悪く、苗代田を作るのに不便なため、別な所に有肥栽培のあとを借り受け、苗代田を設置しておりましたが、毎年雀が入り、その被害も少なからずあり、何か神様の御気付けではないかと思っておりましたが、如何に苗代を作るに自然栽培とは申せ、有肥のあと、しかも水利悪く付近の人達が親切に「其処は水利悪く、苗代田には適しない」と御注意を頂きました言葉を排し、自然栽培の水田に苗代を設置いたしました。長年その付近に住んでいる人が言われるのだから間違いなく、苗代田の管理は難しかろうと思っておりましたが、御守護を戴き順調に水を頂き、苗もすくすくと育ち、既に苗代で二、三本多いのは五本にも分蘖させて戴くという好成績を戴き、田植の時など専門のお百姓さんも吃驚している様な状態でございました。自然栽培三年ともなれば、その成績は断然群を抜き、付近の人達の羨望を尻目に、グングン成長をとげ、昨年度は特に害虫の発生が多く、消毒に、害虫駆除に大童になっている中をすくすくと生長させて戴き、実に豊かな実りの秋を迎えることができました。信者の皆さんも時々見においでになり、「さすが自然栽培の稲は違う」とて、益々自信を持ってお帰りを頂いた様な現況でございました。

その成績は、

昭和二四年度 有肥の時    五斗(反当)
昭和二五年度 自然栽培一年目 一石(〃)
昭和二六年度 〃   二年目 一石八斗(〃)
昭和二七年度 〃   三年目 二石四斗(〃)

となり、有肥時代の実に四倍強という成績でございました。

今後益々御守護を戴き、一人でも多くの人に自然農法の普及に努め、地上天国建設のため御使い戴けます様お願い申し上げます。

明主様有難うございました。

(昭和二八年二月一六日提出)

静岡県 S・S

明主様日々御守護を戴きまして誠に有難うございます。

入信以来六年間の過去を顧みて御神徳の無辺なるに感激しつつ、拙筆ながら自然栽培の御報告をさせて戴きます。

私は昭和二三年初めて稲作の一部に自然栽培を試みました処、御教えの実行が出来ず、失敗に終りました。翌二四年より再出発致しまして現在は稲作は全耕地実施いたしております。最初の失敗は試験的にと思いましたことが間違いでした。御教え通り実行すればよかったと今更気付かせて戴いております。

一年程は余り成績が上らず付近の信者の方々も大体同じ歩調なので、これも今まで入れた肥毒の為とのみ思っておりました。ところが会長先生より「明主様の御教えで三毛作は不可」とのお話を承り、早速二毛作に切替えの準備をいたし、昨年で三年目の場所と四年目の場所とありますが、四年目の場所は昨年七月と八月の出水のため約三割の被害がありましたが、御守護によりまして、付近有肥田よりは同品種で約一俵(反収)位多く穫らせて戴きました。

三年目の場所は苗代は四月上旬、水田苗代に作り、堆肥は全然施さず、播種直前に整地して四月二八日に坪当り一合五勺、反当一升八合の籾を播きました。種籾は水選して浄霊させて戴き、冷水に二五日間浸し、浄霊して播種させて戴きました。品種は見返一号の晩生種です。苗の発育は順調で有肥田より少し短く七、八寸ぐらい、太くて丈夫な苗になりました。本田は藁二分切、半熟堆肥凡そ一五〇貫(反当)入れ、四月二〇日に耕起し、六月一〇日再耕、同月一七日整地いたし、同二一日植付いたしました。本田の成育も有肥田と変らず、分蘖は少し少ないが茎、葉は剛く太く、濃緑色の気持のいい稲となりました。田草取は七月一四日と一七日の二回雁爪で耕し、三〇日に手取りで三回で終り、株間は九寸に九寸植えで分蘖は一株平均一九本位でした。

収量は平年作が二石八斗位のところですが、初年度に三石、二六年(二年目)三石三斗五升、昨年は三石五斗七升と順調な増産をいたしております。

一般有肥栽培では、肥料代、消毒薬代等で大体反当三〇〇〇円以上になります。現在二割増収いたしました。自然栽培では米価四〇〇〇円を計算して肥料代等を合算すればざっと六〇〇〇円の差となります。その上品質は良く、労力は省けますので、その差は実に大きいと思います。最初の頃は近所の人々より随分反対され白眼視されておりましたが、年毎によくなる実際の姿に一般も認識を改め、共鳴する人も出てまいりました。私自身今迄を省みて苦しんだり心配しましたのも、御教え通り実行すればもっと早く好成績が上ったと思いますが、つい我を出して藁を大きく切ったり、技術的に走ったりして御教え通りにいたさなかったからであります。

今後はひたすらに御教えのままに実行させて戴き、この大いなる福音を農家の皆様に一日も早く伝え目醒めて戴きまして御鴻恩の万分の一にも御報いする覚悟でございます。

(昭和二八年二月九日提出)

茨城県 N・F

明主様のおときになる自然耕作一反歩を稲の初年度から耕作させて戴きました。植付けてはじめのほどは黄色を帯びて、有肥田の稲に比して発育悪く心配致しておりました処、穂の出る時期になりました頃より段々発育良くなり、有肥の方は一反歩の収穫六俵、自然栽培の方は一反歩の収穫は七俵、施肥より一俵多く収穫させて戴きました。謹みて御礼申し上げます。

尚来年は四、五反歩耕作させて戴き度く思っております。

明主様有難うございました。

(昭和二七年七月二三日提出)

兵庫県 O・S

私は昭和二六年五月入信させていただきまして、明主様よりの自然栽培についての色々な御教えを拝聴いたし、信者様の実地報告を見せて戴きまして、現在農法の誤れる事、農業経済に不利なる事等を知り、水稲全耕地を自然栽培に切替えることにいたしました。

二六年五月六日播種、その後は毎日朝夕御浄霊をいたしました。発芽は至極順調に進みましたが、一寸二寸と伸びるうち次第に黄色くなり、下葉が枯れ始め、五月二〇日頃には有肥の苗は七、八寸になっておりましたが、自然栽培の苗は四、五寸位しかありませんでしたので、田植をすると葉先が一寸位しか見えませんでした。植付後も活着悪く、二〇日過ぎても黄色い針のような苗は風に吹かれているばかり、見る目にも泣きたい位になりました。

人々は「あれは神様ぼけになった、信仰も度が過ぎる」と口々に話し、中には御親切にも信仰をとめに来る人や、供出の事を心配するような人もありました。

草取りが終る頃より成育は目に見えるようになり、青々と発育し出しました。有肥の稲は天候の不順と病虫害に枯れ始め、一目見れば自然栽培と有肥栽培の見分けが出来るようになりました。高い所からこれを見下した時こそ「明主様有難うございました」と独りでに感謝の言葉が迸り、涙が出て参りました。

その後病虫害にも風雨にも打倒れることのない自然栽培の稲は、黄金の波を打ち誇らしき姿をいたして参りました。有肥の稲は風雨に打倒れました。一〇月二〇日に刈り取りを始めましたが、打倒れた稲のない為楽々と終りました。脱穀機の音も軽々そうです。一畝一荷(豊年のこと)の黄金を家に運ぶ足どりも軽く、平年作以上間違いないとはじめてわかった時の気持こそ何にたとえようもありません。

次に実収を御報告申しあげます。

品種    反当実収  増減
農林三二号 二石四斗  平年作以上(四斗増)
農林三七号 二石八斗  平年作