農林省東京食糧事務所業務第二課長 農林技官 Y・T
「苟しくも農学士ともあろうものが、そんなウンヴィセンシャフトリッヒ(非科学的)の夢の様な事柄を取りあげるなんて、とんでもない奴だ」と、多くの先輩同僚から異口同調で叱られた。これに対し私はいつもおそるおそる顔を赧らめながら弁解した。
「私も少しばかり作物学や肥料学の勉強をしたので、最初この話をきいたときには貴方が私に言ったと同じ調子で、そんな夢の様な事がある筈がないときめつけたのですが、相手は少しも悪びれずに、「事実が証明するのだから仕様がないでしょう。実態を見て下さい」と強く出るので、この二年間人知れずこっそりと千葉、神奈川、埼玉及び栃木と各地の現場を見て歩き、いかにも不思議で私の習った作物学や、肥料学の知識ではどうにも解決がつかないので、恥をしのんで申し上げるのです。私にはこの厳粛なる事実に対してどう対処していいか迷っています。どうか実物を見てこの夢の様な話を解く智慧を貸して下さい」
以上の会話は、人為的な肥料を施さずに作物を栽培すると四年五年と年月を経過すればする程増産する、自然農法と称する栽培方法を多くの先輩友人に話すと、必ず冒頭にかわされた会話です。
では夢の様なときめつけられる自然農法とはどんなものか説明してみましょう。読者の皆さんも既成観念から御読みになっても一読「馬鹿な! そんな事があってたまるものか。そんなうまい話ってあるものか」と到底信ぜられないでしょう。信ぜられないのが当然だと私も思います。
私が特にこの自然農法に対して興味を持ち研究を始めたのは、農林省青森統計調査事務所O出張所長農林技官K・S氏の「水稲自然農法の研究調査と批判」なるレポートを見てからです。同氏は公務の余暇を利用して近隣の自然農法の実行者の実態を三年間にわたって調査し、その結果を報告しているのです。
先ず自然農法の原理ともいうべきものを申してみますと、「土とは造物主が人畜を養う為に作物を生産すべく造られたものである以上、土の本質は肥料分があり余る程で、謂わば肥料の塊りといってもいい位のものである。それを今日迄全然知らず肥料は作物の食物の様に誤ってしまい、色々な人為肥料を施した結果意外にも土本来の力を弱らせてしまったのであるから、作物を増産するためには、土自体の力を出来るだけ強化させる事で、それには土に対し堆肥(枯草、枯葉及び藁)以外の不純物即ち人肥、金肥(化学肥料)牛馬糞尿、鶏糞等の廐肥、魚肥及び木灰等の一切の人為肥料を施すことをやめれば土は清浄になって土本来の力を出して作物は増産する様になる」と言うのです。読者は直ちに堆肥に肥料分があるから、堆肥を沢山やればそういうこともあり得るとも思うでしょうが、決してそうでなく、堆肥の効果は土を乾かさない為と土を温める為と土を固めない為、つまり水分を吸収し熱を吸収し土が固まらない様にするためだと言って肥料として使用するのではないと称し、その量も反当四、五十貫もやればよいと言っています。以上が自然農法の原理ですが、要するに人為肥料は一切やらずに連作することで、最も重大なことは、種子を自然農法により採集したものを使用してやることで、他の栽培方法は一切普通の栽培と同様でよいと説いております。
K技官の報告によりますと、化学肥料を施用した昭和二三年には反当収量一石三斗であった田が、昭和二四年から自然農法を実施して以来、二四年、二五年、二六年には夫々一石四斗、一石八斗、二石三斗と増産したとあります。私が本年○月・○日に訪問した宇都宮在の自然農法実施者は本年は四年目だそうですが、「肥料を使用していた五年前はいかにうまく施肥しても、この田は反当七俵でしたが、自然農法三年目の昨年はこれからは八俵半とれました。今年はもう少しとれるでしょう」と自信を以って語っていましたが、その稲の草丈、葉の色、分蘖の数、一穂の粒数、穂のつき方が近辺の稲と比較して明瞭に区別されるのです。
自然農法と一般農法とを対比(同一条件下で同一品種のものを有肥と無肥で栽培したものの比較、施肥の有無がことなるのみで他は凡て同一栽培方法)した統計表によりますと、一年目、二年目は一割内外草丈は短く、三年目には大体同じ位の草丈となり、四年目以上は逆に一割以上高くなっていますが、四年目のこの稲も近所の有肥栽培の稲に比較して草丈は高いのです。分蘖についても統計表に依りますと、一年目、二年目は一割五分内外減少していますが三年目には同数以上になり、四年以上になりますと一割以上増加していますが、この稲も分蘖は確に三本程度多いのです。が、それよりその一束を握ってみた感じが、藁の如く固くしっかりしているのに対し、有肥のものは、なよなよとしているのには驚きました。「台風にも倒伏せず病虫害にも強く、隣接田が浮塵子に襲われたにも拘らず我が田の被害皆無」とある人の報告を読んだことがありましたが、この強靭さでは、或いはそんなこともあり得るかも知れないとその握り工合の感触から考えられました。
一穂の粒数も統計表によりますと、一年目には一割足らず減少し、二年目で殆んど同数となり、三年目からは一割余、四年目以上は三割余も増加していますが、この家の稲も実に房々とたわわと形容したい程豊かに稔っていますが、特記しなければならないことは、有肥の稲の籾のつきじまいが、所謂穂揃が下から上と不揃であるに反し、無肥のこの稲はどの穂の籾も同じ高さから一様についていて、不稔粒が殆んどないことです。
更にその色ですが籾は全くの黄金色、稲草はさえた黄緑色、病毒をもった人の顔色と健康人の桜色のそれとの対比以上に明瞭に判別出来るのです。ですから遠方から田を見ても有肥田、無肥田の区別が異なる色の毛布を敷いた如く誰にも一眼でわかるのです。
もう一つ眼で見てすぐわかる特色はその根毛の長く多いことです。有肥の稲のそれの長さも数も二倍から三倍もあります。苗代から本田に移植されて有肥の田がぐんぐん育つ時、無肥の苗は赤くて殆んど育たず、近隣人の嘲笑の的に年々なったそうですが、この時根は土本来の養分を求めて下に下にと延びているわけでしょう。
以上申し上げた分蘖、一穂の粒数からその収量が初年度二年度は減少するということは、直ぐお考えになったでしょうが、事実初年度は一割内外の減少を見る様に統計表にはなっています。私が訪問した各農家でも脱穀調整まではえらい不作と考えていたが、摺ってみたら案外あって反収で一割内外の減収といっています。
この自然農法の稲の籾摺歩合は六割五分は普通で、最高七割五分の報告もあります。籾の皮が薄く内容が充実している為でしょう。
二年目から平年作となり、三年目四年目五年目からは大体一割二割三割以上も統計表は増収していますが、私が訪問した各農家とも増産歩合は大差なく、この統計表の正当さを裏付けていました。
この自然農法の話をすると「それは残存肥料の為だ」と断定する人がいますが、初年度は減産して二年三年と年月が経過するほど増収してゆくのをどう解釈したらよいのでしょうか。私には諒解出来ませんが、自然農法の発見者は、「作物に金肥等を施せば一時的に相当の効果があったので年々施用した結果逆作用が起きた。即ち作物は土の養分を吸うのが本来の性能であるのに、施肥されることにより肥料を養分としなければならぬ様に変質してしまったのだ。譬えば人間の麻薬中毒のようなものだ。最初麻薬を用いるや、一時は快感を覚えたり、頭脳明晰になったりするので、その味が忘れられず漸次深味に入り中毒してしまう。この様に現在の作物の種子は凡て肥料中毒にかかっているから、酒や煙草或は麻薬の中毒患者がそれ等を一時に中止すると到底堪えられない様に、肥料を全然やらないとニコチン中毒患者が禁煙してうすぼんやりする様に、外観は貧相になり、従って収量は減少するのだ。但し前述の通り根だけは表面に肥料分がないので本来の性能に立ち還り、土から養分を吸うべく深く深く伸長しているのだ。かくして一年たって肥料中毒は幾分治るが完全ではなく、その種子を使用して二年目をやり三年目をやることにより肥料中毒は治癒して、作物本来の性能を発揮して、肥料を施さないこと二年三年となって、清浄と化した土から養分を吸収することに依り増産する様になるのだ」と説いております。「無肥料の試験は農事試験場で実験して立証されているではないか。何を今さら……」と言う人がいましたが農事試験場の試験には、無肥料で栽培して収穫したその種子を使用して翌年同じ圃場で栽培するという実験をしているのでしょうかと、反問致したいのです。
1年目 2年目 3年目 4年目 5年目 6年H
有肥対自然の収穫増減比 +4.7 +20.2 +30.6 +31.0 +63.0 +74.0
有肥対草丈増減比 −8.3 −9.9 −0.8 +1.0 +0.5 +5.0
有肥対分蘖増減比 −16.8 −16.1 +3.0 +11.5 +16.0 +25.0
有肥対一穂の粒数増減比 −4.9 −1.5 +12.9 +30.0 +44.0 +50.0
有肥対玄米一升重増減比 +4.4 +4.4 +4.5 +2.5 +3.8 +20.0
有肥対籾摺比率増減比 +12.3 +16.3 +13.9 +18.5 +17.0 不明
106戸ニ於ケル調査件数 68 26 15 2 2 1
自然栽培水稲 昭和26年度実績(単位%)
(本表は有肥同条件同品種に於ける成績と対照して何%多いか少いかを示します。)
この無肥料で栽培して収穫したものを種子とすることの大切であることは、埼玉県の自然農法実施四年目の農家を訪問した時にこの目でマザマザと見せつけられました。それは今年から無肥料栽培する一枚の田を半分ずつに区切り、一方には四年前から無肥料でやって来た苗を植え、他の一方には今年初めて無肥料でやった苗を植えてあったのですが、九月下旬にその収量は明白に区別出来る成育振りです。無肥料の種子と田とが両々相俟って増産をあげるわけですが、種子が作物本来の性能に還っているものだけでも好成績をあげている実例を見せつけられて、無肥料の種子の偉大さを認識したわけです。
最後に品質について申しますと、前記の埼玉県の農家の例ですが、昨年は一町五畝歩の耕作反別で八四俵の収穫、供出割当三〇俵、この検査成績一等一俵、三等二九俵。他の一農家は供出割当五七俵で検査成績二等二八俵、三等二七俵で同地方の昨年の検査成績は二等が殆んどなく、三等三〇%足らずで四等が五〇%余、他は五等であったのに比すれば非常に好成績と言わざるを得ません。玄米の光沢もよく、一升重量も有肥に比し三乃至四%は重く中には三斗八升で一俵になるのもあったそうです。その食味も宇都宮で新米の御飯を試食しましたが、素晴らしいものでした。無肥で栽培した白菜や西瓜、甘藷等も試食して見ましたが美味なることは否定することが出来ません。糯米から生産した餅も舌ざわりがよく、粘力強く羽二重餅の様です。
「肥料代はいらずに労力は節約出来る、しかも余計にとれる。その上味も質も又と得がたい! そんなうまい話は夢物語ならいざ知らず、この世にあろうとは考えられない。馬鹿も休み休み言え」と御考えになる方が殆んど凡てだと考えますが、私の夢物語を追っての諸国遍歴も二年間つづいていますが、この夢? は未だ醒めません。私には当代の奇蹟? に思えて仕方がないのです。夢ならば一日も早く醒めよ! 奇蹟ならば科学のメスを加える友よ一日も早く現われよと絶叫したいです。
(註)本小論文は東京食糧事務所発行の『月間の動き』新年特集号に掲載されたもので、その節自然栽培データー(本教提供)も付録として折込まれました。次頁に参考までに掲載致します。