幸福への道

凡そ如何なる人間と雖も幸福を希はぬ者は一人もあるまい。全く幸福こそ、人間の欲求としての最大のものであり、最後の目標でもあらう。そうして幸福の最大条件としては、何といっても病気の無い人間、病人の無い家庭之以外にないであらう事は余りに明白である。然し乍ら、今日迄の世界に於て、全く無病たり得る事は不可能であるばかりでなく、現在健康であっても、何時如何なる場合に何等かの病気が発生するかも知れないといふ不安は何人と雖も抱いてゐるのである。而も、偶々病気に罹るとして、それが容易に治癒すべきものであるか、或は、容易に治癒し難いものであるかといふ事も全然予測がつかないのであるから、実に不安此上もないのである。其様な理由によって、順調な境遇にある人も成功者になった人としても病気に対する不安がある為、真の幸福に浸り得られないといふのが事実である。

そうして、凡ゆる不幸の根源は病気である事は曩に再三説いた通りである。貯蓄の目的の大方は、罹病した時の用意であり、健康保険も生命保険もそれが為である。孤児院も養老院も共済会も方面事業や、凡ゆる社会事業も、それが為であらう。

従而、国家が如何なる理想的政治を行ふも人間の病患を解決なし得ない限り、国民の真の幸福はあり得ないのである。洵に健康こそ幸福の根本であり、否幸福の全部であるといっても可いであらう。然るに今日迄、根本的に病患の解決をなし得る医術も方法も、全然無かった事である。

私は、大言壮語するのではない。私の創成した日本医術と健康法によれば、人間をして病患の不安から解放なし得る事は、既に述べた通りである。故に私は、私の医術を知る人にして初めて幸福人となり得るといふ事を断言するのである。何千年以来、人類が要望して熄(ヤ)まなかった所の“幸福への道”は、既に拓かれたのである。

(明日の医術 第一篇 昭和十八年十月五日)