真の健康と擬健康

私は曩に、日本人の全部が殆んど病人であると言った。そういふ事をいふと、それは間違ってゐる。世間いくらも健康で活動してゐる人があるではないかと曰ふであらう。成程外見上だけでいへば、如何にも健康そうに見へるからそう思ふのも無理はないが、私は之に対し、詳細説明してみよう。

私の発見した-病気は浄化作用である-といふ、その浄化作用といふ意味は、言ひ換へれば、一旦固結した処の毒素に対し、自然的に溶解作用が起るといふ事である。従而、溶解作用発生以前は、何等病気症状はないから健康体と同様である訳である。即ち、毒素保有者と雖も、それが固結してゐて、聊かの溶解作用の発生がない時は、健康体として自己自身もそう信じてゐるし、且つ顔色も体格も健康そうであるから、仮令、医家が健康診断を行ふと雖も、今日の医学の診断では、浄化発生以前の固結毒素を発見し得られないから完全健康と誤るのは致し方ないのである。故に、医家の診断に於て、模範的健康とされたものが、間もなく発病して死に到ったといふやうな実例がよくあるのは、右の如き理に由るのである。

従而、毒素を保有し乍ら、浄化未発生の人に対して、私は擬健康といふのである。然るに、本医術の診断に於ては、右の如き擬健康である毒素保有者に対し、保有毒素の尽くを知り得るのである。医学に於て、病気潜伏と称するのは、此保有毒素を想像して言ふのであらう。そうして医学の診断に於て、血圧計とか、ツベルクリン反応、赤血球の沈降速度梅毒の血液検査等に表はれたる症状を以て、潜伏疾患を予想するのであるが、それに対し如何なる臓器又は如何なる局所に潜伏病原があるかを適確に知り得ないのであるから疾患の発生を防止し得ないのは当然である。此意味を以てすれば、近来唱ふる予防医学などは全く意味をなさないのであって、結局空念仏に過ぎないと私は思ふのである。

昔から、人は病気の器と謂ひ、いつ何時病み患ひがあるかも知れないと案じ、又釈尊は人間の四苦は生病老死であるとし、病は避け難いものとされてゐるが、それ等は何れも擬健康であるから、何時浄化作用が発生するか判らないといふ状態に置かれてゐるからである。故に、真の健康者が増加するに従ひ、右の如き言葉は消滅してしまふであらう。

右の如くであるから、真の健康とは、全然無毒の人間でなければならないのである。そういふやうな完全な健康体は、今日の日本人には、恐らく一万人に一人位であらう。何となれば、九拾歳以上の長命者は、右の如き健康者であるからである。然るに本医術によれば無毒者となり得るのであるから、完全健康体となり、九拾歳以上の長寿者となる事は、易々たるものである。

(明日の医術 第一篇 昭和十八年十月五日)