本療法と貯蓄

今日、大東亜戦争を勝ち抜く為の銃後人の御奉公として最も力を注がねばならない事は何といっても貯蓄であらう。そうして貯蓄をするには予算生活を立てなくてはならない事も勿論である。然し乍ら、実際問題として、他の如何なる項目も努力次第で予算通りか、又はそれ以上に喰ひ止め得る事も敢て不可能ではないが、独り医療費のみは如何に努力すると雖も、予算通りにゆかない事のあるのは誰もが経験する所であらう。折角永い間、凡ゆる苦心努力をして多少の余裕が出来喜んでゐると、突如として家庭の誰かが病魔に襲はれるとする。直ちに医療を受ける。捗々しく治らない。やれ手術だ入院だといふ事になるとすると、その費額は貯蓄しただけでは間に合はない。アベコベに借金をしなければならないといふやうな事になる。斯ういふやうな例は決して珍らしい事ではないのである。

右の如き事例を考へる時、今日確固たる予算生活は全く不可能であらう。幸ひ半年か一年、医療費を予算以内で喰ひ止め得たとしても二年三年になるに及んで、十中八九までは前述の如き予算突破の大違算に遭ひ、失望落胆しない時が来ないと、誰が言ひ得るであらう。それは他なし、今日の日本人の体位が低下し、あまりに罹病し易いと共に、あまりに医療の効果がないといふ-その二つの原因である事は、洵に瞭かな事実である。

右の意味に於て、本治療の如何に偉大であるかといふ事である。修得者が一人でも家庭内にあり、全家族が、此日本医術による健康法と病気の原理を知るに於て、滅多に罹病しない程の健康体となり、偶々罹病すると雖も仕事を休まないで、容易に速かに治癒するのであるから、一銭の医療費も要しない訳で、その利益の莫大なる事は量り知れないであらう。而も、常に安心を得つつ生活なし得るといふ事も、金銭に換へ難い幸福であらう。従而、私は断言するのである。本医術を知らないで予算生活を樹てるといふ事は、一種の投機的行為でしかないといふ事である。

故に、此意味に於ても、本療法こそは、今日の時局に対し、国家に裨益する所、如何に甚大であるかは、読者の想像を乞ひたいのである。

(明日の医術 第一篇 昭和十八年十月五日)