スポーツ医学

本医術よりみたるスポーツに就て説いてみよう。此事は頗る重大問題であって、政府も専門家も未だ発見されない所に大いなる危険が伏在してゐるのであるから、それを今書くのである。

スポーツなるものの本来の目的は、言ふ迄もなく体位の向上にあるのであるが、私の発見によれば、現在行はれつつある如き方法に於ては、益よりも害の方が多いかも知れないと疑はざるを得ないのである。

そうしてスポーツに就て、最も不可である点は、一人にして一種類に限る事である。勿論、競技といふからは優越者たらんとするのは人情であり、其処に興味が湧くのであるが、此様な結果は如何になるやといふに、曩に説いた如く保有毒素は神経の集注部即ち動作の力点部に集注するものであるから、どうしても一局部に集溜し易い訳である。

右に就て、私の経験によってみたる二三の例を挙げてみよう。先づ、水泳選手をみるに、これは両肩部の頸腺部に接した局所へ甚だしい毒素溜結がある。之は、水泳に於ける動作の為であるから止むを得ないのであるが此結果は如何になるかといふと、或時期に到って浄化作用が起り、右の毒素溜結に微熱が発生し、咳嗽と喀痰が伴ふので、医家の診断は肺結核の初期とするのである。右の如くであるから、水泳選手にして、選手をやめてから肺患に罹り生命を失ふものが尠なくないのは、右の理によるのである。

又、ゴルフ愛好者は、必ずといひたいほど腎臓疾患があるのである。之は勿論、腰に最も力を入れるからで、腎臓部に毒素溜結するのであって、私は治療時代、社会的地位のある人に多かったのである。

其他、マラソン選手が心臓肥大症になる等は周知の事実であるが、何れにせよ、競技的スポーツは、当路者に於ても考慮しなければならない重大問題であらう。此意味に於て、一種目に偏せず、全身的に均等の効果ある方法を研究しなければならないと思ふのである。

(明日の医術 第一篇 昭和十八年十月五日)