肺結核

此病気の現在日本に於ける趨勢は右の如くであるにみて、如何に急迫せる状態にあるかといふ事である。読者よ、何故肺結核が斯の如く増加しつつあるかといふ事は、私の発見によれば其原因が全く現代医学の誤謬に在るといふ事である。それは、現代医学の結核防止の対策それ自体が結核を増加するといふ逆効果となってゐるのである。赤裸々にいへば、現代医学が結核患者の大量製産を行ってゐる訳である。嗚呼斯の如き説は現代人として信じ得らるるであらうか-と私は惟ふのである。然し乍ら事実は飽迄事実である以上如何ともなし難いのである。先づ順を逐ふて詳説してみよう。

今日医家の肺結核と診断する患者特に初期の患者は肺に病気はないのである。其殆んどが誤診であるといふ事を私は断言するのである。今日医学上の診断としては種々あるが、先づラッセル(水泡音)の有無、マントウ氏反応、赤血球の沈降速度、結核菌の顕微鏡検査、レントゲン写真等であり、症状としては持続熱、咳嗽、喀痰、血痰、喀血、羸痩(ルイソウ)、盗汗、胃腸障碍、疲労感等であるが、夫等に就て説いてみよう。

病気の真因の項目に於て詳説した如く、感冒防遏(ボウアツ)の結果、漸次身体各局所に然毒、尿毒、薬毒が集溜凝結するのである。然らば其局所とは如何なる所かといふと、先づ全身的ではあるが、大体は一定してゐる。それは頸部の周囲、特に左右延髄附近、頸部淋巴腺附近、左右肩部(特に左側)左右の腋窩部即ち腕の付根、肋骨及肋骨附近の全部又は一部、左右横隔膜の下辺、胃部より腹膜部、鼠蹊部淋巴腺(特に右側)左右肩胛骨(特に左側)の下辺及び脊髄の両側及び背面腎臓部等である。私が多くの結核患者を治療した経験によれば背面腎臓部及び腹膜特に臍の周囲に毒素溜結してゐる者が最も多い事である。これが発熱、咳嗽、食欲不振、倦怠感等の原因となっており、之等を治療する事によって肺結核的症状が大いに軽減するのである。之によってみれば、医家が肺結核と断定せる患者は実は慢性腎臓炎と慢性化膿性腹膜炎が多い事が判るのである。医家の診断は此腎臓部及び腹膜部の毒素溜結が発見出来ないやうである。

又此慢性化膿性腹膜炎の凝結せる毒素が発熱によって溶解し、それが持続的に下痢する場合医家は腸結核と曰ふのである。

右の如く各局所に溜結せる毒素が軽症は二三ケ所位であるが、重症は全局所に及ぶものさへある。勿論、第二浄化作用による発熱が先駆となってそれによって溜結毒素は溶解し喀痰となり、咳嗽によって吸出されるのであるが、其際喀痰は必ず肺臓を通過して気管から咽喉に向って排泄されるのである。故に自然に放置しておけば、液体毒素即ち喀痰は順調に肺臓を通過して排泄されるのである。然るに喀痰が肺臓通過の際一旦一時的肺胞内に停滞する。それは咳嗽といふ吸出作用を待ってゐるやうなものである。然るに此時聴ゆる肺胞音それをラッセルといふのであるが、勿論此場合肺そのものに異常はないのである。然るに医家は右の症状によって肺患の疑を抱き、各種の機械的検査によって断定するのであるが、其後に於ける療法が問題である。再三述べた如く医療は悉く浄化作用の抑圧であるから、折角肺臓を通過して排泄されようとした喀痰は通過の勢を挫かれ肺臓内に停滞する事になるのである。

それは医療は先づ絶対安静を奨める。此絶対安静ほど胃腸を弱らすものはあるまい。考えてもみるがいい、健康体でも絶対安静を一ケ月も続くるに於て、第一に胃腸は睡眠し全身的に衰弱する事は瞭かである。次に薬剤を服用又は注射する。それらも毒素である以上衰弱に拍車をかける。又栄養と称し魚鳥獣肉や完成食餌を多く摂取させる。之も内臓器能を衰弱させる(食餌の栄養理論に就ては別に詳説する)又清浄なる空気療法を推奨するが之は相当の効果はあるが他の誤謬に依る方法に抹殺されて了ふのである。又サナトリウム療法による日光浴も近来推奨されるが之は一利一害である。元来人間は、日光の射さぬ家屋内に於ては軽運動をし、日光の直射する戸外に於ては強運動を為す。それが自然であって、日光下に在る時は強運動即ち歩行又は労働をなし、発汗する位が自然の法則に適ふのである。然るに日光下に於て室内の動作よりも一層静止する場合、それは不自然であるから可い筈はないのである。

右の如く大体衰弱増進の各方法を施すに於て、浄化作用は抑止せらるるから病的症状は軽減するので治癒に向ふやうに誤解するのも無理はないのである。然し実際の治癒ではないから次のやうになるのである。

即ち肺臓内を通過排泄せられんとした喀痰は全身衰弱によって吸出作用の咳嗽が減少又は無力になるから、喀痰は畢に肺臓内に停滞するといふ事になるのである。而も微少ながらも後続喀痰が肺臓に浸潤しつつ停滞毒素は漸次量を増すので、其結果肺臓内に喀痰の固結が成立するのである。それが呼吸困難の原因である。

元来肺臓は呼吸運動によって人間生体内に必要量の空気を吸収する機能である。故に肺臓内に固結が出来たとすれば、それだけ空気の吸収量が減殺さるる訳である。従而呼吸を頻繁に行はなければ一定量の空気の吸収は出来ない事になる。例へば十の必要量を二の妨害物によって、八だけしか吸収出来ないとすれば、百の空気を吸収する為には十回呼吸すべき所を十二回半呼吸しなければならないといふ訳である。

そうして右の喀痰固結を医家が診断する時、それを結核、肺壊疽(ハイエソ)、肺臓癌等の病名を附するのである。以上は一般的結核患者の普通辿るべき経過であるが、之によって是をみれば最初何等肺に異常の無かったものが、誤れる療法の結果真症の結核患者となり、畢には生命の危険に晒されるやうになるのである。故に赤裸々にいへば現代医学が結核患者を増加しつつあるといふ理論になるのである。

私は斯様な悲しむべきことを猶も続けて書かなければならない。結核患者が絶対安静によって無熱になった場合、偶々少しの運動をしても直ちに発熱する。斯際医師は驚いて運動を戒めるが、之等も誤謬による反対理論である。即ち安静に因る衰弱、浄化停止の為の無熱であるから運動をすれば浄化作用が起り発熱するのは当然である。

従而医家は結核を治癒するとは言はないで固めるといふのである。之は誰も知る所であらう。然し乍ら、如何なる病気と雖も真の治癒とは病原である固結毒素を溶解し、全部排除させ残存せる毒素の無いやうにする事でなくてはならない。斯様に治癒するに於て、病気恢復後如何なる作業をすると雖も決して再発はしないのである。然るに現代医学に於ては固め療法であるから、結核治癒後と雖も再発を恐れ何ケ月又は何ケ年にも及ぶ期間業務に就く事さへ不可能である。実に結核患者が長期間能ふ限り医師の指示を守って慎重に固め療法を行ひ、漸く恢復し得たと喜んだのも束の間俄然再発して又初めからやり直しといふやうな悲惨なる例も少くない事は多くの人の知る処であらう。全く固め療法の結果である。

茲で、肺浸潤に就て説明するが、之は肋骨及び其附近に溜結せる毒素が熱によって溶解され、肺膜から肺臓内に浸潤し喀痰となって排泄されようとするそれを名付けた病気である。故にその儘放任しておけば順調に毒素は排除されて治癒するのである。然るに、医家も患者も結核の初期の如く恐れて種々の加療即ち浄化作用の抑止をするので終に難症に陥るのである。

次に医家の診断で肺尖加答児及び肺門淋巴腺といはるる患者を診査するに、其原因は殆んど肩の凝りである。第一浄化作用である肩の凝りが、第二浄化作用によって発熱し肺患的症状を呈するのである。之等も肺に何等異状はないので、放任しておけばその毒素は溶解し、それが肺尖から肺臓内に浸潤し喀痰となって排泄され治癒するのである。然し肩の凝りといふと老人に限るやうに思ふであらうが近来は青少年は固より幼児に到るまで非常に多いのである。

今一つ重要な事がある。それは現在医学の理論では過労が結核の重な原因の一つとされてゐる。そうして過労の結果抵抗力が薄弱になるからといふのである。然乍ら其解釈は全然反対である。それはどういふ訳かといふと、過労する位運動をすれば浄化作用が起るのである。茲で疲労なるものの説明をする必要があらう。即ち疲労とは運動の結果当然起る所の浄化作用の発熱の為であるから健康上疲労は良いのである。いはば浄化作用の促進方法である。医学に於てさへ健康増進の為運動を奨励してゐるではないか。然し、医学では適度の運動といふがそれは浄化作用の起らない程度をいふのであらうがそれでは効果が薄いので、実は浄化作用の起る程度が良いのである。勿論発熱する事はそれだけの毒素が何れかの局部に存在するからでそれによって毒素は軽減するから可いのである。故に有毒者ほど発熱し易いから疲労するのである。此理に由って、運動によって疲労感を繰返すに於て次第に毒素は軽減し健康は増進さるるのである。滑稽なのは疲労の原因は過激な運動によって一種の毒素が発生するからだといふ学説である。

右の理によって浄化作用旺盛者即ち発熱し易い疲労者は抵抗力強盛によるからである。故に医学上の理論の如く抵抗力薄弱者が結核に罹り易いとするなれば、疲労し易い老年者ほど結核に罹らなければならない筈である。にも係はらず事実は最も元気旺盛である青年期ほど罹り易いといふ事は全く青年期が最も浄化作用旺盛であるからである。

又右の理を欧羅巴の現状に当嵌める事ができる。それは日本人に特に結核の多いといふ事は白人よりも体力が未だ旺盛で浄可作用が起り易いからである。再三説いた如く浄化作用によって結核の初期的症状が起るのであるから青年期に多い訳である-とすれば白人は体力低下によって浄化作用微弱の為結核が起り得ないといふ訳である。

その原因としては種痘法施行が日本より数十年早いからである。判り易くいへば白人は青年期であっても老年の如くなってしまって結核が起り得ないといふ訳で、其最も甚しいのはフランス人である。ナポレオン時代にあの位元気盛んであったフランス人が今日はどうであらう。青年的元気や活力は消耗し老人の如く只安逸と享楽の生活を追うてゐるといふ状態であった。それが今回の敗戦の因となったのは周知の事実である。然るに日本は欧羅巴より種痘法が後れた為幸ひに浄化力が未だ相当残ってゐるから、それが日本には結核が多いといふ真因である。然るにそれに対し、結核防止の施策が奏効して白人に結核が減少したものと解して当局は欧羅巴と同様の対策を実行してゐるのである。故に日本も現在の儘推移するに於て何れは今日の白人の如き結核患者激減の状態になるであらう。然しそうなった暁、結核防止に成功したと医学衛生を讃美するであらうと思ふのである。

次に医学の診断に就て説いてみよう。ラッセルに就ては曩(サキ)に説いた通りであるがマントー氏反応即ちツベルクリン溶液の注射に就ていへば、医学の解釈によれば注射した部分が紅潮又は腫脹、水泡、潰瘍になる場合陽性であり、既に結核に感染したものとしており、右の如き兆候のないものを陰性となし更にツベルクリンを濃度にして注射をすると陽性になるものがあり、陽性者と雖も治癒したものと未だ治癒しないものもあるとしてゐる。又陰性者なら結核に感染してゐないのであるが、何等かの機会に結核に感染して陽性に転化する事もあるとしてゐる。右の如く甚だ曖昧極まるものである。然るに私の解釈に於ては、血液に異物を注入するから直ちにその異物を解消すべき浄化作用が起るので、それがその部に腫脹や紅潮の変化を起すのである。丁度毒虫や蜂に刺されたのと同一の理である。故に、陽性者は浄化作用旺盛の為であり陰性者は弱体の為浄化作用が起り得ないのであり、注射液即ち薬毒を濃度にするに於て漸く浄化作用が起るのである。又赤血球の沈降速度とは、血液中に毒素があれば溷濁しており、其毒素の多い程重量があり沈降速度が速いのである。故に、溷濁血液者ほど浄化作用即ち病気が起り易い訳である。

次に結核菌は絶対に伝染するものではないので、それは次の項目に詳説する事とする。

次にレントゲン写真に就て説明してみるが、医家は写真に雲翳(ウンエイ)が見えるだけで肺結核と断定するが、之は甚だ軽率である。何となれば写真は平面に写るのであるから肺臓の内部の毒素と肺臓外-即ち肋骨又は肋骨附近の毒素であるか区別がつかない事である。私の経験によれば結核初期の患者に於ては其殆んどが病原たる毒素は肺臓内でなく肺臓外即ち胸部又は背部の皮下肋骨附近にあるのである。又此毒素も然毒、尿毒、薬毒の差別があるが、レントゲン写真では判明しないのであるが私の創成した指頭診断法によればそれ等も適確に判明するのである。

次に喀血は非常に良いのである。それは毒血が浄化作用によって排泄されるからである。医学に於ても喀血性結核は治癒し易いとしてある。そうして喀血の局所は一定してゐないのであって、多くは肺臓外部の一局部に浄化作用によって毒血が凝結するか、又はそれが肺臓内に浸潤して凝結する場合、発熱によって溶解喀血するのである。茲に注意すべきは脳溢血発病の際脳に溢血せずして喀血に変ずる事がある。多くの医家は之を肺の喀血と誤診するが、何ぞ知らん実は之によって脳溢血を免れ得たのである。

次に盗汗は最良の浄化作用であって、高熱によって溶解され稀薄な液体となった毒素が皮膚の毛細管から排泄されるので、之によって大いに治癒は促進されるのである。私の経験上、盗汗ある患者又は治療によって盗汗作用が起った患者は例外なく成績が良いのである。丁度感冒の際発汗すると共に下熱治癒するのと同一の理である。

然るに医学に於ては盗汗は疲労の結果であるとなし、盗汗を止めようとするが之は誤りであって、疲労の為ではなく却て浄化作用旺盛の為であるのである。

(明日の医術 第一篇 昭和十八年十月五日)