結核問題とその趨勢

人口問題に対して最も重要なるものは結核問題であらう。結核に就ての状態は如何であらうか、各種の調査資料によって示してみよう。(時局の為か此数年間の調査発表なく以下の資料は昭和十一年頃までにて遺憾乍ら止むを得ないのである。)

世界の主要文明国での結核は最近四五十年間に年年減少してゐるのに独り我国では逆に増加してゐる。結核の死亡者は三十年前に比較して約三割の増加を示し、昭和八年は十二万六千七百余人に達し彼の赤痢、腸窒扶斯、コレラのやうな伝染病に因る死亡率の総数に比較して優に其四五倍に上ることである。……

尚結核患者の数は専門家の推定によると、死亡者数の十倍即ち百二十万人を下らないものと認められ、之を人口に割当てる時は五十人に一人といふ事になる。しかも以上の数字は死亡届出に基くものであるから実際は他の病名に隠れた死亡も亦少くない事は明かであるので、警視庁及び東京市役所並びに日本結核予防会で最近査べて見たら東京市内に於て昭和十年中の結核死亡者は一五、四七五人の多数を算へ急性法定伝染病死亡者の約三倍に達し、全国結核死亡者の一割強は東京府が占めてゐる事になってゐる。従って市内の結核患者数は約十五万と推定され市内総人口を六百万として四十人に一人といふ事になる。本病の罹病率が青壮年に最も多い事でここに東京市保健局で調べた十年度死亡者の統計によると、最も多いのが二○才より二四才までの二、一九六人一八・五パーセント、次は一五才より一九才までの一、九三○人一六・六パーセント、つづいて二五才より二九才までの一、七八九人の一五・四パーセント、といふ数字を示してゐる。

次に昭和八年度における内務省衛生局の発表によれば、呼吸器における結核死亡者は人口一万に対して一三・九人、その他の結核における者四・九人、気管支炎、肺炎、肋膜炎における者二二・二人を算するに至ってゐる。是を昭和十年十一月一日現在の国勢調査における内地人口男三四、七三一、八六○人女三四、五一九、四○五人合計六九、二五一、二六五人より見るに呼吸器結核死亡者一三・九即ち九六、二五九人、その他の結核による死亡者四・九即ち三四、○三三人を算し、合計一三○、二九二人となるわけである。

しかるに結核における死亡者は、結核であることを否定したい一念から往々併発症などにより死亡原因を記載するもの多く、特に肺炎、肋膜炎、気管支炎などと為す場合多く実数はその倍数以上に達するとみて間違ひない。例へば衛生局の発表による肺炎の人口一万人に対する死亡者一五・八人、気管支炎の三・八人、肋膜炎の二・六人合計二二・二人よりこれを計上すると、内地人口中一五三、七三七人余の本症中死亡者の何パーセントかは結核死亡者と見なすことが出来る。特に国家の中堅をなす壮丁より見る陸軍省よりの発表を綜合すると、大正十一年頃より昭和元年頃までの壮丁の体格丙丁種の者二五パーセントであったが、昭和二年より昭和七年の平均では一躍三六パーセントに向上し昭和十年の調査によれば実に四○パーセントを算するに至ったとはまことに慨歎すべき状態となったわけである。

また入営後の結核によって除役される者は明治三十七八年頃には僅かに二パーセントであったものが、昭和十年にはその十倍の二○パーセントを算する現状を呈し唖然たらしめるものがある。特に風土の変化などの関係多き在満兵中送還さるる病兵の九○パーセントは実に結核による疾患である点などを綜合すれば、青年の体格の如何に低下したるかを如実に物語るものである。

更に文部省の調査による小学児童の体格を見るに、年年腺病質、虚弱体質者の増加を示し、例へば東京市教育局の発表によれば、東京市内小学校の全児童の二二パーセント一五四、○○○人は虚弱児童腺病質で、右のうち四二、○○○人の危険状態体質者と現在結核に犯さるる者三、五○○人に上る事判明し当局をして驚歎せしむるに至ってゐる。ここで当局も社会団体に於ても放任すべからざる状態を窺知し昭和十一年に国を挙げて結核予防と撲滅に全力を傾倒するに至り、陸軍省五百万円文部省四百万円、東京市千五百万円、警視庁百万円など予算の計上を以て、或は小学児童の救済に壮丁又は軍人の救護に或はカード階級者の予防と救済に全智全能の努力を払ふに至ったのである。

次に東京市衛生課に於て、去る昭和九年より二ケ年に亘って市内七区の小学生一万二千七百九十六人に対し大々的な調査を行ったが、其結果調査人員の三十八パーセント余は結核感染者であり、病院に隔離すべき者、初期の疑ある者等千余名に上る事が判明したが、これを市内の現在小学生七十二万に推せば実に二十七万余は結核感染者となり、五六万は疑ある者又は重症者となる恐怖すべき数字が示されたわけである。この調査は健康相談所を主体にして所在区である小石川、渋谷、下谷、本所、中野、大森、荒川の七区の尋常六年生男女一万二千七百九十六人に対し行ったもので、マントウ氏反応注射を使ひ更にX光線を使用した大がかりなもので、この結果マントウ氏反応のあったもの即ち結核に感染せる児童は四千八百七十九人といふ調査人員の三八・一三パーセントを示した。このうち直ちに病院に隔離する要ある開放性結核は六十九人、肺門部淋巴腺が腫脹して初期感染せるもの二百五人、更にX光線によって肺門部に陰影があり疑ある者八百二十五人といふ意外の多数を出し、殊に淋巴腺が腫脹せる二百五名の児童は自宅で療養せねばならぬもので、その儘放置すれば他の児童へ感染のおそれが多分にあるといふ恐怖すべきものである。衛生課ではこの数字に、教育局と共に学校衛生の徹底をはかることとなった。

次に中等学校程度の現勢を示してみよう。文部省体育課で調査の結果、全国中等学校、実業学校、女学校生徒の在学中死亡者、病気退学、病気欠席に関する昭和八年度の統計によると、
人 員 七十三万六千五百人
死 亡二千九十二人
病 気 退 学三千七百六十六人
病 気 休 学九千七百三十四人
一週間以上の病気欠席者四万七千八百八十四人

この中約五千八百余人は病気のため途中落伍してゐるが、その大部分は結核性疾患によることが判明した。しかし先にも高等学校生徒の一割以上が結核患者であったとの例があり、その原因は単に入学試験のための過労にあるばかりではない-といふ一つの重大問題を提供したものとして憂慮されて居る。

次に之に対し当局者の見解は次の如くである。
『この問題は学生の体質、家庭の状態、勉強、運動時間の多寡等につきそれぞれ研究され改善される余地がある事と思はれるが、結局結核に罹るといふ事は学生の身体に結核菌の侵入に対してこれを撃退するだけの力が備はってゐないといふ事に帰着するのであって、この抵抗力を強めるといふ事がこの問題を解決する核心であることはいふ迄もない。元来結核菌といふものは、出生から成年に達する迄の間に、多かれ少なかれ我々の体内に侵入してゐるもので、健康な人を死後解剖すると、大抵の人はかつて結核に罹った痕跡が見られ、その感染率は三、四才の子では三○%、五、六才では約半数、十才では八六%、十四五才以上になると一○○%といふ結果を示してゐる。しかしこれ程多い感染率にも係はらず、実際結核病の症状を有する人がさまで多くないのは我々の体内に侵入した病菌の活動を阻止する抵抗力があるからで、この意味からいふと結核はよほど発病し難い病気である。ところが学生-殊に中等学生女学生時代は体質にも変化が起る時で新陳代謝が激しく体力が消耗され、女学生にあっては初潮其他の生理的関係から抵抗力が非常に衰へてくる。それに試験や運動の過労も手伝って一層輪をかけた抵抗力減退の状態になるから結核菌はこの機会をとらへて威力を発揮しだすのである。だからその危険期にある学生諸君は常に栄養を充実して体力の恢復をはかり、抵抗力の向上を計らなくてはならない。』

次に、医学に於ける最近の結核治療法の大体を書いてみよう。(某医博の記事である)
『現在に於ける結核に対する治療法としては内科的には安静療法、栄養療法、清気療法の自然療法に加ふるに心神の安静を保ついはゆる安心療法を行ひ、外科的には気胸療法、油気療法、横隔膜神経切除または捻除療法、或は胸廓整形術と称する種種の方法や手段が講じられており、之等一部に於ては奏効することもあるが、また他面には少しの効果もないといふ場合が多いのである。では何故に結核菌は撲滅出来にくいかといふに、結核菌の特異性として一旦罹病した場合、菌は病竃(ビョウソウ)深く巣窟(ソウクツ)を作りリポイド皮膜と称する臘様物体により抱擁され、殺菌薬の深達(シンタツ)を阻止するため今日まで直達(ジキタツ)すべき薬剤の発見を見なかったものである。もちろん化学的に視るべき殺菌剤の発表はあるが、殺菌力大なれば副作用を伴ひ、薬剤として一利一害、を伴ひ、今日に至るもまだ効果覿面(テキメン)の薬品は発表を見るには至らないのである。この応急を要すべき時に当りわが国に燐脂体(リンシタイ)化合物に因る適応剤の発見を見るに至ったことは実に歓喜に堪えぬところである。この燐脂体化合物は人類生存上欠くべからざる要素レシチンと殺菌力強大にして而も副作用の伴はざるテルペン系化合物との綜合品で、これが相乗的能作の発現によって病竃部に深達し、最も困難とされたリポイド皮膜を破壊し、直接菌体に作用する特殊化合物と称せらるるわけである。』

又医学に於ける結核の原因及び解釈は次の如くである。
『結核の初期には感冒型、胃腸型、有熱型、神経衰弱型等およそ六つの型があり、殊に風邪や胃腸病だと思ってゐたものが結核の初期だった為、病勢を悪化させた実例は実に多数に上ってゐる。昔は遺伝だと思はれてゐた結核も、ロベルト・コッホが結核菌を発見して以来伝染性の病気だといふことがわかった。併し人は生れて十四五才にもなれば十人中九人までが結核菌の伝播を受けてゐながら発病する者は極めて少数である。そこで又新しく体質説が唱へられ、結核に罹り易い体質があって、偶々その体質の人に結核菌が伝播すると発病すると考へられるやうになった。併し此の場合その体質といふのは必ずしも先天的の特殊のものをさすのみの言葉ではなく内臓器能の何処かに弱みが出来た程度のものも当はまるのである。即ち生れ付幾ら丈夫な人でも不規則な生活をして無理を重ねれば当然内臓の器能に弱みが出来て結核体質となる訳である。例へば暴飲暴食を続けると胃腸は負担に堪えず必ず障碍を起して衰弱する。そうすると栄養が摂れなくなり、抵抗力が減退して体内の結核菌が活動を始める。又、常習的に風邪を引く人が兎角これを軽視して手当をせずに置くと次第に機能が衰弱し、結核菌のつけ込む所となるのである。斯様に、ある疾病に続いて栄養障碍が起り抵抗力が減退し、今迄圧へつけられてゐた体内の結核菌が羽をのばして活動を始める状態を結核の発病といふのであるがその原発の疾病によって胃腸型、感冒型、心臓型、神経衰弱型、貧血型、有熱型等に分類するのである。寝冷をして風邪を引く、何時もの事で直ぐ治ると思って安心してゐると容易に身体のだるさが脱けない。或ひはせきが止らぬ。又喰べ過ぎて胃腸をこはす。併し御飯のおいしくなる時季だから節食が難しく下痢が続いて馬肥ゆる候に段々痩せて来る。こんな場合風邪だ胃腸だと思ってゐても実は既に結核が殻を破って活動してゐる事が多いのであるから、早く姑息な手段をすてて徹底した療法を行はないと病勢を悪化させる例は沢山あるのである。』

次に「結核予防の実際運動」として当局の採りつつある方策は次の如くである。
警視庁は「結核巡回予防班」といふものを管下各所に進出させることにしてゐる。これは四班に分かれ、各班に一台づつレントゲンその他簡単な治療器具を装備した自動車を配置、医師、看護婦、書記等が乗り込んで一月の半分はきまった場所で健康相談に応じ、残る半分は各家庭に赴いて患者には治療知識を、家族には予防知識を授けることを目的としてゐる。又療養設備は市府私設団体ならびに公私病院の結核病床を合せて僅かに三千六百九十床といふ情ない現状である。しかも更に憂慮すべきはなるべく早く隔離し、治療すべきであるのに、東京市療養所を例にとるならば入院後六ケ月以内に死亡する者が実に六割四分、如何にギリギリ一杯まで自宅にゐるかが知られる。現在東京市内には十二人の家族が六畳四畳の二間の家に住み三人は重症の患者、小学児童が三名といふのや、八人の家族が二間合計十一畳の家に住み、至急入院を要する患者二人が十六を頭に四人ゐる子供と雑魚寝(ザコネ)してゐるといふやうな例がある。かくの如き悲惨かつ危険極まりない実例は全国いたるところにすくなくはあるまい。

次に、各国に於ける古来から現在に到る療法の概略を説いてみやう。
結核といふものが初めて医学史上に現はれたのは極めて古いことであって、即ち西暦紀元前四百年にギリシャの医聖ヒポクラテスは肺癆を説き、紀元前後の頃には其療法としてチェルズスは海浜気候、ブリニウスは林間居住を唱へ、ガレンは山嶽及び牛乳療法を主張したのであるが、今より約百八十年前に到って初めて独逸のヘルマン・ブレーメルが一定の療則を定めて療養所を創設し、今日のサナトリウム療法の基礎を築いたのである。

その間我国に於ても永観二年(西暦九八四年)丹波康頼は「医心方(イシンホウ)」を著して肺結核を伝屍病(デンシビョウ)として論じ、文化二年(西暦一八○五年)橘南蹊は肺結核に伝染と遺伝とあるを説き、本間玄調は此病毒が伝染毒なることを専ら論證したのである。

西暦一八八二年(明治十五年)にロベルト・コッホが結核菌を発見してから初めて結核病の本態が判明し、同一八九○年にコッホは有名なツベルクリンを造ったのである。然しこの療法は病竃を刺戟して抵抗を増させる事実は認められるのであるが、之が病症の如何に係はらず応用されたために重症者の悪化するものが続出し、我国に於ても内務省からこれの使用を制限する旨の告示が出された程で残念乍ら成果を収めるに到らなかった。

このツベルクリン療法に刺戟されてその後夥多(カタ)の免疫化学両方面の真摯(シンシ)な研究が続けられたのであるがいづれも臨床上確実なる効果を有する方法が発見されず、ここに至って再びブレーメルの自然療法が結核療養の本道として認識されるようになったのである。

現在世界に有名な米国のトルウドウ療養所スヰスのレーザン療養所同じくタボス療養所等はいづれもこのブレーメルの自然療法に影響されて設立したものであってこの自然療法は栄養療法と共に結核治療に不可欠のものとなったのである。

次も医学の解釈である。
抵抗力といふことを判り易くいふと、我々の人体には侵入して来る凡ての有害物に対して自然の防禦作用が備はって居る。その中で最も重要なのは人体中に入りこんだ黴菌を溶解し殺菌しその毒素を打消す抗菌物質があることである。それと一般によく知られてゐる白血球の喰菌作用(白血球が黴菌を自分の体内に包み込んで殺してしもふ働き)などであるが、之等の力を総称して抵抗力といふのである。

現在ブレーメルの自然療法や栄養療法が療養上不可欠なものとして叫ばれるのも、結局体内に栄養を充実して抵抗力を強め、自然治癒を図るを目的としたものであって、所謂「自己の病気を治すものは自己の力以外にない」といふ信念を具体化したものである。

次に結核の為如何に悲惨なる人々や家庭が生れつつあるか其実例を挙げてみよう。(新聞記事による)
警視庁では亡国病肺結核の予防撲滅にのりだしさきには特別の委員会まで開いてこれが予防策を協議したが、新年度から同疾患者の巡回無料診察を行ふとともに方面委員や医師会町会などと力をあはせこの恐るべき病菌の一掃にあたることになった。まづその第一歩として最も急を要するカード階級の結核患者調査を行ったが二月末現在における患者の総数は、荒川区の百五十余人を筆頭に一千三百五十二名にのぼり想像も及ばぬその悲惨な境遇には当局でも驚いてゐる。その為病菌に征服された敗残者の生ける屍の姿-「神田区」美土代町雑役婦今村みどりさん(五○)-仮名以下同じ-は、母よしさん(八一)三女京子さん(二一)三男良雄君(一八)四女好子さん(一六)と五人暮しであるが同家は六畳と三畳の二間だけしかなく長女と次女は最近相次いで結核病で死亡、二男篤君(二四)は同病で中野療養所に入所してをり、一家は三男良雄が某官庁の給仕として得る十四円で生活し、それに三女の京子さんが最近また同病で倒れてゐる。「本所区」堅川町の吉村ふみさん(二三)は、昨年から肺結核で倒れ数年間看護婦として働いて貯へてゐた貯金は全部治療費に費ひ果したが、病勢は募るばかりで人の情でやうやく糊口を凌いでゐる。同人は未だに看護婦の免状を持ってゐるが警察では同人の病気のためその免許も取消すことにした。同人の長兄次兄二人も同病のため郷里で倒れてゐるそうである。「深川区」越中島田中栄さん(五○)は二年前同病で倒れ、商売の古物商もやめて一家五人と共に唯一の収入長男進君(一六)が少年工として働く日給四十銭でやうやく糊口(ココウ)を凌いでゐる。警視庁では同病が家族に伝染するのを慮って公立結核療養所に入所を命じたが病床不足のため収容し得ず、勿論医師の治療も受け得ないで病床に呻吟してゐる。「蒲田区」糀谷(コウジダニ)町農業荒井庄次さん(五一)の一家は十二人の大家族であるが、弟の春吉(四三)勝吉(二九)良吉(二一)君等がいづれも同病で倒れ、長男の勇君(一九)と長女の春江さん(一七)が近所の工場に働いて得る三十円の収入で暮し農業収入は貧農のため全くないので哀れな有様である。「荒川区」尾久町魚行商大野平吉さんの一家では長男次男の二人が病臥し自分の用便の始末も出来ぬ有様、一家八人は平吉さんの収入と長女みちさん(一五)が工場で働く日給合せて月三十円の収入に泣くにも泣けぬ状態である。「足立区」千住町車力草野常次郎さん方では、女房のひでさん(三五)が倒れてゐるが、医療費がなく方面委員の救護を受け勿論家庭の世話も出来ぬので、長男の良吉君(一三)が小学校を退学して幼い弟妹の世話をしてゐる。しかも同家は一家六名が六畳一間で暮し幼児も病母に抱かれて寝てゐる始末である。「小石川区」の易者下田勇吉さん(六○)は女房のとめさん(四五)長女みねさん(一九)と三人枕を並べて同病に呻吟し方面委員から受ける六円を生活費に一家三名が悲惨な生活を営んでゐる。このほかカード階級の患者はいづれも悲惨を極めてゐるので市当局とも協議の上救済の手を伸べることになった。

結核の悲惨な一例として某紙の相談欄に斯ういふのがあった。
「問」三十三歳の人妻一度結婚してすぐ夫に死別し今年の夏御世話になった先輩方の紹介で再婚しましたが、最近重大な過失を発見しました。私は昨年肋膜を患ひやうやく全快しましたが二ケ年位は結婚してはいけないと医師から聞かされてゐたのです。それなのに夫は五十一歳の勤人で子供三人ありますが、先妻を初め二ケ年足らずの間に親子七人が皆肺結核で死亡してゐます。私は二度ほど家出しましたがすぐにつれもどされました。医者は家族全部が保菌者で家の隅々まで病原菌が充満してゐる。そんな家庭にゐては普通の人でも感染する。あなたもきっと発病するだらうといひます。調査すべきなのに仲介者の言を信じたのがまちがひでした。夫は離婚をどうしても承諾してくれずこのままゐれば命があぶない、無理に別れてゴタゴタを起し先輩の名誉にかかはっても困りますが生きた心地もありません。どうしたらいいでせう。(T子)

次に参考として結核療養所の概況を示してみよう。
東京府、市ではそれぞれ北多摩郡清瀬村東京府立清瀬病院、同静和園、同久留米学園、中野区江古田東京市療養所等に患者を収容してゐる。手続は府または市立の健康相談所で診察(無料)を受け、方面委員、区長等を通じて府知事または東京市療養所長へ申込むのであるが、貧困者のために設置されてゐる療養所であるから普通月収百円以上の人は許可されない。現在患者の申込は非常に多く、普通申込んで六ケ月から十ケ月近くもかかるのである。この他に市では有料患者も扱ってゐる。入院料は一日一円五十銭であるが、この有料患者でも普通申込んで約三ケ月近くもかかるといふ事である。民間では救世軍、済生会等で無料でやって居るが、これも申込者が非常に多いため短時日では入院出来得ない。そのほか民間の有料病院の主なる所は、入院料は一日八十銭から二円五十銭位までである。

次に結核に対し国家経済からみてどうであらう。
結核病について内務省は、一ケ年の死亡者十二万人、患者数は約十倍の百二十万人、その療養費を一日一円と見做して一ケ月三千六百万円、一ケ年四億三千二百万円と発表して居る。此額は最低見積の療養費で実際は二倍も三倍も要するのである。仮りに一日一円を要するとせば一ケ年八億六千四百万円となり、我国財政の三分の一(之は事変前の計算による)に相当する不生産的巨費を蕩尽(トウジン)せられ国民経済に脅威を醸す暗礁となって居るのである。又其半面、精神的に物質的に伴随する人生の憂愁事は筆紙に尽されないのである。一家の大黒柱と頼む主人が罹病すれば、財産を傾け遂に妻子眷族を悲惨な境遇に陥入れ前途有望なる青年の修養期を病苦に封じ去る損害も多大なものである。恒産なき労働階級者が罹病のため飢餓に泣き、其他自殺者犯罪者の誘引となり、国家に多大の損害を与へ、又恐るべき思想悪化の動機ともなって居る。東京の大震災に於ける死者は約八万人であった。日露戦役に於ける戦死者も約八万人である。結核病で死亡する人は年年十二万人である。さすれば一ケ年半の間に東京大震災と日露戦役が繰返されてゐるのと同様で、それが何時果つべくもなく永久に続くとは慨(ナゲカ)はしいことである。

之は畢竟、国民が結核に対し無理解なるに原因してゐる。結核患者百二十万は内務省の推定であるが、結核を自覚しないやうな軽症患者を加算すると莫大なものとなるのである。然し乍ら今日は死亡数十五万人以上となってゐるから、右の数字より二割五分の増加になる事になる。

(明日の医術 第一篇 昭和十八年十月五日)