西洋医学の大誤謬 結論

西洋医学の誤謬と、本療法の効果とは、大略述べた心算であるが、其帰結として、今少し、述べてみたいのである。西洋医学に於ける黴菌の研究及び、生理解剖、分析等は、確に、有用であるから、勿論、飽迄も、科学的に進歩発達せしむべきものである。

唯私が一大警告を、発せんとする目的は病患の真因と、そうして、治療の誤謬を指摘したい事である。それに由って、西洋医学が、真の治療を確立し、正しい歩みに入らねばならない事を、望む外、他意無い事である。それは、言ふ迄もなく、治る医術と、天寿を全うし得る、健康法の完成である。

私が常に直接間接に耳にする事であるが、医家が如何に努力をしても、西洋医学では、完全に病気は治らないので、常に、懊悩を続けてゐるといふ、告白である。又、私の門弟の一人が、某医学博士の令嬢(二十歳)の、慢性腹膜炎を、九日間で治癒し、手首の鶏卵大の、七年間の瘤を、四回で治癒したのであるが、それへ対して、父なる博士は、驚くかと思ひの外、左の如き、実に味ふべき事を、言ふたそうである。それは斯うである。「別に驚くには当らない。人間の病気は、人間以上の、神の力なら、治るべきが本当である。人間の病気を、同じ人間である医師が、治さうとしても、それは決して、治るものではない」との事である。そうして、其博士は、家族の者には決して、病気へ対して、薬剤を使用しないそうである、それは効かない物を服んでも、無駄であると、言ふのである。

又京都に居る、或医博は、灸治療法を専門にしてゐるとの事で、態々、東京から行く患者もある。其他、漢方や、民間療法を研究しつつある医家も、尠くないといふ事を、よく聞くのである。是等の傾向によって察ても最早、西洋医学の、治療に於ける、一大革命期が、来つつあるのである。

本療法に就ての、科学的説明は、今の所、困難である。然し乍ら、全然、説明し得ない事はないから、概略を述べてみよう。それは、一種の、神秘光線の放射である。唯、其光線は、今日迄学問で知り得なかったものである。そうして、此光線と、現在行はれてゐる、ラヂュウムやレントゲン、太陽燈と異る所は、それ等と比較出来ない程の、有力な、治病効果のある光線である事と、今一つは、人体を通さなければ応用出来ない、といふ点である。而して、此光線を放射する時、皮下にある膿は、解溶してゆくのである、又それに由って、痛みは眼前に、除去されるのである。そうして、如何なる深部と雖も透過するから、手術でも、除去するのに困難である位置の膿も、外部からの治療によって、容易に勿論、些かの苦痛も無く、解消されて了ふのである。恐らく、斯かる、不思議なる療法は現代人としては、到底信じ得られない事は、能く判ってゐる。故に、其真相を知る方法としては、体験以外には、ない事である。 然らば、此神秘なる光線の本体は、何であるかを、説明したいのであるが、唯心主義者には信じ得られるが、唯物主義者には、信じ難いと思ふのである。何となれば、「観世音菩薩が、病気根絶の本願から、流射され賜ふ光波で、人間を通す事によって、治病の効果が、挙げられるのである」斯う言へば、現在の社会人は、観世音菩薩などといふ、その事だけで、迷信視し、インチキ視するといふ、懼れがあるので、発表し度くはないが、それを言はなければ、真相に触れる事が、出来得ない以上、止むを得ない事である。

私の冀ふのは、医家が、之を習得され、治療に応用され度い事である。西洋医学の治療よりも、其効果に於て、何十倍であるか、量り知れない成績を挙げる事は、断じて愆(アヤマリ)がないのである。又、猶進んで、医科大学に於て、応用、研究されなければならないと、思ふのである。それに関しての凡ては、出来得る限り、喜んで、実験に応ずる事を、誓ふものである。

(明日の医術 昭和十一年五月十五日)