“御祀りの場合の形式、殊に服装に就て御伺ひ申し上げます。
“形式って言ったって現在既に方々でやってるでしょ、それでいゝんですよ。私は別に御祀りの仕方をあゝしろ、こうしろって事は言はないんです、もう自然に出来てる筈だから。それに、今改めてどうこうって事はありませんよ。御祀りの時だって、その人の身分により尊敬の態度を失しない程度にすりゃいいんです。労働服や尻切半纒なんかぢゃいけませんがね。袴だって持ってる人ははけばいゝし、持ってない人ははかなくたって構ひませんよ。
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“「総領の甚六」と申しますが、夫婦が年も若く愛情もこまやかな時の子が甚六で、年を取り愛情も落ついた頃の末子によい子が出来ますのは如何なる訳でせうか。
“そうぢゃないんですよ。つまり、最初の子が生れる時は夫婦とも大抵未だ若いから人生の経験も少いんです。だから、どっちかって言へば親の方が甚六なんですよ。(笑声)そして段々苦労して経験も沢山積んでから出来る末子はいゝ子になるんです。それに、最初の子はどうしても可愛がり過ぎますからね、それがいけないんですよ。所が、段々子供が沢山出来て来ると、可愛がる事が薄くなるって訳ぢゃなくても、沢山ゐて届かない様になるんですね。然し、そういふ方が子供には独立心が出来る様になるからいゝんですよ。だから先に新聞に書いた様に、偉い人ってのは兄弟が多い中から出来るんです。兄弟が多い為に甘やかされないからですね。要するに独立心が出来るんです。自分で自分を助ける、その信念が強く養はれるんです。一人ッ子には余り偉いのがありませんね。だから始終可愛がられる子は偉くなりませんよ。むしろ愛されない方がいゝ。
“そう致しますと、親は大変助かりますが――
“えゝ、そうなんですよ。今迄言はれた親の愛情にも間違ひがあるんですよ。例へば、子供が転ぶと日本では直ぐ親が起してやるけど、西洋では自分で起きる様に言ひますね。これなんかも西洋の方が本当の愛情ですよ。
“では子供には厳格に躾をした方が宜しいでせうか?
“えゝ、その方が本当は愛情が深いんですよ。
“然し、親の愛情を知らぬ子供はどうも片意地の所がある様に存じますが――
“それは又極端ですよ。いくら独立心がいゝからって、愛情が全然なくちゃいけませんよ。そんな風だと、子供によっては親の愛を知らない子供になってしまいますからね。結局ね、「猫可愛がり」がいけないんですよ。だから兄弟の多い子供が偉くなるって言ふんですよ。愛情にも大乗と小乗とがあるんです。そして、たゞ大事にするっていふのは小乗の愛ですよ。子供が苦しんでゐても、それを見て見ないふりをする、それが大乗なんです。だから、私だって信者が間違った事をやってゝも、一寸注意する位しかしませんよ。間違った事だと屹度しくじりますからね。その時自分の頭をあっちこっちへ打つけて苦しみ、その挙句、あゝ自分の今迄のやり方は間違ってたんだな、と気がつく、それが本当なんです。そういふのを途中で注意したって駄目ですからね。
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“大転換に際し信者の子弟が上級学校に進学致します場合、その学校選定にはどの様な事を規準に致すべきでせうか。
“これは何でもないですよ、今はもう軍人になる様な学校はなくなりましたからね。(笑声)だからその外の本人が好きなものをやらせたらいゝでせう。
“学校の科目選択上、近き将来益々盛んになるべき学問、亡ぶべき学問につき御伺ひ申し上げます。
“そうですね、これも大した事はないでせうね。軍事に関係した事以外は大体必要ですからね。工科だって、理科だって必要ですよ。たゞ、法科は急には何だけど、だんだん減って来るでせう。医科は勿論駄目ですね。だから医科と法科だけはよした方がいゝでせう。
“経済学は如何でせうか?
“経済は将来も必要ですけど、多少形は変るでせうね。――文学も余程変るけど、全然変るなんて事はないでせう。何れこういった事を書きますよ、「二十一世紀の文化」についてね。
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”今後当然芸術への関心が高まる事と存じますが、芸術鑑賞の素地のない人がその素地を養ふにはどの様に致せば宜しいでせうか。
“この「素地を養ふ」って事を今私がやってるんですよ。その中に美術館を作り、いろんな美術品を集めて説明しようと思ってますがね。それから、文学的な事もだんだんやって行く積りですよ。和歌なんかも文学の下地なんです。和歌が土台になると日本文学はずっと力が出るんですね。その外に花ですね。今にいろんな花を植えますからね。それから芸能ですね。けど、芸能って言っても相当変りますけどね。今の日本の芸能の中では義太夫なんかは今になくなってしまふでせうね。大阪の文楽だって最近お客が来なくて大分振はない様ですからね。
“義太夫は外国人には理解出来ないからでせうか?
“いや、外国人所か日本人にも理解出来ませんよ。(笑声)出来る出来ないより、理解出来る程判らなくなりますからね。(笑声)
“謡なんかは如何でせうか?
“やっぱりなくなってしまふでせうね。封建的ですからね。第一あんなの聞かせる事が一つの罪悪ですよ。(笑声)何故かって、あれを聞いても、楽しむってよりむしろ苦しむ、不快になりますからね。(笑声)ラジオなんかで謡をやり出すと、私は何時もスイッチを切ってしまふんですよ。謡なんてのは、うたふんぢゃなくて、唸るんですね。(笑声)私は謡と角力の放送は切ってしまふ。
“歌舞伎などは如何でせうか?
“あれが問題なんですよ。歌舞伎はもう殆ど命脈が尽きてるんぢゃないですかね。それに演(ヤ)ってるものは昔の忠君愛国思想のが多いんで、観てゝも面白いよりか馬鹿らしくなりますよ。何故かって言へば、御互に話せば判る事を言はないで、死んだり腹を切ったりするんですからね。(笑声)だから、歌舞伎ってのは芸術的よりむしろ美的ですね。そういふ意味で残し度いけど、もう駄目でせうね。だから、もうこれからはどうしても映画になって来るんですよ。之は仕方がありませんね。劇場だって芝居だけ演ってたんぢゃ儲からないけど、映画なら儲かりますからね。勿論、歌舞伎だってこれから大名人が出れば一時は復活するでせうが、けどもう一寸大名人は出ないでせうね。団十郎位のが出れば、私も又芝居を見たいと思ひますがね。偉いのはみんな死んぢゃって、現在主なのは吉右衛門と猿之助位でしょ、けど二人ぢゃ芝居は出来ませんからね。(笑声)
“オペラなどは如何でせうか?
“あれは今にもっと盛んになるでせうね。
“然し、なかなか理解出来にくい様でございますが――
“えゝ、そうですね。一寸難しいですね。然し、一番理解出来ないのはジャズですよ。(笑声)
“では、笠置シズ子なんかは(笑声)――
“いやあ、(笑声)……まあ、ジャズなんてのは日本の八木節の様なもんですね。
“先程歌舞伎は芸術的よりむしろ美的であると承りましたが、美的なのも芸術の一つではないでせうか?
“えゝ、そうですよ。けど、芸術ってのは単なる美よりももっと広いものなんですよ。――映画は芸術ですよ、あらゆるものゝ綜合芸術ですね。第一に根本になるシナリオから俳優の技芸、背景、その時代々々の衣裳や雰囲気、ロケーションをする風景、光線の具合、音楽、場面々々のテンポや場面をつなぎ合せるやり方なんかね。或は顔を写すにしても、顔の横とか前とか更にそれをクローズアップするとかね、実際いろんな要素がありますが、そういふあらゆる要素を綜合したものが映画ですからね。最近の新聞で(註)谷崎潤一郎が「暁の脱走」を非常に賞めてましたが、あれは谷口千吉が監督した作品ですね。谷口千吉の処女作は「銀嶺の果て」っていふんですが、あれは非常によく出来てましたね。私はあれを見て実に感激したんですよ、余りよく出来てたんでね。そこで手紙を書いてね、ま、褒美って訳で金を包んで谷口さんに送ってやった事がありましたよ。あとで谷口さんが私のところへ挨拶に来ましたがね。
“大変な光栄でございますね、ノーベル賞の型をおやりになった訳で(笑声)……
“えゝ、そうですよ。(笑声)谷口千吉と黒沢明とは兄弟ですが、黒沢さんの作品より谷口さんの方が私は好きですね。その次に作った「ジャコ万と鉄」ってのもいゝけど、まだ一寸の所がある。「暁の脱走」は新聞の谷崎さんの賞め方は私の観方とよく似てましたよ。――私は今迄芸術家に褒美を上げるなんてした事なかったんですがね、「銀嶺の果て」は気に入りましたね。ま、とも角映画にはいろんなものを含んでますよ。(註…二月九日附東京新聞)
“何れ近い中にテレビジョンが普及する様になる事と存じますが、それでも矢張り映画は続きませうか?
“そうですね、やはり映画でせうね。二十世紀の生んだ大芸術ですよ、映画ってものはね。だから、映画が如何に人々を引きつけるか一寸判りませんね。そして、映画を観てゝも最初は面白いとかつまらないとかだけですが、だんだん深く入ってくと監督のやり口や俳優の技芸なんかにまた別の発見があるもんですよ。本当によく出来てる作品を見ると、実際いゝなあと思ひますし、何とも言へない味はひを感じますね。けど、之はいゝなあと思ふ様な作品はそう沢山はありませんよ、せいぜい十本に一本位でせうね。映画のいゝ悪いは、迫力とか場面々々の落つきなんかでも決りますね。そして世界で日本の映画が一番いゝですね、外国のより約一世紀は進んでますよ。たゞ機械が悪かったりして技術的には外国のより劣りますけど、内容は日本の方がはるかに深いんですよ。だから、日本の映画は駄目だなんて軽蔑する人は、未だ本当の味を知らないんですよ。眼識が低いんですよ。外国のではイギリス映画の方がアメリカのより内容は深いですね。欧州でも今はアメリカ映画を輸入してないんですよ。だからアメリカ映画は今赤字ですね。といふのは、アメリカ映画は十年一日の如しで丸ッきり進歩がないんです、全く子供だましですよ。喜劇なんかはむしろ退歩してるでせうね。最近の「凸凹何とか」なんてのよりか、昔のチャップリンやキートンあたりの方がずっとよかったですね。それから西部劇はピストルの打合ひだし、――だから、私はアメリカの恋愛物や西部劇はこっちからお断りしちゃふんですよ。観てゝも眠くなりますよ。観劇ぢゃなくて眠劇(ミンゲキ)ですね。(笑声)中には怒劇(ドゲキ)になるのもある、見てる中に腹が立って来ますからね。(笑声)
“将来撮影所なんかを御作りになる事は如何でせうか?
“えゝ、今にそうなるでせう。そうなると信者の中でその方の心得のある人は映画の中へ出て来る。(笑声)――日本の俳優も旨くなって来ましたね、米国人以上ですよ。表情だって日本の俳優の方が上ですね。だから日本人は仕合せですよ、世界一の映画が御膝元にあるんですからね。
“現在大多数の人はアメリカびいきの様ですが、これはキッスの所が多いからでせうか?(爆笑)
“私は嫌ですね。(笑声)
“キッスのやり方が下手だと存じます。(笑声)
“下手でもありますがね。キッスなんてものは、まあ一つの愛情の表現として仕方ないでせうが、けどあれを呼び物にしちゃったんぢゃ、ニキビ野郎を喜ばすだけになってしまふ。(笑声)第一昔から日本人はキッスなんかしませんからね。だから今になって映画で観るとバカバカしくなりますよ。そりゃあ、愛情がクライマックスに達して或程度やるんならいゝけど、やたらにあれをやられちゃあねえ。(爆笑)……
“現在の俳優の中、明主様がこの人は――と御思ひになられるのは誰でせうか?
“俳優で演技のうまいのは沢山ゐますが、特別に飛び抜けてうまいのは居ないでせうね。みんなうまいですよ、よくやってますよ。それに現代物と時代物とで違ひますしね。俳優によってそれぞれに特色がある。何の役にでもいゝのは人気のある上原、長谷川、大河内、阪妻などでせうね。けど、この中でも特色があって、剣戟物はやはり大河内がいゝでせうね。――たゞ、日本の女優には美人がないんでね。(笑声)
“原節子なんかは如何でせうか?(笑声)
“いやあ。(笑声)
“田中絹代は?(笑声)
“あれも嫌ですね。いやに利口ぶってゝ嫌ですね。――演技はやっぱり自然がいゝですよ。技巧なんか使ふのは嫌ですね。自然さ、入って俳優になりたての未だ泥臭いうちがいゝ。少し出来る様になると芸をする、そうなって来るともうつまらないですよ。そんなのが沢山ありますからね。
“日本の内地は湿度が高いので技術的にいゝ映画が出来ないのではないでせうか?
“ありますね、そういふ点は。だからハリウッド――一体にアメリカは日本より乾燥してるんで余計映画がよく出来るんですよ。ハリウッドなんかその点最も条件がいゝんですね。日本の製作者はこういふ事に案外無関心ですね。やはり大資本がないんで、そこで已むを得ずズルズルと今日の様になったんですね。湿度ってのは全く写真に影響しますからね。
“日本では北海道がいゝとか言はれて居りますが――
“えゝ、やはり湿度の関係ですね。北海道は米国に非常によく似てますからね。…… 元来、日本人は芸術を鑑賞する素養があったんですがね。然し今迄、まあ戦国時代以来戦争の方にばかり関心を持って来たんで、芸術の方が伸びなかったんですね。もうこれからは戦争なんかしないんだから、当然芸術の方が伸びて行きますよ。
“地方の民芸の様なものはどうなりませうか?
“残るのもありますが、だんだん地方の生活も都会と共通して来ますからね。残るものは少いでせうね。いろんな本だとかラヂオなんかで都会化して来ますからね。言葉だってそうなって来てるでしょ。けど、東北のズーズー弁なんかは一寸大変ですがね。(笑声)
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“三角屋敷に住みますと不幸が続くと言はれますがこれは何故でせうか。
“三角屋敷なんてのは嘘だからですよ。三角ぢゃ東西南きりで一つ欠けてるからいけないんです。家の恰好や位置なんかも人間の運命に関係しますからね。
“家の下に川があるのは如何でせうか?
“そいつも嘘ですね。水の上ってのは――船ならいゝですがね。(爆笑)やはり家といふものは安定してなくちゃいけませんよ。
“川が小さい場合は如何でせうか?
“小さいんなら災ひも少いけど、やっぱり余りよくないですね。――箱根の神山荘は家相から言ふと申し分ないんです。辰巳が入口で段々を上り玄関に入って更に三段上り、玄関の奥が又上ってるでしょ。それから右は洋間左は日本間になってますが、こういふのを「鶴翼の陣」って言って、家相の上ではとてもいゝんですよ。丁度、鶴が羽をひろげた様な恰好ですね。その洋間が三角になってますが、之は船が波を切って進む型であり、下が岩なのも実にいゝんです。熱海の東山荘の方は往来から一寸低くなってますが、下から坂を上りつめた所だし、その上る方が下るのより大きいんで、まあいゝとしたんです。
“世間ではよく建物を完全に作り上げない様でございますが――
“えゝ、よくそうしますね。これは完全にすると魔がさすって言ってね、左甚五郎なんかも知恩院を作った時に傘を一本差し込んでおいたっていゝますね。つまり、「満ちるは欠ける」って言って、完全なのは極点ですからね、丁度満月と同じ事になるんですよ。又、昔或る大工の名人が東京の下谷にある広徳寺を作ったんですが、その寺の門は一尺位低いんですよ。三代将軍がいゝ門だって賞めたそうで、だから「いゝもん(門)は広徳寺」って言はれた位立派な出来だったんですね。それが低くなってるのも前のと同じに、態と完全にしておかなかったんですね。ま、こういふ事も今迄は霊界が夜だったからで、将来昼の世界になれば何でもすべて完全になるんですからね、こんな心配はいらなくなりますよ。
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“宗教と科学との関係について――将来私は自然科学、殊に技術的な方面を専攻致し度いと存じますがこの点如何でせうか。
“結局ね、宗教も科学も同じものなんですよ。新聞にも書いてますからあれを読めば判ると思ひますがね。今の科学が未だそこまで、宗教のありどこまで未だ来てないんです、ずっと遅れてるんですよ。勿論宗教だって今迄の既成宗教は科学と同じ位の所ですがね。この信仰は今の科学より千年も先に進んでるんですよ。浄霊が科学よりも千年進んでるって新聞にも書きましたが、大変な隔たりがあるんです。だから余程一生懸命で追ひつかないと科学はこっちに追ひつきませんよ。第一、博士連中が頭をひねってやっても駄目なのが、浄霊でどんどん治って行くんですからね。尤も、医学は科学にも入ってないんで、ありゃあ一種の変態科学ですがね。(笑声)
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“「五六七の御代」になっても引続き勉強致したいと思ひますが、どの様な勉強法をとったら宜しいでせうか。
“これは少し早すぎますね。(笑声)五六七の代になると学問は今とは大変違って来るんです。もっとずっと簡単になるんですよ。今の学問は医学と同じで、全然間違った方向に行ってるのが多いですからね。だから私は何時も言ふんですが、教育は小学三年、中学三年、大学三年で、合計九年間やってしかも今の大学卒業よりもっとずっと優れた頭の人間が出来る様になるんです。五六七の世になると医学はなくなりますしね、物理だって半分位になるし、それから法律も相当なくなりますよ。刑法第何条なんてのはいらなくなりますからね。近頃よく言はれる民事訴訟法だって要りませんよ。民事訴訟法なんてのは借りた金をちゃんと返してしまへば必要ないんですが、借りた金を踏み倒そうとするから、それであの法律があるんですからね。何しろ、医学と法律が減るだけでも大した違ひですよ。それから経済学も全然無くなりはしないけど、ずっと簡単になりますよ。そうそう、税法がなくなっちゃいますね。今の税法なんて実に馬鹿々々しいもんですよ。(笑声)五六七の世になると、あらゆる会社、法人、個人が皆その利益の大体三分の一位を政府に納める様になるんで、税務官吏なんかも必要なくなるんです。又、その頃になれば人間が立派になり正しい行いをして誤魔化しなんかやりませんからね。国民の方から進んで税金を政府に納める様になるんで、国税徴収法だとか所得税法なんかはいらなくなるんです。で、そうして集めた金が国の財政を運営して行くのに丁度いゝぐらゐの金高になるんです。今、二重にも三重にも脱税するのは多額の税金が課せられるからでもあるんで、之は昔軍備の為に金を集めることからで――軍備に使った金って言ったら、そりゃあ莫大なもんですからね。その間違ひがだんだん今の様になったんです。国鉄の赤字だってそうですよ。あれは赤字なんて出すどこぢゃない、儲るつもりでやったんですがね。あれを国営にしたのは戦争の目的なんで、いざっていふ時に金を賄ふのに税金だけぢゃ間に合はないもんだから、国鉄の利潤を使はうっていふ肚だったんです。専売官営事業だってそうですよ。今までの日本はヤクザだったんですね。アジヤを侵略したのはヤクザが喧嘩口論で縄張りを拡めたのと同じですよ。喧嘩にはやはり金が要るから国民をおびやかして金を集めたんです。今、日本が苦しんでるのはその罰ですよ。国民が犠牲になってる訳ですね。然し、国民でも、本当にいゝ事をしてる人は罰が当りませんよ。戦時中や戦後を通じて被害のない人がゐますよ、この信者の中にもね。
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“現在言霊学に就いていろいろ研究されて居りますが、真の言霊学とは思はれない点が多い様に存じますが如何でせうか。
“これは全くですね。ラヂオでやってる仏教の講義なんか聞いてると、実にコジツケも甚だしいものがありますよ。とてつもない手前勝手な解釈なんかもしてますね。私はこれからだんだんと本当の事を説く積りですがね。――言霊学っていふものは非常に難しいものなんです。之はごく昔はあったそうですが、中絶してしまってゐたんです。それを本居宣長が国文学を基礎として相当研究した、だから本居宣長が言霊学の開祖といふ訳ですね。之を岐阜の神官の長沢といふ人が宣長から学んで或程度の進歩をさしたんです。そしてその長沢の弟子が出口王仁三郎なんですよ。だから出口先生も相当言霊が判ってたんです。で、私は出口先生からも教はりましたが、それと神様から知らされたのと両方ですよ。だから、私が一番言霊学を知ってる積りですがね。然し、言霊の事は判ってゐても発表出来ないんですよ。何故かって言ふと、本当の言霊が判るといろんな事が判ってしまふからです。最近は未だいゝんですが、終戦前には決して詳しく言霊の事を話さなかったんです。言霊で解釈すると天皇の事なんかもよく判るんです。神武天皇からずっと明治天皇、大正天皇、今の天皇の事もみんなはっきりしちゃふんです。所が、あの頃にそんな事が当局に知れでもしたら大変ですからね。昭和っていふ年号の事だって実によく判るんです。今でこそ言ひますがね、「昭和」には昼の世界になるってチャンと出てるんです。何と言ったって仕方がないですよ。全く、実に大したものなんですよ、言霊ってものは。言霊が判れば、あらゆる神秘が判りますからね。まあ、或程度言霊について書く積りですが、他に仕事が多くて、それに追はれてるんでね……
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“一説に沖縄本島が日本人発祥の地との事ですが如何でせうか。沖縄の言葉の「ウソガミソウラヘ」といふのは御召上り下さいといふ意味ですが、この例からみて何か日本の古代史と関係がございませうか。
“沖縄は日本人発祥の地ではありませんね。発祥地は琵琶湖の東の方ですよ。で、沖縄といふ所は龍神が住んでゐた所で、縄といふのは龍神の意味であり、沖は大きいに通じて「大きい龍神」といふ事になるんです。あの辺の中心は琉球本島ですが、あすこには龍の球があったんですよ。だから琉球(龍球)って言ふんです。この龍の球には大変な意味がありますがね。そしてあすこへ古代の日本人が渡ったんですよ。だから日本文化の影響が残ってるんですね。
“霊界に於ける年齢は男三十七才、女十八才との事ですが、浄化を経てその様な年齢になるのでせうか、或は死後すぐその年齢になるのでせうか。
“これはすぐなる訳ぢゃありませんね。そしてこうなるのは八衢以下ぢゃなくて、天国に昇った霊だけですね。霊は死後五、六年経つと年も若くなるんです。
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“子供が死んで天国に行った場合、学校の様なものはありませうか?
“学校はありませんよ、霊界にはないんです。その代り智慧正覚を得る様に自然に養成されるんです。霊界でもね、八衢以下だと少し違ってゝ、或程度教誨師の様なものが説教をするんです。けど、それも人間の心の修養とか学問とかとは違って、執着をとる事や信仰の何たるかをよく教へるんですよ。そして天国の方は今言った様に、その階級に応じて自然に智慧正覚を得る様になってるんです。然も高級になる程言葉は使ひませんよ。上の方になると目で意志を交換するんです。もっと上になると目も使はず、たゞ心、想念だけになるんです。こうなるといくら遠い所でも、或は何十年何百年先の事でも自由に判る様になるんです。この理窟は人間でも同じですよ。沢山いろんな事を喋って相手に判らせ様とするのは未だ低いんですよ。高級になる程あっさりしたもんですからね。あっさりしてゝ而もちゃんと先方に判る様に話すのが一番高級なんですよ。くどい話し方をする人がよくありますがね、くどいの程低級であり、その人の頭の悪い証拠ですよ。頭が悪くて、あっさりしてたんぢゃ自分が理解する事が出来ないもんだから、先方もきっと判らないだらうと思ってくどく言ふんですよ。宗教にしたってしつっこく言ふ宗教程低級で、あっさりしてる程高級な宗教なんですよ。だから私の方の宗教には説教なんかありませんよ。一つ事を繰り返し繰り返し言ったり、御経だの説教だのを長ったらしくやるもの程宗教としては低級なんです。御祭りだって半日位してるのもありますからね。真理ってものは簡単なもんですよ。やゝこしいものは真理ぢゃありません。あのマルクスの資本論なんか一番やゝこしいでせうね。これは、まあ労働者相手だから余り高級でも仕方ないでせうけどね。例へば、太陽は東から出る、これは真理ですよ。之は何処でも、昔も今も変りがなくこれ以上に言ひ様がありませんからね。私の方では幸福って事を説くのに、人を幸福にすればそれだけ自分も幸福になるって言ふんですが、之が人々に判らないからいろいろ例を挙げて説明してるんですよ。今の人はそれだけ頭が悪いんですね。だから、小学校、中学校、大学と十何年もかゝるんですよ。よくよく頭が悪いんですよ。いや、頭を悪くしちゃってるんですね。
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“霊写真はいかなる作用によって写るものでございませうか。
“当然な疑問ですね。写真といふものは人間の目の五倍の強さを持つ鋭いものなんですよ。ま、見る感覚が強いんですね。見る感覚と言っては変ですがね。何て言ふか、写る強さって言ふか、写る濃さが強いんですね。霊写真は霊が写るんですよ。私は今迄沢山霊写真を見ましたが、その中には随分はっきりしたのもありましたがね。私のなんかもはっきりしてる方でせうね。霊写真には人の霊が写る事が多いんですが、中には作り物もありますよ。日本には余りない様ですが、西洋の物でキリストが写ってるといふのを見た事がありますが、之はにせ物で、煙の様になってるのは綿を使ってそうやってたんです。で、人霊も顔だけが写ったり、肩に乗ってたり、人間より上の方に現れてるのもありますね。やはり、写真機の感度のいゝ方が霊を把握出来る様ですね。霊界には沢山の霊が居りますからね、全く、百鬼夜行の有様ですよ。先に非常によく霊の見える人がゐましたがね、気持が悪くて仕様がないそうですよ、そこいらに亡霊や動物霊や魔物やなんかゞウヨウヨしてゐてね。そんなの見えない様にならないものかって、私が大本の信者だった時分に出口先生の所に御願ひに来た人がありましたがね。又、某宗の行者で汽車に乗ると必ず轢死者の霊が見えて困るって人もありました。ま、こんな風に霊が見え過ぎて困る人があるかと思ふと見たくて困る人もあるもんでね。(笑声)……
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“御浄霊を受ける時はあくび、げっぷ等出ませんが、御浄霊させて頂くと出る人があります。之は如何なる訳でせうか。
“全くおかしいな、普通受ける人が出るんですがね。これ、アベコベに書いてんぢゃないですか?
“いえ、その通りなのでございます。
“ほう、ぢゃ引受けるんですね。こっちへ移るんですよ。相手の病気を引受ける人と引受けない人とありますからね。之は日の系統の人と月の系統の人との相違なんです。
“その場合、引受けてはその人の体に悪いといふ事はないでせうか?
“まあ、あくび位ならいゝけど、引受け方が重いと悪くなりますね。あの「人の道」の三木徳一の方がそうなんですよ。あれは人の病気を引受けるんですから。
“その引受けるって事を科学的に説明致しますとどういふことになりませうか?
“月の系統だから水素で洗ふんですよ。相手の病人に徳一の霊が行ってその穢れを洗ふから、こっちも穢れるんですね。丁度、洗濯するのと同じですね。
“それで相手の毒素はすっかりとれるのでせうか?
“すっかりとれる場合もあれば、半分とれる事も、三分の一とれる事もあるんです。だから誰の病気でも治るって訳ぢゃなくて、中には治らないのも出て来るんです。三木さんのを徳光さんがやった時には、三木さんの喘息の毒をすっかりとっちゃったんですが、その代り徳光さんの方が一ケ月も苦しんだ訳です。そういふタチの人は何回も人の病気を引受けてると、神様の方へおふりかへしなかったら苦しくて死んぢゃいますよ。
“神様と申されますと、どの神様でせうか?
“月の系統の親分ですよ。
“素盞嗚尊でせうか?
“えゝ、素盞嗚尊――ってより月読尊ですよ。月の方で治す、水で洗ふんですからね。私の方は火で焼くんです、火素ですからね。
“そう致しますと、こんな御伺ひも何でございますが、月読尊は毒だらけになりはしませんでせうか?(笑声)
“そりゃあ、三木徳一だったらそうだけど、月読尊ってのは一流の神様で全然神力が違ふんですからね、そんな事はありませんよ。
“その場合引受けた毒はどうなりませうか?
“最後はやっぱり太陽ですよ、火素で焼くんです。
“この御道の信者になれば、そういった引き受ける人もだんだん治りませうか?
“だんだん治りますよ。――然し、あの金田徳光って人は偉い人でしたよ。けど、警察ではとても悪く見てさんざんつけ狙ったもんだから、どうする事も出来ませんでしたがね。今生きてりゃ大したもんですよ。非常な神力を持った人でしたがね。
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“「引導を渡す」といふ事は霊的にどういふ事でせうか。
“これは、あの「汝元来枯木の如し」とかやるもんですね。ああやって霊に言ひきかせるんですよ。霊に改心させるんですね。
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“死んだ人が此の世の人間を霊界へ引ッ張ります場合監督神の許しを得てするのでせうか。
“これは許しを得ないでするんですよ。こういふ事は許されないんです。で、こんな霊は人間を引ッ張って命をとると、その罪によって霊界で一段下に落ちるって事を知らないんですよ。だから霊に言ひ聞かすといゝですね。そして、引ッ張られて霊界へ行った方の人間も、地獄へ行くんですから、つまり無理心中で、こういふのは全く困るんですよ。人間と同じ様に霊界でも几帳面なのも、ずるッこいのもあるんで、監督神の言ふ事をよく聞くのもあるし、聞かないで禁を破るのもあるんです。人間を引ッ張るのも禁を破って出て来るんです。よく火の車に乗って出るって言ひますが、割に地獄は脱出しいゝらしいですね。
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“賢い子供は早死すると申しますが、之は霊的原因がございませうか。
“全くこの通りですね。「この餓鬼、死んぢまへ!」なんてのはなかなかくたばらないんで、(爆笑)よく出来た惜しいのに限って早死しますね。之はこんな風に考へられますね。霊が霊界へ行っても淋しくてたまらず、誰か一人相手が欲しい時に心のいい人にかゝるんですよ。心の悪い人は素直ぢゃありませんからね、素直な人にかゝった方が目的を達し易いんで、その為に却って性質のいゝ方を殺し、仕様のない様な子が残るって事になるんです。又、大事ないゝ子は一寸具合が悪くても直ぐ医療を加へるから、それで弱くなるんですよ。この点は大いにありますね。だからこの信仰に入って病気や薬の事が判って来ると、こんな事はなくなりますね。それから親に徳がない為のこともあるんですよ。祖先の一人が生れ変ってそのいゝ子になってゐて、その子が親の罪を背負って霊界に行く事もあるんです。外にも原因はありますが、大抵は今言った様な事ですね。
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“私には男と女の二人の子供がありますが、女の子に対してはどんな場合でも憎くてたまらず、男の子の方は可愛くてたまりません。之には何か霊的な訳がございませうか。
“大いに訳がありますね。これは前の世に於ける関係の為なんです。どうせ、その一家の血統の人が生れ変ってるんですからね。前の世でこのお母さんが一人にはいじめられ、一人にはよくされたんで、それが残ってるんですよ。前の世に子供だったとか、兄弟だったとか、或は親戚だったとかで片方は憎らしく、片方は可愛かったんですね。可愛いゝとか憎いとかいふのは執着ですからね。この信仰に入ると執着が抜けて来るから、こんなのもだんだん減って来ますよ。全く、執着が一番こわいんです。信仰の一番の目的は執着をとる事なんですよ。信仰によって本当に執着がとれて初めて仕合せになれるんです。
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“子供の性質や容貌が父母の何れかに似たり、又何れにも似ない場合がありますのは如何なる訳でせうか。
“これはやっぱりその時によりますね。例へば、姙娠中に母が家の中で父とよく会ってゐる時は父の顔に似ますが、父が外に出てたりして居ない事が多いと、始終母のそばにゐる人に似てくるんです。姙娠中、美人の絵や偉い人の画像をよく掛けますが、やはり始終見てると似て来るからですね。だから胎教で母が美人の顔を何時も見てると生れて来る子は美しいって言ふのは意味がありますよ。姙娠中に「信仰雑話」や「地上天国」を読むのは非常にいゝですね。それが子供の魂に影響して心のいい子が出来ますよ。まあ、たまには親爺が「この子は自分の子の筈だが、一寸も自分に似てない、どうも変だ」なんて事もありますがね。(爆笑)……
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“私は五十二才、妻は五十六才ですが、子供がありませんので貰ひ度いと存じます、如何でせうか。又貰ふ場合には男の子と女の子とどちらが宜しいでせうか。
“こういふのはね、光明如来様によく御願ひする事ですよ。御願ひすると人間が選ばなくても将来この人達の為になるいゝ子をちゃんと授けて下さいますからね。そんな事を心配する必要はありませんよ。
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“動物には全く精神作用はないと言ふ人がございますが如何でせうか。
“人間の精神作用には智情意の働きが非常にありますが、動物に之が全くないってのは当りませんね。動物だって感情は持ってますよ。こうしたいとか、あゝしたいとか、苦しいとか、嬉しい、悲しいとか言った様な感情はやっぱり持ってますよ。人間で畜生に生れ変ったのなんかは人間と感情は違ひませんよ。それから畜生は笑はないってよく言ひますがね、そんな事はありませんよ。狐は笑ひますよ、口を開けて笑ひますよ。狸は特に笑ひますね。又怒って噛みつく事も出来るし悲しがりもしますよ。塩原太助が「青」って馬と別れる時、馬が泣いたっていいますね。まあ、それは嘘でせうが、悲しい表情位は馬だってしますよ。勿論動物の精神作用は下等ですが、人間の精神作用は上等なんですね。犬なんかは女犬の後を追ひ廻し、匂ひを嗅いだりかじりついたりしますが、人間が道端で女にかじりついたりしようもんならそれこそ大変ですからね、早速精神病院に連れて行かれちゃいますよ。(笑声)人間は動物と違って霊が高く、自制心があるんですよ。まあ、人間の方が上等なんですがね。けど、人間でも下等な者は動物と同様ですよ、副守護神の本能の働きを本守護神が制し切れないんですからね。
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“森羅万象総てに霊があり、人間や動物は死後霊界に行き浄化を経て又再生するとの事ですが、植物は枯死後どうなりませうか。
“人間や動物は精霊ですが、植物は、石だとか土だとかいった無機物質と動物との中間で、要するに半精霊なんです。だから、植物は枯れゝばそれでおしまいですよ。唯、植物に霊が憑依してゐる場合があるんで、この場合には植物より動物の分子の方が余計になるんです。それから動物的植物もありますね。植物でも人間の言葉が判るんですね。私は以前植木屋から教はったんですが、なかなか花の咲かない木がある場合、それに向って「今年咲かないと切ってしまふぞ」って言ふと咲くって教へてくれた事があるんですよ。それは以前私の家の庭にどうしても花の咲かない木があったんでね、植木屋に「どうしたもんだらう?」って聞いたら「言ひきかしたらいゝでせう」って言ふもんだから、その通りにやってみたら成程咲きましたね。(笑声)これなんか人語を解するんですね。それから、よく植物が祟るなんてのは霊が憑依してるんですよ。
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“栃木県下の或家では次々と唖が生れますが、之は霊的に如何なる因縁がありませうか。
“これは木龍ですよ。勝手に木を伐った祟りですね。木でも大木ですがね。大抵は、松、柳、銀杏、それから梅も祟りますよ。梅の木を伐って聾になった人を以前治した事がありますからね。ですからこんなのは信仰で治すより外に方法はないんですよ。やってみて案外早く治るのと、なかなか頑固なのとありますがね、どんなにひどいのでも気永にやってれば半分位は治りますよ。
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“或る会員の家に住む青大将が卵をのんだり鶏を殺したり悪い事許り致しますので、言霊で言ひきかせましたが少しも素行が改まりません。之は処分致しても宜しいでせうか。
“あゝ、これはね、やっぱり人間と同じで蛇にも性質のいゝのもあれば悪いのもあるんです。人間にも正直で温和しいのもあれば、詐欺したり、殺人や強盗したりするのもありますからね。この蛇なんか殺人強盗の部類ですね。これは、なんですね、或程度の食物を、一定の所にやる事ですね。蛇は生米が一番好きですよ。こいつは大食の様ですね。タチがよくないのは殺すと祟りますよ。こんな奴は、相当の力がありますからね。ま、仕方がないから食物をあてがって祀ってやるといゝですよ。そして始終祝詞を上げてると、だんだんよくなって上等の蛇になりますよ。そうなると今度は反対に守護する様になるんです。例へば自分の摂る食物以上のものがその人の手に入る様にしてくれますよ。農村だったらそこの作物がよく出来るとか、商売なら繁昌するとかね、その位の事は出来ますからね。
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“医学で言ふ血液型と毒素との関係、御浄霊による毒素の変化につき御伺ひ致します。
“血液型ってのは民族に関係があるんです。日本民族にも霊的にいろんな系統があって、その違ひが血液型に出てるんですよ。毒素との関係はないと言っていゝ。ま、余りないですね。毒素ってのは元は殆ど薬ですからね。祖先が薬を多く服んでれば毒素も多いんです。だから血液型とは大して関係ありませんね。この浄霊をすると毒素は減りますよ。面白いのは先に耳から膿が出る人をやった事があって、それは中耳炎の患者でしたがね。最初は黄色い膿が出てたんですが、浄霊する中にだんだん白くなり、透明の水の様になりましたよ。あれで見ても毒素が減るって事がよく判りますね。浄霊すると濃い毒素も薄くなるから、そこで痛みがなくなるんですよ。毒素が熱によって溶けてどっかから出ようとして腫れるんですが、その時毒素が神経を圧して刺戟するから痛いんで、膿が薄くなると圧す力がなくなって痛みがとれるんですよ。
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“冷汗はやはり浄化作用でせうか。
“勿論、浄化作用ですよ。キマリが悪いといふ思ひをするのも一つの浄化作用ですからね。ま、わざわざやる事は出来ないんだから、却って喜んだらいゝでせう。
“私はどうも図々しい方で、余り冷や汗もかきませんが(笑声)……
“然し、冷汗は図々しいから全然ないって訳ぢゃない、危い!と思ったって冷汗かきますからね。
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“結婚後半年許り経って発熱する様になり、朝は三十七度、午後は三十八度か九度近くなり、医師に診せましたら「どこにも異状はない、姙娠の為に発熱するのだ」と申しますが、姙娠の為に熱が出るものでせうか。
“これは姙娠の為ぢゃありませんよ。この医師は何を考へてるんでせうね。第一、姙娠の度にこんなに熱が出たんぢゃやり切れませんよ。姙娠ってのは一つの生理作用で、病気ぢゃありませんからね。だからこの発熱は姙娠と関係ありませんよ。丁度姙娠した時浄化が始まって体内の毒素が溶け出したんですね。熱があれば屹度どこかに毒の塊りがありますからね、そこをよく浄霊するんですね。それから、熱もなく何の苦痛もない時には浄霊しなくたっていゝですよ。どっか苦しい時に浄霊を受けるのは結構ですが、何ともない時に何も浄化を起す事はありませんよ。却って余計な手数がかゝるだけですからね、そんなのは嘘ですよ。
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“七十四才の男、半年位前から便意を催しても出にくゝ、医師は直腸癌だと申します。御浄霊で御救ひ頂けませうか。
“便の出が悪いのは、直腸の所の大便の通る道がせまくなり、通りが悪くなってるからですよ。そんな場合医師は下剤や浣腸をしますが、之は余りよくありませんね。こんな人の直腸は線香の様に細くなってますから一寸手間がかゝりますよ。癌といふけど、大抵は毒素が直腸を圧迫してこういふ状態になってる事が多いんですよ。直腸癌だと医者は手術してその癌の所を切り、横腹に孔をあけて人工肛門をつけるんですが、然し便が何の予告もなしに排泄されるんで、先をおしめでくるむんですよ。それに、腸は露出すると死にますからね、露出しない様に始終しっかり縛っておかなくちゃならず、その上プウプウガスが出たり便の臭がとてもくさくて、実に悲惨なもんですよ。あの手術の結果は大体そういふ風になりますね。癌だって言っても、本当の癌は滅多にありませんからね。そういふ人の臍から横腹にかけて屹度毒結がありますからそこをよく浄霊して、それから腎臓をよくやることですね。腹の固りは腎臓から来ますからね。浄霊すれば直腸癌も大抵治りますよ。
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“紙やペンを持つと手が大きく震へる人がございますが、之はどういふ訳でせうか。
“これは腕のつけ根の辺に毒の固りがあって、力を入れようとして神経を集中すると震へるんですよ。こういふのはよくありますね。そして焦れば焦る程却って震へるんですよ。首から肩、腕のつけ根にかけて浄霊すれば治りますよ。
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“御浄霊を頂きましたら顔面の疣が多くなりました。之は何故でせうか。
“これは結構な事ですよ。いづれは出るべきものが一寸早く出たゞけのもんですよ。だから出るだけ出れば治りますよ。チビチビと少しづつ出るのが一ぺんに出て治るんですから、大いに喜ぶべきですよ。
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“私の家の井戸は村一番水質がよかったのですが、昭和二十一年十二月の南海地震の為水が止り、一昨年より水が溜り始めましたが水質が硬水になりました。私は昨年三月入信以来御浄霊致しました処、水は澄んで来ましたが未だ硬水です。早く御利益を頂くには如何に致したら宜しいでせうか。
“これは方法がない事もありませんが、信仰が浅いと具合が悪いですね。一番いゝ方法は信仰により人助けをする事です。それから、之は一寸何ですが、金を儲けた時にその金を出来るだけいゝ方へ使ふんです。そうすると水がよくなりますよ。何故かって言ふと、水ってものは財物と共通したもんですからね。だから湯水の様に金を使ふって言ひますが、実際うまく言ってますね、金を自分勝手の事に使っちゃ何にもなりませんね。それと共に、光明如来様によく御願ひして浄霊する事ですね。
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“或家で井戸の水が平素は赤くさび色ですが、その家に病人が出ると必ず綺麗になります。之は如何なる訳でせうか。
“変ってますね、これは。まるで、病人が赤さびを引き受ける様なもんですね。――やっぱり之は龍神ですね。その龍神に罪穢れがあって、それが始終浄化して水を濁してるんでせう。そして或る場合には何かの目的で人間にかゝるんで、その間は水が綺麗になるんですよ。そういふ意味ですね。然し、こんなのはそう長くは続きませんね。或時期が来ると綺麗になりますよ。
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“井戸を掘る方位はどこが宜しいでせうか。又、井戸を掘った場合、水の出る出ないはその家の主人と霊的に関係がありませうか。
“井戸は坤(ヒツジサル)がいゝんです。主人の居場所から艮(ウシトラ)、鬼門は火と水、坤の裏鬼門は水と石ですね。そこで裏鬼門の方に水と石を置いとくと非常にいゝんです。物質、金銭、財物なんてものは坤から来るんですからね。その反対に艮の方は浄めなくちゃいけませんね。霊的な病気は艮を浄めると健康になる事がよくありますよ。鬼門からは清浄ないゝ霊気が来るんで、悪霊が弱るんです。だから、私が今経営してるのは、鬼門に当る山に会館が出来るし、裏鬼門は水と石だからそういふものをこしらへてるんです。そこには素晴らしい渓流があってよく調べたら実に大したものなんで熱海耶馬渓って名前をつけましたがね。そりゃあ、何とも言へぬ素晴らしさですよ。ちゃんと神様がとっておいて下さったんですね。渓流の両側は岩だから水と石と兼ね備はってるんです。そういふ風に「惟神」によく出来てるんですよ。出来上れば大した名所になりますよ。(御光話録第九号参照)それから井戸を掘って水の出る出ないはその家の主人に大いに関係ありますよ。物質に恵まれる人は水が出るんで、こういふ人は徳を持ってる人ですね。徳のない人は出ないし物質も恵まれませんよ。之は相応の理で仕方がないんです。
“金(キン)もそうでございませうか?
“金もそうです。徳のない人は決して金を掘り当てませんよ。あらゆるものはそうですが、金は特にそうですね。金山ってものは、いくら掘っても出ないのに、人が変ると急に掘り当てる事がよくありますよ。之もそういふ理窟ですね。
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“井戸を掘ります時に、水のよく出る場所を探すにはどう致したら宜しいでせうか。
“これはね、光明如来様によく御願ひするんですよ。掘る前にね、「どうぞ、水のよく出る所を御指図下さい」って御願ひしてね、それからずっと見て廻るんです。そして「こゝんとこを掘り度いな」と思った所が御守護のあった所ですからね、そこを掘ればいゝんです。
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“三十九才の男、今迄貰ひ水をして居りましたので今度近所の人と協力して東北の隅に井戸を掘り、竹筒を入れ敷居に腰を下した途端転がり、腹の上部が硬直し「胸の所に箱があって苦しい、早く箱を取ってくれ」と非常に苦しみました。約四十分許りの御浄霊で普通になりましたが、之は位置が悪いからでせうか。
“ほう、箱ね、之は面白いですね。これは東北の隅に井戸を掘ったのが極く悪いですよ。変へた方がいゝですね。井戸ってものは西南がいゝんですよ。そしてこゝは土をかぶせて元通りにし、その上に松の木を植えるんですね。
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“私の部落(三重県某村)で部落民が醵金して潅漑用の井戸を掘りました。この井戸の深さは六百尺で鉄管の太さは十二吋、総重量は十五噸に及びました。処が最後の鉄管を入れようとする直前、あッといふ間に車の心棒が折れ二十四、五尺も下へ落ちてしまいました。この為二ケ月間の労力と七、八十万円の経費が全く無駄になりはしないかと心配して居ります。之は自然を無視した結果でせうか。或は他に何か霊的原因がありませうか。
“こりゃあ、霊的に何かありますね。こんなバカバカしい話ってあったもんぢゃないですからね。或は何かゞ邪魔してるかな。――ま、この部落に相当な罪穢れがあるんですね。そこで、この位の損をしなくちゃどうしてもいけないんですね。結局、こうして罪がとれるんです。つまり、之にかけた金が穢れてるんですよ。穢れた金を或程度とらないと水を出して貰へないんですね。だから之はやり直せばいゝ。そうすりゃ今度は水が出ますよ。損した様で結局は損ぢゃないんで、それで或程度罪が消えるんですからね。それが判ったら罪の消えるのをむしろ喜ぶべきですよ。
よく神社仏閣が焼けるのもこれなんですよ。大伽藍なんて大抵二度目、三度目ですからね。奈良の法隆寺だってそうですからね。つまり、建立する時の金が穢れてゐて浄財ぢゃないからですよ。払ふべき金を払はなかったり、誤魔化した金で建てたり、又、そういった金で維持してゆくからどうしたって浄化されなくちゃならない事になるんで、その為に焼けるんですよ。私の所でも毎年不思議に必ずまとまった金が出て、相当な額になるんですが、之は沢山入って来る中にごくひどく穢れた金があって、神様の方ぢゃそれだけはどうしても使ふことが出来ずに出さなくちゃならないんですよ。実際ヘンテコな事でひょいとなくなってしまふんです。なくなるってよりも出さなくちゃならなくなるんですがね、そういふ意味ですよ。……人間の解釈ってのには、まるでアベコベの事が多いんですよ。今迄はね、喜ぶべき事を悲しんだり、悲しむべき事を喜んだりして訳の判らない事をやって来たんです。だから益々訳が判らなくなるんですよ。
金なんかにしたって、金ってばみんな同じだと思ってますが、霊的に見ると同じ金でも大変違ふんです。金銭にも曇りがあるんですからね。どうしてかって言ふと、人間の想念は金に非常に入り易いからなんです。今は株が高くて沢山の人が手を出して儲けたがってますが、今の株は――株ってものは本当は利益配当をとるのが目的なのに、今はそうぢゃなくて、相場をとるのを目的にしてるから本当のものぢゃないですが、その為に株で動く金には相場で食ってる人の怨みが沢山ついてる訳なんです。相場ってものは儲かるのは一人で、損する人が九十九人ですからね。だから儲かって取引所から持って来る金には損した人の怨みが沢山くっついてるんです。損してくやしがる、その執着や怨みや、或は儲けた人に対して羨しいっていふ想念が、そのまゝやって来て、皆おさつへ懸って来るんですからね。だから株のおさつは物凄いもんですよ。執着がくっついてますからね。霊の見える人が見ると紙幣に小さい顔が沢山あるんだそうですよ。みんな泣ッ面したり、くやしげな怨めしげな顔をしたのばかりがね。そんなのを儲かったって喜んで懐へ入れてるんですからね。(笑声)そんな金は決して長く懐に置かれないんで、皆出ちゃふんですよ。「悪銭身につかず」って言ふ言葉がありますが、全くよく言ったもんですよ。兜町の株屋でも二代、三代と続くのは決してありませんからね。私も昔相場を随分やったもんですよ。自分で合資会社を作った位でとても相場が好きだったんでね。けど、結局損しちゃいましたがね。(笑声)儲かったから損したんですよ。
あれはね、最初から損するのはトクですよ。儲かるとトクな様で結局損なんです。何故かっていふと、丁度女と同じでね。最初ッから女にフラレちゃふともうそれで諦めますがね、(笑声)なまじ好かれちゃって熱くなってしまふと、今度はその女と別れても「俺はモテる」と思ってウヌボレて、(爆笑)結局真面目な生活が出来なくなってしまふんです。之と同じで最初から損すると非常にいゝんです。儲かると面白くなっちゃって、儲かれば儲かるでもっと儲けようとするし、損したら損したでそれを取返へそうとするし、どっちにしても離れられなくなるんです。例へ儲かったにしても皆怨みの金ですからね、決して身につきゃあしないんです。そういふ霊的な事が判ってから、私は絶対にあゝいふ事はやらない。いや、やらないんぢゃなくてやれませんよ、バカバカしくてね。儲けたところで人の怨みを手に入れる様なもんで、直きに出ちゃいますからね。出るにしてもいゝ事で出るんならいゝけど病気だとか災難だとか必ず悪いことで出ちゃふんですよ。
そういふ様なもんで、病気許りぢゃなくあらゆるものにすべて霊的な解釈をしなくちゃいけないんですよ。実際、株屋の大きいのは二代目で駄目ですからね。今伊豆山にO別荘が売物に出てますが、あれはOといふ人が欧州大戦の時郵船株で儲けて、その儲けた金をそのまゝにしといちゃ危いって言ふんで、O信託を作り之なら大丈夫っていふ様にしといたんですが、親爺は死んで今は息子の代ですが、だんだん没落して次々といろんなものを売り、とうとうあの別荘一軒になってたのを、それも今度売物に出たんです。所がそれも思ふ様に売れないんで分割して売る事になったんですよ。中へ入ってるブローカーに騙されて巻き上げられちゃふんぢゃないかと思ふんですがね。結局、いくら用心しても駄目なんで、株の金ってものは雲散霧消しちゃふものなんですよ。兜町で一番儲けたMね、あの人は以前浄化療法時代に講習を受けたんですが、儲けた金を株のまゝにしとくからいけない、土地にしておけばいゝだらうって訳で土地を買ったんです。その中に土地が大変な値上りで戦前には何でも一億近い財産だったんですが、所が財産税でみなとられちゃったんです。隠すにしても書画骨董の類なら未だ隠蔽の仕様もあるけど、土地ぢゃどうにも仕様がないですからね。まるッきりなくなったって話ですね。それから、あのKも駄目になっちゃって、今天国会の家はあの人の家だったんですがね。この人も郵船株で儲けた人ですよ。そんな具合でね――ま、株屋の話ばかり沢山したって仕様がないから、(笑声)……そういふもんでね、みんな駄目なんですよ、「悪銭身につかず」の通りでね。株で儲けた金でも神様の御用に立てるんなら一寸も構はないんぢゃないかと思ひ易いんですが、そういふ事もいけないんで、そう思ふ人もあるだらうと思ってお話したんですがね。
―― そして、こういふ事もあるんですよ。教団で金が要りますね、そうすると一千万や二千万なら使って貰っていゝって言って来るのが時々あるんですが、私は何時もそんなの真平御免だって断はるんですよ。どうしてかって言ふと、神様は多くの人を救はなくちゃいけない、そして大勢助かるには一人でも多くの人が神様の御用をして徳を頂いて浄化されなければいけないんで、その徳によってそれだけ罪がとれるんですが、一人だけ御用をすれば一人だけ徳を積んで他の人は救はれない事になっちゃふんです。どっちも一千万円なら同じものでありそうだけど、大変な違ひがあるんですよ。又ね、本当にそんな多額な金を寄附するなんてことは、まあ、ありゃしませんよ。若しあるとすれば屹度そのかげに何か野心があるんです。その金で何かやらうってね。この前も請負の成金がやって来て一千万や二千万なら御用するって言ふんですが、これなんかも将来観音教団や五六七教会の建築を請負って寄附した金を差ッ引いてとらうとか何とか野心があるんですよ。それ位判りますからね。だから、そういった金は寄附して貰はない方がいゝんですよ。本当は寄附してやるって言ふんぢゃなくて、寄附をさせて頂くんです。寄附をさせて頂き、神様に金を使って頂くって事が有難い事なんですよ。
(御光話録十八号 昭和二十五年四月二十三日)