御 光 話 録 第十二号

六月三日

“礼拝及び祝詞奏上に就て、一、霊的の病人に天津祝詞を上げてよいと承りましたが、祭事の際、御神体にも天津祝詞を奏上して宜しいでせうか。

“よござんすよ、祝詞を上げて。それから拍手を打ってもいゝけど、もっと静かに打ちなさい、あるかないか位にね。あの強く叩くのは騒々しくていけない。信仰の深い人は静かに拍手を打つし、信仰の薄い人は強くやるっていふ――妙なもんですが、こういふ傾向がありますね。大勢で拍手を打つと大きな音になりますからね。矢張り、近所が稠密(チユウミツ)な所なんかでは近所の人の耳障りになりますからね、軽くそっと打つ様にしなくちゃいけない。そうするんなら打っていゝですよ。

“二、霊的症状の時は天津祝詞だけで宜しいでせうか。

“そうですね、――天津祝詞だけでいゝですよ。

“三、礼拝の際、一揖(イウ)二拝三拍手一拝、その形より祝詞奏上、終りは平伏より戻り三拍手二拝一揖、続いて、一揖二拝三拍手一拝、その形より善言讃詞奏上、終りは平伏より戻り三拍手二拝一揖、続いて一揖二拝一揖、御讃歌奉唱、一揖二拝一揖、  現在右の様に致して居りますが、之で宜しいでせうか。

“随分やゝこしいですね。(笑声)ま、いゝ加減でいゝですよ。そこは常識を働かせて、敬意を失しない程度にすればいゝですよ。

“今迄は平伏の時に御願ひ事をさせて頂いて居りましたが、只今はその時間がございませんが、これは――

“大勢の時は御願ひなんかしない方がいゝですよ、時間がかゝって仕様がないから。普段必要な時に御願ひすりゃあそれでいいですよ。こっちは神道ぢゃないんですからね、神主的意味で御丁寧にやらなくていゝんです。この道は神道でもあり、仏教でもあるんですからね。拍手にしたって坊さんは拍手を打たないでしょ。だからそこんとこは臨機応変にすればいゝですよ。たゞ敬ふ形は崩さない様にね。

“以前は一揖一拝でしたが、矢張り二拝が宜しいでせうか?

“一揖二拝がいゝですね。一拝はいけません。――支那人なんか三拝九拝って言って、全く丁寧ですね。

“四、天津祝詞奏上の場合、最後に、日月地大御神守給へ幸倍給へ

と奏上致して居りますのに、善言讃詞の場合、大光明如来守給へ幸倍給へ

とは奏上致して居りませんが、何か意味がございませうか。

“善言讃詞の時も言葉で言はねばいけませんよ。これは間違ってます。

“奏上致した方が宜しいのでせうか?

“えゝ、そうですとも。

五、仏壇への拍手は致しても宜しいのでせうか。

“宜しいですよ。静かにやれば構ひません。

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“「光」新聞の記事に、大先生様が日常按摩(アンマ)をおさせになられる由拝見致しましたが、按摩の効用及び御浄霊との併用に就て御教示を御願ひ申し上げます。勿論、教導師が患部に体(タイ)を用ひず、浄霊のみに依るべき事は承知致し居りますが、患部以外の個所をする時や、或は疲労した程度の人々を致します場合、つい浄化療法時代の魅力が捨て切れず体を併用してゐる者も沢山あります故、失礼とは存じ乍ら御伺ひ申し上げます。

“こりゃあ、違ひますよ。浄霊には絶対体を使っちゃいけない。それぢゃ全然宗教ぢゃない、民間療法になってしまふ。大変な間違ひですよ。按摩の方は気持がよかったらしていゝですよ。私は気持がいゝから、それでやらせるんです。凝った時にはいゝ気持ですよ。で、そのあとで浄霊して貰へばいゝ。それから又、私を浄霊してくれる人はないですしね。(笑声)――それに私は字を書くでしょ。だから凝るんですよ。御守りの「光」は十分間に百枚書きますからね。一時間に五百枚は楽ですよ。普通の書体は三十分で百枚ね。で、私も薬毒が随分入ってますからね、だから凝るんですよ。この頃はとても減ったけれど未だ残ってるんです。

“按摩によって兎も角毒素が動き分散の状態になった時、御浄霊により更に溶解する――といふ事は一応合理的の様に考へられますが如何でせうか。

“これは結構ですね、いゝですよ。肩の凝りなんか両方だと余計効きますよ。

“そう致しますと併用でございませうか?

“併用っていふのとは違ひますよ。按摩は治すっていふ意味からするんぢゃない。按摩と浄霊とごっちゃにしちゃいけない。違ふんですよ、揉むのと治すのとはね。

“一般の按摩では、刺戟を与へる為そこに毒素が集まるといふ事はありませんでせうか。

“商売人はそうですよ。私もそうでした。玄人にさせると余計進むんです。素人ならいゝですが。――だから、揉ませるのはいゝ気持だから揉ませるんで、それで病気を治そうとするのとは違ひますよ。病気は霊が浄まらなくちゃ根本的には治らないんですからね。すべて固苦しく考へちゃいけません。それだからって、全然区別なしで考へちゃ、これも亦いけないんです。区別すべき事は区別して、その上で固苦しく考へてはいけない。

“なかなかそこが難しい様に存じまして(笑声)――

“難しいんぢゃない、易しいんですよ。今迄の人間は間違った事をやってゐたから、当り前の事が難しいんです。料理でも難しいってよく言ひますがね、からすぎたり、甘すぎたり実に難しいって言ひますが、私は易しいんだって言ふんですよ。甘くもなし、辛くもなし、だから易しい。(笑声)――頭のおき所ですよ。

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“一、芸者、娼妓、「パンパン」等を職業とする者の過去にはいかなる罪があるのでせうか。又、霊的にはいかなる者がなるのでありませうか。又、あの様な生活をする事により罪は軽くなるものでせうか、或は重くなるものでせうか。

“罪が軽くなるって訳はありませんよ。若しそうなら、あんた方だって大いにやったらいゝ。(爆笑)

“人を喜ばせるといふ意味から、幾らか罪の償ひになるのかも知れぬと存じますが――

“人は喜んだって、その次には悲しみますよ。そりゃあ、永遠に喜ぶんならいゝですよ。所が決してそんな喜びは永遠に続くもんぢゃないんですからね。あとでカサかいたり、痳病になったりね、(笑声)芸者なんかとの関係を細君が知ったら家庭の紛争の元になりますしね。こんなつまらない事はないですよ。一時間の享楽が一年間の苦しみになりますよ。遊ぶと金もかゝり、そうすると穴が開いて商売はつまって苦しくなりますしね、実につまらないもんですよ。

“牛馬は叩かれたり、殴られたりして快感を覚え、又罪も軽くなるといふ事とは関係ないのでせうか?

“だって、芸者や娼妓は牛馬ぢゃない、人間でしょ?(笑声)人間と四ツ足とは一緒ぢゃないですよ。却って反対ですね。獣は副守護神で、人間は神様の方ですから逆になる訳です。こういふ事をするのは動物霊で、狐や狸や猫ですが、そういった動物霊に負けるんですよ。つまり本守護神が副守護神に負けるんです。副守護神が勝てば屹度罪を作りますからね。罪悪ですからこんな事は絶対にやっちゃいけないんです。本守護神が副守護神に負けるのは、本守護神が弱いからなんです。ぢゃ、何故弱いのかって言へば、その人に罪が多くて曇ってるからですよ。曇りが多いとどうしても副守護神が強く働くんです。前の世の罪もあるし、祖先の罪もあるしね。その上にこんな事をすると余計に曇ってしまふんです。こんなのは一遍に破綻が来ますからね。こわいもんですよ、実際。宗教の必要はこれなんですよ。宗教ってものは信仰によって光を頂いて罪を消すんですからね。だから、こんな風な事の反対をすることが必要なんですよ。それが信仰なんです。だからこんな事をするのは緩慢な自殺ですよ。自分から奈落の底へ落ち込む様なもんです。まあ、地獄へ早く行く道をつけてる様なもんですね。

“二、変態性欲者とは霊的に如何なるものでありませうか。

“之は動物霊ですよ。あの「マゾヒズム」なんてね、打殴(ブンナグ)られたり、刃物で切られたりするのを好むんですが、之なんか牛馬が人間に虐待されるのを好むのと同じで、動物霊が憑いてるんですよ。

“三、同性愛とは如何なる霊の働きでせうか。又、その行為は神への冒涜ではありませうか。

“同性愛ってのは片方が男の霊で、片方が女の霊なんですよ。だから同性愛ってのは必ず二人が男と女の性格を持つ者ですよ。之も一種の因縁で、前世で男と女と愛し合ったけれども成功しなかった、その時の男が女に生れ変って来るんです。すると前の世の想念が染み着いてるから相愛するんですよ。之は無論間違ってるんですが、因縁ですからどうする事も出来ませんよ。同性心中なんてやりますがね、勿論いけませんよ。すべて陰陽なんですからね。同性愛は陰々になってしまふから間違ひに決ってますよ。若しも日本中が同性愛許りになったら、日本の種族は絶へてしまいますよ。(笑声)異性同志が相愛するから人間の種族が殖えるんです。バーナード・ショウは「恋愛は種族保存の為だ」って言ってますが、流石にうまい事を言ひますね。「恋愛は神聖なり」なんて文学者で勿体ぶってるのがありますが、子孫を残さぬ様なものだったら、恋愛も大して価値はありませんよ。(笑声)

四、英雄色を好むと言ひ、又世間には特異な性欲旺盛者がありますが、之は霊的には何によるのでせうか。

“これは、つまり精力が強い為ですよ。精力が強いと性欲も強くなるんです。英雄は精力が強い為にこういふ事になるんですよ。こゝに非常に難しい所があるんですがね。――然し、英雄が色を好んだ為に失敗した例が沢山ありますよ。之は話して行くと大変で、又簡単には説明出来ないんですが――けれども色を好むとか好まぬとか言った所で、兎に角人間が不純な恋愛をすれば罪を作りますからね、そしてその罪の償ひをしなければならないから、やはり一種の苦しみが来る訳です。

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“ザビエルの奇蹟について――亡くなった当時体の色つやも生きてゐる様で、現在も腕が普通のミイラとは違ふ様でありますが、如何なる訳でせうか。

“こういふ事を言ひますがね。之は霊が浄まってるとこういふ風になるもんですよ。霊が濃いと霊が抜けるのに年月がかゝるんで、その間生きてる様な状態にあるんです。別に珍らしい事ではありませんね。ミイラなんかでも五千年も前のがありますからね。髪の毛なんか随分永い事経っても何ともならないもんですね。然し、ザビエルの腕の様に、あんな事をするのは感心出来ませんね。まあ、これは見解の相違であって、いゝと思ふ人もあるんでせうが、然し、あんなむごたらしい事をしなくても人々に宗教心を植えつける事が出来れば、その方がいゝと思ひますね。

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“或る分会の先生で私の方の教修生に「あなたは龍神系だから、私の方で特に二体頂いてある金龍の御書を御光の中に一緒に入れておけば病気はすぐ治る」と申しましたが、この様な事は事実でせうか。

“之は間違ってますよ、誰ですかねえ。

“私の地方の分会だそうでございます。

“いけないですね、間違ってる。よくそう言ってやって下さい、絶対にそういふ事をしちゃいかんてね。龍神系だとか、龍神系でないとかは全然御守りと関係ありませんよ。――こういふのは自分で判断するんでせうが、困りますね。

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“古今東西、霊界、現界を通じて、霊魂の数は増減しないものでせうか。

“無論増減しますよ、増減って言っても減はないんで殖える一方ですね。魂が殖えるんで、人間が殖えたゞけ殖えてるんです。

“人間が殖えるのは再生と考へますと、霊魂の数には変化がないかと存じますが――

“再生もするけど、新しい霊も出来ますよ。

“再生致しますと、霊界での魂の数はそれだけ減るのではないかと存じますが――

“減るって事はないですよ。魂は殖えるんですよ。人間の幽体が霊層界にあるって事は先に本に書いたでせう?魂の本籍地としての――

“魂がふえるのは分霊とは違ふのでせうか?

“分霊ってのは神様の事ですよ。まあ、人間も子供を産むから分霊と言へる事は言へますが、本当の意味から言へば神様が本当の分霊をなさるんです。人間は、ま、枝ですね。(御光話録第十一号参照)

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“三才の男子、赤いものを見ると非常にこわがります。何故でせうか。

“これはね、死ぬ時に何か赤いものを見て死んだ霊でせう。或は赤いもので死んだのかも知れない。例へば、赤い帯で首を絞められるとかね。まさか、女の腰巻で絞められた訳ぢゃないでせうが、(笑声)――然し、今でもたまにはありますが、昔は「間引く」と言って生れたての赤ン坊を窒息させて殺したんですが、そんな場合、赤い腰巻で赤ン坊を絞めて殺した、って事も考へられる訳です。こういふ場合には赤いものを非常にこわいと思って死んだんですから、生れ替ってもそれが染み着いてゝ霊が怖れるんです。これなんかも多分そうでせう、外にそういった事はない様ですからね。

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“一番上の子供が男子で一郎といふ名前の場合、その子供が大きくなってから両親と別居の生活をしてゐる事が一般に多い様ですが、之は一といふ字の為でせうか。そうと致しますと名前を変へるべきでせうか。

“えゝ、これは名前の働きからするとそういふ訳になるんです。「一」はもとって言って一番上ですから、そこで霊的に親から割合に早く離れる訳なんです。言霊からいけば「ス」がそうですよ、「スミ子」だとか、それから……霊返(タマカエ)しゝて「ス」になるのね。

“「スゞ」などは如何でせうか?

“「スゞ」もそうですね。「ス」は一人と書くでしょ、ですから自分が一番上にならないと承知しない、家の中でも一番威張りたがるんです。見てごらんなさい、大抵そうですよ。で、一郎ってのも一番上になるんですから、そこで親のそばにも長く居られないんですよ。一軒の主人にならねば承知しなくなっちゃふんです。

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“「私の腹に光の玉がある」との御言葉でございますが、その玉は体的なものでせうか、或は霊だけの玉でございませうか。

“そうですね。なかなか難しいんですよ、この説明はね。この玉ってのは如意の玉で、つまり之は神様の方から霊線によって或る光を送られるんで、之はその神様の御神体とも何とも一寸言へない――光そのものなんですよ。然し、之は本当は人間が使ふ可きもので、これによって神力が出るんです。観音力って言ふのはそういふものなんですよ。所がこの玉を今迄は使ふ人がなかったんですよ。時期が来てなかったから使へなかったんです。夜の世界の間は水素が多かったので、その玉が水素に包まれてゐたんです。それが昼の世界になり水素が少なくなって来たので、それにつれて玉の光が強くなって来たのです。そこの所がなかなか難しいんですよ。

“では、現界から申しますと、大先生様が主で、玉が従といふ事になるのでせうか?

“そうとも言へないんです。主であり従であり、従であり主であるんです。昔ね、玉の争奪戦があったんですよ、神様と邪神との間でね。そして玉を邪神にとられた事があるんです。よく龍が玉を持ってるでしょ?  あれですよ。龍神が玉をとったんですよ。それが夜の世界の間の事なんです。

“肉体を通さぬと力が出ないと致しますと、主神は、大先生様に御顕現になって御力を振はれる――と考へさせて頂いて宜しうございませうか?

“そいつはね、今そういふ事を言はれると困るんですよ。それを言ふと人間が寄って来て煩くて仕事も出来やしませんよ。――キリストだってそうですよ。エホバから力を貰って仕事をしたんですからね。で、自分は神の子だ、エホバの命により生れて来たんだって言ったんですがね。ま、大体そういふ訳ですよ。ですから普通の人は偉く見せようと思って一生懸命なんですが、私は偉く見せまいとしてどれ位苦心してゐるか判りゃしません。大勢ワッと寄って来ると仕事が出来なくなりますからね。すべて宇宙の神秘といった様なあらゆるものを書くだけ書いて――ですから今一生懸命に書いてるんですよ。まあ、来年一杯はかゝるでせう。そうすると大変ですよ。それが時期なんです。そこで、昔から「和光同塵(ワコウドウジン)」って言ひますね、「光を和(ナゴ)め塵に同(マミ)れる」って。つまり和光同塵ですね。……

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“御浄霊を待たずとも、精神的に苦しむ事によって浄化が起きるものでせうか。

“浄化が起きるんぢゃなくて起きてるんですよ。苦しむ事によって浄化されるんです。精神的にも肉体的にも、すべて苦しみは浄化ですよ。その苦しみによって曇りがとれるんですからね。所が、浄霊をすれば苦しまなくても浄化されて霊の曇りがとれるんですから、だから之は大変な神の恩恵ですよ。昔はバラモン行なんていふのがあって難行苦行をしたもんですがね。いはゞ難行苦行がバラモンの宗教なんですよ。釈迦なんかもバラモンの出ですがね。達磨は面壁九年と言って、九年間あぐらをかきっぱなしだったって言ひますが、そうする事によって曇りがとれたんです。今迄は、人間がそうして苦しむ事によって曇りが減ったんです。だから災難や病気等の苦しみで立派な浄化を頂くんですよ。苦しむだけ死んでから楽をするんです。所が病気なんかの場合には苦しみをとらうと思って医療を加えるんですが、それで苦しみが楽になったところで、たゞ浄化を伸ばす様なもんですからね。

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“四十二才の男、霊的と思はれますが眼球が微動致します。別に不快感はありませんが、之は御浄霊により治りませうか。

“治りますよ。之は眼球を吊ってる筋があるんですが、その筋を毒の固りが抑へてるんですよ。医学では動眼神経っていゝますね。私も以前動眼神経麻痺だなんて言はれたもんですよ。薮睨みなんかもそうですね。

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“腫れ物にジャガイモとウドン粉を練り合はせたものをはると、多量に排膿して痕にならないと申しますが、いかなる理由によるものでせうか。

“之は説明の必要はないでせう。何となれば浄霊した方がよく治るから。もしか、このジャガイモとウドン粉の方が浄霊よりもよく治るなら、ウドン粉や野菜の方が神様より偉い事になる。(笑声)

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“胃癌の男子(四十七才)を御浄霊致しました所、六日目に胃痙攣を起し胃の固りが小さくなり下腹が張って来ました。その後の経過はよいのですが、なかなか浄化致しません。如何致したら宜しいでせうか。

“胃癌を浄霊すると必ず下腹が張るもんですよ。それは溶けた毒が濃いから、出切らないで腹に溜るんです。ですから、おなかをよく御浄霊すればいゝですよ。それから腎臓もよくやるんですね。

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“塀の修理をしようと致しました所、今年は辰巳の方向に先祖が十年目に来てるからいけないと申す人があります。如何なものでせうか。

“之は迷信ですよ。一刻も早く塀を修理しなさい。(笑声)

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“肛門から多量に出血致しますと貧血しますのは、毒血と共に多少は浄血が出るのでせうか。

“少しは浄血も混って出ますよ。然し、浄血はいくらも出やしません、殆ど毒血ですよ。けど毒血でも一時に出るとやはりがっかりするもんです。以前私が例へた事がありましたが、悪い奴で厄介な人間でも、居なくなると一時は淋しいもんですが、あんな様なもんだってね。(笑声)肛門から出る毒血は頭の毒血が多いから、出血すれば頭がよくなりますよ、この辺の(後頭部の中央、やゝ上の方)毒血が非常に多く出ますね。

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“先祖の御祀りの場合、又は新たに位牌を作って御祀りする場合、命日以外の日でも差支へないでせうか、又新規に仏壇を誂へて御祀りする場合は如何でせうか。

“之は命日がいゝですね。古い、判った先祖の命日がいゝですよ。あとは御彼岸がいゝ。そのどっちかですね。

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“道元禅師はその著「正法眼蔵」の中で霊魂の不滅を否定して居りますが、この様な人は霊界ではどんな状態に居りませうか。

“ま、道元禅師は霊界で暫くの間はボヤボヤして救はれなかったでせうね。然し、こういふ人は霊界で悟りますからね。改心すればよくなりますよ。だから曹洞宗の信者でも、その頃死んだ人は行き所がなかったでせうが、今なら霊界で相当団体を作ってるでせうから、そこへ行きますよ。

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“現界では家族等が帰幽すると残った者が悲しむ様に、霊界から現世へ転生する場合も周囲の霊は悲哀を感ずるものでせうか。

“それは霊界では感ずる事はありませんよ。人間に生れ変るのは非常に結構なんですからね。それに、霊界では夫々霊の居所が違ってますしね。信仰の団体も違ふし、想念も違ふから、霊的に決して同じぢゃありませんよ。非常に離れてるから、誰が生れるのか判らないのが普通なんです。判ったとしたら、それを祝ふ位ですよ。それからまた、神様の方からそういふ命令で生れるんですからどうも仕様がありませんよ。祝ふって言っても盛んに祝ふんぢゃなくて、たゞ「結構だ」といふ位の所ですね。

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“私はガラス製造業を営んで居りますが、本年三月に御神体を御祀りさせて頂きました所、四月三十日ガス井戸(天然ガス)が突然止ってしまひました。元の様にガスが出ますよう御守護の程御願ひ申し上げます。又、之は新しい井戸ですので、こんなに早く止る筈がなく不思議でなりません。何かの祟りでせうか。“やはり祖先がやってるんでせうね。ま、もう少し経ってみない事にははっきりとは判りませんがね。――この間こんな事があったんです。或家で、いくら牛を飼っても死んでしまふんですね。他の家では何ともないが、その家で飼ふと死んでしまふんです。で、私はその人に今の職業をやめて信仰の仕事を専門にやれって事だって言ったら、納得して喜んでやってる人がゐますが、これも或はそれかも知れませんね。“井戸が止った許りでなく、一度はガス井戸で死ぬ様な目に遭った事もございました。

“はゝあ、やめろって事かも知れませんね。私もそういふ経験があるんですよ。私は若い頃絵かきにならうと思ってゐた所、眼が悪くなってやめたんですが、それでも未だ執着があって今度は蒔絵(マキエ)を始めたんです。そうしたら、到頭神様に手の筋を切り取られてしまったんです。で、他の指は曲ってもこの指(右手の人差指)は曲らないんですよ。従って筆を持つ事が出来なくなって、どうしても止めなければならなくなったのです。蒔絵ってのはこの指を一番使ふんですからね、どうする事も出来ないんです。これはだから、蒔絵を諦めろって事で、神様の事をする使命があったんですよ。

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“日本人は火の霊統で陽であるから陰を好むとの御言葉でございましたが、人間は反比例を好む性質があります。然し、人間の本性そのものは明るさを好むのではないでせうか。人が賑かな町や市に集るのはこの明るさを好む性質の表れと存じますが、如何でせうか。又、さび、静寂(詩、和歌、俳句等)を好む性質と、明るさを好む性質との差異に就て御教示を御願ひ申し上げます。

“このさびの所は一寸変ですね。人間は反比例を好む性質があるっていふのは、陽は陰を好み陰は陽を好むって事でせうね。然し、この陰陽の中にも善悪があるんですよ。日本人がさびを好むっていふのは、いゝ意味での陰で、だからこれはいゝんです。悪の陰といふのは、暗い所で悪い事なんかする事ですね。明るさって言っても、明るいのと静寂とそう反するもんぢゃありません。賑かな所に集るのは人類全部の要求で、別に日本人に限った事ぢゃありませんよ。――日本人は陽性だから却って静寂を好むんです。例へば、音楽だって日本の音楽は静かで聞いてる者の気が静まる様ですが、西洋のは気を浮き立たせる様なリズムを持ってますね。特に米国人のはそうなんで、米国人が一番陰性なんですね。よくいろいろと考へれば直き判断がつきますよ。それからもう一つ、こういふ事もあるんです。昔、日本はひどい封建性だったから、人々は非常に圧迫された。然し、自分の悲しい気持、悲哀の持ってきどこがなかったから、そのはけ口として劇や何かで悲劇を愛好したんです。それで慰められたんですよ。特に昔は悲劇が多かったんで、中でも義太夫なんかはそうなんですね。人間は同じ様な境遇を見ると、とても慰められるもんで、悲劇でも自分と同じ様な悲しさが出てくると、非常にひきつけられるものなんですね。

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六月十三日

“言葉と言霊に就て、一、こちらの発する言葉が相手を益すると思はれる場合には、嘘、怒り、泣言の相槌(アイヅチ)等の言葉を発しても宜しいでせうか。

“嘘は仕方ないですね。「私の病気はどうでせうか」と訊かれて、「あんたのは絶対治りっこありません」って言ったんではガッカリしますからね。(笑声)「治るから安心しなさい」って言ふのは、嘘であってもいゝ嘘ですよ。怒りは、天下国家の為の怒りならいゝが、個人的のはいけませんね。又、怒りを行動に表すのは勿論いけない。第一、そんな事は益がありませんよ。よく子供をぶつ人がありますが、そうするとその子供は又他の子をぶったりする事になるんです。けれども、どうしても怒らずには居られない時もありますよ。それを我慢してると精神病になる。(笑声)女の人なんかにもおやじに叱られたり、誤解されたりしてボーとなる事もありますね。だから、そこは臨機応変にしたらいゝんですよ。嘘や怒りも原則としていゝ働きのものならいゝんですが――然し、この道を宣伝して人を信仰に入れようとする場合に、目的の為には手段を選ばぬ人がありますが、こんなのはいけませんよ。やはり神様の事はどこまでも正しくやらなくちゃあ。本当の事であり、有難い事だから信仰する、っていふのが正しいんです。まあ、嘘が言へない様になるのが本当ですね。泣言の相槌、之は打つべきですよ、その人の慰めになりますからね。然し、これも程々ですね。あんまり相槌ばかり打ってたんではこっちもつらいですからね。そういふ時にはね、こっちが先に急所をポンと言ってやるんですよ。そうすると相手も泣言をやめますよ。つまりね、誠を以て神様に御任せしてやれば、その時に丁度いゝ適切な言葉が出ますよ。だから、心配する必要はありませんね。

“二、神様から御覧になった場合の良否は判らなくても、自己の所信を  表現する場合の言霊はどうなりませうか。

“神様から御覧になって――と言っても、之も程度問題でね、良否は判らないと言っても、まあ大抵は常識で誠を以て見れば判りますよ。たゞ、大乗の善と小乗の善とが間違ひ易いんです。大乗許りでも困りますが、戒律なんかは小乗で、戒律があるから悪い事をしないって言ふのは本当ぢゃない。警察があるから悪い事をしないっていふのは、檻(オリ)があるから噛みつかないのと同じ事です。檻がなくても噛みつかなくなって初めて本当ですが、まだそこまで人間がいってないんで檻をなくす訳にはゆきませんがね。

“三、御世辞の言葉、虚勢を張る為の言葉、自己を卑下する為の言葉等  は如何なものでせうか。

“御世辞はいゝですよ、相手をいゝ気持にするんだから結構です。然し、御追従(オツイシヨウ)になると、これはいけませんね。つまり、うはべだけぢゃ本当のもんぢゃないんです。――よく、喋(シヤベ)るのが下手だから信者が出来ないって言ふ教導師がゐますが、喋るのがうまけりゃ信者が出来るといふんなら  講釈師を雇ったらいい。(笑声)喋る事ぢゃなくて、こっちの誠が相手に通じるんです。だから、喋るのが下手でも信者のよく出来る人がありますよ。むしろそっちの方が多いでせう。何時も感心するのは強請(ユスリ)は実に口がうまい。そして実際口が効果を奏するもんだから又そっちをやるんでせうね。その反対に話の下手な人は行動や効果で見せようとするんでせう。虚勢を張るのはいけませんね。人間はアク抜けしなけりゃいけませんよ。「味噌の味噌臭きは上味噌にあらず」って言はれる通りです。自己を卑下するのはいゝですね、「下座の行」って言ってね。或程度下座の行をするのはいゝもんですよ。威張ってるのは却って醜いもんです。卑下しすぎるのも変だが、まあそれはあんまりないですね。私でも先方が下手に出るといゝ感じがしますからね。

“四、言葉は簡潔な方が宜しいと存じますが、時と場合により空気を和らげる為に雑談や冗談を言ふ場合の言霊は如何でせうか。

“冗談もうまい冗談はいゝですね。人を笑はせる様にならなければ本当ぢゃないですよ。うまい冗談は実際空気を和らげますからね。まあ、事務的な事は簡潔な方がいゝですが、普段は冗談は大いに結構ですよ。

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“礼拝の仕方に就て、御神体の直前に御開眼を頂きました木彫の観音様を御祀り申して居りますが、之は宜しうございませうか。

“これはこの観音様を、光明如来様の前に置くんなら差支へないですよ。

“礼拝の際、御神体を拝する事によりこの観音様にも一緒に敬意を表してゐる――との考へから、特に観音様の御像に礼拝致して居りませんが宜しいでせうか。

“これはいゝですよ、一緒に礼拝する事になりますから。

“たゞこの場合、大黒様に礼拝して観音様の御像には礼拝しない事が一寸変に感じますが如何でせうか。

“それは構はないですよ。何となれば、光明如来様と観音様とは一緒なんだから、別々と考へる方が間違ってゐるんです。

“礼拝の際、折角浄めた手を汚さぬ様にと掌を上にする人もございますが上向きと下向きと何れが宜しいでせうか。

“これはどっちでもいゝんです。食物を御上げする時には、手が歩く所については汚いから上向きにした方が気持がいゝですね。然し、下にしたからって御無礼にはなりませんよ。神主なんかは、神様に物を上げる場合、掌を上向きにする様ですね。

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“一会員新造船の進水式に際し住居に御神体を御祀り申し上げると同時に、その船の船長室にも何か御書をおかけしたいと申して居りますが宜しいでせうか。

“船にはいけませんよ、船の甲板の上は必ず人が歩きますからね。

“御額は如何でせうか?

“額もいけません。――船長が御守りを頂けばいゝんですよ。そして、光明如来様をその家に御祀りすればいゝ。それで進水式の時に、「今日進水式を致しますから、何卒御守護を御願ひ申し上げます」と祈念したらいゝんです。

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“大先生様は「江戸ッ子はいけない、伊勢屋になれ」と仰せられる由他の方から伺ひましたが、之はどの様な意味でせうか。

“こんな事、私は言ったことないですよ。(笑声)むしろ「伊勢屋はいけない」って言ふんですよ。何故かっていへば、しみったれてゝ金を出すべき時にもケチケチしてるから。(笑声)それから江戸ッ子の方は浅薄ですね。熱がなくてあっさりしてる。だから物事によっては江戸ッ子ぢゃいけません。然し、江戸ッ子には余り悪人はない様ですね。その反面意気地なしで悪い事も出来ない様な人も多いですね。――まあ、結局程々ですよ。

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“最近病院に入院中の人から出張御浄霊を頼まれます。病院では効果が薄い様に存じますが如何でせうか。

“全く、之は効果が薄いですよ。だから困るんですがね。まあ、成るべく避けた方がいゝでせう。然し、たって頼まれた時には行ってして上げたらいゝですよ。こっちは触るんぢゃないから医者が見たって別に差支へないですからね。然し医学とは反対だから折角こっちで治しかけても、又こわされてしまふでせう。まあ、笊(ザル)に水をくむ様なもんですね。けど偶には非常に効目(キキメ)のある人もありますよ。一回で大変な効果があらわれて早速退院してしまふ人もありますからね。だから、まあ臨機応変にやったらいゝでせう。

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“狐や狸の霊が憑依する事が多いのに比べて、犬や猿などの霊の憑依の少いのは何故でせうか。

“狐や狸は人間に憑き易いんですよ。狐が一番憑き易くてね、性格から言っても人間に一番似てますよ。だから祖霊なんかゞ何か知らせる時にはよく狐を使ふんです。祖霊の代りに喋るんです。それだから、そういふ時には本当の事と変な事と両方あって、祖霊が話してるとも、狐が喋ってるともどっちとも定められない事もあるんです。だから、まあ真面目な言葉は祖霊で変なのは狐だと思ったらいゝでせう。犬や猫も少いし、猿や馬も少い。それから鼠や豚なんかも余りないですね。豚なんかあんなに殺されてゝも憑かないのは霊が余程鈍感なんでせうね。(笑声)やっぱり豚は肉を人間に食はせるのが使命なんですよ。天理教では、牛は食っちゃいけないが、豚は食ってもいゝって言ってますね。そういへば、牛は荷物を引張ったりして人間の役に立つけど、豚が荷車を引くって事はないですからね。(笑声)

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“動植物の病気も矢張りそれぞれの霊の曇りの浄化作用なのでせうか。

“この「動物」ってのは人間以外の事でしょ?学者ってのは始末が悪い、人間も動物の中へ入れるから。(笑声)――これは動物と植物で違ふんです。植物には病気――浄化はないんです。何故なら罪がないから。だから同様に下等動物――犬や猫にも罪はないんです。罪があるのは人間だけですね。つまり人間には自由が与へられてゐる、自由が与へられてゐるからこそ地上の経綸が出来るんですが、畜生やなんかを人間が使ふ事が出来る、そこに人間が罪を作る余地があるんです。そこで植物には浄化といふものはない筈なんですが、虫が湧いたりいろいろするのは人間の罪が植物に発生するんです。今、全国的に盛んな松の木の松喰虫なんかは、だから人間が作って、しかもそれを嘆いてるって訳なんですよ。人間が霊界を曇らせると害虫が発生するんです。すべて人間本位です。だから地上をよくするのも悪くするのも結局すべて人間なんです。

“邸内の木なんかゞ枯れたりする場合は如何でせうか?

“そこの主人公の性格で木が弱ったり、枯れたりするんです。その家が栄えてる時、徳を積む人が住んでる時は木の勢なんかも違ふもんですよ。だから庭の木や草を見れば、そこの人の性格が判りますよ。

“樹木の種類によってもその感受性が違ふものでせうか?

“えゝ、違ひますよ。松なんか一番感受性が強いでせう。――だから、植物には霊の向上なんて事はないんです。一切は人間の為にあるんですから。

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“二才の女児、本年四月頃より歩き出しましたが、左脚が跛行致しますのでレントゲン写真をとりました所、坐骨が離れてゐるとの事でした。御浄霊により治りませうか。尚その子の母方の叔父叔母も幼少の頃より同様の事あり現在も少し跛行致します。之は霊的に関聯がありませうか。

“之は霊的ぢゃないでせうね。坐骨が離れてるってのも間違ひですよ。これはね、左足のどっかに毒があるんですよ。その為に足をつくと痛むから使はない、それで治らないんですよ。

“レントゲン写真でもやはり坐骨が離れて居ります。

“そりゃあそうですよ。それはびっこを引くからですよ。だから、坐骨が離れてるからびっこを引くんぢゃなくて、びっこを引くから坐骨が離れるんです。(笑声)こういふのは医者へ行くと小児麻痺なんて言はれるんですよ。この間も、生れながら股が外れてゝ、股から膝まで密着して離れない子がゐましたが、これなんかどうしたって膝と股が悪い様ですがね。所が実際は足の裏に原因があるんです。足をつくと痛いから足がつけない、それで膝も密着してしまって離れないんです。私頼まれて足の裏をやったら股が離れる様になりましたがね。全く妙なもんですよ。びっこなんかも足の裏に原因のある事がありますよ。足の指が下向きになってゐるのも足の裏の指のつけ根の所に毒の固りがあって、足をつくと痛いからびっこを引くんですよ。こういふ事は心得ておく可きですね。だから、この人もきっと足の裏かも知れませんよ。足がつける様になればびっこも治りますよ。

“足が非常に痩せて細くなって居りますが――

“それは動かさないからですよ。動かさないから発育しないんで、その為に細いんです。歩く様になれば治りますよ。

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“最近の中部日本新聞に次の如き記事が掲載されましたが、文中「脳波」とありますのは如何なるものでございませうか。「脳波で交通安全」何故かといふ事は未だ判らないけれども、人間の脳から脳波(一種の電波)が外部に発散する。之は一秒間に二つ波を打つのであるが、この波を調べると、何か考へ事をしてゐる時には波の高さが小さくなるし、眼をつぶってボンヤリしてゐると波は大きい。しかも眠気を催すと更に波は大きくなるのだ。そこで脳電流を特殊な電鈴に流れる様にしておくと、眼がさめてゐる時には電鈴は鳴らず、眠くなると鳴り出す。脳波が大きく波打つからだ。これだけの現象ではあるが、こんな電鈴を電車、バス、飛行機等の運転手の頭に取り付け、眠気による交通事故を防止する方法が、既にアメリカで実行に移されたと言はれる。

“之は何でもない。人間の霊ってものは始終発散したり集中したりしてるんです。仕事なんかしてる時には集中し、眠ってる時には必要ないから発散してるんです。自分の霊が生き霊となって他人に憑いてる時には眠いもんで、大抵眠ってますよ。そこで「鎮魂」をすると方々へ行ってる霊が集ってくるんです。気分がいらいらしてる時なんかにこの鎮魂をするといゝし、眠れない時にも気が鎮まりますよ。それですよ、それを脳波って言ふんです。そして之は別に頭だけではないですが、やはり頭に一番多いですね。

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“当年二十一才の男子、生れつきの白ッ子と言ひ、全身真白で頭の上などは殊に白いですが、目だけは赤く太陽が出てゐる時には非常にまぶしがり歩行困難であります。その祖父は狩人でよく兎を獲ったそうですが、之は霊的でせうか。

“之は兎の霊ですね。兎の祟りですよ。体が白くて目だけ赤いっていふんですから。兎ってのは暗い所が好きで、明るい所は「タタッ」と走って行きますよ。然し、普通の場合、白ッ子は白蛇の生れ変りですが、こんなのは珍らしいですね。(御光話録第十号参照)

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“一般信者の方でも、大光明如来様を御祀りさせて頂いて宜しいでせうか。

“大光明如来様は一般の人でもいゝですよ。然し、御神体はね、家によって祀るべきで、大きな立派な家には、大光明如来様を御祀りし、田舎なんかの小ちゃな家には、光明如来様を御祀りすればいゝんです。

“一般の方でも宜しいのでせうか?

“えゝ、いゝですよ。御守りの「大光明」の方は資格者だけですがね。

“「大光明」の御守りは教導師補の方でも宜しいでせうか?

“師補でもいゝですよ。たゞ、一般の人はいけませんがね――

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“ユダヤ教、仏教、キリスト教等所謂世界の大宗教と称せられるものは既に二、三千年の昔に於て今日の世相人心を殆ど遺憾なく言ひ表はして居りますが、この中最も主であり且未だ実現しないものは「最後の裁き」であり、この時人類の三分の二は篩(フルイ)にかけられピラミッドの王房に入り得るものは殆ど三分の一と言はれて居ります。若しそうとすればその裁きは病気、天変地異、戦争等種々あらうと存じますが、その中最も烈しいものは何でせうか。又その時期は何時でせうか。

“三分の二が死んで、三分の一は助かるなんて予言はないですよ。之は間違ひですよ。唯、仏教には「仏滅の世が来る」って言ってますが、之は仏教が滅するのか、或は仏が滅するのかははっきりしてないが、之は大きい事ですがね。――キリスト教の方では之を「世の終り」とか「最後の審判」と言ってますが具体的には何とも言ってないですね。時期については仏教では五十六億七千万年、キリストは大体二千年後だといって、その時にはキリストが再臨すると言ってますね。之に就てはもう私は到る所で書いてますよ。それから時期は言へませんね。判ってゝも言へませんよ。むしろ之は判らない所に価値があるんです。例へば、人間は自分の寿命が判らないから一生懸命働いてゐるのと同じで判らない方がいゝんです。又、何時何日(イツイツカ)に「最後の審判」があるなんて言っても、中には「それぢゃ、まだ時間があるから改心するのは早い」なんてのも出て来るかも知れない。(笑声)予言てのは人心を惑はすから言っちゃいけないんです。「世の終り」の方はキリスト教で言ってる事だから之は大ッピラでいゝんですが。――然し、時期が近づいたって事は確かですね。何故かって言へば、この浄霊の力が強くなって来たから。「おかげ話」を見ても判る様に、奇蹟が段々多くなり、治るのも早くなって来てるんです。これは霊界に火素がふえて来たからで、火素がふえると浄化が強まり、結局どうなるかって言へばあらゆるものが浄化されて来るんです。別に病気だけではないんです。大体想像すれば判るでせう。……

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“私の土地では今年の元旦に雨と相当の雷鳴がありましたが、元旦に左様な事は数十年来経験しなかった事です。若し一年の計が元旦にありますならば、この事は何を暗示してゐるのでせうか。

“やっぱり、元旦の事は一年の運命に関係がありますからね。今年は何かあるんでせうね、えゝ。(笑声)……

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“箱根の意義に就て御伺ひ申し上げます。

“箱根の事は前によく言ったんですがね。――日本は世界の公園になるのがその使命なんです。そして日本の公園はやはり東西の真中にある箱根であり、箱根の公園は強羅で、こゝは元日本公園と言ったんですが、その中心が今の観山亭なんです。ですから、こゝから拡がって行って地上天国が出来るんです。所で、観音様は経緯(タテヨコ)を結ばれるんです。そして私はこの経緯を結ぶ為に此の世に生れて来たんですが、今迄はこの経と緯が別々になってゐたんです。だから今迄の宗教には、仏教にしてもキリスト教にしても本当の力がなかった。所が、愈々その本当の力が発揮される時期が来たんです。だから私が一寸書いた「光」といふ字の御守り様に人を救うだけの力がある。……(中略)……力といふ字を見ても判る様に、力ってのは経緯を結んで左進右退の活動なんです。だから又、東西文明が結ばれることなんです。観音様が男であり、女であり、又どっちとも言へない中性だっていふのはその意味なんです。そうすると、箱根から東が関東であり、西が関西ですから、関東と関西を結ぶ真中は箱根であり、その中心は神山になるんです。この上の家を神山荘としたのはその意味であり、神山の前が早雲山でしょ、だからこゝを早雲寮としたんです。――宝山荘も多摩川を距てゝ、東京と神奈川の境になってるんです。箱根ってのは、言霊から言ふと、「八」は開く、火であり、「コ」は凝る、固る、「ネ」は根本といふ意味です。だから結局「火の固りの本」といふ事になるんです。そして箱根は火で熱海は水になり、その火と水が十国峠で結ばれるんです。十国峠は十ケ国が見えるから十国峠といふんだって言はれますが、本当は経と緯を十に結ぶ事なんです。箱根は夏涼しく、熱海は冬暖いんですが、それが十国峠を通るともう気温が違って来るんです、神様は全くうまく作られたもんですよ。……

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六月二十三日

“道徳は或程度時代と社会状勢に応ずるものと存じますが、過去の戦時中に国家に尽した政治家、将兵、戦時産業家等はそれが最善の道であると信じ、又個人の意志に係らずそうせざるを得なかったと存じますが、この事も神様から御覧になった場合矢張り罪になりませうか。又他面、日本を敗戦に導きその結果日本を本来の姿に帰した事は却って功徳とも考へられますが、この功罪は何れをとるべきでせうか。

“これは小乗と大乗によって考へ方が違ふんです。戦争中国家に尽した人々は小乗の善人であり敗戦によって日本が救はれたといふのは大乗の考へ方なんです。それで、私は終戦の翌日来た人には、「本当はこの敗戦を祝ふべきだ」といったんです。あの時代の政治家も本当ぢゃなかった、日本さへよければ他国民は不幸になっても構はないといふ考へ方であり、非常に日本的だったんです。これは大変な間違ひですよ。やはり世界的人類愛的でなければいけないんです。例へば、日本の「皇道」をロシヤへ持って行ったって、恐らく一人も信奉する人はないでせう。そこですよ、それでは世界は救へないんです。ひとりよがりの思想はいけないんです。軍人ってのは他国民を集団的に殺す練習をしてたんですからね。だから東京裁判で絞首刑にされたのは当り前ですよ。産業家だって戦争で大いに儲けようとした、まあ、泥棒の提燈持ちをした様なもんですよ。これが敗戦によって目が覚めた訳なんですから、非常に結構なんですよ。

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“将来起るべき世界大戦、及びそれに伴ふ内乱の危惧は個人の意志に係りなく、社会状勢も左右何れかに決定される事と存じますし、世界的大浄化の時唯要領のみで安易な道を行く事は許されないと存じますが、この様に左右何れかに属せねばならぬ場合如何なる態度をとるべきでせうか。

“内乱の危険なんか決していりませんよ。又、左右何れかに決定もしませんよ。「寸鉄」にあったでしょ、世の中はブランコの様なもんだって。だから左へ行ったかと思ふと今度は右へ行くんです。で、それが判れば一人前だっていふんですよ。だから、早く一人前にならなくちゃ。――(笑声)自動車を運転するんだってそうですよ。ハンドルを一寸右か左のどっちかへやりすぎれば衝突してしまふ。それを右へ廻したり、左へ廻したりして一生懸命にやるから自動車は真直ぐに行くんです。文化が進んで行くのもそれと同じですよ。所が、我々の様に右や左に傾き乍ら進むのを見てるのは、更にその上を行くんです。右や左の事を一生懸命やってるのは、だから我我より下の仕事なんですよ。それから、「安易な道」は許されるんですよ。その人に霊的の罪や曇りが少なければ安易に行く筈のものなんです。罪や曇りが多ければ大浄化の渦中に巻き込まれて苦しむんですよ。――結局、原因は自分にあるんだから、自分さへ罪がなければ一寸も苦しむ事はないんですよ。ですから、こんな事には触れる必要はないんですよ。丁度、酔払ひが喧嘩してる様なもんだから、(笑声)面白いですよ、傍観してる方が。――つまり、彼等は破壊、こわしやだから、そして我々の方は建設なんです。そして今は破壊の時期なんです。だから我々の方は今は専ら建設の準備をしてればいゝんですよ。破壊の方はこわしやに任せたらいゝ。まあ、ヒットラーなんかはこわしやの親方だったんですね。(笑声)

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“仏像の眉間の「ほくろ」には何か意味があるのでございませうか。

“あれは白毫(ビヤクゴウ)っていふんですよ。人間で一番大事な所は眉毛の上の所で、こゝを天帝といふんですが、神様の霊線はこゝから通じるんです。だから白毫っていふのはその印ですね。

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“浅野和三郎氏著「小桜姫物語」や、ワァード博士の「死後の世界」等はどの程度信頼して宜しいものでせうか。

“これは全面的に信頼していゝですよ。こういった霊界の話は事実です。ワァード博士のもそうですね。今度「地上天国」に「寅吉物語」っていふのをのせますが、あれも事実ですよ。これはワァード博士以上のもので、生きてる人間が生きたまゝ霊化してしまって江戸と常陸の間を往ったり来たりするんです。で、行く時は霊になって一瀉千里に空中を飛んで行き、向ふへつくと又人間になるんです。然も子供を小さな壺(ツボ)に入れて、その壺を親爺が持って空中飛行をするんですがこれなんかに比べると飛行機なんて野蛮なもんですよ。(笑声)これは平田篤胤(アツタネ)が研究したもんでね、今度手に入ったので雑誌に五回位続けて載せますよ。読んでおく必要がありますね。

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“貸座敷業の一会員、御道により中風が非常によくなりました。御守護を厚く御礼申し上げます。今後専心御道に励みたいと存じ現在の職業をやめようと思ひますが、支障もあり迷って居ります。如何致したら宜しいでせうか。

“之はよさねばいけませんよ。先づ、よそうと固く決心する事ですね。勿論、よすといっても損しない様に、智慧を働かしてうまくやったらいゝんです。だから、その積りで漸次やってゆけば、屹度うまく行きますよ。

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“宗教的に観た商法に就て御教示を御願ひ申し上げます。商売をして居りますと、掛引をしたり商売敵が出来たり、又現在の登録制では商戦の為どうしても相当の怨みが来ると存じますが、この曇りを消す為には大いに社会的善事をすれば宜しいでせうか。

“これはこの通りですよ。無論、或程度の掛引は仕方ないですよ、儲けるんですからね。そこは程々にすれば構はないんですよ。敵が出来るって事も競争だから仕方ないですね。だから、積極的に同業者を倒そうとすると罪を作るから、そういふ事はしない方がいゝ。――例へば、私の教へが拡まって行くと他の宗教にも影響して、或は潰れてしまふのも出て来るかも知れない。然し、それは已むを得ない事であって、そう言ってたらなんにも出来ない。だから私は「大善は小悪を伴ふ」って言ふんですよ。之はどうにも仕方のない事です。つまり、九十万人救はれて、十万人はその為に救はれないっていふ事は仕方がない、いゝんです。ま、いゝって事もないけど、差引してよければいゝんです。そして、商売してゝ時間や金に余裕があったらいゝ事をするんですね。一番いゝ事はこの信仰の為にそれを使ふんですよ、そうすればいゝんです。

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“癲癇について、

一、周期的に発作の起る理由、

二、喜怒の情に関係して起る原因、

三、それが治った時には憑依してゐる死霊も救はれて居りませうか。

“周期的に来るのは死霊が憑依する為です。だから憑依がずっと続けば精神病になる訳です。周期的に来るのは、例へば夜中に死んだ霊が憑依すると、夜中に発作を起すんです。その時間になると霊が思ひ出して人間に憑依するんですね。そして死霊が頭の脳天に来ると癲癇になるんですが、脳天には永く居られないんで、又下へさがるんです。以前、東京の人で、何時も夜発作を起すんですが起すと目の前が火事で、その焔が燃えて来るのが見えるといふ人がゐましたが、これは火事で焼け死んだ人が憑いてるんですね。それから、人間が激情すると脳細胞が薄くなるんです。薄くなるから脳天に霊が来る、従って発作を起すんです。女の人のヒステリーなんかもそうで、「カーッ」となると、脳天の霊細胞が薄くなるから、狐がこゝへ来ていろんな狂態を演じるんです。  それから死霊は勿論救はれますよ。祝詞を上げてやるといゝですね。又、死んだ日なんかにも霊はよく来るもんですよ。

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“私は教員を致して居りますが、  左の事について御伺ひ申し上げます。

一、現在の民主的教育方法

二、教育者の立場として医学はどの様に扱ふべきでせうか。

“一、戦時中の教育より今の教育の方がずっといゝですね。比べ物にならない位いゝです。以前の教育は、侵略主義によって国民を教育し、国威を盛んにするといふ事を根本として作られたんだから。今迄の教育は天皇に生命を捧げるとか、日本をよくする事とかにすべての目標をおいてゐたんです。今度の新しい教育は、その目標をもっと大きく拡げて、世界の人類の平和や幸福の為に――といふ事に目標をおくんですから、こっちの方が大乗的ですね。

“二、これは厄介なんですよ、これはどうとも言へませんね。本当の事を言へば馘(クビ)になってしまふし、そうかといって嘘を言へば、人間を弱らしたり生命を無くしたりするんですからね。――こういふ点で苦しんでゐるのは教育者許りぢゃありませんよ、私が一番苦しんでゐるんです。ですからね、こういふ事は適当に、非難されない様にやってたらいゝでせう。先にも或る大学の薬学博士のNって人が、病気が治ってこの道へ入ったんですが、弱ってましたよ。何故かって言へば、大学で薬学の講義をする時、一体どっちを言ったらいゝのか判らないって言ってましたがね。それから、大抵の教育はね、子供を大人の様にしてしまふんですが、之は間違ひですよ。子供は子供らしくするのが本当ですよ。だから、子供の年齢に合った教育ぢゃなくちゃいけないんです。然し、こういふ事に対して教員が反対したりなんかは出来ないから、まあ、適当にやるより外ありませんがね。

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“柿や茄子は浄化作用を促進させると承って居りますが、之らを薬物の如く常に食用に供するといふ考へ方は間違ひでせうか。

“間違ってますね。つまり、うまければ喰ったらいゝんです。薬と思ってはいけない。茄子なんかは秋にはよくとれますが、沢山取れるのは沢山喰べろって事なんです。痰には茄子は毒だなんて喰べない人もありますが、之は間違いですよ。かと言って勿論茄子ばかり喰べても居られないから、(笑声)そこは適当にやったらいゝんです。柿も同じで大抵の人は柿は好きだから、大いに喰べたらいゝんです。薬だと思って喰べちゃいけないんです。薬なんてのは世の中にはないんですから。若しあるとすれば米が薬ですよ、米の飯はいくら喰っても中毒しないから。

“柿は婦人病に悪いとか申しますが――

“そんな事は絶対にありませんよ。柿を喰べると小便が出るからそう言ふんでせうが、小便が出るのは腎臓が働くからで、だから却っていゝ訳ですよ。

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“世の中に偶然といふものがないと致しますれば、凡そ奇蹟といふものも、何等かの未知の原因を持つものと解すべきでせうか。

“無論、偶然なんてありませんよ。原因はすべて霊界にあるんですからね。奇蹟っていふのも今に科学的に証明される様になりますよ。そしてそれを今、私がしてゐるんです。

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“男子より女子の方が  比較的独身生活を守る人が多い様に存じますが、之は社会的肉体的に何か特別の原因がございませうか。

“無論特別の原因があるんです。その一番の原因はやはり感情でせうね。女ってものは感情が強いから、男子を選り好みするんです。所が、男の方は助兵衛が多いから、(爆笑)どんな女でも女でさへあればいゝってのが多いんです。従って女の方は男を見附けにくいんですよ。それからあとは経済的の理由による事もありますね。

“月のものなんかも関係する様ですが――

“そんな事はないでせう。まさか、月のものが一年中ある訳でもありませんからね。(笑声)又、女は性的に萎縮してる事が多いんで、だから消極的なんです、その点男の方は積極的ですね。然し、これも神様がそう作られたんですからね。――

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“法要、年忌等をする場合、自宅と御寺と何れで営むのが宜しいでせうか。又、念仏を称へるのに矛盾を感じるといふ信徒がございますが、之は如何致すべきでせうか。

“これはね、どっちでもいゝんですがね。結局その人の誠ですよ。供養しようとする人の誠が映るんです。然し、出来たら、そして経済も許したら寺がいゝですね。寺っていふのはそういふ事の専門の場所ですからね。普通の家は人間の住む所ですからね。念仏は霊は嫌がりますよ。阿弥陀様はもう印度へ帰ってますからね。然し、坊さんが念仏を上げるのは仕方がありませんがね。まあ、この道の信者だったら、念仏のあとで善言讃詞で口なほしをして上げるんですね。(爆笑)

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“精神病で困り抜いた者が前額部に九十ボルトの電流を二秒間通す電撃療法で生れ変った様によくなったそうですが、科学によって精神的浄化作用が行はれるものでせうか。

“之は一時的ですよ。一時的にいゝ事を大いに宣伝するんですよ。例へば、今度何の薬が出来たから何の病気はなくなる、なんて宣伝するんですよ。然し、大抵一年二年、中には一月か二月でもう駄目になってしまふものもありますからね。こんな風に、皆一時的なもんですよ、これが一番困るんですがね。電気ってものはね、九十か百ボルトだと何ともないんです、通過してしまふんですね。私も以前やった事がありましたがね。やっぱり電気も一時的のもんですよ。それから又、気合術をやった事がありましたがね、これも一時はいゝんですよ。どこか痛む時に「痛み去れ!」っていふと、一時痛みが去るんです。こいつはうまい方法だと思ったんですがやはり駄目ですね。結局は浄霊によって、霊の曇りをとらなければ駄目なんですよ、根本的には治りませんよ。精神病なんかに電気をやるのは、憑依してゐる霊が電気を嫌ふからで、その為に一時よくなるんです。だから始終してゐればいゝが、そうはいかない、体が腐ってしまいますからね。それから面白いのは、精神病の人を入浴させると、暴れてゐるのが治りますよ。之は狐が入浴を嫌ふからです。だから赤ン坊なんかを湯に入れると、ギャアギャア泣くのがあるでしょ、あんなのは狐が憑いてゐるんですよ。

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“果実類は隔年に実りが多い様に見受けられますが、何の関係でございませうか。

“之は果実に限りませんね。一つの循環律ですよ。だから之は造物主に聞かねば判りませんね。すべて一代おきとか、一日おきとかですからね。癩病なんかでも子供は癩にならずに孫がなるんです。

“その場合は浄化未発生のまゝ、毒素が孫にゆくのでせうか?

“そうなんですね。だから、子供も親に似るよりも祖父に似る事が多いんですよ。果実では柿なんか殊にそうですね。それから又、病気でも一日おきによくなったり悪くなったりするんですが之もやはり循環律ですね。

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“六十二歳の女、以前脳溢血をやり以後睡眠中以外は全身微痙攣が持続し、口及び両手は特にひどいのですが、之は何故でせうか。

“中風になると痙攣がよくあるんです。私の知ってゐるので一番大きかったのはこの位痙攣してましたよ。(約十糎幅位)中風で一番重いのは痙攣ですね。その次は手を握ったまゝで胸へ持って来たっきりの状態、その次は少し腕が胸から離れて、手は拇指を握りしめてゐる状態、その次は腕は大した事なく掌も開けるが、指先だけ曲ってゐる状態、まあ大体この位ですね。ですからこの人は大分重いんですね。以前、私が扱った人で、丁度物をとり込んでゐる様な恰好をしてたんで、私言ってやったんですよ、「あんた、あんまり欲張ってるからだ」ってね。(笑声)

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“冷えると排尿量の増加致しますのは如何なる訳でせうか。

“之は当り前ですね。人間は火ですから何時も皮膚から水分を出してますが、それの濃いのが汗なんです。所が寒いとそれが少いんです。丁度、熱いと水蒸気になり、冷えると水になるのと同じで、寒い時は皮膚から出る水分が小便になって出るんです。

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“近所に住んで居りました全然他人の男の人が死にました所、死後度度夢の中で話しかけられます。夢をみた後の気分は変りありません。――以上一信者よりの訴へでございますが何の関係でせうか。

“これは死んだ男の人がこの人を想ってたんですね。この信者ってのは女の人でしょ?

“はい。

“想って、恋してたんですよ。で、霊界でも忘れかねてるんです。おやすくないですね。(爆笑)

(光話十二号  昭和二十四年九月二十一日)