“『大本教の「松の世」、天理教の「甘露台の世」、日蓮の「義農の世」等はすべて「地上天国」を指すのである』との御言葉でございますが、その一々の字義について御教示を御願ひ申し上げます。
“大本教は世の中を松竹梅で説明するんです。そして今迄は竹の世だって言ひますが、大本教では何時でも「梅で開いて、松で治める神国となるぞよ」っていふお筆先を出しますが、松は地味な花が咲き、常緑樹で一年中色が変りませんね。そういふ変らない世の中が来る、それが神の世になるっていふ事なんです。つまり、今迄は仏の世だった。仏ってのは神様の化神ですから、もとへ御帰りになるといふ事なんです。で、「梅で開いて」といふのは、主の種は梅干だっていふ事からなんです。之は少しこじつけの所もある様ですが、梅干ってのは酸っぱい、すいでせう。だから主(ス)の種が梅干だっていふんです。梅の種って言ふのは一厘の御魂(ミタマ)と言って、九分九厘まで行った所を一厘の御魂が出て覆(クツガヘ)すといふんですね。悪魔は九分九厘、神様は十分(ブ)なんです。つまり一厘だけ神様の方が多いんです。この一厘の力で悪魔が掌をかへすっていふんですが、之は面白いですね。観音経っていふのは法華経二十八品の中、二十五番目の普門品(フモンボン)って言ふんですが、この法華経っていふのが花なんですね。で、花が散って実が残る、その実が観音経なんです。そして五は火ですから、昼の世界の初めになるんですよ。そして一厘の御魂っていふのが大変な力を表すんです。で、私は昭和五、六年に面白い事があったんですよ。未だ大本教に熱心な頃でしたがね、或人が私の所へ、天保銭と五十銭銀貨と一厘銭とを持って来たんです。私はその時、どうも意味がありそうな気がしたんですが、よく見ると、その銀貨は明治四年のものなんです。それでね、天保銭は大本の教祖が天保生れなんです。それから銀貨の方は、出口王仁三郎の生れたのが明治四年なんですね。そこで、一厘銭は、私がその一厘だって事を知ったんですが、全く、神様はいろんな事をなさるんでね。……それから間もなく私の友人が、丸の内の中央亭で満月会っていふのがあってなかなか為になるから行ってみろって言ふので行ってみたんですが、満月会っていふのは毎月十五日に集って、その会を「いろは」順にやってゆくんですね。で、私の行った時はもう四十七回やってゐて、「いろは」の順だから丁度「す」になるんです。あの会長は木村高太郎といって、よく人類学なんかやって日本の民族史の本なども出してる人ですがね。その日に集ったのが二十六人でしたよ。之は各階級の人が集るんで、教育家、新聞記者、学者、芸術家等殆どあらゆる階級の人が寄るんです。それでね、「す」で満月会ですから、何か神秘があると思ったんですが、散会して夜の九時頃帰ったんです。所が、翌る日の新聞をみると、丁度その私の帰った九時頃に、東京の三河島で火事が起ったといふんです。焼けたのは花火屋で、あの頃は玉屋と言ひましたが、その玉屋が沢山ある所でその中四十七軒爆発してしまったんです。で、「す」の満月と玉屋――丸いですからね。そこに関連があるんですよ。三河島は私の祖先の御寺のある所で、その御寺は観音寺っていふんですがね。こゝは震災で焼けてしまひ、その時坊さんがいろいろなものを持って逃げたんですが結局全部焼いてしまって、私の所に持って来てたものだけ残ったんですよ。兎に角、その時にいろいろな神秘を知らされましたよ。つまり、私が月満ちて生れたって事なんですよ。……その時案内した人があとで夢を見て、池の中に鯉がゐて、一匹の緋鯉が水から離れてずんずん天へ昇って行き、やがてそれが五色の鯉になって、それが天界を気持よさそうに泳いでるといふんです。私はそれを聞いて、あゝ成る程、と思ひましたね。鯉ってのは観音様ですからね。天理教の「甘露台の世」っていふのは、「一列揃って甘露台の世」って言ふんで、之も地上天国の事ですが一寸違ふのは甘露とは月の事なんですね。天理教は月の系統の教へなんですよ。だから天理教は女の教祖だったのです。「中山みき」って言ひますが、あの「みき」っていふのも逆ですよ、「み」は女、「き」は男ですからね。「きみ」だったら「日月」でいゝんですが、「みき」では反対です。天理教の会は月日(ツキヒ)会って言ひましたが、あれだってどうしてかと思う位で、日月(ジツゲツ)会と言ったらよさそうに思ふんですがね。どうも嬶天下なんですね。まあ、今の時節ならいゝかも知れませんが、――(笑声)兎に角、月を主にしてるんです、天理教ってのはね。天理教の本山には、高い塔といふ程ではないんですが、櫓(ヤグラ)が立てゝあってそこへ何か甕(カメ)の様な容物(イレモノ)を置くんですね。そこへ甘露、つまり月の雫(シヅク)が溜るんですよ。この溜った水を貴いものとしてね、之で病気が治るとされたんです。之は今は無い様ですが、教祖が生きてる時代にはあったらしいですね。その時分は夜の世界だったんで、昭和六年から霊界が昼間になったんですからね、それ迄は水素がとても多かったので、そういふ装置をすれば病気も治ったのでせうね。それから、「義農の世」ってのは「天下泰平義農の世」って言って、日蓮の書いたものにあるんですよ。
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“五六七(ミロク)の語源について御教へ下さい。
“之は私がもういろいろ書いてますがね。まあ、重ねて説明すると、五は火、六は水、七は土で、それらの順序正しい世の中を五六七(ミロク)の世といふんです。で、夜の世界では五っていふ火が隠してあったんです。だから今迄は六七五、或は七六五だったんですね。それが昼の世界になるにつれて五六七となるんです。丁度日蝕の時の順序ですよ。それで、まあこれは私何遍も言った事ですが、未だ聞いてない人の為に言ふと、或る日、御釈迦様が非常に憂鬱(ユウウツ)な顔をして居られた。そこで阿難尊者(アナンソンジヤ)が「大変御気分がおすぐれにならない様ですが、何かあったのでございませうか」と訊ねたら、「いや、私は仏は滅するといふ事を知らされた。私がこう苦心して作った仏法も滅びる時が来るのかと思ふとがっかりした」と言ったんです。それから、法滅尽経(ホウメツジンキヨウ)を説き、弥勒出現成就経(ミロクシユツゲンジヨウジユキヨウ)を説いたんで、仏滅後弥勒が下生して世を救ふ、それは五十六億七千万年後だと説いたんです。所が実際として、そんなに長い先を予言するなんて事はないし、本当にそれだけ先の事を予言するのだったら頭がどうかしてる人ですよ。予言といふものは数千年より上は無駄なんです。だからキリストが二千年後に再臨すると予言したのは丁度いゝ――丁度いゝって言っちゃをかしいが、ま、人間が覚えてられるんですね。だから、五十六億七千万年っていふのも数字を表す為にそう造ったんだと思ひますがね。又、本当の事を言ふのは具合が悪いんですよ、矢張り「釈迦に提婆(ダイバ)」で、悪魔が始終邪魔しよう邪魔しようとしてますからね。実際、御釈迦だけぢゃなくて、私にも提婆がいろんな手段で邪魔してますよ。昨日なんかもやって来ましたがね。こんなのは何十年もやってるんですが、年々悪魔の力は弱まりつゝあるんです。以前には相当やられたもんですが、年々神様の力が強くなって来たので、今度も悪魔は相当大規模にやったけど、こっちには一向影響がなかったんです。現に、((*1))此の間の晩は「((*2))社会悪は宗教によって根絶出来るか」っていふ((*3))街頭録音がAKから全国に放送されましたね。あれは肝心な所は抜かれてるんですよ。本当は観音教団のいゝ宣伝になってゐたんですが、放送局の方で観音教団の宣伝になってる所を皆抜いてしまったんですよ。悪魔が放送局に働いたんですね。こんな風に始終いろんな事で邪魔してますが、まあ、もう大して長い事はないから、今の中にいゝ気持にさしてやればいいんですよ。(笑声)――
注:((*1)) (昭和二十四年四月十九日午後九時~十時)
((*2)) 「今の宗教で社会悪はなくせるか」
((*3)) (長野市での街頭録音)
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“馬頭(バトウ)観音、准胝(ジユンテイ)観音、不空羂索(フクウケンサク)観音、如意輪(ニヨイリン)観音、十一面観音、魚籃(ギヨラン)観音、揚柳(ヨウリユウ)観音の御働きにつき御教示下さい。
“之を詳しく言ってると時間がかゝりますがね。いろいろ本なんかにも書いてありますが、然しあんな説明は間違った所が沢山ありますよ。馬頭観音ていふのは観音様が獣になられるんで、悪魔と闘ふ時に獅子奮迅(シシフンジン)の働きをされ、その時はそれは物凄く悪魔以上ですよ。大変な御姿で、馬の首になられ口から火焔を「カーッ」と吐いて、髪の毛も逆立ってゐると言はれますね。画や彫刻なんかにもありますね。准胝観音っていふのは、之は変な字が書いてありますが、とにかく御位を低くされての御働きですよ。准胝っていふ言霊がそうですね。准といふのは従ふといふ意味であり、胝は低いっていふ事ですからね。不空羂索観音は霊線の御働きですよ。不空ってのは空に非ずで、実際だっていふ事ですね。羂索っていふのが霊線に通ずるんですよ。如意輪観音は如意の玉を振はれるんで、之ははっきり本に書きましたが、之は大変な御働きですよ。十一面観音ってのは十一御顔があるんで、真中に御顔があって、その上の三つは慈悲で右横の三つは勇猛ですね。それから左の三面は怒りですね。観音様も怒られるんですが、唯行動には表はされないですがね。それから後ろのが笑ひです。そして一番上に仏様があってあれを仏と言ひますがあれは阿弥陀如来でね、この場合は阿弥陀様が観音様の上になってるんです。それは、実は、阿弥陀様は観音様の母になるんで、それを表してゐるんですよ。魚籃観音っていふのは、漁師に魚を与へるんですね。之には面白い伝説があるんで、非常に信仰の深い漁師に観音様が魚を恵んで下さったんです。それから、その土地で魚籃観音を祀る様になったといふんです。あれは確か印度でしたかね。それから、揚柳観音といふのは、揚は「あげる」ですね、柳は「やなぎ」の字が使ってあるけども、龍神の事であって、龍神を救ふ御働きなんです。まだこの外に、千手観音とかいろいろありますが、然し大して意味のないのもありますよ。例へば、白衣観音、――尤も之は意味がない事もないんで、観音様が極く落ちぶれた様な姿をしてゐらっしゃる訳ですね。それから龍頭観音なんて龍の頭の上に乗ったのもありますし、百体観音っていふのは百体あるんで、東京の中野にある御寺にちゃんと石で刻んで百体ありますがね。兎に角、観音様程いろんな御働きは他にないんですよ。
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“極楽の図には蓮の花がありますが、蓮の花の霊的意味に就いて御伺ひ申し上げます。
“偉い仏様の坐られる所は蓮華台って言ってね。つまり蓮華の形をしてるんですが、蓮は泥の中から大きな綺麗な花が咲きますから、それで尊ばれるんですよ。日本の蓮と印度のとはまた違ふそうですね、印度の花の方がずっと立派だそうですよ。蓮華台は又大きい意味も持ってゐるんで、高い山の周りには連山があって、こう、一寸高くなって、凹んで、又高くなってますね。((ヤマ)の形を御示し下さる)つまり、あれが蓮華台ですよ。箱根の強羅はこの蓮華台になってゐるんですよ。特に、後ろの方に高い所がありますね。今に私はあすこに大きなものを造りますが、あすこが丁度蓮華台になってるんです。「ハス」っていふ言霊は「ハチス」でね、「ハチス」っていふのは富士山になるんですよ。富士山は八の字の形をしてるでしょ。そして「ス」は中心といふ事ですから、富士山の頂上が「ハチス」になるんです。それで、あすこに木花咲耶姫尊(コノハナサクヤヒメノミコト)が祀ってあるのも、そういふ意味からなんですよ。木花咲耶姫尊は仏界で観音様になられますからね。
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“聖者賢哲は普通の人より再生する度合が少いのでせうか。
“少いですね。それは執着がとれてゐるからですよ。執着があると早く生れ変りますからね。霊界に長く居れば居るだけ、それだけ浄化するんで、それだけ立派になるんだから、霊界に長く居る程いゝんで、早く生れ変る程いけない訳です。もう一つは、聖者賢哲は霊界で大いに救はれるんですよ。だから、お釈迦様なんかつい此の間迄霊界に居られたんです。それから弘法大師だとか、親鸞(シンラン)上人だとか、もうあゝいふ人達もどんどん生れ変ってるんです。仏界にゐる事がなくなっちゃって、つまり新しい「五六七の世」に大いに働かなくちゃいけないんですよ。もう、生れ変ったのも相当ゐるでせう。
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“支那では野外に神様を祀る場合、南向きになって居りますが、之は根拠のある事でせうか。
“之は根拠がありますよ。南向きってのは北の方へ祀る事ですからね。之は本当ですよ、一番いゝ神様は北へ祀るべきです。北は霊で南は体ですからね。北の方の神様は霊的で日の神、天津神であり、南の方の神様は体的で月の神、国津神です。で、北の方は霊気が強いんですよ、磁石が北を向くっていふのはやっぱり霊気によるんです。北っていふのは言霊から言ふと「気(キ)が足(タ)りる」って事でね、気が満ちてるんです。だから北に向って拝むっていふ事は立派に意味があるんですよ。東西でも東が霊で西が体であって、東と北の間、東北、艮、鬼門、之が一番いゝんですよ。世間でよく鬼門を嫌ふでしょ?あれはね、今迄大いに邪神が働いてゐて悪い事をしてたので鬼門の方へ越すと浄い霊気を受けて御裁きを頂くもんだから、それで嫌ってゐたんですよ。ですからね、こっちが正しい事をしてゝ間違ひがなければ鬼門へ越すのなんかいゝ事で、何でもないんですよ。
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“私の家は床の間に龍神、地蔵様、稲荷の三体を並べて祀ってありますが、この度、光明如来様を御祀りする事になりましたので、地蔵様を仏壇に、御稲荷様を戸外に移さうと存じますが宜しうございませうか。
“この地蔵様ってのは石ですか?
“はあ、石でございます。
“そんなら外へ出さなくちゃいけませんね。稲荷には二つあってね、ずっと先祖からあるのは、先祖が畜生道へ堕ちてゐてこの家を守護してるんだから家の中へ祀らなければいけません。それから中途から祀った伏見だとか何だとかいふのはね、外へ祀るのが本当です。龍神は無論外ですね。そして龍神は何時も水を必要としますから、池を作るとか、小さい甕(カメ)に水を入れておくとかしなければいけません。之は早速やらなければいけないんで、床の間に祀ってあるんなら丼に水を入れてね、床の間においておきなさい、直ぐにね。――龍神ってのは体がとても熱するんです。一日に三回は水に入らないと熱くて苦しいんですよ。だから、小指位の太さの蛇だって、大きな蛙を呑んでこんなに腹のふくれる事があるでしょ?あんな大きなのでも溶けるんですからね、それだけの熱があるんですよ。龍神を祀る場所はね、庭とか空地とかへ二、三尺の高さの石の台をして、その上に御宮をおいて、その中へ白木の剣みたいな恰好をしたもの――之は仏具屋で作ってくれますよ――それへ龍神の名前を書き、その名前はそこの家の苗字か、或は土地の名前から一字取ればいゝですからね。又以前から名前があればそれでいゝんですが、そういふ風にして「何々明神」と書くんですよ。それから、その御宮の向きは、その家に、光明如来様を御祀りしてある時には、光明如来様の方へ向ける様にするといゝんです。観音様もそういふ風にして祀るといゝですね。それから御地蔵様を祀る場所は人の歩くきわがいゝですね。庭でも道があればその道の傍らに石を置いてね。石は天然石でいゝですから、その上に御地蔵様を安置したらいゝんですよ。
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“先日の夜、自宅に於て一心に御観音様を拝んで居りました所、突如として、丁度御観音様の左肩の辺りから掌大の御光がさして居り、ひれ伏して恐る恐る面を上げました所、御光が燦然として御掛軸の一面を蔽って居りました。この意味を御知らせ下さい。
“之はよくあるんで、信仰を増す様に奇蹟を見せて下さるんです。本当に御掛軸から御光が出るんで、たゞ書いてあるものと違ふって事がよく判るんですね。
“私は夢で教導所の観音様の御冠りから金色の御光が出てゐるのを見まして、それから二日目に全く同じ御光を、実際にこの目で拝見致しました。之はどの様な訳でせうか。
“之もさっきと同じですね、たゞ紙に書いただけのもんぢゃないって事を教へられたんですよ。だんだん霊界が昼間になると御光が強くなるんで、方々でこんなのを見る人が多くなって来てる訳ですね。
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“先日私が奈良へ出張中、私の教導所にて、大先生様の六十一才の寿の御色紙が左右に揺れたと申します。之はどの様な意味があるのでせうか。
“一人の者が見たんですか?
“いえ、そこに居た者が皆それを見ました。
“風もなかったんでしょ?
“はあ、左様でございます。
“えゝ、兎に角ね、いゝ事なんですよ。決して悪い事ではありません。屹度救はれた霊が喜んで知らせたんでせう。人間も勿論感謝しますけどね、霊の感謝ってたら大変なもんですからね。救はれた喜びを知らせたくて仕方がないんですよ。
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“或寺の和尚、夜寝ると夢ではなしに実際頭の所に地獄の霊がやって来て、救ってくれと言って泣くそうです。すると和尚はこわがって、滅茶苦茶に鐘や木魚を叩くのでその幽霊はやがて帰って行くとの事ですが、之はどうした訳でせうか。
“こんなのは地獄で非常に苦しんでゐる霊で、早く救って貰ひたいんですよ。鐘や木魚なんか叩かずに、御経を上げてやりゃいゝんですが、坊さんていふのは霊界の事を知らないから仕方がないですね。
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“理髪業の一信者、御神体に善言讃詞を上げますとお客が来なくなります。霊視の出来る人が見て申しますには、善言讃詞を上げると亡者共が数へ切れぬ程集って立ちふさがる為、お客も入れないとの事でございます。そこで、お客が絶える度に入口を開いて御浄霊を施しますと果してお客が参ります。然し之は他人に奇異な感じを与へるのですが如何致したら宜しいでせうか。
“之は本当ですよ。然し、亡者といってもいくらか因縁のある霊ぢゃなくちゃ来ないですからね。そして来るだけ来てしまへば終りますよ。そりゃあ、善言讃詞なんかは霊はとても喜びますからね。一心になって聞きに来るんですよ。それで救はれるとね、今度は救はれた霊が御礼しますからね、大変な事になるんです。だから発展するんですよ。そのまゝ続けなさい。
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“彼岸の中日に先祖の墓に御参り致しました際、一寸無縁仏にも御参り致しましたが、帰宅後娘を御浄霊致しますと、その無縁仏が懸って来まして、毎月二十一日に御経を上げてくれと申しました。之は矢張り毎月二十一日にそこへ行って善言讃詞を上げねばいけないでせうか。それとも家にゐて善言讃詞を上げるだけで宜しいでせうか。又二十一日以外に御墓参り致しました時、その無縁仏に御参りする事はいけませんでせうか。
“これは一々行かなくても、その方向に向ってその無縁仏にあげる気持でやれば、霊にはちゃんと判りますからね、それで結構ですよ。それから何時でも参ったらいゝですよ。それだけ功徳を積む事になりますからね。生きた人間を救ふのも肝心ですが、死んだ霊を救ふのも大いに肝心ですよ。実はその方が一層肝心ですよ。人間はなかなか理屈なんか言ってゝ判りませんが、霊の方はすぐに判りますしね。そして霊は一瞬にして何処へでも行けますからね。それで人にかゝって教へるんです。かゝってと言っても神憑りとは違って、そういふ気持にさせるんですよ。救はれた霊が働きかけると、「どうも観音教ってのはいゝ」なんて言ふ気持になって来てね、その中に「観音教はいゝんだ、とてもいゝんだ」っていふ風にさせますからね、霊を救ふ方が大きいんですよ。だから、無縁仏にも出来るだけ御参りしてやった方がいゝんです。
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“戦死した霊は御祀りしないと帰れないものでせうか。アッツ島で玉砕した霊はそのまゝ現地に残ってゐるとの事ですが、各家庭で既に御祀りしてある事と存じますのにどうした訳でせうか。
“無論、御祀りしなくちゃいけませんね。御祀りすれば早く帰れるんですよ。帰還兵が帰ってみて家がないと困るのと同じ理屈でね、居場所を作ってやる訳ですよ。だから一日も早く祀ってやった方がいゝんです。御祀りすると、その想念がアッツ島ならアッツ島に通じて、霊がそれだけ向上するから早く救はれるんですよ。丁度、ソ聯にゐる残存者が、こっちで帰還促進運動をすると、早く帰れる様なもんですよ。
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“或る信者、霊眼が開けて居り、火龍の飛ぶのを見たと申します。その火龍は眼が飛び出てゐて真赤だそうですが、或日それが自宅のかまどの所にゐるのを見ましたが、大先生から火龍は火事を起すと伺って居りましたので、驚いて教導所の先生に善言讃詞を奏上して頂きました所、その火龍は丸くなって暫くしてから逃げて行ったとのことです。又、或る時は御掛軸を御祀りしてある部屋に火龍が沢山飛んで居り、御文字から出る御光に当るのを恐れて右往左往してゐたそうですが、この様な事は本当でせうか。
“之は本当ですね。火龍っていふのも沢山あっていろんな形に見えるもんです。こゝにある事は本当でせうね。――あの火事で飛び火するでしょ、あれなんか矢張り火龍ですよ。
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“信仰雑話に、「現界のあらゆる事象は霊界の模写である」と拝見致しますが、最近の打続く大火は霊界に何か起ってゐる事を示すのでせうか。
“大火の原因は浄化でしてね、いろいろな穢れてゐるものを焼かなくちゃいけない、之はどうしても焼かなくちゃいけないんで、焼く前に霊界で先に焼くんですよ。―― こうやって御浄霊をして痛みがとれますね。之は先に霊の曇りがとれるからなんですよ。之をやってすぐに治る人と、暫く経ってから治る人とありますね。之も今の模写と同じでね、霊界でも今日起って今日すぐに現界に映る事もあれば、今日起って明日映る事も、あさって映る事もあるんですよ。そして年々その映り方が早くなりつゝあるんです。五六七の御代は霊体一致の時代ですからね、霊界の事がすぐ映りますよ。昔は之がとても遅かったんです。今迄は悪い事をしてもなかなか見つからなかったから、「あいつうまい事をしてやがる、一つおれも」って訳で悪い事をしてたんですが、これからは見つかるのが段々早くなるんです。今日悪い事をしても明日には必ず見つかる様になる、もうそうなると馬鹿々々しくて悪い事をしなくなりますよ。悪の知れ方の早い遅いで、悪がなくなるか起るかって事になるんです。
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“私は御浄霊の際、手の振り方を左進右退の方向にやって居りますが、昨年十月頃より右手が冷たくなり二、三人続けて御浄霊致しますと背中が寒くなります。最近は暖かくなったためかそれ程寒くは感じませんがこの意味について御教へ下さい。
“左進右退なんかにしなくていゝんですよ。私はこんな事言ひませんよ。誰かゞ勝手に想像してそう言ったんでせう。実は、手を振らないで、じっとこうしてるだけでもいゝんです。(御手を静止せられる)たゞね、こうやった方が、(僅かに御振りになられる)奥へも通るし、狙ひもつけ易いからやるんですよ。こんな、左進右退なんかにしたら却って成績が悪いですよ。ごく僅か振ればいゝんです。冷たくなるってのもそのために冷たくなるんでせう。矢張り間違った事をやってると御知らせがあるんですよ。浄霊すると暖かくなるのが本当ですからね。
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“御浄霊の際、時々掌が熱くなりますが何故でせうか。又、悪い所が判る人がありますが之はどういふ訳でせうか。
“こうなるのが当り前なんですよ。この掌に火素がずんずん集って出て行くんですからね、あったかくなる程いゝんです。私なんかとても熱くなりますよ。よく浄霊を受ける人が「熱ッ」っていふ事がありますよ。特に悪い所の判る人は鋭い神経の人なんですね。六感の感じが敏感なんですよ。これは或程度は修行しても判りますがね。然し、ゆっくり御浄霊する場合はいゝけど、幾人も次々と来る場合はそんな事言ってられませんよ。私はそんな事はしませんね。ですから、判らないのが普通なんです。
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“感じる人が死んだ人に手を当てた所、それから暫くの間感じがなくて、その後又「ボッボッ」と感じる様になりましたが、之はどういふ訳でせうか?
“然し、それは又どうした訳です?何も死んだ人に手を当てなくてもいゝでしょ?死体にぢかに触るのはいけませんよ。それを神様が戒められたんでせう。やはり「死穢れ」って言って、一つの霊的の穢れですからね。霊が抜けて肉体ばかりになると、人間とは違ふ一つの物質ですからね。昔は喧しく言ったもんですよ、「死穢れ」ってね。それに対してゞすね、浄霊っていふのは神聖な事なんで、浄霊する時は神様の代理をしてゐるんですからね。死穢れがとれない間に手を当てるっていふのはいけませんよ。
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“死の二、三日前或は数日位前に招かれて御浄霊致します場合、肉体は救へなくても霊を救ふにはどうすれば最も宜しいでせうか。
“浄霊ですよ、浄霊すればいゝんです。それから、善言讃詞と御讃歌ね、あれを上げるんですよ。そうすると霊界へ行って非常にいゝですよ。地獄に行くべき人が八衢(ヤチマタ)になったり、八衢のが天国に行けたりして、大変な救ひになりますよ。
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“生後八ケ月の子供、高熱が続き御浄霊一週間にて死亡、その祖父が教修を頂く筈で居りました所、その子の死亡した翌日列車事故にて死亡致しました。之は霊的でございませうか。
“これは余程罪が多いんですね。罪が多い為に教修を受けるには早すぎるんですよ。教修を受けられるって事はもうそれだけの資格が出来てるって事ですからね。それから又、こんな風にも考へられますね、教修を受けると困るっていふ邪霊がゐるんですね。そしてこっちにも邪霊に命をとられるだけの弱さがあるんですよ。だから已むを得ないんですね。よく、邪霊がいろんな事をして苦しめますからね。苦しめられるってのは苦しめられるべき資格――これは悪い意味での資格ですが――があるんですよ。だから、一方的にのみ悪いとは言へないんです。両方一致するものなんですよ。
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“私の妻は昨年十月に御光を頂きましたが、信仰を嫌ひ御光を外してしまって胸にかけません。何故御光を頂いたのかと訊ねますと、一時逃れに受けたのだと申します。妻の反対をそのまゝにして宜しいでせうか。又妻を信仰に導くには如何致すべきでせうか。
“これはあせったって駄目ですよ。この奥さんに邪霊が憑いてゐるんで、それが反対するんですからね。兎に角そういふ因縁なんですから、強制するのはいけません。 御光も、本当にかけたいからかけるって言ふんぢゃなくちゃいけません。かけたいって言ふのは邪霊の勢が弱まったって事ですからね。これはね、このまゝにしておきなさい。何だかんだって言はないでね。信仰しようとしまいと勝手だっていふ様にしてればだんだんいゝ様になりますよ、その中にね。
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“度々の御浄化にいつも厚い御守護を頂きまして誠に有難うございます。感謝の余りこの御道で御手伝ひをと存じ、愈々始めようと致しますとすぐ邪魔が入ります。主人には別に一人の女性がありまして御光も頂いて居りますが、この女は御道の事がどうしても判りません。主人も教修を受けてゐて御道に理解は持ってゐるのですが、少し私が外へ働きかけるといけないと制止致します。この度長男と共に一心に働かせて頂きたいと決心致しました。御守護の程御願ひ申し上げます。
“之は簡単にはゆきませんがね、あせらないで気永にやってれば、うまくゆきますよ。つまり御主人の副守護神が邪魔をするんですからね、主人公によくあるんですよ。この道を知って、之は非常にいゝ事だって宣伝する。処が御自分は一寸もこの御道に入って来やしない――こんな人には屹度二号がゐるんですよ。これは何故かっていふと、この道に入ると二号なんかおけなくなるから、それが怖いんですよ。
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“私は昨年女子分娩後、慢性子宮炎となりあらゆる医療をつくしましたが全然治癒せず、一家悲歎にくれて居りました所、九月より御救ひを頂きまして有難うございました。主人は初めはとても喜んで居りましたが現在は御浄霊に反対で、私が一寸観音様の御話をしてもすぐ暴力沙汰に及ぶ程で、観音様には益々反対し、時々恐ろしく思はれる位でございます。之は如何致したら宜しうございませうか。
“これは御主人に或る霊が懸ってゐて、それが御光をこわがってこの道に反対するんです。よくある事ですよ。こんなのは時期を待つより仕方がないですね。時期が来ると邪魔してる霊の力が弱くなって来ますからね、弱ってしまったり、抜けてしまったりすれば大いに賛成する様になりますよ。だから、それまで待つんですね。この霊は生き霊の場合もありますがね。……
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“私の姉は十八才の時精神病となりましたが、昨年八月、光明如来様と御屏風観音様を御祀り致しましてから大変よくなりました。御守りを頂く様にすゝめますと「私は要らないよ」と申します。御守りを頂かせるには如何致したら宜しいでせうか。
“狐が憑いてると御守りを嫌がるんです。受けさせても捨てたりしますから、それに気をつけてしなければいけませんね。
“御浄霊も大変嫌がります。
“そうでせう。こんなのは無理にしないでね、眠ってる時なんかにするんですよ。だましだましやってゆけばその中にだんだん狐が弱って来ますよ。
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“私の実家の姉は気が違って間もなく死亡致しましたが、気が違ふ前に私生児を生みそれを殺して庭に埋めて隠して居りました。(後に掘り出しました)その為か実家の長男は死亡し、嫁に行った長女も死亡致しました。光明如来様を御祀り致し度いと存じますが、実家の妹が観音様に大反対で困って居ります、御守護を御願ひ申し上げます。
“これは、その家の人が一人でもこの信仰に入って徳を積んで、光明如来様を御祀りすればだんだんよくなりますよ。之は矢張り祟ってるんですね。体は掘り出しても、霊は地縛の霊となり、永い間そこに居て祟りますからね。一人で淋しいもんで、友達が欲しさに自分の所に連れて来るんですよ、それで死ぬんです。御光によれば地縛の霊の成仏が早くなりますからね。成仏してしまへばいゝんです。地縛の霊はその土地には三十年間は居るって言ひますがね。――
“丁度三十年経った所でございます。
“ぢゃあ、もうそろそろ原則から言へば遠のく訳ですがね。――然し、その霊の執着にもよりますからね。それにこんなのは永いですよ、人を殺してますからね、その罪によって永く苦しむんです。そして、よくこの霊を供養してやったり、子孫が徳を積むとこの期間が早くなるんです。私なんかゞ行くと一遍ですよ、光によってね。……
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“私の姉(教修を頂いて居ります)が嫁に行った先の舅は霊友会に熱心で、家の不和は仏を集めて祀り御題目を唱へれば消えると申して盛んにすゝめますが、私宅では、光明如来様に御縋りしてればそんな御題目は唱へなくてもよいと申し、姉は板挟みとなって困って居りますが、如何致したら宜しいでせうか。
“舅さんぢゃ目上だから、舅さんのやる通りやればいゝですよ。素直に言ふ事に従ってね、決して抵抗しちゃいけませんよ。無抵抗主義で気持よくさせとくんです。そうしといて時期を待つんですね。霊は已むを得ない事なら承知してますから、決して障るなんて事はありませんよ。若し障るとすればその舅さんに障りますよ。いゝものはいゝ、悪いものは悪いんですからね。時期が来ればちゃんと思ふ様になりますよ。だから「時節を待つ」っていふ寛容の精神が必要ですね。
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“本家は昔から真言宗だったのが最近霊友会へ宗旨替へを致しました。分家は本教信者となり、光明如来様を御祀りして居りますが、之はそのまゝで宜しいでせうか。
“いゝですよ。霊線を伝はる事によって今に本家も変って来ますよ。然しこんな風な宗旨替へをすると先祖が怒るから、この本家にろくな事はないですよ。先祖が腹を立てゝ何かやりますからね。それで気がつく様になって来るでせう。
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“祖父祖母と他一名計三名連記の位牌がありますが、之はこのまゝで宜しいでせうか。それとも別々にした方が宜しいでせうか。
“まあ、連記でもいゝですよ、別々にしなくてもね。
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“戒名が余り簡単なので改めたいと存じますが、寺に頼んで改めて貰って御祀りして宜しいでせうか。
“別に差支へないから、まあいゝですがね。戒名は長い方がよくて、短いのはよくないって言ひますが、然し、戒名が短いから霊界で位が低いって事もないし、長いからってその為に霊界で高いって事もないんで、霊界では結局その人の罪穢れによるんですからね。まあ、こんな事はそれ程必要がありませんね。却って現界で金持の人なんか大抵は無理して金を拵えてますからね、罪が多くて霊界で身分の低い人が多いんです。幾ら金をかけて長い戒名を貰ったって、やっぱり低いのは低いんですよ。
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“キリスト教では、戒名はございませんが、洗礼の時のクリスチャンネームで宜しいのでせうか。
“仏教っていふのは経の教へですから、つまり霊界を重視するんです。それに対してキリスト教は緯ですから全然違ふんです。西洋の霊界はそうなってゐるからそれでいゝし、それから日本の霊界にもキリスト教の霊界が出来てますからね、戒名をつけなくてもキリスト教の人は差支へないんですよ。戒名をつけられて仏教で祀られると却って迷惑な位なんです。所がキリスト教に入った人で、今迄の先祖を祀らないと、先祖は困っていろいろ知らせようとするんです。だからキリスト教になっても、仏様だけは従来の通り仏壇に祀っておくべきですね。
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“或霊の言によると、人間の生れ変りの際にはその人の性質の中幾分かゞ備って生れるのだ。例へば十あるその人の特性の中五乃至六が備って生れるのだと申しますが之は本当でせうか。この場合は霊の分霊といふ事にもなるのでせうか。
“霊の特性が多くなったり少くなったりするって事はありますよ。それから分霊って事は人間の霊にはないんです。神様の方は高級になる程分霊しますがね。それから狐は丁度分霊する様に思へますが、分霊ぢゃなくて眷族が沢山ゐて、之が方々に懸るから一寸分霊の様に思へるんですよ、本当は分霊しないんです。それから霊ってのは一瀉千里に行きたい所へ行くんです。三軒で御祀りする時は三軒に行くし、十軒で御祀りする時は十軒に行くんですよ。だから之も分霊する様に見えるんですが、人間の霊は決して分霊するもんぢゃないんです。
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“犬神に憑かれた人を御浄霊してくれと頼まれましたが、御浄霊の方法を御教へ下さい。又、犬神とは何でせうか。
“犬ですよ。丁度ね、蛇の霊っていふと言霊が悪いから龍神って言ふ様なもんで、犬の霊って事を犬神といふんですよ。又、こういふ風にいゝ名前をつけると悪い事が出来なくなるんです。浄霊は前頭部が一番です。それから首の廻りですね。犬神は治りますよ。犬神が治って立派な教導師になり今盛んに働いてゐる人がありますよ。
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“二十三才の娘に犬神が憑きましたが、之はその父が村の組合長で昨年の米の供出量を決定致しましたが、村民某が不公平だと言って非常に怨み、犬神に願をかけその娘を殺してくれと祈ったので、その犬神は殺そうとして憑いてゐると申します。いかに話をしても聞き入れず御浄霊致しますと苦しがります。が、構はずに御浄霊を続けました所、心経を上げてくれと申しますので家族が心経(般若心経)を三回上げました所、苦しみは治り平常になりました、この犬神とは何でせうか。
“これは犬ですよ。人間が畜生道へ堕ちて犬に生れてる奴ですよ。この人は信者ぢゃないんですか?
“はい、信者ではございません。
“ぢゃ信仰に入るより外に方法はないですね。そして、光明如来様を御祀りすれば、そういった霊は憑依して居られなくなりますからね。この「心経を上げてくれ」ってのは、自分が好きで始終上げてゐたんでせう。
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“兵庫県の或人を御浄霊致しました所、その人があとで申しますには、後ろから霊射されてゐる時、腹部の前方に長さ一間位の細長いものが光って見え、それがうねって居り、頭が腹に入ってゐて尻尾が向ふ側だったとの事でございますが、之は龍神でせうか。
“無論、龍神ですね。長さ一間位っていふからなかなか大きいんですね。之は二つ考へられますが、一つは浄霊されると苦しいんで出ようとするんだけど、出られなくて頭だけどうしても抜けないんです。それともう一つは、龍神自身が浄霊して貰ひたいといふ事もありますよ。悪い龍神は黒いんですが、之は白いっていふんだからいゝ龍神ですね。だからこの場合は、浄霊をして貰ひたくて来てる――と考へたらいゝですね。
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“私宅の牝鶏(メンドリ)が二ケ月程前から卵を生むのをやめて雄鶏(オンドリ)の如く鳴きますので浄霊致しました所、この頃では二三声しか鳴かぬ様になりました。之はどういふ訳でせうか。
“はゝあ、鶏の方も男女同権になったかな。(爆笑)こういふのは生れつき両性でせうね。で、もう女の方が済んだんで男の方になっちゃったんですね。人間にも両性はありますからね、鶏にもない事はないでせう。これは精虫が男と女と合併密着した関係だらうと思ひますね。人間の場合には、前世で女だったのが男に生れ変るとか、男だったのが女に生れ変るかして、それがはっきりしないで中途で大きくなった為なんですがね。(御光話録第三号及び第四号参照)
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“人に頼まれて牛の鼻通しをやって居りますが、今後も続けて宜しいでせうか。
“差支へないですよ。相手が動物ですからね。人間ぢゃたまりませんがね。(笑声)
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“丑満時(ウシミツドキ)に万物は生育すると申しますが事実でせうか。
“こんな事はありませんよ。却って反対に万物は萎縮するでせう。だから「丑満時には棟木が三寸下る」って言ふし、「草木も眠る丑満時」って言ふんですよ。すべてのものは日光を受けて生育するんですよ、夜中は休んでるもんです。
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“俗に丑満時と申しますが、午前二時から四時までのこの時刻は霊と人間との間に何か特別の関係があるものでせうか。
“ありますよ。つまり、丑満時っていふのは一昼夜の中で一番静止した時なんです。「草木も眠る丑満時」って言って草木も眠る位だから、すべての活動が絶えるんぢゃないけど、ごく少なくなった時ですね。だから人間だけぢゃなくて、あらゆるものに影響がある訳なんです。人間にすれば一番安眠の出来る時間なんで、神様がちゃんと寝るための時間を作ってゐて下さるんです。「人の道」ではそういふ事がとてもやかましくて、太陽が沈むっていふ事は人間が眠るっていふ事だと言ってとても早寝だし、又太陽が出るって事は人間が起きて働く様にっていふ事だといって恐ろしく早起きなんです。然し、まあ実際にはそうは行かないから、そこん所は臨機応変にやるんですね。あまり朝寝坊は勿論いけませんが、そんなに早く起きて馬鹿に早く寝ちゃうっていふ訳にも、今の文化生活ではいかないでせうからね。
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“私の子供、現在五才ですが二才位の智能しかありません。只今住んでゐる妻の実家は数百年の家系をもつ名家ですが、過去八年間にこの家で六人の人が次々死亡致しました。私の子供の特長は、少しも外へ出て遊ばず非常に鶏や兎をこわがります。私共は全然気附かぬ程遠くに鶏や兎がゐてもこわがって泣き出します。又、いくら年を覚えさせようとしても「オカアチャン」とのみ申して外に何も言ひません。近所の人の話では、この附近は昔戦場であって、私共の家の下には沢山の白骨が埋まって居て亡霊が迷って居り、それに憑かれて悪因縁が循環するのだとも申します。先月、光明如来様を御祀り致しましたが、今後如何致すべきでせうか。
“実際、戦場の跡なんかにはよくこういふ事はありますよ。こんなのは供養してやるといゝですよ。その附近に石碑を建てるんですね。よく、「三界万霊供養」なんて石碑があって、観音様が彫りつけてあったりしますがね、そういふ意味なんですよ。若しそんな場所がなければ自分の家の仏壇に位牌を拵えてね、「三界万霊之供養」――「三界万霊之救」でもいゝ――そう書いてね、祖先の位牌より大きいとまづいから祖先のより小さくして、仏壇の端の方において供養するんです。それでもいいですよ、そうして、光明如来様に御願ひすれば大変な救ひになりますよ。この鶏や兎をこわがるっていふのは、鶏や兎に被害を蒙って死んだ霊ですね。で、その時のこわいのがしみついてるんですよ。二才位の智能っていふんだから、二才位で死んだ霊なんでせう。その子供はお母さんの留守にでも寝てる時に、鶏が上って来てつっつき、そこへ兎がやって来て又御馳走にあずかって殺された――とそんな風に考へていゝでせうね。その時の恐怖がとりきれぬ中に生れて来たんですよ。子供が死んだ時親が余り執着すると、それに引張られて早く生れ変ってしまふんです。そういふ子供は困るんで、結局親を苦しめるといふ結果になるんでね。死んだ子供は早く忘れた方がいゝんですよ。
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“N市近郊の或場所ですが、最初そこに家を建てた一家四人の中三人相次で死亡、次にその家に移った一家は三人の中二人死亡、三代目も二人死亡し一人は病気になりました。そこには元、池も大木もありませんでしたので、どの様に御祀りしてよいか判らず困って居ります。御神体を御祀り致しますればそこに住んでも宜しいでせうか。
“之は何か祟ってるんですね。このまゝぢゃいけませんよ。まあ、水があれば龍神ですが、水がないなら古戦場だとか、沢山人殺しのあった所だとかですね。地縛の霊がゐる場合、建物なんか建てられると苦しいんです。普通のならそれ程でもありませんが、特に執着の強いのとか、怒りっぽいのとか、それから地龍の場合もあるんです。或る一画を住居にして地の龍が住んでる場合、そこに家なんか建つと邪魔だから怒るんです。兎に角、この家は早く撤去しろっていふ意味ですよ。だからその家を移す事ですね、少くとも二、三十間離れた所にどけばいゝでせう。所がどうしてもそんな事が出来ない様な場合には、光明如来様を御祀りすれば夢で御知らせのある事がありますから、御知らせがあればその通りにすればいゝし、又なくても、次第にそこの霊が救はれて行きますから、暫く経つ中に解決しますよ。
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“五十七才の男子、昨年十二月上旬納屋を改築し、その折に桧を使ひました。それと同時に病気になり医師の診断では幽門狭窄(ユウモンキヨウサク)との事ですが身体は衰弱する一方です。最近御浄霊を始めましたが胃の左部に一箇の玉の様なものがあり御浄霊すると動きます。之は何故でせうか。
“これはいけませんね、納屋なんかへ桧を使っちゃあ。納屋へ桧を使ふなんて大変な間違ひですよ。桧ってのは神様の御住居だとか、何かそういったものに使ふ可きものです。先祖が之をたしなめてるんですよ。早速納屋を改造するんですね。用材は杉でも松でも、桧以外なら何でもいゝですからね。
“光明如来様をその家に御祀りしても、やはり……
“光明如来様を御祀りしたって駄目ですよ。神様としても間違った事をしてれば御許しになりませんからね、こんな場合は却って先祖に賛成なさいますよ。喰べ物でも何でもそうで、すべて相応の理なんですよ。木と雖も神様がちゃんと区別して居られるんですから、それを踏み違へちゃいけません。
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“廿二才の男子、十三年前より全身不随となり一日に五、六回発作を起します。二ケ月程御浄霊を続けました所、最近は本人も家の人も入信し、最近は物を喰べるのもとても楽になって参りました。先日御浄霊致して居りますと、右の胸の辺りから線香の煙が出てすっと昇って行きました。之はどんな意味でせうか。
“之は中風ですね、中風の霊が憑いたんですよ。二十や三十で本当の中風になるなんて事はありません、どうしたって四十以上ですからね。若い人や子供がこんな風になるのはみんな霊ですよ。五、六回発作を起すってのは、だからその為ですよ。線香の煙が出たってのは面白いですね。これは霊界のそれが見えたんで、ない事はないですね。之はやはり霊が救はれた事を知らせたくて知らせたんでせう。今迄は線香のある所と霊のゐる所と段階が違ってたんですよ。八衢(ヤチマタ)あたりに行くと、霊はやっと線香に届くんですね。――神様が来られると非常にいい香りがするもんですがね。
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“或る信者二年前に御神体を御祀り致し、それと同時に、それまで永い間祀ってゐた稲荷を処分致しました所、その後不幸が続くとの事でございます。本人は又稲荷を祀りたいと申して居りますが、如何でございませうか。
“これはすぐに処分してしまったんですね、それがいけないんですよ。だから私何時も言ふんです、光明如来様を御祀りしてから一、二年か二、三年位経ってから処分しろって、もう何遍も言ってるんです。やっぱり神様は愛ですからね、必要がなくなったからって一ぺんに御断りしちゃふのは、この狐だって今迄一生懸命にその家を守って来たんですからね、やっぱり道に外れますよ。邪神ならそれでいゝんですよ。邪神なら構ひませんがね。然し普通のだったら、そんな薄情な事をすると御利益だって薄いですよ。けど、再び祀るっていふのも一寸面白くないが、――まあ、祀り方を簡単にするんですね。古い御宮は捨てゝしまったんでせうから、新しいのでもいゝし、小さくてもいゝから、もう一度御呼びしてよく御断りするんですね。
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“三十年前、八才の時眼を患ひ、稲荷の信仰により治りましたが、一年前から両眼共に失明してしまい、種々の医療によるも治る気色なく、頼まれて頭部を御浄霊中眼から白いものが飛び出しました。この様な病人の御浄霊は如何致したら宜しいでせうか。稲荷は元の所に祀ってあります。
“之は稲荷はそのまゝにしといた方がいゝですね。失明したのは稲荷の為かどうか判りません。稲荷は祀ったんだから悪くなるって事はありませんよ。蛇の霊は失明させる事がありますがね。之は稲荷の為ぢゃないと思ひますね。失明した人でも間違った療法さへしてなければ訳なく治りますがね。この人もきっと間違った療法の為に固まったんですよ。だから気永に浄霊するんですね。眼はね、眉毛の上とこめかみと、それから眼の悪い元は延髄ですからね、そこをよくやれば固った毒がとれるに従ってよくなりますよ。
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“七才の女児、小児麻痺を患ひ半年前より御浄霊致し居りますが、その家族は未だ入信して居りません。所が最近その妹も姉と同じ様な状態となり妙な恰好をして歩いて居ります。之は姉と霊的に関係ありませうか。又家族を導くには如何致したら宜しいでせうか。
“之は症状を書かねばいけませんね。医者が小児麻痺といってもいろんな症状があってね、霊的のと体的のとありますからね。どんなんです?(御返答なし)この次詳しく書いてらっしゃい。
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“七才の男子、眼が光り薮睨みの如き目つきにて、医師は十万人に一人の眼病であり手術せねば二ケ月以内に死ぬと申します。その兄(三十一才、教導師)は御浄霊にて治すと断固言ひ張り、その母親は手術させようとして相争って居ります。母親を理解させるには如何致すべきでせうか。
“厄介ですね、こんな反対をするのは。然し眼が光るってどんなのか説明して貰はう。どこが光るんです、瞳が光るんですか?
“はあ。
“で、健康状態はどうなんですか?
“異常ありません。
“で、どうして医者は二ケ月以内に死ぬって言ふんですか?
“脳へ来て死ぬと申します。
“脳へ来てね、はゝあ、そんな事はありませんよ。脳から眼へ来る事はありますがね、逆は絶対にありませんよ。真理に外れてますよ。之は最近こうなったんですか?
“はあ、そうです。
“ぢゃ、治りますよ、生れつきぢゃないんだから。その母親ってのは幾つ位です?
“八十才位です。
“八十位、字は読めるんですか?
“はあ。
“ぢゃ、本を読ませなさいよ、「地上天国」の「おかげばなし」でも。
“読んで居ります。
“読んでも信じないんですか?
“だんだん御縋りする様になっては来たんですが、医者から二ケ月以内に死ぬと言はれたもんですから――
“あゝ脅かされたんですね、罪ですね。(前項の人と名前が一致してゐるのを御覧になられて)前の、この小児麻痺ってのはどんなんですか?
“腰から下が立てないんですが――
“腰から下が立てないって、グニャグニャなんですか?
“はあ、そうです。
“あゝ之は蛇の霊ですよ。妹も同じなんですか?
“姉の初めの頃と同じでございます。
“同じね、ぢゃ何匹もの蛇ですね。治りますよ。之は。少し気永にやってれば治ります。
“家族の者が容易に信じないもんで困ってるんですが――
“当り前ですよ。あんたも余り押しつけない方がいゝですよ。これが相当に治って走れる様にでもなったら、向ふが自然について来ますよ。それがほんものです。で、目が光るのは眼は見えるんですか?
“いえ、全然見えません。
“見えない?ぢゃ、見えない事を書かなくちゃいけないぢゃないですか。先には見えたんですね?
“はあ。
“どっちもですか?
“いえ、右の眼だけです。
“それも書かなくちゃあ。薬は相当さしたんですか?
“一本眼球注射をしたと申します。
“それは注射する前からもう見えなかったんですか?
“はあ。
“はゝあ、でも一本だけですね。――こんなのは何でもない、ぢき浄霊で治るんですがね。どれ位浄霊してるんです?
“三ケ月です。
“三ケ月! それでどうなんです?
“少し光るのが薄くなった様です。
“少し薄くなった。この眼の上の方をよくやらなくちゃいけませんよ。之は治りますよ、請合ってもいゝですよ。浄霊を続けて御覧なさい。
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“半身不随だった祖母を半年前から御浄霊致しました所、非常に怒りっぽい性質だったのがとてものんびりした気性になり、祖母が怒る為に暗かった家庭も明るくなって参りました。所が先日月並祭の二、三日前から又以前の様に怒り出し、水を驚く程飲みたがります。之は霊的でせうか。
“霊的ですね、之は龍神で救はれないのがかゝって来たんですよ、救はれたいもんだから。浄霊を続ければ治りますよ。もう霊界が切迫してるんで、これからもこんな風にかゝって来るのが沢山ありますよ。
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“四十六才の女、子宮癌にて多量に出血し昨年十月より御浄霊致し居りますが、腰痛甚だしく食欲減退し日々衰弱し就寝する様になりました。この御浄霊法を御教示下さい。
“之は腰の方に毒があるんですよ。本当の子宮癌ぢゃないですね。この多量出血ってのは月経の固りですよ。之は平均浄化で熱をもって、その熱の為に食欲がなくて衰弱するんですよ。腰をよく浄霊すればいゝんです。こんなのは訳なく治る筈ですがね、霊力が足りないんでせう。
“はい、させて頂いて居る人は始めてから余りまだ日数が経って居りません。
“そうでせう。大元は腎臓ですよ、腎盂(ジンウ)の裏側の方に固りがありますからね、そこを充分するんです。何でもなく治りますよ。
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“昭和廿二年八月より発熱し、肋膜との診断をうけ約一ケ月にて治癒、又廿三年一月に再発し、今度はカルシュウム注射を三十本うちレントゲン療法を用ひて治りその後経過がよかったのですが、六月に入信し、本年三月十八日に光明如来様を御祀り致しました所、その後激しい腹痛下痢を伴ひ、食欲なく、昨今は甚しく胸が痛み多量の痰が出て衰弱致して居ります。右の御浄霊法を御教へ下さい。
“浄霊すると固まったのが溶けて来るのでこうなるんです。そして溶かして出さなきゃ本当には治らないんです。たゞ、その為に体が衰弱するのがこわいんですね。だから衰弱しない様に工夫しなくちゃいけない。それには野菜がいゝんです。栄養ってのは野菜ですからね。肉や魚は元気をつけるもので、栄養と元気とは違ひますからね。菜食にするとおとなしくなりますが、体にはとてもいゝんです。動物性の食物は衰弱を増しますからね。之は気をつけなくちゃいけない。こんなのは浄霊する人にうんと力があるとどんどん治るからいゝんですが、力が弱いと衰弱が永びくんで困るんです。だから、そんな時は浄霊も衰弱させない様にゆっくりやったがいゝですね。こゝの所は非常に難しいんですよ。
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“私の兄は本年一月中旬喉頭結核と判明し、ストレプトマイシンを五箱打って平熱に戻りました。此の度本教を知り、御浄霊によって治りたいと存じて居りますが、御救ひ頂けますでせうか。
“大丈夫ですよ、これは。然し一時抑へたんだから又熱が出ますよ。ストレプトマイシンてのは私よく知りませんが、屹度大丈夫でせう。熱が出て、毒が咳や痰になって出れば治りますよ。それだけ心得てれば何でもないですよ。
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“昭和廿年十月に出産致しましたが、出血甚だしく四時間後に内膜掻爬(ソウハ)を為し、それから病床について医療を尽しました。その後痔を病み腰湯をしたり高貴薬を飲んだりしましたが益々悪化し、耳鳴りと頭痛が甚しく少し動いても血が下り動く事が出来ません。この場合御浄霊はどの様に致すべきでせうか。
“一番は頭と首の周りと肩ですね。少し気永にやれば治りますよ。こんなになったのはみんな薬の為ですよ。
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“廿六才の男、四才の時ひどいおできが出て医者で一応治りましたが、やがて背中に瘤の様な塊りが出来、身長は四尺以上には伸びず視力も次第に衰へて参りました。昨年十月より御浄霊を頂き本年一月に入信致し経過は非常に宜しうございますが時々激痛が起ります。之は治りませうか。
“きっと治りますよ。痛みのあるのは必ず治ります。痛みは浄化作用ですからね。痛みを起す位ならきっと治りますよ。これは頭の、眼の上の方と、後ろの延髄とをよくやるんですよ。眼が見えなくなるのには毒血と貧血と両方ありますからね。上の方から毒が下って来て見えなくなるのと、後ろから圧迫されて貧血しちゃって見えないのとね、近視なんてのはそうで延髄をやれば治りますよ。それから、この激痛もだんだん減って来ますからね。又、瘤の様な塊りっていふのは毒を抑へたから固まって背中に出たんですよ。背が伸びないのもその為ですよ。背が伸びるのは脊柱の働きですからね、その脊柱が瘤の為に活動を止められてるからいけないんです。二十六ぢゃ少し遅かったですね。でも、ちょっとは伸びるでせう。
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“十三才の娘、三才の時左足関節の脱臼を発見しましたが病弱の為手術せず、現在右脚が発育不全で短かうございます。先日再びレントゲンで脱臼を確認致しましたが、今からでも手術すべきでせうか。又御浄霊は如何致すべきでせうか。
“手術しても駄目ですよ、却って悪くなりますよ。そして脱臼っていっても随分間違ってる事があるんですよ。脚をずっと指で圧して行ってごらんなさい、きっと痛い所がありますよ。毒の為に痛んで足の裏が充分つけないとね、足を使はない事になって、その為にやせて発育しないんですよ。痛い所がなくなると足が全部つける様になるから発育して来ますよ。脱臼なんてのは殆どないんですよ。そりゃあ、高い所から落ちたり、物凄く引張られたりすりゃあ、脱臼する事はあるでせうがね。普通何でもないのに脱臼するなんて事はありませんよ。
(光話十一号 昭和二十四年八月二十一日)