御 光 話 録 第九号

“入信しても邪神の虜(トリコ)となり、又熱心な信者でも邪神に引かれる傾向がある様に存じますが、この様な所での教導師の心得に就て御教示を御願ひ申し上げます。

“これはね、邪神に負けるとか、引かれるとかいふこの人の心が間違っているんです。邪神かどうかって事は人間には判らないんですよ。神様でないと判るもんぢゃないんです。だから、こんな事をいふ人は神様の地位を冒してるんです。つまり「裁いてゐる」んですね。キリスト教の聖書にも「裁く勿れ」ってあるでしょ、それですよ。邪神が憑いてるかどうかって事は決して人には判らないんで、却ってそういふその人が或は邪神かも知れない。だからこんな事は絶対に言っちゃいけないし、又言へないんです。こんな人は、自分の気に入らない人はみんな邪神にしてしまふもんですよ。所が邪神だなんて言はれる人で、馬鹿にいゝ働きをする人もあるものです。又誰が見てもいい人であっても、実は反対の事もありますしね。だから神様でなければこういふ事は判らないんですよ。神様はいろんな人を使はれますからね、芝居と同じ様なもんで、善人許りでは芝居にならないんです。そして、しんからの邪神と、邪神に憑かれている人とは違ふし、それから邪神の眷族といふのも何十万、何百万となくゐるんです。つまり、主神(スシン)の下に陰陽の神がこういふ風にあるんです。(御煙草三本で―〈の形を御示しになられる)こっちが善で、こっちが悪ですね。そうしておいて地上の経綸をなさるんです。だから「主神に善悪なし」で善悪無差別、正邪一如って言ひますがね、ほんとに正邪が判らないんです。所が、之一方だけぢゃ又いけないんで、はっきりと厳しく、善をすゝめ、悪をしりぞける面もなくてはいけない。そこで観世音菩薩っていふ御方は悪を咎めず、善悪無差別に救はれるんですが、観音様の御本体の国常立尊は絶対に悪は許さないんで、閻魔大王ともなられて審判をされるといふ厳正司直な神様なんです。つまり経(タテ)ですね。観音様の善悪無差別の方は緯(ヨコ)ですよ。その一方だけに片寄ると仕様がないんです。この二つの面がなくてはならないんで、時と場合、そして相手によって千変万化して行くんです。

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“徳を積むとか、徳のある人とか申しますが、この「徳」とは何でせうか。又陰徳を積むとは何の事でせうか。

“徳ってのは人の為とか、世の中の為になる事をすること――それが徳になるんです。これを沢山やる事を徳を積むって言ふんです。そして、徳を積むには御浄霊によったり、この信仰に導いたりするのが一番いゝんです。金をめぐんだり、慈善を施したりするのは一時的でね、永続性がないんですよ。だから、人を永遠に救ふ信仰に入れる程、徳を積むのにいゝ方法は他にないんですよ。徳を積むと大勢の人が感謝しますからね。その感謝の光でその人の霊が太り、霊の栄養になるんです。神道の祝詞に「御霊(ミタマ)のふゆを幸倍(サキハヘ)給へ」ってのがありますがね、「ふゆ」ってのは「殖える」で太る事なんです。太ると光りが多くなるから霊層界の上にのぼり、仕合せも、いゝ事も多くなるんです。それから陰徳ってのは人に知られないでいゝ事をする事ですよ。よく、神社の境内なんかに「金何円也」とか書いて寄附の札が貼ってありますね、あれなんかは人に知られるから陽徳ですよ。人に知られる場合はそれだけの報ひがもう来てゐるんですが、人に知られない場合は神様が御褒美を下さいますからね。同じ徳でも陰徳の方がよっぽどいゝんですよ。ところが人間ってのは顕れないと気が済まないもんでねえ……なるたけ人に知られないでいゝ事をするんですね。そうするとね、神様の方で何層倍にもして返して下さいますよ。だから陰徳を積むってのは大変なことなんです。今の人はこの事が判らないから陽徳許りですね。

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“昭和十九年暮に教修を頂いた二十七才の学生、生来気が弱くて悩んでおります。如何なものでございませうか。

“この人も、今話した陰徳を積むのが一番いゝんです。気が弱いってのは魂が弱いんで、魂に力がないんです。それで、外部から霊線を伝って霊が来る時、その人の霊が怯(オビ)えるんです。丁度、根の張ってないヒョロヒョロした木みたいなもんですね。霊が太って強くなれば怯える事は無くなるんです。そして信仰が強くなればそんなのはなくなりますよ。神様が何とかして下さるといふ、神様に御任せして御縋りするといふ想念が強くなると、気の弱いのは無くなってしまふんです。信仰がだんだん進むとね、地震なんかゞ来ても――まあその瞬間はびっくりしますがね、やっぱり人間ですからね――しかし直ぐ恢復して何ともなくなりますよ。神様が守って下さるから大丈夫だ――と思ひますからね。何といっても人を助けて感謝を受ける様にして魂を太らす事ですね。だから、信仰に入っただけぢゃ本当ではないんですよ。信仰に入るってのは、人を救ふ方法を教はるんですから、教修を受けてから多くの人を助けて、それで本当の御利益も頂けるんですよ。教修を受けたってのはたゞ門に入ったゞけですからね、それから玄関、更に奥の御座敷にまで行かねば嘘ですよ。

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“私はこの御教へを知りましてより、いろいろと大変な御利益を頂いて居りまして早く専心御道に励みたいと思ひ、あれやこれや考へて今の仕事(仕立屋)も手につかず又生活問題等もあって悩んで居りますが、如何致すべきでせうか。

“これはやっぱり時期が来なくちゃ駄目ですよ。専門的に信仰の道に入るのも時期があるんですよ。その時期がどうして判るかっていふと、時期が来るとだんだん事情が熟して、何もかも揃って無理がなくなるんです。無理を通してやったり、反対を押しのけてやったりするのはいけません。その結果はよくないですよ。だから、ゆっくりと時期を待つ事です。そうすればちゃんといゝ時期が来ますよ。あらゆる事に於てそうですよ。私の教へなんかも、非常に早く発展する様に世間の人は思ひますがね、私自身は一寸も早く発展させようなんて焦りはしないんです。神道で言ふ「惟神(カムナガラ)」ですよ。自然と、事情が熟してそうなって来てしまふんです。この「光」新聞だってそうですよ。○○新聞といふのが一つこちらの記事も載せませんかって来たもんだから、載せようかなと思ってゐた処へ、今度は、経営難で続かないから一つ設備を買ひ取って専門的にやりませんかって言って来たので、またゝくうちにこうなってしまったんですよ。私としても、新聞をやりたい、やらなくちゃいかん、て希望は前から持ってましたしね。私の論文や記事や、それから「おかげ話」も溜って、「地上天国」だけでは載せ切れないで、何か他のもので発表したいと思ってゐた所でね、こんな風にあらゆる事情が熟し切ってる訳で、直ちに発刊といふ事になったんです。そういふもんでね、邪魔がなくすらすらと行く様になる迄待たなくちゃいけません。柿だって青い中にもいだんでは固くて渋くて、高い所にあるのなんてもぎ取るのに骨が折れますがね、赤くなって熟して来れば、甘くもなるしちゃんと落ちて来るんです。何事もそうでね、よく「苦心惨憺(サンタン)してやれ」って言ひますが、苦心惨憺は駄目だって私は言ふんです。あとで駄目なんですよ、それは無理があるからなんです。何でもね、楽しんで楽(ラク)にやれるようにならなくちゃ本当ぢゃないんですよ。今迄は「夜の世界」だった為に物事に骨が折れたんで、苦心しなくては成功出来ないって面もあったんです。所が、これから「昼の世界」になり、地上天国に自分が住する以上、自分が楽に面白くやれるようになるのが本当なんで、自分が天国的生活に入り乍ら人を救ふっていふんぢゃなければ嘘ですよ。

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“畏れ多い事乍ら、夏など俄雨、夕立等で、御光を濡らす事がございますが、こんな場合いかに致したら宜しいでせうか。又濡れたりしますと、御光の御力に違ひがあるものでせうか。

“若し濡れた時には開けてみていゝですよ。開けて見て文字の紙にしみがついてなかったらそのまゝでいゝです。こんな人は油紙だとか、パラフィン紙だとか水の滲みない紙や布があったらそれで包むといゝですね。こうする事は差支へありませんからね。又若し、字の書いてある紙にしみがついてたらいけません。その理由を話して又受けるといゝですね。天理教では喧しくて、一生に絶対一つしか渡さないって言ひますが、然し、それぢゃ受けた人が恐れ戦(オノノ)いて一種の恐怖症になりますからね、一つの罪ですよ。

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“自由恋愛と見合結婚をめぐりいろいろと議論が交はされて居り、自由恋愛は新しい人の間にもてはやされ、見合結婚は昔気質の人が主張する様ですが、何れも結局は産土神(ウブスナガミ)の御取次とすれば文句は言へないとは致しましても、どうも恋愛結婚の方は結果が思はしくない様ですが、この点如何でせうか。

“これは簡単には行かない問題なんですよ。(笑声)こういふ事があるんです。見合結婚の方は勿論産土の神様がされるんだし、恋愛結婚の方も産土の神様ですがね、前世に非常に愛し合っていた者の恋愛が、一方が死ぬとか或は両方が死ぬとかして遂げられなかったのが、又この世で会った場合、未だ執着が残ってゐるんで、こんなのゝ恋愛は無軌道的になって理性を失ってしまふんです。然しその時産土神だとか、その人の正守護神だとかはその執着を取除かせる為にその恋愛を許す事があるんです。そして或時期が来るとその執着はとれてしまひますからね。執着がとれると普通の人間と人間だから全く熱が冷めてしまふんです。そこで、その夫婦が産土の神様が決められたものと違ふ場合は、別れさせて改めて結婚させるんです。恋愛結婚がうまくいかないっていふのはこんな場合なんですよ。だから、どっちとも言へるもんではないんです。それから又、夫婦になっても中途で亭主がどこかに愛する女が出来るとか、細君の方に愛する男が出来るっていふ場合がありますね、これは不純な恋愛ですがね。こんなのが出来るっていふのは、やはり前の世の恋愛した執着が残ってゐる場合があって、よくそんなのは滅茶苦茶になりますが、本人としては、細君に済まぬとか、主人に相済まぬとかいふ気持は本当にあるんですがね、どうにも仕様がないんですね。執着がとれると、又大抵は元に戻るもんですよ。一生懸命にこれをとめ様とすると、却って悲劇なんかゞ起るからいけませんね。結局に於て、すべては因縁でさうなるんですからね、放っておけばいゝ様になるんです。そしてそんな場合に苦しむのは苦しむ者にそれ丈の罪があるんですよ。

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“生き霊が憑依する場合、その本人の状態及び想念はどの様になりませうか。

“成程ね、之は知りたい事でせうね。(笑声)生き霊が憑いた場合、本元はボンヤリして気の抜けたようになるんです。生き霊が憑るのは親子、兄弟でもいくらかはありますが、一番強くかゝるのは恋愛関係で美人と美男に多いんです。だから、あんまり美しくない人は安全ですが、美しい人は大いに気をつけなくちゃいけない。(笑声)そして死霊が憑くと背中が寒くなりますが、生き霊の場合は体が熱くなり、先方の霊の感情が映るんです。例へば、いくら女を思っても女がさっぱりなびいて来ない場合、失恋して悲観してしまってボーッとしてますね、そのボーッとしてるのが女の方へそっくり映って、女の方は非常に気持が悪くて憂鬱になるんです。で、生き霊が極く強く映った場合は本元は眠くなるんです。霊が来る場合なんて本人は大抵眠ってるもんです。つまり、霊が脱出するんですね。脱出すると言ってもこの場合は副守護神の方ですよ。今のは失恋の場合ですが、今度は両方が愛し合ってる時には、生き霊が霊線を伝はって行ったり来たりするんで、両方ともボンヤリしてますが、之は憂鬱とは違って快感を催すんです。こんな風に霊線で以て交流するから、そこで恋愛は切らうと思っても切れないんですよ。快感といっても普通の快感と違ひますからね。恋愛の快感です。之は経験のある人なら判るでせう。(笑声)それから、一人の男に対し二人の女、三人の女が恋愛する場合は、その生き霊が男の体や想念の中で喧嘩するんで一つの邪念になり、快感の様な、むしろ煩悶の様な、をかしな気持になるんです。私にはそういふ経験はありませんがね、(笑声)多分、そうだらうと思ふんですよ。(笑声)

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“三人姉妹の長女(廿六才)半年程前五十一才の男の許へ走りました。父母は八方手を尽し娘を帰そうとしても、どうしても帰らず悩み抜いて居りますが、如何致したら宜しいでせうか。

“これは神様に御任せしておけばいゝんですよ。こういふ因縁でこうなったんですからね。この恋愛関係っていふのは理窟では決して判らないもんですよ。こんなのをとめようとすると却って熱が上るもんです。やはり恋愛は執着なんですから、無理に切り離すと執着が残って却ってひどくなりますよ。「恋愛は熱病なり」っていふのは、西洋の何とかって文学者の言葉ですが、全く熱病ですよ。之をとめるのは発熱したのを氷で冷やす様なもんで、あとが悪いんです。勝手に熱を上げさせてれば、出るだけ出ると自然に治りますよ。

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“恋愛し合って貰った嫁が、結婚すると余り口をきかなくなり、此の度御産の為に里に帰ってから戻らうと致しません。之は何か訳がありませうか。

“その御主人「男っぷり」はいゝんですか?

“はあ、なかなかようございます。

“ぢゃ、生き霊ですよ。その人を慕った女が、男が結婚したもんだから怨んで、結婚した女を引離さうとするんです。

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“大浄化の済むまでは――と結婚適齢者が結婚を差控へて居りますが、やはりそうした方が宜しいでせうか。

“大浄化って言ふけど、今この本人は何ともないんでせう?そんなら構ひませんよ。どんどん結婚しなさいよ。結婚してゝも大浄化が来た場合、別にどうって事はありませんよ、安心して結婚しなさい。

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“守護神は途中で入れ替る様な事がございませうか。

“こんな事はありませんよ。守護神には本、正、副、と三つありますが、どれも決して変る事はありません。第一、若し変るもんだったら、人間危くて生きてられませんよ。守護神が変ればその人の性格は全然変ってしまいますからね。うちの女房は昨日まで温和しくていゝ女房だったが今日は恐ろしく乱暴になって、尻の下にばかり敷かれる――なんて事になると、安心して生きてられませんからね。(爆笑)

“副守護神にも霊格はあるものでせうか。

“ありますよ。副守護神でも改心するとなかなかいゝ事をしますよ。副守護神といえば必ず悪いと軽蔑(ケイベツ)する訳にもゆかないんです。狐でも産土神の家来になる様な立派な狐もゐますからね。まあ、そんなのはもと人間だった狐なんですがね、そうすれば、まあ早く立派になれる訳で、要するに人格――ぢゃない狐格が上るって言へますね。

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“子供の不良性は治りますでせうか。

“治りますよ。――子供が不良だっていふのは、やっぱり親に罪があるんですよ。子供が不良だといろいろと心配するでしょ。その苦痛が浄化作用なんですよ。すべて苦痛といふものは罪穢れの浄化なんですから。所が、徳を積むとそれによって苦痛を受けるべき条件が減って来るんです。だから親が信仰を深くして、一生懸命に人を助けて徳を積めば、それによって子供の不良もよくなるんです。又、もう一つ別の方面から見ると、この前頭部に熱があるんです。反対に後頭部は感情ですがね。前頭部が冷たければ、理性が充分に活動してやたらな感情の衝動を抑へますからね。浄霊して前頭部が冷たくなれば不良も治りますよ。

今、論文を書いてるんですが、私は戦争や闘争の元は不快感が原因だって云ふんです。人間は爽快な気持になると争へなくなるもんですよ。怒るってのは感情であり、之を抑えるのが理性の力なんです、慾望つまり仏語でいふ煩悩ですね、この煩悩が起きる場合もそうですよ。慾望も神様が与へて下さったんだから想念は自由ですが、その想念をそのまゝ行動にあらはすと罪になる事が多いんで、その時行動に移そうとする感情を、前頭部の冷い人は抑へる事が出来るんです。だから、前頭部の冷い人は大丈夫ですが、まあ冷い人は殆どないですね。前頭部の冷い人ばかりになれば、戦争なんかなくなって平和になりますよ。独裁者の煽動(センドウ)なんかにも、おいそれとは乗らなくなりますからね。

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“教修を受けたゞけで、光明如来様を御祀り申し上げねば救はれないのは何故でございませうか。

“光明如来様を御祀りすると一家の霊界が明るくなるんで、御祀りしなければ未だ暗いんです。暗いのは地獄だから駄目で未だ救はれませんよ。それに、光明如来様を拝むと、拝む度に御光を受けるから浄まって行くんですね。だから大変な違ひですよ。光明如来様を御祀りせねば本当に信仰に入ったとは言へませんね。つまり、光明如来様を御祀りすれば信仰の門の中へ入るんで、御祀りしない中は門の外に居る訳です。かと言って、勿論門に入ったゞけぢゃ駄目でね、やっぱり玄関から御座敷まで行かなくちゃいけませんからね。それぢゃなくちゃ天国にはなりませんよ。又、教修を受けたゞけぢゃ駄目だっていふのもそれですね。

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“私の妻は先日夢を見ましたが、その夢は、あたりが一天俄かにかき曇り真暗闇になりましたが、たゞ私の家だけは金色に輝き、天から私の家へ龍が降りて来たと云ふのですが、之はどんな意味でせうか。

“一天俄かにかき曇り云々といふのは、之は「最後の審判」ですね。金色に輝いてるっていふんだからいゝことですね。信仰の御陰で神様の御加護を頂いたんです。龍が天から降るっていふのは、その龍神が特別にこの家を御守護されるとか、この家に因縁ある龍神でこゝを中心に活動すると云ふ様な意味でせうね。

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“私の父は教修を頂いて居りますがとても不熱心で、私は先日仏壇に向って「どこか私に間違った所がありますのならば、どうか御知らせ下さい」と泣いて御願ひして寝ました所、その夜は眠れず、翌朝何時もの通り早く起きて御飯をたいてゐる最中、うつらうつらと眠ってしまい夢を見ました。その夢では眼の前に階段がありそれをずっと上って行くと、上り切った所に二人の神様が居られ、白装束白頭巾で一人は立ち一人は坐り「ほめてつかはす、よくやった」と申されました。如何なる神様の御知らせでせうか。

“これは御先祖で、霊界で神格を得て下の位の神様になった人なんです。この人の信仰が非常に熱心なので、御先祖が喜ばれたんで、大変結構な事です。白装束、白頭巾っていふのはね、神主の服装なんです。そして神主もそうですが、白が一番下で、だんだん青、紫っていふ風になって行くんです。霊界でもそうなんですね、一番上は紫なんです。極く高いと、これは神主にはないけど、紫なら紫に金糸や銀糸でいろいろの模様がしてあるんです。これから現界にも出来ますよ、私は今に拵えますよ。……冠には宝石や金銀をちりばめるんです。これは私、神様から知らされたんですがね。五六七の世っていふのは、つまり「真善美」の世界ですからね、これから見ると今の人の服装なんか穢いもんですね、全く地獄ですよ。五六七の代になれば、男でも刺繍(シシユウ)なんかの附いた着物を着る様になりますよ。

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“牛の夢を見ると人の怨みを受ける、と申しますが、私の母は牛が襲ひかゝった夢をみました。何か凶事がありませうか。

“そんな事はありませんよ。牛の夢はいゝんです。昔、神様がいろんな事を私に御知らせになった時分に、よく牛の夢を人に見させて告げられたもんですよ。牛の夢は「大望」って言ってね、大きい牛程いゝとされてます。

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“私は入信以来既に五回の御面会を頂いて居りますが、御祈りの時、御讃歌の時などに必ず眠くなります。例祭の時は特に眠気を催しますが、之は何故でせうか。

“これには二つの意味がありますが、一つはね、神様が嫌で眠くなるんです。副守護神が御讃歌などを聞くのがつらいんです。それからもう一つはね、そういふものを聞きたい霊が沢山ある場合、本人を眠らした方がその霊はよく聞けるんです。だからこの方は悪くないですね。私も以前そんな事がありましたよ。

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“私は頭が痺(シビ)れ些細な事も気になり、絶えず光明様に近づかうとする反面、又離れようとする気持もあります。時には教導所へ行く事も嫌で、日頃慕ってゐる教導所の先生が憎らしくなります。之は何故でせうか。

“之は、副守護神が嫌がるんです、そしてその力の方が強くなる事があるんです。これは信仰して徳を積むとそういふ事はなくなりますよ。

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“新仏の骨を埋葬する場合、祖先の墓と家の近くと二ケ所に分骨したいと存じますが之は宜しいでせうか。

“骨を分けるってのはいけません。髪の毛や爪なら分けるって事をしますがね、骨はいけませんよ。之は祖先の墓にまとめて埋葬すればいゝですよ。

“靖国神社や御寺等に既に分骨してありますのは如何致せば宜しいでせうか?

“もう分骨しちゃったのはそれでいゝですよ、仕方がないですからね。何も絶対的にいけないって言ふんぢゃないんです。然し、霊は死んでから暫くの間は分骨されるのを嫌がるんですよ。暫くは骨と霊線が繋ってるもんですから、分骨されると霊線が分散される様な形になり、霊の離れるのが遅くなって、随分暇がかゝるんです。そんな点でいけないんですよ。

“祖先の墓が沢山出来まして墓地が一杯になりましたので、整理致したいと存じますが宜しいでせうか。又古い骨は如何致すべきでせうか。又墓碑は一基で宜しいでせうか。

“えゝ、整理していゝです。そして墓は一基でいゝですよ。たゞ、面識のある霊の名は横に刻むんです、正面には「何々家先祖代々」を刻みますから。それが本当ですよ。それから骨はね、面識のない霊のは一纒めにしてもいゝし、面識ある霊のは別個にしておけばいゝんです。

“宗旨の違った寺に墓地を移転しても宜しいでせうか。

“余りよくありませんね。同じ釈迦の教へでも日蓮宗だとか真宗だとかいろいろありますからね。だから今迄ずっと続けてた宗旨から変へると、丁度居候だとか移民だとかみたいな具合でしっくり行かないんですよ。まあ、御寺がどうしてもないといった様に、已むを得ぬ事情でするんなら仕方がないですが、出来るだけやらない方がいゝですね。仏教から神道へ変へるなんてのは勿論いけませんが、仏教の中で変へるのはまあ元は同じお釈迦から出てるんだから絶対いかんとは言ひませんが、霊が窮屈だからなるべくやらぬ方がいゝですよ。

“新規に墓を作る場合、墓碑には左の何れを記入すべきでせうか。

何  々  家  之  墓

何々家先祖代々之霊

又、墓碑に戒名を刻むのは如何でせうか。

“「何々家先祖代々之霊」が本当ですね、それから戒名は刻んでいゝんですがね、墓の正面は今の様にして、横か裏に戒名を書くんです。その場合、霊の位に応じて正しく書かなければいけません。例へば、ひいおぢいさんを一番先にするとすれば、次にはおぢいさんそれからお父さんっていった具合にね。順序さへ正しくすればいゝんです。

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“私の地方では死人が出ると、その棺桶の中に生前その人が愛玩したものを死体と共に入れる風習がございますが、之は霊界ではいかなる事となりませうか。

“本当は之はいゝんですよ。矢張り執着が強く残ってゐますからね、棺に入れてやればいゝんです。所が何でも彼でも入れたんでは、国家的に見ると大変な浪費になりますからね、着物とか何とか大したもんぢゃなければいゝけど、貴重品をどんどん入れてしまっては大変な損失になるから、そこはまあ、適当にやるんですね。執着ってのは強いもんでね、女なんかには死んで暫くはタンスの傍にゐる霊があるんです、着物に対する執着ですね。だからよく形見分けをやりますがあれは考へ物ですよ。特に或る着物に執着してゐると、それを着た人に執着するんです。昔から振袖火事なんてよく言ひますが、あんな事もあり得べき事ですよ。そうかと言って、死んだ人のものを何でも彼でもとって蔵っておくのも何にもなりませんしね。分けた方が社会経済の上から見てもいゝですからね。だから浄めるといゝんです。その物に向って祝詞を上げて浄霊するんですね。そうすると執着が薄らぎますからね。

“神経痛、胃病等の病人が年寄に向って「私の病気を持って行ってくれ」と頼むと、その年寄の死後病気が治ると申しますが、之は霊的にいかなる事になりませうか。

“こういふ事もたまにはあるでせうがね、誰でも彼でもって訳には行きませんよ。年寄が承知して、「可哀想だから俺が持って行ってやらう」っていふ想念がなくちゃあね。然しそれでも、その幾分かを担当する位のところでせう。それに薬毒なんかゞ入ってればこんな訳には行かないでせう。

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“世間ではよく夜泣きする子供の枕元に刃物をおくとよいと申しますが、この霊的意味について御伺ひ申し上げます。

“之は意味がありますよ。霊によっては刃物をこわがるのがあるんです。よく夜泣きなんかして親を困らせるのは大抵動物霊で、殊に狐なんかゞ多いんですよ。又、人間の霊の事もありますしね。で、やはり刃物によって負傷したとか、殺されたとかいふ霊が刃物を特にこわがるんですね。刃物があるとそばに近寄れないんですよ。子供の夜泣きもそういふ霊の場合もあるんです。だからどれもこれもみんな刃物で解決出来る訳ぢゃありません。勿論、こんな夜泣きなんてのも浄霊で治りますよ。

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“逆子(サカゴ)の霊的因縁について御伺ひ申し上げます。

“これは霊的ぢゃありません、体的ですよ。然し、ちょっとこれは公開の席上では言はれませんね、秘中の秘ですからね。まあ、想像に任せとくって訳です。(笑声)

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“四十二才の男子(前職神官)昨年十一月、口や手足が不自由になり現在或る神社に間借りして居りますが、この神社の前の神宮の霊がこの人に憑り「この御宮を守ってくれ」と申します。その神社の祭神は武内宿弥(タケノウチスクネ)、神功皇后(ジングウコウゴウ)等四柱でございます。又他の神官が御祓(オハラ)ひをすると非常に苦しがります。如何致したら宜しいでせうか。

“やはりその神官にそう云ふ希望があって行く所へ行けないので知らせたんだから、霊の希望通りにしてやると非常に喜びますよ。すると霊はそれに対して御礼をしなければいけませんからね、この御礼ってのは御守護の事です。まあ事情が許すならその希望通りにしてやったらいゝですね。之は結局「あとを頼む」って云ふ事だから、四柱の神様――神様ぢゃない神格者ですね、この四柱の神格者を御守りする事を希望してる訳なんですから、この人が出来ないなら代りに適当な人を選べばいゝんですが、それも出来ないなら自分の家の床の間に台をしてこの四柱を祀り、その後ろに光明如来様の御掛軸をかけるんですね、その方が或はいゝかも知れません。他の神官が御祓ひすると苦しむっていふのは、憑いている霊が上だからして下の者がやると穢れて苦しいんですよ。之と反対に霊のずっと上の人にやって貰ふととても気持がいゝものなんです。

“この病人はまだ御光を頂いて居りませんが――

“あゝまだなんですか。なるべく早く受けるようにする事ですね。そうしたら今言った様にすればいゝんです。

“御浄霊は如何致すべきでせうか?

“前額部を一番よくやる事です。

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“私は盲腸炎を患ひ、どうしても手術せねばならぬといふものを一回の御浄霊により驚くべき効果があり、たゞたゞ驚嘆する外ありませんでした。以後、余りの喜びに早速教職を退いて教導師となり一心に御手伝ひさせて頂いて居りましたが、先日自宅の牛が小屋に繋いであったのに、どうした訳か崖から落ちて死んでしまっておりました、之はどの様な意味でせうか。

“牛があったっていふから、この人は農業をやってんですね?

“はい。

“えゝ、農業を止めて之一方になれ、との神様の思召なんでせう。まあ、さうでせうね。

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“私は家業として建具製造業を営んで居ります。昨年十一月夢でサイレンの音が聞え驚いて起きてみますと、工場の残り火から出火して危く大火事になるところでしたが、大急ぎで消して事なきを得ました、御守護を厚く御礼申し上げます。近来頻繁にかゝる災難がありますが如何なる訳でせうか。

“災難ってのはね、大体人間には決ってるんです。ちゃんとその人はその時に災難に会うように決ってるんです。そこで大難を小難に、小難を無難に変へて頂く様に御願ひするのが本当ですね。この人はしかし、まだ無難にするだけの御利益を頂いてないんです。だんだん徳を積むと無難に変へて頂ける様になりますよ。一番無難に変へて頂くのは夢で済ませて頂くんです。本当は死ぬべき所を、夢で死ぬ形をするだけで済むことがあるんです。

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“私は御浄霊によりまして苦しんでゐた重病が全快し、教導師として働かせて頂いて居ります者でございますが、最近何度も盗難に遭ったに拘はらず全部直ちに発見されて無事であり、御守護を厚く御礼申し上げます。先日私の工場の動力機が故障してゐるといふので私が行って覗いた瞬間、轟然と爆発し、その小屋は粉微塵となり跡形もなくなりましたが、私はその場で意識を失って倒れてしまひました。暫くして気がついてみますと、驚いた事には私の体には何の障りもなく、かすり傷一つ負ってゐませんでした。全く不思議と思ふ外はございませんが家の者は未だによく判りません。所が去る四月三日朝、私の製材所と本宅が全焼してしまひました。之はどう云ふ意味でせうか。

“それ程の奇蹟を見せて貰ひながら家の人が判らないからですよ。まあ、こういふのは罪穢れがあるんだから、大いに罪穢れを取らなくちゃいけないんです。神様が罪穢れを取るために焼いて下さったんだから、「結構だ」って言っちゃ何だが、本当は結構なんです。寧ろこんなのは祖先の霊がやってるのかも知れませんね。あの手この手でいろいろな事をやられるんですよ。結局、頭を下げねばならない事になるんですから、早く下げた者程得ですよ。

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“心臓の強弱は心霊放射能の強弱と関係致しますでせうか。

“無論関係しますね。心霊放射の時には火素が沢山要るんですが、火素を沢山吸収するのは心臓です。だから大いに関係しますよ。心臓が強くなくちゃいけませんね。世間でいふ「心臓が強い」のとは一寸違ひますがね。(笑声)

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“二十八才の男一昨年暮より胸を病み、気胸療法を十回やりましたがよくならず、偶々昨年三月御浄霊により快癒し、早速入信して教導師となり御奉仕させて頂いて居りましたが、本年一月より御浄化を頂き咽喉が痛く唾も楽にのみこめず、食慾も皆無で毎日生卵一箇がせいぜいで、毎日一升位のヌラが出ますが相当衰弱が昂じて居ります。御救ひ頂けませうか。

“これは再浄化ですね。医学で固めたのが浄化して或程度溶けると非常によくなりますがね、よくなる程前に固めた毒が浮いて来るもんだからそれが浄化するんですね。この再浄化の時は厄介ですよ、衰弱しますから厄介なんです。この衰弱の為に駄目になる事がありますからね。先づ、一番の急所を見つける事ですね、大抵之なら首筋にありますからね。それからね、肩、背中、腎臓の下の方、股、こんな処に必ず固まりがありますから、それを見つけてやるんですよ。一番熱の出る所を見つけて浄霊するとずっと楽になりますよ。唾をのみ込むと痛いってのはヌラや痰が咽喉を通る時に、その毒の為に所謂「カタル」になってブツブツが出来るんですよ、それに泌みて痛むんですからヌラや痰が少くなって来れば治りますよ。こう云ふのは衰弱を増さない様にしてやる事が大切です。そして早く峠を越さなければいけません。まあ、大体一番の急所は首筋にあるでせう、だからそこをやってみて  額の熱が下ればそこが急所ですからね、それから第二、第三の急所を見つけてゆくんですが、之はなかなか馴れないとね、……まあね、額が冷たくなり熱がなくなれば恢復期に入ったと思っていゝですよ。

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“二十才の女、昨年六月に結核となり十一月迄入院して居りました。月経もその頃止ったと申します。以後御浄霊して居りますが、苦痛は楽になって来ておりますが、衰弱がひどうございます。如何でせうか。

“これは、特に肺病に多いんですが、肺病がすゝむと月経が無くなるもんですよ。つまり貧血になるんです。――この人は一寸難しいですね。まあ見込みないでせう。だから手を引いた方がいゝ。たゞ苦痛を緩和するのと、亡くなってから霊界でずっと楽になるのとで浄霊して上げるのはいゝですがね。月経が無くなったのはもう相当危いんですが、陰毛が無くなったのは全然駄目ですね。人間の健康、不健康はね――ちょっとこんな事を云ふのは可笑しい様だけども、陰毛で判るんです。これが濃い程健康で、薄い程不健康なんです。これは全く確かなもんですよ。もうひとつ、健康か不健康かは肩の弾力性で判るんです。肩をおさへてみて柔い程いゝんです。平常は丈夫な人でも肩が固いとよく急死しますよ。世の中で成功する人は必ず肩が柔いですね。つまり、肩の柔い人は精力があるんですよ。固い人は精力がないから駄目なんですね。

“肩の固いのは治りますでせうか?

“治りますよ。たゞ長くかゝりますね。

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“頭髪の軟質の人と硬質の人とありますが、之はその人の性格に関係ありませうか。

“性格にもですが、それより健康に大いに関係ありますね。健康の人は硬いし、弱い人は軟いですよ。それから性格の方は矢張り髪の毛が軟いと性格も軟いし、硬いと性格も硬いですね。又ね((*1))  たり硬くなったり変化するんです。私なんかも、子供の時は軟かかったけれども、中年になって固くなって来ましたね。固い方が白髪になり易いって言ひますが、やっぱりそうですね。

注:((*1))  (五字分不明)

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“十五の女子、頭髪が段々白くなって行きますが、之は何の為でせうか。

“之は白髪の年寄の霊が憑いたんですよ。浄霊で治りますよ。先にも、山伏の霊が憑いて毛が無くなったのがありましたよ、若い奥さんでね。(笑声)

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“髪の毛に一寸でも触ると必ず癲癇(テンカン)を起す子供が居りますが、之は何故でせうか。

“癲癇ていふのは死霊が憑くんですが、この癲癇の霊は、死ぬ時に髪の毛を引張られるとか何とかして、髪の毛に関係のある事で死んだので、髪の毛に触られると恐怖を感じるんですね。癲癇といふのは死ぬ時の状態がそのまゝ出るんですからね。

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“四、五年前より舌に小さな出来物が出来、そのまゝ大きくもならず、普通は痛みもありませんが強く押すと痛みます。十五年前に私の伯母が舌癌で死んで居りますが、之は霊的でせうか、又御浄霊により治りませうか。

“之は舌癌の危険がありますね。御浄霊で治りますよ。こんなのは霊的です。前世で何か余計な事を喋った為に怨んでる霊があるんですね。

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“五十才程の男、顔に最初はイボの様なものが出来ましたが、段々ふくれて葡萄の様になり、色も葡萄色で日が経つに従って頭の所から口の辺りまで丁度葡萄を頭から下げた様で、手術をうけても又出るそうでございます。之は霊的にどの様な原因でせうか。

“葡萄の様って、ブツブツになってんですか?

“はあ、丁度葡萄の様にブツブツになって……

“で、苦痛はないんですか?

“苦痛は大してない様でございます。

“之は霊的の様ですね。普通の浄化ぢゃない、何かの怨みですよ。蛙ぢゃないですかね。蛙の卵は丁度葡萄みたいですからね。池なんか掃除した時に蛙の卵を沢山殺したなんて事から、その怨みの来る事もあるんですよ。葡萄状鬼胎なんかそうですからね。だから之も多分そうだらうと思ふんですがね。……

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“指が六本ある人がありますが、之はどうした訳でせうか。

“こういふ人は一旦動物に生れて、未だその痕跡が残ってゐるんです。

“切っても差支へないでせうか?

“えゝ、差支へありません。拇指が人差指の附け根から出てるのもありますが、あんなのは蛙でせうね。

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“生後九ケ月の子供、生れた時から肛門がなく、肛門の前部に穴がありますが括約筋(カツヤクキン)がない為非常に不自由を致して居ります。之は如何なる因縁でせうか。

“これはね、前世で肛門のない動物だったんですよ。それが霊界で充分浄化しない中に生れて来ちゃったんです。肛門のない動物がありますよ。蛙だとか、それから虫の種類によってはね。

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“昭和十五年、北支方面にて頭を患ひ、内地に送還された四十七才の男子、帰還以来自家の二階に閉ぢ籠り全く外出もせず誰とも交際しませんでした。昭和二十二年末より誰とも口をきかなくなり手の掌に字を書いて用を弁じて居ります。そしてこの間九年と云ふものは冷水で以てしかもタワシで毎日全身をこすって居ります。その奥さん以外の誰とも面接しませんでしたが、私は三回ほど御浄霊をやって今は私だけは面会出来る様になりました。奥さんは最近御光を頂きましたが、之は治りますでせうか。

“治りますよ。これはつまり戦地に行って馬の霊か何か憑いたんでせう。馬はタワシでこすって体を洗いますからね。(笑声)馬だからして人間の言葉が出ないんですよ。多分馬でせう、気永にやれば治りますよ。やはり前頭部が中心です。――馬の霊もなかなか良く憑くもんですよ。先にも五才の女の子に憑いた事があって、寝る時にはこんな風に、丁度馬が寝た時の様な恰好をしてましたよ。(笑声)

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“四十一才の男子、太陽の直射にあへば勿論の事、傘をさして居ても熱気の為に全身が熱くなり苦しくてたまらず、一寸でも直射された部分は腫れて表面がたゞれ、薄皮と共にやがてはげてしまいます。夏季はこの傾向が殊にひどうございます。七、八年前からは冬、火鉢に当っても同じ症状になります由ですが、之は霊的でせうか。

“之は霊的ぢゃないですよ。特別な毒血ですよ。特別な毒血っていふと、つまり親だとか祖父だとかゞ変な薬を飲んだんですね。なにが薬だ、かにが薬だといはれていろんなものを飲みますからね、例へば猿のこう丸がいゝとか、鶴の赤い所を煎じて飲むといゝとかね、そういった変なものを飲んだ為の毒ですよ。

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“六、七年前に腎臓結核、膀胱結核を患ひ、その後脊髄カリエスを併発し入院生活を続けましたが、悪化の一途を辿り下腹部が次第に膨れ始めて大変苦しくなりました。その後御浄霊によって段々楽になり殆んど快癒致して居りました処、昨今又五、六合の水が腹に溜る様になりました。この原因について御教示を御願ひ申し上げます。

“之は毒の為ですね。こんな風に水が溜るので一番困るのは、水をとると必ず前より余計溜ることなんです。最初は一ケ月の間をおいて水を取ったのが、次には二十日、次には十五日で同じ位の水が溜る様になって、溜る期間が短縮し、溜り方が段々多くなって来るんです。だから、幾度も水を取った人はどうにも仕様がないですね。取る癖をつけたらもう絶対駄目ですよ。肋膜の水だけは取ってもいゝ事がありますがね。この水は肺に浸潤する事があるんですよ。そうすると痰になって外へ出ますからね。所が腹膜はね、腎臓から尿道へ行く道が塞がったり、尿の入口が塞がったりするのが原因で水が出ないんです。それは下腹部に毒があるからで、それをとるのが一番です。そしてその大元は腎臓ですよ。だから腎臓を浄霊して、それから膀胱附近を浄霊すればいゝんで、そうすれば治りますよ。浄霊してると急に下腹部が腫れる事がありますがね、これは腎臓が働く様になって、膀胱で全部出せずに閊えるもんだからそうなるんですからね、やってる中に治りますよ。この人のは治るでせう――治るでせうね、これは。たゞ、あんた方に注意しときますが、腹膜で、水をとる癖をつけたのは手をつけない方がいゝですよ。

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“子供等の頭に水が溜って大きくなるのは霊的でせうか。

“いや、之は殆んど体的ですね。霊的なのも万人に一人はあるでせうから、無いとは言ひませんが、まあ大抵は体的ですね。こんなのは毒が一杯あるんですよ。溜ってるのがとても固いのと、ブクブクなのとありますがね、ブクブクなのは治りいゝですね。

“大人にはない様でございますが?

“えゝ、子供に多いですね。生れつき余計なものがあるんですよ。母親のおなかで子供が暫く逆さでゐる場合に、毒が胞(エナ)――あの紐ですね、胞から入って頭に溜るんですよ。

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“感電して重態に陥った様な病人は、主にどこを御浄霊致したら宜しいでせうか。

“火傷(ヤケド)した所とか、苦痛の所をやるんですね、火傷と同じ様な意味で。それでいゝんです。

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“水に溺れた人があった場合、人工呼吸の必要はありませうか。

“之は、浄霊を知って居ればそんな必要はありませんよ。浄霊した方が人工呼吸よりもずっと効果がありますからね。

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“蝮に噛まれた場合、止血法の必要がありませうか。

“之も必要ありませんね。蝮に噛まれた時には、たんとは血は出ないもんですよ。毒で腫れるんですよ。足から段々腫れが拡がってね。――噛まれるのは大抵足ですからね。それからおなかから体全体に腫れるんです。腫れる際に浄霊すれば訳なく治りますよ。もう、蝮に噛まれたって何も怖れる事はありませんよ。

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“或る赤ん坊、両方の腎臓の上に丁度お椀をふせた様な腫れが生じまして近所の医者に見せた所、こんな病気は初めてだから研究しようと言はれましたので母親は不安になって「日赤」へ行った所、肉腫だと云ひ弱い電気では駄目だから強い電気をかけねばならぬと言はれ、途方に暮れて私の所へ参りましたので、御浄霊致しました所驚く程早く治りました。之はやはり肉腫でせうか。

“それは肉腫ぢゃありませんよ。やはり毒が出たんですよ。肉腫ってのは癌と同じ様なもんでね。そして決して丸いものぢゃなくて、ギザギザして角がありますよ。それにね、肉腫は四十以上になって出るもんですよ。兎に角御医者さんてのは、お気の毒だが判らないんですね。――之を説明するにはどうしても  医師法違反になって来ますね。(笑声)だからね、あの医師法違反ってのは逆なんですよ。治らぬ医学が治る医学を違反にするんですからね。(笑声)

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“十一才の男子、三才の頃より言語不自由となり今でもキシャポッポ、ヂイヤ、バーチャン位の言葉しか言へません。智能も稍白痴に近うございますので、そのまゝ入学を遅らせて居ります。三才の時転んで頭を負傷したとの事です。之は霊的でせうか。

“之は二つに考へられますね。一つはね、転んで内出血してそれが固まった為に、智能を司どる前頭部の活動が鈍くなった為か、もう一つは赤ん坊の霊が憑いている為か、この二つですね。こういふ事があるんですよ。死んだ赤ん坊があってね、赤ん坊の方はそうでもないんだけれど、その親に強い執着があると、その想念によって赤ん坊が引張られ、又新しく人間に生れ変るひまがなくて、次に生れた赤ん坊にくっつくといふ事はあるんです。稀には頭を打って死んだとか、何か爆弾みたいな爆発物で死んだ霊が、霊界での浄化が完全に終らぬ中に生れ変って来る事もあって、こんなのはボーッとしてますがね。こう云ふのはまあ滅多にないんですが、赤ん坊の霊のつくのは一番多いんです。又流産の霊が祀って貰ひたくて憑く場合もあります。だから姙娠五ケ月以後で死んだ赤ん坊は祀らなくてはいけませんね。極く稀に三、四ケ月のでも障りになる事もあります。それで、この人の家に流産とか早産や赤ん坊の中に死んだとかいふのがあったらそれと考へていゝですね。御浄霊は前頭部の中が一番です。それから首筋ですが、気永にしてれば少し宛治って行きますよ。

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“六十九才の女、昭和二十一年頃から眼がかすみ始め、医師は底翳(ソコヒ)と申し、暫く前より御浄霊して居りますが、未だ別に変りはありません。如何でせうか。

“眼薬ってのは固めますからね、一滴さしても固まるんです。この道の信者以外なら、先づ普通眼薬を使ひますからね。眼の固まった奴はなかなか溶けないんです。医学では眼玉をくり抜いて裏をはがしてから又入れて、医学の驚異的進歩って言ひますがね。……御浄霊は前だけでなしに、後ろから眼を狙ってやる事が大切です。そして目やにや涙が出だしたらしめたもんですよ。それから眼の上が肝腎ですね。毒素は眼の後ろ、延髄の所から前に来て眉毛の上に出て、それから眼に下るんですからね、眼の上は肝腎です。やってみて、眼の上が触って熱くなればしめたもんです。又、霊的な原因の事もありますがね。然し霊的のは若い人に多いんで、年寄にはあまりないですよ。で、之は大抵蛇で、蛇を殺す時頭を砕き眼玉も一緒に潰してしまふんで、それが憑くんですよ。この人はまあ年寄りだから、霊的とは考へられませんね。憑くんならもっと若い中に憑くもんですよ。

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“教導所として三間位の家を建築する場合、畳数及び間取について御伺ひ申し上げます。

“畳数は十八畳なんていゝですね。五畳、六畳、七畳もいゝです。玄関が三畳次が六畳次が十八畳なんてのもいゝですね。それから十畳に六畳に二畳もいゝし、十畳、五畳、三畳もいゝですね。それから間取りは便所や勝手だけ鬼門を避ければ他はどこでもいゝですよ。勝手なんかの様に水を多く使ふ所は裏鬼門がいいですね。玄関は東と南の間、辰巳が一番いゝですね。神山荘も辰巳だし、宝山荘も辰巳だし、私の行く所はみんなそうなってますよ。

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“本年は農産物が不順と申しますが、農産物の収穫高と人口問題との霊的関係について御伺ひ申し上げます。

“本年は農産物が不順って事はどうして判るんですか?まだ、これからぢゃないですか。こんな事が判るんなら神様以上ですね。収穫と人口問題とは、それは関係がありますが、神様がやってられるんですからね。たゞ人間が邪魔するんで困るんです。産児制限なんて人間が余計な心配をするからいけないんですよ。神様は、人間が喰べるだけは与へて下さるんですからね。尤も、間違った農業をやってるんで、之は困ったもんですがね。

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“稲苗を畑で育てゝ植ゑつけるのは差支へないでせうか。又苗を温床で育てる事は如何でせうか。

“稲ってのはやっぱり水田でやるのが本当で、畑でやるのはいけませんね。温床もよくありませんね。たゞ余り寒い所だとか、冷い山水の入る所だとかはいゝですよ。極く温度を低くしてやればいゝんです。然し本当から言へば、自然に反するからいゝもんぢゃありませんね。最近よく電気だとか、いろんな放射線でやってますがね、あれはみんな駄目ですよ。之は、私断言しておきますよ。一時はいゝんですがね、一年とか二年とかはね。然しもうその先は悪くなりますよ、不自然ですからね。全く「文化人」といふのは馬鹿なもんでね、一時いゝともうそれが絶対にいゝものだ、と思ひ込んでしまふんですね。一時よくったってその反動は必ず悪くなるんです。だから騙されちゃいけませんよ。あゝいふものを研究してる人には気の毒ですがね、知らないんだから仕方がない、決して永くは続きませんよ。すべて大自然の気候風土そのまゝに副って行くのが一番いゝんです。丁度、米の飯は年中食ってゝも飽きがこないでしかも一番の栄養になりますが、菓子だとか、酒なんてものは少しなら美味しいんですが、そればかりだとぢきに飽きてしまって栄養も悪いでしょ、そんなもんですよ。いろんな事を利用してやるのは一時的でね、あとは土が疲れてしまふんです。何でも自然に倣(ナラ)ふのが一番いゝんです。

人間の体でもね、健康で働ける様に自然に出来てるんです。それを間違った事をして駄目にしてしまふんですからね、全く。だから、どこか旨く行かない時には、どんな点が自然に合はないかを考へるんですよ。大自然が人間の先生です。この御浄霊だって大自然の法なんです。これは火と水と土の力ですからね、霊光が火と水で、それが人間の体を通る時、土の力が加はるんです。大自然も火と水と土だから同じですよ。肥料だってそうで、堆肥がいゝんです。草が枯れ木の葉が落ちて土にまざるってのは大自然ですからね。何も大自然は、馬糞や金肥を降らせやしない。(笑声)

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“私は毎年水田と乾田をやって居りますが、昨年は肥料を配給になっただけやり、御浄霊致しました所、二斗三升の増収でした。本年は無肥料栽培でやらうと思ひますが晩稲(オクテ)がいゝか早稲(ワセ)がいゝかに就て御教示下さい。

“これはその土地と気候によって違ひますからね、そこで長い間やってる人に聞いてみるより仕方がないですね。無肥料でやると、最初伸びる時は成績が悪いですが、これは煙草や酒を飲んでる人が急にやめると、暫くは精がつかないのと同じで、肥料中毒になってゐるんですから心配したもんぢゃありませんよ。半(ナカバ)頃から土の本当の養分を吸ふ様になりますから、どんどん元気づいて伸びて来ますよ。

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“道端の草や藁などを田に入れると、ズヰ虫や害虫が発生し易いと申しますが、この点如何なものでせうか。

“そんな事は絶対ありませんよ。肥料をやるから虫がわくんですよ。ズヰ虫は硫安の為が多い様ですね。無肥料なら発生しませんよ。だから、ズヰ虫は肥料の貯蔵所の近くに多いって言ひますね。

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“田に客土をやる風習がありますが、之は差支へありませんでせうか。又、客土をやるにはどの様な土が宜しいでせうか。

“この客土っていふのがね、無肥料栽培のいゝ事をよく証明してるんですよ。客土っていふのは肥料を使はない処女地の事ですからね。大抵百姓は山の土を持って来ますが、肥料の為に土がやせてしまふから、未だ肥料の入ってない山の土を持って来るんですよ。所がね、今迄はどう理窟をつけていたかって言ふと、永年作物を栽培した為に土の養分を吸ひとってしまったからだ、と言ってるんですが、実はそうぢゃないんですよ。肥料をやった為に土を殺しすぎてしまったんです。実際この事なんか、いかに無肥料がいゝかって事をよく証拠立てゝるんですがね、それだから、客土をやる場合には、今迄肥料を使はなかった土ならどこのでもいゝですよ。

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“馬鈴薯を作るには、北海道の種薯が良いと申しますが、他の地方でもやはり北海道のものを使用した方が宜しいでせうか。

“そんな事はありませんよ。馬鈴薯ってのは割に寒い所がいゝんです。それで北海道のがいゝって言ふんですがね、無肥料にすれば北海道以上のがどんどん出来ますよ。そりゃあ素晴らしいもんですよ。真白で、ネットリしてゝ、香りがよくてね、全く何とも言へませんよ。

(光話九号  昭和二十四年七月三十日)