御 光 話 録 第八号

“教導所の発展しない理由を御伺ひ申し上げます。

“どっか脱線してるからですよ。要するに軌道が外れてるんです。一番の原因は、なにが多いですね、あの小乗的信仰の場合が。こういふのは発展しないですよ。どうしても大乗でなくちゃいけないですね。発展ってのは大きくなる活動ですからね、大乗がどうしてもいゝんですよ。小乗のは窮屈でね、あれはいけない、これはいけないといろいろ咎めるのはいけないんです。それでは観音行ぢゃないですよ。観音様ってのは大乗であり、善悪無差別ですからね。それに対して、人間が善悪を決めるのは間違ってゐるんです。まあ、或程度は常識で善悪の判る事もありますが、徹底して判る事はないんですよ。之は悪い之は悪いと言ひ乍ら、その人自身悪い事がよくありますからね。一寸思った事を簡単に言ふ位ならいゝですがね、どこまでも自分の思った通りを人にさせようとするのは決してよくありません。何でも、こう、気持のいゝ様にせねばいけない。まあ、根本的原因は一口に言ふと、教導所に来て気持がいゝ、愉快だ、といふ風にさせてないからですね。それから、あの「くどい」のはいけません。一事を繰り返し繰り返し言ふ人がありますが、あれはごくいけませんよ。神様ってのはあっさりしたもんですよ。いろんな宗教でもしつっこいのがありますがね、そんなのは本当は邪教ですよ。一言話して先方が言ふ事を聞かなかったら時期を待つ様にするんです。

それから、御浄霊で病気が治るから、御利益があるから人が来るんです。そして病気の治るってのは急所にふれるから治るんです。だから教導師は急所を掴まなくちゃ駄目ですよ。話でもさうで、急所を外れて唯ベラベラ喋ったって駄目ですよ。一言でも二言でも先方の魂に触れる事をポンといふと、それで相手は感じるんですよ。――そんな風に、話でも浄霊でも急所ですよ。その急所を衝くのは智慧、叡智ですね。こっちがボンクラだと判らないんですよ。終ひには、全体をやればどこか当るだらうって訳でね。(笑声)まるで機関銃式ですよ。(笑声)百発百中ぢゃなくて、百発一中ですね。(笑声)さうかと言って、最初からさういふ訳にはゆきませんからね。一生懸命やって、しかも広くやってれば、だんだん急所が判って来る様になりますよ。  まあ、いろんな事がありますがね。気の附いた事を言ってみたんですが、一番肝心な事がたった一つあるんです。それはね、どうしても発展しよう、大きくならうって強く思ふ事ですね。それが根本です。俺は駄目だ、なんて思ふ事が一番悪い。俺も人間だ、人がやれるなら俺にだって出来るっていふ気構へでね、失敗しても、笑はれても諦めないで、どうしてもやり遂げるっていふ、さういふ人が発展しますね。私自身がさうなんですよ。それを、一度転んだらもうしようとしないなんていふんぢゃ駄目です。「諦めが肝心」と言ひますがね、物によってはさうですが、物によっては「諦めないが肝心」ですよ。だから、悪い事は「諦めが肝心」、いゝ事は「諦めないが肝心」ですよ。私に人を紹介する時、よく紹介者が「いや、この人は立派な人物ですよ、第一慾がないから」なんて言ひますが、之は可笑しいんです。私は慾のないのはいかんてよく言ふんですよ。慾にもいゝ慾がありますからね。慾張りって言へば神様が一番慾張りですよ、全世界を救はうっていふんですからね、これ程の慾望はありませんよ。だから、慾だって決して悪くありませんよ。よく「観音教には金がある、金儲けがうまい」なんて言ひますがね、今、多くの人を救ふにはどうしても金が必要ですよ。いくら素晴らしい力があり、教へがよくても、機関がなくては駄目だし、地上天国を築くのにも天国の模型が要りますしね、――今、私はその模型を作ってゐるんですがね。何をやるにしたって金が必要ですよ。その為に金を集めるんなら結構ぢゃないですか。大きな救ひには沢山の金が要るんですよ。――昔みたいに「祖師は紙衣(カミコ)の五十年」なんて、あれは親鸞でしたかね。五十年はしなかったかも知れませんが、まあ、それ位質素にしたって訳ですね。日蓮だって乞食坊主みたいになって法を説いたんですが、今日は時代が違ふんです。今はそんな事をしても、世の人が相手にしませんよ。草鞋ばきで行脚したり籠を使ったりした時代と、自動車や飛行機がある時代とは違ふんです。昔の様に草鞋ばきで歩き廻るんでは全世界を救ふ事は出来ませんよ。所が、今迄の観念があって、質素倹約して乞食坊主みたいにしてなければ有難がらない人がありますがね、あれも困ったもんですよ。つまり、信仰の根本が違ふんですよ。昔の信仰、今迄の信仰っていふのはね、禁欲的な、まづい物を食って、ボロボロの着物を着て、粗末な家に住んで、それがいゝ事としてゐたんです。所があれは間違ってゐるんですよ。一体、綺麗な花が咲き、いゝ景色があるっていふのは、神様が之を無駄に作ったのではない、人間を楽しませる為に作られたんです。美味しいものだってさうです。人間を楽しませる為に作られたんです。それを、態々まづいものを食ひ、粗末な着物を着るってのは、神様の御気持に対する一つの叛逆ですよ。天国を作る、その天国ってのは、真、善、美の世界です。その美っていふのは一体何ですか?  綺麗な家に住み、美しい着物を纒ひ美味しい物を喰べるっていふのは美ぢゃないですか。何よりの証拠はね、邪神はとても花を嫌ふんです。そこの床の間にも花が生けてあるでせう。だから、必ず部屋には花を飾らねばいけないって、之は私が前から言ってる事ですがね。仏様に花を上げるっていふのもそれなんです。花は霊界に非常にいゝ影響を与へるんですよ。私の所ではどの場所でも大抵花をおいてあり、花のない部屋はない位です。花についての論文も近い中発表しますよ。

教導所の発展しない原因も、今言った様な事を考へてみれば判るでせう。

注:((*1))  (日付不明だが他資料との照合により推測される)

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“私共の地方では、死人が出た時に屍骸をその人の所有地の林に埋葬し、そこには墓碑を建てず寺の境内に墓を作る習慣がありますが、今度敷地が一杯になりましたので拡張致し度いと存じますが如何でせうか。

“こんな事は絶対いけません。間違ってゐます。死人を埋める所と、食物を作る所と、材木を育てる所とはちゃんと決まってゐるんです。埋葬は寺の境内なり墓地なり決められた所にせねばなりません。然しまあ、長い間の習慣であれば古老が頑固でせうから、老人達が生きてゐる間は仕方ないですね。古老が死んでから変へなさい。 

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“私の親類の娘、他家へ縁づいて子供が三人出来ましたが、気違ひとなり離縁されました。両親が御浄霊しても之を受けようともせず、仕方なしに寝てる時に御浄霊して居りますが余り変化致しません。如何致すべきでせうか。

“寝てるんぢゃ一寸まづいですね。右の延髄ですよ。精神病の原因ていふのは、心配事とか、気の小さい人が、普通の人なら何でもない事を苦にしたりした場合、心配事をするのは前額部の奥ですからね、そこへ霊が憑るんです。まづ大抵は狐霊ですね。かゝると眠れなくなるんです。それが普通なんですが、心配事で眠れないのを狙って憑く事もあります。そこの所の前後は判然としないんですがね。とに角、脳細胞が稀薄になると霊は憑く事が出来るんですが、肝心な事は、自分の本霊が六でお客さんが四だけ憑いた時には精神病にはならないけれども、少し変な所がある様になるんです。まあ今の人って殆ど変な人許りですがね。(笑声)偉い人になったって、まあ総理大臣になったって、二か三は憑けるんです。あの涜職事件なんかはそれですね。「まあ一寸人に知られやしないから、やれやれ」ってお客さんがけし立てるんです。本当に良心が光ってゐればそれを止めますけどね。とは言ふものゝ、少しもそういふ不正をしなければ総理大臣になんてなれないですからね。丁度ね、今配給が二合七勺でしょ、だがどうしたって足りないからヤミで買いますね。ヤミもせず法に触れぬ様にすれば腹が空いて仕事も出来ないですよ。仕事が出来なければ稼ぐ事も出来ないですからね。こんな訳で、已むを得ぬ罪悪ってのが幾らもあるんですよ。政治の方でもね、代議士になるには運動費が要るでしょ、運動費を余計に使った者程やっぱり当選しますからね。所が代議士にならうとする人は大抵金がないから変な事をして金を手に入れる。それで当選出来るんです。代議士になっても、それから大臣になるにはやっぱり金をばら撒かねばなりませんからね。

話がそれたけれども、その六と四が、五と五になると実に危い事になるんですね。どうも常軌を逸する様になるんです。それが四と六になると、もうお客さんの方が思ふ様に出来るんです。狐などはこの「人間を思ふ様に出来る」っていふのが一番面白いんですね。狐は之が出来ると狐仲間でも顔が利く様になるんです。狐仲間にもいろいろあってね、階級もいろいろあるんですが、稲荷に祀られる様な狐は正一位といふ位がありますが、この外に野狐も沢山ゐるんです。まあ、浮浪人ですね。この中にボスが居るんですが、人間を大勢気違ひにしたり殺したりした狐程子分も余計出来るんです。死霊がとっつくなんて言ひますがね、あんなのもよく狐がやるんですよ。轢死だとか首縊りだとかよくある場所がありますね、あれなんかも殆ど狐がやってるんですよ。馬鹿々々しい様な話だけど、狐が人を気違ひにしたり殺したりするってのは本当なんですよ。だから人間なんて訳ないもんですね。狐がちょいとこゝへ来て、ちょいとやれば死にたくもなるし、人殺しもしたくなるんですからね。そこで霊が稀薄になるのは血液が少なくなるからです。血液の霊化したものが霊ですからね。延髄の所に毒が溜って血管を圧迫するから血液が脳へ行かないんです。この固りを溶かせば脳に血が充実して眠れる様になります。あの眠れない時にはいろいろ考へますね、あれは狐ですからね。狐ってのは全く休みがないですからね。狐が憑いて喋り出すと、全く幾らでも喋ります。女の人がヒステリーなんかになった時たて続けに喋るでしょ、あれは狐の本領発揮ですよ。まあ、あんまり狐の話許りしてゝもなんだからこの位にしときませう。今度本に狐の話を載せませう、「狐物語」としてね。で、御浄霊する場合は今言った延髄ですよ。病人が寝てる場合には額をやればいゝんです。

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“私(二十八才)の主人は五年前戦死致しました。主人は末子で、戸籍上は分家致し居りますが、未だ分家の形はとって居りません。今私は里へ帰って居りますが、主人の霊は主人の家で祀るべきでせうか、或は実家で祀るべきでせうか。

“之は両方でお祀りしなければいけませんね。里に帰っても、一度夫とした以上祀った方がいゝですよ。それから、無論、本家でも祀らねばいけません。祀り手は多い程いゝんです。多い程霊の向上が早くて、霊界でまあ顔がよくなるんですよ。それから、同じ様に御祀りしてもね、祀る人の気持が大分影響しますよ。たゞ形式だけでは霊の方で余り感応しないんです。水を一杯上げるにしても、本当に「お上り下さい」って気持で上げると、霊の方も飲めるし又水も美味しいんです。仕方なしに、上げなくちゃならんから上げるっていふんでは、霊は飲めないんですよ。先にね、喉が渇いて仕方がないっていふ霊があったんですが、「あんたはちゃんと毎日水を上げて貰ってるぢゃないか」と言ったら「いや、上げる人が本当に、上って下さいって気持ではないから飲めない」と言ってましたがね、そんなものですよ。

“主人の遺言によれば、一生独身で分家を立てゝ行けといふのですが、里の家では之に反対でございます。如何致すべきでせうか。

“之はね、御主人の霊の執着如何で違ふんですよ。執着の強い霊だと一寸困りますがね。又、あっさりしたのだと諦めたり、我慢したりしますがね。――この人は二十八才ですね。信仰に入り、光明如来様を御祀りしてから少くとも一、二年経てば再婚していゝですよ。御主人が霊界で改心しますからね。自分の心の頼みが間違った事が判るんですよ。それから仏様に御詣りする時にその事を言ふといゝ。年中ではなくて、時々でいゝですよ。「私は独身を通す事はあらゆる事情から出来かねるから承知して下さい」ってね。そうすれば御主人の霊も判って来るし、又本人が判らなくても先祖が言ひきかせますからね。又、光明如来様に御願ひする事です。御願ひすれば、光明如来様の方でちゃんとやって下さいますよ。然し霊の執着の強い場合は直ぐにって訳にはゆきませんからね。まあ、一、二年も経てばいゝでせう。それから主人が改心したかどうかは自分にも判りますよ。主人の執着がある中は、再婚しようとしても何となく気がすゝみませんがね、執着がとれるとそういふ事は何もなくなりますからね。

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“私宅では去年と今年と二回子供が生れましたが、二回共生後すぐ死亡致しました。(何れも三日目)之は何か因縁がありませうか。

“ありますね。こういふ死に方をするべき筈のものではないですからね。こんなのは霊が障ってる訳ですね。つまり怨みの霊ですね。そういふ事と、もう一つは主人公が罪を犯してゐるかですね。之は「信仰雑話」の中に「夫婦の道」って書きましたね、あゝいふ事か、或は何か子供を授れない因縁にあるかですね。又、こういふ事も考へに入れておいていゝですね。何でもかんでも子供があれば仕合せになるとは限らないですからね。却って子供の不幸になる事もあります。例へば、片輪の子だとか、大きくなって放蕩して家の財産を潰すとかね。だから、子供ってのはちゃんと育って親の仕合せを助けるのでなければ本当の子宝とは言へませんね。勿論そんな不仕合せは子供が親の罪を浄化する訳ですからね。信仰に入って沢山の人を助ければ、その徳によって罪も減り怨みも減りますからね。立派な子供が出来ますよ。信仰に入ってからの子供って立派ですね。然し、あんまり薬を飲んだ人の子供は毒が多いですがね。

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“人間は宇宙の縮図と申しますが、人体の各部分は宇宙の或部分に当はまるものでせうか。

“之はあてはまりますね。一番よく判るのは眼ですね。眼は日月になってゐて、左が太陽で右が月ですね。左が霊で右が体です。去年或人が眼を悪くしたんですが、右はよくて左が見えなくなった。そこで私は「要するにあんたは物質的な面ではいゝんだが、神様の事が未だ判らないからだ、つまり私の事がよく判らないからだ」と言ったんですが、それから改心してよくなりましたがね、そんなもんですよ。額は天の高天原だし、臍は地の高天原ですよ。人間の体をよく考へてみるとよくあてはまりますよ。その他の所は自分で考へれば判るでせう。

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“フイフイ教では救世主の資格を十六あげてゐると申しますが、之に就て御教示下さい。

“救世主の資格は、フイフイ教だけぢゃなくて、アメリカのバハイ教――その教主は女ですが、それが救世主の資格を上げてますがね、なかなかよく出来てますよ。然し、あれでも大分足りない処があるけれ共、救世主の資格に就ては今に本に書きますよ、今は未だ一寸早すぎます。

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“六十八才の女、子宮がたわむので困って居りますが治りませうか。

“之はね、子宮を吊ってゐる筋がゆるむんですよ。下腹に毒があって筋を圧迫するため、筋を引張る事が出来ないんです。股の上から臍の両脇にかけて御浄霊するんですね。若い人だったら直ぐ治るけど、この人は六十八ですからね、治り方は少し遅いかも知れません。こういふのは一名「なす」って言ひますね。先に、田舎の若い細君でこんな症状だった人があって、妻としての役目を果さないから治らなければ離縁する、と言はれてね、私の所へ泣きついて来ましたが、やったら治りましたよ。之は生霊でしたがね。若い女には生霊のが多いですね。これは嫉妬の為にそういふ事を不能にさせ様とするんです。だから生霊の憑るのは美人に多いんですよ。

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“遠州の七不思議に就て、一、遠州某地に直径四、五尺の樫の木があって、之が二股に分れて居り、その二つが一年置きに交互に芽を出しますが何故でせうか。

“これはね、この木に龍神が憑いてゐて、之が夫婦の木龍なんですね。そしてこれは以前は別れてゐたのが一緒になって一本の木となってゐるのです。一本になってゐるからこの木は両方に芽を出すだけの精力がない。そこで一方づゝ交互に芽を出して調節をとってゐる訳です。

“二、遠州佐原の沖合十八町の所に「アシダカ岩」といふ岩があり、この岩から真水が吹き出ますが、之は何故でせうか。

“之は地下水が岩石の孔を通って噴出するんです。きっと割に浅い所なんでせう。

“三、或る海で、海鳴りが始終どうどう、どうどうとしてゐて、岸に居れば沖で鳴り、沖に出れば岸で鳴りますが、之は霊的な原因がございませうか。

“之は霊的でも何でもないですよ。海の深い深い所にね――どの位深いか判らない位の所に穴があって、そこに水が押し寄せて流れ込むんです。そうすると、そこに渦が巻いてそれで音がするんですよ。その音の出る所が深いもんだから、岸では沖で鳴ってる様に聞えるし、沖では岸の方で鳴ってる様に聞えるんですよ。之は一つの阿波の鳴戸ですね。

“四、或る谷底の岩に綺麗な牡丹の花が咲いてゐて、之を採りにゆくと  ないのですが如何なる訳でせうか。

“これは変ですね。そんな所に牡丹が咲く訳もないし、採りに行くと無いなんて訳もありません。きっとその岩に光線が当って、その反射の具合で岩に牡丹が咲いてゐるかの様に見えるんでせうね。

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“九才の少女、同年の子供程の言葉が未だ使へません。三才の時中耳炎を半年許り患ひましたが、今尚膿が出て居ります。  去る三月十一日、御神前にて御浄霊中、その子は光明如来様の御前や周りに猫が沢山ゐると言ひ出し、御浄霊が終ると猫が腹から出て楽になったと申しました。

“あゝ之は猫の霊ですね。

“以前その家の飼猫が丁度人間の癲癇の様になったので川へ捨てたと申します。

“その為でせう。その猫を祀ってやったらいゝです。その猫の名前は?  黒?  ではね、小さい板に「黒の霊」と書いて、光明如来様の向って左脇に台をして祀ってやり、礼拝の終った後で一寸頭を下げればいゝですね。そして、光明如来様に「黒が早く人間に生れ変ります様に」って御願ひするんです。そうすれば猫は喜びますよ。

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“昔から火柱が立つと火事があり、又火柱の倒れた方向に焼けると申しますし、火柱を見た人も沢山居りますが、之は何でございませうか。

“矢張り之は霊界で先に焼けるんですね。そして霊が体に移る為に火事になるんですよ。然しこの信仰に入ってれば大丈夫ですよ。若しも信仰してない人の家でそういふ事になったら、祝詞を上げて、光明如来様に御願ひすれば大丈夫です。

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“夫婦が別れた場合その霊線は切れるとの事でございますが、子供のある場合は如何でせうか。

“別れても切れはしませんよ。たゞ細くなるだけで、全然切れてしまふんではありません。子供があればやゝ太いんですね。又両方の想念に執着があれば別れたって太いですしね、一概には言へませんね。

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“稲荷の行者は死後狐霊の世界に堕ちるものでせうか。

“堕ちますね。生きてる中からもう畜生道へ堕ちてますからね。だから不幸ですよ。あゝいふ行者はよく神経痛とか変な病気になりますがね、あれは水を浴びたりなんかして冷やして固めるからで、だから体なんかカチカチです。行者だった人がこの信仰に入ると随分排泄物が出ますよ。私先にやった事があります。――生き乍ら畜生道ですからね、地獄ですら。だから運も悪く早死するんです。まあ、邪道ですね。あの断食したり水浴びしたりするのは邪道ですよ。仮に断食はいゝとしてもね、若し日本人全体が断食したらどうなるんです。(笑声)生産機能だって止ってしまいますよ。

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“或るクリスチャン、御浄霊を頂き感謝しながら死にましたが、この様な人は矢張り死後キリスト教の霊界へ行くのでせうか。

“さうですね、たゞ感謝したゞけぢゃ観音様の霊界には行けませんよ。やっぱりキリスト教の方の団体へ行きますね。然し、まあ霊界へ行ってから、自分は観音様の方の団体へ行きたいからって御願ひすれば行けない事もないですがね。一旦はどうしてもキリスト教の方へ行きますよ。

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“善言讃詞の三毒、五濁の意味、及び之を滅する為にはどの様な方法がありませうか。

“三毒、五濁と言ふのは仏語ですよ。三毒って言ふのは貪、瞋、痴ですね。五濁っていふのはやゝこしい憶えにくい文字でね、私憶えてませんがね、とに角、罪穢れの種類を表すものですよ。だから、「三毒、五濁」ってのは人間の罪穢れを分類したものですね。そして之を滅する方法はいゝ事をする事です。いい事はしないで滅するのだったら苦しむんですね。然し、この苦しむ方は骨が折れる割合に効果が少いんです。所が、いゝ事をする方は人に喜ばれ尊敬されて、罪が消えるのもとても早いんです。これが信仰ですね。だから、教修を受けて入信するって事は、穢れを消滅する方法を覚える事と、之を行ふ事を知るんですね。そこで、たゞ教修を受けたゞけぢゃ、まあ受けないよりよっぽどいゝけれども、ほんとうに罪穢れを除るにはそれだけでは十分ではないですね。――

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“霊統によって罪穢れの軽重があるでせうか。又、仏滅は霊統に如何なる影響を与へるでせうか。

“霊統による罪の軽重といふ事はありますね。この霊統とは祖先からずっと続く血統とも言へますがね。一寸違ふのは血筋っていふのは体的で、雑って混血する事がありますが、霊統の方は歴然としてゐて、雑るといふ事は絶対ないんです。混血っていふのはあるけれども、混霊っていふのはないんです。日本人の霊統には三つあるんですが、この三つが火、水、土になるんですね。火が大和民族、水が韓民族、それから土が支那民族になります。で、日本には支那、朝鮮系の人の方がずっと多いんです。本当の大和民族って言ふのは極く僅かなんですね。そして今迄は大和民族は割合下になってゐて、そうでないのが上に行ってたんです。所が、今度昼間になると皆決る所に決るんですが、之を時所位を得るって言ふんです。それからもう一つは仏滅ですね。仏っていふのは神様の化身ですからね。神様ってのは昼間の働きをされるもんなんです。所が今迄は霊界が夜であり、昼の働きが出来ないから仏になって居られたんです。だから昼になるにつれて本当の働きに帰られる訳ですね。これはそういふ宗教的な面でも言えるんですが、物質的、現象的に言ってもそういふ大転換、文化の大転換が行はれるんです。昼の世界になれば戦争なんかなくなりますしね。丁度今が転換期の焦点に入って来てる訳です。

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“法隆寺焼失の因縁に就て御知らせ下さい。(御光話録第三号参照)

“之は今言った仏滅の、仏の滅する一つの型になるんですね。あんな貴重なものを焼いた事を旨く理窟づけるなんて怪しからん、と言はれるかも知れませんがね。然し焼けたのは事実なんですからね。あらゆるものは偶然の如くして決して偶然ではないんです。焼けたのは焼けるべき理由があって焼けたんです。で、この法隆寺の焼けたのも仏滅の一つの表れと解していゝんですね。我々の解釈は霊的であって、体的ではないんですからね。そこで最初の仏滅の表れは昭和六年六月十五日に私が安房の日本寺に行った時なんです。この日本寺は乾坤山って言ふんですが、まあ御寺で日本寺なんて言ふのは珍らしいもんですね。そこへ行った時いろいろ神秘がありました。私は十四日の晩に泊って十五日の未明に頂上まで登ったんですが、頂上まで一時間位かゝるんですよ。その途中、山の到る処に仏像があるんですね。観音、釈迦、阿弥陀から木蓮、龍樹等、まあ殆どの仏が網羅されてるんです。そして日本寺に入ると橄欖樹があるんです。釈迦がその下で悟りを開いたっていふ菩提樹ですね。まあ日本にあれ位大きな菩提樹はないと言っていゝでせう。そこで、あゝこれは仏界の型だなと私は思ったんですよ。  神様が世界の経綸を行はれる場合はね、すべて「型」ってものをおやりになるんです。神様がこの位(直径一尺位の円をおかきになられる)の活動をなさる時には、この位(直径一寸五分位)の型もやられゝば、又この位(直径三分位)の型もやられるんです。丁度之は人間が最初に胎内に宿る時は虫けら位の大きさですが、それが一人前の大きさの人間になる様なもんでね、世界の動きも、国際状勢もある型によって示されるんです。私なんかは周りでよく示されるんで実に便利なんですがね。で、今の日本寺ってのは仏界の型になるんです。こゝで昼の世界への第一歩が始まった訳なんですね。時間がないので何れ詳しく御話しますがね。まあ、もう一つ御話しませうかね。十六日に東京に帰ると、その時分は東京の大森に住んで居ましたが、下駄の職人で小池っていふのが飛んで来て、私にね、「大変です。私はゆうべ夢を見ました。恐ろしい夢なんです。大変です」と言ふんですね。私が「何が大変なんだ」って訊くと、最初御釈迦様が鍬で穴を掘ってゐた、そして山口四郎――之はその頃ゐた人ですが、この人が御釈迦様になってゐたんださうです。そしてその御釈迦様の山口がね『小池さん、世の中ってつまらないものですね、結局こうやって自分が穴を掘って自分でその中へ這入るんですから』と言ふんださうです。それから夢が一転して私の家の庭に小さな池があったんですが、この小さい池が小池になって、また面白いですがね、その小池へ誰かゞ石を投げた。そこで渦巻が出来たがそれがだんだん拡がって、たうとう世界中の人が死んでしまう。そして暫らく地上が淋しくなってゐると、所々に観音様が立たれてるんだって言ふんですね。さう言って大変だって騒ぎ立てるんですよ。そこで私は「何だ馬鹿々々しい。聞くのも可笑しくて仕様がない」って言って帰したんですがね。すると夕方になって電話がかゝって来て、小池が変だから来てくれと言ふんです。あんまり遠くもないので私行ってみると、「先生、心配で心配で仕様がない」ってまだ言ってるんです。そして、私ってのは世界のピントを合はせる為に生れて来たんだって言ふんですね。そこで可笑しくなって、「そのピントっていふのは一体何だ」って訊いたら、「いや、何でもピントってのがあって、それを合はせるのが先生だ」って言ふんです。その当時は大本時代でしたからね、鎮魂っていふのをやってたんですが、その鎮魂をやってね「安心して心配しないで居給へ」って言って帰ったんですが、あくる日又電話があってね、「小池が今朝鈴ケ森(スズガモリ)の海(註……大森の近くの海)へ入って自殺した」って言ふんです。そこで私は、これは本当の事だな、と思ひましたがね。とに角、命を捨てるって言ふのは容易な事ではないですからね。それから昭和六年六月十八日に非常な神秘があったんですが、これはまあ又の機会にして、満洲事変の始ったのは丁度それから三ケ月経った時でしたかね。この始まった時に「あゝあの渦巻が始まったな」と思ひましたね。結局、あれから日本の大波乱と大転換が始まったんですからね。――それでゝすね、日本寺は十年程前に焼けたんですが、そこの管理者は原田祖岳って有名な坊さんでしたが、もう再建不能だって言ってましたがね。まあ、法隆寺が焼けたのも、この日本寺が焼けた意味みたいなもんですね。

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“薮睨みは霊的でせうか。又幼児の間なら全快致しませうか。

“之は治ります。霊的と体的と両方ありますよ。霊的の場合は眩しくて正視出来ないんですね。眩しいといふのは地獄にゐた時の苦しみが未だ眼に残ってるんです。前世に於て、人の目をくらますとか、ごまかすとか、或は盲だったとかね。それがまだすっかり浄化されない中にこの世に生れて来たんですね。それから体的にはね、眼の筋が吊れてるんですよ。毒の固りがその筋を圧迫してるんです。ですから浄霊によってどちらも治りますよ。

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“廿七才の女、腎臓を病み、注射をしましたが一向によくならず、やがて脊椎の下に半径一糎位の瘤が出来て非常に痛み、立ったり坐ったりする時ポキッと音がします。御浄霊により痛みは大変楽になりましたが之は霊的でせうか。生後七ケ月位で死亡した幼児の位牌を寺に納めてしまい、現在は祀って居りませんが、関係ありませうか。

“之は霊的ではありませんね、薬毒です。注射なんかを沢山したからそれが出たんですよ。音のするのは瘤が出来たため、筋や骨の位置が圧迫により多少変るためです。然し、この子供の位牌を寺に納めて現在位牌がないってのはいけません。でも寺から位牌を戻すのも変だから新規に作ればいゝでせう。子供の霊が憑る場合にはそんな所には憑りませんよ。肩に掴まったり、乳に縋ったりします。肩に何か背負った様な感じがあったり、乳房をつかまへられてる様な感じがしたりするのだったら、こんなのは祀るだけで直ぐ治りますよ。祀らうと思って唯そこへ行ったゞけでも治る事もあります。

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“二才の女児、眼の部分に土色の痣がございます。土色の痣は余り見ませんが、全快致しませうか。

“痣は治りませんね。赤痣だけは少しは薄くなりますが、すっかりは治りません。紫と黒の痣は絶対駄目ですよ。この土色っていふのは黒の薄いんですよ。赤痣ってのは前世で斬られたり、突かれたりしたシミが残ってるんですよ。だから赤痣には突かれて出血し、血が迸ってゐる様な形になってゐるのがありますね。黒痣ってのは人の怨みですよ。何か前の世で人から怨まれる様な事をしてその想念がシミになってるんです。本人の前世でなくても、祖先が怨まれる様な事をしてその子孫にシミの出来る事もありますがね。

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“二十三才の男子、頭が浄化致しましたので早速全身を御浄霊致しました処肛門から相当出血致しました。以後頭部浄化の度に御浄霊致しますと必ず肛門から出血し、その量は段々減り現在は盃一杯位でございます。この血は頭から出るのでせうか。

“之は浄化ですよ、結構なんです。これは非常にいゝんで、勿論頭から下って出るんですね。主に後頭部です。とてもいゝですよ。しかも出血は余り痛みませんしね。

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“分家した許りで仏壇がございませんが、御屏風は何処に御祀りすべきでせうか。

“こういふのは早速仏壇を作らねばいけませんね。よく田舎などでは、本家さへ祀れば分家は祀らなくてもいゝといふ所がありますが、あれは飛んでもない事です。祖先によっては、自分は次男の所がいゝとか、私は三男のそばがいゝ、長男はいやだとかいふのが沢山あるんです。又、人間で言へば、長男の所へも行きたい、次男の所へも、三男の所へも行ってみたいっていふもんですが、所が、行きたいと思っても次男、三男の所には場所がない訳です。だからこれは大の親不孝者になるんです。だからね、世間で「孝行したい時には親はなし」なんて言ふけど、死んでから本当の親孝行が出来るんです。仏壇のない人は断然仏壇を買って早く祀るんですね。

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“十三才の男、六年前カレーを喰べた所蕁麻疹の様になり、医師にはかけずそのままにしておきました所、全身に発疹し終日泣き通して居りました。現在全身肌が鳥の如くになり、爪まで鳥の様になりましたが、之は御浄霊により御救ひ頂けませうか。

“カレーを喰べたゞけでこんなになるなんて一寸信じられないですね。――こゝで一寸言っておきますが、蕁麻疹といふのはカルシュウム注射をやった人が罹るんです。カルシュウム注射をやった人は必ずなりますね。所が医学では之を治すのに又カルシュウム注射をするんです。同じものを体に入れると一時おさまるって事があるんですね。然し、之が又蕁麻疹の原因になりますからね。結局元通りの事、元よりもひどい事になるんです。然しこゝで鳥の様な状態といふと、このカレーっていふのはライスカレーなんでせうが、それに使った鳥が余程特別の鳥だったんでせうね。ですが鳥でこんな事になるのは珍らしいですね。よく鰻なんかはありますがね。まあ、そうとしか思へませんね。然し、治りますよ。大いに徳を積んで観音様から御恵みを頂く事ですね。

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“私は昨年腎臓結核で入院致し片方の腎臓を手術して貰ひましたが、その後一向快くならず、昨年暮より御浄霊を受けました所大変楽になりましたが、現在三十分位毎に小便に立ちます。之は根治致しませうか。

“片方しか腎臓がないんだから、すっかりとは治らないでせうがね、然しこの三十分おきっていふのは一寸ひどすぎますね。これは残ってゐる方の腎臓が萎縮してるんですから、御浄霊して毒をとれば腎臓が拡がりますからね、ずっと楽になりますよ。それから手術して取った方の腎臓の跡にも膿が溜ってますからね、いくら手術して取ったって、たゞ体的にだけ取ったんですから、又溜ります。だからそっちも矢張り御浄霊するんですね。随分違ふ様になりますよ。

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“春蒔の蔓は必ず左巻きですが、立秋後に種を蒔くと蔓は必ず右巻きになるのはどの様な理由によるのでせうか。

“ほう、そうですかね、植物学ですね。今度私も植物園を造りますが、これはこれでいゝんですよ。春は日で左、秋は月で右ですからね、ちゃんと理窟に合ってる訳ですね。春といふ字だって三人と書いて日を書きますからね。

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“生れ年、生れ月がその人の運勢、性格に関係あるのは何故でせうか。

“人間には気がつきませんがね、あらゆるものには波みたいに変化があるんで、その年ならその年の「気」を受けるといふ事になるんです。一年の気候にも春夏秋冬があり、月にしても雨の多い月、少い月があるし、又日によっても違ひますからね。之と同じ様に波があって、霊的にその時の霊気を受けるといふ関係もあるんです。それから数の関係もありますね。私は十二月二十三日に生れたんですが、二十二日が冬至ですからね、春分に変化し始めるのは二十三日が本当なんで、最初暦を作る時に二十三日を元旦にする筈だったさうですが、何かで一週間延びたんだっていふ説がありますが、これなんか面白いですね。二十二日は日が一番短いんでね、二十三日に生れたっていふのは、これから春になるっていふそこに働きがある訳です。まあ、皇太子様も同じですよ。けれども、これはきっちり決ってるといふものでもないんです。或る程度の影響を受けると言った程度でせう。太閤秀吉は一月一日に生れたから出世したって言はれてますが、一月一日に生れた人は外にも沢山あるんですからね。で、私は午の年の午の月の一日に生れたんですが、この人は将来必ず人の頭に立つ人だって言はれたもんですが、成程之は当ってると思ってゐるんですよ。一寸面白い話があるんですがね。昭和五年の五月五日、この日は午の年で午の月で午の日になるんです。五は火で午ですからね。五、五、五で又午、午、午となった日はないらしいんです。そこに私の霊的意味も大変あるんですが……その昭和五年五月五日の正午に私が面白い恰好で撮した写真がありますから見せて上げませう。(一同右の御写真を拝見、筒っぽの御帽子を御召しになられた御姿)

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“人間の想念が天候に異変を起すとの御言葉でございますが、二百十日や二百二十日は厄日とされ、毎年特にその時期に暴風雨があるのは何故でせうか。

“こういふ天候の異変は、結局それが必要なんですね。二百十日、二百二十日頃に起きると、或程度稲を倒す被害があるにはあるが、その反面、根を固めるっていふ力は大したもんですからね。木でもそうですよ、ゆすぶられると倒れない様に根を張って、木に力が出て来るんですよ。さうでないと木は倒れ易くなってしまいます。だから強い風が吹くと根が張っていゝんです。風で倒れる様なのは肥料をやってるからです。無肥料にすれば倒れる事なんてありませんよ。

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“北半球と南半球で季節が逆なのは、四季が地球の呼吸であるといふ事から見て、どういふ事になりませうか。

“之は当り前ですよ。北と南とはすべて反対ですからね。北が霊で南が体なんで、呼吸から言っても吐くと吸ふで陽と陰、霊と体ですから、片方が吐く時には片方は吸ふんですよ。

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“「五六七の御代」には、なくなった歯が生えて来ませうか。(笑声)

“生えませんね。(笑声)歯が生えて来るとなると、皺も伸びて来なくちゃなりませんからね。すると、年寄りも若くなって来るでせう。若いのがそんなに出来てしまっては都合が悪いでせう。(笑声)そうなるとね、若い者は赤坊にならなければならない。(笑声)赤坊は生れる前に舞ひ戻らなくちゃあ……(爆笑)

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“口頭試問の時や、大勢の人前に出た時に、のぼせて顔が赤くなり、心臓がドキドキするのは何故でせうか。

“これは最初はさうですよ。私なんかもさうでしたからね。思ふ事が口に出ないんですね。だからよく「人間が並んでると思ふな、カボチャが並んでゐると思へ」って言ひますがね。(笑声)まあ、「馴れ」ですよ。幾度もやってるうちに何ともなくなりますよ。きっとこの人は特別に心臓が弱いんですね。

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“或る男、舌が二つに裂け、その一方は何も感じなくなり、食事の際に邪魔だといふので、その感じのない方を鋏で切り取ってしまひましたが、その後何事もない様です。之はどういふ訳でせうか。

“之は訳がありますよ。この人は前の世で大いに二枚舌を使って罪を作った人なんですね。その罪が消えない中に此の世に生れたんで、舌が二つになったのです。こんな事は実際ある事ですよ。二つに裂けなくても、生れ乍ら二枚の人もあります。だから二枚舌とはうまく言ったもんですよ。

“最初真中に筋が入ったので、どうしたのかと大分騒いださうです。

“ほう、随分変ってますね。とに角、二枚舌を使ふ人は沢山あります。そしてその為に被害を蒙った人が怨みますからね、それがいけないんですよ。

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“「しらくも」は霊的でせうか。又御浄霊で治りませうか。

“之は霊的ではありませんね。分泌物が多いとそれが固まって「しらくも」になるんです。「ふけ」もそれですね。この分泌物っていふのは毒、薬毒です。「しらくも」は子供に多いんですが、之は親の薬毒ですよ。昔は胎毒、今は遺伝性梅毒、ほんとは薬毒なんですよ。(笑声)

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“歯の生え替る時、前の歯を抜かずにゐると八重歯になる事がありますが、之は御浄霊で治りませうか。

“たんと未だ出ない中に御浄霊すれば治りますがね、沢山出たあとではいけませんね。之も前世の罪ですよ。何の罪かっていへば、まあ、親の脛を噛りすぎた罪ぐらい……(笑声)

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“生れた時には気がつかなかった程度のものですが、大きくなって脱臼してゐる事が判った場合、普通ギブスを用ひますが、ギブスをはめなくても御浄霊で治りますでせうか。

“治りますよ。このギブスってのは全く要りませんね。脱臼って何処ですか?

“腰でございます。

“腰、ほう。之は脱臼ではないんぢゃないかな。どうして脱臼だって事が判ったんですか?

“レントゲンで撮りまして――

“あゝ脱臼ぢゃないですよ。レントゲンていふのは実に当てにならないんです。この間も、レントゲンでみて絶対治りっこないっていふのを治してますからね。私も幾らも経験がありますよ。腰だからむしろ治りいゝもんですがね。どこか急所が違ってるといけませんがね。ほんのこれっぱかり(小指の先を御示しになる)の塊りの為になる事もありますからね。

“左足の方が少し発育が悪い様でございますが――

“薬毒が発育を抑へてゐるんですよ。それから之は注意しないといけませんよ。足が全部地につけない子がゐるでしょ?それは地につけないから発育しないんですよ。そのつけない所に毒の塊りがあるんですからね。それを御浄霊で溶かせば足が伸びて来ますよ。よく医者は小児麻痺なんて言ひますが、全然違ふんですよ。

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“霊界は天国、八衢(ヤチマタ)、地獄の三段階に分れ、その各々が六十段に分れ、合計百八十段になって居り、之を霊層界といふ――と御著書に拝見致しますが、之を現界にあてはめ、現界的、物質的に表現致しますとどの様になりませうか。

“之は、現界もそういふ事になってるけど、霊界程きっちり行かないんですね。それでも終戦前は割合はっきりしてゐたんだけれども、終戦後は民主的になったので余程違って来てますがね。まあ、今、食糧不足だとか、就職難だとか、病気だとかで困ってゐるのは地獄に相応しますね。それから、どうやらやってるけれども大して仕合せでもないっていふのが八衢ですね。そして、こんな時勢でも却って物質も豊かで健康で、なんてのは天国ですね。その中でもまたいろいろ段階がありますが、まあそんな風に解釈すれば大体合ってますね。私らは天国の大分上の方ですね。思ふ事が何でもその通りに行きますからね。

“現界は天国的世界と地獄的世界と入り乱れて居りますが、霊界では之が整然としてゐるのでせうか。

“えゝ、霊界はきっちりしてますよ。それでもこゝ何千年の間矢張り乱れてゐたんで、今、整理を始めた所ですがね。そうは言っても現界とは全然違ひますよ。大体整ってゐるんですね。

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“念被観音力、念被観音行、念被観音心の関聯に就て御伺ひ申し上げます。

“之はね、心が元で、観音心が出来れば観音行が出来る。観音行が出来れば、従って力、観音力が発揮されるんです。祝詞には逆の順になってますね。然し之はいゝんです。仏の方は逆ですからね。体が先ですから。所が神様の方は霊が先であり、心が根本なんです。それから自然に行ひが決るんですよ。心と行ひが一致しなければいけません。心言行一致って言ってね、心と言葉と行ひが一致するのが本当なんです。

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“二十一才の男子、痔瘻になり御浄霊して居りますが、体が衰弱して次々に霊が憑依し、最近二週間は現幽の間を彷ってゐるかの感がありますが、何卒御守護を御願ひ申し上げます。

“痔瘻が間接には影響してるかも知れませんね。出血しますか?

“はい、出て居ります。医師の診断では肺結核との事でした。

“えゝ、医学では痔瘻と結核は兄弟ですからね。食慾は?

“割合にございます。

“ある。で、痛む?

“痔瘻は痛みませんが、腰の方が――

“いや、痔瘻の痛みったら大変なもんですがね。

“以前には血痰が相当出ましたが――

“血痰ね、えゝ。で、薬は相当入ってるんですか?

“はい、以前肋膜で相当服んで居ります。

“あゝ結局ね、大体、後頭部と背中ですね。肛門から出る血は後頭部の事が多いんです。そして衰弱したんで霊が憑るんですからね、矢張り血が殖えなくちゃならない。と共に、出るだけの膿は出なければいけないんですからね。之は何時頃から?

“昨年の六月からで、痔瘻がひどくなったのは十一月からでございます。

“えゝ、結構な痔瘻なんですがね。そして熱は?

“いつも八度位でございます。

“八度ね。で、あんた教修は何時受けたの?

“昭和二十一年でございます。

“余程霊力が強くないと毒が早く溶けませんからね。そして御浄霊は奥を狙ふんですね。表をする時は裏を、裏をする時は表を狙ふんです。さうすると溶け方も早いですよ。そして之は衰弱をひどくしない様にしてやるんですね。

(光話八号  昭和二十四年五月三十日)