風邪が解熱剤其他の物的療法によって、一旦解熱したように見えても、実は水膿溜結はそのまま残されたのであるから、人間の浄化作用は再び発熱によって溶解しよふとするのであります。且つ其後に幾分加はった膿と相俟って発熱は漸次執拗を増すのでありますが、再び解熱法をするので、斯の如き事を繰返すに従って、容易に解熱しなくなるのは当然で、斯うなった症状の場合、それは肺の初期といはれるのであります。そうして、右の膿結の為に、其後に発生した水膿は頸部附近へ集溜し難くなる。それは水膿なるものは、排除される可能のある個所へは集溜するが、固結して排除不可能になった個所へは集溜しなくなるもので、自然は洵によく出来てゐるのであります。
此理によって水膿は、漸次胸部の辺に停溜する事になるのであります。そうして人間は常に腕を使ふ関係上、どうしても両胸部特に乳部へ神経が集注されるから、其部の肋骨に膿結するのであります。ですから、そういふ人の肋骨を圧すと必ず痛み、又微熱もある。聴診器を宛てると、ラッセルも聞え、レントゲン写真を撮れば雲状態も映るので、実に結核らしく思はれるのですが、事実此時は、肺に異常はないのであります。
女は乳の辺へ溜るので、それが「痼(シコリ)」となって、乳腺を圧迫する。それが為、そういふ人は子供を産んでも、乳の出が悪いのでありますが、それを解くに従って乳が出て来るのであります。
(岡田先生療病術講義録 昭和十一年七月)