人間の死とは、肉体から霊が脱出分離するといふ事は、前項の通りであるが、然らば、脱出の霊魂は何処へゆくかといふと、それは霊界なる別の世界の住人になるのである。であるから、仏語でいふ往生とは、“生れ往く”とかくのである。それは、現界からみるから死であるが、霊界から観れば生である。元々仏界は、霊界中の存在である為、生れ往くといふのが当然である。死の前の事を生前といふのも同一の理である。此霊界の実体に就ては面白いのであって、私は、永い間凡有る方法を以て研究実験したのであるが、何れ、別に記くつもりであるから、茲では省く事にする。
右に述べたのは、人間に関してのみであるが、森羅万象如何なる物と雖も、霊と体とから成立ってゐるのである。生物でない、茲にある此火鉢でも、座蒲団でも霊があるのであって、もし、霊が分離すれば、その物は直ちに崩壊するのである。故に凡有るものは、霊によってその形体を保ってゐるので、その一例として、生石と死石といふ事がよくあるが、死石といふのは、霊が極稀薄になって、形体を保ち難くボロボロ欠けるのである。又魚や野菜が、時間が経つに従って腐敗したり、味が無くなったりするのは、霊が漸次放出するからである。たゞ、斉(ヒト)しく霊といっても、物質の霊は霊であって、生物の霊は精霊と名付けられてゐる。
(医学試稿 昭和十四年)