誤診誤療の実例 三、松田文相の死

西洋医学に於る健康診断は、未だ不完全であるといふ事を断言したいのである。 最近に於るそれは松田文相の死である。新聞紙の報道によれば、医学界の権威として帝大の古参教授として、令名の高い真鍋博士が死の三時間前に健康診断をしたといふ事である。之は軽々に看過出来ない重大問題である。三時間後に死ぬといふ事を予知出来得ない健康診断なるものは果して何の価値があるであらふ乎。健康診断を受けよふとする目的は、病気の前兆を知る事であり、病気の前兆を知らふとする事は、万一の事態を免れんとする意図である事は言ふ迄もない。

然るに、其最後の目的である死そのものが、三時間前に予知出来得ないとしたら、それは、健康診断などをしないのと同じ結果である。之によってみれば西洋医学は、もっともっと進歩しない限り、其健康診断は未だ信頼するに足りないと言ふ事が出来る。

又之等の問題に対して、当局も世人も余りに冷淡ではなからふ乎。他方面に於る割合小さい問題にも必要以上に神経を尖らす現在の社会が、事医学上に関する一切は、不思議な程寛大であるのは、どうした事であらふか。此余りの寛大さに蔽はれての為かは知らないが、赦すべからざる程の誤診誤療が頗る多いといふ事である事は想像され得るのである。帝大の権威でさえが、今回の如き不明である以上、一般医師の診断の如何なる程度であるかは予想し得るであらう。然し之は、医師を責むるのは当らないかも知れない。実は、罪は西洋医学にあるので、それは世人が想像する程に進歩してゐないと見るのが本当ではなからふか。要するに、西洋医学過信の罪が種々の形となって現はれ、それをどうする事も出来ないのが現在である。

注射の誤りや手術の誤りに因る急死、其他の確かに医師の過失と認むべき事実に対し、死者の家族の憤慨談や又、訴訟事件等の新聞記事をよく見るのであるが、此場合、何故か、医師の方が有利な結果となるやうで、其為かどうか知らないが、大抵は泣寝入りとなる場合が多いやうである。尤も医療に干渉し過ぎる事は、医師の治療に於る支障ともなるのであるから、一概には言はれないが、何事も程度があり、程度を越えれば、弊害を醸すのは当然である。併も事は人命に関するといふ重大事に於てをやである。

(新日本医術書 昭和十一年四月十三日)