御光話録  昭和二十三年十一月

十一月八日(月)

【お伺】現在の世界状勢を見ますと第三次大戦の危険も多分にあり、又共産主義の天下になるやうにも存ぜられますが、之に対し何らかの心構へを持ちたいと存じますが――

【御垂示】矢張り神様がやって居られるんだから別に何も要りません。その人その人の立場により常識的に、神様に御委せする考への下にやってゐればよいのです。

【お伺】今迄は祖国愛といふ風な名の下に気の向かない場合にも協力的な態度を取らねばなりませんでしたが――

【御垂示】然し今後は日本は戦争しない事になった。そういふ風に米国がしてくれたんだから、もうそんな心配は要らないでせう。唯ね、軍隊時代の将校は使はずに兵隊だった人を「弾丸除(タマヨ)け」に使ふかも知れませんね。そういふ前例がありますから、戦争になった場合、その状態によってはそれ位の事はやるかもしれません。

――共産主義の天下になる様子も見えますね。朝鮮もそうです。ソ聯も日本を狙ってますからね。然し大丈夫ですよ、九分九厘まで行けば引繰り返る。結局ソヴィエトは崩壊するでせう、何しろ根本が悪なんだから。米ソが戦へば却って日本はよくなるでせう。

【お伺】戦争などの場合、共産主義者により内乱等も考へられますが――

【御垂示】大丈夫ですよ。――ソヴィエトは北海道を占領するでせうね。アメリカも今盛んに戦争準備をして居り、飛行場なんかB9729のため拡張してゐる様ですね――然し共産主義は全然根本から違ってゐるんだから成功する筈がない。ドイツのヒットラーと同様で一寸外面が違ってゐる丈で、従って或程度まで成功はするでせうが、それ以後は自己滅亡です。又ソ聯がどうしたってアメリカには勝てない。原子爆弾だって最近の新聞にも出てましたが失敗した様ですね。原子爆弾の装置なんか実に複雑で、二、三年位で出来る筈はありませんよ。スターリンは馬鹿ですよ。第二のヒットラーですからね。

(昭和二十三年十一月八日)

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【お伺】夢をみてゐる時霊は脱けてゐると伺ひましたが、眠ってゐる間の御浄霊は或程度効果が少いのでせうか。

【御垂示】そんな事はありません。霊と霊体は違ふんですから。霊体の方は夢をみてゐたって同じ状態です。抜けて出て了ふのは大体副霊です。

(昭和二十三年十一月八日)

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【お伺】御浄霊の時「此の病人が一日も早く治りますように――」と観音様に御願ひする気持になりますが、矢張り之も抑へた方が宜しいのでせうか。

【御垂示】抑へなくて結構ですよ。抑へた方がよいと言ったですか?それは何か間違ったのでせう。観音様に御祈りするといふ気持が本当です。特に危急の場合は「大先生御守護を御願ひ致します」と云ったらよろしい。私がその時は神様の代理になりますから。然し普段何でもないのにやられてはこっちは困りますがね。――

(昭和二十三年十一月八日)

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【お伺】御地蔵様を今迄祀ってゐた人が、それをそのまゝにして引越したあとへ移り住む場合、如何処分したら宜しいでせうか。

【御垂示】矢張り祀って上げた方がよい。大変な功徳です。祀るといっても御花を絶やさぬ様に上げ、又時には御飯を上げる位で宜しい。移り住む人が嫌ったらあなたの所へ持って来て祀ったらいいぢゃありませんか。その家の人が納得すれば勿論その家の方が宜しいです。

【お伺】よく頭が落ちたりしてゐるのも見うけますが。

【御垂示】えゝ、余りひどくいたんでゐるのなら治したらいゝですね。無理に鼻を削ったりしたら罰があたるかも知れませんが治すのは結構です。矢張り今迄祀られてゐたのなら祀るべきであって、祀らないと何か祀って貰ひたいための知らせをするかも知れません。祀る位置は多少違っても構ひません。

(昭和二十三年十一月八日)

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【お伺】前々回「救と裁き」に就て有難い御言葉を頂きましたが重ねて御伺ひ申し上げます。私共は日常屡々他人を批判批評致しますが之も僣越でせうか。他人の批判により向上を期し得るとも考へますが此点如何で御座いませうか。

【御垂示】批判したって構はない。そんなに固苦しく考へなくてもいいのです。けれどもね、あの人はいゝとか悪いとか決める事はいけないのです。いゝとか悪いとかいふ事は人間には判らない事だから。殊にこっちが明るい気持でいふのならいゝが、悪意を以てあの人はいゝとか悪いとかいふのはいけないのです。憎悪の心を以ていふのは罪になります。

それから自分が悪口をいはれてそれを気にかける様ではまだ駄目です。自分は天地に俯仰して愧ぢざる行動をとってゐればそれでよい。他の人からよく思はれたいとか、感謝されたいと思ふのは間違ひです。人の気に入ったり愛されたりするよりも、神様の気に入り神様から愛されたいとの気持でするのが本当です。そうする場合他の人々には悪くとられるかも知れません。然しそれは気にする必要ない。

私も以前は散々人から悪口をいはれたものです。大本時代にも人々を信者にして大本の本部の亀岡へ送るとそれっきり何ともいってこない。で、よく調べたら亀岡へ行くと「岡田は邪神だから近寄ってはいけない」と云はれるので皆離れて了ったのです。こんな理屈に合はぬ事はない――向ふはこっちが邪神だと思ったかも知れないが、こっちは向ふが邪神だと判ったので大本を離れたのです。人から悪口を言はれるのは霊的には、こっちの罪をその人がとってくれるのです。だからむしろ有難いのです。その代り悪口を言ふ方は罪を着るんです。

(昭和二十三年十一月八日)

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【お伺】御弟子方が、あゝなればよいとか、こうなればよいのだが――といふ風に考へ勝ちですが之も執着でせうか。

【御垂示】それは信仰がないからだ。神様を信用してないからです。すべて神様がやって居られるんですからね。

――神様に御任せするといふ気持になるのには余程修業が要るんですね。どうも人々は人間的に考へては苦しんでゐるですよ。私は問題に面して適当な案がない時は神様に御任せするのです。

――又他の人がしたいといふ事は間違ってゐてもやらせて了ふのです。それはやりたいと思ってゐる時注意してもなかなか悟れない。行き詰って初めて気がつくのです。車でも坂を下りる時、坂の途中で止めようとしても止まらない。下まで行ってから止めれば直に止まるのと同じです。

【お伺】その坂の途中に在るのか下まで行きついたのかはどうして判断致すべきでせうか。

【御垂示】それは直判りますよ。下まで行った時気がついて自分で苦しみますから。神様の方だって「俺にそんなに任せるんならちゃんとしてやらう」といふ事になるのです。

(昭和二十三年十一月八日)

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【お伺】よくどっちをとってよいか選択に迷ふ事がありますが、或所では何か「こより」の様なものを観音様へ御供へしそれを丁度「クジ」を引く様に頑是ない子供にとらせて迷ってゐる事を決めてゐるとの事ですが実に旨く行くと聞いて居ります。

【御垂示】えゝそれはいゝですよ。

(昭和二十三年十一月八日)

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【お伺】「信仰雑話」の中に夏暑いのは地球が息を吐くからだと拝見致しますが、

  一、赤道の南北で夏冬が反対になる事、

  二、赤道地帯が常に暑い事、に就て御伺ひ申し上げます。

【御垂示】反対になるのは上下になるからで、地球の息即ち地霊は縦に上下するからで、従ってそれから遠い南北の極は寒いのです。

【お伺】普通南北の極を結んで地軸と申しますが――

【御垂示】それは考へ方の違ひですが、南北の極は両横と考へ霊気は赤道の面を上下してゐると考へたらいゝ。

――地霊が出る時は晴で吸ふ時は雨です。之は気象上は、出る時が高気圧、吸ふ時は低気圧だといってるのです。

――日が長い短いといふ事は、太陽が地球の中心に沿って廻る時日が長く、端になると短くなるのです。

――今は地動説を学者は唱へてますが、之は嘘で不動説が本当です。天動説はキリスト教から出てゐるのですが、初めてガリレオが地動説を唱へた時異端として獄に投ぜられ拷問にかけられようとしたが、もう七十歳つの年なのでそれは免れたのです。この頃は封建的だったのですね。

【お伺】不動説といふ事は、大先生様のみ御存じの事でせうか。

【御垂示】えゝまあ一人だけでせうね。

(昭和二十三年十一月八日)

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【お伺】聖書の中には七の数字がよく出て参りますがどんな意味でせうか。

【御垂示】七は完成の意味です。言霊でもナナ、ナリ、ナルなど出来上る事です。大体聖書に限らず一は初め独一真神、二は陰陽、子が生れて三、四は四方へ広がる、そこへ熱、火が出来る五、火によって氷がとけ水になる六、こんどは土が出来て完成するのです。だからキリスト教では七日目に創生されたといふ訳から七日目を安息日としてゐるのです。之は本当です。それから八は開ける、九は「つくし」極点です。十は緯経結ぶ事で之が本当の完成です。今は九の世で、これから緯経即ち東西文化の融合をするのが観音教団の仕事なのです。十一は結んで始る。二十一世紀といふのは緯経が結んで始る世紀になる訳です。二十で王となりその上に最高の神様が御乗りになって世界を御経綸になるのです。又七は土が本当で片仮名の「ナ」も土になるのです。

【お伺】ア行以下カサ……ラワの各行と、数字一、二……九、一○との関係に就て――

【御垂示】ア行は基音であり又霊になるのです。物質的な働きはないが音としては最高です。例へばタカアマハラ、アタマ等です。以下は前の答で判るでせう。

(昭和二十三年十一月八日)

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【お伺】片仮名、平仮名、漢字の起原とその働き及び最近小学校で片仮名を教へず、又漢字制限をしてゐる理由に就て御伺ひ申し上げます。

【御垂示】漢字は一番古く、次は片仮名、一番新しいのは平仮名です。又漢字は体で仮名が霊です。だから全然漢字をなくして仮名文にして了ふのはいけない。言霊を表すのは仮名ですから姓名判断でも今迄のは言霊の音は研究されてない。字を見た感じとか画数、陰陽又は五行で判断するが、先生によってもいろいろ違ひ、例へば大森の熊崎ケイゴといふ人は六を六画、五を五画としてゐました。絵なんかでは墨絵は霊で彩色は体であり、又書は霊で絵は体になります。漢字制限はいゝですよ。必要のない字まで憶える事はいりません。然し片仮名はいりますね。英語なんか書くのは矢張り片仮名でなければ「とるーまん」では感じが出ませんね。片仮名は霊であり、男、火、直ですが、平仮名は体であり、女、水、曲です。平仮名の画は「い」は二画、「ろ」は一画です。

(昭和二十三年十一月八日)

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【お伺】御軸を初めて拝んだ途端一丈程落ちた感じがし、頭を上げたら元へ上った感じがしたといふ信者がありましたが何故でせうか。

【御垂示】少し頭が悪いのでせう。一種の軽い脳貧血ですよ。後頭部に毒がありますね。

(昭和二十三年十一月八日)

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【お伺】以前の治療時代髭を生やさぬ様にと聞きましたが、教導師の方は生やす事は如何でせうか。

【御垂示】髭は男には威厳が必要だから神様が下さったのです。生やしたって差支へありませんよ。頭の毛は伸ばした方がいゝですね、頭を短くするのは坊主の型ですから。又外国では懲役人だし、軍国主義的にも見えますからね。国際的になって来た今日、矢張り伸ばした方がいゝですね。

(昭和二十三年十一月八日)

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十一月十八日(木)

【お伺】政治家の資金獲得のための不正が次々暴露されて居りますが、現段階に於ては夫程責められない事と存じますが如何でせうか。

【御垂示】それはね、今日二合五勺の配給だがどうしても五勺は足らない。足らない分はヤミで買はねばならない。だからヤミの売手もなければならないんです。若し配給通りに守ってては腹が減って仕事は出来ませんよ。之が今の政治の実際です。之と同じに、代議士になるのだって十万や二十万の金では駄目で、どうしても百万、二百万なければ当選は出来ない。従って自己の信ずる経綸を行ふ訳には行かない。所がそんな大金を持ってゐる人はたんとない。金持ちから出して貰ふとしてもこのセチ辛い世の中に唯で金をくれる人なんかありはしない。そこで必ず何らかの権利が伴ふのです。従って検察庁で上げられる、故にいいとか悪いとかは云へませんね。

【お伺】大乗小乗の立場から見たら如何でせうか。

【御垂示】当てはまりませんね。普通の大小乗ではなく別の方ですね。だから神様に許されるも何もない。法律が許しませんよ。今は間違ひが間違ひを生む世の中です。だから神様が正しい世にすべく御仕事を始められてゐるのです。

――いゝか悪いかと訊かれても私としても自己を偽らねばいゝ悪いは言へません。

――以前軍隊では兵隊がいくら空腹で卒倒しさうでも命令がなければたとへ食糧を持ってゐても喰べられなかった。之は変な話で腹が空いたら喰べたらいゝのですよ。

――ヤミはいかんとの規則を出してゐる人もヤミの物を食ってゐる世の中だからどういふ風に批評していゝかわかりませんね。それが現実なんだから、そういふ風になってゐるんだから。

――今度出す本にも書いてゐるのですが、代議士の選挙資金は一万円もあれば沢山です。選挙も中選挙区にすればよいが、そうすればポスターも演説会も要らない。唯政見を印刷すればよい。普通の新聞なら一面十七段として六十八名分の政見がのせられる。それ丈でいゝんです。有権者はその中の気に入った人に投票すればいゝ。アメリカでは比例代表制ですが、その方が本当ですね。第一その方が金がかゝらない。代議士が選挙民に黙って他の党に入ったりするのも変ですが、まあ大抵は金で動くんでせうね。内幕は権利、金だと私は見てます。

――一番いけないのは今の機構が悪いんです。今のでは正しい人は代議士にはなれない。

――今は皆ヤミですね。だからヤミで上げられるのはふしあはせか、やり方が下手なんですね。まあ実際大変な世の中ですよ。その点アメリカなんか旨く行ってる様ですね。今盛んに大臣級の人が引っぱられるのは進駐軍の指令ですね。

(昭和二十三年十一月十八日)

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【お伺】現在の職業でその人の霊的高下が判りませうか。

【御垂示】之は判らないですよ。神様には勿論判るが人間には職業だけでは判断出来ない。まあ常識的にその人の言行で判断するのなら大差ないでせうね。他方世間には功利的善人もよく見られますから注意が必要です。

(昭和二十三年十一月十八日)

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【お伺】生命保険は如何でせうか。

【御垂示】この教団に入り或程度判ったら生命保険はいりません。早死しないから、大体九○才までは生きますからね。だから八○才を過ぎてから保険をつければまあ少しは得でせうがね。然し保険やの方で受けつけないでせうね。――

【お伺】火災保険の方は?

【御垂示】うちのはね家までは引うけませんよ。正しい金で作った家なら大浄化が来ても大丈夫だが汚れた金で建てたのは浄められます。何しろ金には霊がよく憑きますからね。私が建てた家だって燃えて了ふ事がありますよ。

【お伺】そのために花柳界なんかよく焼けるのでせうか。

【御垂示】えゝ、然し花柳界にはもっと他にいろんな汚れがありますからね。

(昭和二十三年十一月十八日)

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【お伺】病人に栄養食を与へる事は如何でせうか。

【御垂示】先づ栄養食とはどういふものかといふ事ですね。医学では完成した食物といふ意味ですね。所が人間の肉体は完成品が入っては働かないのです。未完成品を完成品にするのが臓器の働きです。だから栄養食を喰へば弱ります。

【お伺】衰弱してる人に牛乳や卵なんかは――

【御垂示】それは栄養食ではないですね。衰へると完成品にする働きが鈍りますから、或程度完成したものがいゝですね。一番いゝのは病人の欲しがるものを与へることです。リンゴなんかをおろしてやるのもいゝですが、果物はリンゴより汁の多い方がいい。

医学は外国人を基にしてゐるから、日本在来のもの、例へばアンコの様なものは病人に与へることを禁じますが、アンコなんかは材料は小豆で砂糖も入って居り非常に栄養はいゝのですがね。之は西洋にはアンコなんかないからで、医者の本にも書いてないから禁じるのですね。

栄養とは私は食物殊に野菜の中の霊気の強いものをいふのです。野菜でも西洋のは霊気が薄い。日本の土地の方が霊気が強いから作物も強くなるのです。馬鈴薯なんか私は余りたべません。松茸なんか非常に強いのです。だから香りも強いのです。香りの強いものは霊気が強いと思ってよい。果物は香りがあり汁気の多いものが霊気が強い。柑橘類はいゝですよ。

胃潰瘍なんかの場合は「おかゆ」がいゝです、胃壁がたゞれてゐるのだから。出血するなら流動食、出血が止んだらおかゆ、それで調子がよかったらごはんにしたら宜しい。チブスなんかも同じで、腸出血のために死ぬ事があります。私は下痢の時、水の様に下る時はおもゆの薄いのを食べ、便が固まるにつれて食物も固いのをたべる様にしてゐます。

(昭和二十三年十一月十八日)

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【お伺】人と対談する場合目の位置はどこにおくべきでせうか。

【御垂示】之はどこでもいゝですね。場合によっても違ひますしね。美人と対談する時は余り他処は見ないでせうし、変な顔付の人と話をする時はそうその人の顔許り見ても居られません。

――要するに之は自然がいゝのです。気持よくして上げる様にする事です。それから社交的には三、四人の人と話をする場合、その中の一人だけと話をしてはいけない。皆が気持悪くしない様に話をもって行く事です。

――話をしてるのに目を余りそらすのも失礼ですが、かといって円太郎馬車の馬みたいになってもどうも――何事も程度ですよ。御辞儀をするのも余り叮嚀でも、又余りぞんざいでも困る。相手と場合により異るべきです。だから交際の上手なのもその人の信仰が向上した証拠です、物事を程よくやる事ですから。

――又話をしてゐてもこっちの顔を見ない人がありますが、そんな時私は此の人は何か心にあるな――と見てます。それは顔を見ないのではなく見られないのです。

【お伺】よく睨む様な目の人もありますが――

【御垂示】それは目附が悪いんでせう。本当に悪い事をする人は目つきが柔いですよ。平沢なんかそうです。之は御婦人にだが、いゝ男でやさしいのは気をつける事ですね。又しゃべる事が旨い人も気をつけた方がいゝ。話の旨い人はつい人を騙す事が多い。話が下手なのは言葉でゆかず実行に表すから確かです。

(昭和二十三年十一月十八日)

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【お伺】日月地大神と弥勒菩薩(法華経)とは如何なる関係でせうか。

【御垂示】弥勒菩薩は釈迦の弟子です。日月地大神はこれから世に現れるのです。釈迦が五十六億七千万年の後に弥勒菩薩が出現すると予定したのは日月地大神の事です。

(昭和二十三年十一月十八日)

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【お伺】神前結婚式の祝詞は天津祝詞でせうか善言讃詞でせうか。

【御垂示】之は善言讃詞が本当です。天津祝詞は浄めであり、善言讃詞は浄められた後にいゝ世界が出来るといふ事ですから。勿論両方でもいゝですよ。献饌、玉串奉奠してから祝詞を奏上したらいゝ。玉串は榊か松ですが、松がいゝでせう。玉串は左手に幹、右手に葉を持ち神様には幹の方を向ふにして差上げます。左に幹が来て一になるのです。

(昭和二十三年十一月十八日)

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【お伺】教導所新築の場合の地鎮祭について――

【御垂示】大工が知ってますから大工に委せたらいゝです。

(昭和二十三年十一月十八日)

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【お伺】うどんげの花と胎教に就て――

【御垂示】優曇華は印度の伝説で大きな花が咲き、中から転輪菩薩が現れて世を救ふと伝へられてます。日本では虫の卵の事で之も矢張り意味がある様で、之が出ると何か変った事がありますが、悪い事が多い様ですね。胎教とは、いゝ事を聞くと胎児がいゝ子になり、顔のきれいな子を生みたいと思ったら美人の写真を見たりするんですが、之は確かに働きがありますね。胎教に信仰雑話を読むのなんか非常にいゝです。偉い人の書画を見るのもいゝです。観音様の御姿なんかいゝ。見る事により霊気をうけるから。

(昭和二十三年十一月十八日)

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【お伺】昨年十一月七日女児誕生十日死亡、背に紫紺色の斑点あり、本年十一月四日男児誕生七日死亡、体の半面に紫紺色の斑点あり、二回共産後母乳は一回飲んだだけで御産も軽く、両親共受講、今後丈夫な子を授りますには如何致したら宜しいでせうか。

【御垂示】之はなんですね、親に毒血が余程多いんですね。それでその子が育っても駄目だから早く――然し毒血は段々減りますからね。次に生れる子はいゝでせう。

――両方七日ですね。之は霊的な訳がありますよ。屹度七日に死んだ霊ですね。又他人なら怨みの霊、怨んで死んだ霊であり、又先祖なら七日に死んだ祖霊で、非常に罪を重ねたので子孫にその罪を分担して貰ふんです。ですから結局人助けをして善徳を積んで行く事ですね。

(昭和二十三年十一月十八日)

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【お伺】アザ、イボ、ホクロ等は何故出来るのでせうか。

【御垂示】アザには黒と赤の二種類ありますが、黒は怨みの霊でそれが霊に染みついて、霊界での浄化でも取り切れない中に生れた場合です。例へば肩を切られて死んだ場合、その怨みが向ふの肩へ行くんです。赤のアザの方は自分が斬られたり槍で突かれたりしたが、やはり霊界で不浄化のまゝ再生したのですよ。ほくろは運命のしるしです。口のはたのほくろは食ひぼくろと言って食ふに困らない。私は二つありますよ。首すじのは着ぼくろといって着物に困らず、目の縁のは泣きぼくろといひますね。それから鼻にほくろがあれば必ず陰部にもほくろがあります。こういふと大先生はどうしてそれを調べたかときかれるかも知れませんがね。いぼもとれるのととれないのとあります。やはりその人の運命のしるしですね。

(昭和二十三年十一月十八日)

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十一月二十八日

【お伺】注射により死亡する事が大分世間にありますが、之は注射薬の中に所謂毒素があるためでせうか。

【御垂示】然しね、薬の中に毒のある訳はないでせう。毒なんか入ってゐれば当局でも許さぬでせうしね。今度の京都のヂフテリヤ事件だって、大阪の日赤で作ったのだから毒なんかある訳はない、平沢なんかゐないでせうから。

――そこなんですよ。大体薬といふものは、私もよく言ふ通りないんですよ。若しあるとすれば米が薬です。米がなければ生きられないから。杉田玄白は「薬とは毒を以て毒を制するのである」と云ってますが之は至言です。毒で体を弱らして浄化を抑えるのが薬の効能です。

――霊界の浄化力が強くなったので、注射液が体の一ケ所へ寄って来るのです。そのためにいろいろ障害が起きる。肝臓出血などはそれです。だから毒血が局部的に寄ってくると熱が出て苦しみが起るのです。浄化が弱い時代は注射薬なんかは体全体に廻りそれから局所へ寄ったのだが、今はそれが全体に廻らない中に寄って了ふのです。

【お伺】注射直後体が硬直する事がよくございますが――

【御垂示】あれは注射を血管等へ打つ場合、その打つ場所が悪いのです。その結果異物が心臓へ行くから死ぬんです。

(昭和二十三年十一月二十八日)

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【お伺】個人的又は団体的悪宣伝に対し私共は宗教人として、よい宣伝を以て之に報ゆるべきでせうか。

【御垂示】間違った事に対する説明はいゝですが、打棄っておいた方がいゝです。それに災されて萎縮する様では駄目ですよ。悪口を言はれるのは結構です。悪口は浄化で、それでこっちの罪が消えるんです。

【お伺】悪い宣伝の結果悪い支障が次々起って来る心配がありますが――

【御垂示】起って結構です。之は今迄言はれてゐた事と反対です。

――大森時代私は人から悪口を言はれると笑ったものです。大本の御筆先に「悪く言はれてよくなる仕組」とありますが、いゝ事をいってます。いろいろな宗教がありますが初めからよく言はれた宗教はありません。世界的に広まってゐるキリスト教だって初めは十一人しか弟子がなかったし、然もキリストが死んで十年位経ってから心覚えを書いた、それが今の聖書なんです。それから段々に広まって来たんです。釈迦だけは違ふがあれは印度の皇太子だったからです。天理教の中山みきだって二十何回留置場に入れられ四回検事局送りになったのです。とも角最初は悪く言はれるものです。尤も今でも天理教を悪く言ふ人はありますが。

【お伺】悪宣伝に対していゝ訳をする事は如何でせうか。

【御垂示】いけないいけない。言ひ訳を言ふ様では野暮ですよ。悪口を笑って通せれば一段出来た証拠です。何か勝負事の様な事でも負けた方がよい。勝った場合には「あいつは負けたんで俺を怨んでやしないか」等と思ふが、負ければこんな事はない。だから結局人間は怨みの霊の来ない様に、感謝の霊の来る様にする事が肝腎です。決して人の怨みを買ってはいけない。之位霊的に損をする事はないんです。

(昭和二十三年十一月二十八日)

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【お伺】「恒産なき者は恒心なし」との格言がありますが、現在の世相に於ても当てはまるものでございませうか。

【御垂示】之は当てはまります。どうしても人間貧苦すると碌な考へがなくつい胡麻化したりする。だから生活の心配のない所まで行かねばいけない。宗教を信じるならそこまで行かねばならない。今迄の宗教は体を救へなかったのです。例へば病気で苦しんでゐて感謝なんか出る筈はないんです。あれは自己を偽ってゐるのです。――今迄の宗教でいふ「さとり」とは「悟」の字を使ひ諦めですが、私のは「覚」であり、知るさとりです。

(昭和二十三年十一月二十八日)

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【お伺】神国思想は余り口に出さぬ様にとの御言葉でございましたが、大先生様の御神格に就て会員にはどの様に御話ししたら宜しいでせうか。

【御垂示】神国思想はいけません。――私の事は思った通りを話したらいゝですよ。

【お伺】日本は神国だから大先生様が御生れになられたといふ事は――

【御垂示】そんな事はありません。神国思想と私とは関係ありません。

――之は難しい所で、大切なのは私の仕事を考へる事です。例へば今迄は人間の生命はどうにも出来なかった。私はそれを延ばす事が出来るのです。だからその「事実」ですよ。今迄にもキリストの再臨なんて云ふのが時々出たが本当の「事実」がない。三十年程前にも印度にサンダーシングといふ三○才位の男が水の上を渡ったりしたので、キリストの再臨とまで称されたが若死して了ひました。しかし水を渡ったりしたって人間に何の益もない。単なる興行師にすぎない。つまり病気が治ったり、貧苦が解決したり等実際の効果がなければ駄目です。私はいふのですが、釈迦や基督も偉いが人の病気を治せなかった。キリスト自身は多少治したりしたが弟子にはその力がなかった。釈迦の死だって行き倒れです。釈迦がなくなられた時獣が集まって来て泣いた等といふのはあとからの附け足しです。

(昭和二十三年十一月二十八日)

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【お伺】患者を御浄霊する場合、霊的動作を表す事がございますが、その先生によりその土地により相違があります様ですが之は何故でせうか。

【御垂示】之は無論ありますよ。憑いてゐる霊がその先生より上の場合と下の場合があり、上の場合には「お前さんには言へない」といふし、下の場合には「お前さんは偉いから話をする」といふ。狐なんか殊にそうです。結局それは光の多い人に頭を下げる訳です。

――霊が浮くといふのは苦しいから浮いてくる場合と、又霊によっては憑いてから未だ短時日だと浮き易いといふ事もあります。土地といふ事には余り関係ないが、土地により霊懸りの多いのと少いのとはあります。狐の親玉なんかが居ればその子分もその辺に沢山居ますから。

【お伺】よくその先生に力があるからだとか或はその先生にそんな霊が憑いてゐるから同じ様なのが集るのだとも聞きますが――

【御垂示】先生による事はあります。が、その人により霊が集るといふ事はないですね。

(昭和二十三年十一月二十八日)

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【お伺】教導所で治り難い患者が幾人も来る事がありますが、之はその教導師が何か自己反省すべき点があるためでせうか。或は何か他に神様の思召があるのでせうか。

【御垂示】神様の思召といふ事はない。すべてを救はれるのが神様の思召であって、思召で治さぬなんて事はない。

昨日も話した事なんですが「軍神」なんて事はないのです。今度の戦犯の判決なんか未だ軽すぎます。戦犯の犯した罪に比べれば平沢なんかは蚤のくそみたいなものです。マッカーサ元帥が「之を機会に戦争をなくして了ひたい」と言ってるのは本当です。こういふ点の判断が日本人はどうもいけない。同情して了って罪を軽くしようとする。――で、軍神といふ風に人を殺す事を手伝ふ神なんか正しい神ではない。 

治りにくいといふのは教導師の頭の働きが悪いのです。急所を当てれば治りが早いのです。外れてゐては治らない。中には体全体やればどれか当るだらうといった調子で機関銃式にする人があるが、それでは駄目です。ほんの小さな毒結のため全身的に発熱する事があるが、その時その毒結をやれば忽ち全身的に下熱する。

【お伺】着物を着たまゝでも急所は判りませうか。

【御垂示】着たまゝでも判りますよ。どの病気はどこをやるかその基準を知る事も大切です。例へば腹の悪い人は背中からやるだけで治って了ふ。

御守護を頂くには混り気があったら駄目です。

(昭和二十三年十一月二十八日)

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【お伺】今迄神道だった人が御道に入られた場合、御先祖はどの様に御祀りすべきでせうか。

【御垂示】御祀りはそのまゝで宜しい。先祖の代から神道ならいゝが途中から仏立講みたいに過去帳にすると先祖は怒りますよ。あれは非常に間違ってゐる。霊友会では他人の先祖をよく祀るがあれはいゝですね。そういふ設備もあった方がよい。私の所でも他人の仏を大分祀ってます。

(昭和二十三年十一月二十八日)

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【お伺】土蔵の白蛇を殺しましたが之は人間より上でせうか。又、祀り方は如何致すべきでせうか。又、何年位祀ってやるべきでせうか。

【御垂示】あのね、蛇はどんなのでも人間より下です。同様にどんな立派な稲荷でも人間より下です。或人が稲荷を祀る時「正二位」と書いたので狐が怒ったことがあります。大した手間ではないから正一位と書いてやる事ですね。竜神なんかは余り祀らぬ方がいゝ、面倒だから。此の場合はその家か土地の名前をつけて○○明神とし、言葉で「焼け死んだ竜神の方に、御一緒に御祀り致します故、こゝに御鎮り下さい」と言ったらよい。御供へ物は月に一度好きさうなものを上げればよい。すべてあゝいふものゝ御祀りは月に一回するんです。御宮は、はすっかいになってもいゝから光明如来の祀ってある方へ向けた方がよい。で、三年も祀ってやればいゝでせう。そうすると竜神は昇天して行きます。昇天の際はよく夢なんかで知らせがあります。

(昭和二十三年十一月二十八日)

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【お伺】山間を開墾中無縁仏を掘り出した場合と自分の田畑から変死体が出た場合の処置――

【御垂示】無縁仏はそこへ小さくは三尺四方、普通は六尺四方の平な所へ立てゝやって時々花や供物を上げれば大変功徳です。――田畑の変死体は自分の菩提寺に祀ってやればよい。その位牌は諸霊位としてやればよい。

(昭和二十三年十一月二十八日)

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【お伺】霊界とは宇宙の何処に存在するものでせうか。

【御垂示】人間が住んでゐる所に霊界はあります。又地球上或る高さまでは霊界はあるのです。北極や南極の様に人の住まぬ所には神界も仏界もない。普通は人間の住む所にあると思へばよい。又霊は何にでもあります。

(昭和二十三年十一月二十八日)

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【お伺】某教導師の兄(17)弟(12)が九ケ月の間をおいて死亡、約八十間程離れた所に稲荷があり、その祭の日に兄は死んだ。之は何か関係がありませうか。

【御垂示】何か祀って貰ひたいのかも知れませんね。月一回位御詣りしたらいゝでせう。憑依霊でも大抵ははなれられない。はなれずに副霊になってゐる。然し執着のないものは離れます。狐霊が憑依するとよく肋膜を起す事がありますよ。行者等が狐霊を追出したって又ついて了ふ。霊界には住宅難の霊が沢山ありますからね。

(昭和二十三年十一月二十八日)