十二月八日(水)
【お伺】「御浄霊は急所をやれ」との御言葉でございましたが、急所といふ様な体的な面と、信仰の面とは何れに重点をおくべきでございませうか。
【御垂示】之は体的に重点をおく可きです。といふのは、霊的に曇りの多い箇所と体的に毒の多い箇所とは同じだから、つまり霊が曇ってゐる処へ邪霊がつくんです。だから体的にみた方が判りいいのです。――毒のある所に霊がつくといふことは御浄霊により霊が逃げることがあるが、その場合必ず毒のある所へ行くからよく判ります。
【お伺】昨年宗教になりましてから着物も脱がず又手も触れませんので急所の発見が難しく殊に最近は以前の様な講習も致しませんので会員にも急所といふことが徹底出来ませんのですが――
【御垂示】そう、そういふ点は非常にあります。だから首の周りや肩などには触っても構ひません。このさわるといふことは熱の有無を見るのであって、急所も大体上半身が主です。で、第一の急所は耳下腺、頭部淋巴腺、第二は後頭部です。患者の額に触って熱い時はその原因は額の奥か後頭部か耳下腺にあるとみていい。だからまづ額を御浄霊してみる。そして暫くして一寸でも熱が下ってゐれば額の奥に原因があるとみていゝ。それでも下熱しなければ耳下腺をやってみる。それでも駄目なら後頭部、未だ下らなければ肩をやる。この順序にやってみれば熱性病は十中八、九いゝです。こういふ箇所に熱が出るため、咳や痰が出たり、頭がぼーっとして憂鬱になったりするのです。
――又手の病気も肩が大切です。中風で手の利かないのも、しもやけも肩をすることです。しもやけなんかは手の局部丈やったのでは一時よくなっても又始ります。
【お伺】膚(ハダ)を脱がすのは如何でございますか。
【御垂示】最初から「はだ」を脱がせては変だが馴染になったらいゝでせう。そこは臨機応変にやったらいゝです。
――それからもう一つ肝腎な事は腎臓から背中にかけてで、肩胛骨の間から脊骨の両側に土手の様になってゐる奴が曲物で憂鬱症、胃の悪い人はそこに原因がある。勿論この源は腎臓であり、又腰や腹の痛い人は腎盂が原因であり之は腎臓の少し下で横から圧すと大抵の人は痛むが、こゝに熱が出易いのです。腰、腹が痛んで転る様に苦しんでゐる人でもこゝをやればぢきに治ります。
【お伺】盲腸炎や肝臓の悪い場合は?
【御垂示】無論うしろです。背中からやれば治ります。下腹の痛む人は腰骨のちょっと上の凹んだ所です。胃痙攣なんかは肩胛骨の所です。
【お伺】患者を寝かせて御浄霊しても宜しいでせうか。
【御垂示】えゝ構ひません。病気によっては寝かしてやったらよい。寝かした場合でも手は五寸から一尺位離したらよい。
【お伺】手を離す距離はそれ程気にしなくても宜しいでせうか。
【御垂示】それは気にかけなくてよい。
――背中の方が悪い人で然も寝返りのうてない人をする時はその患部に手をつっこんで直にあててやればよい。然し直につけてやるのは宗教的でなく、又効果も離してやった方がよい。
【お伺】喘息なんかは如何でせうか。
【御垂示】喘息なんかはやると苦痛が軽くなるから判ります、そこが急所です。
【お伺】観音様や大先生に御すがりするといふ事は――
【御垂示】急所に当てる方が治り易い。観音様や大先生に縋る事は悪くはないが、余りしつっこくなると自力になって了ふ。要は自分は観音様の道具だといふ想念で御浄霊をすればよいのです。霊にも体にも余り片寄らない事が大切であり、治病の一般原則は霊を患者の体に深く入れてやる事です。例へば胸をやる場合は背中を狙ってやる気持で御浄霊すればよい。もう病人に治病力があるのだからそれを利用したらよいのです。
(昭和二十三年十二月八日)
………………………………………………………………
【お伺】世間ではよく弁財天や稲荷等を自分の守護神とする人がありますが、之は信頼出来ませうか。又、これらの守護神は、本、副並に正守護神とどの様な関係にあるのでございませうか。
【御垂示】之は信頼出来ます。そしてその守護神に御願ひすれば御利益を授けない訳にゆかないのです。御利益を授けないと本分を尽さぬ事になるのです。然し大体力はないから負けて了ひます。これは正副守護神とは別であって、正守護神に力を増してくれたり、副守護神に命令を下したりはしてくれます。だから守護神といっても間接的守護神です。豊川稲荷では守護神を頂くといふ事がありますが、之は矢張り御守りですが、結局狐の眷族がつくのです。眷族なんかは何万、何十万あるか判りませんからそれがいふ事をきいてくれるのです。然し例へば芸者がその旦那に会へる様にといった低級な願ひを叶へてくれるのです。正神系の神様は決してくだらない願事は叶へません。これらの守護神は体についてゐます、まア居候ですね。
(昭和二十三年十二月八日)
………………………………………………………………
【お伺】礼節と順序を重んじる事が此の御道の精神と存じますが、会員、資格者が簡単にその所属を変へて了ふことは如何致すべきでせうか。
【御垂示】所属は今度はっきりしますが、あの先生は自分の気に入ったからつくとか、あの人は気に入らないから入らないとかいふ事は大変な間違ひで、神様から見れば怪しからぬ事です。私は今迄そういふ事を言ってくる人には黙って許してゐましたが――で、今度は地域的に所属を決める事にしました。之は本部=分所が三ケ所あり、分所に分会が所属し、分会には支部が所属するのです。支部長は教導師であり、教導師は信者を一○○人以上作った人か、三万円以上献金した人か、又は支部長の推薦によることゝし、教導所を一○以上有するものを分会とし、分会を一○以上を分所とする事にしました。やはり功労のある人が上に行くのが本当ですから。
(昭和二十三年十二月八日)
………………………………………………………………
【お伺】混血児の御霊はどちらの国籍でせうか。
【御垂示】之は父方です。
【お伺】男女同権と申しますが――
【御垂示】まあ女は畑、男は種と云ひますが、男女同権といっても男は霊であり女は体ですから、矢張り男の方が上です。
(昭和二十三年十二月八日)
………………………………………………………………
【お伺】葬儀の際帰幽した御霊(ミタマ)に上げる祝詞は天津祝詞でせうか、或は善言讃詞でせうか、又は両方上げるべきでございませうか。
【御垂示】之は両方が本当です、が、神道には別にその祝詞があるからそれを上げればよい。普通は式が神式なら式のあとで天津祝詞を、仏式なら御経のあとで善言讃詞を上げればよろしい。この道の信者が集った時は皆で上げるのが本当です。
【お伺】それは神様に上げるのでせうか、亡くなった御霊に上げるのでせうか。
【御垂示】亡くなった霊に上げる。その霊だけで宜しい。
(昭和二十三年十二月八日)
………………………………………………………………
【お伺】歴史によりますと聖徳太子の御代の仏教芸術や元禄時代の庶民文化の様に今日でも及ばぬ程のすばらしい芸術、文化が発達致しましたが、何か特殊な意味のあることでございませうか。
【御垂示】之は私も始終不思議に思ってゐるのですよ。実に今の人よりも余りに巧みなのです。今のものなんか見られた態ではない。絵なんかも今の人は美術工芸家であって、描くのではなく色を塗るんです。いはゞ「ぬり絵」です。あゝいふのは輸出には向くでせう。私の子供は川合玉堂先生に絵を習ってゐたが、自分で描いて先生に見せると直される、直されたのでは会に出品しても選には入れない。で、仕方がないので今は安田靭彦先生についてゐるのです。
――西洋の油絵も又飛んでもない横道です。印象派なんかも後期まではよいが、それからの「絵かき」は主観だけを描いて客観をまるっきり無視してしまってゐる。だからまるで通用しない貨幣です。芸術の目的は美によって人の心を高め品位を向上させる事だが、あれでは却って人の心を堕落させて了ふ。あんなのは美ではなく醜です。人間を描いたって人間には見えず化物です。去年読売新聞がやった西洋の美術展覧会の絵の複写を見ましたが、全く西洋にも「絵」はなくなりましたね。
――私が最近手に入れた人形は慶長時代の作ですが、今の人なんか足元へもよれないです。昔の仁清の陶器なんか感覚が新しい。今の物の方が却って古くさいですね。――(右の御人形を拝見す)
この「マゲ」は慶長時代の「結ひ方」で、之は猿楽師の姿です。顔なんかも品があって柔いし、体つき、手足の姿勢もいゝです。
――又支那の周時代は銅器が発達したが、今から四、五千年前のでも実によく出来てます。今の銅器は「イタイハ」(?)は名人であれなら私は買ひますが、之は周の真似をしてゐるのです。又「古代ぎれ」(織物の事)は今は「タツムラリュウヘイ(※龍村平蔵)」が名人だが、之はいゝな――と思ふのは正倉院の模倣です。堂本印象のものは見られないですね、拙くて。
――いゝ「きれ」と言へば古代ぎれです。その時代の表装なんかも実にいゝですね。進んでゐるのですよ、技術も。金襴の「きれ」から織り出した具 合なんか今は出来ません。(仁清)の八角の花瓶を持ってますが、上が八角で下が円くなってゐますがその曲線が直線に変る事も今は出来ないのです。
――音楽だってさうです。どうも近代のにはいゝのがない。ベートーヴェンやバッハなんかも百年以上も前のです。今名曲と言はれるのは殆ど百年位前のですね。ドビッシイなんかどうも興味が持てませんね。長唄でも新曲は聞けません。越後獅子、勧進帳なんかにしても殆ど明治初年迄ですね。こういふ点が全く不思議なんですよ。この原因としては、唯之丈は言へるでせう。種痘のため体が弱り根気がなくなった事です。従って昔の人程に根気がなく中途で諦めて了ふのです。昔の俳優の修行なんかも今の人は真似も出来ない。師匠が唯教へるだけではなく、自分で工夫させるのです。今の時代にこんなことをしたら弟子は皆逃げて了ふでせう。忠臣蔵の定九郎も、或る役者(※中村仲蔵)が――名前は忘れましたが――いろいろ苦心してゐた或日飯屋に入ってゐると、俄に夕立が降って来た、と、そこへ一人の浪人がかけこんで来た。それを見てゐた役者が「之だ!!(ニジュウカンタンフ)」と判り、早速そのかけこむ姿を舞台でやった所大変うけたさうです。
――今の人にはこんな根気がない。実際種痘が出来てから名人が出ないです。それから又生活のためにそれぞれの道に苦心するだけのいとまのない事もありますね。
(昭和二十三年十二月八日)
………………………………………………………………
【お伺】夫婦、親子等の間で或人が他の人の犠牲になる事がよくありますが、この様な「人間関係の犠牲」はどの様に判断致すべきでせうか。
【御垂示】一寸抽象的で判りにくいが、――
【お伺】生活能力のない夫に七年間仕へて来た妻が遂に愛想をつかして離れて了ったといふ事に打突ったのですが――
【御垂示】それはね、その妻にその犠牲になるだけの罪があるのです。だから或時期まで待つべきです。我慢して待ってゐれば自然神様が主人と別れる様にしてくれるのです。その場合信仰心があるとその間の苦しみも軽いしその時期も早く来るのです。
(昭和二十三年十二月八日)
………………………………………………………………
【お伺】或大学生、健康で身体は別に異状がないのですが、つい無意識に人の物を盗み、注意されて初めて気がつきます。病院で診断を受けた所脳に大きな腫物があるとの事ですが此の御道で救はせて頂けますか。
【御垂示】之は訳なく治りますよ。医者にかゝっては大変です。頭に「おでき」の出来ることはよくあります。が、外から御浄霊をすれば目脂や鼻汁になって出ます。
【お伺】霊的な関係はございませうか。
【御垂示】霊が憑いて毒が集まることもありますが、然し普通は唯毒が寄るのです。
(昭和二十三年十二月八日)
………………………………………………………………
【お伺】今迄の偉大な古典西洋音楽などでは、中に偉大な「悲哀」を持ってゐてそれが人々を感動させるものですが、地上天国になると大きな悲哀はなくなります故芸術も明るく朗らかなものばかりになるのでせうか。
【御垂示】之はこの通りで、あくどい刺戟はなくなって明朗な脚本になります。悲劇なんかは地獄を描いてゐるのですが、こっちも地獄へおちてゐるものだから、それで慰められるのです。今迄が封建的な生活だったので圧迫される筋のものを好むのです。之はロシヤの文学なんか殊にひどい。国民性がよく出てゐます。その点アメリカが一番明朗です。あの「ヴォルガの船歌」には、ロシヤの帝政時代の希望のない生活がリズムによく出てゐます。ベートーヴェンも殆ど悲痛です。耳が悪くなってから名曲が出来たと云はれる通りです。ベートーヴェンにはいゝ所もあるが、私はアメリカのものゝ方が好きですね。
【お伺】さびなどは如何でせうか。
【御垂示】さびは悲哀とは又別です。之は日本人だけのものです。建築でも木膚(キハダ)を鑑賞するのは日本人だけです。支那でも西洋でも皆色を塗って了ふ。然し最近はアメリカなんかで一部分判りかけて来ましたね。さびは「茶の湯」から出たものです。
(昭和二十三年十二月八日)
………………………………………………………………
【お伺】麻邇の玉、如意の宝珠と、胎臓界、金剛界について御伺ひ申し上げます。
【御垂示】神道では麻邇の玉、仏教では如意の宝珠と云ふので、玉とは魂の事で絶対力の意味です。今まで世に出た事がなかった。で、本当の事を云ふとおかしいが、之は私の腹の中に在るのです。だからいろんな事が出来るのです。人を治す事も、キリストは僅かに十二弟子だけしかその力を授けられず、釈迦とても往来で急病で死んだのは自分の体すら治すだけの力がなかったからです。私はキリストと違って何万人でも人を治しうる人を作ることが出来る。この働きが麻邇の玉です。
胎臓界は日月地胎臓といって「日月地」が未だ出現しない時代の仏教で夜の世界の事です。金剛界は昼の世界で、金は太陽の光の事で、日月地下生後が金剛界になるのです。
(昭和二十三年十二月八日)
………………………………………………………………
【お伺】右きゝ左きゝについて御伺ひ申し上げます。
【御垂示】左は霊で右は体です。で、体を使ふから右であり、右きゝが当然です。だから釈迦が右手を上に上げてゐるのは反対です。左きゝには霊が裏がえしになってゐるのがあります。
【お伺】左きゝの方が細工等器用だと申しますが。
【御垂示】あれは左甚五郎が出たのでそう云ふのですよ。
(昭和二十三年十二月八日)
………………………………………………………………
十二月十八日(日)
【お伺】時節柄政治、戦争、大浄化等について、大先生様より御言葉は頂けないことゝ存じますが、更に御指導を頂くには適当な時期及び場所を得て御伺ひ申し上ぐべきでせうか。或は平常此の席で承ってゐる程度を承知させて頂けば宜しいでせうか。
【御垂示】こゝで云った事だけでいゝです。第一他の時に特別な人だけに話をすると不公平になります。「あの人に話して俺には知らせてくれない」なんて云はれますから。それに神様には秘密がない。神様は誰の前でも、いかなる人でも話の出来るべきですから。
――智慧正覚の進んだ人なら私の言葉の奥も判る筈です。そこまで行ってない人は言葉通りしか判らず、ボンクラは言葉の半分位、もっと「ボンクラ」なら三分の一や五分の一位しか判らない。だから言葉の奥まで判る様になる事が必要なんです。大浄化が来て浄められゝば綺麗になるのです。それは体の浄化――と同じ事です。段々転換して昼の世界になるにつれて、徹底した大浄化が来て、政治なんかもよくなり、「善の政治」になります。「善の政治」とは何かといふ事は智慧正覚があれば判るでせう。――
(昭和二十三年十二月十八日)
………………………………………………………………
【お伺】或る教導師が誠意を以て御浄霊致しましても患者が死亡して了った場合、それは寿命か、不自然死か、又不自然死ならばその患者の罪か又は教導師の無経験乃至不徳のためかはどの様に判断致すべきでせうか。
【御垂示】之は患者に責任があります。救はるべき資格がないのです。教導師が頭がよければ急所も発見出来るが、患者に罪があるとこっちの頭も働かず、急所の発見も出来なくて死んで了ふのです。
――人から騙されるといふ事も、騙す方が悪いといふのは半分です。騙された方も騙されるだけのくもりがあるのです。そして寧ろ騙される事によりくもりが除かれるのです。
――治り難いといふ事だって同じです。
――又、誠意だけでも駄目です。矢張り智慧正覚が必要です。両方なければ駄目ですね。
(昭和二十三年十二月十八日)
………………………………………………………………
【お伺】阿弥陀如来は現身を以て現れた事と存じますが、文献等残ってゐない様に思はれますが何故でございませうか。
【御垂示】之は残ってますよ。阿弥陀様は法蔵菩薩といって釈迦の弟子――直弟子ではないが、何ですね、釈迦の後輩ですね。そして「自分は西方へ浄土をつくるから仏になったものを寄越してくれ」と約束して、浄土を作ってから、阿弥陀如来になったのです。だからその時に現世に浄土を作ったのかも知れませんね。そこで本願寺の信者達は死ぬと浄土で阿弥陀様のそばへ行けるといふので、私はよく「では死んだら印度へ行くんですね」といったものです。日本にも阿弥陀様の分身、出張所がありますから、先年私が善光寺に詣った所、阿弥陀様がゐました。で、「もうぢき帰るから、日本にゐる間は余り悪くいはないでくれ」と云はれたので、それから私も余り悪く云はない様にしました。
【お伺】観音様の文献は――?
【御垂示】ありますよ。印度の補陀羅迦(フダラカ)山上に金剛宝座をしつらへ、観自在菩薩が結跏趺坐して、二十八部衆を従へて説教するとあります。
(昭和二十三年十二月十八日)
………………………………………………………………
【お伺】観音様と天理王尊との御関係について御伺ひ申し上げます。
【御垂示】天理王尊は観音様です。印度の伝説では、三千年目に西王母の国に桃の実が一つなり、その実は転輪菩薩で、それが世を救ふと伝へられてますが、その転輪菩薩が観音様であって、天理王は十柱の神を総称してゐますが、それは観音様のいろいろの御働きの表徴です。
(昭和二十三年十二月十八日)
………………………………………………………………
【お伺】忌中の家庭では正月の御祝はどの様に致すべきでせうか。
【御垂示】神道では五十日経てば構ひません。五十日間は霊はその家にゐますから。
【お伺】教導所の御祀りは?
【御垂示】一週間も経ったら教導所へ行くことは差支へないでせう。
(昭和二十三年十二月十八日)
………………………………………………………………
【お伺】御大黒様の御詣りには何と申し上げるべきでせうか。
【御垂示】唯御辞儀するだけで宜しい。
【お伺】願事は如何でせうか。
【御垂示】していゝですよ、うんと金が入る様にと願ったら宜しい。――金が入るのは結構だが、大事なのはその使ひ道ですよ。神様の事等いゝ事に使ふことです。
【お伺】毎日の御供へは?
【御垂示】御供へは毎日しなくても宜しい。一月に一度観音様の御祀りの時したらよい。
【お伺】山形では「きのえね」(甲子)に御祀り致しますが――
【御垂示】それは甲子(キノエネ)大黒といって甲子に大黒様を祀るので意味がある事です。
(昭和二十三年十二月十八日)
………………………………………………………………
【お伺】御姿と御書体の御軸を両方御祀りする場合どの様にすべきでせうか。
【御垂示】これは一つ床の間へ両方ですか。
【お伺】はい。
【御垂示】それはいけない。本当は字が霊だから上です。だから御神体としては書です。絵は次の部屋が本当です。
【お伺】二階へ御姿、下へ御書体を御祀りして居りますが。
【御垂示】それは反対だ、菩薩より如来の方が上なんだから。――掲ける場所がない時はしまっておいたらよい。
(昭和二十三年十二月十八日)
………………………………………………………………
【お伺】肺結核と肺壊疽(エソ)との相違、結核は霊的と伺ってますが、壊疽は霊的でせうか薬毒のためでせうか。
【御垂示】肺壊疽は肺に「おでき」が出来るのです。だから治りいゝのです。その代り痰に血膿が出ます。結核は出すべき痰を出さぬためです。壊疽の原因は大体背中が多く、発熱し圧すと痛みがあります。「おでき」の出来る位置は大体肺の外部が多いのです。之は薬毒のためです。
(昭和二十三年十二月十八日)
………………………………………………………………
【お伺】特殊料理屋で御軸を頂いて御祀り致しました所、接待婦が次々逃げて了ひます。如何致すべきでせうか。
【御垂示】おっかないね、こいつは弱るな。――観音様の絵か、外の意味の書をかけたらいゝでせう。
【お伺】そこの娘がどこかよそへ御祀りし直して教導所にしたいと申します。
【御垂示】それがいゝでせう。
(昭和二十三年十二月十八日)
………………………………………………………………
【お伺】生後半年の嬰児、右手のみ小児麻痺にかかり、約二ケ月御浄霊を続けました所、顔色等すっかりよくなり、手の握力も大分出ましたが、腕を上下するだけの力が未だ出ません。如何なものでせうか。
【御垂示】治ります。首や肩にかたまりがあります。触ればそこに熱があるから判ります。そこをよくやってやる事です。
【お伺】耳の所に凝りがありますが――
【御垂示】えゝ耳の所のも関係してます。気永にやることですね。
(昭和二十三年十二月十八日)
………………………………………………………………
【お伺】二十才の男子、三年位前から何の原因もなく足首が充分動かなくなり、三月程前から御浄霊させて頂いて居りますが余り変化がありません、如何でせうか。
【御垂示】之は軽い中風状態です。もっと重くなると下へ下ったきりになります。急所を外れてゐるんではないですか。三月もやったら治る筈です。股をよくやらねば駄目です。鼠蹊部と腎臓と膝のうらをよくやれば治ります。それから内外のくるぶしを圧してみれば必ず痛い所があります。――的(マト)外れにやってると悪い所が余計悪くなることがありますから。
(昭和二十三年十二月十八日)
………………………………………………………………
【お伺】他宗教に熱心なもの、又は他宗教に入らんとしてゐる者は、それが白紙になる迄御教修をうけさせぬ方が宜しいでせうか。
【御垂示】他宗教をはなれてこの道に入るといふ様にはっきりしたものでもない。両方信じてゐる中にこっちへ傾く事もありますから決めぬ方がいゝですね。
(昭和二十三年十二月十八日)
………………………………………………………………
【お伺】神の愛について――
【御垂示】神の愛は絶対愛です。人間の愛は小さいが神の愛は大きい。人間の愛の中で自分だけよければよいといふのは利己愛であり、一番小さいものです。それから少し大きくなって夫婦、子供等家族愛になり、もう少し大きくなると一族一党に対する愛になるが、普通いゝ人といふのはこの程度で、更にもう少し広くなると他人の為を考へ、次は自分の階級だけを考へる。共産主義者が下層階級だけよくしようとして、中、上層階級を攻撃するは之であり、矢張り限定された愛です。次は一国の愛で戦争犯罪者はそれです。彼らは日本だけよくなれば支那人、朝鮮人はどうなってもいゝと考へるもので、戦争中の忠君も同様に限定された愛です。
神の愛は人類全部、人類だけでなく、獣や虫けらまでよくしてやらうとする。従って私のは人類愛だから無限に大きい。だから目安をそこへおいてみれば、あとの事は小さくなってしまふのです。それには利己愛を次にする。自分が天国に救はれ度いといふ様な事は後廻しにすることです。他の人々を救はんとすれば、却って自分が救はれるのです。そこが難しい所で、普通は自分のは大きな愛だと思ってゐる間に小さくなって了ってゐるのです。
(昭和二十三年十二月十八日)
………………………………………………………………
【お伺】降霊会の時暗くするのは何故でせうか。
【御垂示】明るくては霊の活動が出来ないのです。――明るくて活動出来ないのは邪神です。――邪神とまで言へなくても、正神でも邪神でもないのも沢山あるのです。
【お伺】死后百日位の霊の顔が表れ「之は霊が向上し浄化してゐるからだ」と申しますが反対ではないでせうか。
【御垂示】之は反対で、浄化してないから顔が表れるのです。霊の正邪を見分けるのは審神者がしっかりしてないと危い。人間に霊が憑き易い。こういふのは外道です。降霊会は英国で頗る盛んです。あれは大いにやった方がいゝですね。
【お伺】先日ラヂオで大分非難して居りましたが――
【御垂示】あれはあんな風に霊の事を鼻であしらふ事を以て文化人らしく見えるといふ迷信にとらはれてゐるのであって、問題になりません。英国の会で、新聞経営者のノースクリフの霊が出てメガホンを通していろいろと話をした。で、編輯長が会ってみた所、どこにどういふ原稿があるとか、何はどうしろとか指図をした。果してその言はれた通りに原稿などもあり、愈々新聞社が旨く行ったのでノースクリフは死んでから新聞経営をやったと云はれるんです。
【お伺】霊を呼び出しますと、霊の霊界での修業の邪魔になることは?
【御垂示】それは別にありません。普通出る霊は八衢程度で、地獄の霊も天国の霊も出ませんから。
【お伺】よく何千年前の霊とか神が出るとか申しますが――
【御垂示】あれはマユツバものですよ。
(昭和二十三年十二月十八日)
………………………………………………………………
【お伺】夜昼の転換期に、大先生様が御出現になった事と同時に原子爆弾が発見された事は何か関係がありませうか。
【御垂示】之はそうではないのですよ。が、全然そうではないとは云ひ切れないがはっきりしてない。私は夜昼の転換期に生れて人類を救ふことが使命だが、原子力はその時に発明が出現したのです。原子力は特に私がもって来たものでもないが、唯霊界に火素が多くなるから原子破壊が出来るのです。若し科学者の云ふ様に原子核の破壊なら、その破壊する力は何か、今の学説では結果の説明だけしか出来ない。私は原子力は物質と神霊の中間のものから、水素を取り除くので爆発すると云ふのです。更にその力の奥は神様です。原子力が発明されたり私が生れたりする事は時期です。
(昭和二十三年十二月十八日)
………………………………………………………………
【お伺】聖書に、イエスが一片のパンを以て何千人に食はせたとありますが之は如何でせうか。
【御垂示】之は嘘です、拵へ事です。水を葡萄酒にしたなんて事も嘘です。こういふ事は開祖をよくするために後世つけ加へた事です。
――キリストは偉い人には違ひないが、力がなかった。彼の力は私の力の何分の一、何十分の一です。「ハリツケ」になる事も判らなかった。若し事前に判れば逃げたでせうから。然しキリストの教と予言は大したものです。若しキリストが出なかったら、西洋は今よりずっと野蛮国だったでせう。キリスト教が西洋文化の発展に寄与した力は大したものです。釈迦も往来で倒れ非常に苦しみ――急性腸カタルと云はれますが――をしたが、その教である仏教により東洋人が如何に大きな恩恵をうけたかは判らない。諦めにより気持を安らかにし得た事は大変なものです。
(昭和二十三年十二月十八日)
………………………………………………………………
【お伺】近年山形地方では雪が少くなって来てますが何故でせうか。
【御垂示】気候は段々平均してくるのです。近来シベリヤなんかも暖かくなって来た。之はいろいろな原因により気候が平均してくるのです。ラヂオの発達も之に影響してるし、人間が多く住むと暖かくなる。強羅も以前よりは暖かくなって来た。之は強羅に住む人が多くなって来たからです。山なんかも霧が多いものだが人が住むにつれて減ってくるのです。とも角人間は熱の固りですからね。
(昭和二十三年十二月十八日)
………………………………………………………………
十二月二十八日(火)
【お伺】大先生様に御伺ひ申し上げる場合、
1、最后迄黙して拝聴すべきでせうか、
2、言葉を御添へせねば充分表現出来ぬ場合は如何致すべきでせうか、
3、再三御尋ね申さねば理解致しかねる場合は如何致すべきでせうか。
【御垂示】1臨機応変でいゝです。簡単な事ならその時でも質問してもいゝし、余り永くなるのだったらあとまで待ってする事です、外の質問に影響しますから。
2それは言葉で云ったらいゝですよ。
3幾度質問してもいゝです、理解する迄。然し特に頭の悪い人は困りますがね。
(昭和二十三年十二月二十八日)
………………………………………………………………
【お伺】日本観音教の名称と五六七教との関係及び仏教、基督教と対比した場合の名称に就て――
【御垂示】観音教の教といふのはウソです。御説教といふ意味になるから。然し普通は金光教とか大本教とかいふ様に、外にいゝのがないので教としてゐるのです。私は昭和九年大日本観音会といふのを作ったが、後弾圧されたので一時止め、今度復活した訳です。今度は大日本とはいへないので、日本観音教といふ事にしたのです。
――五六七教は渋井が五六七会長としてやっているが、観音教団の中でやっては活動しにくい、といふのはあの人が一○の中六、七の成績を上げてゐる。他の会は全部寄せても三位でケタが違ひすぎる。従って観音教団の中で何かやると他の分会との相談や何かでいろいろ掣肘をうけるため仕事が出来ない、之は理屈に合はぬ、思ふ通りにやりたいといふので一応尤もと思って別にしたんです。
【お伺】別派と考えて宜しうございませうか。
【御垂示】えゝ別派です。が「五六七」も観音も元は一つです。キリスト教にだってカトリックもあればプロテスタントもあるんですから、之と同じです。
――観音様が縦なら五六七は横と思へばよい。結べば一つなんですから。もう少し先には又分派が出来るかも知れないし、又その先には一つになるかも知れない。名称だってさうですよ。又他の関係もあるんです。例へば拍手を打って神道と見られるが、神道だと調査を要すといふ規定が進駐軍にある。調査なんかされるのは面倒です。されない方がいゝです。だから時勢に応じていろいろに変るんです。
(昭和二十三年十二月二十八日)
………………………………………………………………
【お伺】氏神様に御詣りする時には何と申したら宜しいでせうか。
【御垂示】「産土大神守り給へ幸倍給へ」でいゝです。御礼と御守護を願ったらいゝです。之も別にそんなに大きな声を出さなくてもいゝ。小さい声でいゝんです。拍手も打たぬ方がいゝです。拍手も大きく叩く人があるが、あれはその人の心の表れで大きい方がいゝとは限らない。神様は耳が遠い訳はないから。祝詞だって普通の声でいゝ。別に大きな声を出したからどうなるといふ事もないんです。
【お伺】御道の信者が氏神様に御守護を願ふといふ事は差支へないでせうか。
【御垂示】それは構ひません。氏神は氏子を守護するのが役目なんだから。
(昭和二十三年十二月二十八日)
………………………………………………………………
【お伺】透視術は信用出来ませうか。
【御垂示】之は信用出来ます。予言なんかは信用出来ませんが――第一信用出来ますかと聞くのがおかしい。
【お伺】或会員が私に高尾山の天狗がついてると申しましたが――
【御垂示】それは透視ではなく霊視です。透視といふのはこの煙草の箱の中に何本煙草が入ってるかを中を見ないであてる事です。或は「あなたは昨日私の家から帰る時にどこを通り、どこを曲って帰ったでせう」といふ風な事をあてるのが透視です。人に何の霊がついてるかといふ事をあてるのは術ではなく霊視です。之は確実に当る事もあるし当らぬ事もある、が、全然出鱈目ではないんです。透視は習ふと誰でも出来ますよ。十二、三才頃から仕込むと青年になる頃はかなり能力が出来ます。
(昭和二十三年十二月二十八日)
………………………………………………………………
【お伺】すぐれた芸術家の中には不遇な人が多いのは何故でせうか、又人格的にどうかと思はれる人がありますが之は如何でせうか。
【御垂示】之は一時的にはありますが、永い間にはないでせう。若しあればその芸術がすぐれてないか、又は悪いくせがあるためです。すぐれてゐれば必ず世に出るべきものです。私のだって価値のないものなら、いくら宣伝しても一時的ですが、本当に価値があるから発展するのです。以前上野毛へ移った時も「こんな辺鄙(ヘンピ)な所へ移って了っては――」といふ人もあったが、私は「本当のものなら何処へ出たってよい」と云った事がありました。
――芸術が世に認められてゝも運が悪いといふ事ですか?
――そういふのは西洋に多いですね。之は芸術家には不道徳の人が多い。こんなのは神様の方から云へば本当の芸術家とは違って悪魔的です。人を愛することや人の迷惑といふ事を考えることが少い。唯自分の芸術のみ尊重して社会生活に寄与することが少い。それが不幸の原因です。西洋の音楽家や文学者にはこれが多いですね。所がヨハン・シュトラウスは銀行家だったがクビになり、やがてその音楽が皇帝に認められたんですが、それは皇帝もシュトラウスと同じ境遇だったからです。ベートーヴェンなんかはひどいですね。耳は聞えず、恋愛は失敗するし、シューベルトだってさうでした。ベートーヴェンのリズムは悲痛から生れたもので聞いてゝも快感はなく暗い感じになります。たゞこっちも暗い気分なら共感はあるでせうが――彼の「運命」なんかはいゝんですが悲痛が出てますね。
【お伺】レオナルド・ダ・ビンチは如何でせうか。
【御垂示】偉いですね。あの人は一寸違ひますね。日本で云へば聖徳太子ですね。然しあの人はそれ程不幸ではないでせう。大変な宗教家であり、芸術家、予言家、発明家ですね。私はあれに似てゐる所がある様に時々思ひます。絵だって立派なもので「最後の晩餐」や「マリヤ」は実によく描けてますね。飛行機の原型や潜水艦なんかもあの人が発明してますが、とも角すばらしい天才ですね。ダビンチをアメリカで云へばエヂソンみたいな人ですね。
――芸術家はなかなか複雑でその性格なんかこうとはっきりは云へません。北斎は貧乏してゐたし、尾形光琳は金持の息子でその作品にも豪奢な風が現れてますからね。
芸術家は人格的にどうかと思はれる事はありますよ。雲右衛門は浪花節を今日の様にした人ですが、所があれ位不道徳な人はない。あれの師匠は浪花亭重(シゲ)吉といったが、雲右衛門は重吉の細君と関係して二人で逃げたのだが、之は不道徳極りないことです。弟子が師匠の細君をとって了ふんですから。で、東京に居られずに大阪へ行き、それから九州へ行って、琵琶をとり入れて雲右衛門節といふのを作ったのですが、重吉が死んだのでそれから東京へ帰って来たのです。だから人格と芸術とは伴はない事があります。雲右衛門の節はうまいが私は大嫌ひです。面白いことは外の浪花節は私は大好きです。といふのは人格が芸術を通して皆に働きかけるからで、雲右衛門を好む人は人格が堕落します。それは声により霊線が皆に働くからです。下村カンザン(※下村観山)から聞いた事ですが「絵は人格を筆と絵具で表すものである」と言ってましたがその通りです。今迄は本当に人格を通して芸術を皆に伝へる事がなかった。これから人格者が出る訳です。観音教団からすぐれた芸術家が出るでせう。
――然し何ですね、人格者といふと普通は道学者流に一夫一婦で酒を飲まぬ人といふ風に考へ勝ちですが、この考へは小乗であり、大乗的には、ダラシのない様な人でも人格者は居ます。武者小路実篤は妻があり乍ら、地方から出て来た娘に恋をして(遂に一緒になり)妻を不遇にした人です。又島村抱月も人格者ですが、唯単に表面だけ見ると不道徳者です。抱月の妻は私も知ってますが、オカミさん型で芸術や文学なんかには全く理解なく、主人がきちんきちんと月給でも貰ってくる様な平凡な生活を喜ぶ人なんです。だから抱月とは丸っきり合っこない。二人一緒では両方共に不幸です。そこへたまたま松井須磨子が現れて二人が共鳴するのも止むをえない事です。真実一路の映画を見ましたが、あれにもそんなのが出てますね。一番いけないのは、女さへ見れば手を出して享楽の道具にする事です。之が非常にいけないのです。が、抱月や実篤の場合はそうは云へない。之は大乗です。
【お伺】そういふ場合罪になることは?
【御垂示】須磨子は罪が軽いですね、主人もないのだから。その代り抱月は罪になりますが、然しそれを償ふ事をすればいゝ。
――政治でもさうです。小菅へ行ってる代議士でも大臣になるには金も使はねばならない。清廉潔白では絶対当選はしないですよ。今本当に道徳的に罪を作らぬ様な生活をするためには山奥へ行って木の実か草の根でも喰ってなければなりません。今の世の中はそうなんです。汚れきってる。だから私がやって綺麗にする。そのために宗教が必要なんです。世の中がよくなったら宗教もいらない。
(昭和二十三年十二月二十八日)
………………………………………………………………
【お伺】自分の恋人と他の人との間に縁談や恋愛が起り、自分にもその縁がまとまった方が恋人のために幸福だと思はれる場合は身を引くべきでせうか。
【御垂示】之は身を引いた方がいゝですね。自分の恋人だったら余計その人を幸福にしてあげるべきです。
【お伺】身を引いては淋しいと思はれますが?
【御垂示】えゝ、それは淋しいですよ。然し代りのを見つけるんですね。女なんか世の中に沢山あるから、むしろそれ以上の人が見つかるかもしれませんよ。
(昭和二十三年十二月二十八日)
………………………………………………………………
【お伺】慈悲は正義の裏づけが必要と存じますが左の項目に於て慈悲と正義との関聯につき御指示を御願ひ致します。
(イ)、キリストの「人若し汝の右の頬を打たば左をも向けよ」との無抵抗主義。
【御垂示】ほー慈悲の解剖ですか、――之はいゝでせう、これ位の心持なら間違ひはない。これがいゝんだがなかなか出来ないんですよ。大本教祖の出口ナホ刀自は、人が金をかしてくれと云へばすぐ貸してやる。先方がいゝ人か悪い人か、すぐ返すか返さぬかなんかには頓着せず貸してやった事も忘れて了ふのです。之はいゝが現実問題としては無理です。殊に個人ならいゝが国家の間では成立たない。国土を半分とられて、ではこっちも――といふ訳にはゆきませんから。だからキリストの言った様な心持でゐればいゝのです。そして臨機応変にやってゆけば宜しい。戦時中滅私奉公とよく云はれたが、之はウソで、私を滅して了ってはオヂャンです。滅するのではなく犠牲にするのならいゝですが。
【お伺】(ロ)、利己主義者が悪宣伝、悪行為をなした場合、それを見逃してやっては、その人に対し無慈悲でもあり、又他面、社会的には悪の風習を助長することにもなると存じますが、その場合慈悲又は正義は如何に行使すべきでせうか。
【御垂示】之は信仰のない人が考へることです。神様が人を使って悪宣伝をするのかも知れないのです。今度の税金の問題も私は邪神かと思って神様に訊いてみたら、そうではなくて神様がやって居られることが判りました。だからあれにより却っていゝ影響があっちこっちで来てるんです。今迄迷ってゐた人もどんどん入って来てゐる。だから信仰のある人なら、之(御伺ひ事項)と反対になっていゝ筈です。悪を助長すると云っても人間が抑へたりする事は出来ないんです。それよりも自分の悪、自分の間違ひを訂正する事です。人の悪なんか訂正する事は出来ない。人をどうしたいといふ希望はいゝが、行為によってどうするといふ事は出来ないのです。
――物事にはその物と事と大小等によって、やるべき事とやってはいけない事とあるのです。やれといふとやりすぎるし、やってはいけないといふと全然やらない。味でもそうで、砂糖が少いといへば甘すぎて了ひ、甘すぎるといへば今度は辛すぎて了ふ。丁度よいといふのは難しいのです。だからその程度をよく考へる事です。それが智慧です。神様に御任せするといっても、御任せする事にも程度があるのです。人事を尽して天命を待つといふ事があるが、之はいゝ事です。人間としてすべき事、出来る事をやって、その先は神様に御任せすべきです。だからそれは時所位に応じて変ってくるものです。矢張り実篤の言葉に「神の如く強く神の如く弱し」といふ言葉がありますが、いゝ言葉ですね。神様も強い場合もあり弱い場合もある。観音様でも馬頭観世音は火焔を吹いて目はランランと輝いてます、が、之は畜生道を救ふ御働きを表はしてゐるのです。いろいろな事を旨く使ふ所に智慧があるんです。一番効果のある方法がいゝのであって、之をみつけるのが智慧です。
【お伺】ソクラテスが獄中で自ら毒杯を仰いで死に就いたことも不正に対する抗議の表れと存じますが。
【御垂示】之はさあ――賞めていゝかけなしていゝか判りません。いかなる時でも自殺はいけない、之は神様への反逆になるから。彼は教育者であって宗教家ではないんですからこういふ事は知らなかったのでせう。
【お伺】ガンヂーの断食に見られる心情、態度も「不義への抗議」と見られますが――
【御垂示】あれは無抵抗の抵抗といふので、印度では仕方がないでせうね。あの場合あれより外に仕方がない。然しこの前ピストルで打たれて死んだのは御守護がないんですね。御守護があればあんな事にならずに難を避けられたでせう。観音教の信者になってたらよかったのですよ。――バラモンの行者は断食は平気ですよ。
【お伺】キリストが十字架に上る迄の行動、心情は矢張り不義への抗議と見られますが――
【御垂示】キリストは宗教家ですから不義への抗議といふ事は当らないですね。キリストはピラト王の命令で殺されたのですが、王は臆病で、偉い人が出て王位を奪はれる事を怖れて偉い人間を殺させたのです。で、キリストは殺される前の日にあれを知ったのでせう、若し以前に知れば逃げて了ってゐた筈です。聖書には前から知ってゐた様に書いてありますが、あれは教祖を立派にするために後からつけ加へたものです。
【お伺】孔子の正義を貫く行動の弱さがその生涯の不遇を招き支那民族を弱くしたのではないでせうか。
【御垂示】孔子のため支那民族が弱くなったとは云へないでせう。孔子の道徳で支那は救はれたんですよ。今でも論語の影響は大したものです。日本でも西洋文化が入る前迄は論語によってどれ位裨益されたかは判りません。孔子なんかは決して弱者ではない、強者ですよ。思想の力といふものは強いものです。その点から云へばマルクスも強いですね、共産主義を今日程に発展させたのだから。
――共産主義にもいゝ所があります。若し共産主義がなかったら資本家や地主はどれ位他の人々を苦しめ悪い事をしたか判りません。唯共産主義が天下をとっては困りますが――四、五年前までは楠正成や吉田松陰なんかはすばらしい正義だったのですが、今ではそれは戦犯の如く悪なのです。だから正義とか悪とかは時代によって違ってくるのです。従って時代によっても変らない孔子やキリストの教へは大したものです。
【お伺】釈迦の正義に対する弱さが印度民族をあの様に弱くし、且つ仏教の偉大な教へを以てしても人類が現在の程度にしか救済出来なかったのではないでせうか。
【御垂示】之はそうです。釈迦は――釈迦だけでなく、今迄の大宗教家は力がなかったのです。それは根本は勿論時期が来なかったのです。力の根本は霊と体と両方結んだものが力になるのです。力といふ字を見ても縦横が結んでそれが働きを起した事を表してゐるのです。それがこれからの時代なのです。東西、縦横が結んで力になるのです。逆卍といふのがそれですが、今迄の観音様も仏教も卍であり、之は右進左退です。ナチスは黒にはすっかいに逆卍で左進右退でした。所がこの黒色やはすっかいは悪魔の働きを表してゐるのです。私も金卍会といふのをやらうと思ったのですが、今つけてはナチスと何か関係ありさうに思はれるといけないのでやめたのです。これからは左進右退の逆卍になるのです。
【お伺】(ト)、日本観音教団に於きましても不正に対する正義感が根強い程幾多の犠牲に耐へ忍び、正しい理性を培ひ喜び勇んで地上天国建設の美しい御手伝が出来るのではないでせうか。
【御垂示】この不正に対する正義感といふのを見ると正義が不正であり、不正が正義になることがよくあるんです。
【お伺】例へば医学の不正に対する正義感といふ事は――
【御垂示】それは小乗です。何故なら私の道が発展するのは誰のためですか?お医者のためですよ。医者が病人をよく治さぬからこっちが光るのです。だから大乗と小乗の見方によって違ってくるのです。又、こいつは悪い奴だと思ふのが、時期が来てすばらしく働く事もあるんです。強羅の観山亭なんか上野毛に家を建てるのを五島慶太が妨害してくれたので出来たのです。あの時は一時私も非常に癪に触りましたが、後になってみれば却って有難い位です。
(昭和二十三年十二月二十八日)
………………………………………………………………
【お伺】労働時間について論議されますが、健康と労働に就て――
【御垂示】労働時間は今に一日四時間でよくなります。そういふ方法を段々に発表しますよ。農業だって無肥料でやれば一日四時間働けばよい。この間も白菜に堆肥を二回やったゞけで一貫五百匁のがとれたのです。だから万事そういふ風になって来れば、朝から晩まで働かなくてもよくなるのです。
(昭和二十三年十二月二十八日)
………………………………………………………………
【お伺】死産、流産には何か特殊な霊的な意味がありませうか。
【御垂示】之はありますね。普通は体的な原因が多い。一番多い原因はおなかに固りがある事です。腹の皮が厚いと産めぬと云はれるけれど、之は腹膜に尿毒が溜ってゐて横に広がらないで力が下へ加はる、それで流産するのです。だから子宮が充分広がれば絶対流産はしません。流産は力が下へ加はるに対し、上に上るのが悪阻(ツワリ)です。だから、つはりの時は臍と水落(ミズオチ)の中間をやればよい。子宮前屈や後屈も毒の塊りのためです。おなかの皮によって健康、不健康を判断するのは相当熟練を要しますね。
――死産は霊的には生霊がついて、その女に対する怨みの霊が来て産ませまいとする事もあります。又体的には大抵薬毒です。薬毒がそこへよるので胎児が発育しない様になるのです。だから田舎には少いです。
(昭和二十三年十二月二十八日)
………………………………………………………………
【お伺】出生又は水死の際男は下向、女は上向だと申しますが何故でせうか。
【御垂示】さあ、女はお尻が重いし、男はあれの重いためでせうね。
(昭和二十三年十二月二十八日)
………………………………………………………………
【お伺】一姫二太郎がよいと申しますが意味のあることでせうか。
【御垂示】之は女の児の方が育ていゝんですよ。男の子の方が本来間違ひが多く、女の子の方が健康なんです。もっとつっこんで云へるが、女の人に悪いからそれ位にしておきませう。病気にも男の方がかゝり易いですね。
(昭和二十三年十二月二十八日)
………………………………………………………………
【お伺】御浄霊では肉体の毒は浄められると伺ひますが、他の霊医術ではどの様になるのでせうか。
【御垂示】之は固めるんです。
【お伺】引うけるといふのは?
【御垂示】それは霊医術ではなく、人の道等の宗教です。
(昭和二十三年十二月二十八日)
………………………………………………………………
【お伺】イエスが自分はキリストだと信じたのは神様から態と思はせられたのでせうか。
【御垂示】えゝそうです。あんたは誰から之を聞きましたか。
【お伺】岡庭先生から伺ひました。
【御垂示】そうでせう。外に知ってゐる人はない筈ですから。
【お伺】マリヤは処女受胎してイエスを生んだと申しますが――
【御垂示】之は嘘ですよ。若しあるとしたら世界は破裂しますよ。
(昭和二十三年十二月二十八日)