御光話録  昭和二十三年八月

八月八日(日)(新道場早雲寮にて初の御面会)

【お伺】新道場が御立派に出来ました事を御喜び申し上げます。

【御垂示】えゝ――この用材は終戦当時買っておいたので割に安く出来ました。今だったらとても大変ですよ。――箱根といふ所は昔から東西の関門になってゐる。東西は又陰と陽であり、観音様は陰陽の真中だから東西の間といふ事になります。従って強羅が真中なのです。本当は「神山」が中心ですが、神山の上にはこんなものは建てられませんからね。以前の宝山荘は多摩川のそばにありましたが、やはり多摩川が東西の分れ目だったのです。川を越せば神奈川ですから。

強羅の「ゴウ」は火の事であり「ラ」は廻る、螺旋状の事で火が中心となって渦を巻き、その渦が広まって行く意味がある。所が熱海の方は「ア」が天、「タ」が真中 (マルジュウ)で表します。 (ス)の「丶」は太陽の黒点を表しますが、黒点の大きい時は活気のある時で息を吐いてゐるのです。息を吐いた時は火素は強力になる。世間では黒点が大きいとか小さいとか言って気を揉んでゐるが、何本当はそういふものなんです。生物は何でも呼吸してますが、この地球も生物であり呼吸しているのです。――で、熱海の「ミ」は水であり天の真中の月の国の意味になる。この箱根の建物は日本建築でなければいけないが、熱海は西洋風でなければいけない。今度作るのは約三万六千坪で「水」だから建物も大きいことが必要なのです。

それから小田原ですが、箱根、熱海、小田原で五・六・七となり火・水・土となる。即ち之で三位一体となり「日月地」が完成されるのです。国で云へば日本、西洋、支那となります。それで小田原には朝鮮風の家を作らうと思って居ます。小田原の「小」は小さい型、「田」は真中、「原」は広い事を意味します。之が出来上って外国まあ東洋にこの道が広まるのです。アメリカは割に早く開けます、アメリカは横ですから。今盛んに民主々義を唱へてゐるのは、日本古来の忠君愛国的な縦の関係に横棒を入れてゐる事です。

(昭和二十三年八月八日)

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【お伺】生れた子供に名前をつける時注意すべき基礎的事項に就て――

【御垂示】名前ですか、これは何れ本に書く積りですがね。一番肝腎なのは苗字と名前で、天地、陰陽になる事です。姓は天で名は地か水がよい。天は「ア行」で「岡田」は「ア」になる。又「茂吉」は「ミ」になる。「大沼」はア行ですから、従って名前はオ行がいゝです。姓と名が共にア行のはいけない。オ行でなければマ行がよい。字画の偶数奇数といふ事も多少影響する。姓名を合せて字画が偶数の方がよい。母と子が育つにも名前が合はねばならない。又姓名にはサ行音を二つつけてはいけない。二つあると性質が強情になる。

字にもいろいろ意味があるが、之は一寸簡単には言へない。――今言霊の判る人は私一人位でせう。以前は出口王仁三郎が判ってゐたが、その先生に当る人は長沢といふ名古屋の方の人であり、更にその前は本居宣長です。宣長の部屋には鈴が七十五下げてあって「鈴の屋」と言ったのですが、之は言霊には二十五母音五十声あり全部で七十五声になる、それから出てゐるのです。

(昭和二十三年八月八日)

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【お伺】夢と寝言とは霊的にどんな関係がありませうか。

【御垂示】之はね、睡ってる時は霊は抜け出て霊界に行って居り肉体とは霊線で連ってる丈です。つまり留守になるのです。するとふだん思ってゐる事で抑へられてゐる事を喋るんです。で、寝言はいゝものでもなく本当でもないのです。之は大体副守護神の働きです。昔から「寝言を訊くな」と云はれてるのは此の意味です。勿論毒の多い人程副霊の働きも強い。

(昭和二十三年八月八日)

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【お伺】近頃大分流行して居ります日本脳炎の原因は何でございませうか。

【御垂示】日本脳炎は何でもないのです。蚊が媒介するなんて出鱈目です。夏炎天下に頭をさらすからです。まあ之も今月一杯ですね。世間では濾過性の黴菌といふが、黴菌なんかない。濾過性といふのは黴菌のない事です。大体毒素が後頭部に集まり、それが小脳に入るので眠くなる。小脳に入らぬ時は脊椎脳炎で之の方が治りが悪い。日本脳炎の時は三十分毎に一日十回でも十五回でもやった方がよい。暫くすると目と鼻から血膿が出る。早くて三日まあ四、五日で治ります。一寸でも御浄めして目ヤニや鼻汁が出ればもう恢復期です。

(昭和二十三年八月八日)

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【お伺】若い男女がその若さの故に一度過ちを犯して了った場合、精神的には御互に理解し合うことが出来なくても矢張り結婚すべきでせうか。

【御垂示】過ちを犯す前によく考えたらいゝ。将来結婚するのか或は一時的な慰みなのかをよく考へればよい。考へもせずに過ちを犯したのなら男の方が悪い。自分の事を云ふのも変だが私も宗教に入る前、女を疵物にすることを非常に怖ろしいと思った。人妻の場合でも、若しその主人がその事を知ればいかに嘆き悲しむかを考へると、そういふ事は怖ろしい罪だと思った。――だから最初に「この人を果して自分は幸福にしてやれるか否か」をよく考へる事です。

【お伺】一時的にも気の合った時は――

【御垂示】離れて別々の道を歩んだらいゝ。執着があってはいけない。執着をとる事です。事が難しい時は神様に御委せしたら宜しい。

【お伺】妊娠して了った場合は――

【御垂示】妊娠しても神様に御委せしたら宜しい。然し御委せするにしても自分に都合のよい事許りしてゝはいけない。先づ心から改心して御願ひする事です。神様は既往をおとがめにならない。たゞ汚したための掃除はしなければならない。

(昭和二十三年八月八日)

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【お伺】夫婦間に於てその一方が病質や不具のため性的満足の得られぬ場合は如何に致したら宜しいでせうか。又その場合の離婚は差支へないでせうか。

【御垂示】それは主人に罪がある。慎しんで罪の消えるまで待つ事です。それは丁度懲役に行った様なものです。刑務所に入って了へばそういふ事は出来ないでせう。――然し許される事を余り期待してはいけない。之を徹底して話も出来るがこゝではどうも――議会でも秘密会がある様に何時か小人数の時に話しませう。

(昭和二十三年八月八日)

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【お伺】祝詞と善言讃詞とを奏上する時間的区別は御座いませうか。

【御垂示】別に時間的区別はない。神は朝、仏は夜で日本は朝の国です。朝廷とは、政治の相談を朝した事から出た言葉です。画でも日本画は朝日を画くが、西洋画では夕日が主です。

【お伺】昼間遠方から到着した場合にはどちらを御上げ致しませうか。

【御垂示】その場合はそれ程叮嚀にしなくても宜しい。

(昭和二十三年八月八日)

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【お伺】天数歌は如何に御唱へすべきでせうか。

【御垂示】祝詞のあとで云へばよい。その場合病人は合掌したらよい。普通は祝詞だけでよいが、天数歌を唱へれば一層強くなり効が出る。――それから霊は御讃歌を非常に喜ぶのです。重病人や霊的の病人の場合にも御讃歌を上げたら宜しい。御軸に対しては御讃歌は朝夕でよく、病人には適当な歌を選んで必要の時に上げればよい。

(昭和二十三年八月八日)

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【お伺】御浄めの力の強い人を御道に達した人と判断しても宜しいでせうか。又、講習生を多く出してゐる人も同じく御道に達した人と見て宜しいでせうか。

【御垂示】それはこの通りです。幾ら一生懸命でも結果が出なければ仕方がない。神様の御意志は一人でも多くの人を救ふ事ですから一人でも多く救った方が宜しい。救へばそれ丈の褒美即ち徳を頂くのです。

【お伺】肺結核患者を御浄めしても治らぬ人の多いのは私の「御力」がまだ弱いからであり、よく治らぬ間は私の信仰心が薄いと判断しても宜しいでせうか。

【御垂示】結核患者はとも角薬毒が多い。所で医学の方は固める方法ですが、こちらは溶かすのであってそこに大変な違がある。従って医学の方で治しても暫くすると浄化を起して再発する。御浄めの方は溶かして出すんだからやってる中に咳や痰が出る。で衰弱を増すことになる。これが非常に難しいのです。一番いい方法は、極く徐々にすることです。一週一回か二回する位がよい。所が早く治さうとして余計すると早く溶けすぎて、その結果食欲が減り病気がよくなっても、体が参って了ふ事が多い。又極く衰弱したのは引きうけない事です。それ程衰弱してゐない病人なら御浄めは余りしないで、信仰に重点をおいて信仰に入る様にする事です。但し之は肺病の場合だけであって、他の病気はそうではない。肺病以外の病気は出来るだけ御浄めした方がよい。

(昭和二十三年八月八日)

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【お伺】教導師の中には御浄めしてゐる患者の悪い部分と同じ場所に痛み等を感ずる人がありますのはどんな訳でせうか。又患部を御浄めすると教導師の手にひゞくのは何故でせうか。

【御垂示】人間には日の系統と月の系統と二つあるのです。そして月の系統の者は先方の病気を引きうけるのです。丁度洗濯すれば水が汚れる様に、水の汚れだけ引うけるのです。之は仕方がありません。「人の道」の教祖御木徳一も水の系統の人で、御振替といって病人の苦しみを引うける、が、段々自分が苦しくなって来るので毎月二十五日に御祀りをして神様に御振替を願うのです。しまひには準教祖といふのを一○名位作ってゐた。観音様の御守りを頂いても月の系統の人は引うける事が多いが効目は同じです。日の系統の人でも大勢御浄めすれば引うける事もあります。それから感じ方にはいろいろありますが効果には関係ありません。又今迄あったいろいろの信仰療法は水の系統です。

(昭和二十三年八月八日)

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【お伺】十干や十二支は如何に考へたら宜しいでせうか。

【御垂示】之はね今度出す本に詳しく書きますからそれを見なさい。

(昭和二十三年八月八日)

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【お伺】「神風」や「神竜」の御額を掲けさせて頂いても宜しいでせうか。

【御垂示】えゝ差支へありません。

(昭和二十三年八月八日)

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【お伺】長崎五島の方では「二十三夜様」と称して千手観音様によく似た御姿の神を祀りますが、之は何の神でせうか。

【御垂示】之は月読尊です。月読経という宗教もあります。勿論光明如来様を御祀りすれば、もうそれは祀る必要はない。二十三夜とは月の事です。月の照った時は月読尊、全く暗闇の時は素盞嗚尊の御働きです。月読とは月が夜を見る事であり月のいい面の働きです。素盞嗚尊は闇の働きです。

(昭和二十三年八月八日)

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【お伺】不動明王の御働きは何でせうか。

【御垂示】霊界の警視総監の役目ですね、縄と剣を持ってますから。然し不動でも力が足りず邪神に負けて了ふと、自分の天職使命を完了する事が出来ず、金やら何やらの御利益を与へる様になるのです。之はニセ不動で狐狸の類です。成田の不動も同じです。

(昭和二十三年八月八日)

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【お伺】御軸の前に御簾を備へつけて朝は上げ夜は下しても宜しいでせうか。

【御垂示】結構ですが夜の礼拝や月例祭には御簾を上げるべきです。

(昭和二十三年八月八日)

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【お伺】御地蔵様はどんな神でせうか。

【御垂示】地蔵は菩薩で阿弥陀系の仏です。

(昭和二十三年八月八日)

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【御垂示】姓名の字劃は夫婦が偶数と奇数になってゐる方がよい。その場合どちらが奇数でも偶数でも宜しい。

(昭和二十三年八月八日)

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八月十八日(水)(新道場早雲寮仮落成式)

【み教え】
今日の仮落成式はどういふ訳かと言ふと、普通落成式は出来上ってからするのが本当だが、態々未だ工事中に落成式をするのは神様は非常に順序をやかましく重んじられる。ここが出来れば熱海の方も出来易くなる。箱根が未だなら熱海も着手出来ない。そこで箱根は出来上ったといふ意味で仮落成式をやった訳です。熱海に新しく作るための一つの段階です。熱海の方を先にしようとして去年あたりからいろいろとやって見たがどうしても旨く行かない。何かと故障がある。そこで之は箱根を先にしなければ不可いといふ事が判ったためです。で、仮落成式を急いだんです。本当の落成式は来年になるでせう。

(昭和二十三年八月十八日)

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【み教え】
観音様は仏であり光明如来も仏であるのにそれに神主の服をつけ祝詞を上げたりするのは一寸変かも知れないが、観音様は菩薩から出世するのではなく、一時菩薩の位に衆生済度のため下げられたから、元の上の位に御戻りになるのであって、一段上の位が光明如来それから五六七大神になられる。今は仏と神との中途です。善言讃詞は観音経を縮めたものです。この経はもと印度の言葉である梵語(ボンゴ)で書かれ、二千数百年前の印度人の生活に合ってゐた。所が今日の日本人がこんな長ったらしい御経を上げてゐたんでは会社も遅刻だし「クビ」になって了ひます。現代には現代に適応する方法でなければならない。それで善言讃詞を作ったのです。所で日本の祭典は古来神の形式をとってゐた。千三百年前仏教が入って来たが、その前まではすべて神の形式であり、本来は祝詞であった。仏教のよい点を神式にしたのが善言讃詞なのです。

(昭和二十三年八月十八日)

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【み教え】
此の御軸は今日初めて掲けた。昭和七年、今から十六年前に画いたのですが、ずっとしまっておいたのです。白髪の観音様は之だけです。上下のは四天王であり、周りの薄墨は夜の世界を表してゐます。此の御軸を今日こゝにお掲けするとは思ひませんでした。神様のする事は深遠です。この建物の用材も終戦頃秋田の神社の神木であったのを買ったのです。運賃共で石三百円余り――四百円まで行かなかったんです。今だったらとても大変です。――今度は熱海に二、三千人入れる洋館を建てるんです。箱根は日本的、熱海は水で外国風にし大きくする。小田原には和風洋風をとり入れた綜合的なもので、それで五六七となるのです。この敷地も六百坪ですが、以前交渉して売ってくれと云った時は全然応じなかったが、今度の財産税で手放すことになり、向ふから持ち込んで来たのです。今後分会や支部の家を見つけるのも無理をしないで時をまつのがよい。

果報は寝て待てとはいゝ言葉です。果報はねって(練って)待てといふ人もあるがさうではない。つまり寝て待てとは忘れる事、執着をなくしてゐる事です。徳川家康の「鳴くまで待たうほとゝぎす」、あれがいゝのです。信仰してゐる人は神に御任せする考へになるから悠々としてゐる。種を蒔き時を待つのが本当です。神様の事を人に教へても最初は信ぜず、やがて向ふから求めてくる事がある。之は蒔いた種が魂の中で育つんです。「あんな人に話をしても無駄だ」等といふ事はない。種をまいて時を待つ事です。すべて人間は今迄「時」といふ事に関心がなかった。「時」位絶対力のものはない。之に逆うから失敗したり苦しんだりするのです。先づ時に従ふ事、あとは我と執着をとる事です。この三つを守れば常にうまく行くんです。

(昭和二十三年八月十八日)

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【み教え】
天地惟神の大道といふが、天地とは大自然であり、惟神とは神の御心のまにまにといふ意味です。私が以前病気治しをやってゐた頃「先生は誰からそれを習ったのか」と尋ねられると「大自然から習った」と答へたものです。この手の光も火と水で光になり、やはり火水土です。浄化も大自然は火水土で行われてゐるのです。私の先生は第一は大自然ですが、次の先生は病人です。実際病人を治していろいろ習った訳です。――惟神の大道とは自然の道です。だから大森に居た頃、何かの事が起き、それに対してよい考へのない時は「惟神にしておけ」とよく云ったものです。これが判らぬ人は飽迄自分の力でやらうとして苦しんでゐるがそれは駄目です。人間の力の弱い事を知る事が肝腎です。ナポレオンは自分の辞書には不可能といふ字はないといったが之は人間の弱さを知らなかったのです。だから最後はセント・ヘレナの孤島に流されて了った。ヒットラーとか東条なんかもそういふ方だったんです。

又自然を征服する等とよく言ふがこれ位間違った事はない。自然に従ひ自然と調和する事が本当です。山を征服するなんて言ふと山の天狗が怒って難に遭ったりするのです。昔は六根清浄と言って山の神の守護を願ったから事故も少なかった。山には山の神、海には海の神、すべて神が支配し守護するんですが、今時こんな事を言ふと原始的未開的と言はれるが、そんな事を言ふ人が却って原始的未開的以上に原始的なんです。

(昭和二十三年八月十八日)

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【み教え】
よく雨が降りますね。箱根へ私が来る時は必ず雨が降りますが、それも本に書いた様に「火は水で燃え、水は火によって流動する」といふ意味があるのです。太陽は月の水気で燃え、月は太陽の光で輝くのです。今度の本にも書いたが、太陽の黒点はその呼吸であり十一年目毎に大きくなってゐるのです。太陽は又男であり月は女になる。これはいろいろ実例を上げればよく判るが、公開の席上ではよしておきませう。西洋は麦であり東洋は米を主とするが、之も陰陽になって居り、月が満ちたり欠けたりするのも呼吸です。黒点が大きくなるのは息を盛んに吐くのだからすべてのものが育ち、又太陽の精気が強くなるから浄化も強くなり、いろいろな事が起るのです。

(昭和二十三年八月十八日)

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【み教え】
来月「信仰雑話」を出版するが信仰のない人でも判る様に書いてある。在来の宗教は宗教一点張りで外の事は説かなかったが、私のは千手観音式でいろんなものに手を出すのです。今度の本も学問、政治、文化、科学等を宗教を通して批判するのです。之でも判らぬ人は救はれない人と思ふのです。之はまあ小学読本です。次は「霊界叢談」で、現界と霊界との関係や神仏の存在等に就てゞ中学読本に当り、次の「神秘の扉」は大学程度です。

(昭和二十三年八月十八日)

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【み教え】
この教団に若い人が多いのは、観音教が現代に合ひ現代を指導する宗教だからです。既成宗教は何千年か前の方法で現代に追ひつこうとしてゐるからインテリには判らない。インテリに判らなければ現代を指導する訳には行きません。まあ自動車で行く者に「牛車は風流だ」とか、籠も乙だとか言ったって誰も笑うだけです。私の方は自動車より早い方法――まあ落ちない飛行機ですね。

(昭和二十三年八月十八日)

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八月二十八日

【お伺】御浄化を軽く済ませて頂くため、御軸に祝詞を奏上する場合「五六七大御神」と「幽世大御神」と何れを申し上げるべきでせうか。

【御垂示】御軸には「五六七大御神」が本当です。唯憑霊の病人の場合だけ「幽世大神」です。

  御軸には何時も「五六七大御神」です。幽世大神は今は他の神がやって居られますから。

【お伺】幽世大御神と幽世大神とどちらが宜しうございませうか。

【御垂示】御は尊称ですから大神でも大御神でも同じですが、幽世大神でいゝです。「五六七」の時は御を入れ大御神がよい。御を入れるのは五六七大御神と天照大御神の御二人だけで宜しい。

(昭和二十三年八月二十八日)

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【お伺】弟子の御浄めしてゐる重病人の住所姓名病状等を毎朝定時に御観音様に言霊で奏上し、御守護を御願ひしても宜しいでせうか。

【御垂示】之は勿論で一種の遠隔的意味になる。その場合余りくどくどしく言はずにあっさり云ふ方がよい。すべて三度までよいのです。大体神様はくどい事が嫌ひで、くどい事が好きなのは邪神です。だから祝詞も三度でよい。若し三度以上あげるのなら間をおいてからがよい。

(昭和二十三年八月二十八日)

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【お伺】竜神系の婦人は結婚せぬ方が宜しいとの御言葉でしたが、竜神系か否かはどういふ点で判断致したら宜しいでせうか。

【御垂示】結婚の話が出て順調に進めば竜神ではない。竜神なら一方が病気になったり、男が死んだりする。又結婚しても女の方が男を嫌ふんです。一寸見た所では判りませんね。故障が起ったら無理をしてはいけません。ろくな結果は起きません。竜神の婦人はどっちかと言ふと美人に多いのです。だからごく美人でなければ安心な訳です。竜女は一般に妊娠しにくいですね。

【お伺】憑依してゐる竜神が浮ぶ事はありませうか。

【御垂示】少いです。まれですね。よく浮いて来て喋るのは狐です。男の人が竜神系か否かは判ります。こうやって皆を見てゐてもよく判ります。それから水を非常に飲みたがるのです。

【お伺】日の系統の者に竜神になったものはありませうか。

【御垂示】それはないでせう。

【お伺】御道に関し我の強いのは竜神系でせうか。

【御垂示】えゝ、竜神、天狗は我が強いです。今度本にも書いたのですが苦しみといふのは我と執着があるからであって、之は本当ではない。我とは主観の事で、自分の思ってゐる事が正しいと思ふ事です。だからつまり主観をすてゝ客観的に、自分を離れて自分を見る事が大切です。理屈をつけるのは我です。――自分で自分の間違いが判らないのは、それは智慧がないからです。だから智慧を磨かねばいけない。――信仰の標準は智慧と誠です。自分のしてゐる事がいゝか悪いかも判らなくては駄目です。仏教でも智慧正覚と云ひ、キリスト教でも智慧の木の実といふ。智慧のない人は無駄をやっては失敗するんです。

【お伺】智慧は神様から教へて頂けるものと考へて宜しいでせうか。

【御垂示】そうです。所が自分の我があるとそれをふさいで了って頂けないのです。ですから素直になる事です。世間には自分より偉い人の言葉はよく聞くが、下の人の言ふ事は聞かないといふ人が多いがそれが我なんです。下の人の言ふことを聞く事が雅量です。私でも部下の人の言ふ通りにしてやる。傍で見ると「大先生は何故あんな事を聞いてやるのだらう」と思はれる程ですが、それだから人々は喜んで働くのです。きっと失敗する様な事を「どうでせうか?」と言って来ると、私は「よい」と答へる。そうするとその人は失敗する。所が失敗して初めてその人は悟るんです。智慧と誠とあとは常識です。で、本当の事は常識に合って居り合理的です。

(昭和二十三年八月二十八日)

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【お伺】「果報は寝て待て」との有難い御言葉を頂いて居りますが、難関に打突った時如何に考えたらよいでせうか。
(イ)最善の努力が払はれなかったか。
(ロ)神様が止め給ふたのか。
(ハ)邪神が邪魔してゐるのか。
(ニ)時期でないのか。

【御垂示】「果報は寝て待て」とは寝て待つ程にゆったりする事です。果報を追かけてはいけない、来るのを待つといふ事です。この(イ)から(ニ)までは皆合ってますが、最善の努力とはどの程度か分らない。之は智慧です。だから智慧の足らなかった事が多いのです。

【お伺】例へば弟子の教導所が不振であるといふ風な事は――

【御垂示】私だって昔はさうだったんです。いくら待ってもお客さんが来ない。いろいろ考へたが一番は時機が来ない事、それから誠、智慧が足らない事などいろいろあります。之は自分で悟ることです。私は人に余り言はず放っておく。それでその人は本当に悟るんです。――邪神の邪魔は始終あります。それは隙があるから邪神が打込んでくるんです。その他或は何か原因――罪があるからです。人に騙されたとよく言ふがそれはその人に騙されるだけの資格があるからです。だから人を怨まず自分の事をよく考へ反省することです。今世の中には強盗や不良が多いが、それは人民全部が腐ってゐるからです。物が腐ればウジが湧くのと同様です。皆が正しい心になれば悪い気分が起らなくなる。一切は相応の理であって、すべて相応するのです。今迄は一方許り見て批判してゐた。共産主義者は自分が怠けてゐて喰へないくせに社会が悪いから喰へない等といふ。一生懸命やって、喰へないとか困る事なんかはないんです。何時の世でも中には他人が成功するとその頭を抑へる事許りする人もあります。

(昭和二十三年八月二十八日)

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【お伺】腐った世のため正しい人まで苦しんでゐるのは何故でせうか。

【御垂示】いやそれは正しくないのです。本当に正しい人は苦しむことなどないのです。本にも書いた様に、悪人が改心して死ぬ時、二度と悪い事はすまいとの想念のため、悪い事をしない人間に生れかはる。世の中の正しい人にはこういふ人が多いのです。若し或人が本当に誠の人であるなら御守護によりそう困るものではないのです。私もそうだが、古くから此の道をやってゐる人は物資なんか余る位です。

(昭和二十三年八月二十八日)

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【お伺】一人で同時に二人の異性を想ふ事は許される事でせうか。行為には表さないで――

【御垂示】想ふ事は仕方がない。むしろ之は多く思ふ程よい、愛が多い証拠だから。私だって百人やそこらゐますよ。想ふだけなら想ってもいゝですよ。行為に現さねば罪にはならない。私だって美人を見れば一寸変な気にもなりますよ。

【お伺】念の働きは罪にならないでせうか。

【御垂示】念とは祈念する事であり美人を想ふといふ想ふ事とは違ふのです。念と想ひは違ひます。念とは人間が神様に向って念願し祈念することであり、人間が人間に対して念願や祈念する事なんかない。よく念を入れて考へた方がよい。――

(昭和二十三年八月二十八日)

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【お伺】愛し得ない夫婦が今後共生活を続ける事は大変な苦痛ですが、この苦しみを除ける様神様の御許しを頂けませうか。

【御垂示】大変な苦痛ですが、どうして之を解決するかといふ事は人間には出来ない、神様に御任せしたらよい。そういふ所は神様は実に気が利いてますよ。唯ね、夫婦は産土神が結合せられたのであって、人為的にやったのではないといふ事だけは信じなければいけない。無理に人間が結合したのは離れさせられるのです。夫婦の中一方が反対する場合があるが、それはその反対により身魂(ミタマ)が磨かれるのです。

そして一方がいよいよ信仰を強め、霊的に高まる程他の一方はやがてそれについて来るか、或は離れて了ふか何れかになります。離れた場合、信仰のある方は霊的な高さが大体同じ位の人と又結ばれたりするんです。国の場合も、周囲に敵があるとその国は発展するのです。ヨーロッパの文化が発達したのも原因はそれです。東洋にはそんな事がなく御互に遠く離れてゐたりしたので、ノンキにして居られた。従って文化の発展も遅れたのです。

(昭和二十三年八月二十八日)

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【お伺】神代時代は男女間の愛情の表現は自由であり、又一人で幾人もの異性を愛する事も出来た様ですが、民主々義の今日この様な事は許されないことでせうか。

【御垂示】之は少し虫がよすぎる。人間の愛情はそんな簡単なものではない。愛し合へない者は気の毒だが、然し之も神様が結んだのだから――何事も神様に御任せして霊的に向上する事が幸福の原因なのです。

(昭和二十三年八月二十八日)

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【お伺】流産の子は何月位から祀ったら宜しいでせう。又石鹸や歯ぶらしは世間並に朝夕使っても宜しいでせうか。

【御垂示】胎児は五ケ月から人間の部に入る。だから祀らねばならないが、その方法は大人の様な葬式は要りません。よく胎児をアルコール漬にするが、霊は之を非常に嫌ふものです。よく死んだ赤坊の霊が来て母の肩へとまる事がありますが、さうすると急に肩が重くなったりします。

石鹸なんか大いに使って宜しい。歯刷子は朝だけでいゝでせう。又歯刷子のため歯が悪くなる事はない。皆薬のためです。歯を磨く時、歯よりむしろ肉を磨いた方が宜しい。歯ぐきから血が出たりすると歯がしまって来ます。劇しい歯痛は膿が骨に孔をあけるからで、その時の膿は殆ど薬です。外の場合でも劇痛は薬毒と思って差支へない。私の子供は生れた時から薬をのませないので痛みなんか殆どないですね。鬼歯といふのは膿の固り――毒結があるため歯が曲って成長するのです。治ります。歯磨粉も薬の強いのはいけない。以前坂井の方で作ってゐたでせう、あれがいゝですよ。

(昭和二十三年八月二十八日)

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【お伺】肺結核の空洞とはどんな原因で出来るのでせうか、又死霊憑依の肺結核の治癒過程は――

【御垂示】空洞といふが私は合点が行かない。私は医者ではないし解剖してみたくもないからはっきりした事は言へないが、恐らく毒の固りだと見てゐる。肺病で死んだ体を解剖する時、毒素が収縮して固まり空洞になるのでせう。――肺結核の場合体中何処からでも痰や咳が出る。殊に頭と股です。以前股だけやって肺病が治った事があります。これは体のあらゆる部分の毒は溶けると一旦肺に入り痰になって外へ出るからで、肺は丁度「ゴミダメ」の様なものです。医者はこんな事が判らないのです。肺結核なんか皆医者が製造するのです。だから大病院の近くは死亡率が高いですね。何だって物が停滞してゐてそこに湿気と温度があれば黴菌は湧くんです。だから肺病は全く自家発生です。

死霊が憑いて間もないのはすぐ出ます。先に私の奥さんに肺病の霊が憑き、突然肺病三期の症状を呈した。で、早速調べたら一年前に死んだ鈴木某で「祀ってやるから離れろ」と云った所、すぐけろりと治って了った事がありました。肺病が重くなり衰弱すると憑くので、兄弟の霊も憑き易いです。それは何故かといふと重病で血が薄くなるとそれだけ霊も薄くなるので死霊なんかゞ憑き易くなるのです。死霊だと判ったら「今訊ねるから首で返事をしろ」と云って、「あんたは死んだ人ですか」「男ですか」「年は若いか(老人か)」「肺病で死んだか」等そうして調べたらよい。その場合患者は正座させておく。予め観音様に「只今から調べますから御守護を御願ひ致します」と御願ひし、患者に祝詞を上げてから調べるのです。又供養するにしても仏を唯祀るだけではだめで、女中に仏壇へ食物を上げさせても仏は食べられない。やはり当事者が心をこめて祀る事です。

(昭和二十三年八月二十八日)

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【お伺】リュウマチスは霊的でせうか、又十一年来の慢性固結性リュウマチは如何でせうか。

【御垂示】両方ありますが割に霊的のが多い。霊的のは蛇が喰ひつくのです。「竜魔口(リユウマチ)」の事です。痛んでゐるのならよく治りますが、医者だと板をあてゝ固めて了ふから棒の様になる。それを又マッサーヂなんかするのです。手術して筋を切ったり膿を出したりするが、そんな手術をしてないのならひどいのも治ります。かなり固まったのは長くかゝるから辛抱強くする事です。

(昭和二十三年八月二十八日)