三月八日(月)
(二、三の人々夫々御浄化を頂いたことを御報告)
【御垂示】後頭部の毒血は普通痔で出ますよ。大分浄化が強くなりましたね。
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【お伺】地所を移転するため約三百年来の墓所を移したいのですが、そのお祀りは如何したら宜しいでせうか。
【御垂示】無闇にやってはいけない。ちゃんと霊に承知して貰ふんです。埋めた骨も出すんでせう? すっかり叮嚀に移さなければいけない。その時御酒御饌を上げて善言讃詞を称へ、「今度かくかくの事情で墓所をお移し致しますから、今迄此所に鎮まって居られた御霊様(ミタマサマ)御一同新しい所へお移り下さいます様御願ひ申し上げます」と断ればよい。酒を上げるのは、先祖には酒呑みも居ますからね。
(昭和二十三年三月八日)
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【お伺】仏壇へ生臭いものを上げるのは?
【御垂示】構はない。酒だっていゝですよ。それから普段も善言讃詞を全部上げるのが本当はいいんだが、時間もかゝることだから簡単に最後の二句丈でよい。
(昭和二十三年三月八日)
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【お伺】こんな事が御座いました。別府で先日御光を頂いた女の人、以来心から先祖をお祀りしてゐました所、一月程した或日、御経を上げてゐますと霊が憑った。丁度そこへ階下から主人が上って参り早速御伺ひしますと、それは母親で、いふことには「自分達は今迄ろくに祀って貰えず霊界でルンペン同様で実に苦しかった。今度有難いお守りを頂きよく祀りをしてくれて実に嬉しい。今後共この道を離れることなく祀ってほしい」と云って去ったさうです。
【御垂示】祖霊が今迄求めてゐたものにぶつかったんですよ。それは喜んだでせう。この位嬉しいことはないんですから。
(昭和二十三年三月八日)
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【お伺】或家の仏壇に常に一尺位の蛇が居りましたが、たまたま子供のパンツの中へ入ったまま疎開荷物として運ばれたため、パンツの中で死んで了ひました。後、その子供は病気で危かったですが、今はすっかり元気になりました所、今度は母親の夢に出て「おれを元の様にしろ」と云って首にまきついたのですが――
【御垂示】それは祖霊ですね。観音様をお祀りしてますか。
【お伺】まだです。
【御垂示】お祀りすれば宜しい、蛇も救はれます。
(昭和二十三年三月八日)
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【お伺】大黒様の由来を御教へ願ひたいのですが。
【御垂示】これにはいろんな伝説がある。が、その中で割合信じられるのは、最初日本で天照大神が生きてられた時、印度から一人の偉い人が渡って来て家来にしてくれと云った時、大神はもっと柔和な顔になったら家来にしてやると云はれたので、笑顔をしてお仕へする様になった。そして今でいふ財政を司ったといふ説がある。これが伝説の中では一番いゝでせう。
私が大黒様をお祀りし出したのは大森時代、丁度不景気な時代でもあり、毎月赤字であった。こっちはふところも淋しくてやり切れなかった。所が或る銀行員が大黒様を持って来て要らないかと云ふので、私も気に入って祀り出した。その像の裏には文久何年とか書いてあった。するとその月から赤字がなくなって了った。これはいゝといふ訳で、それからは大黒様を何種類も集めましたよ。上野毛の大きな大黒様には神秘がある。四、五百年経ったもので、麻布の古道具屋から手に入れたんです。これを呉れといふと主人が、これは自分自身で拝んでゐるんだから上げられないとて断られたが、後でその主人が夢をみて、大黒様が紫の雲にのって出て行かれる姿を見たさうですが、その年の大晦日に自動車で私の所へ持って来たんです。その時主人は別れを惜しんで大黒様に抱きついて泣いてましたよ。たしかその時は三百円包んでやりました。その時から金がよく入る様になった。
大黒様をお祀りするといゝですね。大きなのほどいゝですよ。此の前渋井が大きなのを作って開眼してくれといってトラックで持って来ました。男四人でやっとかつぐんですよ。そのためか渋井の所はバカに金が入る。一月二月なんか大したもので、人に話しても信じられない位です。いくらかそんなこともあるんでせう。不動銀行の牧野といふ人は大変之を集めてます。大黒様の夢知らせで、関東大震災の一寸前日本銀行の公債一千万円を不動に預け入れた。行員は変に思ったが、間もなく震災で外の銀行が支払はないのに不動だけは支払ったので一度に信用を博したさうです。たしかに大黒様はいいですね。いろいろ神秘がありますよ。治療所も患者が大勢来て金が沢山入ればいゝんだから祀ったらよい。大黒様はいはれよりも御利益があればよい。
大黒と恵比寿と対でもいゝが大黒丈でもいゝ。あの木槌は土からの財、恵比寿のは海からの宝を意味してるんです。
(昭和二十三年三月八日)
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【お伺】三十五、六才の米国婦人、十年来の偏頭痛なのですが――
【御垂示】原因は薬毒ですよ。治療は患部をすればよい。
(昭和二十三年三月八日)
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(「紫雲」所載「現代医学とマルキシズム」を朗読)
【御垂示】面白いですね。その説き方は面白いです。医学の誤りを人類にわからせることは大変いいことですよ。
【お伺】食養生の桜沢如一さんも東洋に大偉人が出ると云ってゐます。
【御垂示】まア一部の人に一部分わかってゐる。マルクスも一部の真理がある。絵でもいろいろな色を塗っていゝ絵が出来る。然し赤い色がいゝからといって全部赤く塗って了ったんでは何だか判らなくなって了ふ。マルクスもエンゲルスもとても貧乏で苦しんだんです。今の人々はそれを見て有難がってゐる。共産主義も今が一番盛んでせう。今に煙の様に消えて了ふ。こんなバカバカしいことが世界の人々をだましてゐるといふのは大したことですよ。私はその点大いに感心してゐます。
野口英世なんかも黄熱病研究のため途中で死んで了ったんですが、世界の人々は彼のことを立派だといって賞めてゐる。そういふ人は自分では満足でせうがね。実際よくもいろんなバカバカしいことが世界的に拡がり、又人々がよくもだまされてゐるもんですね。これこそ全く世界の謎ですよ。
(昭和二十三年三月八日)
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三月二十八日(日)
【お伺】日本紙をたたんで御軸の前に御供へし祝詞を奏してそのまゝ三日間置いてから、御霊光として使はせて頂いて居りますが宜しうございませうか。
【御垂示】それで宜しい。御供へした水を飲ませてもよい。然し之はいつもやらずにたまにやるように。「おひねり」もいゝが、当局に知れぬ様にやればよい。口に入れるものは黴菌がどうとか衛生上なんだとか云って煩いから。
(昭和二十三年三月二十八日)
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【お伺】青森から来た講習生ですが、或時いきなり観音様がお憑りになり、将来は○に十の宗教に統一されると云はれ、又一時に天照皇大神、素盞嗚尊、月読尊の三神が御出ましになり、素盞嗚尊は天照皇大神におあやまりになった所天照皇大神は懐しがられて泣き乍らいろいろ御諭しになられ、三神が和解されました。その他いろいろ仰せられましたが一寸こゝでは申し上げられない神秘もありました。その人は狐霊がだましてゐるのではないかと云って居ります。又その時大神は因縁により北に天降ったのであるとも申されました。
【御垂示】その人は全然神の事を知らぬ人ですか。
【お伺】余り知って居りません。石沢といふ元女学校長をしてゐた人です。普通の人にも大神がお出ましになられるものでせうか。
【御垂示】えゝそれはありますよ。有名な人には憑かずに却って有名でない人に憑ることの方が多いです。
【お伺】一昨年も御軸の前で、精神統一して祝詞を奏上致しますと、家屋が大鳴動して神が天降られたので御伺ひ致しますと、素盞嗚尊であると仰せられました。そして此の事は特筆すべき事であるから何時か世に出さねばならないとも申されました。
【御垂示】まんざらでもないようですね。
(昭和二十三年三月二十八日)
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【お伺】光明如来と日月地大神の相違に就て御教へ願ひたいのですが。
【御垂示】結局同じもんですがね。つまり最高の地位になられた場合「日月地(ミロク)」です。「日月地」は大神で神の位です。これで五六七となって御働きが完全になる。光明如来の方は火と水です。観音様は火水土ですが、土が少しなんです。何故土が少いかと云ふと、之は私が出てから加はったからです。
観音様は慈悲の御働きで善悪無差別、一切衆生凡てを救ふ御働きであって、あいつは悪いとか、こいつはどうとか云ふのは観音様ではない。観音様の御本体は国常立命で、北海道の芦別山におしこめられてから霊界で閻魔大王となり審判のお働きをされる。従って頗る苛しいんです。所がそれだけでは人間がやり切れぬから慈悲の神として現れたのが観音様であり、神や如来の地位では高すぎて衆生済度が出来ないから菩薩の位に下がられたんです。それが一段上ったのが光明如来です。
今迄は観音様を拝んでも御利益はあったが弱かったんです。壺坂の沢市の話の様に御利益はあったんです。そこへ土が加わると力が強くなる。土とは人体です。それが光明如来になると火と水=光が強くなる。今度離して御浄めする様になったのは、光明如来の御働きで、くっつけてしてゐたのは観音様の御働きです。そして土の力が完全に強くなられたのが「日月地」です。
私は昭和三年から六年間菩薩、九年から十五年まで如来、十六年から二十一年まで「日月地」の働きをしてゐたのです。之は霊界であって現界は去年から「日月地」になった。一昨年までは私も治療したが、去年から出来なくなった。それは位が高くなって大衆と離れたためなんです。
(昭和二十三年三月二十八日)
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【御垂示】此の道に入った人が、よくわからずに霊界へ行っても救はれる。野々山さん、此の前あんたが話してましたね。霊界の方が盛んなのです。然し直ぐ救はれる人と、さうでない人とある。霊界の団体の霊でも此の話を聞いてすぐ承知するのとしないのとある。浄めを受け乍ら死んだ人は早いですね。
【お伺】昭和五年頃、大先生が御頭を短くしてお出でだったので、何故長く伸す様になさらないのですかとお訊ねしましたら、私は今坊主の修業をしてゐるからだと仰せられたことを記憶して居ります。
【御垂示】さうだったですか。昔の事は私自身も忘れて了ってますよ。
【お伺】先日福居先生が霊媒を通じて、なくなられた稲川先生をお呼びした所合掌して出て来られ「私は折角道に入らせて頂いたが迷ひがあったため現界を追はれて霊界へ来た。迷ひは霊の曇りであるから決して迷はない様に。私は今霊界でビッコだの片輪だのを治療してゐる」と申されたさうです。
(昭和二十三年三月二十八日)
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【お伺】幽世大神とは――
【御垂示】幽世大神とは閻魔大王の事です。然し最近は外の神がなられてます。閻魔大王は現界を司られ、霊界は大国主命です。けれどもやっぱりちょいちょい霊界にも帰られますから両方かけもちですね。
(昭和二十三年三月二十八日)
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【お伺】受講者が死亡した場合御守りは如何致しますか。
【御垂示】御守りをつけたまゝ火葬にすれば宜しい。
(昭和二十三年三月二十八日)
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【お伺】昔行方不明になった人の祀り方は――
【御垂示】出た日が判ってゐればその日にやる。判らなければその人に近い人、例へば妻とか親とかの日にしたらよい。
(昭和二十三年三月二十八日)
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【御垂示】重病の時の祝詞は幽世大神と称へた方がよい。
(昭和二十三年三月二十八日)
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【御垂示】手鏡を見たり小鼻がピクピクしたからって全部死ぬとは限らない。助かる人はいくらも居ますよ。私が肺で死にさうだった時、毎日手鏡を見てましたが現にこうして生きてますよ。
((昭和二十三年三月二十八日)
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【お伺】私は何れ国常立命の主宰される時が来て大浄化が起ることゝ思って居りますが、それを考へると悩んで了ひます。
【御垂示】あんまり考へすぎてはいけない。あんた自身がやってゐるんではない。神様がやって居られるんだから神様にお任せしたら宜しい。
【お伺】自分のしてゐる事が神に反してゐやしないかと思ひます。
【御垂示】反しない様にすればよい。神の御心に反してゐるか否か一寸人間には判らない事です。
【お伺】私が今持ってゐる物は全部神の物だとすると自分で使ふのが怖ろしくなります。
【御垂示】それは小乗ですよ。
【お伺】ではその限界といふものはどうしたら宜しいでせうか。
【御垂示】それは常識だ。程よくやればよい。一人でも余計人を助ける事が大切です。
(昭和二十三年三月二十八日)