御光話録  昭和二十三年二月

二月八日(日)

【お伺】産後四十日程の女、火事に会ひ、以来気が狂って丁度狐つきの様になります。

【御垂示】眠れる様になればよい、治ります。産後の精神病は特に治りいゝです。それは産後は血が少いから霊が憑り易いんです。血が充分あれば憑依しません。

(昭和二十三年二月八日)

………………………………………………………………

【御垂示】神前結婚の形式を私も考へてゐるんですがね。今迄の神前、仏前結婚は余り感心出来ません。

【お伺】先日致しました時は祝詞と誓詞の中へ観音様と大先生の御名前を入れさせて頂きました。

【御垂示】天津祝詞は結婚式には要りません。お祀りの時は上げなさい。

(昭和二十三年二月八日)

………………………………………………………………

【お伺】善言讃詞と祝詞と両方を上げます場合、日月地大神守り給へ幸へ給へが重複致しますが――

【御垂示】重なっても構はない――仏壇には拍手を三つ打つ。神道では五十日祭までは拍手の音を立てないが、こっちでは音を立てゝ構はない。仏は現界でないから二拍手が本当かも知れませんが正式は三拍手、日月地だから三がよい。今までは地がなかったんですから――結婚や葬式の形式も作りたいと思ってます。躰がすっかりよくなったらそういふのを作りたい――出雲の神様は営業がうまいですね。大国主命と大黒天とは縁も何もない。

(昭和二十三年二月八日)

………………………………………………………………

【お伺】四人の子が脳膜炎を次々に患ひ、今度その四人目(二才)が死にましたが――

【御垂示】何か訳がある。何か祟ってゐるか、罪が深いと取れないんですよ。そんなのもどうこう考へないで自然に任せなさい。講習を受けたからとて皆助かる訳ではない。今は大清算が始ってゐる。観音様に救はれるといふのは亡ぶべき運命の者が、例へば五人死ぬべきものが二人か三人で済される事で、全然死なずに助かる訳には行かない。今は大変な時期だからね。難しいもんだが、これは判る人は判るし判らぬ人は判らない。――生きてゐる人がグズグズしてゐると霊が大いに働いて判らせるといふ事が随分ある。

【お伺】死んでからあの世で判る人が多いです。御守りの事が存命中は判らず霊界へ行って初めて判り、「お蔭で明るい所に居ることが出来ます」と非常に感謝されたことがあります。

【御垂示】此の道で助かるには矢張り人間としての道を践まねばならない。

(昭和二十三年二月八日)

………………………………………………………………

【御垂示】新家庭は必ず仏壇を設けねば駄目なんです。

(昭和二十三年二月八日)

………………………………………………………………

【御垂示】霊媒に観音様が憑ったからとて丸呑みには出来ません。

(昭和二十三年二月八日)

………………………………………………………………

【御垂示】普通の観音様や仏壇に善言讃詞を上げても駄目です。止むをえない時――例へば光明如来を頂かうとしてゐるが、表装がまだ出来ない時は別ですが。

(昭和二十三年二月八日)

………………………………………………………………

【お伺】茨城の太田町で先日日蓮宗の行者が四、五十名集って修行中、その指導者格の人に金色の光が見えたので、よく調べた所その中に一人御守りを頂いた人が居りました。

【御垂示】光明如来を御祀りすると離縁もなくなる。此んなのがある。少し頭の足りない主人があり、その細君が光明如来を御祀りした所、段々主人の頭がよくなり、この分なら一生つれ添っても大丈夫だといふ訳で納って了ひました。夫婦喧嘩もしなくなります。光のために動物霊が萎縮するんです。喧嘩は動物霊ですからね。

支那でも道教の信者は霊格が高い様です。新しい信者が掟を破って肉食などして帰ると門番に見破られ殴られる相です。

(昭和二十三年二月八日)

………………………………………………………………

【お伺】今度の帝銀事件の家も代々質屋で大分怨まれてましたが、此の前に入った夫婦も変死し、空屋になってゐたのを帝銀が借りたのださうです。

【御垂示】私は前に相場が好きでよくやったんですがね。まあ損許りでしたが、兜町辺りには怨みの霊が沢山居て、あすこから持って来る紙幣についている。悪銭身につかずとは本当ですよ。だから私は損許りしてゐたんです。それが判ってから相場はやめて鉱山を始めました。こうして信者の持ってくる金は浄財許りです。霊は何にでもつき作用します。怨みの霊が家に入ると家の霊が曇る。松下の家にはその家を作った大工――未だ生きてるんです――白い髭の老人の霊が来たさうです。自分の作った家に執着を持ってゐるからですね。だから人を苦しめてはいけないんです。

私はよく言ふんです。偉い人になってはいけない、有難い人にならねばいけない。偉い人になると敵から怨まれる。英雄の末路哀れなのはそのためです。明治天皇がおかくれになった時、皆二重橋で御平癒を祈った。全国では何万といふ人が祈ったでせう。それでもおかくれになった。これは明治天皇は日清日露の戦をやったので、支那人やロシヤ人から怨まれる。その怨みは日本の中心の天皇に集るんです。何しろ人間は時々思ひ出しては怨みますから始末が悪い。

馬鹿々々しい事でも先方の言ふ様にしてやるのがいゝ。災難とか運が悪いとか云ふのは皆これです。偶然なんていふのは絶対無いんです。それさへ判れば苦しい時には、あゝ之は自分が種を蒔いたんだと考へる事が出来るんです。

今は世の中が皆怨みっこです。愛するなんてことは少しもない。自分だけいゝ子にならうとしてゐる。こういふ目で政治を見るとなってゐないです。又国民も之が判らないんで苦しめられるんですよ。

(昭和二十三年二月八日)

………………………………………………………………

二月十八日(水)

  (立春の日の御歌)

  立つ春の今年今日の日何かしら  行手明るき心地こそすれ

  年毎に祝ふ春立つ此のよき日  ことに祀らむ神の御前に

  今日はしも今年春立つよき日なり  吾業開くる始とぞ思ふ

(昭和二十三年二月十八日)

………………………………………………………………

【御垂示】これからは朝の礼拝は天津祝詞、夕方は善言讃詞を上げる。神は昼、仏は夜だから。昔から天子様の居られる所を朝廷といふ。之は政治のための会議を朝やったからです。今の政治は朝廷ではなく晩廷ですね。

(昭和二十三年二月十八日)

………………………………………………………………

【御垂示】仏壇には祝詞は要らない。「幽世大御神守り給へ幸倍給へ」と「惟神霊幸倍坐世」の二ケ所だけでよい。特別の御祀りには両方上げたらよい。

(昭和二十三年二月十八日)

………………………………………………………………

【お伺】丹波の方で三月二日に三分間空気がなくなり人類は滅亡するといふことを、インテリの人々も信じてマジメな顔で私に訊ねましたので、そんな事はないと申しました。

【御垂示】そんなバカな事はありませんよ。地震の予言でも大分騒いでゐますね。私は地震はないと云ってるんです。之は学者の考へと逆ですが、学者は土地が沈下してゐるからあると云ふが、私は沈下しつゝあるからこそ地震はないと云ふんです。地震は地殻の収縮なんだから一度に収縮する時は大地震だ。従って小きざみに収縮してゐれば大地震はない。

予言といふものは世界中にありますよ。先年もロシヤだかで世の終りが来たと云って何万といふ人が山へ登って待ってゐたなんて事があったですね。ロシヤには紀元前の頃ソドムといふ町があったが、之が地震で沈下して無くなったことがあるんです。之を連想して恐れたんでせう。

予言といふものは外れるものですよ。キリスト教でも云ってますね。以前或有名な牧師に世の終りのことを訊ねたら、地上の人が全部死に、千年位経ってから又生き返る。それが復活だとマジメな顔で云ってました。聖書に世の終りには山々が噴火して川の水も熱湯となり大きな雹が降り、之に当った人は死ぬとか、逃げる時欲を出して家の方をふり返って見た者は死ぬとか書いてあります。世の終りとは夜の終りのことですね。

【お伺】いろいろ予言はあったですが、大先生の様にハッキリ云はれなかったんですナ。

【御垂示】さうでしたね。

(昭和二十三年二月十八日)

………………………………………………………………

【お伺】千葉県トヨスミ村の十二才の少女、学校の先生から習ったとてコックリさんをして居りますが、それが「あの講習をうければ病気が早く治る」とか、私のことを指して「あの先生はいゝ人だ」とか云ひます。

【御垂示】その狐霊は人間より上ですね。

【お伺】茨城の方の十九才の女に、キンペイ稲荷が憑き、夜になると暴れます。そして云ふことには「昼は眩しくて仕方がないが夜は何とも云へぬいゝ気持だ」――

【御垂示】さうですよ。私は以前心霊研究会に入ってましたが、霊が出る時は電気がついてゝも駄目です。霊が出るとそれが夜光塗料を塗ったオモチャを飛ばしたり、ラッパを吹いたりテーブルを持ち上げたりしました。西洋では盛んですね。

狐霊にはいゝのも居ますよ。今のなんか人間より宣伝力があります。人間に賞められたのより確かですよ。その狐霊はいい事をして早く人間になりたいんです。牛馬でも人間から堕ちたのがある。そんなのはうんと苦しんで働く程早く人間になれる。その時可哀想だからと考へて苦しめないのもよしあしです。却って苦しむ方がよい。牛馬は酷い目にあふ程喜ぶ。先年鬼怒川へ行ったが、牛車に乗った時、叩くと牛はよく動いた。之は痛いから動くんではないんですよ。

(昭和二十三年二月十八日)

………………………………………………………………

【お伺】地鎮祭はどう致しませうか。

【御垂示】地鎮祭の祝詞は出来てます。之はやった方がよい。之をやれば霊界で神の許しをうける事になり、浄められて障りが消える。祭服を着てやる。習ふ必要があります。

(昭和二十三年二月十八日)

………………………………………………………………

【御垂示】治療の時の祝詞は天津祝詞でよい。(幽世大神……三回)。相手が合掌出来るならさせた方がよい。仏壇の線香や鐘は今迄の様で結構です。

(昭和二十三年二月十八日)

………………………………………………………………

【御垂示】神道では神さえ祀れば仏はどうでもよいとしてゐるが之はいけない。特にキリスト教は先祖を祀らないから不幸です。病人や死人が余計出ます。山室軍平なんかはいゝ人でしたが不幸だったですね。実に哀れです。祖先を祀らないから祖先が怒るんです。西洋は霊界も東洋と違って居り、又生きてゐる時からさういふ風に教育されてゐるから構はないが、東洋の霊界は縦で層をなしてゐます。西洋は横です。

【お伺】最近家族制度が変化しましたが霊界も変るでせうか。

【御垂示】家族制度が変っても大したことはない。今までは家長が一人で威張ってゐた。之は間違ひですよ。

【お伺】どうも最近は外国のまねをして困ります。

【御垂示】外国の通りするんなら大いに結構です。が、悪い所だけまねして了ふ。今の指導者も危いからうっかり出来ません。

財産もこれから公平に分配される様になるが、そんな事で若し仏が怒るなら怒る方が悪い。今までは余りひどすぎましたからね。

(昭和二十三年二月十八日)

………………………………………………………………

【御垂示】自由主義も今のは唯自分だけの自由主義です。本当は他人の自由主義も尊重してやらねばいけない。さうでせう。だから自分の自由には程度がある。若い人が親兄弟の自由を尊重しないのは間違ひです。自由主義といふのは、或程度楽ですが、又或程度は窮屈ですよ。だから浅い考へだと困る。結局自分一人だけよくならうといふ事がいけない。それが争の本です。今度の侵略戦争も日本にとっては自由主義です。然し朝鮮、満洲などやられた方は迷惑です。ですからむしろ利他主義が本当です。まだそこまで人類は行ってないんです。

今の政界は我利我利亡者が集ってゐる。社会党もあはよくば又政権を握らうとしてゐる。之は今度は自由党にゆづるべきです。いろいろと理屈を考へ出してはツベコベ云ってる。文化の段階まで行ってない証拠です。芦田にも今度は愛想がつきました。何しろ、よしだ(吉田━善)あしだ(芦田━悪)ですからね。

(昭和二十三年二月十八日)

………………………………………………………………

二月二十八日(土)

【お伺】満一ケ年の嬰児、左足が五分位短く脱臼らしいのですが――

【御垂示】ブラブラしてゐないなら脱臼ではない、治るさ。

(昭和二十三年二月二十八日)

………………………………………………………………

【お伺】二十一才の青年、以前肋膜をやり全快しましたが、最近腰が痛み、医師はカリエスだと云ひ腰に穴をあけ膿を出して居ります。私はカリエスではなく、肋膜の時の残った毒が出てくるのだと思ひますが――

【御垂示】医者よりあんたの診断の方が合ってます。肋膜の浄化ですよ。食欲が少いといけない。

(昭和二十三年二月二十八日)

………………………………………………………………

【お伺】十六才の女の子、頭を下げたきりで上げられず、暫く医者へ行って居りましたが却って悪くなり今月二日より御治療しました所一回宛よくなってます。神様の御恩を忘れたからだと本人は申して居ります。

【御垂示】そんなのは医者にかゝってゝは死んで了ふ。気が小さい人ですね。何か霊が憑いてゐる。

(昭和二十三年二月二十八日)

………………………………………………………………

【お伺】宗教になりましてより、観音様や日月地大神の御働きについて信者が非常に知りたがって居りますが。

【御垂示】観音様は観音菩薩で、仏教の方では観は見る、客観的にわきで見る事で、音は世間の音、即ち世の音を見るのだといってますが、おかしなものです。これではまるで目の中に耳がある様ですね。コジツケですよ。観音様は昔印度に渡って布咀落迦山に登って住はれた。日光にオダケ観音がある。二荒山は布咀落迦山の事で、その因縁による。布咀落迦山は海岸に近く、南に海があり、その山の上に寺の様なものを作り、又その庭に金剛法座を設けて説教した。経文に二十八部衆を従へ、観自在菩薩南海大師として善財童子らに説法したとある。当時印度は大自在天が支配してゐた。観自在菩薩とは大自在天の世を見るといふ意である。此の故に観世音といふ。菩薩とは一番下の位で尊者と同じ様だ。印度では如来より天が上だらう。何々天とは印度の位になる。

華厳経に、布咀落迦山上に観世音菩薩あり善財童子らが大慈悲教を説かれるのを聞いて居られたが、その中に既に沢山の弟子が居られ、中にも侍者として二十八部衆居り大弁財天、大梵天王、帝釈天王、金色孔雀王、毘沙門天王、阿修羅王等の外、ナーラーナヤ金剛、ワーヂラーバニー金剛の兄弟二人(此の二人を仁王尊といふ)等の諸天が居られたのを見ても、釈迦は観音様から教を受けたことが直ぐ判ります。(以上観音講座第二より)

日蓮の曼陀羅にも大自在天がある。天照大神は下の方に小さく書いてある。こゝにもいろいろ意味がある。伊都能売大神はネ、日本に居られた時迫害をうけてお逃げになった。その時姿をかくすため頭巾をかぶり身を包んだ、そのお姿が絵に書いてある。古事記には世を浄める神と出てゐる。で、日本を脱出して支那から印度に渡り庵を作り観自在天となられた。観音様は日本人ですよ。だから釈迦や阿弥陀は頭の毛が縮れてゐるが、観音様は縮れてないんです。何故逃げたかと云ふと、それは素盞嗚尊に命をとられ様としたからです。素盞嗚尊の奥さんは乙姫、又弟姫、オトヨの姫とも云ふ。素盞嗚尊は朝鮮のソシモリ山――古事記にありますが――に下り、日本へ来て実権を握った。之が出雲朝の始めです。

伊都能売大神は天照大神の頃かそれ以前の神様です。素盞嗚尊は世界へ出て行きユダヤへ行ってユダヤ人の祖先となった。で素盞嗚尊の代りになったのは乙姫だ。観音とは、乙姫――音姫を観てゐる事を意味する。そして何れは日本に帰り、素盞嗚尊の実権を取り返さうとする時期を待って居られた。千手観音がそれです。今迄は乙姫が財宝を握ってゐた。神様の話は虚々実々だがマンザラ作り話でもないんです。乙姫は物質に執着して竜になり、丹後の竜宮海といふ海に沈んだ。時期が来ると三寒三熱の苦しみにあひ、遂には国常立命にお詫びする様になる。国常立命とは以前世界の実権を持って居られたが、節分の夜鬼門の方に押し込められ艮金神となられた神様です。国常立命が伊都能売大神になる。国常立命は霊界で閻魔大王になり、裁きの役をやるが、それが苛しくて可哀想だといふ事から半分は閻魔大王に半分は観音になる。神は厳格だが仏といふのは慈悲だから、伊都能売大神は、仏界で観音様になったんだ。即ち善悪無差別の慈悲である。本地垂跡説も今迄のは間違ひで、日本へ再び帰って来られて衆生を救ふことの意味である。神様は霊的に分裂する。精神分裂ではないがね。フロイトのは霊憑りを説明したもので「ジキル博士とハイド」などはそれで説明される。

伊都能売大神は龍神になり霊は富士山頂に(兄花咲耶姫の守護神久須志神社)、体は琵琶湖で時期を待って居られる。竜神といふのは力が強いんです。で、大神も悪魔の邪魔に対抗するため竜神となられたんです。

伊都能売大神の御働きは、イズ=火、ミズ=水です。ミイズといふでせう、之は逆なんです。火と水で光になる。夜の間は本当の火がない。月の光ですね。太陽は月の六十倍の光を持つといふが、今迄観音様をお祀りしても少ししか御利益がなかったのはそのためです。イズ、ミズが五、三、それでも足らず更に土の力が加はってそれが日月地の御力になる。今迄はニロク=二力だった。夜の間は三界(天界、中界、地界)は殆ど水だった。六、六、六だったが、今度は五六七になり、天の六が地に降り土の力が加はる。金剛不壊の力だ。絶対力になる。いかなることでも自由になる。神道で云ふマニの玉とは完全な玉の事ですネ。これから先は神秘になるから又時期に応じて説く。

私が之を始めたのが昭和三年で、それから六年して昭和九年まで治療し、更に六年の昭和十五年まで上野毛でやり、更に六年、二十一年までが基礎工事なのです。私の修業は終った。去年からミロクの時代になった。霊界から日月地大神の御力が私の躰を通して人に働くんです。これから三年は現界の基礎工事、それが終ってから世界的になるんです。光に「ヽ」の御守りは天から地に降った事です。祝詞にあるでせう、光明如来(火と水)が応身日月地に現ずると。之は相手に合う様に働く、大きく云へば世の中に合ふ様にする。威張ってみては駄目です。その社会に合ふ様にやらねば駄目です。そうでないと爾光尊みたいに気狂扱ひされる。日月地にも三段あり、現界に対してはやはり光明如来で、日月地、光明如来、観音の三段になる。徹底して説明せねばならぬが今はまだ時期ではない。

(昭和二十三年二月二十八日)

………………………………………………………………

【お伺】天津金木とは――

【御垂示】之も半分きり説明出来ない。神武天皇以前、その時の天皇が正月に之を拝むと、その年の吉凶がわかる。一種の占ひですよ。之は代々伝はって稗田阿礼の所にあった。神武天皇に征服された日本人が代々口伝えして遂に丹波で百姓をしてゐた阿礼に至り、太安万侶がそれを誌したのが古事記ですよ。天津金木は地上天国の予言になってゐる。何れ又話さう。あらゆる宗教がなくなってから之を拝む様になる。

(昭和二十三年二月二十八日)