十一月一日
近来アメリカで、日本美術の良い処が分って来たので無闇に狙っているのです。それで博物館は予算が足りないので仕様がない。どういうものですか、軍艦を造る時は何億でもありますが、斯ういう時には馬鹿にしみったれなのです。で、こっちも出来る丈何とか喰止め様と思ってうまくやっているのです。それでアメリカで一番狙っているのは、伴大納言という人の巻物で三巻ある。鎌倉時代の初期の物です。巻物で一番良い物は、こっちにある天平の因果経で、二番目が伴大納言の三巻の巻物です。今度のアメリカの展覧会に行きましたが、之は去年サンフランシスコの時も行ったのです。それを一番狙っているのです。ですからあれをどうしても手に入れ様と考えて居ります。
「隠れた良い物は未だ未だ御座いますでしようから」
それは随分あります。日本は大変なものです。併し不思議に良い物は、神様がこっちの手に入らせます。来年私は浮世絵の展覧会をやろうと思ってますが、浮世絵の最高の物がボツボツ入って来るのです。
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話は違うが「⇒アメリカを救う」はもう印刷の方に廻りましたが、あれは日本かアメリカのどっちか、或いは両方で相当問題になると思います。問題になれば大したものです。問題になれば売れるに決ってます。アメリカあたりで問題になると、何十万か何百万冊かとりますから、そうすると無論ヨーロッパの方にも売れますから、外貨獲得という事になります。あの文章は私は随分骨折って書いたのです。あれを本当に見たらアメリカの偉い人、勿論医者もですが、息が止まるだろうと思います。
「問題になりましたら、外貨獲得もで御座いますが、神様の方に愈々凱歌が上りますわけで御座います」
それはそうです。外貨獲得は附録の方です。柔い言い方ですが、思い切ってやっつけました。
「何時かの御言葉に御座います通り、今迄は五、六の御神業で、今度は七の御神業にかゝりますので、体的に見えた御神業という事が御座いましたが」
そうです。ですから此間云いましたが、五、六は霊で七は体だから、目に見える発展をするわけです。そこで段々宗教的に発展もしますし、金もドシドシ入りますし、方々に色んな物が出来るとか、そういった目に見える発展は之からです。併しそれはやっぱり京都のあそこが出来るに従ってそれが写っていくのです。神様の方の経綸は深いですから到底想像もつくものではないのです。之からは規模も非常に大きくなって来るでしよう。本当に社会が“病気は医学では駄目だ”という事が分れば、それはこっちの発展は大変なものです。日本中が引繰返って了います。
「昨日会長さん方が皆集りました折、之が少し分り出して来たら天手古舞(テンテコマイ)になるから、信者さんが皆先生になる気持でやらして戴かなければ、と話合いました」
そうですよ。もう長い事はありません。大分接近して来ました。大本教のお筆先にうまい事が書いてあります。“上の守護神に分りたら早いぞよ”とあります。結局インテリ階級です。之が分らなければ駄目です。
「日本の方の分り方と外国の方の分り方を比べてみますと、日本は一番最初下層階級から分って来た様で御座いますが」
併しそれは何でもそうです。
「アメリカは御論文でという事で参りますと」
アメリカは反対かも知れません。インテリ階級から分るでしよう。というのは、日本は何故インテリが分らないかというと、今迄の宗教というのに碌なものがないからです。今迄の踊る宗教とか、ウチワ太鼓叩いて南無妙法蓮華経と言うのですが、踊る宗教も日蓮宗です。だから日蓮宗は信仰では随分低級な下劣なものだと宣伝したのです。だから新しい宗教が出来ても、頭から“いや、あんなものだろう”と高を括(クク)ってますから、其為に日本はインテリに開けないのです。処がアメリカはキリスト教一本だから、そういう様な悪影響は受けてないのです。日本で我々の方を邪魔したのは、新宗教です。学者でもジヤーナリストでもありません。新宗教です。
「その御言葉を戴きますと、又分る様な気が致します」
だから天理教でも随分信用を落す様な事をしました。“天理王尊”と、斯んな事をやってますが、あれを智識階級が見たら入る気がしません。私が見てもそうです。ですから私は宗教は大嫌いだと言うのです。自分だって宗教家ではないかと言うでしようが、ですから私は宗教ではないと言うのです。そうかと言って、無神論は尚悪いです。だから宗教の悪いのは始末の良い悪さです。一番困るのは善意の悪魔です。或いは親切な悪です。私は今医学の事に対して、善意の罪悪という事を書いてますが、行った事は確かに善意なのです。“医は仁術なり”と言って馬鹿に良いですが、結果に於て罪悪になっている。そういった事が今迄は非常に多かったのです。だから医学というものは善意の罪悪です。今度“⇒アメリカを救う”という本が外国に行くという事は、やっぱり最後の審判です。神様は医の審判を始めたのです。それで医学の今迄の罪悪をすっかりさらけ出す事で、みんなを分らせるという事は、神様は最後の審判で医学に最初手を附けたわけです。最後の審判と言うと天から火の玉が降る様に思いたいのです。聖書にそういう風にあるのです。併しそういった現実離れした様な事が有り得る事はない。そういうのはみんな寓意です。“あなたは病気は医者にかゝりなさい。そんな宗教なんかでは危ぶないから、何でも医者に行きなさい”と言うのは、つまり親切な悪魔という奴です。
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「名古屋の御面会の時に、エルサレムに四つの門があるという事で御座いましたが、何ういう事で御座いましようか」
あれは昔拵えたのです。やっぱりキリストより一寸前らしいです。やっぱりユダヤです。将来救世主が現われる、其時にそれを御迎えするという準備です。其為に四つの門を拵えたのです。それで三つの門丈は開けられるが、一つの門丈は“開かずの門”と言って開けられなかった。今でもありますが、それで一番不思議に思う事は“開かずの門”の上に十六の菊が附いている。だからその開かずの門には日本の天皇が行かれるという説もあったのです。十六の菊の門と言って、菊の花ではないのです。四方に神の光が行渡るという様な意味です。やっぱり八絋一宇という様なものです。八絋一宇を戦争の道具に使ったのは大変な違いで、あべこべだったわけです。それでイスラエルの流れと言いますが、イスラエル民族の十二の流れというのは、十二の種族になったわけです。それでその一種族丈が東に向って行って行方不明になったという事があるのですが、一種族が東に行ったという事は、支那に行ったのです。そうして漢民族、漢の英雄になって、それが日本に渡って来たのです。それが瓊々杵尊なのです。天孫瓊々杵尊です。その孫さんが神武天皇です。日本は今迄それが統治していたのです。そうしてそのイスラエルというのはユダヤの祖先だから、そこで日本というのはユダヤの系統だという説もあるのです。木村高太郎という人はそういう説を唱えていたのです。やっぱりそれは神様の経綸なのです。だから何千年何万年前から神様は色々な仕組をしていたのです。だからやっぱりお筆先にあります。“今に世界が唸るぞよ”というのがありますが、メシヤ教というのが本当に分って来たら、本当に世界は唸ります。それでキリストもイスラエルですから、キリスト教も素盞嗚尊の系統なのです。今世界の文化というのは、結局ユダヤの文化なのです。だからユダヤというのは非常に大きな手柄をしたのです。それでユダヤというのを非常に悪い様に宣伝したのは戦争前の軍部ですが、むしろ本当から言うとユダヤに感謝して良い位のものです。今の斯ういった機械文明とかを考え出したのは、みんなユダヤ人です。それでユダヤ人を欧洲戦争の時なんか、ドイツはどう間違えたのか、みんなユダヤ人を排斥したので、その偉いのがアメリカやソ連に行って了ったのです。それが色んな事を考え出してやったのです。今アメリカやソ連が新しい武器を作ったり、原子爆弾を作ったりしているのは、結局その系統です。アインシュタインというのはアメリカに亡命したのです。それでアメリカでは非常に歓待したのです。原子爆弾の理論を最初に言ったのはアインシュタインです。アインシュタインが“斯ういう物が出来る、原子破壊という物が出来る。可能だ”という事を唱えたのです。だからユダヤ人というのは唯物的に非常に良い頭です。処がそういった良い方面もあるし、又医学の様なあんな馬鹿気たものを作ったのもユダヤ人だから、そこに一つ足りない。九分九厘の力しかないのです。それで私の方は一厘の方だから、九分九厘の間違った処を訂正する。色んな機械や色んな薬でやった事を、斯う(御浄霊)やれば治るという事は、やっぱりそういう意味です。今迄はユダヤ文化に依って世界は殆ど支配されて了ったのです。只一つ足りなかった為に、折角作った文化がみんな人間を苦しめる道具になって了ったのです。それで一厘というのは、苦しめた文化つまり不幸を生んだ文化を幸福を生む文化にするのです。それがメシヤ教です。もう少し経つと面白いのです。今迄のは基礎工事なのです。之から愈々建築に取掛るのです。基礎工事で、それで模型も造っていたのです。箱根が第一の模型で、熱海、京都と第二第三の模型です。京都が出来ると今度は九州です。九州が出来ると、今度は中国です。
「中国は何の辺で御座いましようか」
北京城です。あそこが中心です。併しあそこは木が無いのです。非常に景色は良いが木丈が無いのです。だから木を植えなければならない。そうなると中国も変ります。今の中共政府なども随分変るでしよう。無論ソ連の手から離れます。それも時期の問題です。毛沢東というのは非常に偉い人です。だからむしろ毛沢東は共産主義を利用している様なものです。あれでいくと早いですから、もう少し行ってソ連の力を借りなくても良いという時になると、ソ連を離れて了います。
「西蔵辺りには何も出来ませんので御座いましようか」
いや、出来ます。あそこにも地上天国が出来ます。西蔵は良い処です。神様の取って置きの処です。やっぱりメシヤ教の別院という様な処です。西蔵と北京に別院を、という事になります。
「西蔵にユダヤの本拠があるという事は、本当で御座いましようか」
それは怪しいです。小説の様な事を書いたものが随分あります。
「併し西蔵と申しますと、財宝的な事で鉱山とかゞありますので御座いましようか」
金があります。金は世界で一番です。それでミロクの世になると非常に金を使います。装飾に使うのです。
「黄金の甍燦々とで御座いますから」
そうです。瓦迄金でというのは、金の板を張るのです。結局根本は人類から病気を除けば良いのです。病気が無くなれば、精神的に悪を好まなくなります。で、病気を無くすという事は、病気の根本を知れば良い。そういう事を今度の“アメリカを救う”の本に、分る様に書いてあります。あれが分れば、もうミロクの世の創造が始る様なものです。つまり今迄は病気が必要だったという事です。併し愈々病気の必要がなくなるのです。
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「奈良の正倉院で拝見しました昔の人の着物は随分大きなものでしたが、当時の日本人は皆大きかったので御座いましようか」
そうです。
「現在は小さくなったというのは薬毒の為で御座いますか」
薬毒です。あれは発育を妨げるのです。
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「御浄霊の仕方に就きまして御伺い致します。一般的の御浄霊の仕方をみますと、相手を坐らせまして頭から肩胸と下って行き、次に横、後を、上から下に致して居ります。又急所を先にし、従の場所に移っていくという事もありますが」
両方必要なのです。非常に苦しんでいるとか痛いとかいうのは、最初から其処丈をやるのです。それから、そういう事でなく全体的に身体が弱っているとか、又はっきりした処が分ってないという時はそういう順序でやるのです。例えてみれば、全体的に斯う(御浄霊)やってますと、よく咳をします。そうすると其処に毒がある。だから其処に毒素の固りがあるなという事が見当附きます。
「それからもう一つ御伺い致します。御浄霊は前からしておりますが、霊主体従の法則と順序から言いまして、後からやるのが本当ではありませんでしようか」
両方からです。
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「御神書を写します場合に」
何ういう訳でですか。
「宣伝の場合とか参考に致します場合に写しました時は、お光は同じ様にこもるものでしようか」
言っている事が良く分らないが……。本に印刷したのと光は同じです。
「そう致しますと、取扱いも御神書と同じに取扱わなければいけないので御座いますか」
同じに取扱って良いです。そうでしよう、活字も人間がやったのです。鉛と油とかでやったものでしよう。人間が書くのでも、筆に墨をつけたり、万年筆で書くのでしよう。同じ事です。
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「只今の御浄霊の順序で御座いますが、以前は背中を先に致しましたが、坐る様になりましてから前を先に致します様で御座いますが、それで宜敷いので御座いますか」
それで良いです。それから病気に依ってみんなやり方が違うのです。多くは背中ですが、背中をやるにも先ず前をやって後を向かせるのです。その方が、いきなり向うを向かせるよりは恰好が良いです。そんな程度です。
「其場合に前から横の方を致します際は、左と右のどちらを先に致しますのでしようか」
どっちでも良いです。というのは、どっちか余計やる処がありますから、同じという事はない。その方を先にやれば良い。それから額の熱ですが、触ってみて暖かかったら、何処かに浄化があります。それから前(頸部淋巴腺)から触るのです。そうすると一番良く分ります。それから離れてやるのです。
「重い患者は疲れますので横にしますが、今の若い人達は坐るという事が不自由で御座いますので、椅子を使うという事は宜敷いでしようか」
構いません。それでなければ外国人は出来ません。
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「五年前入信、御神体も御奉斎の一人者の老婆ですが、非常な吝嗇でありまして常に懐に数十万の現金を持って居ります。その老婆が“御神体を売って呉れ”と言いましてより床に就き一月で亡くなりました。其時額の廻りを一尺ばかりの小蛇が何匹も這っていたそうですが、之は何ういう訳で御座いましようか」
それは前の世で人間を大勢苦しめたのです。虐待するとかしたのです。そうするとそれを悔しがって、その執着に依って蛇になって其の婆さんを苦しめる。つまり仇を取るのです。それです。執着は蛇になるのです。そういう、悔しい、仇を討ちたいという執着が蛇になるのです。
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「十月の月並祭の時に御写真を戴きましたが、其際に霊の憑り易い人が見え、四人ばかり霊が出ました。其時、千手観音だと仰言って、御写真に向い日々の御礼を申し上げて居られました」
自分は千手観音だと言うのですか。千手観音と言っても沢山居るのです。つまり本元の千手観音と枝の千手観音があります。それは枝の内の一人です。
「其外に脳溢血で死んだ霊、昔青酸カリで、出刃で死んだ霊と、次々に八人の霊が出ましたが、明主様の御教えにあります通りに、自殺した者は霊界で非常に苦しんでいるという事をはっきり見させて戴きました。僅かの年限で出て来られるという事は、家族が一生懸命信仰をやっている為で御座いましようか」
それはそうです。その中にあなたも入っているのでしよう。祖先と言っても、自分は祖先が生まれているのですから、其時にやったのです。
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「自然栽培の予定地として居りましたが、都合上出来なくて有肥に致しました処が、五という文字が現われ、その処丈が真青で、全然実(ミノリ)がありません。何か意味がありますのでしようか」
意味も何も、実際にそう出ているでしよう。そんな事をしてはいけないという事が出ています。田圃でも、やっぱり神様の御守護は普通ではないのです。そういう事のお知らせです。「五」というのは、数では「一」は一番根本ですが、「五」というのは尊いのです。だから山をみても五が一番頂点になるのです。一、二……と上って、五が一番上で、六、七……と下りている。だから位から言うと一番高いのです。「五」という字は、「火」だから、「火」は「一人」という事で、「主神」という事です。「五」という字は神様です。
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「屋敷内の艮に女松男松を植えます場合に、右近の橘左近の桜という意味で植えるものとして、御神前とは反対の方になりますが、どちらを上座と考えて植えましたら宜敷いでしようか」
それは男の方が上だから向って右です。神様が斯うあると、こっち(神様に相対して左)が男松、こっち(右)が女松です。例えてみれば、人間が歩いている時に、男が左、女が右です。此処(御神前)に人間が坐った場合は、こっち(左)が男、こっち(右)が女です。
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「五年前一家九人入信御神体も御奉斎致し、お道に一生懸命でありましたが、御法難当時から近所の噂とか親戚の反対が多く、その為夫婦以外の子供全部が反対し、留守の間に御神体を戸棚に仕舞い込んだ事が御座います。早速当時の会長が参り御奉斎致しましたが、又何時の間にかお巻き致しました。お道には一生懸命で御座います」
お道の事をやっていて御神体を巻くというのは、それはお道の事をやっているのではありません。御神体を巻いて、そんな事をやる事はない。止した方が良い。無礼です。
「子供に言い聞かせては居りますが」
言い聞かせなくても良い。放ったらかして良い。気を揉ませて、そんな事は要らない事です。
「断乎としてお道に励むか、止すか、どっちかという事で御座いますか」
そうです。どっちかに決めなければならない。
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「只今の上座下座の事で御座いますが、常に御神前に向いまして神様の左側が上座と思って居りましたので御座いますか」
神様の方はそうです。併し神様と人間は違います。向うと神様と人間はあべこべになるわけです。あなたが妻君と二人で御神前に向う場合には何う並びますか。
「右側が上座だと伺って居りました」
そんな事はありません。何でも左が上座です。それでなければ霊主体従になりません。霊主体従は知っているでしよう。「ヒ」というのは霊です。「ヒ」は霊で「タリ」は満ちです。「ミギ」というのは、「ミ」は体です。「ヒ」と「ミ」です。
「一般は御神前に……」
ですから御神前は人間とあべこべだと言うのです。簡単です。やゝこしく考えるといけないのです。真理は簡単なものです。神様が御神前に御夫婦で御並びになると、向って右が男神様、左が女神様です。人間の方はあべこべになるのです。一緒にするからいけないのです。分離すれば良いのです。何でも考えるには一番簡単な考え方です。それが真理です。一寸でもやゝこしいものなら、それは真理ではないのです。だから真理というのは一番易しいのです。それをゴチヤゴチヤにするのが邪神です。それで一番やゝこしいのは共産主義です。
「祭官が坐ります時は、上席はこちらに坐りますが」
祭官と普通の人とは違います。つまり霊と体の考え方がはっきり分ればわけはないのです。どうも人間の習慣で簡単に考えないのです。やゝこしく考えるくせがある。特に日本人は昔からそういう弊害が多いのです。自由意志だとか自由主義だとかを抑えられて来たので、考え方が単純でなくどうも複雑です。今の世の中はみんな体主霊従の世の中だから体主霊従になっているのです。天皇陛下の御真影でも、皇后様の方が上です。それから恵比須さんを置くのも体主霊従に置いている。大黒さんが霊で恵比須さんが体です。
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「日本人が小さくなったのは薬毒の為という事で考えてみますと、私達信者の子供は最初から薬をやりませんで育って居りますので、子供の方が親より大きく育って居ります」
そうです、大きいです。のんびり育ってます。それから薬毒は、特に女がそうですが、女で薬毒が多いのは、婆さん染みて皮膚は艶が無くカサカサになってます。女が之を知ったら得をします。
「女ばかりでなく男も得をします」
男はそう気取らなくても良い。女は売れ口に関係します。女は或意味に於て一種の商品です。ですから嫁に行かなければ、あれは売れ残りだと言います。で、信者の女の人は何処となく良いです。之は心にもありますが、やっぱり皮膚の色とか木目(キメ)だとか良くなる。第一、最初家に来た女中でも、ずっと綺麗になります。信者の女の人を見ていると、長く信仰している人は、最初から見ると実に綺麗になっている。だから信者の女の人を見て普通の世間の女を見ると、世間のは実に厭です。綺麗と言っても人工的なものが多くて、感じというと特にそうです。ですから私は、女の人でも信仰に入ってから、会う人とか友達に必ず好感を持たれると思ってます。
「教修を戴きました丈で、大体の人相が一寸変る位で御座いますから、特に……」
そうです。やっぱり信仰に依って色々あります。天理教には天理教の色があります。天理教は非常に温和しく、謙遜で良いが、さっぱり人間の息が無くなって了います。哀れ愍然で、実に可哀想になります。あんまり消極的になり過ぎている。そうかと言って、日蓮宗の方はあんまり気違染みていて、トゲトゲしく、円満でありません。日蓮宗を長くやっていると、実に柔か味とか温か味がなくなります。つまり今迄の信仰は一つの色があります。色があるものでは駄目なのです。社会一般と少しも変らないという様なものでなければならない。メシヤ教は、人間で言えばデパートです。外の信仰は専門店です。呉服屋なら呉服屋、米屋なら米屋となっている。メシヤ教はあらゆる商売がある。そこに世界的の意味があるのです。つまり色がないという事は、太陽と同じです。太陽は七色がこなれて白色になっているのです。それで私は先に寸鉄の時に「白光生」としていたのは、その意味です。色々な色が含まれていて、その色が見えては仕様がないのです。つまりコントロールされて白になっているというのが理想的のものです。昔から言いますが、天皇の「皇」というのは、白の王様というので、あれは良く出来た字です。之は天から降臨した形です。それで天地人を貫くとか、或いは天と地の間を結ぶとか、或いは日月地を貫くというのです。いずれ字の意味も、言霊の意味も書こうと思ってますが、中々書く暇がないのです。之は一応知っていると便利です。
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「当人は未信者ですが、親が入信致して居ります。三、四年前から結核になって居ります。御浄霊を戴いてより二月位になりますが、何かの事情でレントゲンを撮った処が二回共ボンヤリして写らないそうです。以前に御守様を戴いていて写らないという事が御座いましたが、此の場合は御浄霊を戴いた丈でという事になりますが」
それ丈火素が強くなって来たのです。浄霊するとそれ丈火素が入っているからです。それから親が信仰に入っているから、親からも光が出るのです。段々霊界が変って来るに従って色んな事に現われて来ますから、そういう頭で解釈すると分ります。
「其の妹は入信致して居りますが、或日母親が激痛を起しましたが、妹は勤に出て居りまして呼べませんし、父親は心配し医者をというが、薬毒の事を知って居りますので医者にはかけたくないと思って居りました処、新聞で拝見した御蔭話を想い出し、妹の御霊紙を持って来て指にはさんだ儘御浄霊致しましたら良くなったという事で、自分の疑問は解けた。御礼に参りまして先月入信致しました。之は御蔭話として改めて御報告させて戴きたいと思って居ります」
その位の事はあっても良いです。余程火素は増えているのです。未だ未だドンドン強くなります。近頃は大分治りが早くなって来たでしよう。
「あらゆる事で非常にはっきりして参りました様で御座います。御蔭も、戴ける様にすればちやんと戴ける様になって来ております」
以前には治らなかったものが治るという様になってます。それと逆に医学の方では段々治らなくなります。
「もう間もなく凱歌が上るので御座いますから」
そうです。もう一息です。
(垂十五号 昭和二十七年十一月十五日)