御 垂 示 録 (第十四号)

十月一日

今ラジオで選挙の様子を聞いていたのですが、大抵有名な人で古い人というのは、勿論当選率が高い様です。岩手県から出た田子一民と言う人は、有名で古い人ですが、私はあの人を二度か三度でしたが、浄霊した事があります。それが七万幾らか集めて、最高点で断然群を抜いてます。処が又面白いのは、鶴見祐輔は落選したのです。むしろ有名なのは鶴見祐輔さんの方が有名かも知れません。で、鶴見祐輔さんも一家皆信仰に入つているのです。先に日本浄化療法の時分ですが、前に一家中教修を受けたのです。処が観音教団になつてからパッと来なくなつたのです。それから可笑しいと思つて、〈近頃聞いた話ですが〉或人が聞いた処が、“いや宗教になつたから止したんだよ。あれは良いのだが――僕も家中で行つたのだが、宗教になつたから、もう止したんだ”と、斯ういう話なのです。之が可笑しいのです。つまり察するに、それは自分が政界や何かに乗出して活躍するには、新宗教というものが障りになるという意味だろうと思うのです。そこで私はどうも感心しないと思つてました。若しメシヤ教が悪いものならそれは隠す必要もありますが、自分が良いと思つたら、新宗教でも旧教でも、ちやんとやるのが本当です。そういう心なら立派に当選したのです。あの人は最初熱海の時分に来て一時間以上話した事がありますが、其時之はもういかんと思つたのです。それはあの人の話の間に一言私は駄目だと思つた事は、「僕はどうも世の中が厭になつて了つた」それは軍部のためでしようが、「世の中が厭になつて了つたので、月の世界に行つて昼寝でもしたい」と言つたのです。その一言で私はいかんと思つた。昼寝は幾らしても良いが、月の世界という事は脱線も甚だし過ぎるのです。頭が全然取違えていると思つた。終戦後アメリカなんかに行つて活躍してましたが、私はあんまり期待してなかつた。そういう風に見ると、人間の人物を見るのに、言う事に一寸変な事があると、もう其の人の値打というものは分ります。ですから、どの程度に偉いか偉くないかは、話をして――私は今迄みんなと話したり聞いたりしても、十の話の内で半分合つているという人は少いのです。上等の人で一つか二つ之は可笑しいと思う事がある。それから男にはないが、女にはよくあるが、極く上等で三分の一は可笑しい。酷いのになると半分位あります。それを見るには、自分が自由でなくては分らないのです。自分がお仲間ではそれを発見するという能力はありません。ですからそういう発見をするという能力は、要するに批判的な能力というものがなくてはならない。ですから偉い人の言う事や書いたものを見ても、之は十が十ピタッと来るというのはありません。比較的合つているのは、先づ吉田首相の言う事です。ですから其点に於て吉田首相は政治家では日本で一番だと不断から言つてます。言う事は先づ合つてます。する事に一寸合わない点があるのですが、然し他が良いから、それをカバーしてます。ちよいちよい解散をだし抜けにやつたり、此間も河野と石橋の二人を追出したが、あれなんかも一寸変だと思います。此の事は態々平地に波乱を起す様なものです。あれは鳩山を支持する為に余程やり過ぎがあつたのでしようが、そういうのは機会を見てやれば良いのですが、機会が悪い。自分が斯うと思つたらどんな事があつても、それをやるとかそれを突張るとかするが、それが欠点です。然し他が非常に良いから大した事はないが――。それから福永問題も変です。そんな工合で吉田首相の政治的意見としてはアメリカの政治家には負けないです。レベルは同じ程度にいつてます。或いはアメリカの政治家より上の処があるかも知れません。

アメリカの政治家は中々偉いが、何んと言うか、あまりに相手を見る目がないと言いますか、一番の欠点は朝鮮問題です。あれは停戦が出来ると信ずるのか何か、兎に角相当停戦が可能だと思つていたらしいです。まあ近頃段々駄目だという事が分つて来たらしいですが、私は先からあれは駄目だと言つてます。つまりソ連のアメリカに対する消耗戦術だと言つてます。ですからそういつた意味でその対策的にやれば良いですが、今にも停戦が出来るかの如く思い込んで引摺り込まれて来た。要するに向うの奴に飜弄されていたという様な形が非常にあるのです。極く最近になつて急にアメリカの方では方針を変えた様です。それ迄にそう思わない事が、要するに二股かけてやつていた様です。和戦両様という様な――。それでも良いですが、もう少し早く向うを見破れゝば、アメリカの作戦はもつと有利に無駄をしないで進んだわけです。其点に於てソ連の方は又非常に喰えない点があります。けれどもソ連や中共の方のやり方も随分間の抜けた処があります。スターリンなんかは随分喰えない処がありますが、そうかと言うと間抜けな処も随分あります。やはり悪ですから、やつぱりそうはいかないでしよう。共産主義なんかも随分下手くそです。今度の選挙でも共産主義の方は以前よりずつと成績が悪いです。あれは、あんなに嫌われる様にしない方が――恐ろしがられる様にしない方が良いのです。もつと好かれる様にすれば良いのです。恐ろしがらせて天下を取ろうというのは昔からあるのです。それを、恐ろしがらせて成功しようという政策をとつてますが、アジヤの極く未開な人民ならそれも成功しますが、今の世界の文明国に対してそういうやり方は成功する筈がないのです。それを、共産主義で一生懸命やつてますが、あゝいう事は実に智慧が足りないと思います。尤も、もつと智慧があると最初から共産主義はやらないでしようが、やつぱり神様が経綸しているのだから、そう思わせそういう事をさせているに違いないです。然し悪い事をやる奴は随分間抜けです。何処か抜けているのです。けれどもそういう為に私達はそういう事はやつても駄目だという事が分るので、良い事をやつた方が得だという事になるのです。良い事をやつては損だという事はやつぱり考えが何処か間の抜けた処があるのです。それでうまく出来ているのです。神様がそういう様に拵えてあるのです。

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「今度の選挙で考えさせられました事は、投票の心得という事で、よく新聞や何かを見ますと、政策と個人の人物という事が問題になりますが、政治というものが観念でなく力という事になりますと、政党の首脳者が人格的で手腕があるという事で投票するのは如何でしようか」

良いですよ。然し決めてはいけない。政党の政策と候補者の個人の人格から意見、それを綜合して一番良いというのを投票すれば良いのです。其点に於て日本とアメリカは違うのです。英国も違います。アングロサクソン系のあゝいうのは政策に重きを置くのです。ですからどつちも党派は二つしかありません。英国でも保守党と労働党です。それからアメリカも民主党と共和党です。そうしてその政策を主にしている。だから個人の人物にはあんまり重きを置いてない。日本はそこ迄行つてないのです。米国や英国も、以前は日本の様だつたのです。小党分離でした。フランスは小党分離です。ドイツはどつちにもなりません。あゝいつた様に目茶苦茶だつたのです。で、米・英はそうなつてます。処がアングロサクソンという人種が其点に於て利口なのです。フランス、ドイツの方が民族的に幾らかレベルが低いわけです。米・英の人間は、何んと言うか、個人で言えば利口者と、そういつたわけです。だからあゝいつた二大政党をやつていくという事は、政治的に一番弊害が少いです。日本人はそう馬鹿ではないですから、米・英のアングロサクソン位にいくのです。今迄封建政治の為に日本人のそういつた良い素質を押え附けていた。そうでしよう、封建時代には日本では利口な人が出来ると、そういつた人はやっつけられるのです。反つて中途半端な人間の方が御し易いのです。そういう政策をとつていたのです。だから偉い人間は封建時代には出られなかつたのです。それがつい終戦間際迄そうだつたのです。偉いと怖がられるのです。只軍人は良かつたのです。政治家では中野正剛なんかはやっつけられたのです。之からは日本人で偉い人がドンドン頭を持上げて来るのです。だから我々だつて、若し敗戦にならなければ駄目です。今以て手も足も出ないです。それはそうでしよう、人間として偉い人はどうしても人が崇拝しますから、崇拝すると“天皇は何うした”と、斯うなるのです。病気が治ると、“之は天皇の御稜威で治るのだから治つた御礼に二重橋に行つて御礼をしろ”と斯う言うのです。だから手も足も出なかつたのです。之からは日本にも偉い人が出るのです。そうすると政治家も良くなります。

「解除組が進出した様ですが、日本の民主主義の行き方と逆行するという事は御座いませんでしようか」

ありません。解除組と言つても、みんな政治家です。処があの時分の政治家というのは、自分が戦争を企んだのではないので、軍人に引摺り込まれたのです。

「頭が古いという事は――」

ありません。今の政治家より反つて良いです。私は解除組が出たという事は良いと思つてます。やつぱり世の中の相当の経験を得てますから、先づ確かです。反つて学校を出た若い方が危ぶないです。

「久原さんとか楢橋さんとか福島さんという様な人が――」

良いです。やつぱりあゝいう人は何処か経験があるから間違がないです。そうして昔はやつぱり軍部専政ですから、本当の腕は振えなかつたのです。そこで軍部専政と、もう一つは天皇の派閥争いです。之はあんまり人は知らないが、之が大変影響している。例えば二・二六事件です。あれは一つの陰謀です。あの根本は徳川の派が今の天皇を倒し、元の徳川幕府に――形は違いますが、徳川勢力にして了おうというその形です。今だから言えますが、之はあんまり知らないでしよう。それで秩父宮様を頭としたのです。で、天皇を孤立させる政策だつたのです。それで天皇の、宮内大臣として松平恒雄――あの人は二代将軍から出たのです。先祖は徳川です。松平家というのは、二代将軍が腰元に手を附けて――精しく言うと豆腐屋の娘ですが、そこに子供が出来て、つまり二代将軍の分れが松平家です。やつぱり徳川系です。それで松平恒雄さんが宮内大臣で、娘さんの節子さんが秩父宮、それから高松宮が喜久子妃。それで段々徳川の勢力を増して、天皇の方をそうやつてそうして一挙にやろうとしたのが二・二六事件です。処が神様の方では許されないのです。それは何時か日本の歴史を書きましたが、素盞嗚尊の系統ですから、それで天皇の方の系統は天照大御神の傍系になるのです。盤古神王の方です。だから此の方は平和的な方です。それから素盞嗚尊の方は戦争が好きなのです。武力政策が好きなのです。で、日本の武家時代はみんな其の系統です。そこで其の争が日本歴史です。つまり神武天皇の系統と出雲朝の大国主命の系統とが相争つて、それが続いて来たのです。それで最後が徳川家です。それが天孫系にやられたので、それを再び取返そうとしてやつたその現われが二・二六事件です。それで軍部にもその二派があつた。海軍は天皇を支持し、陸軍は秩父宮様を立てた。だから若し今度の戦争がなかつたら此の争は続いているのです。そこで戦争をするのに秩父宮様が怒ると面倒ですから、秩父宮様を抑えた。病気と称し――本当は病気ではないのです。それに軍人の方にも二派あり、二・二六事件で失敗してますから、あんまりそれが威張れないので、他の方がすつかりやつて、秩父宮様を押して戦争が始つた。之が太平洋戦争の秘史です。隠れた歴史です。然し其の根本は神様なのです。

「それは霊的の意味は分りませんので――」

分らないです。その奥には又神様が正神と邪神を闘わしている色々な意味があるのです。

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「朝鮮問題に就きまして神様の御見解を御伺い申し上げたいので御座いますが、中共やソ連の意向は私達には分りませんが、国連軍は休戦したい様です。そこで困難な事は捕虜の交換問題ですが、中共に帰りたくないと言うのは帰さない方が――」

そんな事は屁みたいな事です。つまり米国の方は民主主義ですから、どうしても民主主義の意味で捕虜の自由に任せるでしよう。それを中共では止(ト)めるでしよう。そうすると米国は引込むわけにいかない。アメリカの民主主義は中共の為に阻まれるから、体面に関わるのです。処が中共の方は言う事を聞くと停戦になる。そして戦争を止(ヤ)めるでしよう。そこでどうしてもアメリカを消耗させなければならない。それで屁みたいな事であゝいつた様に延ばしているのです。

「民主主義と言つても、日々あゝいつた犠牲を払つているので、それを活(イ)かすという――」

いや、負けるのです。

「捕虜を返すというのがいけない事なのでしようか」

いけないという事でなく――数万の事だから大した事はないが、そこで本人の意志を政府が押え附けるという事は、全く民主主義に対する大変な脅威ですから、アメリカとしては仕様がないのです。

「あれ以上は妥協の附け様がないので御座いますか」

直ぐ附きますが、附ければ中共の政府を承認しなければならない。今以て承認しない処に良い処があるのです。そこにいつては英国は腹の底では承認したくないが、承認したのは、支那の権益が非常に影響するのです。そうでなければ香港なんか直ぐにやられて了います。というのは斯ういう政策というものは英国に力がないからです。やつぱり今迄は弱肉強食時代ですから――。

「併し民主主義をやり抜こうという事は立派な事で御座いますので」

立派です。

  「最後は御守護を戴けますので御座いますか」

それはそうです。民主主義の方が正ですから御守護を戴けます。その代り一時は苦しむ事はあります。然し結局勝つ事になります。勝たなければ世の中は崩壊して了います。正義はどんな事をしても蹂躪されないから世界というのはいいのです。若し正義が一寸でも勝たなければ、世界というものは崩壊して了います。大変なものです。だからキリストだつて、正しいから自分の身が亡びて迄やつぱり世界を何する丈の力を現わしたのです。だから人間は正義が――之は形丈ではありません。正義というものを打通そうという信念丈が人間の値打です。それの強い程人間の価値があるのです。それが無くして、御都合主義や打算主義の人間は形丈です。骨のない人間です。今は殆どそういう人間ばかりと言つても良いでしよう。そこで人間の骨です。先に私の大本教時代に、短刀を持つて来た奴がありますが、私は其時分に「おひねり」と「御守」を出していた。それを止(ヤ)めろと言うのです。それが大本教全体の問題になつたのです。それはそうでしよう。聖師様でさえ、オレには出来ない。三代様――子供です。今度三代教祖になりましたが、其人丈は「御守」と「おひねり」が出来るのです。それはお筆先にあるのです。遺言にあるのです。だから聖師様でも、オレでも出来ないと言つていたのです。処が私はそれを作つていたのですから問題になつたのです。一信者の岡田さんに許す事はないと問題になつて、短刀を持つて“止すか、若し止さなければやっつける。返事をしろ”と言うので、私は“止す事は出来ない”と言つたのです。そうすると奴さんが、にらみ附けていたのです。私は危ぶない。すると急にア丶イタ丶丶丶とのた打つのです。何うしたと言うと、腹が痛くて仕様がないと言う。危機一発です。それで治してやるからと横に寝せて、治してやつたのです。そうすると丸つきり人間が変つて了つたのです。今度は私に、自分と聖師様の処に行つて「御守」と「おひねり」を作つて良いかという事を聖師様の前で伺つてみようと言うので、翌る朝二人で亀岡に行き聖師様の処に行つて、岡田さんは斯う斯うだ、それはお許しになつて良いのでしようかと言つたのです。処が聖師様という人の其時の返事が面白いのです。私は何んと言うかと思つていたのですが、「それは信者としては出来ない。ワシでさえ出来ないで、三代にやらしたのだが、けれどもあんまり目立たない様にやつて呉れゝば良いだろう。目立つ様にするとワシが皆にせめられて困るが、之から皆が欲しがるならやつても良いが、目立たない様にやつて呉れ」と言つたのです。だから奴さんもハッとして了つたのです。聖師様という人は、私が只者でないという事は分つているのです。だから私が行くと必ず送つて来るのです。信者を送るという事はないのですから、送ると言うと面倒臭いから――近侍の者が四、五人は居ますから――“今散歩に行こうと思つていた処だから”とか“私は一寸何処彼処に用事があつて、今行こうと思つていたから”とか、そう言つて送つて呉れたものです。

「深町君が非常に零落(オチブ)れて、群馬県で今特別の薬を出しているそうです」 

そうですか。

「大本教に入つていた時、やつぱり理窟屋で変な事を考えて居りました時分ですが、大祭の時に聖師様に虎と熊が憑つた処が二日間動かないで床縛りになつた事が御座いました。私は神様だと思つて居りましたが、神様がそんな馬鹿な事があるかと思つて居りましたので……」

そうそう私が治してやつたのです。口が利けないので、之はいかんと霊で何したら二時間ばかりで口が利ける様になつたのです。それで随分困つた事がありました。面会に行つて治してやつたのです。大本教というのは、やつぱり私を出す為に現われた宗教なのです。つまり教祖様という人は、仏教的に言えば釈迦です。聖師様という人は阿彌陀です。それで釈迦と阿彌陀が観音を生むのですから、私は子になるわけです。ですから私は大本教から生まれたわけです。それで、父と母になるわけです。これは神秘なものです。だから教祖様は「イズ」で聖師様は「ミズ」で、私が伊都能売という事になるのです。「イズ」と「ミズ」の両方の性格を綜合密合させたものです。それが私になる。教祖様や聖師様にしても、他の事は偉かつたが力が無かつたのです。病気を治すという事でも、力がなかつた。何故かと言うと、力というのは霊と体が密着して力が出るのです。経と緯が組んで力が出るのです。それが私です。「チ」は霊で、「カラ」は体だから、霊体が一致して「力」が生ずるのです。つまり伊都能売というのは力です。だから力を持つているというのは今迄世界に出なかつたのです。その力が世界的に広がつていけば良いのです。ですから観音というものはそれになるわけです。観音力というのは、丁度男と女、火と水、経と緯、それが一致したものです。そこで観音力と言つて、阿彌陀力とか釈迦力とかキリスト力なんて有りやしないのです。又、力というものは制限がないのです。無限のものです。だから此頃キリストと同じ様な奇蹟を信者が行うが、そうすると力という点ではキリストは私の弟子位しか無かつたのです。処が力に於ては、日本中の立派な坊さんでも信者の足下にも追附きません。弘法大師でも法然上人でも其点に於ては、斯う(御浄霊)やつて病気を治す事は出来なかつたのです。処が信者が何千万何百万になつても、私が書いたものを懐に入れて居れば出来るのですから、そうすれば私の力というものは無限と言つても良いのです。

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「本日の幹部会で話が出ましたが、最近力が強くなつて参り、その御力を戴き奇蹟があるのに、教修がどちらかと言えば低調で御座いますが、何か霊的の関係があるものか、或いは資格者が御経綸に添わない為で御座いましようか」

そうではないのです。神様の方ではそれで良いのです。先に散花結実と言つたでしよう。実(ミ)が生(ナ)る迄は暇がかゝります。花の方は早いでしよう。ツボミが出来るとパッと出来るのです。実の方は、昨日と今日は同じ様なものです。そんな様なもので、つまり実の生る形だからそれで良いのです。見て居て御覧なさい、今に素晴しくなります。

「御教えを戴きました通り、確かに日蓮宗の霊友会関係の大きくなり方は大変なもので、先日孝道教団の落成式に通り遭いましたが、二万五千人位の人出だそうでして、飛行機を飛ばしたり稚児の衣裳代も大変だそうです。よくも二年か三年であれ丈増えたものと感心致しました」

信者が増えたと言うが、霊友会の信者が集つたのです。

「然し急に増えたそうで御座います」

立正交成会とか他の日蓮宗は、それが集つているのです。新規に出来るのも少しはありますが、大した事はないです。あれはみんな霊友会の信者が散つて了つたのです。それを母体として大きくなつたのです。池上本門寺とか身延山、中山本門――みんな寝ぼけているのですが、どうしてもそういう処にいかなければ、しつかり出来ませんから、それが大変なものです。で、あれは日本では仏教は桜の花です。インドは蓮の花です。日本では桜の花ですから、桜の花が咲く様にパッといくのです。

「あれ丈の組織を持つているという事は――」

今日蓮宗があれ丈やつているのは、日蓮上人がやつているわけではない。神様がやつているのです。メシヤ教の神様がやつているのです。むしろ日蓮上人は申し訳なかつた、助けて呉れと言つているのです。

「日蓮宗が橘の紋を使つているのは特別の意味がありますのでしようか」

ない事もないでしよう。大体日蓮宗は狐がやつているのですが、其の奥は龍です。それで「タチバナ」の「タツ」という言霊は、龍ですから、龍の花という事です。ですから立正安国論というのは「立」は「龍」です。ですから立正交成会とか、「立」という字を非常に使うものです。私は何時か書いた事がありますが、「主」という字の中の「十」をくずして、斯う(=)すると「立」という字になるのです。ですから「十」が神の形ですから、詫の形はホトケと言つて、ほどいてそれを龍神が世の中を支配するのです。つまり神を解いて、神はほどけて、そうして龍が天下を掌握するというわけです。そうして「正」――之は一を止(トド)めるという事ですが、龍が一を止める安国というのは、暗闇の世界ですから、立正安国というのは大変なものです。やはり悪龍の仕組なのです。で、日蓮上人は狐になつていたのです。此間多賀さんの奥さんに日蓮上人の他の坊さん――日蓮上人の弟子か何かゞ狐になつて困つているから人間にして貰いたいと、そんな願を出してましたが、日蓮上人も一時狐になつてましたが、その部下が狐になつていて、それが沢山居る。で、日蓮上人はもう救われましたが、高頭さんの信者さんかに、此間御詫して呉れと言つてます。だから仏教の方の教祖なんかも暫く地獄で苦しんで居たのです。地獄に行つてないのは弘法大師位です。あとは殆ど地獄に行つている。之から私がみんな救つてやりますから、それからメシヤ教の為に活動します。みんな神様がやつているのだから――神様がやつているという事は、やはり時です。時期が来れば素晴しい事になる。けれどもさつき言つた通り、人間が思う様にいかないという事は、思う様にいつているのです、“思う様”が違うのです。そうでしよう、此の八月で五年でしよう。五年で此の位発展したのは恐らくありません。新宗教と言つても、断然メシヤ教が王様です。他のものは知れたものです。孝道会とかで、色んな派手な事をやつてますが、こつちがやればもつと素晴しい事をやりますが、只やらない丈の事です。やればもつと気の利いた事をやります。稚児を出したり飛行機を飛ばしたり、そんな事は一日か二日でお終いでしよう。それよりかメシヤ教は斯うして美術館を造つたりするのです。ですからそれは思う以上に発展しているのです。思う様にいかないのではない。思う以上にいつているのです。処が人間という奴は思う事が少し桁外れに思いたがるのです。

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「蓮の花に就きまして、目の悪い人で、非常に悪くなつたので行者に見て貰つた処が、下水が蓮の畑に流れているからだと言われたそうです。只今は御浄霊に参つて居ります」

そんな事はありません。そんな馬鹿々々しい事はない。蓮は、泥の中から清い――と言われてますから、丁度良いではありませんか。綺麗な処から咲きやしません。そこを清くして了つたら、折角の蓮だつて張合がありません。行者なんかは下らない事を言つてますから――。

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「教師の長男二十一歳、昨年二月入信。四月に光明如来様を御奉斎。五月頃よりマージヤンに凝り、放蕩し、九月に大光明如来様を御奉斎し益々放蕩が激しくなり、母は教師でありますので罪の払拭をさせて戴きてをりますが、母の信仰が進めば進む程激しくなります」

結構ではありませんか。喜んで神様に感謝しなさい。一家に非常に罪があるので、それを信仰させる為に、早く罪を取つて呉れる。それには子供に金を使わせて、祖先が其の子供を一人犠牲にしているのです。

「ヒロポンを射つ様になり、買つて来て射ちますので、座敷牢に入れる事はいけませんでしようか」

入れても構いません。座敷牢に入れるとか病院に入れるとか、然る可くした方が良いです。そうしてその子供を一人犠牲にするという腹になる事です。

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「信徒の人で新しく実印を作りたいと申して居りますが、印材、形等は――」

印相と言つて、印の材料は象牙は何とか、形は何うとか色々あります。あれは中々中(アタ)るのです。それから形に依つて、斯ういう形は借金で首が廻らないとか言うが、そういう事もある事はあります。ない事はないが、メシヤ教信者なら斯んな事は問題でないです。小さな事です。斯んな事を意に止める必要はありません。

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「御神体の『光』という御文字に米粒位の穴があきましたが、如何致しましたら宜敷いでしようか」

之は取換えなければいけません。それはやつぱり意味があるのです。つまり例えてみれば、それを経師屋が非常に穢したか、或いは何かで穢したかで、神様にはそれが面白くないのですから、取換える事です。

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「墓地の事に就きまして、石川家は分家して居り、長男が二十年前に死亡し別の寺に埋葬しましたが、最近気掛りになり、石川家先祖の墓地はありませんので、同じ村に新たに墓地を求めて移転し――」

それでお寺を途中で変えたのですか。

「変えました処は宗旨が違います」

どうしてそんな事をした。遠くて変えなくてはならないという事はあるが、同じ村で変えるというのは何ういう訳ですか。

「二十年前に長男が死んだ時、奥さんが病気で困り――」

困る事はないでしよう。病気になつても、自分で穴を掘るわけではないでしよう。

「奥さんの方に墓地を求めまして――」

それはいけない。それは間違つている。やつぱりしつかりした理由がなかつたらこつちが悪いのだから祖先は怒ります。順序が外れているからです。

「如何致しましたら――」

良く御詫をして、元の石川家の寺に祀りなさい。

「実家の方で御座いますが、墓地が二つになつて居りまして――」

兎に角そういう事を細かく聞いても仕様がない。あなたの常識で考えて御覧なさい。そうすれば直ぐ分ります。

「十年前より、先祖代々の石碑を立てて、近い処に埋葬しているのですが、一つに纏めるべきで御座いましようか」

それは先祖の処に纏めるのが良いです。

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「西躰(ニシタイ)一三、二十年一月入信。三男は現在小児麻痺であり、長男は二十年前に小児麻痺で死亡して居ります。御神体、御屏風観音様は御奉斎させて戴いて居ります」

小児麻痺のは幾つですか。

「十三で御座います」

何時からですか。

「小学校に入学の頃からで御座います。長男も小学校入学の時からで御座います」

十三ですから五、六年前からですね。之は霊的です。

「昨年秋迄約一カ年疥癬の御浄化を戴きました」

学校には行つてませんか。

「左様で御座います。手足がブラブラで寝たきりで御座いまして、坐らせて置くと、重みで坐つている程度で御座います」

立つ事は出来ないのですね。

「食事は台の上に置くと口を持つて行きます」

それは蛇の生まれ変りです。非常に早く治るのと、中々治らないのとあります。最初と今とは何うですか。身体の状態は何うですか。あなたは何時から浄霊に行つてますか。

「去年からで御座います」

去年では分りません。一月だつて十二月だつてあります。一年違いますよ。去年の何月ですか。

「去年の二月からで御座います」

そうすると一年半ですか。で、最初の時と今の異いさは――。

「一度熱の御浄化で後頭部が溶け下痢を――」

経路ではない。状態です。

「状態は変つて居りません。只父と娘さんが信仰的にぐらついて居たのが、最近熱心になつて居ります」

それは難物です。名前は――。

「西躰雅紀と申します」

妙な名前だな。音で読めば「ガキ」ですね。父は一三ですか。食事は――。

「普通で御座います」

別に水は欲しがりませんか。

「他に変つた事は御座いません」

それは霊的に非常に複雑しているのです。それは木龍です。木に居た龍です。一寸難しいです。然し斯ういう事を知つて置かなければならない。仮にそれがどうしても治らないというと、其処の家の人が、親なら親が信仰に依つて非常に徳を積むと死んで了うのです。それは、生きているという事が苦痛だから、生まれ変らして戴くという事です。ですから御蔭を戴くと死にます。之は大変な御蔭です。そうすると本人も普通の人間に生まれ変つて、一家も苦痛から解放されるから幸福になるわけです。ですからそういう御蔭を戴くと死ぬ事になる。そういう点は神様は気が利いてます。そうかと言つて、殺人罪になりますから殺すわけにはいきません。併し生きていると親だつて一生困りますが、霊界に行けば一番よいです。それは神様がやつて呉れます。之は一寸難しいです。

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「名前を附けます時は何を基準と致しましたら宜敷いでしようか」

それに就いて私は、言霊の事が大体見当が附く様に書こうと思つてます。それで心得て置く事は、良い名前を附けますが、良い名前というのは曲物です。ナマけるのです。名に負けるのです。それが反つていけない。

「明主様から今度戴きます迄は何を基準に致しましたら良いでしようか」

苗字を基準にするのです。苗字に合つていなければならない。それでどれが合うかという事は――分らないでしよう。そういう事を大体見当が附く様に、之から書く事にします。割に早く書けます。というのは、よく選名々々と言つて煩くて仕様がないから、教師なんかゞそういつた事が分る様にして置けば、私が楽で良いです。それから一番良いのは、苗字と名前が、読んで気持の良いのがいいです。それから良い名前名前と言つて、あんまり良い名前もいけません。

「附けましてから、姓名判断で気に致し、苦労している者が多い様で御座います」

それは多いです。昔私の小学校時代に、谷山龍飛と言つて良い名前ですが、死にました。十二、三位で死にました。私は其時良い名前というのは当にならないなと一寸思いました。

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「信者で御座いますが、ダイナマイトで片腕が無くなり、他の処にはかゝらずに御守様が血だらけになつたそうで御座いますが、命は御守護戴きましたそうで御座います」

つまり大難を小難で御守護を戴いたのです。

「血でベトベトになつた御守様は如何致しましたら――」

記念に取つて置くと良いです。そうして新しく戴くと良いです。

「大光明様でも宜敷いでしようか」

その人の資格に依つて決つているでしよう。

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「昨年十月御神体を御奉斎させて戴きましたが、四月より御神体に黄色い斑点が浮び、最近少しずつ増えて参りましたので心配致して居ります。経師屋は別に御無礼をした事もない様で御座います。如何なる訳で御座いましようか」

やつぱり訳があるのです。今も斑点が増えつつあるのですか。それでは、もう増えなくなつたら持つて来て下さい。私が見てあげます。増える丈増えてからです。

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「月並祭等で多数集りました場合に、会長方は集団御浄霊の許しを戴けますでしようか」

そうですね、大教師なら良いです。大教師に限つて――。之からはもう良いです。

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「各教会の月並祭の時に、八足、三方、それから御簾を使う処と使わない処と御座いますが――」

どつちでも良いです。それは、観音さんは融通無碍です。神様であり仏様であるのですから――。それで私はお三方は塗つたのを使つているのです。あんなのは他の処では何処にもありません。あれは神と仏と両方やつているのです。いずれそういう事も一定します。熱海のメシヤ会館が出来てからそういう事を決めます。冠婚葬祭も新しい形式を作ります。だから婚礼なんかも凡てあそこでやる様にします。

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「福井県の一教師で御座いますが、自然農法四年目の成果が非常に良く、標準米の一等として、米の検査員が持つて廻るのに出して呉れという事で二俵出しまして非常に喜んで居ります。御礼を申し上げます」

それは結構です。

(垂十四号  昭和二十七年十月十五日)