御 垂 示 録 (第六号)

四月一日

「最近の御論文の中にでて参ります新しい薬は、みんな『ン』で終つて居りますが――」

『ン』と言うのは、消えると言う事でしよう。『ン』と言うのはイロハの最後にある。『ン』で消えるんですね。『ポン』とか『カン』とか皆消える言霊です。だから運のつきと言つて永久性がないです――だから薬の事になる。

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「大黒様の台に就きましてお願い申上げます」

台があつた方が良い。床の間に直かではいけない。人間なら座蒲団です。だから――あのお厨子の台は先に坂井さんから貰つた。私が見附けたが中々無かつたのですがね。実に調和が良い。何でも調和しなければいけない。大黒様の台でも、調和しなければならない。木に竹をついだ様では面白くない。新しい大黒様には新しいもの。古い大黒様には古いもの。古いのがなければ黒い色に塗ればいい。神様は調和の良いものを探して置いて呉れますよ。あれだつて実に調和の良いものが見附かつた。

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「ウルシ負けの事で御座居ますが、ウルシをやる事は、薬毒――とは違うので御座居ましようか」

違うんです。

「蜂に刺された時、蜂の白い血を塗つたら腫れ上りませんが、それに似た様なもので御座居ましようか」

然し、浄霊さえ知つていたら、浄霊の方が良いですよ。蜂に刺されても五分位ですね。

「ウルシを飲むと言う事は浄化停止にはなりませんので御座居ましようか」 

つまり同化するんですね。だから、本当じやないが、一時的と言う様な意味ですが、それは別に、薬毒の様な――そう言う意味はない。木の汁ですからね。

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「お道に資格を頂いてやりたいと思つて居ります、或婦人でございますが、主人に十年前から女があり、子供もあるのですが、何時も別れたいと言つているそうです。本人もそう言つて居りますが、別れた方が宜敷いでしようか」

別れた方が良いですね。両方で希望するならその方がいい。

「信者でない場合に、どちらも別れたがつている場合には――」

別れて結構です。そう言う事が、家の何かとか、世間の信用に関わる事はないですよ。一方的じやいけないが、両方が一致すれば結構です。そこが難かしいんです。先に――両方が希望するから、してやつたんですが、暫く立つと、又一緒にして呉れと言うのがありました。馬鹿にされた様な気持になつたんですが――先方は騙す積りじやなかつたのですがね。自然でしようがね。二号なんかあつた時は大丈夫ですよ。

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「御神体とお屏風の観音様のお取扱いに就きましてお伺い申し上げます。主人が亡くなり、家族が解らなくなつて教会にお返しに来たので御座居ます」

取扱いと言つて――先方が返そうと言うんでしよう。だからそれを、旨くやればいいでしよう。

「処置に就きまして――」

仕舞つて置けば良い。

「永久にで御座居ましようか」

いやそれは分からない。それは頂いた方が良い。それで貴方の処に仕舞つて置き、そのうちに急いでお祀りしたいと言う時に貸してやる。但しそれはお浄めしなければ。お浄めする場合には資格者なら良いです。自分の処にお祀りしてある光明如来様にお願いして、お浄めの資格を頂き『今お浄めをさせて頂くから力をお与え下さい』とお願いしておけば良い。胸から霊を入れる。それで良いです。つまり台の上において、祝詞を奏げた方がいいですね――天津祝詞を。拍手して二、三分で良いですね。そして拍手をして、お辞儀をして、その時『仕舞わせて頂きますから』と言つて、仕舞う。上に物をのせない様にね。その家で一番清い処に置いて、箱があつたら箱に入れて、そうすると中にはお祀りしたいがお金が足りないと言う時は出してやる。或は貸さなければならない場合にね。未信者に病人があつて、将来入信する――入信すると言うのでなければならない――そう言う時、使つても良い。返つたら戸棚にしまつて、光明如来様にお礼をして――それで良い。お屏風はそれ程大袈裟にしなくても、もつと簡単で良い。御神前にお上げして『どうかお浄めをお願いします』と、それ丈で良い。

「大変穢れていたり、お汚ごしした場合は――」

それはいけません――取換えなければね。唯古いのは良いが、破損しているのはいけないですね。

「その処置は如何に致しましたら宜敷う御座いましようか」

お断りして焼いても良いでしよう。

「お額の場合には――」

額は御神体と違うから、唯清い処に良いでしよう。さもなければ、掛けても良いですよ。光明如来様に『今度お額をお預りしたから、それを掛けさせて頂きます』と言つて。

「明主様の御写真の場合は――」

写真は、やつぱり光明如来様の台の上にのせて、『今度自分がお預りする事になつたから、宜敷くお願いします』と言つて、綺麗な紙に包んで置いておくんですね。

「光明如来様、大光明如来様を頂いて居りますが、部屋が一つしかないのでお掛けする事が出来ませんので御座いますが――」

御神体は一軒の中に二カ所はいけない。一カ所でなければならない。

「先程胸からと仰言られましたが、お守様が胸に近いからで御座居ましようか」 

それもありますが、そうお願いしてすれば霊を頂くから、そこを通つて行く。それは相当の――中教会長以上の人ですが、それ以下の人なら、唯御神前にお上げして、お願いすると良い。『どうかお浄めをお願いします』と、そうして暫く――二、三十分で良いです。

「信者が死んだ場合、その時お守様は、亡骸と一緒につけて良いと言うお言葉で御座居ましたが――」

それは死ぬ人の希望です。それでなければ執着があるからね。

「残つた御守様は如何致したら宜敷う御座いましようか」

希望がない場合は、とつといた方が良いですね――記念と言う意味でね。綺麗な箱に入れて――桐の箱か何か作つて、そこに書いて――何の何某と書いて――そうして仕舞つて置く。

「主人が解らなくなり、御写真を放り投げ――御祀りして御座いますが、穢がしてあるかと思われますが」

いずれは後悔して、お詫びに来るかも知れませんから――又欲しいと言うかも知れないから、あなたの方に仕舞つて、とつて置くと良い。

「投げたりして、明主様の御写真が穢がされると言う事がありますので御座居ましようか」

それはありますよ。邪神ですからね。邪神が人間の手を使うんですからね。

「御神体は二カ所はいけないと言う事で御座居ましたが、信者さんが来てお詣りする所と、私が居ります奥の方と御座居ますが――」

あゝ、そう言う場合には二つで良いのです。片つ方は教会で公ですから、良いんです。

「炭坑の坑夫で、御守様をはずして入り、坑木があたり死んだ者が御座います」 

はずすと言うのが間違いだな。その儘で良いですよ。それが希望なんだから――

「中二階ですが、上が低いので、お軸の下をまくのと、ひきずるのとは、どちらに致しましたら宜敷いでしようか」

絶対にいけない。どつちもいけない。長ければ軸を切れば良い。人間でも、足からひきずつていたらおかしい。

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「先頃、私の方の信者で、ホワイト(鉛の合金)の熱熔した物を鋳型に流し込もうとして居た際、器の方に水気がありました為、突如爆発し、眼に飛び込み、瞼の裏の方に眼球の形に半円形に固まつてしまいましたので御座いますが、丁度その時信者が居りまして、直ちに御浄霊を戴き、それより十八日目に取れましたが、その跡は丁度、牛肉の様に焼け爛れて居ります」

それは治りますよ――すつかり。医者に行つたら全然駄目ですね。そう言うのは祖霊が、一生懸命徳を積んで貰わないと上れないから、子孫に――こいつを、ウンと目を覚まさせなければ、と言うので、そうなるのです。

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「お道に熱心な為に気が狂つたので、親父が御守様を焼いたのですが、又欲しがるので御座いますが」

結構です。やつたら良いです。

「娘は知らないので御座いますが、娘には隠した方が良いでしようか」

明かさない方がいいです。親父こそお詫びするのが本当です。熱心の余り脱線するのが偶にあり、困りますね。つまり狐ですね――狐が、メシヤ教に入られると自分の事が自由に出来なくなるから狐の強い奴がなんとか邪魔し様とする。親父に焼かせたり、本人を気違にする。やつぱり時期ですね。或時期に行くと狐が弱るから、そうすると温和しくなる。

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「最近大本の亀岡が燃えましたが、木造の尉と姥が焼けずに出て来たそうですが、皆奇蹟だと言つているそうですが、その様な事がありますので御座居ましようか」

それは当り前です。尉と姥は、私の親みたいなものです。尉と姥が観音さんを生むんです。尉と姥は伊弉那岐、伊弉那美の神様です。大本教の教祖様は尉で、聖師様が姥です。

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「入信後間もなく、お巡りの妻君と密通して、現場を見つかり、ピストルで射たれ、弾が当つたのですが、逸れて腕にうけ、生命は取止めたそうです」

そう言うのは功罪両方がある。つまり良い事と悪い事と両方ある。良い事が幾らか多かつた為助かつた。罪の方よりも良い方が多かつたから――姦通した事は罪だが、それを補なつて余りあるものがあるから助かつた。如何なる場合でも、お守と言うものは、そう言つた――弾が当つても通らないものだから――昔の本に書いてありますが――弾の霊が先に行つて、霊が逸れるから弾は当らない。

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「昔反対していた様な人が来て、もうすこし判る様に話して呉れていたらと言う事を言つて居りますが――」

そう言う事もあるにはあるが、先がもつと判ろうとする程来ないからね。指導者の熱意とか頭の働きとか言う点もある。それから本人の生ぬるい点もあるし、時節の来ない点もある。例えば罪がある為、最高の神様にお会いできない場合は、延びますから――一概に良い悪いは定められない。時期は恐ろしいもので、私が大本教に入つた時、甥が中学生で、綾部に行つて、川があるのですが、そこに落ちて溺死した。それは私の兄の跡取りになるので『お前が大本教に入つたから、あそこに行つて死んだのだ。大本教は敵だ』と言うのです。私も、現実にあつたものだから大本を止(ヨ)した。それから五年目に綾部に行つた。それから熱心になつた。あゝ言う事も私の時期だね。最初の時は時期が早かつた。五年延ばして丁度良かつた。唯早く行くばかりが良い訳じやない。その点は色んな霊的な意味がある。断定をしないで、徐(オモムロ)に見て、時を待つと言う事が一番良いですね。

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「乳癌の場合、静脈が切れると言う事が御座いますでしようか」

それはあります。

「動脈の場合は御座いましようか」

そんな事はない。医者にかかつて、色んな事が病気の原因になる。然し医者の方で治ればこつちの方の仕事がなくなるからね。丁度――オワイ屋みたいで、人間が糞をするから必要なんです。

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「無肥料栽培で、野菜の栽培が割方困難ですが、それは人糞をかけている程困難な様で御座います」

そうです。稲は水田ですから肥毒が早く減り易い。片つ方は土に喰い込んでいるから、そう言うのは掘り返して、人糞の方を下にやつて、下のを上にやると良い。

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「買つて来た種を、浄霊を丁寧に致しますと芽を出さずに消えて了いますが、その代り浄霊をウンとして生えたものは素晴らしく出来が宜敷う御座います」 

そんな事はないですよ。

「浄霊不足では御座いませんでしようか」

そうなんですよ。浄霊のしつぱなしと言う事がある。熱があるのに、浄霊して余計高くなる。山を上るが、それを越す力がないのです。それと同じ理窟ですね。浄霊する人の力にもある訳ですね。こう言う事がある。肺病とかの病気は浄霊が効き過ぎて却つて具合が悪いから、もつと間を置いた方が良いでしようかと言う人がある。効き過ぎる位の力があれば大変なものです。実際はそう言う人は、効かな過ぎる事を間違えてるのです。熱が出たり、咳が出ると効き過ぎると思うのですね。

藁を入れますね。藁を入れると――藁に肥料があると思うが、全然関係がない。土と言うものの認識が本当に出来ていない。仕方がないから、今度「土は肥料の固り」と言うのを出します。

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「大分無肥料でやつているんですが、虫がつくので御座います」

肥毒があるんでしよう。

「然し飛んで来るんです」

いや、それでもね――こつちに肥毒があるからです。少し位はあるのです。薬毒のない身体と言うのはないからね――同じですよ。

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「日の暮れ方に種を播いた方が良いと言いますが」

水分があるから種の発育が良い。昼間は種の伸びが――発育が悪い。最初発育が悪いと、押して行くからね。

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「二毛作で、米が良く穫れると麦が悪く、麦が良いと米が悪いので御座いますが――」

そう言つた、交代の二毛作は真理に外れている。米の土に向いて来たのに、麦を植えると、土も常に変るから、精分が違つて来るのです。米を作る精分になつているのに、麦を植えるから、穫れない。だから連作が良い。そう言う事なんです。

「米丈の連作が不可能な場合は」

そう言う処は一毛作にすれば良い。

「勿体無いと言うので――」

いや、却つて一毛作の方が沢山穫れる。種類迄も一つでなければならない。種類を変えると、その種に肥毒を持つているのと、いないのとありますからね。

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「大慈大悲と言う事が前にありましたが、それを受けとるのは救われますが、大悲の場合に悩み苦しみの為に曇りを増すと言うのも多い訳ですが。それは何う言う風に解釈したら宜敷いのでしようか」

そうすると、殺人強盗をやつて懲役に行くとか、死刑になるが、それで裁判官を怨むと言う事になる。苦しみ悩むのは、罪は自分が作つたものだからね。解らないから怨むので、人間の我儘感情です。一応話をして解ればそれで良いし。解らなければしようがないですね。自分が作らなくても、前の世で作つたのもあるし、祖先が作つたのもあるし――多くの場合には、何代前かの自分であつたんです。祖先と言つても、自分が幾度も祖先になつているから、その時罪を作つている。

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「開墾地の成績が悪いと云う事は如何なもので御座いましようか」

どう言う土に限らず開墾地は悪いですか。

「左様で御座います、一、二年は――」

土の中で、非常に固まる土ですね。赤土ですね。赤土系統は固りますから、藁を混ぜると良い。粘土もいけない。固まるんじやなくて、密度が細かい。大体、昔は肥料をやつたと言うのは、その為なんです。肥料は固まらないと言うのでね。処が精分を殺すから、本当の物が出来ない。だから精分を殺さず、固まらせない様にするのが一番良い。

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五月一日

  「自動車の衝突に就いてのお蔭話の御報告あり」

神様が霊に対して、もつと強い霊を注射する訳です。だから肉体が守られる。堀内夫人が、電車が停電して動かないので、歩いた方が早いと思つて、歩いて橋の上迄来た時、電車が動き出して来て、ぼつとなつて落ちて了つた。二丈位の所で、下がコンクリートなんです。そこを、一度途中でひつかかつて落ちたので、それで良かった。真直ぐに落ちたら一ぺんです。

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「鎮魂のお授けは願えませんでしようか」

いけないよ。

「如何なる場合に於ても、いけないので御座いましようか」

鎮魂はいけないと言つたら『はい』と言えばいい。助けて貰いたい。よし助けてやろう。と言うあれで、本当はいけない――神様になるからね。神様のお取次をさせて頂くと言うのでなければね。

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「出雲系統が宗教にかかつて、天理教を動かしていたと言うので御座居ますが、大本教のお筆先は国常立尊と言う事になつて居りますが、如何なる事になりましようか」

教祖様は国常立尊であつた。経のやり方で、経ばかりじや永遠の救いは現実に出来ない。そこで、聖師様と言う方は緯なんです。そこで緯でやつて、経でもいけないし、緯でもいけない。結ばなければならない。結ぶ役が私なんです。東洋文明が経で、西洋文明が緯です。どつちもいけない。今の世界の文明は、緯の文明の失敗を現わしている。伊都能売の文明が、完全な文明なんです。それを私がやつている。

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「地上天国に三次元の始まりが出て居りましたが、二次元の始まりが一九三一年とお教え頂いて居りますが、それに五十年の開きがありますが、何う言う訳で御座居ましようか」

明治十四年が一八八一年になるんです。一番目は経です。二番目は緯で、三度目は本当なんです。火水土。三つと言うのは完成の数字なんです。日月地。天地人。王と言うのは三つを貫ぬいて、完全の姿です。それで、神幽現。昭和六年六月十五日が神界の黎明。昭和十六年六月十五日が幽界の黎明。二十六年六月十五日が現界の黎明になる。それで五六七です。

「霊界の構成の第一天国は、お書きの時は出来ていなかつたので御座居ましようか」

そうです。

「その時の国常立尊のお働きに就いてお伺い申し上げます」

審判の働きなんです。完成すれば、国常立尊は働きが違つちやう。完成の働きは五六七と言うのですね。

「霊的考察の中に盤古神皇の系統とあるのは、日の系統で御座居ましようか」 

日の傍系ですね。

「国常立尊と伊都能売の神との御関係に就いてお伺い申し上げます」

つまり、国常立尊様の子孫と言う訳ですね。そうして位から言うと、伊都能売の神が上なんです。(親と子の例をおあげになられ)そうして自分が監督するんです。国常立尊の息子だからね。大本教の教祖様は国常立尊が憑られたんですね。

時代はあるんです。国常立尊と言う神様は造物主なんだからね。その時は大国常立尊と言い、森羅万象を造られた。その次に人間となつて、それが単に国常立尊と言う。その時に素盞嗚尊が――そう言う神様が生まれた。然し、そう言う神様は、伊弉那岐、伊弉那美尊からで、伊弉那岐伊弉那美は国常立尊の子孫です。天照天皇と言うのは全然隠されているんですね。

「国常立尊と大将軍との御関係をお伺い申し上げます」

兄弟です。

明治初年の年号にしても、徳川幕府が明治になつたと言うのは、黎明の又黎明です。やつぱり神様が操られて、ああ言う風にしたんです。霊界を知つたら、物質文化はあんまり進歩しなかつた。進歩する為に戦争もするんです。

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「風神、雷神に就いて、お伺い申上げます」

宗達の画いたものですね。つまり、昔は人格化したと言うのを、ああ言つた。空想的なものだね。良さと言うが、ああ言うのは理窟じやいけない。一つの――昔の人の考えた、そう言つたもので、人間化した。ユーモア的に考える――昔の人の考え方に面白いものがある。それを表現して筆であらわしてあるのをみて、面白いと言う訳です。理窟じやない。

「そう致しますと、主観的なもので御座居ましようか」

いや、主観的でもないですね。主観も客観もなく、唯面白いと言うのです。唯それでいい。

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「お釈迦さんは野天で亡くなつていますが、あれ丈の人が野天で死ぬと言う事は如何なもので御座居ましよう」

土のミロクだからね――一言にして言えばね。

「大腸カタルでと云う事を聞いた事が御座いますが」

大腸カタルと言うと、何だか変だが。そいつは判らない。兎に角、室内で亡くなられたんじやないですね。動物が一ぱい集まつていますが、有難く思わせる為に作つたものでしようね。もう少し浄化作用の原理でも知つてればね――私の弟子になつていればね。

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「大和民族の特徴は平和愛好で、芸術を好むとお教え頂きましたが、そう言つた風に、出雲系天孫系の特徴をお伺い申し上げます」

それは出雲系は――素盞嗚尊は月だから、『ツキ』と言うのは突くと言うのです。ですから、刀なんか月の形になつている。『ツキ』と言うのは突くと言う事で、征服すると言うのは『ツキ』の働きです。今の文明は『ツキ』の働きです。ボクシングをやる事、あれは素盞嗚尊の系統です。『ヒ』は引くと言うので求心的なんです。徳によつて慕つて集まつて来ると言うのが、火の系統の性格です。征服して覇道的にやる事が、月の系統です。今迄は月の系統のやり方ですね。今度は昼間の火の系統の働きになり、ひきつけるのです。天孫系の方は、大体火の系統なんです。引く系統なんです。日本の天皇は、引く方の系統です。だから二千年も続いている。「ツキ」の方だと中々そうは続かない。

物事を決め様とする――そう言う今迄の考え方や説き方は――だからいけない。決めないのです。経緯結ぶと言うので、千変万化で、両方が必要であつて、両方のどつちかではいけない。突く方もあれば、引く方もある。根本は引く方でなければならない。それが伊都能売の働きなんです。悪の世の時代と、五六七の世の時代とは違う。月の時代に引くと負けるが、今の様になればいい。

信仰雑話時代に説いた事と、天国の福音時代に説いたのは、やつぱり違うんです。既成宗教が明さなかつたと言うのは、明せなかつたのです。医学に対しても、以前は加減して書いた。徹底しない憾があつた。尤も、吹けば飛ぶ様では強い事は言えないが、こつちに力が出てからは、之は本当かも知れないと言う事になる。ヒヨロヒヨロしているのに、真理とか言うと気違だ、と言う事になる。やはり応身の働きです。教えを説く場合、相手にとつて、飛んでもなく外れて了う事がある。甘い物が好きな人に、辛い物を食え食えと言う様なものでね。

「食え食えと言う位でなく、口をこじ開けて入れる者も居りますので――」 

そうです。酒の好きな者に甘い物を食わせる。動作をみて、好きか、嫌いか見なければならない。自分が美味いと思う物は、人も美味いと思つてね。相撲の好きな人に向つて、野球の話をする様なものです。

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「光が見えると言う事が出て居りましたが、暗い所では見えないと言うのは――」

太陽の光線を吸収するんです。光の体なんです。光の霊は全然見えない。昼間の時は、太陽の体が吸収されるんです。

「一般に見えますのは夜の方が多いのですが」

それは霊の見える人です。今の人は体が見えるんです。処で、見えない程強く、見える程弱い。見えると言う事は限定されちやう。偶々霊の見える人が居ると言うのは、神様がつくるんです。霊界を知らせる為にね。昔はなかつた事です。

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「地鎮祭を頼まれましたので御座居ますが、如何致しましたら宜敷う御座居ましようか」

それは神主に頼めばいい。他の人で出来る仕事は、他の人にやらせると良い。今、私のやつている事は、人が出来ないからやつているんです。禍いが沢山来ると言うのは、其処の家の祖先が救おうと言うので来るのです。  今迄の医者の方は固め療法です。それが、段々固め悪(ニク)くなつた。こつちは溶かし療法です。固め悪くなつたと言う事は、溶かし易くなつたと言う事です。

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「金に換える物が全然なくなり、カツギ屋になりましたが――」

やつぱり、そう言う男はそう言う経路を経なければならない。けれど、カツギ屋なんかする事はおかしいですよ。そんな事をしなければ食つていけないと言う事は、何処か間違つている。浄化が足りなかつたんですね。

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「曼陀羅はお屏風の観音様の横にでもお祀りして宜敷う御座居ましようか」 

日蓮の曼陀羅――あれはいけないですね。大自在天は大きく書いてあつて、天照大神は下の方に小いさく書いてあるが――インドでお拝むのならいいだろうがね。

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「田舎の習慣で、婚礼の時は土地の産土神をお祀りする事になつていますが、その時だけ光明如来様をおはずしして、お祀りして宜敷う御座居ましようか」 

何う言う様に言つても、それはいけないですよ――絶対にいけないですよ。そんな習慣は破つちまえばいい。

「横にでは――」

それならいいです。一日なら一日とお願いしてやるといい。信仰が徹底しなければ、中々出来ないものです。神様と言うのは、理由がたてばお許しがあります。

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「お骨が帰つて来たのですが、御神前に置かせて頂いて宜敷う御座居ましようか、穢れますのでは――」

良いですよ。結構です。穢れるどころか、霊が喜びます。今迄は、穢れると言つているが、神様の力がないんですね。

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「仏壇にお奏げする御讃歌に就きまして御伺い申し上げます」

今度こしらえました。十首ですがね。法事の時――法事と言つても、一周忌とかは、今言つたので良いが――十年、二十年とかは、そんな事をしなくてもいい。御讃歌集の中から撰んでやればいい。もう救われているから、晴々しくやればいい。

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「散花結実のお額の御落款には、明位となつて居りますが、何か意味が御座居ましようか」

別に、何う言うと言う事はない。ああ言うのもあるんです。

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「霊の御浄霊に就きまして、御伺い申し上げます」

狐の場合は天津祝詞。善言讃詞は柔らかいから、祖霊の場合です。動物霊と、はつきり判らないが――感じで、龍神とか狐と思つたら天津祝詞ですね。御神前の場合はお願いしてやる。霊の手榴弾を投げつける様なものです。

「全部の人に向つて、奏げる場合がありますが」

それは嘘ですね。自分が神様になつている。

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「お屏風の千手観音様は、岩の上にお出でになりますが、霊界の方になつているのは何ういう意味で御座居ましようか」

意味があります。地の霊界です。処が、地獄は地より下ですからね。地と言うのは、第三天国になる。

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「お釈迦さんが説いた法華経は、日本の仏教の根本になつて居りますが――」 

日本の仏教なんてないですよ。仏教は印度です。お釈迦さんが七十二才で見真実に入つてから説いたのが、法華経二十八品で――之は正しい――お釈迦さんとしてね。真理と言つても、二千年の間の真理なんです。永遠不滅の真理ではない。そこで、如来と言つた。如来と言うのは、来たる如しと書くので、来たのではない。若し、お釈迦さんの時、真理だつたら、もつと良い世の中が出来ていなければならない。夜の間は仕方がない、諦めろと言つた。諦めと予言と――一言にして言えばそうです。私の説くのは、永遠の真理です。

お釈迦さんは経ですね。キリストは緯を説くのです。私は、経にあらず緯にあらず――十字ですね。結びですね。結びと言うのは、之でお終いだと言う事です。釈迦やキリストのは結びじやないんです。又日本は経の中心で、アメリカは緯の中心ですね。

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「皇太子殿下の誕生日は十二月二十三日で、明主様と同じになりますが、霊的に意味が御座居ましようか」

昭和八年十二月二十三日に初めて誕生祝いをしたが、その朝皇太子殿下が生れた。私は意味があると思つて、それから歌の本に明麿と書いた。非常に関係があると言う事は言えるが、将来何うなると言う事は一寸言えない。いずれ、天皇に対して非常に、私が助けると言う時期が来るでしようね。その時に皇太子殿下が近附ける訳です。その時は天皇と言う地位は、もう駄目だろうがね。それで――良くして差し上げるんです。

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六月二日

今、遅くなつたのは、こう言う訳です。之は邪神がやるんです。私の座蒲団を敷くのが一番大事な事です。肝腎な事を邪神は邪魔するんです。一番肝腎な事を、チヨイチヨイとする。実に、邪神が憑つている。邪神は何人も憑る。だからですね、肝腎な事をボーつとしちやう。そう言う時に私が黙つていると邪神に負けちやう。だから小言を言つた。そう言うものです。だから、信者でも、重要な役割をする人には、邪神が直ぐ憑く。大抵気がつかないんですが、気がついたら大変です。一番肝腎な事は、私の座蒲団を敷く事ですね。之を敷いてない。

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「先に、明主様が日比谷に御出ましになられました時、山梨県の下吉田の教会で、信者さんが十人集まつて居りましたが、御神体の廻りに不思議なお姿を、十人の中五人位が見、それが三日位続き、その御神体の側に明主様のお姿が、その左側にキリストの様なお姿が、その左側に十二単をお召しになり、簪(カンザシ)をさし、その前に支那の方と思われますお姿が、御神体の右側の方に、木の葉のお召し物をお召しになつたお姿が見えましたそうで、二時頃だつたそうで御座居ます」

キリストはキリストに違いない。木の葉の様なと言うのは――女の様なと言うのは、兄の花姫です。支那のは、孔子か何かです。

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「仏壇にお奏げ致します御讃歌に就きましてお伺い申し上げます」

仏さんの御讃歌ですね。観音さんのは、いけないですね。いけないと言う事はないが、適切ではない。先には観音さんが多いから、合わない。今度のは少しは良いです。大体、仏様の御讃歌は仏様に適当する様な、祖霊さんを解らせるのに良い様なのをね。然し、そう几帳面に考える必要はない。だから順繰りにやつていいでしよう。

「何首づつ位で――」

そうですね、仏様は神様のより少なくて良い。そうですね、不断は仏様には奉唱しなくても良いですね。何かお祭りの時丈でいい。仏様にも色んな事を聞かして――新しい事を聞かした方がいいです。

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「死霊等憑依した場合、日月地大御神様の三唱で宜敷う御座居ましようか」 

良いです。つまり、観音様が出世されて光明如来様になり、又出世されて日月地大御神様になる。出世と言うのは世に出ると書くでしよう。之が本当の出世になる。これより、神様が表面に出ると言うのですね。

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「御論文を頂きますと、日本文化の特異性の処に、日本人の特長、使命といつたものを、解り易く説いて頂いてあります。平和的芸術国家でなくてはならない。そういつた方面にのびると言うお言葉を頂き、私なりに感ずるので御座居ますが、日本の場合は客観的なものとお話頂いたので御座居ますが、あれ丈の支那芸術が出来ます迄の関係を――」

日本、朝鮮、支那。之で三位一体になる。日本が火で、朝鮮が月で、支那が土になる。五六七と言うと、日本が五で、朝鮮が六で、支那が七になる。その位密接なものです。だから、支那芸術は立派なものが出来るのは当り前です。三竦(スク)みと言うのがあるが、あれは面白い。日本が蛇ですね。朝鮮が蛞蝓(ナメクジ)。支那が蛙。日本は龍神の国です。日本の国の形は龍の形ですね。

もつと徹底したいが、未だ講和にならないですからね、日本人の優秀性をアメリカでは非常に嫌うんです。だから、あんまり深く言えない。日本人は非常に優秀性があるんですがね。戦争に関した事じやない、平和的な事です。だから、そう大して悪くはないんですが、やつぱり誤解されますからね。平和的に優秀性と言う事の平和的を取つて、優秀性丈を言われたりすると誤解されますから。そう言う事もアメリカ辺りで、知つている人もありますね。日本は不思議な国だ、とね。全世界の凡ゆる文化を取入れていますからね。日本位、そう言つた――日常生活だつて、日本人は洋食も食えば、支那料理も食えば、お茶漬けに香の物で食うし――支那人や外国人は、日本人の様に豊富でない。然し日本には消化出来る。音楽でも、芸術でも――支那人は油絵が上手なのはないでしよう。それから、西洋の音楽はないですからね。だから、西洋人は不思議だと言つているそうです。支那人には理解出来なくても、日本人には理解出来る。支那人にはベートーベンなんか聞く人はないそうです。日本人は漢字も書けば、横文字も書けば、仮名も書く。支那人は漢字と横文字はやるでしようが、仮名は使わないでしよう。だから、日本人は不思議な民族ですね。昔は、大本教で宣伝した事があります。日本はデパートだとね。組立工場だ。つまり、それ程日本人は色んなものが、豊富なんですね。何でも食う。何でも味が解る。そう言つた国民性ですね。

処が、そいつが夜の世界の間は邪神が勢力を得ていたから、それで戦争を大いに奨励した。処が本来そうではない。戦争で、コリコリさせて二度としない様にして了つた――神様がね。それが、こんどの敗戦ですね。それで始めて、日本人としての天職をやると言う事になる。日本が負けたと言う事は大変な事です。八月十五日は、大いに祝わなくてはならない。とても想像もつかない様な大変な事がある。恰度、時期がそう言う風になつて来たんですね。ですから、もう霊界の方じや、ドンドン地上天国が出来つつあるんです。然し長い間の罪穢れが溜つているから、掃除をされる。その掃除を、神様が何う言う風にされるかと言う事が問題です。建設の方も肝腎だから、差障りがない様に掃除される。そう言う処が深遠微妙です。

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「芸術は言葉を以つて表現される事があります。そう言う意味から申しますと、日本人の言葉は優秀性に富んで居りますが、昔の純粋の大和言葉が良いので御座居ましようか。それ共新造語の方で御座居ましようか」

いや、それは違う。七十五声完全に言えるのは日本人の言葉です。本居宣長が発見したんです。天井に紐を吊つて鈴をつけて、七十五声を鈴で型取つた。その家を「鈴の屋」と言つたが、有名なものです。其処で、言霊の研究をした。だから、言霊と言うのは一つ一つ意味がある。それで、一つ一つの綴り方によつて、善の働きと悪の働きをする。之は別に何でもない。良い事を言えば善の働きをする。悪い――泥棒しようとか、ぶんなぐろうとか言う言霊は悪い意味になるでしよう。悪い意味になると、人間の耳に入つても良い気持はしないです。あの人を良い気持にしよう、とかは霊界に――霊界と言つても色々ある。言霊界に言葉は響く。それから考えですね。良い考え、悪い考えですね。それは想念界に影響する。之は言霊界より、もう一層深い――密度の極く濃い訳ですね。だから、気持を想う丈で霊界が違つちやう。そこで、良い言霊を使う。そこで御讃歌とか祝詞とか良い言霊を使つてある。良い言霊と言つても、読んでスラスラと感じが良くなければならない。良い言霊でも、感じが良く、柔らかく、滑らかに、いかなければならないですね。そうすると、日本の仮名書きなんか、極く上等になつている。

「淡路島で、十位の子供が浄霊に見え、祝詞を奏上させて頂きますと、『先生の口から黄色の光が出る』と申します。『馬鹿』等と申しますと、『黒い色が出た』と申して居りました。申し訳ない事では御座居ますが『御神体から光が出ているか』と聞きますと『出ている』と申します。『何の御文字からが一番出ているか』と聞きますと『明の字が一番きつい』と申しました。電気を消して隣の部屋から『白い着物を着ている人は居るか』と聞きますと『この人はこの位』と申して居りました。未入信の方は殆んど見えないそうです」

神様がそう言う子供を使うんです。そうして、皆んなに証明されるんです。本に書いた位丈では信用出来ない人が沢山あるからね。それを見せるには、邪念があつてはいけないから、子供を使つて、見せて知らせるんです。あんたが言う丈でも、此処に居る人は成程本当だと言う事になる。それは書くんでしよう。

「左様で御座います」

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「奇妙な胸をしているのは、前世の関係で御座居ましようか」

死ぬ時、拷問みたいなもので、押さえつけられた。そういつたものの再生です。

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「もう一つ言葉に就いてお伺い申し上げます。日本の言葉では主語を先に言いますが、英語では主語が後になります。言葉の構成が違う様で御座いますが――」 

日本は霊主体従の国で、西洋は体主霊従の国だから、そこの違いさです。苗字と言うものは祖先ですからね。名前と言うのは自分ですからね。自分の方を先にして、祖先を後にする。だからあつちは祖先を祀らない。日本人でも、動詞を先にする人がありますね。

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「先月二十六日の神戸に於ける第一放送の街頭録音での結核問題で、信者さんが出て

一、早期診断と言う事を言うが、いざ病気になつたら治らない。

二、医者の診断に対して信頼が置けない。

と言う様な事を申したそうです。すると、博士は『病気を治すに信仰も良いが、邪教に金を出す位なら栄養を食いなさい』と言つたので、邪教と邪教でないのとの限界を承りたいと言つたそうです」

それは面白かつたですね。偉いですねその人は。勇気があります。結局、世間が認めざるを得ない事になりますから、もう少しです。神戸なら、可成り田舎ではないからね。効果がある。実際、さつき二つの例をあげましたが、ああ言う顕著な例が解らない筈はないんですから。どうしても、あれ程はつきりしている例はない。結局、時間の問題ですよ。本当に良いものは遅かれ早かれ解るものですから、そう悔(クヤ)しがる必要はない。急(アセ)る必要はない。似ているどころじやない。全然反対なんですから。それを、いきなり言つたら、吃驚りして逆作用を起す。何しろ神様がやつているんだからね。尤も、大した違いがなければ、神様でも何でもないですからね。

然し、唯驚くべき事は、よくも反対に発達したものだと思いますね。一生懸命に――結核早期診断とか、早く判つた方がいいとか――今の話の様にね。そうすると、神経がそれ丈病気になつて了う。と言う事は、結核にして了う。処が、幸いに何でもないと言われたから良いが、二人迄言われると、精神的の打撃で本当の結核になるのは当り前です。それに、毒をやるからね。最初、神経戦術でやつつけて置いて――どうしても結核になりますよ。レントゲンに写ると、曇りがあるとか、空洞があるとか――写るんです。それは、痰を溜めておいて、それをレントゲンで撮ると、写る様に作つてある。よくも之程、製造法が発達した。何の疑いもなく、それで結核を蔓延させない様にと言つてやるんだからね。その巧妙な手段は感心しても良い位です。だから、結核は益々増えていく。この儘でいつたら日本人は殆んど肺病になる。新しい薬が出来て喜んで居ますがね。ストレプトマイシン、ペニシリンとかあるが、実に効かないどころじやない、それが為に悪くなつたのは沢山ありますからね。

他の事は中々発達して――原子科学等と――発達しているが、病気に対しては逆であつて、本当の発達でないんですからね。然しそれは、霊と言うものを知らないからね。見えるもの丈で考えるから仕方がないので、尤も、それで良いとも言える。若しそれで解つたら我々の方は発展する事もない。間違つていればいる程、こつちの方のやる事が値打がある。神様は旨くやつている。今度の新聞で書きましたがね。人類が最初から神様と言う事が解つたら物質文化の発達はなかつた。神様を認めなければこそ、物質文化は発達したんだからね。だから、何だ彼だ言うけれど、今迄のやり方で良かつたんですね。いずれは人類全部に解るんですがね。唯、我々の方は早く分つた。まあ、先覚者ですね。恰度、今は面白いんです。大変りをする線の処に居るんですね。

「恰度、各地をお廻り頂きましたのは十年前と存じますが、あの時分から段々発展して来た様で御座居ます」

段々宗教的にね。去年あんな風でぺちやんとやられたが。段々発展して来た。実に信者さんは多いからね。何処に行つても、実にかたまつてね。熱心でね。多勢かたまつていますからね。そうすると、社会の見る目も余程変つて来ますね。もう一息で、メシヤ教を大いに応援する様になる。鶴屋の前には騎馬巡査が出ているので、皆んなを警護していると思つていたら、お辞儀をしていたので驚いた。

「名古屋の方でも、こちらに来れない信者さんが、どうでもと言つて押しかけて、唯大きな声で、明主様の御車を拝んで『大光明如来様有難う御座居ました』と言う声が囂々と聞こえて居りました」

感謝感激の態度が実に現われていますね。

「最近医者の方で、難かしい患者にはメシヤ教に行けと申しますそうです」 

医者が一生懸命やつて治らないですね。病人から苦情言われるんです『何うしたら良いでしよう』と言うので医者は困つちやうんです。『じや、まあ、メシヤ教に』と言うのです『何んな事でもします。何とか方法はありませんか』と泣きつかれるんで医者は困る。そう言う病人になると、医者の方で何とか手を切りたいんです。それがメシヤ教に、と言う事になる。――もう一息ですね。本当に良いものだ。と、一つの輿論みたいに解つて来たら大変です。今月の十五日は大変な日ですからね。山の方が、もう一息になつてる。大体予定はついてますが。それは本格的にやる事になつている。別院とか支部とか、殆んど積極的にやりますからね。結局、人間の力と場所ですね。家ですね。之は非常に重要なものです。例えてみると、之丈の家を、之丈ひろげますね。すると信者がそれ丈ひろがる。熱海の会館も出来ると、あれ丈信者が増える。霊界の型ですね。大きくなると、多くなる。と言う事になる。ここは、土木の方がもう直きに終るんです。日光殿は演芸をやる処です――芸能のですね。つまり、地上天国の芸能をやる処です。美術館は来年迄に出来ます。宗教的の本山は日光殿の十倍とみていい。十倍よりも一寸大きいかも知れない。一万人収容出来るんです。一万坪ですからね。此処丈の――神仙郷が三千坪ですからね。此処の三倍ですね。熱海の方は、もつと大きい処を神様の方でとつてある。之は三万坪ある。あつちの方は石なんか一つもない。ホーロクを伏せた様にね。楽なものです。行つて見ても良いです。つつじ畑になつています。安い時分に買つたので、今は倍位ですね。別に探した訳でも、何でもない。そう言う風になつている。京都も今にあります。釈迦堂の側に大きな池がありますね。其処でしよう。商売の出来る処は高いが、ああいつた処は安いでしよう。庭園を造るには平の処では出来ない。ここは山と石ばかりで、熱海も山ばかりですからね、どうしても平の処は支那風なものですね。支那の国と言うのは平ですね。日本と言うものは、京都がシンボルですね。非常に良いけれど、単調ですね。それと、静かだけれど、何となく、寂しい感じがしますね。都ホテルの「つつじ」のある処は良い感じがしましたけれどもね。今度、熱海の地上天国も、山全部「つつじ」にしようと思つている。あれを全部「つつじ」にしたら日本一かもしれない。神様は何万年、何十万年前に準備してあるんだから、実に口には言えないね。この「つつじ」なんかも四、五年前かね、「つつじ」を千本ばかり買つて呉れないかと言うので、買う丈買つて置こうと思つて買つたが、中には寄せ植になつていたが、千本と言うが二、三千本あつた。それが今度非常な役に立つた。見附けたつて無いです。あれは、岩崎が金にあかして、見附けたんです。

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七月一日

私は世界一になる積りですから――金持も世界一にね。アメリカの金持は誰かと思つて、調べてみたいと思つてね。それより上になれば良いんだからね。医学の方じや世界一だがね。医学と宗教は世界一です。尚宗教と言うと、今迄のは野暮臭い、爺臭い。いやに湿つぽいんですがね。天理教なんかと来たら、いやに湿つぽいからね――着物を着てね。

「天理教の方で、メシヤ教の力は一時的だから、迷つちやいけないと言われて居りましたが、今後の天理教の目的は病院を作る事だと言う事で、がつかりして、入信致しました人が御座います」

大体、天理教があれ丈出来たのは病気治しです。先には良く治つたんです。昭和六年から治らなくなつた。天理教は月の神様ですからね。だから女が教主になつた。素盞嗚尊の系統です。今迄は月の神様の系統ですからね。だから、お釈迦さんを変性女子と言つた。キリストも女の系統ですね。素盞嗚尊の系統です。ですから、男の系統は救世教が初めてですよ。大本教の教祖も女ですね。代々女です。夜の世界じや、女が――月が、一番です。月の光で、兎も角闇がそれ丈明るかつたからね。昼間になると月の光が要らなくなるからね。それで、昭和六年から病気が治らなくなつた――天理教はね。その結果病院を作るとか、病気は医者が治すとか言い出して来た。だから、別に天理教が嘘言つた訳でもなく、間違つた訳でもない。時期が違つたと言う事です。それで、そうなる。

メシヤ教だつて、観音会時代はそう治らなかつたですよ。私が治すのが、今皆が治す位だつたですからね。それは、未だ太陽が出ていなかつたからです。年々太陽が出て来るから奇蹟が出る。だから、日が経つに従つて、今迄より余計治り、奇蹟もある。それに引替え、月の系統の方は段々反対になる。日本人全部が信者になると言つたが、そうです。太陽が上つて月を拝む人はないからね。然し、そうかと言つて、月と言うものは、全然なくなつたのではない。あるのだから――前は月が主だつたのが、今度は太陽が主になつた。月がなくては――水がないと、火は燃えないから。そこで、明の字ですね。明主と言うのはそう言う意味です。明治と言うのも、そう言う意味なんです。明治から昭和――私は明治に生まれたんですね。大分、之から集団的に信者になる者が、次々出来ますね。今度、九州でありましたね。

「二、三百位出来る予定で御座います。地元の地方新聞と有力者が主になつて居ります」
「最近光が強く御座居まして、年寄で、私の近親の者で御座居ますが、眩暈の少し強い様なので倒れまして、お蔭様で浄霊をさせて頂きまして、何とも御座居ませんでしたが、段々ひどくなる事が現実に見える様で、又ずばぬけたお蔭が多く御座居ます」

まだまだ増えますよ。今年からは現界の昼間になるんだからね。

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「殺人第一号を出しました。義兄の五つの男の子で、頼まれて浄霊して居りましたが、頭が火の玉の様に熱く、浄霊していると直ぐ冷めます。悪くなつたら呼ぶからとの事で帰りましたが、起しに来る、帰る。又起しに来ると言うのが重なり。一生懸命やつて居りましたが、昨日死にました。疫痢の便みたいなのが出て居りました」

あくびは?

「あんまり出ませんでした」

それは義兄の子供ですか。名前は?

「福島健次」

貴方の子供は?

「一人です」

それは、貴方の身代りだな。貴方の命に関わる罪があるんだな。それを、引き受けて逝つたんです。

「棺に納める時、浄霊した処は柔らかく、足丈はしていませんので、固くなつておりました」

子供が死ぬと言うのは、身代りが多いです。信仰に熱心になるとそう言う事がある。それで良い訳ですがね。

「信仰して悪い事は御座いませんですから」

そうです。貴方が浄霊すると言う事は、そう言う意味です。今に成程と思う事がありますよ。本当は貴方の子供が死ぬんだが、貴方の子供は一人しかないから助けて呉れたんです。然し、之からは信者の中で命をなくすのが、ちよいちよい出ますよ。何うしても神様の――段々、つまり洗つていくからね。何うしても、穢れてる者はしようがない。身代りとか――色んな方法でね。

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「西宮の会社で井戸を掘つた処、奇妙な石が出て、行者に見て貰いました処、祀る様にと言われ、祀つて居りましたが、支社の九州中津で井戸を掘りました処、西の宮に出た石と同じ石が出たそうです。それで、夫婦だろうと言うので西の宮の石を中津に持つて行きました処、石が出てから非常に盛んであつた本社が段々さびれて参り、何うしたら良いかと相談を受けましたので御座居ますが、如何致しましたら宜敷いで御座ましようか」

西の宮の方は、光明如来様はお祀りしてますか?

「社長室にはお額をお掛けして、自宅には光明如来様をお祀りして居ります」 

それはね、やり方が逆になつている。分工場に一緒にしているでしよう。本社に祀るのが本当です。分けて良いけれど、祀るとすれば本社に祀るべきです。支店の方に祀ると言うのが違う。いつそ、別れ別れにするか、本社にするかどつちかですね。その土地から出たと言う事は、その土地から離れてはいけない。最初、本社から出たのだから、やはり本社に祀るんですね。それから支社に出たんですね。位の上のものが行くんだからね。全て理窟に合つていなければならない。行者の間違です。然し面白いですね。同じ石とはね。何しろ、本社のを向うに移すのはいけないですね。支社の方はどつちでも構わないです。西の宮の石が、そうして貰いたいのです。大概龍神ですからね。

「旭と言う字は九の字になつてますが、何か意味が御座いますでしようか」 

旭の方が早い訳だな――日が出るのがね。それと日の強さだな。あれはね旭日(キヨクジツ)と言うので、最初出たての意味で――霊と言う訳ですね。普通の「朝」の日は体だから、説明みたいなもので、旭と言うのが力がある訳です。

「信者さんの子供さんで御座居ますが、夜の二時頃になりますと、強羅の方に向つてお辞儀を致しますが、何か意味が御座居ましようか」

霊が憑るんです。祖霊ですがね。有難いんですね。祖霊としては、私を知つているんですよ。

「よく、御神体を普通の御神体の観念で拝んで居りますと、それが為に明主様の事を教えて呉れると言う事に――」

そうです。祖霊は知つてますからね。今の石だけど、両方本社に祀らなければいけない。それが本当です。やつぱり夫婦ですよ。今迄、親父が妻君の方に同居して居た。何う言う処に祀つていたんですか。

「井戸の側で御座います」

名前はつけてあるんですか。

「いいえ」

必要はないですね。やつぱりね、本社が盛んになれば支社も盛んになる。本社が盛んになれば支社は幾つも出来る様になる。それで、何かあるとお知らせするでしよう。龍神と言うのは、非常に商売繁昌させる腕があるからね。先に名古屋で、非常に繁昌した宿屋で――今は無いが昔あつた。その宿屋の妻君に会つたが、そこの家は蛇が沢山居るんだ。よく、東京から、西園寺さんが其処に来て泊つて――それで、繁昌した。処が、火事で丸焼けになつた。そうしたら、蛇も一緒に死んだ。それで、後から普請してやつても旨くいかなかつた。全く蛇がやつていたんですね。

「之からは、そう言う奇蹟はなくなつていく訳で御座いましようか」

段々なくなつていきます――夜の世界のだからね。然し、世界の物質の宝は龍宮の乙姫さんが一時握つて居た訳なんです。

「その龍神と貝と関係が御座いましようか」

昔は貝が貨幣だつたからね。先に、大本教の時分。出口王仁三郎――聖師様と言つていたが――或晩、遅くなつて帰ろうとすると、聖師様が泊つて行きなさいと言う。二代様の床なんです。敷きつぱなしになつていて、寝ろと言うから、私は構わず寝たんですが、他の人が、一信者のくせに二代様の床に入つて寝た。寝ろと言われても、お断りするのが本当だ『けしからん』と言つていたが、私は腹の中で知つているからね。二代様と言うのは、龍宮の乙姫さんです。聖師様は素盞嗚尊です。素盞嗚尊の奥さんが、龍宮の乙姫さんです。明る朝聖師様に挨拶にいつた。「海贏(バイ)」と言う貝があります。生で食うと非常に美味いんです。『岡田さん、之は食うと美味いから、食いなさい』と言うので、「海贏(バイ)」と言うのは、之は大変な御神業だなと思つた事がある。だから、凡て貨幣に関係した事は、貝の字がついている。売り、買い、と貝の字がついているのは、そう言う訳です。大本教は、大変な御神業の基礎的の意味がある。去年、留置場の時、教祖様に会つた。『大本教を助けてやつて呉れ』と言つて居た。将来、助けてやらなければならない時が来るんです。

「蛤の上に観音様が居られるのが御座居ますが、何んな意味が御座いましようか」

観音さんの働きと言うのは沢山ありますからね。蛤と言うのは物質的な意味がありますからね。観音さんは、そう言つた物質上の働きをなさる。そう言う意味ですね。三十三相の一つですね。

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「戦災以来仏壇がないので御座いますが、仏壇を買うと、誰か死ぬと言うのですが」

仏壇がないのはいけない。あべこべの事が多い――夜の世界だつたからね。お筆先があつて、あれが大したものだつた。霊界物語りとか。今、ああ言うのは民主主義と違うからね――根本からね。それで、それを宣伝に使う事が出来ない。処が、それを使わなければ生命がない。「日本は神国、外国は獣の国であるぞよ」「今に艮の金神が返報返しを致すぞよ」なんてね。もう、大本教の御用も済んでる訳です。天理教の御用も済んでるし、仏教の御用も、キリスト教の御用も済んでる。今迄は確かに必要だつた。だから之からも必要だとはいかない。時に応じて変つていく。今迄は治つた様だが、之からは死ぬか、浄霊を受けるか、どつちかです。そこ迄来ますね。大分近附いて来ているからね。だから、楽に信者が増えれば良いんです。楽にどころか、先の方で『頼みます』と言つて来る時期でなければ本当じやない。そう言う時期が来るんです。

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「一軒の家で御神体は、二体様お祀りしてはいけないとの御教えを頂いて居りますが、農家で母屋に兄が住み、離れに弟が住んで居りますが、両方に御神体をお祀り致して居ります。弟さんの方は座談会に行かせて頂いたりして居ります」 

兄さんの方は、そこの家を守り、弟さんの方は宗教的宣伝をすると言うのですから、別々で構わない。却つて別々が本当です。片つ方は農家の家を護つて――やはり祖先は居るが、倒れたりするのは嫌がりますから、家を御守護して、弟さんの方は宣伝を主にするので、別々だから良いんです。

「母屋は良い部屋がなく、離れに立派なのが出来て居りますが」

それで良い。霊界ではそこが中心になつている。

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「親兄弟で御座居ますが、門徒宗の和尚さんが簡単な人で、戒名をつけるのが嫌で、つけそこね、その儘で御座居ます」

それはね、それも時期の問題です。まだ、仏界が相当勢力のある間は、戒名でなければならない。処が、仏界がフラフラなんだから気にする事はない。まだ其儘ですか。

「変えました」

それならそれで良い。そう言つた冠婚葬祭の色々な形式を作ります。どうせ霊界では救われるんですから。貴方が働いていると言う事は、救われている。改めて、そう言つた形式は作るから大した事はない。

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「無肥料栽培の、苗代が、無肥の方と有肥の方とは、良くかきまわしますが、無肥の方は中々澄みません。普通の有肥の方は直ぐに澄むのですが、何う言う訳かと聞かれましたので御座居ますが――」

丁度、血液みたいなものでしよう。無肥の方ですと軽い訳だからね。水そのものは変りない。仮に、土が肥料を食つていると重いです。無肥料の方は軽いから澄むのは遅い訳です。

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「正しいと言う字ですが、一を止(トド)めると書きますが、何か――」

一を止めると言つて気にする人もあるんです。処がね、つまり、下と上と両方になる。下と言う字と上と言う字は、両方こうなつている。それが正しいと言う。

「人間の名前につけると悪いと申しますが」

そんな事はない。悪いと言うよりか、良すぎるんです。と言うのは、霊が相応していれば良いが、霊より名前の方が良すぎるからです。調和しないからです。だから天と言う字を書くと、必ず失敗する。と言うのは、良すぎるからです。天皇は別ですがね。普通の人間は地に住んでいるから、天じや高すぎる。

(垂六号  昭和二十七年一月二十五日)

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  【お断り】

一月は特別御面会を戴けませんので、昨年の四、五、六、七月の、一日の特別御面会に於ける「御教え」を集録し、御垂示録第六号として発行させて戴く事になりましたので、其旨御了承下さいませ。