十一月一日
「京都で、之から土産をやるとおつしやられました、あの事をお聞きしまして、自分の事を考え、人力と神力の差をお教え戴き、有難く――」
さつき話すのを忘れましたが、割合に肝腎な事ですね。つまり、浄霊は力を抜く程良いとしているが、あれと同じで、他の事にも共通している。一番分り易く言うと、之を欲しいと思うでしよう。欲しいが、何うしても之を自分の方に引寄せ様と思うと、来ないものでしよう。欲しい欲しいと思つた時は、必ず来ないものです。病人でも、之を治したら宣伝力もあるし、是非治したいと思うが治らない。そんな事を全然考えないで、なーに、とやつていると治る。それは、是非治したい治したと言うと、執着ですから人間の働き許り出る。そんな事を考えずに神様にお任かせしようと、執着を取るでしよう。すると神様の方から来る。人間の執着が――想念がそこにいくから、神様の方を邪魔する。病人でも、こんな病気に負けるものか、俺の精神力で治して見せると言うのは、大抵死んじやいます。そうでなく、神様の御意の儘だ。と諦めると、助かります。だから、よくもう駄目だ。諦めなさいと言つてから、治るのが沢山あります。面倒なものは、何でも神様に任かせて了えと言うんです。そうすると、案外旨くいくんです。私なんか、始終やゝこしい事がありますが、えゝい。と、神様にお任かせする。やゝこしいのがあつて、あつちを立てればこつちが立たない。と言う場合に――お任かせすると、旨くいきます。思つたよりか旨くいく。よく、「惟神の大道」と言つてね。惟神と言う言葉は良いです。「カミナガラ」ですね。神様の思召しの儘に進んで行くと言うので、非常に良い言葉ですね。
「あゝ言う場合に、教えて戴きますと、自分でもゆとりが出て参ります」
そうです。余裕――気楽になりますね。一番は金がそうです。金が欲しい欲しいと思う時は、決して入つて来るものではない。もう、金なんかどつちでも良いと思うと入つて来る。処が世の中の事は全て、人間の力を過信するんです。戦争なんか、こうしたら勝つだろうとか、こうして一挙にやつてやろうとか、日本の戦争みたいに、色んな計画を立てゝやるのは、皆んな駄目になつたですね。
「昔、自分を偉く思つて、何時も促(アクセク)して失敗して居りましたが、あゝ言う御言葉を戴きますと自分も楽で、旨くいきます」
楽ですよ。それも、その人があんまり依頼心が強くて怠者ではいけませんが、やる丈やつてその後ですね。人事を尽して天命を待つと言うのは、旨い言葉ですね。又、お任かせする神様ですが、力のない神様なら駄目ですが、メシヤ教の神様は絶対の力があるからね。
「宗教迷信と申しますか、よく大光明如来様と申しますが、私などは、それよりも何事によらず明主様と申しますと、楽になります」
大光明如来様が私の仕事をしているんだからね。仏に化けてね。神様にお任かせすると言う事は良いんですが、神様に惚けると言うのはいけないんです。之は神様の思召しだらうと思うと、それ許りじや失敗して了う。そこに於て叡智と言うのが必要になる。結局に於て、一つの事に捉われてはいけない。又人間力に捉われてはいけない。凡るものを綜合調和させると言うんです。それが、一つの伊都能売の働きですね。それによつて――伊都能売と言うのは、経にあらず緯にあらず、経であり緯でありと言うので、そこに言うに言われない一つのものが出来上る訳ですね。それが一つの――仏教の方で言うと、妙智と言うんですね。
「何事を致します時でも、神様を信仰して悪い事をすると言う事はないと思ひますが、スースーいくと言う事は、良いと思つてやるのが――」
いけないし、スースーいつても駄目です。何故なら、邪神にやられてもスースーいくんです。そこで叡智です。大乗ですね。小乗でスースーいくのは危ぶないんです。大乗と言うと――何うかと言うと、仮にこの人を助けると言う場合に、人間の力は限度があるから、両方助ける事が出来ない。較べてみて、どつちが大きいか考える。一番大きい事は世界人類を助けると言う事です。それで良くなれば、決して間違いはない。そこで、私は「⇒世界人たれ」と言う論文を書いている。だから、世界中の人間が一国の人間になれば、戦争はなくなつて了う。今迄、それ程でなかつたが、之からは全て世界的にならなければならない。
「今迄は、何うしても会意識があり、あの御論文を戴きましてからは、世界の為に立派な会にならなければならないと思いました」
そこが小乗と大乗ですね。だから忠君愛国は間違っている。人口が増えた国が一番で、他を侵略する。何うしても、人口が広がるので、侵略しなければならない。それで、武力と言う事になる。自分の国丈け良くしようとするのが間違つている。
「人を良くすると言うのと同じ事で――」
そうです。大きくすると国になるんだからね。京都で、共産主義に就いて話したが、自分の仲間丈けをと言うのは、成功しつこない。アメリカの方が良い。だから、何うしてもアメリカは一等にならなければならない。
………………………………………………………………
「御浄霊は病気が治る許りでなく、心が浄まるに従つて、貧争もなくなると解釈してますが、それで宜敷いでしようか」
良いでしよう。
「その時自分の意識を働かしてはいけないが、治してやらうと言うのは――貧を無くする場合は、貧を無くすると言う想念で――」
結構です。そう言う執着は結構な執着です。処がね。病気が治れば貧も争も無くなる。メシヤ教で病気を治すと言う事は――貧乏も貧苦でしよう。だから、そういつた浄化すべき曇りが無くなるから、貧の苦しみも争いの苦しみもなくなる。広く解釈すれば良い。根本は浄霊ですから、霊を浄めるんです。霊を浄めれば、貧も無くなる。だから私は何時も、人間許りじやない。国の病気、世界の病気だと言うんです。 日本が病気なんです。貧乏しているんです。又世界の病気なんです。共産主義の苦しみと言うのは、結核みたいなものですからね。
………………………………………………………………
「京都に榊原と言う人で、弟子もなければ、師匠でもなく、一人で絵を画いて甘んじて居りますが、一般でも貧乏の中に甘んじて居るのがありますが、そう言うのは、社会的な人間としてはいけないので御座いましようか。片方では、一面そう言うのは許されるべきもので御座いましようか」
少しは良いですよ。皆んな融通のきく者許りでも困るからね。それから、女なんかも修道院に入るでしよう。折角与えられてあるのに、子供も出来なくなる。折角神様は――恋愛とか性欲とか与えてあるんです。然し、少しは良いんです。何うしても我慢が出来ない人や、前世に人を孤独にしたと言う罪のある人とか、そう言う人は、あゝ言う処で安住が出来るんだから良いんです。絵かきも本当じやないが、少しは良いんです。それと、一つは本当に上手くないんです。本当に上手なれば、そんなに放つとかないんです。「路傍の石」と言う小説があるが路傍の石だつて、必要なんです。あそこに転がつている石が何にもならない様だが、何かになつている。沢山集まれば砂利になりますからね。それから、草なんかも、実も花も、何のたしにもならない様なものがありますが、あれが枯れると堆肥の原料になりますからね。人間だつてそう言う必要の者があるんです。神様は旨く拵えてあるんですね。
「悪と言うものは必要だ」と論文書いてますが、けれども、それ許りじやないんです。あと、ずつと読めば成る程と分りますがね。それから、世の中の、人間の文化が発達して来る――野蕃時代からね――その時代々々に必要なものが生れて、役をするんですからね。地球を固める時代には、恐龍とかマンモスとかが居て、踏み固めたが、今は必要じやないんです。悪人だつて、今迄は、必要だつたんです。之からは必要はないんです。今迄は、善人と闘かつて、文化が進歩したんですからね。之からは必要はないんです。反つてない方が良い位です。時代で違つて来るんです。宗教だつて、今迄は――神道、仏教とあるが、之からは要らない、もうお役が済んだんですね。
「御飯と水の関係と同じで、出来上つたら要らないものを、要ると思つて居りますので――」
それを知らないから、何時迄も必要だと思つてかじり附いているんですね。時代が変つていくに就いての凡る変化ですね。そう言う事が分れば良いですね――無くても良い。なければならない――と言うのをね。それが、つまり「見真実」なんです。
………………………………………………………………
「今日の御教えに、後醍醐天皇のお話が御座いましたが、強大な僧兵とか、武力をつくる為に利用していたので、信仰心はないと思つて居りましたが、間違いで御座いましようか」
間違いですね。本当に大燈国師に師服したんです。
「王子を坊さんにして、北条氏にあたつたと言う事は――」
そうじやないでしようね。家来の中にはそんな事があつたでしようか、そうでないですね。大徳寺に行つて見ると、実際に大燈国師に師服したんですね。大徳寺と言うのは、後醍醐天皇の力で出来たんですよ。バラモンと言うと、物質的になりますが、それは後醍醐天皇は悟らなかつたでしよう。信仰し乍ら天皇になろうと思つただろうが、そこ迄悟り切れなかつたでしようが、霊的にそうなつているからしようがない。だから、そこは又、一寸難しい処ですね。信仰するそのものによつて救われて、そうして自分が、又別の欲望を抱いてやると言うのが矛盾するんですね。よくアメリカあたりが、キリスト教を利用して、日本を何うすると言うが、そんな事はないんです。牧師は、本当にキリスト教でやれば救われると言うのでやつているんですがね。然し政府は利用するか分らないですがね。然し、宗教自体はそんな事はないですね。戦争中だつて、日本の神道を軍部が利用したが、神官と言うのは別に、侵略戦争を助け様と言う観念は少しもない。唯軍部で――あゝせい、こうせい――と言つたので、それをやらないと、圧迫されるので、して来たに過ぎないんですね。
………………………………………………………………
「地方に参りまして、自然栽培が去年より悪いと言うのがあり、根本的に原因があるのではないかと思い聞いて見ました処、人糞の処理法がない為に自然栽培をしてない農家にやつて、その農家から、交換として藁を貰つて、それを堆肥に使つていると言うので御座いますが、その様にやると言うのは、一つの罪悪になるので御座いましようか」
悪いですね。薬を悪いとは知つていても、捨てるのは勿体ないと言うので、人にやる様なものです。藁を貰うのは構いませんよ。然し、交換すると言うのはいけないですね。
「その藁を使つた場合に、有肥の藁ですと、肥毒は――」
無論ですとも――影響します。
「それを使うと言う事は――」
肥料を食つた藁は勿論いけないですね。
「それを間違えて居りますので――」
間違えているんですね。大体、何時も言う通り、土の肥毒が抜けなければならない。処が、藁の肥毒が入つては、何んにもならない。薬毒が僅かあつても浄化が起る様なもので、肥毒が僅かあつても影響します。
………………………………………………………………
「こう言う事を言いますのが居ります。二年三年と自然栽培をやつて来て、土地に浄霊する場合に、人体と同じで、固まつているのを溶かす場合があるかと言うのですが、浄霊の為に、固つていた化学肥料を溶かすと言う事があるもので御座いましようか」
沢山肥料をやればありますね。やり過ぎている場合はね。兎に角溶けますからね。溶けるから土全体に肥毒が漲るから、それが害をすると言う事はですが、それも、一年なら一年作れば良いです。
「三年後に溶けると言うのは」
そんな事はありません。精々一年ですね。
………………………………………………………………
「大畑の、反当り二石四斗収れ、反当り三石四斗と書いてありますが、之は非常に収れ過ぎていると思いますが、土壌の性質に因るものでしようか」
それは、本来の土の性質もあります。肥料が多い少ないと言うんでなく、固まる固まらないと言うんです。固まると言うのは、余り良くない。つまり根伸びが悪いんですね。自然栽培では、伸び放題になるから、根がうんと伸びて、うんと良く収れます。固まるのは、根伸びが悪いからね。一番根伸びの悪いのは赤土ですね。赤土でも、固まるのと、固まらないのとあります。それから、黒土は固まらないんです。だから黒土は良いんです。だから、今迄は肥料をやると赤土が黒土になる。それで良いと思つたのが、やつぱり肥毒が邪魔するから、二一天作の五になる。堆肥で黒土になりますが、之は大したものですね。大体、栃木県の方は土は良いですね。腐朽土ですが、腐朽土は良いですからね。
「茨城では非常に悪くて、二石位しか収れないのですが、無肥料で致しますと、三割位余計収れます」
そうですか。埼玉は何うですか――静岡県は良くないですね。虫害が非常に多いですね。之は富士の火山灰の影響がありますね。火山灰でしようね。あれが相当残つているでしようね。
………………………………………………………………
「藁を他所から貰つて入れたもので、初年目減収すると言うのは――」
それは簡単に言えません。何故なら、藁が肥料を多く使つているか、いないか分らないし、土地の良い悪いがあるから分らないが、普通の藁より悪いに違いない。肥毒があるからね。そうしてはいけないが――それから藁、藁と、非常に藁を利用しますが、それ程ではない。何故なら、藁は土を暖める為ですからね。それから、切り方がある。大きく切つている人があるが、細かくするんです。一分以下ですね。それが、一寸位にしているのがあつた。粉みたいにするのが良いが、手間が掛るから一分位ですね。稲作は肥料が抜けるのは早いです。始終水がありますからね。雨が降つたりすると流れますからね。割合早いです。畑の方は溜りますから、御念が入つている訳ですね。
「浄霊すると、含んでいる化学肥料が浮いて来るから――」
浮いて来るんじやなくて、溶けるんです。
「浮いて来る様な形になりますので御座いますが――」
浮いて来ると言うのはね。古いのと新しいのがありますが、新しいのは溶けていくんです。肥料の霊が薄くなるんですね。化学肥料と言うのは汚たないですが、少なくなるんです。
「深い処にあるものが、浮いて来ると言う事は御座いませんでしようか」
それは、化学肥料が濃い場合ですね。非常に強い場合ですね。沈澱したりするのは、そう言うのは浮く場合もありますよ。然し、一年位のものです。それは、余程強くやつた場合ですが、普通はそう言う事はないです。
………………………………………………………………
「講演会に参りまして、化学肥料は人間の健康に害になると言うと非常に感銘しますが、私ら丈けが言つた丈けでは効果がありませんので明主様から、その事を御発表されたらと思いますが」
書いてないですか。では、今度強く書きましよう。ローデルさんので良いじやないですかね。
「成る程、化学肥料には、そこ迄原因があるかと、今迄は明主様の直接なお言葉がない様で御座いますが」
尤も、今度は今年の成績を材料にして、大々的に本を作つて、方々に宣伝すると言う計画でしよう、あれには書く心算りです。
「肥毒の浄化と申しますか、化学肥料は、自然栽培の場合は、早く抜ける様ですが、人糞の方は抜け悪いのです。人糞やつた方は、一年位は浄化戴く様で御座います。漢方薬と言う感じで御座います」
そうです。人糞と言うのは、非常に悪いんです。何故なら廃物ですからね。食物の一番悪いものを寄せたものですからね。
「自然農法をやつていると言うので、附近の田んぼから水を呉れないそうで御座います。然し上の方の充分に水を取つた田んぼは三割位しかなく、水を呉れなかつた為に一番良かつたと言う例が御座います。昨年は四俵位しか収れなかつたのが、今年は六俵位だそうで御座います。更に、肥料が流れて来た入口の処丈けは、反つて悪かつたそうです」
そうすると、何時も肥毒が入つた水を貰つていた訳ですね。結局、神様は皮肉なものですね。
………………………………………………………………
「新潟の山間部の方は中々成績が上りませんで、水が冷めたいのと下が砂利になつて居りますので――」
悪いな。
「客土をさせて戴きますと宜敷いでしようか」
そうですね。石なら――今迄も同じでしよう。
「大体二石以下で御座います。肥料をどんどんやつて収つておりました」
そういつた、土が悪いから、肥料でも余計やらなければならないと言うので、普通より余計やつたんですね。それを抜くには、普通より余計かゝりますね。山なら、客土は楽だから、結構ですよ。そうして、肥料をやらなかつたら、馬鹿に良くなります。
………………………………………………………………
「山で、余り大した物は収れないんですが、去年も駄目でしたので、肥毒の為だろうと言い、それでは赤土を足して見たらと言うので、五分位の厚さにばらまいて見ましたが、とても収れました。それを見ていた附近の人が、肥料を入れないで、楽をするのは良いから、教えて呉れないかと言うので、やつたんですが、向うは収れないんです。君は之(浄霊)を知らないから入信しろと言つてやると、教修戴く様で御座います」
それは反つて、宣伝になつて良いですね。
「最近、新潟県の西蒲原と言う処は、非常に成績が良く、一般は虫害がひどいのですが、お光様は肥料をやらなくて収るんだから、お前達も肥料を減らせ、お前達はやり過ぎるんだと指導者が言うので御座います」
そう言う処はちよいちよいあるんです。肥料はやり過ぎてはいけないと言う事は、あつちこつちで、輿論になつてますね。
「台風が参りましても、私等は瓦が動く事も知りませんで過ぎて了いますが、川一筋を隔てたとか、一軒飛び越して、信者さんの家は何とも御座いませんが、一般はひどい様で御座います。今度は台風の奇蹟座談会をやろうと思つて居ります」
良いですね。
「自然栽培で素人に一番分るのは、隣の有肥とは光沢が違つております事で御座います」
そうです。色が何となく、気持が良いですね。人間で言えば器量が良いんです。光沢が悪いのは、こ汚たない顔ですね。骨折つて悪い――薬飲んで苦しむ様なのですね。
………………………………………………………………
「箱根の旅館の女中が、メシヤ教の方は皆眼が澄み切つていると言うので、当り前だと言いましたが、又こんなに沢山而も度々お出でになつているのに、お道の話をしないのは、何う云う訳かと言いますので、何の為に九州の端から来るかと言う事だ。そつちで聞かないのが不思議だと言つてやりましたが、やはり、目つきを見れば、他の者にでも分るので――」
私なんか、往来を歩いていて、電車道なんかに、五人や七人は立つて居ますが、顔を見ると、皆悪相ですね。兎に角、嫌な目つきですね。メシヤ教には、それがないですからね。何処か、皆親しめる様な――違うんですね。感じが良いですね。だから、メシヤ教信者になれば、今迄嫌われていたのが、好かれるとか――好感を持たれるんですね。
「お道について、色々話しても、直ぐ入りませんが、それは神様のお許しがないので――」
そうです。分らないのを無理に入れ と言うのは、極く悪い。放つたらかして置くんです。すらすらと行つて分るのが一番良い。
………………………………………………………………
「京都で、書画御観覧の時、大燈国師の看読真詮 (カンキンボ)の時ですか、疲れる疲れるとおつしゃつて居られましたが、大燈国師の高い霊が、明主様の霊と、何と言いますか、相うつと言いますか、一つの霊的現象が起つているのではないかと思つて居りますが」
あれはね。文字自体から霊気が出るんですからね。それからの圧力を感じるんです。私の処に宋の青磁があるんです。九百年前のですね。それを見ると疲れるんです。名人の霊が入つているんです。それが、何時迄も入つているんです。だから、それを見ると打たれるんです。それですから、がつかりするんですね。あれは不思議ですね。あれを見ると、私は打たれるんです。陶器ですがね。
「大燈国師のなんかも、霊がこもつているので御座いましようか」
そうです。良い霊――強い霊がですね。私なんか、強く感じます。
「真善美が完全に宿つたのかと思いまして――」
真善美と言う事は、霊が高いからです。
「御観賞して居られます真剣さには、側の者が疲れます」
自然ですね。
「鋳物の仏像に作者の霊が入つているもので御座いましようか」
同じ事ですよ。鋳物だつて、あとで磨いたり、色々しますからね。
「疲れると言う。そう言う場合には真善美全きとは言われないのでは御座いませんでしようか」
それは、疲れ方が違う。変なもの見たつて疲れます。良い気持に疲れたんですね。喧嘩して擲り合つて疲れたと言うのとは違いますよ。
「心憎い程の芸をやると同じで――」
そうですね。
………………………………………………………………
「白鶴には中々良いものが――」
ありましたね。素晴らしいものですね。
「白鶴と言う家には、未だ相当良いものを持つているので御座いましようか」
この間出ていたものが大部分で、あとは大したものはない。
「大変難かしい字が書いてあるんですが――」
器物の名前ですね。あれは日本の字がないんですからね。支那の字ですからね。何しろ花生けでも、一字で現わしている。分らないですよ。私はそう言う事は見もしないからね。良い物がありましたね。
「宮田と言う人の字は如何で御座いましようか」
大したものですね。あれは相当な地位にいつて良い字ですね。あれによく似たので、中村不折と言うのがありましたが、不折よりずつと上です。世に出さなかつたので、天下に埋もれていたんですね。脱俗的な字で、俗的な臭みがないですね。
「私等には全然分りません」
それは、沢山観て、頭を養わなければね。
………………………………………………………………
「ロシヤの芸術品と言うのは、日本にもありますのでしようか」
ロシヤと言うのでなく、東洋ですよ。西蔵ですね。あつちの、何とか言う――ヨーロツパに行かない方ですね。
「黒海の北の方で――」
そうそう。
「ロシヤには、そう言うものはないので御座いましようか」
何もないです。ギリシヤの文化で、それから、段々支那、印度――印度は一寸系統が違うが――支那に行つたんですね。一方は、別に分れて印度に行つたんですね。結局世界の芸術はギリシヤですね。
………………………………………………………………
「菜葉、大根の種等は、午後三時過ぎから播いたのは虫が来ない。朝播いたのは、虫がつくと言う事を言つて居りますが」
そんな事はありませんよ。処がね。こう言う事は言えます。熱い処で朝播いたのは、熱くて日当りが良い為に、乾燥します。朝播いたのは余計乾燥しますね。午後三時に――播いたのは、夜になつて、乾燥しないから、虫がつくとかつかないとかそう言う事がありますね。だから、種を播くのは曇つた日が良いですよ。曇つて、小雨が降る様な時がね。播いて、乾燥すると言うのが一番いけないんです。
「虫のつき方でも、成長が違つて居ります」
無肥料になれば、そんな事は問題ではない。
………………………………………………………………
「千葉県の方で、自然栽培をやり、村でも評判になり色々言われているんだから、どうせの事に、看板をあげて一年目の時は一年目と書いて立てましたが、素直に立てたのは成績が良く、渋々やつたのは成績が悪いので御座います。汽車に乗つて居りまして見えます。大きな看板を見て驚く人、笑つている人、熱心に聞く人と分れて居ります。反収一俵半位増収の見込みで御座います。村中の評判になつており、その為に五、六人入信致しました」
それは、意気込みが違いますからね。思案すると、それ丈けね。稲だつて生きているんですからね。稲だつて「よーし」となります。
「言霊の働きは力があるんだから、文字にもあると思い、看板を立てたので御座います」
そうですよ。浄霊だつて文字でやるんだからね。何と書いた。
「世界救世教自然農耕法何年目と名前を書いてます」
全部書いたね。言霊で「田んぼに、うんと実を生らして呉れ」「頼むぜ」「うん」とね。
「肥(コヤシ)はやらんと言つてやりました」
そうすると、作物は喜びます。作物は、肥量の為に何の位苦しんだか分らない。沢山生りたいと思つても、それ丈け邪魔されるんだからね。
「私は、少し位やつたのは、近所の臭い丈けで参つちやうと言うんです」
試しでも、ちゃんとやれば良いがね。
「農家で、自然農法の事を色々聞いて居乍ら、試しにやつてみようと言つて居りましたが、そこに居る女の子の頭が禿げて了いました。一反の中一畝しかやつて居りませんので、頭も九分の一は生えるだろう。全部自然栽培でやれば、頭も全部生えるだろうと言つて居りました。今では立派な女になりました。やつぱり、試すと言つても他で見ていて知つていたら、全部やらなければ――」
然し普通は、試すんでも、それで良いですよ。結局分りますからね。
………………………………………………………………
「藁は冬入れて置いても宜敷いでしようか」
良いですよ。早い方が良いから、冬でも良いですね。
「肥料と言う観念が取れない為に、暖めると言つても、肥料と言う感じが出て居る様で御座います」
ありますね。追々取るんですね。
………………………………………………………………
「十一日に御開示戴きました、湯田中のカフエーの女給の霊憑りの事で御座いますが、生霊が憑り、お金を置いて行つた筈だ。返せ。タンスに入れてあつた筈だ。と言うのです。又霊的に警官が、返せ返せと言う事が、色々ありましたが、お言葉戴きまして、十二日に生霊の方から改心した。大変申訳なかつた。之から立派な人間になつて、お詫びに参ります。と言つて居りました」
湯田中は、私は暫く行つた事があるんですがね。渋温泉。安代。上林ね。
………………………………………………………………
「志賀高原に平和池と言うのがあり、又高天原、龍王山とありますが、霊的に意味が御座いましようか」
無論龍神が居るんですね。志賀は通つた事がありましたがね。戸隠山に行く時にね。
………………………………………………………………
「台風により、家が吹きまくられそうになり、主人が留守中なので奥さんが、子供二人をかゝえて、近所に避難しました。家は雨戸を吹き飛ばされ、御神体もはずれ、雨戸が上に乗り、全体的に雨に濡れましたが」
経師屋に直して貰つたら良い。そうして、出来上つたら持つて来なさい。ちやんと浄めて霊を入れて上げます。
………………………………………………………………
「寝てから半分白眼で、くるくる動かしますが、霊的で御座いましようか」
霊的ですね。
「人霊の働きでしようか」
人霊もありますけれども、多く動物霊ですね。大抵、寝て色々するのは動物霊が大部分ですね。又、人霊と動物霊がくつついているのもありますしね。然し、浄霊すると治りますよ。目を開いて死んだ霊なんか憑くと、そう言う風になります。
………………………………………………………………
「病院の院長の奥さんが、一生懸命やつて居り、院長の姪、看護婦、運転手、病人等の浄霊を頼まれて居りますが――」
結構です。やつたら良い。
「姪が御奉仕させて戴きたいと言うので御座いますが――」
どうせ、今に滅びるんだから、早く滅びた方が良い。余り無理がない様にしたら良いですね。段々そう言う風になつて来たね。
「院長は、私がやつては神様に罰をあてられるから、お光さんの方に行けと言いまして、良心的な医者らしく、貧乏人は何処迄も只でやつてやると言う様で御座います。只と言う事は、このお道からいきますと、いけないと思いますが――」
神様の方は、只どころか。
………………………………………………………………
「荒屋虎吉と言うおじいさんの家では、次々と不幸があり、最近おじいさんが結核で重態となり、長女は主人が亡くなり家に帰つて居ります。亡くなつた長男の子供が癲癇の様で、三歳位の頭脳です。明治になつて、お稲荷さんのあつた処を、道路を作る為に、上の方に移して居りおじいさんは猟人をして居りました」
霊的にも色々ありますね。頭脳の程度が三歳位と言うのは、赤ん坊の死霊ですね。赤ん坊が死んで、祀られていないとか、あんまり正当じやない死に方ですね。
「癲癇の時、顔が黒くなります」
そう言うのは、中々治らないですね。治らない事はないが、相当暇がかゝりますね。光明如来様は未だお祀りしてないですね。
「左様で御座います」
お祀りして、一生懸命信仰して、人助けをすると、段々良くなります。
………………………………………………………………
「岐阜県の或地方で、昔藩主が寺を廃止させて、神道に変えたそうで御座いますが、最近メシヤ教に入り、仏壇を買つた方が良いか、何うかと言うので御座います。神社神道で御座います」
氏神様か、何かですか。然し、神社神道位で、仏さんを止すと言うのはね。余程前ですか。
「百年位前だそうです」
「殿様が、仏教を全部取片附けさせ、古い家には仕舞つてある処が御座います。明治になつてで御座います」
そうです、明治には――あの時は神仏帰著でね。そう言う時代がありましたね。然し、それは殿様の命令でやつたんですか。命令でやられたのは、余り祟ると言う事はないんです。然し、自発的と言うのは怒ります。
「宗旨を覚えていないのは、今にメシヤ教の祀り方が出来るからと言つて居りますが――」
良いですよ。けれども、やつぱり霊界を作つた方が良いからね。唯、先祖代々の位牌と屏風観音様で良いでしよう。要するに、救われても居所がないから、その居所を作つてやるんですね。
「神道と仏教と両方で御座いますが、区切つた方が良いと言う事を聞きましたが――」
無論、区切つた方が良いです。
「御屏風観音様は何処が宜敷いでしようか」
屏風観音さんは、神仏両方だから、両方に通じなければならない。下の方は霊界は違うから仕切つた方が良いですね。
「一度変つて居り、元の宗教が分らないと言う時には如何致しましたら宜敷いでしようか」
そんな事はないがね。何時頃ですか。
「親の代からと言う事で御座います。当人達は何も関心持つて居りません。名前も分りません」
親戚は。
「やはり、良く調べてやるので御座いましようか」
そうです。真宗なら真宗の霊界があるし、日蓮宗なら日蓮宗の霊界がある。喰い違うと面白くない。
………………………………………………………………
「四十九日の場合に月が三カ月に亘る時は、三十九日にすると言いますが――」
そんな事はありません。四十九日です。
………………………………………………………………
「主人は神道で、奥さんが仏教ですが、長女を祀らなければならない事になりましたが――」
真中に屏風観音様さんを祀つた丈けでそれで良いです。
………………………………………………………………
「二代三代とキリスト教で、メシヤ教に入り先祖を何うして祀つたら良いかと言うので御座いますが、昔は仏教であつたに違いないのですが、宗旨が分らないので御座います」
宗旨が分らなかつたら、真言宗にしたら良いでしよう。と言うのはね、弘法さんは極楽だからね。他の、親鸞だとか日蓮は何だからね。
「戒名を真言で作つて貰つても宜敷いのでしようか」
そうですね。何しろ、そうしなければ居所がないですからね。西洋はそうなつてますが、東洋はそうではないからね。そう言う様にしなければならない。
………………………………………………………………
「荒屋虎吉の事で御座いますが、明治になつて、国道を通す為に、村社だつたのを移したので御座います」
今もあるんですね。
「その村社は構いませんので、荒(サビ)れております」
産土の神様に祀られてたんでしよう。それは、稲荷さんが随分困つてますよ。普通の稲荷と違つて、それ丈けの格式を得たのが落されると、中々狐は忘れませんからね。現在、産土神社はあるんですか。
「存じません」
新しいんですか。
「本式でなく、村の有志の方達が――」
無論、有志も祀りますが、何時頃かね。
「分りません」
今度調べて置きなさい。何とかしなければ駄目ですね。そうすると、今度は、うんと幸せになります。お礼にね。そこのお宮の中に祀つても良いですね。或いは、そこの家でも良いですよ。そこは、光明如来様は未だですか。
「未だで御座います」
お祀りしてから、そこの家にすれば喜びますからね。
「現在のお堂は家の外に御座いますが」
家の庭に入れなければならない。あなたの守護神と言う事になりますからね。一つの役が出来ますからね。さもなければ、有志と相談して、産土神社の中の一部に祀つて貰うか、どつちかですがね。有志と言つても、今の人は信仰心が無いから、面倒臭いからね。あなたの家の庭があるでしよう。そこに移せば良いですね。
………………………………………………………………
十一月五日
「自然農耕の栽培を熱心に致し、今年で四年目で御座います。初年目は五俵収れましたが、粒数は少なく九十から百ですが、質は村では一等米でありました。二年目は非常に成績が良く五俵三斗で、平年作より一斗多く、質も非常に良好でありました。三年目は株が十二株から十八株あり、粒数が百二十以上であり、六俵一斗と言う成績でありました。四年目の今年は、未だはつきりしておりませんが、大体七俵は間違いないと言う事で御座います」
ちやんと、私が言うのときちんと合つているね。今年は質も良いですね。農会に出したら喫驚りするでしよう。そう言う具合に、一年目二年目と増えていつて、五年目で五割増しと言うので確実ですよ。丁度そうなりますね。来年になれば五割増しになりますね。今年は虫害が多いが、それがないから大変なものです。五年で五割増したら。五年で日本の食糧問題は解決して了う。それから、肥料代、労力が節限されるからね。今年の成績によつて、日本全体に大々的に宣伝しようと思う。
「飛騨の乗鞍の山麓で、海抜八百米の寒冷地で、水の潅漑が宜敷くありませんが、今年は五年目で、未だはつきりしておりませんが、昨年は平年作が五俵から五俵半位の処で、十一俵一斗ありました。今年は十三俵位はあろうと言つて居りますが、未だはつきりしておりません」
そう言うのは精しくやつてね。総理大臣から各大臣、国会議員、新聞社から、全部配つて、方々に講演会を開いて、一ぺんに日本中に分らせ様と思う。日本の食糧問題はメシヤ教が一挙に解決して了つたと言う様にすると訳はない。一ぺんに救世主的にね。今、日本で困ると言つても、一番困るのは、米の問題だね。幾ら色んな事をしても、今年は減るのでね。去年よりか減つているのでね。食糧を輸入しなければならないと言つているが、千何百億だからね――輸入するのわね。之を一挙に解決すれば問題はないです。日本に解れば、今度は世界的ですからね。世界的になつちやう。
………………………………………………………………
「芋も人糞を使わない処は成績が宜敷う御座います」
芋は一年か二年で倍化する。と言うのは、百姓は、芋には余り肥料をやらない方が良いと言うので、それで成績がよい。その次は豆ですね。
「名古屋近傍では、肥料を沢山入れて居りますので、初年目は収入皆無と言う状態で、それを辛抱すると良くなつて参ります」
そう言うのは客土が良いですね。然し、客土と言うが、浄霊が良いですね。肥料と言うのは、汚物――汚たないんだからね。人間で言えば毒血みたいなもので、こう(浄霊)やれば、毒分が溶けていくんです。薩摩芋も今迄は細長かつたが。無肥料になると丸くなる。細長いと言う事は余りない様になる。肥るからね。目方なんか、倍位になる。
「今迄は、埋けて置きますと腐ります」
腐り易いです。毒だからね。芋の貯蔵なんか無肥料だと楽になりますね。
「米も大変違います」
そうですね。
「じやが芋は北海道のが良いと言う事を言つて居りますが――」
肥料の為ですね。北海道は広いから、肥料をたんとやれないからで、考え方が馬鹿々々しいですよ。芋は暖かい方が良いんですからね。それを、北海道と言うのわね。無肥料のは良いですからね。
「よく、土があつているんだろうと聞きましたが――」
だから、土ではなくて根本が分れば色んな事の間違いが、実に良く分ります。無肥料の米を食つていると、肥毒が人間に入らないから、曇りが少ないから毒血が少なくなるから、病気も起らなくなる。けれども薬を飲んでは何んにもならないがね。そうすると、人間が非常に平和的になる。そうすると、戦争を好まなくなるから、戦争が無くなる。
さつきも論文で言つたが、悪と言うのは必要だつたからです。物質文明を発達させるのに必要だつたが、もう戦争は必要なくなつた。丁度、恐龍やマンモスが地球を踏み固めたが、軟かかつたから踏み固めていたが、固まつたから要らなくなつて、ああ言うのは無くなつた。必要があれば有るので、必要がなければ無くなる。悪も戦争も、今迄は必要があつたからだが、もう必要が無くなつた。むしろ、無い方が良い。その手段としては、神が有ると言う事を見せなければならない。見せなければならないと言つても、理窟ではいけないから、メシヤ教でやるとどんなに頑固に言つても病気が治るので、頭を下げて来ると言う事になる。その点がはつきり解れば何でもないですね。私がその役割なんだから、病気も農作物でも、実際の証拠を見せてやつているんです。理窟は同じなんだからね。
「養蚕も非常に骨を折つて飼つて居りますが、桑に肥料をやらなければ楽だそうです。それに糸質も良くなります」
糸質も、そうですね。だから之が分つたら大変なものですよ。日本はひつくり返りますよ。兎に角、日本人は全部頭を下げるよりしようがないですね。「⇒文明の創造」も、大体三分の二か、四分の三位出来ましたからね。今度は天国篇ですね。五六七の世の色々な――全ての機構ですね。何しろ新聞、雑誌からお守り書いたり、御神体を書いたり、それから地上天国の指図をしたり、それから美術品を研究し、多少集めたり、色々する。だからして仕事が多過ぎるんですよ。よく八人芸と言うが、私は十人芸位しているんですからね。唯、私は仕事が早いですからね。ですから、この間、京都の博物館で屏風を見ましたがね。六脚の屏風をね。それで五、六本見るのに五分位ですね。
それから、やつぱり仕事をするにも、人間は急所があるからね。だから急所を発見するのが早くなる。このテーブルを切るのに、何れが急所かを見ると、之丈けやれば良いんだからね。急所をやるのに、早く見附ける様になれば良いんだからね。だから、み魂を磨くと言う事はそうですからね。それが非常な能率増進になる。病人でもこの病人の急所は何処にあるかと言う、急所の発見だね。そこ丈けをやれば良い。だが、よく急所をはずれている事が多いので、幾日もかかつたりする。
………………………………………………………………
「御守護お願い致しました船橋徳次ですが、疑似胃癌ではないかと感じて居りましたが、非常に殺菌剤を用い、淋毒性のを若い頃使つて、一年位軍隊で入院しアルバジルを――」
アルバジルは悪いんだがね。アルバジル中毒で死にますからね。
「肝臓の処にあります」
薬毒だね。
「胃の処にもあり、浄霊を始めますと、非常に痛がります。暫くしてから、下つて楽になります。排泄は大、小便共相当にあります。微熱が続き食欲不振で衰弱して居ります。之はやはりこの固りを浄霊するので御座いましようか」
そうです。うんと力を入れないでやる事ですね。薬毒だからね。唯、問題は衰弱だね。溶ける間に、衰弱回復の方が勝てば良いがね。特に背中だね。後だね。
「固りのある裏の背中を浄霊するので御座いましようか」
そうです。この固りが、元はやつぱり背中にあるんだからね。それが溶けて来て、ここ(肝臓)に来るんです。
「戦争中にクレオソートを使いましたそうです」
材木の腐るのを止めるものですね。電信柱に塗ります。馬鹿なんですよ。あんなものを飲むとわね。
「寝ますと、奈落の底に落ちていく様な感じがし、その時頭の上を親指で押えつけ、ウトウトしたら手を放せと言いますが、頭と背中の関係が――」
今迄、やつぱり頭に薬毒が固まつているんです。人間は考えるでしよう、心配したりして――使うと、背中のが寄つていくんです。平均浄化を起す。こつちが(頭)溶けるから、こつち(背中)が溶けるんです。頭は固り易いからね。そう言うのは、特に後頭部です。
「そうなりますと、急所が難しい様で、何処もかもある様で御座います」
何処もかもあるが、その中で一番の急所です。と言うのは薬毒ですよ。飲み薬をのんで仰向くでしよう。それで、胃に固まるのではなく、背中です。胃に固まる事はないですよ。唯、胃の底に固まる事がありますがね。何処に固まるかと言うと、胃から滲み込みますからね。寝ているから背中の方に押していつて固まる。背中の方は、胃の様ではないから、固まりつぱなしになる。或る程度固まると、浄化が起つて、胃に戻つていくから、戻つたのは大変な毒になる。それが、ここ(胃)に固まるんだ。固まると、不思議なもので、出ないですよ。背中から来ると、そつくり固まつちやう。早いです。その固まりが、人によつて、下の方に固まつたり、臍の方に固まつたりする。癌なんて言うのは、皆んなそうです。
「突き上る様になりますが――」
之が浄化ですね。溶けるんです。こう固まつたのが溶けると、増えるんです。下にいかないで嘔吐する様になるんだね。胃から腸に行く――幽門――そうですね。それが下にいかないんです。毒素のどろどろしたものが、幽門に支(ツカ)えるから、幾分か下にいくが、大体は突き上げる。幽門狭窄だね。幽門の廻りに毒素があつて、幽門の廻りで、幽門を圧迫するから、そこから出ようとしても出られないから、突上げる。だから、幽門狭窄は嘔吐が起ります。慢性嘔吐と言うのは、幽門狭窄ですよ。
「腹が膨り、腹膜みたいになつて居ります」
幽門から出ないからね。他に行つちやうからね。皆んな、薬と言うものは、それ程悪いとは思つていないからね。普通の薬なんか、全然気に止つてないですね。人によつては、薬を飲んだ事はないと言うんですよ。と言うのは、西洋の薬だと思つている。持薬で飲む漢方薬は問題にしてない。センブリだとか「げんのしようこ」ですね。煎薬はと言うと、それは飲みましたと言う。それから、火傷、怪我した時の消毒も、何でもないと思つている。この消毒薬が皮膚から滲透して、大変な病原になるんだからね。井上さんなんか、始終後頭部が痛んだり一年に一ぺん位足にね。背中に瘍疔が出来て、手術したそれですからね。飲薬じやない。消毒薬ですからね。背中を始終痛がつているが、頭に来て、それが足に垂れていつてなつているんです。
………………………………………………………………
「岡山県の一信者で御座いますが、元神社の神職にあつた人が住んで居た家を十六年前に買入れ、家は村社稲荷の直前にあり、その家に、十五年に伏見稲荷を五社大明神として祀つてあります。妻は十六年に腸チフスで死亡。長女も癲癇にかかりましたが、只今は殆んど全快致して居ります。兄弟四人は船舶業で御座いますが、仲が悪く旨くいかないので、日々心を痛めて居ります。之は、家がお宮の直前にある為でしようか。又は神職の家であつた為に位負けがするのでしようか。又稲荷を祀つている事が悪いのでしようか。光明如来様、御屏風観音様は御奉斎致して居りません。如何させて戴きましたら宜敷う御座いましようか」
それは、神職であつた為でもなければ、お宮の前にある為でもない。稲荷の為です。稲荷を拝むと言う事は、何うして悪いかと言うと、古い本に書いてありますが、大体稲荷と言うのは、百姓が稲を守つて呉れと言う丈けのもので、他に何にも意味はないですよ。だから、稲荷と言うものは、外に祀らなければならない。田んぼの一ケ所を綺麗にして、そこにお宮を作つて祀るんです。人間の家で祀るべきものではない。人間の家に祀つて拝むと言うと、狐は下を歩いているものです。地以下です。狐を拝んで居れば、霊的に地獄になつている。狐の方で人間を拝むなら良いが、人間が狐を拝むと言うのは、狐以下になつちやう。狐以下の運命になるよりしようがない。だから、狐を祀つて拝んで居れば、必ず不幸になります。と言うのは、先にも言つたが、狐と言うのは、大体、天照大神様が、最初日本の人口が増えるに従つて、米を沢山作らなければならないと言うので、豊受明神に命じて、早く日本中に稲田を配る様にと言うので、豊受明神が狐に命じてくわえさせて配られた。だから、豊受明神と言うのは、狐に乗つて、狐が稲をくわえているでしよう。そう言う御神体です。だから百姓は狐にお礼を言つて、稲作を御守護して呉れと、お宮を作つてお参りしたものです。処が狐の奴、自分の職務以外の範囲にのさばつて来た。と言うのは、力があるからね。中々霊力があるからね。終いには、日蓮上人と仲良くなつて、日蓮宗は狐を利用して開いたものです。そんな様にして、段々狐が一大勢力を得て来た。豊川稲荷、伏見稲荷だとか色々出来た。狐を家の中に入れて拝むと言うのは、地の下になる事になる。併し無暗に帰らせたり、処分したりすると怒りますからね。併し、狐も色んな御利益なんか与えるから、人間の方が乗つちやう。併しそれも一時的で、段々地獄の方に行つちやう。だから禍がある。だから、光明如来様をお祀りして、少なくとも一年以上経つてから、正式にお祀りしてお帰りを願う野狐と違つて、伏見の稲荷は良いですからね。解りが良いですからね。一年以上経つたらそうすれば良い。光明如来様は最高の神様だから、霊界が天国になるから、禍が来ないで、良い事許り来る事になる。
………………………………………………………………
「大光明如来様を御奉斎の一信徒の家で、仏壇の向きが、構造の関係で東と南で、北にならないので御座いますが」
何処でも良い。向きは差支えありません。
………………………………………………………………
「出張所をやらせて戴く場合に、着きましたと同時に、お参りさせて戴くべきでしようか。信徒が一番集まるのは、一時か二時ですが、その時一緒にすべきでしようか」
それは、其処に着くと、其処の家に行くんでしよう。そうしたら、直ぐやつたら良い。出来る丈け早い方が良いですよ。祝詞を奏げてね。
「信徒と一緒にするのは差支えありませんでしようか」
差支えないじやない。結構です。それは意味が違う。着いた時は、之からの御守護とお礼で、信徒と一緒の時は、信徒の御守護とお礼です。神様の事は几帳面でなければならない。
「帰りには――」
帰りは、無論お礼と――そこに滞在中のお礼と、信徒の今後の御守護と、それで構いません。来た時も、信徒が集つているなら一緒で良いが、そうでなく、行つた時自分丈けだつたら、切離すのが本当です。
………………………………………………………………
「私の教会は、豊川稲荷の直ぐ際ですが、傍に五社稲荷もあり、信徒の中に、元豊川稲荷、五社稲荷の檀家の者が居りますが、この場合、この人々が参詣したり――出入りする為に、私の教会に禍すると言う事は御座いませんでしようか」
飛んでもない。そんな事を考える必要はない。狐より光明如来様の方が、ずつと上です。一時は邪魔しようとしますよ。併し、或る時にいくと、徹底的にやられますからね。狐だつて、改心したら立派なものです。中々働きがありますからね。狐でも神様の御用をしているのがありますからね。そう言う狐にすれば良いんです。
………………………………………………………………
「二十八才の女で、自殺しようとしてアドルム三十錠と他に十錠程飲み、五時間程して他の人が気附き、頼まれて行きますと、医者が来て、注射を五、六本打ち、病院に入院する様にしてありました。医学の方では、駄目だろうと思つて居たのが、二日間経つて気がつき、一命は取止めました、それで、連れて帰ると言つて、連れて帰りましたが、浄霊を戴いて、経過が宜敷いのですが、そう言う場合は何処を浄霊したら宜敷いでしようか」
飲んだんだから、それこそ背中には行かないから、胃腸ですよ。
「頭が具合が悪いと言うので御座いますが――」
それは、中毒によつて、頭にいくのもあるから、そうしたら頭をやつたら良い。意識は――
「殆んど回復して居ります」
何んでもないですよ。中毒と言うのは一時的なものです。だから、メチールでも、何でもないですよ、一時的なものです。メチールも頭に来ます。
「滞こつて、後で身体が悪くなると言う事は――」
そんな事はないですね。絶対ありませんよ。良かつたか、悪かつたか分らないが、本人は死ぬ心算りだつたんだから、助けられて申訳ないが、原因は何んですか。
「失恋ですね」
それは、思いつめれば――失恋すれば、そう言う事になりますね。だから大いに同情して良い。
………………………………………………………………
「火傷の時に浄霊すると、打撲傷と同じに非常に痛む事がありますが、清水をかけて浄霊すると楽になりますが、清水をかけても宜敷いでしようか」
良いですよ。結構です。火傷した直ぐは、水をかけた方が良いですよ。緩和するからね。焼ける奴がそれ丈け減るからね。
………………………………………………………………
「地上天国第二十九号の『教えの光』に、応神天皇の事が出て居りましたが、何う言う事で御座いましようか」
解答はそれで良いじやないですか。
「前に応神天皇が明主様の御前世と――」
関係があります。
「邪魔するのがおかしいと言うので御座いますが」
そんな事がありますよ。私だつて、生まれてから、今の様ではなかつた。無神論のカチカチだつた。金が儲かつたから、共産主義を助け様と思つて、共産主義のシンパ(同情者)あれをやろうと思つた。だから、神様なんか信仰しているのは癪に障つてね。ああ馬鹿な奴がと思つていたけれど、私は悪い事はしなかつた。良い事はしたかつた。良い事をするのが本当だと思つた丈けで、神と言う事は――神なんかあるものかと思つていた。だから、反対者と言うのは、解ると割合良いんですよ。強い反対者は強く解つて来る。どつちでも良いと言うのは、一番困るんです。反対なら反対するのは、一つの信念を持つているんだからね。相手が間違つているから反対すると言う。その意志の強さですね。それが、くるつと変れば良いんですからね。反対も賛成もしない、どつちつかずの奴が一番困るんです。そう言うのに限つて、信仰しろと言うと、信仰は結構ですね結構ですねと言う。
「何でも素直にと言うのが――」
それもあります。要するに、世渡りの修業が積んだ人がそうです。それから、そんなに立派な信仰があり得べきものではない。どうせ、気の弱い者が掴まるものだと思つているからね。
………………………………………………………………
「二十九才の男子、二十四年入信。当時胸が悪く、御浄霊により良くなり、現在工場に働いて居りますが、一日に数回、目の前に赤い日の玉が見え、大きい時は直径二、三寸位で、小いさい時もありますが、何う言う訳で御座いましようか。光明如来様は御奉斎致して居りますが、御屏風観音様は未だで御座います」
それは時々見えるんですか。始終ですか。
「最近は始終で御座います」
光明如来様をお祀りしてからですか。
「左様で御座います」
それはやつぱり、その人の祖先で相当神格を得たそれが御守護しているんです。それが、普通は出ていても、玉になつているんです。形をしようと思えば出来るんですが、普通は玉になつているんです。それが見えるんですね。
「目をつぶりますと目の先に、やはり大きいのは二、三寸の火の玉が見え、黄色でそれから紫色の様に輝いているのが見えると言うので御座います。浄霊している時、軽く目をつぶつていると見えるそうです。私が天津祝詞を奏げましたら、消えました。何う言う訳で御座いましようか」
それはそうでしよう。玉が下にいくからね。頭を下げるからね。祝詞と言うのは、最高のものだから、それによつて喜んで聞く訳だね。敬虔な態度をもつてね。
「先程と同じ意味で御座いましようか」
同じ意味です。玉の性質によつて色が違いますね。色んな神格を得てますからね。日の系統、月の系統とあります。白つぽいのもあります。赤いのは日の系統、白いのは月の系統、黄色いのは伊都能売になる訳ですね。皆んな信者のそう言つた祖霊が、正守護神に出世するのもあるが、別に憑くのもある。そこの家の祖先なら、祖先が、大いに人助けをして、自分の系統の罪ですね。それを減らして貰おうと言う意味だから、色々と信者に気附けがありますね。危急な処を助かつたりね。そんな皆んな、その霊が助けるんですよ。始終憑いていてね。助けるのは、相当な力を持つている訳ですね。兎に角、メシヤ教に入ると、そう言う正守護神にしろ、断然力が増えますからね。
………………………………………………………………
「先月の今日御守護御願い致しました亥角峰吉で御座いますが、御守護戴きまして、大変良くさせて戴きました。娘さんで御座いますが、小さい時に弱かつたので、行者に見て貰つた事があり、石があるから、それを探してお祀りする様にと言われ、子育地蔵さんとして、今日迄拝んで参りました。光明如来様をお祀りさせて戴いてから、その御前に子育地蔵さんの石を安置して一年程になりますが、何う処置を致しましたら宜敷いでしようか」
それは、時々お祀りでもするんですか。
「別に致して居りません」
その儘で良いじやないですか。未だ、処置しないでも良いでしよう。少しでも置いてやつた方が功徳になります。やつぱり、一つの守護をしますからね。地蔵さんが悪いんじやない。良いんだからね。
………………………………………………………………
「お道に入り、結構な事だから、之を専門にやつて行きたいと言つて、専門にやらして戴いても、中々――二年になり三年になつても、食べて行けなくなる様な事がちよいちよいありますが曇りが多い為で御座いましようか」
曇りが多いか、何処かに信仰がはずれているか、両方ですね。やつぱり、軌道に乗つてないんですね。軌道に乗れば良くいく。
「自分にはその資格がないのかと思うので御座います」
そんな事はない。人間で、資格がないと言う事は絶対ない。はずれているんです。うんと御神書を読むんですね。之はだね。病気が治りさえしていれば、縋つて来る人が多くて困る位のものですよ。そうしてお蔭を戴けば、お礼をしなければならないしね。
「地方では、メシヤ教に治して貰つたら――神様にはお金を使わず治して貰えると言う様な事を言つて居りますので――」
最初はそうですよ。然し本当にお蔭を戴けば、そうしては居られないですよ。そう言うのは、信仰が違つている。何故なら、人によつて、非常に発展する人と、発展しない人がある。非常に発展するのは、良く合つているんですね。発展しないのは、こう思つて改善していかなければならない。そう言う場合には、時々その人が小乗信仰ですね。そう言う場合が多いです。発展しないのはね。だから、やつぱり大乗信仰でなければならない。気の小いさい人は発展しない。気の大きい人は発展する。そうでしよう。気の大きいと言う事は霊が大きいので、魂が大きいと、教会もそれ丈け、発展する。気が小さいと、いじけているので、教会も小いさくなる。だから、メシヤ教は何んなに大きい考えを持つても良い。世界中を救うと言うが、空念仏ではないんです。実際に効果をあげているんです。
「その場合に、神様を信用申し上げると言う事は、お任かせする様になりますが、本人自身はそこ迄到達して居らず、信用出来ないので、無理に自分から信じて了う様にすると言うのは――」
いけないですね。信じても信じなくても、勝手にしろと言うのが本当です。信じて貰わなくても良いんですからね。
「わき起つたもので――」
そうです。何うしても、信じたくてしようがなければ、信ずる。それで良いんです。信じて下さいなんてね。先にありましたが、私のやり方は軽々しいとか、もう少し威厳をつけた方が、有難がるだろうと言うのがあつたが、私のやり方でお気に入らなければ、勝手にしたら良いでしよう。私は之で良いと思つてやつているんだから、之が良いと思つたら信じなさいと言つたが、やつぱりそれが良いと思つてか、信ずる人がある。お信じなさいと言うと、霊的にその人が低くなる。と言つて、無暗に自惚れてはいけないがね。実際に、五つは五つに、六つのものは六つにしていく。あんまり謙遜してもいけないし、あんまり威張つてもいけない。その人相応にしていく。
「小乗的な行き方を反省致しますと、親切過ぎる位にヒントを与えていると言う事になりますが――」
結構ですが、その場合に、堅つ苦しい戒律的はいけない。道徳的ですね。少しは良いが、あれにこだわり過ぎてはいけない。だから、言うに言われないんですね。それから、相手によつて違わなければならない。誰も彼も同じではいけない。相手によつて、小いさく言う事もあるし、中位に言う事もあるし、大きく言う事もある。それが応身の働きですね。信仰だつて、相手に理解し得る様にね。インテリはインテリらしく、普通の人は普通に、女子供は分り易く単純な話ですね。人によつて違わなければならない。その修業ですよ。だから、何でも、一番いけないのは、決めるのがいけない。こうだと、決めちやうと、真理からはずれちやう。そうかと言つて、全然決めなくて、出鱈目でもいけない。決めるべきものは決める。決めてはいけないものは決めない事に応じて千変万化にする。それが自由無碍です。法律と言うのは、定めるから悪人が出る。之は罪になると言う事を定めちやうから、それに触れない事は罪にならないと言う事になつて、法律をくぐる事になる。お医者でも、之はこう言う療法でやる。あれはこうと定めるからいけない。つまり真理は一つです。だから決める事が出来ないし、決めない事はいけない。決めて、又決めない。それから、はつきり言つてもいけないし、はつきり言わなくてもいけない。つまり、訳が分らない。そこに、一つの骨(コツ)を見出すので、それが最高の信仰です。だから、そこにいくと、殆んど口には言えない。覚りですね。
「二年半位前と思いますが、『無限』と言う雑誌の記者がインタビユーの時、ブランコの事をおつしやられましたが、大きく振れるのが一般で、小いさいのが明主様で、併し小いさくても止まつているのではなく動いている。と言う――」
そうですね。自動車の運転ですね。こつちに決めれば衝突する。こつちに決めても衝突する。どつちもいけないから、真直ぐ行く。自動車の運転は一番良く分りますね。それが、つまり信仰の最高のものなんです。今迄の信仰はそう言う事を説いてないですね。朧気には説いてありますがね。
………………………………………………………………
「自分で過去を振返つて見ましても、むしろ信仰に対して反対する人の方が本当だと考えられます」
そうです。そこに一つの、その人は力――意志ですね。意志を持つているからね。だから、考えて見ても、難かしい問題でもあり、面白いものでもあるね。言うに言われない。――之を「妙」と言いますがね。妙智力ですね。だから、今日の論文で、悪に就いて何しましたが、あれも今迄説かなかつたんです。悪が必要だつたと言う事は、今迄説かなかつたですね。併し、永遠のものではない。或る時期にいくと無くなる。併し、五六七の世になつても全然無くなるんじやない。善の方が悪に勝つていくんです。今迄は善の方が、悪に負けるんです。併し、徹底的に負けるんじやない。或る時期にいくと勝ちますが、それが遅かつた。人によつては、その人一代悪にやられたのがあるが、 段々善の方が勝つ様になる。だから、僅かですよ。善の方が一寸勝てば良い。悪が四分九厘で、あと善だと良い。どうせ人間は、体欲がある以上、女が欲しい。博打がしたい。競輪だとか――パチンコなんてね。そう言う気持がやる事は、人間仕方がないですね。併し五分を抜かなければ良い。四分九厘なら、五分の方で抑えるから間違いない。だから、邪神は九分九厘、神は十だ――十全だと言うが、悪は九分九厘迄いくが、神様の十は一厘違うからね。
「悪と言うのは、今の時代には止むを得ませんが、税金問題ですが之は、根本になるのがあるのではないかと思いますが――」
ありますよ。国家が間違つた金を使つて苦しいから、人民からと言うんです。と言うのは、太平洋戦争ですね。あの目的は、先の日清日露とは違うからね。あの時は、日本が闘わなければやられちやうんだからね。だから勝つたんです。正当防禦だからね。今度はそうではない。八紘一宇だとか言つて、世界をと言うのでやつたんです。だからああ言つた結果になつた。それで、ああいつた間違つた事をして、金を使つちやつたので、しようがないので、人民から巻上げるよりないので、無理な税金でやるより仕方がないですね。
「税金を出す、出さないと言うので、隠すと言う事から、悪が起るのでは御座いませんでしようか」
仕方がないですね。隠すと言う事もね。仮に、税金なら税金でも、今年は結局八千億を越えるでしようがね。実際に国家が賄うのには、四千億――半分で結構です。国家が無駄をやつている。そうでしよう――私の事件でも、何にもないのに調べて、多勢の人を使つて、無駄をやつている。だから国家が、それでマイナスをやつている。だから、取られる方も隠すよりないんだ。つまり泥棒が入るから、戸締りをする様なものです。アメリカが原子爆弾を作つても、世界を併呑する心算りはない。ソ聯が世界を併呑するから、作つて――正当防衛ですね――と言うので、五六七の世になる迄は仕方がないですね。
「五六七の世になると、無税に――」
と、書きますがね。五六七と言うのは、三六九に全てがなる全ての利潤も三分され、一分は国家、一分は資本家、一分は労働者になる。之は、人間の心が良くならなければ誤魔化すからね。どうせ、先で調べるまいから、と言うので、六分の一にでもします。労働者はストライキと言う事になる。だから、了簡が本当にならなければならない。誤魔化そうと言う気持がなくなつてからでなければ、こんな事は出来ない。政府に三分の一やつて、それで丁度国家が賄える様になるんです。だから、税金は要らない。無税です。税務監理も要らないから簡単で気持が良い。それから、病院は無くなるし、裁判所が無くなる――全然ね。小さい誤魔化しは一寸ありますが、凶悪や大罪人は無くなります。だから、ああいつた大掛りな裁判はね。医者も薬も無くなると言う事になるからして、人間の労力が余つちやう。そこで、午前中丈け、半日働けば良い。あとは自分のしたい事をすれば良い事になるから、芸術が盛んになる。それが五六七の世です。
………………………………………………………………
「信仰の極致は安心立命の極致と思いますが、人の操縦術の――」
操縦術じやない。そう考えると、それは技術になりますからね。小慧(コザカ)しい技術になるからね。そうじやなく、自然です。
「その応身と言う事で、信仰が最高で、それから安心立命の極致が――」
そうですね。安心立命とは一寸違います。と言うのは、そういつた応身の働きによつて、多くの人を助けて、神様のお役に立つと言うと、自分が持つている罪穢れが消えていく。無くなつて了つて、自分が浄化されなくなる、色んな災難――苦しみと言うのは無くなつていく。そうなつて。はじめて安心立命になる。神様にお任かせすると言う事になる。いきなり安心立命と言うのは難かしい。それ丈け、その人が浄まらなければならない。併し、そこ迄本当に解つて信じられれば、安心立命を得ているんです。何んな事があつても、びくともしなければね。少し位悪くても、之は浄化で、之で毒が減つていくんだからと言う事になる。だから、メシヤ教に入れば、大体は安心立命を得ている。唯、あまり浄化が強いので、中には迷うのもあるが、何うして自分はこうだろうと思う人もあるが、之は人間として止むを得ないですね。その根底さえ分つていればその苦しみを楽に通過しますからね。だから、私なんか、去年警察でいじめられた時は、実際神様はこう迄しなくても良いじやないかと、こう思いますよ。併し、自分は重大使命を持つているから、普通の人より苦しむのは仕方がない、と言う一方の考えもある。
………………………………………………………………
十一月八日
「このお部屋にお住みになつて居られました事を考えますと――」
やつぱり、資格者も何となく増えていくんでしようね。然し霊的の方では、大分発展の段階に入つて来ているんですね。実りかけて来たですね。今迄は棒だつたんですからね。幾らか実の形がね。幾ら良いものでも、やつぱりそれ丈けの年数を経なければね。でも、我々の方は早いんですよ。キリストなんか――死んで、何うやらして百年位経つてからでしよう。それと、お釈迦さんみたいに目出度く死んだのなら良いですがね。キリストなんか、ああ言う死に方ですからね。「余程あいつは悪い人間に違いない。太い野郎だ」と言うので、そこで皆んな本当の事が分らないからね。
「小浜の新聞に出た事は、寔に――」
今、邪神も段々小さい処よりか手が出ない様になつて来たんです。やつぱり、ああ言う事は最後迄あります。然し、段々小さく弱くなつて来るからね。
………………………………………………………………
「本日の『善と悪』の御論文で、自己保存の為の本能は与えられますが、逸脱した丈けは――」
逸脱と言うのは。
「護ると言う様な――」
護ると言うのがおかしい。と言うのは、保存じやありません。進歩です。競争がなければ進歩――しないんです。
「自己なり、団体に許される――」
いや、許されるじやなくて、必要がないんです。一つの――固まりがあるから――泥棒があるから――護るので、泥棒がなければ開けつ放しで良い。
「悪はそう言う処から生れて来たので――」
生れて来たのではなく、神様が――必要があるからつくつたんですよ。仮に、地球が未だ固まらない時分にはマンモスとか、色んな龍神を――暴れさせて固めたでしよう。そういつたものが今あつたら大変ですからね。こんな家なんか、ぶつつぶされちやう。然し、それは必要だからあつた。悪と言うのは、人間の形をした動物です。処が、動物の形をした人間はもう要らなくなつた。だから、家畜の様な大人しいものは残して、虎や狼は段々減つていく。蟒なんか無くなつて来る。昔、俵藤太秀郷が松の木と間違えた位だからね。然し、人間の形をした動物は無くなるんです。
「人間に必要だつたので――」
神様がつくつたんだからね。だから、必要と言うのもおかしい位なものです。副守護神と言うのは、そう言う役をしていたんです。獣ですからね。そして又、人間は堕落すれば獣になると言うでしよう。獣と言つても、家畜じやない。獰猛なものです。今、殆んど獣で――唯やり方が小慧しくなつた丈けですね。
………………………………………………………………
「我と執着は副霊が起させるもので御座いましようか」
それが、そう定める事は出来ないんです。執着にも、善と悪があるんです。世間の執着は、悪の方がずつと多いんです。私が善で救済する。何うしても、世の中を良い世の中にすると言うのは、良い執着です。毎日朝から晩迄考えているから、大変な執着です。然し、それは良い執着です。今迄の執着は悪だつたから、執着が悪い様になるんです。
「布教上、執着が反つて障りになる様で御座いますが――」
処が、その執着が本当の執着じやない。小乗なんです。だから、小乗の善は大乗の悪になると言うでしよう。一生懸命で、熱心な人が反つて危ぶない様な事が良くあります。お邪魔になる様な事がね。それは小乗だからね。丁度、終戦前の忠君愛国ですね。楠正成、吉田松陰だとかね――ああ言う祖先の思想を受け継いだ為に戦争を起した。してみるとああ言うのは、小乗の善なんです。そこで私は「⇒世界人たれ」と、論文を出したでしよう。世界の人間皆んなが同じ様に見なければならない。そうすれば、そんな侵略戦争なんか起す必要はない。つまり今迄の戦争や国際間の事は、世界中が小乗の善だつたからです。自分の国民丈けを仕合せにしようとした。自分の国民丈けと思うから、皆んな喧嘩になつた。支那人だつて、そう思い、朝鮮人だつてそう思う。日本が人口が増えた――拡がつていかなければならないから、支那が広いから入ろうとすると、入つちやいけないと、武力をもつて防ぐでしよう。日本は、武力をもつて入り込もうとする。之が戦争になる。反対に三国のうちで、人口が増えたら、あなたの方は人口が増えてお困りでしようから、私の方は空いているから、お入り下さいと言う。それが、本当の大乗の善です。
「執着を取ろう取ろうと言うのが、一つの執着になると言う事が――」
あります。取ろうと言う事が執着です。何故なら、取ろうと思つても取れないのは、如何に執着が強いかと言う事です。簡単に取れれば、そう思わなくても良いがね。
………………………………………………………………
「化学肥料とか、薬物は悪を助長していたと考えて――」
そうです。あれで曇らせたからね。血が濁るから霊も曇る。そこで、動物霊がそれ丈けの力が出るから、それ丈け悪い事をする。だから、あれが根本です。肥料を使わない事、それから薬を使わない事、之が根本ですね。
「進んで来ますと、大乗の悪――悪と言う必要は無くなる訳で――」
いいえ、大乗の悪でも、悪は悪ですよ。
「悪を必要としない訳で――」
そうです。小乗の悪は残るんです。何世紀かの間は残ります。そんなに短かい期間に、悪がおさらばになると言う事はありませんからね。善と悪で、善の方が少しでも勝てば良い。悪が九分九厘でも、善が十あれば良い。悪が枠から突き破らなければ良い。あの女は、実に好きだと言つて、思つているのは差し支えないが、手を握ればそれ丈け線を越えたんだからね。
「相手が喜こんでもで御座いますか」
相手が喜こんでもです。あなたにしても、奥さんが見たら何うですか。
「結婚してない場合には――」
然し、結婚の意志がなければいけない。
「自分で悪とは思わなければ宜敷いのではないので御座いませんでしようか」
罪ですよ。行為がいけない。感じより、行為の方が大きい罪です。人を喜こばせるのが根本だからね。だから、そうする事が奥さんが喜こべば良いです。然し、両方で協力的にすると喜こびますが、一時的ではいけない。永遠でなければならない。
「結婚準備時代と言うのは、あつた方が宜敷いのでしようか」
それは良いとか悪いとか言うのではなく、両方が希望するなら良いです。
「親として見ていて、ハラハラ致しますが――」
けれども、現実的な問題で、結婚の前にそう言う事をすると、破談になり易いんです。男――許りに限らず、人間は神秘と言うものに対するものに憧れを持つている。結婚迄、神秘を保存して置くと良いが、前に神秘を発いて了うと、何うもあの女は嬶にしたくない。と言う様になるから、結婚迄はちやんとして、それから結婚すると言うのが本当ですね。その方が良いですね。
「相手の理想とか、思想とかに合うかと言う点で、附合うのは、やつた方が宜敷いのでしようか」
そうです。理解した方が良いですね。
「その場合、親から見ました場合に危ぶない様な気が致します」
そうですね。然し、そう一から十迄――と言う事はないから、少しは危ぶない事もやります。其為に、信仰がないと心配しますが、信仰があれば平ちやらなものです。神様がちやんとして呉れます。
「血族結婚は何の程度迄で御座いましようか」
親と兄妹は許されなくて、あとは許されます。従兄でもハトコでも構わない。
「親同志が兄弟でも――」
構いません。だつて、人類の初めは兄弟で結婚したんです。そうでしよう。伊弉諾、伊弉冊にしても、それから出来た子供は、皆んな兄妹でしよう。それが皆んな結婚した。さもなければ、人類は増えやしない。で、今のは理窟だが、実際が、血族結婚しても、別に片端も出来なければ頭脳も悪くない。立派なものです。
先に日光の湯西川に行つた時、平家の残党が三十人許り隠れていた。何しろ、何処迄行つても追つて来るので、入つて来られない程山奥に入つて行つた。最初は何を食つたかと言うと、野老(トロロ)の根を食つて、あれ許りで生きていたんですから大したものです。それから米を作つたりして来たんですが、今は人口が九百で、戸数が六百ですか――そうすると、三十人がそれ迄に増えるんですから、それは血族結婚したに違いないです。処がそれでいて、説明して呉れる宿屋の娘は二十二、三ですが、実に頭が良い。と言うのは、私が何か聞いても、ちやんと破綻がない。こつちが聞かんとする事を言う。
話は違うが、何か聞いたり、話したりして、返事が出来る人と言うのは、百人に一人も難かしい。大抵喰い違わない迄も、きつちりいかないですね。それから。質問と――答弁の間(マ)ですね。間(マ)から、答弁の仕方からで、それで頭の良い悪いが分りますね。処が、その宿屋の女は、実に合つている。実に良い女だなと感心した。血族結婚の村で、そう言う具合だからね。それで、全然病人がないんです。勿論医者が無いんですからね。九百人の中に病人はないかと言つたら、一人あると言うんです。あんまり酒を飲み過ぎてヨボヨボになつたじいさんで、他にない。そこの宿屋は、村長もしているし、私設裁判所ですね。人事相談所、警察――皆んな宿屋の親父一人でやつている。それで、皆んな附いていく。湯西川と言う川がありますが、鮎や山女魚が居るが、誰も昔から食つた事がないから食べ様と思わない。それで、十人許りで行つたんですが、鳥を食おうと思つても、鳥が一匹も居ないんです。無論卵なんか一つもない。丁度良い案配に私は持つて行つて居た。最中(モナカ)だと思つていたが、開けて見たら卵だつた。だから非常に良かつた。天麩羅もみんな野菜ですからね。菊の花なんかあつたが、中々良かつた。だから、血族結婚と言うのは差し支えないと言う事は解つた。健康も良ければ、頭も良いんですからね。何しろ病人がないんだからね。チフスの注射をしに医者が来るが、村中の者が逃げて行く。医者も嫌なんです。おかしいですね。全員に注射しろと言う命令が出る。そこで医者が来るんですがね。川治の温泉で昼食を食つて、それから橋を渡つて、四里ある。牛車で六時間かかるんです。だから、人は行かないですね。其処でそういつた伝統を守つていられる訳ですね。あれは良い見本ですがね。ああ言う事は、医者の方では隠している様にするんですね。注射をすると、三日位寝て了う。と言うのは皆んな熱が出るので、それが恐いと言うんです。チフスなんかないんだから、そんな事をする必要がない。それから、飛騨の高山から入つた平川村ですか――あそこも平家で、何千人か居る。何時か調査に行つたのを見たが、血族結婚の影響と言うのは全然見られないと言うのが出てました。尤も近来は欧米の方でも、血族結婚は差し支えないと言う説が非常に増えて来ました。
………………………………………………………………
「幹部の者で、結核で倒れる事がありますが、浄化の末期になると、熱がひどくなり、浄霊しないと熱が取れませんが、週に二回位が良いと言うので――」
それは決められないんです。その人の状態によつてです。非常に苦痛の場合は、毎日でもしなければならないし、それ程苦痛がないのは、一週に一回でも二回でも良い。身体に合わしてするんです。無暗にするのもいけないし――病状に合わせるんですね。
「御神業の為だからと、最後迄布教するのですが、末期の頃になりますと、その為に反つて悪くなると言う様な事が――」
それはいけない。そう言う処を人に見せると言うのはいけない。ピシピシした健康を見せてやらなければ駄目です。身体が悪いのを見せるのは、態々悪い宣伝する様なものです。邪神的なやり方で、大変な間違つた信仰ですね。
………………………………………………………………
「氏神さんのお浄めを、宮司さんから頼まれましたが、天津祝詞で――」
結構です。つまり祝詞を奏げて貰いたいと言うんですね。氏神さんにも――色々ありますからね。大いに浄めなければならないのもあります。
………………………………………………………………
「大光明如来様の『大』の字に雨漏りがして――」
それはいけないですね。
「染み抜きを頼みますと、薬品を使いますが、宜敷いので――」
染み抜きもいけません。文字に関係しない――紙なら、経師屋でも良いが、文字に関係したらもういけないです。取り替えなければいけない。
「あとは何の様に――」
仕舞つて置きなさい。いや、焼いた方が良いですね。よくお詫びしてね。やつぱり、何か間違つた点があるんです。
「祖母が亡くなつた日に、結婚式と大光明如来様の御魂祀りをさせて戴き、それを見なければ死なれないと言うので――」
それだね。間違つているからね。ですから、お詫びして焼けば良い。
「昨日主人が宴会から帰り、大光明如来様を巻いて了いました。時期を待つて、お詫びしてお掛けする様に――」
それは、仕舞つておいて、時期を待つんです。すると、主人公の方で拝みたいと言う気が起りますから、それからやれば良い。そう言うのは未だ時期が来ない。早過ぎたんです。やつぱり、家に反対者があつてはいけない。家中が希望しなければならない。特に主人公が反対ではいけない。
「不断は反対致しませんが――」
反対しないが、希望しないんだからね。又、副守護神が恐いんだからね。
「先程の大光明如来様は、只今支部にお預りして居りますが、お焼きする時は何の様にして」
だから、お詫びして――御神体をお焼きしますから、どうぞお許し願います、とお断りして、巻いた儘で床の間に置いて――
「火鉢か何かで――」
庭で良いでしよう。
「その時に天津祝詞を――」
いいや、祝詞は奏げなくても良い。
………………………………………………………………
「姙娠の場合、腹帯をするのは、日本丈けと言う事で御座いますが、之は如何なもので御座いましようか」
どつちでも良いです。したければする。元の起りと言うのは、あれをする方が子供が大きくならなくて良い。お産が楽だと言うのです。あれをしなければ、育ち放題に育つて、お産が苦しいと言う丈けだからね。然し、あれを強くしてはいけないです。強くする為に流産する事がある。多いですよ。こうあると、それを押さえつけるから下に出ちやう。年寄りは、腹帯をしないと、何だ彼だ言うからね。そう堅くなく中位にやつて置く。それから、働く場合にも、働き良いです――ここ(腹)が締つているとね。
「教師の者が出産した場合に、御神業は何の位してから、させて戴けますので御座いましようか」
そうですね。之は知つて置かなければいけないですね。本当は七十五日ですが、其人によつては三十五日過ぎれば良いです。その前はやらない方が良いですね。お産前はその日迄良いです、こう(浄霊)やりますと、古血のある間は、之(浄霊をする腕)に来ますからね。神経を使いますからね。大体三十五日したら出来ると言う事になつてますからね。
「こちらにお参りさせて戴くと言う場合には――」
そうですね。三週間ですね。それも――悪露(オロ)が余り出る場合はいけないですね。大体綺麗になつて、少し出るか、偶に出る位で、相当綺麗になつてからで、それ迄は止した方が良い。
………………………………………………………………
「六百六号を打ちました場合、何処に来るもので御座いましようか」
一番特徴は頭です。之は例外がなく頭が悪くなる。と言うのは、精神病的に変になるんです。言う事が一寸変になつたり、考え方がはずれたり、そう言う事があり易い。六百六号でも、薄くやる医者と濃く使うのとあるが、薄ければ数が多いですがね。昔は十二本に限つたものですが、今は、薄くして五十本、六十本もする。こつちがやつた訳ではないから解らないが、一番来るのは正確には解らないが頭ですね。
「小いさい時に脊髄炎をし、血液を見ても、毒はないが、毒があると見做して、とて十三本打ちました」
見做すと言うのはおかしいね。理窟にならないですね。
「脊髄炎には打つた事がないが、結果が良かつたら、皆んなを助ける事になるからと言うので――」
研究材料にされたんです。モルモツトにされた。あなたが金を払つたんでしよう。先で金を払わなければならないですね。
「膿を止める為に打つと言うのですが、打つても膿は止まらないのです。どんどん腫れて来、約十年位――」
それだから、あなたは良かつた。膿を止めちやつたら大変ですね。その時に六百六号も、膿に混じつて出たに違いないですね。六百六号が固まるのは、相当年月が経ちます。そう言う――出る場合には出易いんです。六百六号が日本に入つて来た時、若いのに頭が禿げている人があつて、医者が――之は梅毒かも知れないのでと言つて、頭に打つた。松下と言う人です。それから暫らくして、頭が変になつて、遂々精神病になつた。「⇒天国の福音」かに書いてある。
「私も一時毛が全部抜けました」
あなたは、頭は変にならない様ですね。なつてから治つたのかも知れないが、それなら大丈夫ですよ。
………………………………………………………………
「夫婦で、子供が欲しくても、子供がない為に、人工姙娠と言うのは。勿論いけない事で――」
いけないですね。
「夫婦が了解の下に、他の女に手をつけると言う場合には、神様の方では、何う言う事に――」
神様の方から言えばいけない。けれども、こう言う事がある。今迄の世の中が、本当の世の中でない――乱れきつた世の中だから、丁度保険の制度がある様なもので、本当に良くなれば保険は要らない――普通の災難はない。子供が出来ないと言うのは、何かの障りがある。それで、一種の便宜法として、養子を貰うとか、養女するとか言う事があるが。霊的にはそこの霊統なんです。祖先の方で、子孫を絶えさせない為に、子孫に子供を生ませ様とする場合、罪があつて生めない場合には、近い系統にと言う――そう言う事があります。それを、もう一層手つ取り早くするのが、今の質問の様なのです。明治天皇が、それをやつて大正天皇が出来た。そう言う間違つた事をしたので、ああ言う事になつたんでしようがね。系統が絶えない様にと言うが、それはいけないですね。
「祖先はどちらが喜びましようか」
祖先は、絶えない方が喜びます。然し、祖先が本当の事は解らないんです。メシヤ教が出ない間は、仏教や何かで、本当のものでないものに教育されているからね。だから、日本の天皇も、よくあれ丈け続いたものですよ。けれども、夜の世界だつたからね。昼の世界が近づいては――そう言つた物質ですね。形に捉われて、霊を無視しているのは、霊的には本当じやないからね。若し許されるとしたら、金持ちで子供がないのは、威張つて二号三号をつくる。やつぱり、世の中が乱れるからね。
………………………………………………………………
「小いさい子供を育てます場合に、叱るのは良いが、怒るのはいけないと言う事を読みましたが――」
差別はないですね。怒るから叱るのでね。怒るのと、叱るのが、別々にするのが居たら変ですよ。叱る丈けの事を子供がすれば、親だつて怒りますよ。書いた人が間違つている。そんなに人間は調法に出来ませんよ。おかしい時に笑うなと言う様なものです。けれども、唯適当な様に――怒るべき時に怒つて、叱らなければならない時に叱るのは良いが、親によつては、屁ひつた位で怒る者が居る。人間に――無暗に怒る人がある。どつちに偏つてもいけない。それが、一つの修業なんです。み魂磨きです。
………………………………………………………………
「仏壇の戸は開けて置くのと、閉めて置くのは、どちらが――」
始終開けて置く方が良いですね。夜は閉めた方が良い。鼠が入るとか虫が入るとか、するから夜は閉めて良いが、昼は開けて置く。
「月例祭の時、お祈りする際仏壇の戸を開けて置けば、あとで仏壇にする必要がないと言う事を聞きましたが――」
そんな事はありませんよ。その時のお祭りの目的は、光明如来様にお祭りするんです。だから御先祖とは違います。区別されなければならない。
………………………………………………………………
「信者で、結婚して男の子が一人出来ましたが、主人が二時、三時頃帰る様になり、別れて生家に帰つて居りますが、何うしても、子供が欲しくて、養育する事になるらしいのですが、自分の姓にしてはいけないかと言うのが御座いますが――」
構いません。
「主人の長男として生れたのだからと言うので――」
そんな事はありません。
………………………………………………………………
「命日に拝んで呉れと言うので御座いますが、御神前に先に拝むのでしようか――」
法事ですね。先に拝むのが本当です。そうして大光明如来様に、今日何々の何回忌の法事をするから、何卒御守護を、とお願いする。そうすると、祖先が――仏様が来ても、特に大光明如来様の光を余計戴く事になるんです。そう言うものです。
………………………………………………………………
「月例祭の時、偶々先輩が来て居ります場合には、先達は誰方がするので御座いましようか」
最初は誰がやつたんです。最初にお祀りした時の、その人にやつて貰えば良い。若しその人が来られない時に――あの人が適当していると言う事はありますから、其人にするのです。
………………………………………………………………
「御屏風観音様に、月に一回、月例祭をするのが本当だと思いますが――」
それは要りませんよ。それは、祖霊のお祀りですね。月例祭に、祖霊のお祀りをしますね。その時に、屏風観音さんを中心に拝むんですね。そうして、祖霊さんの御守護お願いするんですね。それで良いです。
………………………………………………………………
「支部の信徒総代ですが、経済的に浄化戴きまして、三軒長屋の真中なので、又裏鬼門に便所があるので、気にして居ります」
三軒長屋の真中なら反つて良いです。今迄は、真中にいると。両側のどつちかが、其処より上だと負けるんです。だから、いけないと言われたが、こつちは勝つんだから、大威張りだ。むしろ、両方に光を別けてやる事が出来るからね。裏鬼門は、極く悪くもないが、良くない。直せるなら直したら良い。表鬼門は絶対にいけないですがね。表鬼門は一日も早く直さなければならない。
「三人で写真を撮るといけないと言うのは、そう言う意味で御座いましようか」
そう言う意味ですね。
………………………………………………………………
「火傷をして、足の親指で御座いまして、肉はついて参りましたが、骨が――」
何時ですか。
「七月で御座います」
未だしようがないですね。一年も経つて御覧なさい。すつかり塞がつちやうからね。骨でしよう――その上に肉が被さつちやうから、何も分らなくなる。
………………………………………………………………
「小いさい時に脊髄カリエスをやり、目下姙娠して、産婆が言うにはこの人は絶対に産めない早く出せば大丈夫だと言うのですが、本人は信仰が厚く、御守護戴けると言つて居ります。そう言う場合には――」
大丈夫ですよ。産めます。骨盤が小いさいとか言うが、骨と言うのは伸びるんだからね。だから――医者の方で、寸法を計つたのなら駄目だが――伸びるから大丈夫です。骨盤が小いさいなら姙娠しません。何時も言う通りね。
………………………………………………………………
「関東では、七日目に名前をつけますが、関西は六日目で御座います。死んだ時も、死んだ日から一週間目になつておりますが、何か理由が御座いましようか」
関西は偶数ですね。理由はあるでしようが、別に問題にする程の事ではないですね。
………………………………………………………………
「東男に京女と言うのは、何か――」
関東の男は、男らしいんです。さつぱりしている。京の女は優しいんです。だから、女らしくて良いんですね。関東の男は、さつぱりしている。さつぱりしていると言うのは――今の世の中では良くないんです――それから、金を持つなんて言う執著がないから良いとしているが、関西は執著があつて、金を溜めるからね。処が――今はさつぱりしているのはいけないですね――それから、女はあつちの方が優しいですからね。あつちの女の人は、余り夫婦喧嘩はやらないだろうと思います。
………………………………………………………………
「床の間が入口に近い処にあり、奥の方は板の間になつて居り、屋根が低くなつております」
まずいな。感心しないですね。直したら良い。
「天井をぶち抜くので――」
片つ方の良い天井には出来ないですか。いけないけれども、直すのは大変でしよう。直せれば直したが良いが、直せなければ、我慢は出来ます。新規に建てるなら出来るがね。我慢すれば出来ます。そう悪い訳でもないんですからね。一番悪いのは、子供の部屋を二階に作り、親父のは下に作る。そうすると、子供は言う事を聞かないですね。之丈けは、何うしても直さなければならない。
………………………………………………………………
「喘息の子供で二カ月になり、注射をしたりして居ります。仏壇が下に置いてあり、両親の養父母が頑固で、二階に上げる事を許さないのですが、その儘浄霊を続けて宜敷いでしようか」
御浄霊なら良いでしよう。仕方がないです。然し、唯治りが遅い丈けの問題で、治らないと言う事はないんだからね。それで治つてから、信じられる様になれば、段々心が変つて来るから、それを待つよりないですね。
「お縋りする気持がなく、ひどくても教会に来ず、親は余り信仰が徹底して居りません」
教修を受けた者なら離すのもいけないですね。まあ、時節を待つんですね。急(アセ)らないでね。御神書は――
「届けてあります」
そんなら、それで時節を待ちなさい。
………………………………………………………………
「仏壇を、床の間の側の違い棚に、明主様のお写真の下に置いてありますが、お許し戴けましようか」
良いです。
………………………………………………………………
「先程のお焼きしました御神体の灰は、何処に捨てましたら宜敷いでしようか」
灰は何処に捨てても良いです。その時は既に霊は抜けてます。物質ですからね。
「その場合に、御書体のみ取替えさせて戴くのは、如何でしようか」
そうですね。それで良いですね。表装が勿体ないからね。けれども、成る丈けなら――いさぎ良く――表装も大したものじやないから、――焼いた方が――その方が気持が良いです。何の位経つているんですか。
「未だ余り年数が経たない信者で、一カ月お掛けしない位で御座います」
それじや、特に惜しいから、ぴつたり表装をはめないで、御書体の廻りに一つ布をやつて、そうして使つたら良い。そんなら良い。値段は何の位ですか。
「四、五千円で御座います」
それは、惜しいな。今度持つて来て御覧なさい。私が見てあげます。旨く利用の出来る様な方法を考えてあげますから。
………………………………………………………………
「井上保(二十六歳)七月入信。八月終りに――仕事は材木を筏に組んで運搬して居りますが――途中の川辺で休む時に、風呂に入る以外に、はずしてはいけないと言つてありますが、お詫びして石の上に着物を置き、其上に置きましたが二、三十分して帰つてみると、お守が焼けております。近くでマツチを使用している様には見えず、中のお守りは焼けてをらず。ナイロンと、中の内袋迄焼け、その中は焼けておりません」
それは、石の上に直かに――着物の上にね。それだからです。着物の上に半紙か何か置いてすると良い。扱いが違つているから、祖霊さんか何かが、それを示す為――注意する為に、そうやつたんですね。
「縁は黒く焦げております。取替えさせて戴きましたら――」
そうですね。霊を入れ直して、新規に霊を入れて、袋を新しくすれば良いです。こつちに持つて来なさい。私が霊を入れてあげますからね。そうしたら、それをしても良いです。
………………………………………………………………
「西平クニ(五月入信)入信動機は、主人の歯痛が良くなり、御屏風観音様をお祀りされました。九月十日の夕方、橋の上でトラツクに跳飛ばされて即死しました。夫婦共入信して居り、一家に反対者も居りません。一家の大きな贖罪だと、割切つて居り、信仰は熱心で御座います」
おかしいな。余程事情があるんですね。普通じやないですね。そう言うのは、こう言う意味ですね。そこの一家に非常に罪があるんです。その場合に、其罪を無くしなければ、一家が本当に仕合せにならない。そう言う場合に。誰かを犠牲にしなければならない。子供は無いんですか。
「五、六人居ります。皆んな頭が良く、長男は青年団長をして居ります」
おつ母さんは幾つです。
「四十七歳で御座います」
そこで、誰かを犠牲にしなければ罪が消えない為に、奥さんが選ばれたんです。そう言う事は滅多にないが、偶にはない事はない。そこで、反つて主人公が熱心になる。と言うのは、そう言う意味です。偶にはそう言う事は仕方がないですね。何しろ霊界が段々、最後に近附いて来るんで、祖霊なんかも急(アセ)つて、早く罪を取る手段をやる訳です。
………………………………………………………………
「旱魃の翌年は雨量が多いと言う事を言いますが――」
それは自然です。又、旱魃許りだつたら駄目になつちやうから、丁度――雨にするんですね。
「秋季大祭の初日と最後の日が天気で、中は雨が降つたのは、何か――」
本当は箱根は雨が降るのが本当です。神様の方で、最初と最後に特にお天気にして呉れたんです。何時も言う通り、箱根は火ですから。水を必要とするんです。水が多い程火力が強くなる。だから、私が箱根に行く時は必ず雨が降るんです。
………………………………………………………………
「御守護戴きまして渡米した立松文治さんで御座いますが、最近ノートルダムで、朝鮮に従軍した記者が――」
ノートルダムと言うと、アメリカですか。私はフランスかと思つた。
「学業の中心地で、ノートルダム大学と言うのがあるそうです。その時戦闘機の写真を現像すると、大空一杯にキリストの霊写真が出たそうで、あちらの方で、キリストの再臨が来たので世界中大変な事になると、評判が立ちましたそうです。何か意味があるものかと言うので御座いますが――」
それは、大いに意味がありますよ。それは精しく書く訳にはいかないです。仮に、私がキリストの再臨だと言う事が分つたら大変です。世界中の人間が、とても来て――仕事が出来やしない「⇒文明の創造」なんか、書けやしない。だから、ぼやかしてある訳ですね。ですから、大いに意味がある。それを知らせるのは時期が早いから――そう言う風に書いてやると良い。それから、メシヤ教と大いに関係のある事だと言う事も書き添えて良いですね。その中の新聞に出して良い様なのは――手紙を私に寄こして下さい。阿部さんに出して下さい。
「又、バハイ教の幹部に会つた処が、キリスト、マホメツトの予言をしたと言うのは、恐らく明主様だろうと言つているそうです」
私が予言者ですか。それは一寸違う。まあ、そんな点で結構です。
………………………………………………………………
「浄霊して居りますと、枕元に十字を背負つた観音さんが二度お立ちになり、その瞬間に真つ二つになつて落ちました。又、父が岩手県の金山に行つている時、人間の死骸が菰包みになつたのが見えました。そう言う事はあり得べき事で御座いましようか」
ありますよ。そう言う風にして死ぬべきものだつた。そう言う運命だつた。それが信仰のお蔭で助かつた。それを知らせて呉れたんです。正守護神が、そう言う事を見せて呉れた。
「目の錯覚では――」
そうではない。あり得べきものです。
「十字の観音様は――」
それは、その人の祖先で、観音さんに非常な御無礼をした人で、その罪によつて――贖罪の為にね。
………………………………………………………………
「教会の信者が亡くなる時、火の玉が枕元に参ります」
それが人魂と言うものです。あなたの処に暇乞いに来るんだ。
「誰にでも見えないと言う事で――」
そうでもないですよ。見える人もありますよ。刹那的に一寸見えますね。それは良いんですよ。つまり、必要丈けに見せられると言うのは良いんです。之は良いんです。不必要に見えると言うのはいけない。狐とか――なんだからね。あなたのは良いんですよ。
「動物霊で、み魂が低いからと言われまして――」
違いますよ。分らないのでね。動物霊で見る事が多いので、区別を知らないからです。
………………………………………………………………
「位牌に写真が入つているのは、何う言う風に致しましたら――」
一年位経つたら仕舞つた方が良い。
「位牌の中に小いさい写真が入つております」
取替えなければいけないですね。霊は嫌がります。何故なら、それを見る度に思い出すでしよう。すると、霊界で向上する場合に障りになる。忘れて貰うのが良いんです。死んで間もなく――忘れるのは、之はいけないが、一年位して、それから先は忘れて了う方が良い。浮かばれないとは、そう言う事になる。
………………………………………………………………
「入信して居りますが、孫が遠くに居りますので、孫の御守護を戴きたいと言うので、写真に向つて毎日御浄霊をして宜敷いかと言うので御座いますが」
遠いと言つても――何処ですか。
「鹿児島か熊本で御座います」
あつちで、信仰に入つたら良いじやないですか。
「それ迄の間で御座います。孫に対する愛情と思われますが」
然し、それは面白くないですね。それよりは、光明如来様に、早く孫が信仰に入る様にと言う事をお願いする。それで良いですね。
………………………………………………………………
「神社神道ですが、み魂がお祀りしてある中に、御屏風観音様をお祀りさせて戴きましても宜敷いので御座いましようか」
良いですよ。
「法事は、それに従つてやつて宜敷いので御座いましようか」
良いけれども、その場合に、天津祝詞と善言讃詞を奏げてやつたら良い。
(垂四号 昭和二十六年十二月十日)