十月一日
「浄霊の事に就きましてお伺い申し上げます。前には、御開示戴きまして一人対一人と言うのが原則で御座いましたが――
あの時はね。
「浄化が非常に激しいのを戴きました時分に、何人もでやつて居りますのは――」
時が進むので――年中一つではない。時が進むに従つて違います。その時に合つたやり方でやると良い。そんなに窮屈に定めなくても良いです。臨機応変で良い。 この人にはこう言うが、この人には又違う。それを、この人に言われた通りにするから具合が悪い。よくあります。そう言う点は考えなければならない事ですね。つまり、メシヤ教と言うのは、僅かの間で大きな仕事をするので、変り方が非常に早い。この点が他の宗教と違いますね。名前が違うし――浄霊法とか、お守が変るが、僅かの間に進むんですね。千年かかるものが十年位です。もつと早いですね。私が昭和十九年に熱海に来て、二十年に終戦になつて、二十二年から宗教法人になつた。それから三、四、五、六――今年で、宗教法人になつてから四年です。それで、箱根から熱海にのびた。之は少し前からだが戦争中はしようがなかつたからね。終戦になつて、二十二年からですね。それだけで殆んど劃期的でしよう。世の人は喫驚りする。兎に角非常に早いです。もつと早くなるんです。もつと大きくなる。之から二、三年も経つたらどんなになるかは見当がつかない。毎日を較べてみると喫驚りする程発展している。その間は、官憲だとか新聞だとかに、なぐられたり、縛られたり、そう言う中を――押さえつけられ乍らもやつているのは大変なものです。新宗教じや、西の方は天理教で、東の方はメシヤ教ですね。天理教は、もう百年教ですからね。こっちは、天理教祖が亡くなつてから、十年位ですね。天理教祖が始めたのは、明治四十八年ですか――最初からみれば、百四、五十年経つている。こつちは、最初やつたのが昭和九年で、十七年かになる。それで、天理教と並び称せられる様になつた。早いですよ。之からは、もつと早くなる。追い越して、こつちがずつといく。今迄に例がないでしよう。来年からは、実に早いですよ。
鎌倉の長谷の観音さんですが――三丈三寸ですかね。観音さんは小いさい方が良い。一寸八分が本当です。それを三丈三寸なんてね。結局ね――計劃は色々あるが、金なんです。金さえあれば大飛躍が出来る。インテリ階級へも思いきつて出来る。大分インテリの方が注目しているんです。今来た人の話ですが、著名文士が十名ばかりで、何か発行したらと言う。小島政次郎、里見惇、川端康成、徳川夢聲、吉川英治――兎に角、かれこれ十人ばかりで、何か発行しようと言う話がある。この間、川端康成が箱根に暫く滞在して居たが、もつと興味のあるもの――一般的にね。そう言うものを編集したら良いだろうと言う。先の光新聞社の小坂もそう言つた意味の新聞を出したら良いだろうと言つていた。その人は本当の事を知らないからです。一般向きのに、宗教の匂いがするとそれに関心を持たないからね。之は何々宗教の宣伝だと思うとね。又信者の方は、世間向きの事を書いてあると、そんなのはつまらないとなる。どつちかにはつきりしてないと駄目です。信者か、一般向きにかね。良さそうでも、事実は駄目です。そう言うのが、今迄にありますが、成功したのはないですね――駄目です。大本教に、大正日々新聞と言うのがあつたが、やつぱり駄目でした。ですから中々難かしい。算盤を取らなければ良いんですが、こつちは算盤を取らずにやる程、未だ余裕がない。
山の方が大分確信が出て来ましたから、来年はその方で金が入るが、今年一杯は苦しい。何しろ、美術品を買わなければならないし、造営から美術館。美術品なんかも、二つとない――出ない様なものがあるから、どうしても買わなければならない。そうかと言つて、金の方が足りない。とすると――今は旨く押さえているが、本当は金です。もう大体山の方は確信出来る程にしました――やつぱり、神様が前から準備されていて、奇蹟で旨くいくんです。水上の方で宿舎が足りなかつたが、東京の人で疎開の為に建てたのが、幾らでゞも処分したいと言うのです。百十七坪かで、宅地が二十坪です。それで七、八万円です。七万か、七万五千に負けるだろう。一週間ばかり手入れすれば住めるだろうと言うんです。こう言うのなんか奇蹟です。熱海の建築を早くやらなければならないしね。神様は良い具合にやりますよ。 今度ケーブルが出来る山があるでしよう。半分位に低くしてケーブルの駅になるそうです。私の方で売らないので、庶民住宅の方に行くらしい。裏手の方に行くらしい。私の方は、値に関らず欲しいのです。あそこを温泉場にして、箱根登山の客があそこに行きますからね。私はあそこを理想的な温泉場にしたい。相の山と言う山がありますね。あそこにホテルを造る。あそこを宿屋にして――日本一の宿屋を造る。そして、極く清潔にですね――変な女は置かない――つまり、温泉天国と言うんですか――大体信者ですがね。温泉は、こう拵えるものだ。と言う様なものを造る。あの地形から言えば、理想的なものです。
ついこの間迄は寒くて震えていたが、こつちに来ると暖かいね。僅か一時間足らずで行ける処で、気候が違う。実に素晴らしいです。普通の処でこんなに違うと言うと、秋田県か青森県から四国に行かなければならない。二百里から違う。
「九州から参りまして、反つて暖かい事が御座います」
それでは台湾位ですね。
「寒さは山形位の様で御座います」
山形と九州ですね。そうすると三百里位あるかな。この地形と言うのは実に不思議ですよ。うつかりしてますがね。
「強羅に居りまして、他に行つてみると、濁つているのが良く分る様で御座います」
あそこに居ると何処にも行きたくないですね。他に行くと汚たなくて汚たなくて――目立つて汚たないからね。熱海では、地上天国の処が一番景色が良いですからね。私は熱海に来た時随分研究したが、どうしても、伊豆山と熱海の間で――之が一番良い。今度あゝなつてから――昨日行つて見たら、景色が違つて来ている。
「伊豆山とこつちと言いますと、五(イズ)と三(ミズ)になつている訳で――」
そうですね。五と三ですね。
「三月ぶりで拝見させて頂きましたが、驚きました」
未だ未だ変りますよ。あの奥の方は素晴らしく変ります。そこにメシヤ会館を造る設計ですが、中々難かしい。随分、建築の方は世界的にする。建築何んとかと言う雑誌があるんですが、アメリカあたりで――コルベジエー式ですね。随分奇抜なのがありますがね。会館、美術館の方はアツと言う様な物を拵え様と思う。アメリカあたりでは、大胆な建築がありますね。随分凹凸の激しいのがね。あれが出来たら喫驚りするだろうね。熱海の方は再来年迄に拵える。熱海の方が出来たら世界中の人が日本に見物に来るのが随分あります。日本に来たら、日光を見なくても、こつちを見なくては、と言う――それだけのものを造るんです。建築も、支那や日本の古代のお寺臭いのでなく、そうかと言つて、現代のコルベジエー式でもない――どつちでもないのを造らなければね。
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「高熱の浄化の末期にシャツクリが起りますと、医学でも二、三日しか持たない事になつてをりますが、私が体験させて頂きましたのは、十日間持ちました。何う言う関係でなりますので御座いましようか」
霊的と両方ありますがね。
「諦めるべきで御座いましようか」
そんな事はありません。大した事はない。
「長い時は二時間位なつておりました」
何処をやつている。
「頭から延髄にかけてやつて居ります」
延髄ですね。それから横隔膜です。
「亡くなる時は、十日間シヤツクリが出て、手のソバカスが取れ、顔は金時の様になりました。八月日本脳炎の時、熱が下らず脈がピクピクし、帯状に白い汗が二時間程出て、それから良くなりました」
ここ(延髄)を見るんですね。
「熱が低い時に脈が多過ぎるので御座います」
衰弱です。
「シヤツクリを致しましたのは三人目で、皆結果が良くない様で御座います」
今迄は浄霊の効き方が弱かつたが、もう之からはそんな事はないからね。それですから、力を入れるなと言うんです。原因は薬毒ですよ。
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「本日の蜂がさしたと言う事で御座いますが、蜂の毒と言うのは、何日かすると消えて了うもので御座いましようか」
五分です。私がやつたら二分です。あなた方がやつても十分位です。簡単なものです。直きに消えちやいます。アブでしよう。アブの方がずつと毒がひどい。蜂とは較べものにならない。だけで暫くして赤くなつたでしよう。あれは溶けて出ようと言うんです。それに点眼薬をやつたが、あれが悪い。出ようと言うのを止(ト)めたからね。うつちやらかして置くとメヤニになつて出て治る。
「大本教の時ですか、アブは教祖様、蜂は聖師様の使いだと聞いた事が御座いますが」
そんな事はないでしよう。出鱈目です。天理教なんかは、返答しないから扁桃腺になる。と随分変な事を言いますよ。
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「個人の名前の事で御座いますが、名前を変えるにも時期があると言うのは、何う言う様な事で御座いましようか」
私は、先に頼まれて変え様とする時に、何うしても出ない事があるんです。そう言うのは時期が早いのです。時期と言うのは、その人の曇りの多寡です。多い少ないです。運命の転換ですからね。然し、変え様と言う事は大分時期が来ている。名前を変えて貰つて、反つて悪い事がありますからね。この間、何先生に変えて貰つたと言うのが死んだ。とても悪い名前なんです。知らないんですが、それはいけない。確信がなくてはいけない。仙太郎なんかとしてはいけない。私が変えてやると言う事は神様に止められてますが。選り取りと言う事は構わない。その場合、自分で幾つも書いて来たら選択はして上げる。
「今迄、責任のある事なので、信者さんにも言いませんでしたが、中には色々な方面から聞き、気にする方がありますが、何う言う風に致しましたら宜敷いでしようか。名前の変え方も分りませんし、その儘で宜敷いでしようか」
その儘で良いです。資格者になれば、位が出来る――仏教で言えば覚者となるので、それだけのお蔭を戴いている。一般の信者はそこ迄いつていないので、修業してそこ迄いかなければならない。名前と言うのは、軽々しく変えては、本当はいけないですね。反つて、変えて悪くなる人があります。よくありますからね。山田耕作が病気しているんですが、草冠りをつけたから、私は嫌な事をするなと思つていた。あれから間もなくですからね。悪いですね。耕やすと書いて草が生えたら何うにもならない。田んぼを耕作するにも、草が生えたら何うにもならない。姓名判断なんか知らないですからね。姓名判断では、熊崎健翁と言う、翁(オキナ)と言う字をつけているが、悪いですね。活動が出来ないですね。隠居でもする様になる。
「或信者で御座いますが、昨年の四月三日から、今年は四月四日から今時分迄、竃の附近とか鶏小屋の附近を通りますと、必ずお線香の匂いがするそうで御座いますが――」
霊界がそうなつている。霊界でお線香を焚いている。と言うのは、そこに死人が居る。死霊がいるんです。余程鼻が敏感なんですね。
名前について、この間も或る人に話したが、名前が良過ぎて悪い事が多いです。 つまり、名前と言うのは、その人の霊に相応するんです。名前が良過ぎては、反つて合わない。例えてみれば「天」の字を書くと、きつと駄目になる。「天」と言うのは非常に位があるんです。天皇なんか「天」だが、普通人が「天」の字をつけると良過ぎる訳ですね。隔りがない。我々は地上でやつているのだからね。天上界でやつているのではない。「天」の字はきつと悪くなる。
それから「大」の字が悪いですね。「大」の字は非常に位がある。「大」は一人と書く。神御一人とかね。主神、天皇、主脳者とか、上の位の者につける。普通人民にはつけない。反つて、出世する人で名前の悪い、つまらない――値打のないものがありますが、それはその人の御魂に合つているから、それで良い訳ですね。
「石田朝子と言うのは――」
いずれ変えた方が良いですね。「石田」と言うのは「ア」行ですからね。「朝」は「ア」です。すると「ア」行は火になりますから、上が火なら下は水にならなければならない。「石田」は火ですからね。兎に角余り良くないですね。名前をつけるのに、大体予め知つて置く必要があるね。「ア」行は天ですから、下は地になる。地と言うのは水に関係したものを入れるんですね。
今の「イ」と言うのは「人」と言う字です。この「イ」を人偏と言いますね。之「ノ」が天になり、之「 (カタハ)」が地になる。半分になる。言霊の魂返しで直ぐ分る。「岡田」と言うと、「ダ」――「ア」ですね。之が全部を支配する「オ」ではない。「茂吉」は「ミ」になりますから、「岡田茂吉」と言うのは、魂返しで「アミ」になる。「中島」と言うのは、一番頭は「ア」でしよう「キセ」と言うのは「ケ」になる。それを知つて置かなければね。そう言う風になつている人は、やつぱり違いますよ。人間が利口だとか、出世するとかね。それから「マミムメモ」の音が入つているのは、物質に困らない。それで「巳」の年――「巳」と言うのは蛇ですからね。之は非常に物質的です。それから、何時も言う通り「サシスセソ」の音が入つている人は、自分の意志を通そうと言うんです。それから、名前に「マミムメモ」が入つているのは女性的なんです。それから、苗字も離れ離れになつていては駄目です。それから、読んでスラスラとしているんですね。小学校時分に、谷山龍飛と言う随分面白いのがありましたが、死んじやいました。
「下に『一』の字がついたのはいけないのでしようか」
そんな事はありません。私がつける名前はちやんと意味があります。熱海は瑞雲郷と言うでしよう。「瑞」は「水」です。月の水で、熱海は「月の都」ですからね。あつちは、神仙郷――日光殿と言う、火と水になつている。やはり相応しなければならない。
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「因縁と言うのは、宿命的なものと、運命的なものとありますが――」
それは本に書いてあります。根本は宿命です。それが運命を起しますね。それは第二の意味になる。因縁と言う言葉は良く出来てますね。
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「信者さんで、石の観音さんを雨曝らしにして居りますが、屋敷内に祀るのは如何で御座いましようか」
本当じやないですね。観音さんを石で作るのはいけない。知らないからですね。そうかと言つて、石で作れば安置の場所は外よりない。部屋に飾る様な訳にはいかない。相応しない。蓑笠着て中に入る様なものです。壊す訳にはいかないし、その儘で良いです。
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「信者のお母さんで、癇の虫を切ると言いますが、その方法を覚え、と言うのは癇の虫の強い子供に『浄』と言う字を三回書き、大光明如来様に、この子の癇の虫を取つて頂きたい、とお願いすると、関節とか指から白い筋が出て参ります。そうして、虫の強い子がピタリと治つて了います。最近は、子供が来て、忙がしいので後でやつて上げ様と言う言葉だけで、どんどん出ていつて了います」
面白いですね。人間の指から白い毛の様なものが出て来るのはあります。やつぱり虫でしようね。文字の働きと言うのもあるんです。先に文字で治す先生が居た。「痛み止まる」とか書いてね。そうすると、幾らか良くなる。私だつてお守に「光」と書くでしよう。文字の働きです。文字が働くと言うのは立派なものですね。文字を書くと虫が出ると言うのは、あり得る事です。子供なんか特によくあります。それは丸つきり迷信とか、そう言うものじやない。立派なものがある。然し面倒臭いですね。浄霊の方が簡単で良いです。
「霊の物質化ではないでしようか」
霊の物質化ではないでしようね。然し、出る人はあります。浄霊すると良く出ます。
「大人は出ませんので御座いますが」
大人でも出るのがありますよ。つまんで出す人がある。
「毒素の一種で御座いましようか」
やはり虫ですね。毒素から生まれる虫ですね。
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「酒飲みは腹中の霊が、と言う様に御教頂いて居りますが、副霊と言うのは、何う言う事になるので御座いましようか」
副守護神で飲むのもあるし、お客様でも飲むのもあるし、副霊で飲むのもあります。副守護神の方は中々根強い。何時かおじいさんで、酒飲みの霊が憑り「どうもわしは飲みたくてね。あの時分は酒を買えねえんでね」と言うんです。
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「子供が死の予言の様な事を自分自身で言いまして『死んで何うするんだ』と聞きますと『天国に行くんだ』『帰れないよ』と言うと『生まれ変るよ。何処に生まれ変ろうかな』と言うので御座います。その前に『靴を買つて上げよう』と言うと『僕要らない』と申します。それは誰が言わせているので御座いましようか」
正守護神です。
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「浄化が強く、浄霊をしてもおさまらないので、脈もなくなるし、顔色もなくなつて仕方がないので、余つてあります光明如来様を病人の上に拡げました処が治りました」
お祀りしてない――余分の御神体なら良いですよ。然し、それは浄霊する人の霊力が弱いんです。拡げなくても巻いた儘お腹の上にのせても良いです。お願してね。今の――力を入れないやり方だと、そんな事をしなくても治る訳ですがね。
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「お産の時使つたお腹帯ですが、長く使つた関係上大分汚ごれておりますので洗濯させて頂いて宜敷いでしようか。あとは如何致したら宜敷いでしようか」
洗濯しても良いです。あとは仕舞つて置けば良い。この次お産があつた時使うと良い。お三方にのせて、又使わせて頂きますから、どうでお願申し上げますと言つて使えば良い。
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「伊都能売神は観世音となり、観音は大日如来となると、御教頂いて居りますが、信仰雑話に大日如来は天照大神と御座います。又、長男が伊都能売神、長女が天照大神――と御座居ますが――」
そうです。伊都能売神が天照大神を御守護している訳ですね。つまり、伊都能売神の中に火の働きが入つている訳です。伊都能売神と言うと、火と水になる。火の方が天照大神になると言う訳ですね。水の方は月読尊になる訳です。今は天照大神が沢山ありますがね。踊る神様も天照大神で、爾光尊も天照大神ですね。あれは狐が憑るんですね。それで『この方は天照大神だ』と言うんです。それで皆んな一杯喰つちやう。日本人を有難がらせるのには一番ですからね。天照大神と言うのは、利用価値が一番あるんです。今はどうも、天照大神と言うのは安つぽいですね。今は目茶々々ですよ。天照大神が憑つたら、決して天照大神だと言いませんよ。絶対にね。
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「熱が低いのに脈が高いのは如何なる訳でしようか」
そうですね。それは別に必要はないが、こう言う訳ですね。熱と言うのは、心臓が忙しく働いて――ポンプが頻繁になる訳です。そうすると、頻繁と言うものの、熱の冷め方が遅いと言いますかね。溶け方が悪いんだな。そこで、実際心臓が早くなつて熱を出すと言う事は、熱が必要だからです。と言うのは、早く出しちやおうと言うんです。溶けが悪いんでしようね。そう言う訳です。
「肺病で脈は大して早くなく、呼吸が早いと言うのがありますが――」
肺の収縮が弱つているんです。つまり半分しか吸収出来ないんです。と言うのは、毒が肺に固まつて肺の活動力が侵害されるんです。
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「以前に伊弉諾尊は人類の祖とお聞きしましたが――」
そんな事はありません。人類の祖と言うのは、ずつと先です。伊弉諾尊はずつと進化してからです。然し神道によつては、そう言いますがね。あゝ言う事も、私は必要だけ書いてある。人類学者とか考古学者の様にそう古い事を言つた処でしようがないですからね。大体必要なだけで、それだけしか書かない。それより、現実の問題ですね。何う言う苦しみをしているかで、之が肝腎です。あんまり古代史なんか説かない様にする。結局、一種の道楽になつて了う。
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「新しく御神体御奉斎の場合に、祝詞、善言讃詞、御讃歌を奏げ、その他に奉斎祝詞と言うのは余分でしようか」
神道じやないからね。神道はどうしても祝詞を奏げなければならないが、そんな必要はないですね。奏げて悪い事はないですから、奏げたい人は奏げると良い。奏げたくない――と言う事はないだろうが、必要から言うと、奏げなくても良いんです。お祀りして朝晩拝むと言う処で充分ですからね。
「仏壇に善言讃詞を奏げますのは如何でしようか」
それは神様と同じになるじやないか。だから神様に対して御無礼になる。そこに違いがなければならない。お祭りの時丈はそうして良いが、不断にやつてはいけないと言つてあるでしよう。神様の方は平等じやないんですね。非常に階級をつけるんです。
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十月五日
「胃癌と言われ、水落から八寸位切つていて、今流動物だそうです。メシヤ教に頼りたいと言うので御座いますが、如何なもので御座いましようか」
切つたら生命は平均二年半でしよう。だから長く延びたとしても三、四年でしよう。あゝ言うのは、浄霊してもそう効果はないからね。切つちやつたのはしようがないですね。医者の罪悪ですね。
「浄霊しましても、延びると言う事は御座いませんでしようか」
良くみて五年でしようね。それで上等の方でしようね。それだけ切つたら三年も難かしいですね。一、二年じやないですか。そう言うのは医者の方ですね。こつちでは手が出ない。そう言うのは、霊界の事でも良く知つて、死ぬ覚悟をするよりない。それが一番の救いでしようね。
「医者は二カ月位だろうと言つて切つたそうです」
そう言う医者が間違つている。要するに善意の罪悪です。アメリカの何とか言う人が、私の論文を見て、非常に良いと言う。一つだけ、狐が憑いたのを追い出すと言うが、あれは迷信だろうと言う。私は余つ程言つてやろうと思つた。私の本に、狐を追い出すと言う事を書いてあるからですね。然し狐があると言う事は、追い出すと言う事と違うじやないかね。擲いて追い出すと言うのは、野蛮だと言うんです。然し癌なら癌を、切ると言うのは、もつと野蛮じやないですか。擲いて出す方が未だ良い。切つて取ると言うのが、どれ程野蛮だか、それに気がつかない。それがおかしいですね。うつちやらかして置けば三年や五年は生きられますが、手術すれば早くなります。それを医学はあべこべに解釈した。だから、一人の医者は手術してはいけないと言うのを、もう一人の医者は、おどかして手術したんですね。悪魔ですね。
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「三つになる男の子で、百日咳が大半解決し、その後に脱肛になり、段々腸が出て、二寸五分位のものが、肛門から出ているそうで御座います」
それは脱腸じやない。
「陰嚢も若干膨くれております」
陰嚢は良く聞きますね。
「お風呂に入れて押し込めると、最初は入つたそうですが、力んだりすると出て来るそうです」
それは脱肛です。
「非常に痛がり、浄霊してますが入りません。然し非常に元気で、食欲があり、座敷を飛び廻つて居りますが、痛い為によく座る事が出来ません」
浄霊で治ります。浄霊すると脱肛でも、肛門が柔らかくなりますからね。
「肛門を主に浄霊するので御座いましようか」
やはりそうです。お腹は柔らかいですか。
「生まれた直ぐ、睾丸に水が溜り、それを取り、歩く様になつてから脱腸になり、下がらない様になつてから、腹膜をやり、今でも大変大きいので御座います。下腹が小いさく、上の方が大きくなつております」
そう言うお腹がありますね。
「肛門の直ぐ上に穴があいており、生まれつきだそうで御座います。そこから、肛門に出た様になつて居ります」
奇型ですかね。第一子供に脱肛なんてないんですがね。
「百日咳をやつてから入らなくなつたそうです」
力んだ為ですね。百日咳の前はなかつたのですね。
「左様で御座います」
それじや治りますね。
「今、脱肛の処から粘液が沢山出ております」
それは非常に良い。
「かぶれた様になつてます」
それは毒です。根気良くやつて御覧なさい。治ります。やつぱり、脱肛も毒ですからね。毒が肛門の周囲に溜つているので、浄霊すれば柔らかくなります。実際は霊的なんか恐いものじやない。本当言うと薬毒が恐い。薬毒の為に霊が憑るんですからね。薬毒がなければ霊も憑らない。恐いのは薬毒ですね。私も今歯が痛むんですが、浄霊してますがね。この薬が三十六年前ですね。それでちよいちよい痛むんですが、慣れてますからね。そして、気がついて、ここの処に――横腹のこつちにね。それに気がついて浄霊したら、半分位減つたが、之が五十年前の肋膜ですからね。だから、実際薬毒の恐ろしさは大変なものです。
「地方によりましては『波布草』をお茶代りに飲んで居りますが――」
「波布草」の方は大した事はない。「げんのしようこ」が一番です。それから「アルバヂル」も恐いです。「アルバヂル」で死ぬ人もありますね。薬がなくなれば人間はうんと良くなる。薬毒は直ぐにはなくならない。二代か三代ですね。三代位ですね。三年位からやつと肥毒が抜けるのと同じですね。薬は三代経つたら殆んど抜ける。
さつきの手術を止せと言う医者は、私の説を採用してますね。私の本を読んでますね。手術もいけないし、薬もいけないと言うんですね。今年は日本脳炎は蚊の原因ばかりではない。炎天に頭を晒らすのが悪いと言つている。あれは私の説です。
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「一号観音様を譲り受けましたので御座いますが、何の様に致しましたら宜敷いでしようか、又お浄めさせて戴くので御座いましようか」
一号と言うのは。
「お姿の一番大きいので御座います」
之は御神体ではないのです。字の光明如来様が御神体だからね。御掛けしても差支えありませんが、お浄めとか、そう言う事は要らない。
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「自然農法ですが、春の田植えの時、六割程度駄目になつたと言うので、明主様に御報告致しまして――」
一年目ですか、二年目ですか。
「三年目で御座います。天地返えしを致しまして――」
天地返えしと言うのは――
「下の土を上に起し、その為に酸性土壌が上に上がつたのではないかと思いますが」
その為ですね。
「あとに残つた分を浄霊させて戴きましたが、有肥と見劣りしない様になり、最近では変らない様になりました。お詣りに来ます度に、帰つてみると二、三日でグングンと伸びて居り喫驚りして居りました」
反つて、肥毒は土地の下の方に良く染み込んでます。上つ側の方は雨なんかで流れてますからね。
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「御垂示録を拝読させて戴きまして、一軒の家に仏壇が二つあるのはいけないと言う事で御座いますが、大家さんが死にまして――」
そう言う事情があるのは仕方がないです。そう言うのは、反つて結構です。何時迄もと言う必要はありませんね。或る時期迄いくと、あなたの方に一緒にしても良い。三年位経つたらね。
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「御垂示録の中に『メグリ』と言う事をおつしやつて居られますが、何の様な意味で御座いましようか」
罪穢れです。大本教のお筆先にあるのです。
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「お筆先にあります『天が六、中界が六、地が六』と言うのは、何う言う意味で御座いましようか」
そうですね――つまり、夜の世界だつたんですね。天も夜、地も夜と言うんですね。面白い譬喩ですね。一厘の御魂が天から降りて、天が五になり、地が七になると言うのは嘘じやないんだからね。一厘の御魂と言うのは面白いものですね。昔、二十年位前――大本教に居た時分に或る人から古銭を貰つた。一厘銭と天保銭と金貨を貰つた。金貨が明治四年なんです。それでみると、大本教の教祖様が天保生まれですからね。聖師様と言う人は、明治四年生まれなんです。それで、金貨ですね。私が一厘で、丁度その通りになつたんです。あの時は神様がお知らせになつたのだなと思つて大事に取つて置いたがね。お筆先に「九分九厘と一厘」と書いてありますね。邪神の方で九分九厘成功したんですからね。一厘でひつくり返えすんですね。医学が九分九厘ですね。医学を信じない者は世界中にないでしよう。それを私が、一厘でひつくり返えしたんですからね。全く、九分九厘と一厘ですね。
「一厘の御魂と申しますのは、この地上が始まつて以来初めてで御座いませうか」
いや、そうじやない。二度目なんです。だから、お筆先に「二度目の天の岩戸開き」とありますね。だから、全て二度目の形式をとつてます。何でも二度目になりますね。前の一厘の働きは本当じやなかつたから失敗した。二度目が本当なんです。
「大本教の方では、一厘の御魂は誰だと思つているので御座いましようか」
分らないんですね。人によつて色々ありますね。三代様と思つて居るのもあるだろうし、日出麿――と思つているのもあるでしよう。「力のあるのは東から出るぞよ」とか「悪の隠れ場もなくなるぞよ」とある。今に大本教で頭を下げて来ます。それで、お筆先にちやんとあるんです。
「三代様が居らつしやつたと言う事で――」
そうですね。一歩近づいたんです。力と言うのは――力は今迄――本当の神様の力は出なかつたのですからね。
「朝は曇つていて、帰る時は降りましたが――」
あれは教祖さんの霊が憑いてますからね。今度は本当の力が出るんです。経と緯を結ぶと言うでしよう。結ぶ処で活動が起る。だから、経と緯が本当に結ぶ時が本当に左進右退の動き出しです。今迄は右進左退だつた。それが左進右退になる。それではじめて邪神の方が、手も足も出ない様になる。今迄は結んでなかつた。別々だつた。
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「御垂示録の中に結核の事が御座いますが、一寸重いのは一日か二日置きに浄霊するのが良いとありますが、浄霊を毎日戴きますと、非常に痰が薄くなつて、出良くなりますが、二日位休みますと、痰がねばねばになり出難くゝなりますが、如何致しましたら宜敷いでしようか」
そう言うのは毎日やつたら良い。臨機応変です。唯、痰なら痰が、どんどん出ると良い様だが、そうでなくて、衰弱するんで、それが恐しいです。だから、衰弱させないのが一番です。そういうのは、場合によつては一週間に一回やる。要するに、あんまりほごさない方が良い。少しづつ、少しづつ溶かしていく。今日では、溶け方が早い人が出来て来るんです。臨機応変ですね。
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「今日のお伺いにありました淋巴腺を切つた者ですが、お産の時、新しい産婆さんは腹部を冷やすと言うので御座いますが」
其時子宮を収縮させて仰向けにしているから、それが腰に垂れて来ると言う事がありますね。収縮が遅い方が良いですね。早いと血が残つている儘収縮するからね。馬鹿なものですよ。子宮の、その方は直き治ります――溶ければね。何時迄もあると言うのは、こつち(淋巴腺)の方ですね。
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「一信者の子供の名前に、四劃があつたり『大』の字があるので、明主様に変えて戴きたいと言うので御座いますが」
普通の信者ではいけません。資格者なら良い。今に名前の事は教えます。急所だけをね。
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「腋臭に就きまして、未信者が腋臭を手術して、臭いは取れましたが、その後痔が悪くなり、今苦しんで居りますが、腋臭の原因は何で御座いましようか」
獣の血なんです。前の世に獣だつたのが、人間に生れ変つて来たのです。腋臭と言うのは、獣の臭いと同じで、動物園に行つたみたいです。血でなく、血の精が出るんです。ここ(腋)を止めるから、出所がなくなつて下にいつたんですね。
「浄霊の箇所は局部だけで宜敷いでしようか」
局部で良いです。そこに血の精が寄つているんだからね。知らないからですね。こういう点もある。腋臭は西洋人が多いですが、獣の生まれ変つたのではない。肉食するから、その血が混じる。それで臭うんです。私なんかは、前の世は――人間ですが――女だつた。だから、毛むくじやらじやないです。女の手の様でしょう。以前に女中なんかと較べて、私の方が綺麗だつた。だから、体が毛むくじやらでないですね。綺麗です。それで、前の世に女だつた事が分るのです。
「明主様が前世とおつしやるのは、直ぐの前世で御座いましようか。それ共前々世で御座いますか」
直ぐ前です。
「では、義経とその間に――」
幾度も生まれ変つているからね。
「御神書を拝読させて戴きますと、霊界に長く居た程良いとあります。明主様は再三生まれ変つていらつしやいますので――」
いやいや、然し前世の罪があつたから、随分苦しみましたよ。普通の人より罪があつたから余計苦しみます。神様は公平ですからね。むしろ、上の御魂程浄化が強いですよ。お咎めがひどいですからね。唯、幾度も生まれ変つて来ると言うのが一番良いですね。先祖が古い程ね。私なんかは本当の大和民族ですからね。大和民族の宗家みたいなものだからね。約三千年位下積みになつて居た。
「女ばかりに生まれて来ると言うのは罪が多いので御座いましようか」
そんな者はないでしよう。
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「資格者の中で、所属する中教会長が気に入らないと言うので、皆んなを勧誘して替つていくと言う人が居りますが、何う言うもので御座いましようか」
それは嘘ですね。それは未だ信仰に入つていない人ですね。神様と言う事を信じていないからです。万事神様がやつているんですからね。若し会長が悪いとしても附かなければならない因縁があるんですからね。若し会長がいけないとしたら、つまみ出されるか、直されるかする。人間が、全然いけないと言うのは、神様の領分を犯している。人間には善悪は分らないと書いてあるでしよう。会長がいけないと言うのは、信仰が分らないのです。
「受け入れた会長も分つていないと言う事になりますのでしようか」
それは分らない――神様ではないからね。あの会長はいけないとか言う――その人が分らないのです。私などは、部下が間違つていても、間違つていると言つた事はないですよ。神様に任せているから、若し間違つていたら出されるか、ひねりつぶされる。人間の目には間違つたようでも、神様の方からは、何か必要があるんです。○○と言う人が、その様な事があり、まあまあ神様がやつているからと言つて居たが、遂々体が悪くなつて病院に入つて死んじやいました。その位の事を、神様に力がなかつたら、信じない方が良いです。今○○○に居る――あれを出さなければならないと言うが、神様がやつているので、必要があれば神様がひよつとつまんでしまう。未だ必要があるから、あの儘なんです。
死んだと言う其人は大変な手柄をした。良い事をしました。私は今でも感謝してます。良い事をしたが、之からは悪い事をするから止(ト)められた。一時必要があつた。神様は深いんだから、人間の目で良いとか悪いとか分る様では――そんな神様ではね。何んな悪い奴でも、何んな馬鹿な奴でも其時は必要があつて使われるんです。大抵、時が経つと分ります。三千世界の大芝居で、悪役もあるし良い役もあるし、色々お役がある。ですから、色んな悪役もありますが、悪役もなければ芝居にならない。善人ばかりじやね。だから、何だ彼だ言い乍ら発展していけば良いんです。どうせ悪の世ですからね。それから又、邪神ですね。邪神だつて教団の中に入り込む。信者全部を邪神が狙つています。油断も隙も出来ないです。それで、邪神の為にひどい事になる人がありますが、それは浄化作用です。邪神にやられなければ浄くはならないですね。
第三次戦争は逃がれる事が出来るかとか、スターリンは何うなるかと言う人がありますが、スターリンは何うなるかと言うより、アメリカや他の自由国が何うなるか、その方を見たら良い。何故なら他の色々なものに塵芥(ゴミ)が溜つているから、スターリンを使つて掃除をされるんです。自分の汚たないものを取つて呉れるんだからね。スターリンをあゝ言う風にして、世界中が震え上がる。その震え上がる方が皆んな汚ごれ切つているからですと言つたら、その人はポカンとしてましたがね。一寸この意味は分らないですね。つまり、戦争と言うのは浄化作用の大きなのです。やつぱり病気と同じです。世界が病体と思えば 良い。病気に罹つたんだから、大浄化作用ですね。之が大戦争です。世界の浄化が起ると言う事は、毒素があるからです。その毒素は一寸やそつとの病気では駄目だから、一ぺんにと言うのが第三次戦争ですね。第三次戦争が嫌だつたら、先ず御自分の心を入れ変えるんです。御自分は相変らず悪い事や、ずるい事をしていて、戦争を逃がれ様と言う事はね。
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「発展の順調な頃と現在の状態とは、大変邪神に乗ぜられているという感じがしますが、浄化で浮いて来ると云う感じでしようか。浄化の一歩前でしようか」
浄化されてるんですね――邪神の為にね。以前にぱつといつたのは、花が咲くんですからね。あゝ言う風にはいきませんよ――実が成るんですからね。堅実に著々といきます。何しろ、神様のやり口は深いんだからね。それも私がちよいちよい言つてますが、この次の論文かに、医者がメシヤ教を発展させているんだと書いてますが、医学が間違つているから、我々が発展するんですからね。医学が間違つていなければ、我々の方に来ません。医学が間違つているからメシヤ教が発展するんです。
「新聞にマイシンを五百五万弗ですか、輸入したそうです」
それで良いですよ。然しあれはそうひどい事はない。何しろ苔だからね。
「ペニシリンより厄介だそうですが――」
ペニシリンは純粋の苔だからね。あの方から改造したものでしよう。鉱物性じやないですね。
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「大社の信者さんが、法難事件の時、癪に障つたと、お守様を海に捨てたそうですが、山に行つた処が、ちやんと拡げてあつたそうです。二、三カ月経ても全然破れていないそうです」
やつぱり、全然違うんです。昨日のお蔭話の中に、その人一人が信仰に入つていて、医者に行つて切つて貰えと大騒ぎだつた。処が何うしても柔らかくならない。然し、何うしても医者に行かない。御霊紙をはつて、三日目の朝取つた処、膿がどつと出て治つちやつた。今度「栄光」新聞に出します。他にはつてあつたものは、膿がつくとぐちやぐちやになるが、御霊紙は何ともない。それで、汚物を焼いたんです。二度か三度焼いたんですが、御霊紙は焼けないんですね。それで、今迄自分の信仰がぼやぼやしていたのを見せて下さつたんだ。と、之から一生懸命やる。と言うお詫びの様なものがあつたがね。燃えないと言う事を非常に強調していた。
昔、婆さんが見物に行つた時、艀から本船に渡る時落ちて沈んだ。そうしている中に浮き上がつて、手を持たれて助かつたが、びつしより濡れたので、段々着物を脱いでいたら「おひねりさん」を持つていた。それだけは濡れていなかつた。それで助かつたんですね。その位の力がなかつたら、病気を治す事は出来ませんからね。
「三年程前に入信、お蔭を戴いて居りましたが、その後やつて居らず、最近病気をして、御嶽教や日蓮の行者が来て、こんなものを掛けているからいけないと、お守(光明如来様)をはずして了い、それを燃しつけると、燃え終ると同時に、息が絶えて了つたのだそうです」
やつぱり、その人はそれだけの――霊的に極く低いんですね。第一、御嶽の行者に言われて、それを信ずる様じや問題にならないですからね。
「亡くなつた人のお守を教会に持つて来た場合は――」
それは死ぬ人の気持任かせれば良い。そう言う希望がなければ、そこの家で、紙に包んで粗末にならない処に取つて置くと良い。
「信仰を止(ヤ)めて居ります」
それじや、教会に持つて来て取つて置きなさい。いずれ、先が詫びて来ますから、取つて置くと良い。
「或信者が、過まつて、紐が切れていたか、袋がなかつたのか、便所に落しましたが、如何致しましたら宜敷いでしようか」
それはしようがない。無論新しくするんです。
「お焼きするのは、庭では勿体ないから、火鉢で――」
いやいや、そんな事はない。庭と言つても便所より上だからね。
「主人がシヤツに入れていたのを、奥さんが知らないで、お守が入つている儘水に入れて了い、気がついて申訳ないと持つて来ましたが、拡げて乾わかしても、乾わかないのです。今以つて――半年以上になるのですが、湿めつぽいそうです」
良くお詫びするんです。その人の心掛けが悪い。それをお知らせしたんです。本当は首から掛けて洋服を着ると言うんです。そうでなく、ポケツトに入れていたんだから、良くお詫びして御神前に置くかすれば良い。それを、普通のものを掛ける様にしているからで、心掛けが悪い。
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「教導所をつくつた場合に、一般に知らせるのに広告などは如何でしようか」
広告は要りません。そんな事をしなくても良い。理由を言えば、信者を連れて来るのは――信者になる人が来ますね。お客様がね。来ると言うのは神様なり、そこの家の先祖なりが連れて来るんです。だから広告を見なくても来るべき人は来る。大体あゝ言うやり方は神様を冒涜する事になる。按摩を開業したとか、歯医者を開業した、と言うやり方と同じだ。之は極端な話だが、金光教の信者で、広告とか、人にも宣伝しないと言う――極端ですが――何にもしない。何とかしたら良いでしようと言うと、いや神様が連れて来るからと言う。二年間一人も来なかつたそうです。それから一人来て、それからぼつぼつ来て、大変に繁昌したというんですね。之は極端ですが、神様を信ずると言う点では面白いと思う。
だから、私は新聞広告だとか、宗教宣伝すると言う気持はちつともない。唯、色々な事の必要で「新しき暴力」の如き、皆んなが間違つている事の為に、あゝ言つた拷問や何かされて苦しむ人が沢山出来るから、それをやつているんです。一番初めに信仰雑話を出した事があるが、新聞広告は何の位反響があるか試したんです。いずれ、結核の本も新聞広告をしますが、あれは、結核の人間を救いたい為です。あんまりひどい事になつているからね。「⇒結核の革命的療法」として、又は「結核の宗教療法」としてか、どつちかにする。
信者が病気が治つて、その人が宣伝して、段々連れて来るんです。その人が又連れて来ると言うやり方がしつかりしている――強いです。人間の目には見えないけれども、神様には分る。この人が救われたら、こつちの人、今度はあの人と、霊界では順序が定まつている。だから、順序が来ていないのに、この人に知らせても入れないんです。
「重要な人間が入つたら拡がるかと思つていると、そういきませんですね」
そうはいきません。天理教で言つている、学者、金持ち後廻しと言うが、あゝ言う事はあります。いずれインテリの信者が沢山出来ますが、時期がありますからね。霊界の中で浄化が強くなるから、つまり、理屈だけで、インテリは押していきますからね。処が浄化が強くなると、理屈では押していけなくなる。実際的に悪くなるとね。今迄は医者が注射すると、大抵一寸は良いが、いずれは注射すると直ぐ死んじやうと言うのが沢山出来て来る。医者自身が、方法を講ずるのに怖くなつて来ますね。それで、何とか方法はないかと言う様な時代になつて来ます。それは楽なものです。そうなると言う事は、こつちがそれだけの組織や準備がすつかり出来ていなければならない。
考えてみると、今、どんどんと救われたいと言う人が出来た処で、受けきれないから駄目です。だから私なんかでも随分ぼかしてますが、本当にメシヤ――キリストと言うと、世界中の人が寄つて来て仕事が出来ない。「⇒文明の創造」なんか書けない。だから、丁度良い様に神様がやつている。この次はこうなる。その次はこうなる――と言う事は、ちやんと知らせますから、ちやんと分つている。神様は、それは旨くやつてます。私は今に世界的の論文を書いて、私はメシヤではない。更に、私の仕事を見て、世界を救うと言うメシヤだけの、実際の効果を見て――そうしたらメシヤにしても良いと書く心算りです。メシヤだけの働きをすれば、メシヤと言つても良いが、最初から、俺は何だ彼だ。と言つた処でしようがないですからね。和光同塵と言つてね。旨い事を言つたものです。大分近寄つて来たですね。来年あたりから、かなり目覚ましい事になりますね。
「此頃病気になつて医者に行くと、救世教に行こうかと言つても反対しないで、むしろ推奨する様で御座います。今迄は、ひたむきに反対していたのが、自分の手に追えないのは、宜敷いと言うそうです」
そうです。長い間一生懸命に金を使つているでしよう。それで治らない場合に、先生何うしたら良いでしよう。と言う時に、逃げ場がないので、逃げ場として――責任解除として言う奴が居ます。中には良心的な医者もあります。助けてやりたいと言う気持のも居りますよ。結局、段々世の中に分る人が増えていくと言う訳ですね。そうすると、空気が違つて来る。それから、こう言う事が大変ある。去年の事件で、あの位やられたら、大抵ぶつつぶれちやう。処が相変らず、びくともしないでやつている。そうすると、馬鹿にしたものではない。相当に値打のあるもの――権威のあるものだ。と、見直すと言う空気も大分ありますね。長い間の例から言つても、大抵な新宗教であれ位やられて、新聞にもやられたら、萎びるか、復活するのに年数がかかる。処が、びくともしないで、むしろ発展の気勢さえ見える。そこで、考え直すんですね。だから、去年の秋に大祭をやつたのも良かつたです。謹慎するとか、萎びるとかすると、やつぱり臭い処があるのかな――と思いますからね。平気で居ると、そんなに悪い事はないんだ、と言う様になりますからね。又、事実そうなんだからね。
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「教導所で家が転々として変ると言うのは、浄まりが足らないので御座いましようか」
結構じやないですか。大いに変つた方が良い。変えなくちやいけない、と言うなら、それで良い。大体、本部だつて随分変りますよ。之からも変る。
「一部の人は、あんまり曇りがあるから落著けないのだ、と言うのが御座いますが」
そうですよ。曇りを取る為に変るんです。大体、曇りがない人なんて、居ないです。
「信仰するその人にで御座いましようか」
信仰する人も、信仰しない人も、先生も、その家も、皆んな曇りがある。
「やつぱり良くないと、世間で評判されるので御座いますが」
構いません。神様がそうされるんですからね。新聞も、最初「光」それから「救世」それから「栄光」と、こんなに題名が変るのなんか他にありませんよ。神様がされるんだから、しようがない。それは、こう言う訳です。今迄の宗教と全然違うと言う事は、今迄のは夜の世界だから長くやつていたが、今度は千年位かゝつていたのを、私は十年位でやろうと思つている。神様がやられるんですが――と言つた方が良い。
「変らずに続けてやつた方が良いでしようか」
神様にお任かせすると良い。と言うのは、変つた方が良くいく《心配しなくて良い》と言う好条件の場合は変つても良い。神様にお任かせすると言うのは、そう言う意味なんです。私なんかも、よくそう言う事がある。何かに支(ツカ)えて、此方に来た方が良いと言う場合があると、之は神様が――と、こつちに行つちやう。そう言う場合に、馬鹿にゆつくりしている様で、馬鹿に早い。
今、鉱山をやつてますが、非常に良い鉱山を買つた。三月程前に、一つの石を持つて来て、こう言うのが売物に――と言うので、よし買え。と言うので、翌る日あたり調べに行つて、屹度出るに違いないと言うので、直ぐ買つちやつたがね。そこが、段々進んで行つて、もう少し経つと本当になります。早い時は馬鹿に早いです。箱根の神山荘を買う時、持主が藤山愛一郎ですね。値段を聞いたら直ぐ知らせろ。と言つて、十六万円ですかね。それで直ぐやれと言つた。そう言うのも神様がやつているんですね。神様がやつているから、人間の考えで、何うこう――と定めたりするが、それはいけない。それを、千変万化、自由無碍と言うんですね。神様が、こうしろと言う事は、随分案外な事や、夢にも思わない事がありますからね。それで良いんです。
それから、良い考えが浮んで来ない時は、決してやつてはいけない。時期が来ないからね。その代り良い考えが出たら、神様がしろと言うんだから、やると良い。そこの処は、一寸言うに言われない面白い処ですね。だから、ゆつくりする様な、非常に急ぐ様な、一寸――普通の世間的のやり方と、非常に違います。私などは、非常に仕事が早いですね。用は幾らでもありますが、そうかと言つて、少しもせかせかしないですね。随分ゆつくりしている事もありますからね。だから、自分なら自分、中教会なら中教会で、予定の様にいかなかつたり、思う様にいかなかつたりする時は、決して悲観しないで、時期の関係で、神様の考えだからね。そうかと言うと、どんどん発展する。此分では、何んなになるだろうと思つていると、ぱつと止まる。それで良いんです。それで、一年前、二年前に較べるとウンと発展している。それでも、発展しないと言うのは、横道に入つている。軌道に乗つていない。神様にお願いして、それに気がつくと良い。暇な時に――こう言う時は本を読めと言う事に違いないと、御神書を読むんです。之は何んとも言えない処ですね。
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十月八日
昨日はラジオで、愛国の討論会があつたですね。新しき愛国とか、何かそんな様なので、以前の愛国――終戦前の愛国とは違うとか、こう言う愛国でなければいけないとか、色んな事を言つてましたがね。あゝ言うのに「⇒世界人たれ」と言うのを読ませてやりたい。愛国精神と言うが、愛世界精神なら良いですがね。
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「午前中の御伺事項中の人は、宿屋の番頭をして下座の業を覚えると言うので、伊豆山の旅館に入り、大分修業しているうちに女の人と出来て了い――」
何の業だか分らないね。下落の業だね。落第したんだね。
「若い者が恋愛をして、熱を上げて居り、冷めてから、新しく又恋愛を致しますが、そう言うのは罪になるので御座いましようか」
最初に恋愛して結婚したんですか。
「結婚して居りませんが、肉体関係があつたと云う場合で御座います」
それでは玩弄したんですね。それでは罪じやないか。不届だ。恋愛を慰みにすると言うのは天則違反です。ちやんと、夫婦になるべく恋愛して、夫婦になつて、それでお終いです。其れ以外の恋愛なら、全部罪悪です。それは理屈のつけ様がないんです。今は旨い理屈をつけてますが――文章なんか書いてね。
「結婚しないでも好きになる場合が御座いますが」
沢山ありますよ。然し、結婚の意志がなくて――唯好きだ、では駄目です。実際は結婚の意志がなくて恋愛すると言うのは嘘です。それは本当の恋愛ではない。一時的で――自分でも、冷めると言う事が分つている卑怯な奴です。女を玩弄するんです。私も若い時分、やつぱりそうでしたが、そう言う切つ掛けには決して手を出さない。俺はこの女と結婚する意志があるかないか考えて見て、そんな気がない。そうすると、相手の女を不幸にするから罪になる。それだからやめると。その時分は神様の「カ」の字も知らないからね。
「明主様では、そう言う事は出来ませんので――」
処がね、明主様となれば出来ないですよ――然し二十代のおつちよこちよいだつたがね、そう言う事は出来なかつた。神様にさせられなかつたんですね。そうして、色々――そう言う危ぶない時になると、何か邪魔が入る。そう言う風に、運が悪いのだと思つていた。今考えてみると神様がちやんとやつたんですね。
「熱を上げている時は、理性がなくなるので、何でも嬉しいんですね」
私は理性はなくなりませんね。なくならないのが本当ですね。つまり、理性を脱線するのは、要するに邪神にやられているんですからね。今迄の世の中は、邪神がそう言う人間を使つていた。今からは、そう言う人間でない人間が出来て来ます。邪神が弱つて来ているからね。だから、今迄の考え方、やり方ではいけない。そこにメシヤ教の良い処がある。
「御婦人の方は、メシヤ教に入つている人を主人にすれば安心で御座いますね。明主様が何時も堅くおつしやつて居られますので――」
そうはいきません。私の言う事を聞く人なら安心だがね。下座の業より危ぶないからね。神様は試しますからね。それでもいけないものは、つまみ出しますからね。自分が止(ヨ)すとか、自分の方から出るとか言うんでなくて、神様につまみ出されるんです。自由自在に力がありますから、又猶悪くなければ、キユツと止(ト)めちやいますからね。
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「中風は反対側の頸部に来るとの事で御座いますが。足の方のは――」
足ばかり悪いのではない。その代り、右の手と足は同じです。右の手と、左の足と言う事はない。足でなく手です。手が悪ければ足が悪いんですからね。
「中風で極度に震えるのは、如何で御座いませうか」
重いのです。筋が吊つているんですね。
「絶えず、首だけやるのは――」
筋が吊つているんです。
「中風は関係御座いませんのでしようか」
関係ないのです。頸部が凝つているんです。
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「日比谷の御講演の時の御写真を飾らせて戴いている人がありますが、何う言う風に致したら良いか、と言うので御座いますが」
一番穢れがない処にです。
「写真立てに――それ共鴨居でも宜敷いでしようか」
お粗末でなければ良い。
「違い棚には――」
違い棚はいけません。
「鴨居には――」
掛けると言うんでしよう。それなら良いです。
「御挨拶は何の様に致しましたら宜敷いでしようか」
敬礼だけで良いです。病気とか――そう言う時にお願いするのは良いです。不断はそう迄しなくともよいのです。
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「仏壇を大きくしまして、前の小いさい方は、信者さんで欲しいと言う人に譲つても宜敷いでしようか」
譲つて良いです。不用品ですからね。
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「一般の教会で、月並祭の場合に、その前とか後に、御浄霊して宜敷いのでしようか」
しても良いですよ。本当は後でするんですね。沢山浄霊に来るのは構いませんよ。後でやる方が良いです。さつきの恋愛問題ですが、時期があるんです。之からは、神様の方が、きびしくなつて来たんです。先には許された事も、今後は許されないと言う事が多くありますから、注意しなければならない。
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「田舎の家で、二階に御神体をお祀りさせて戴く為に、蚕室になつて居りますが、見晴らしが良いので、そこを改造致したいと思いますが、如何で御座いましようか」
結構です。
「床の間の具合は、何う言う風に致したら宜敷いでしようか」
座敷の形で然るべくすると良い。
「南向きで御座いますが」
南向きは構いません。唯、座敷で一番位置が良い処ですね。一番良いと言うのは、入口から一番離れた処ですね。それから、後戻りしない事ですね。座敷に入つて、突当りか、横なら良いです。
「普通は、床の間は半分違い棚、半分床の間になつてをりますが、真中で宜敷いでしようか」
そうです。それで良い。それから、半分に別ける場合に、入口に近い方が違い棚、遠い方が床の間になる。奥の方が床の間ですね。そうすれば良い。自ら何処が上座か分りますね。
「私の家は反対になつてをりますが――」
そう言うのは沢山ありますよ。
「廊下に近い処が床の間で、遠い方が違い棚になつておりますが――」
廊下じやないんです。入口です。入口と言つているんです。床の間の方は廊下でも構わない。入口が出入するでしよう。廊下と言うのは余り出入りはしない。だから、入口から遠い方ですね。
「家の階下の、入口の上がお祀りしてある処、と言うのは関係ありませんでしようか」
兎に角、二階は下と関係ないんですからね。二階だけの事で良いんです。
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「二カ月前から体が悪く、四人の医師にかけて病名は判らず、注射を打ち、近くで浄霊の事を聞き、浄霊を戴いてより少し楽になり、娘が八月二十三日に入信し一生懸命に御浄霊し、責任教師も毎日ではありませんが、浄霊して居り、一時良かつたのですが、腹部が膨つて以来、反対する親戚の者が医師を連れて来て、診せたそうですが、あとで水を取らなければならないが、取つても命は責任持てないと言つたそうです。九月二十七日御神体御奉斎。其晩は喜んで居りましたが、二十九日の午後帰幽し、医師が来て、御神体を焼かなければ診断書を書かないと言うので、申訳ない事ですが、反対者が焼きました」
神様をお祭りするのが早過ぎるんです。病気が治つてからお祀りするんです。未だ、治るか治らないか判らないうちに、お祀りさせるのは、教会の先生が間違つている。つまり、原則としては病気が治つて有難い。だから、今後病気にならない様に、又人を助けたい、と言うのでお祀りするんです。お祀りしたら早く治ると言う考え方は本当じやない。御神体を治療機械みたいに思つてわね。だからお祀りするのは慎重にしなければならない。と言うんで、神様が焼かしたんです。焼く人が正当なんです。だから、お礼に行つて良い。
「診断書は滞りなく取れました」
それで良かつたんです。こう言う事になるんですね。神様をお祀り迄して、助かるかと思つたら死んじやつた。神様は良い加減なものだと、信用を毀つける。そうすると、結局御神業のお邪魔になる。偶には、早くお祀りしてお蔭を戴く事があるが、それはこう言う風に考える。命に関わりのない病気なら早くても良いが、命に関わるのは絶対に早くしてはいけない。先にもよく話したがね。そう言う事なんです。実はそう言うものなんです。だから命に関わる病気なら、治つて之なら安心と言う時にお祀りする。そうすると、親類でも賛成して邪魔しないんですね。若し邪魔するとしたら、先が悪いから、それは神様に、それだけの成敗をされる。
「親戚に親子の仲の悪い処があり、このお救いを話し、御神体奉斎し、其の後御参拝に来ませんで、子供が御神体を破いた事がありました。三年程前で御座います」
親父は信仰に入つているんですか。
「左様で御座います」
何う言う訳で信仰に入つたんですか。
「家庭が仲良くなかつたので、それを無くする為に勧めましたが、子供がいたずらした後、お迎えする様にお話しましたら、戴きたいと言うのですが、その時家が納まらなかつたので、私の方で奉斎して居ります。向うから来るのを待つべきでしようか」
無論です。最初から無理してお祀りしたんですからね。今言つた様に神様を仲直りの道具に使つた。本人が信仰に入つて、御神書を読んで立派な信仰だ。是非お祀りさせて下さい。と言うのなら良いが、本当に分らないうちに押しつける様にして祀らせたのでは、神様に対して御無礼になる。有難い、是非自分もそう言う神様を拝みたいと言う切なる気持でお祀りしてこそ、はじめて神様は――人間と同じですよ――気持が良いです。人間だつて、あの人に是非来て戴きたい、助けて戴きたいと言う気持の処に行つた方が良いでしよう。それを、その気持がないのに、押売り的に行つても、先が心から歓迎しないからね、心からでないと、光が強く出ない。お祀りして、人間が本当に敬まつて崇めると、光が強くなる。だから、一家揃つて、一番浄い処にお祀りすると、光が違う。それを、人間以下に――人間が上に住んで居たりしては、光が出ないんです。そう言う訳なんです。
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「病気になり、何処かに見て貰いに行つた時、観音さんが何処かに置いてあるから、それを探がせば、あなたの頭の病気は治ると言われ『アマ』を探がして見た処が――」
「アマ」とは何ですか。
「農家で、二階を『アマ』と言い、薪を上げたりして居ります。それを御神体としてお祀りしてより神憑りとなり、南無観世音菩薩と言つて、数珠で患部を痛む迄こすつて、膿を出さなかつたら、絶対に病気は治らないと言つて、やり始めたのが流行つております」
それは、少し怪しい観音さんだな。手でこすつて膿を出すと言うのは、そのお神さんでなくても、普通痛い迄にこすれば出ますからね。
「信者の兄が一昨年から精神病になり、浄霊を続けて居りましたが、大きな御浄化で床に就き、満足に喋る事が出来ず、笑つたりするだけで、はかばかしくいかないので、頼みに行つた処、之は十日で喋る様になり、二十日で歩く様にしてやると言つたそうですが、左の肩を一生懸命にこすつて膿を出し、十日目に喋りましたが、又元通りになり、二十日目にも歩かなかつたそうです。その様な、観音さんと称しているのは何で御座いましようか」
それは贋観音です。狐が化けてやつているんです。
「親戚で良くなつたと言うので御座いますが」
軽いものは良くなります。狐の力に合うものは治ります。だから相当に繁昌します。然し、自分より上の霊とか、自分の力では追つつかない相手では駄目です。
「又浄霊を戴きたいと言うので御座いますが――」
やつてやると良い。
「そう言う霊媒的素質の人は日本に多い様で、外国に発表される様な優秀な霊媒はない様で御座いますが」
そうではない。ありますが、外国は学問的に――科学的にやるから割合立派なんですが、日本は直ぐ野心を持つて、爾光尊とか踊る宗教とか――やるから駄目なんです。日本の社会が――日本人が低級な為でしようね。一寸した御利益に夢中になつて、狐に瞞され易いのですね。教育の程度が、外国は科学的で正確でないと、信用しないから、学問的になつてそうなるんです。
………………………………………………………………
「逆床になつて居りますが、御書体以外の御神体をお掛けする事は、如何で御座いましようか」
それは構いません。
「明主様の御写真は、床の間でなく、一番奥の鴨居にお掛けしても宜敷いでしようか」
それで良いです。後戻りの床の間は、直すと良いんです。横とか突当りにね。後戻りは何うしても悪いですね。直せるでしよう。
………………………………………………………………
「上田と言う女の信者で、熱心に信仰して居り、子供がリツトル氏病で、小児麻痺様になり、目も見えず、口もきけず、亡くなる一月程前に、先祖の霊と言うのが沢山出て参り『もう一月すると、救う為に霊界に引取る。それで夫婦も良くなる』と言い、次に十七才の長男がお守戴いて居りますが、キリスト教の教会に讃美歌をうたいに行くのが好きで行つて居りましたが、八月に奥さんの霊が憑り、『この子は霊界で御用があるから、涜罪と言う意味ではないが、引取る』と言い、それより長男が寝つきました。審神(サニワ)させて戴きましたが、恭しく出て参り『八大龍王三女神の部下の神で、何うしても霊界で人類救済の御用をさせなければいけない事になつている。主人はそれによつて分つて、入信する事になる。その主人も、何うしても分つて、現界で使う事になる。浄化ではなく、霊界に引取り、直ぐに主人も分る様になる』『一体亡くなる時期は何時ですか』と言うと『今日だ』と言うんです。明主様にお伺いして帰りましても間に合わない様で御座います。之は本当で御座いましようか」
之は本当でしよう。
「少し前から死を知らされると言うのは、それによつて苦しみますから、浄化の為でしようか、と聞きますと『浄化ではない。信仰が厚いから、死を知らせて、その覚悟をさせるんだ』と言いました」
悲嘆に暮れる事がないからね。
「何であろうと、兎に角神様に救つて戴けば良い。有難い。それ以外は何も考えない様にする。と言つて居ります」
大変結構です。やつぱり、そこの家の因縁によつて、そうしなければならない人があるんですからね。ですからそう言うのは何うする事も出来ないですね。定まつているんですからね。それは邪神ではない、本当のものです。色々と霊的に深い意味があります。人間によつて色々あります。神様の方で選らばれた人は、普通の人とは違うんですね。神様に選らばれたそう言う人は、主人公が非常に重要な役目を持つているが、霊統に大きな罪があるという場合には、結局涜罪ではないと言うが、大きく言うと涜罪です。涜罪でなくても、主人は子供二人も亡くなつて、はじめて信仰に入る――それから、霊なんか知らない三千年も前の罪を消さなければ本当の御用が出来ない。と言う場合に、そう言う事になるんです。罪穢れと言つても、三代前とかと言う罪もあるが、そうでなくて三千年前の罪だつてありますからね。それを綺麗にしなければならないからね。
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「五日の特別御面会の時、明主様は度々生れ変りになられ、それだけの使命と罪もあるんだからと御座いましたが――」
そうです。
「明主様程の御方が、何の様な罪が――」
義経に生れた時でも随分人を殺したからね。神様は公平だからね。私だつて、反つて普通の人より重いからね。
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「観音さんのお像が左手がもげているのは、如何で――」
それはいけない。早く修繕しなさい。元通り修繕してあなたの処に祀つて置かなければならない。
「何処にお祀り致しましたら宜敷いでしようか」
光明如来様の――床の間に向つて右の方にです。
「大黒様を祀つて居りますが」
大黒さんは左の方にする。
「お厨子も壊れておりますが」
それでは、お厨子も修繕しなさい。その儘での修繕で良いです。
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「信者の方で、入信する機縁でしたが、不思議に観音さんが手に入り、青銅、陶器、珊瑚の三体で御座います。何う言う具合にお祀り致したら宜敷いでしようか」
大きいのを後にやつて、順々にやつたら良いでしよう。
「下の床の間にお祀りしても宜敷いでしようか」
構いません。三つ共ね。
「二階は大光明如来様で、下は光明如来様です」
やつぱり、大光明如来様の方ですね。本当は大黒さんを床の間にはまずいんですがね。違い棚が良い。大黒さんと観音さんは、右、左では一寸まずい、位から言うと、大黒さんはずつと下ですからね。家来と同列と言う事は本当じやないんですね。二階は何うなつている。
「押入れになつております」
次の間はあるんですか。
「ありますが、床の間がありません」
大黒さんの大きさは。
「一尺位で御座います」
台はないんですか。
「薄い板があります」
観音さんの台は。
「ありません」
それでは、観音さんの台を作るんです。長方形のをね。
「三体共で御座いますか」
そうです。そうすると、位が違うから良いです。同じでは同席と言う事になるからまずい。台は心掛ければ売つてますよ。それで、大黒様はじかにする。座蒲団は敷いて良いです。
「御開眼戴いた観音さんを正面に、右に大黒さん、左に花を生けておりますが」
正面でも良いが、台を置かなければならない。
「先き程の場合に、お花は何う言う具合に致しましたら宜敷いでしようか」
観音さんの前に低い花を生ける。それなら良いですね。並んではまずい――いけないですね。
「珊瑚の方は一寸位ですから隠れて了いますが」
それでは、一寸除けると良い。見える位にね。
「大きな花を生けます場合に、御神体が隠れますが、宜敷いでしようか」
それは構いません。
「違い棚の上に木彫の観音さんを安置しておりますのは如何で御座いましようか」
いけないですね。
「支那から持つて来たらしい、良いものですが、前の方にひびが入つております」
目立つのならいけないですね。道具屋に頼んで直したら良い。
「御開眼戴いて御神前にお祀りして宜敷いでしようか」
そうです。古い観音さんなら私が見てやつても良い。そして直して上げます。専門の道具屋が居るからね。
「仏壇の中に金塗りの木彫の千手観音さんと大日如来のお像と阿彌陀さんのお像と、一寸八分の観音さんとありますが、仏壇の中で宜敷いでしようか」
結構です。祖霊を守護しますからね。一寸八分の観音さんを真中にしたら良い。向つて右に大日如来、左に阿彌陀さんが良い。
「千手観音さんは如何に――」
屏風観音さんの前に置くと良い。
「観音さんは、御開眼戴いて御神前にお祀りしても宜敷いでしようか。仏壇にお祀りしても宜敷いので御座いましようか」
大きさによります。入るなら仏壇に入れて良いです。先祖から入れてあるなら、その通りで良い。
「お祀りは、別々にするので御座いましようか」
祖霊と一緒で良いです。祖霊さんの祀り方は知つているでしよう。別に変える必要はない。
「大黒様を違い棚に置きました場合に、上が天袋になつていますが、上には何も入れない様に致しますので――」
構いません。大黒さんは又違うんですからね。
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「伏見稲荷を立派に祀つておりましたが、一年前に入信し、その後屏風観音さんを御奉斎し、主人が兎に角返すんだと言つて、返して了い、それより一カ月後に亡くなり、それから狐が出て来て、一家を断絶する為に入つたのに、光で見破られた、とか言つて暴れます」
それはひどい。何うしてあなたは黙つていたんです。私の本にも書いてあるでしよう。光明如来様をお祀りしてから、一、二年その儘にして置いて、それから処分しなければならないとあるでしよう。
「それをお伝え致しましたが」
それは順序を誤まつている。それは仕方がないです。狐と言うのは怒りつぽいからね。執念深いからね。普通は三年位ですね。そうしているうちに、段々弱つて来て、俺はこゝから出て行くと言う気持になつてから処分すると良い。それでないと、暴れ放題になる。それで、元通りにしたら、狐に良くお詫びしなさい。お稲荷さんに対して「大変行届かない事をしたから許して貰いたい。知らずにやつたから」と、よく言い聞かせるんです。「この通り光明如来様をお祀りしたから、居たければ居なさい。若し居りたくなければ、何時でもお帰り下さい」と、納得する様に言う。そして、光明如来様に「稲荷が改心する様に御守護して下さい」とお願いして、今言つた様に狐に詫び乍ら、納得する様に言うんです。それでも暴れる様なら、狐の方が悪いのですから、光明如来様にキユツとやられます。
「二階に光明如来様、下に稲荷を祀つておりますが――」
伏見稲荷は、中でも良いんです。一時は執着がありますから、少しは悪さをするでしようが、段々大人しくなります。
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「産土の神様にお礼参りに行つたら良いと言う御言葉で御座いましたが――」
お礼参りばかりではない。お願いだ。
「その際、祝詞を奏げ、最後の処は何の様に奏げましたら宜敷いでしようか」
産土神守り給へ幸倍賜へ。で良いです。
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「龍神さんをお祀りする場合は幽世大神様にお願いするので御座いましようか」
龍神をお祀りするのは止しなさい。以前(サキ)からあるのは良いですがね。
「井戸を取潰しました場合等、幽世大神にお願いして宜敷いのでしようか」
それで良いです。
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「奥さんが信仰に熱心で、御守護御礼を、主人に内緒で持つて来ておりますが、如何で御座いましようか」
構いません。立派なものです。主人の方が間違つているんだからね。丁度当局が私をいじめる様なものです。当局の方が間違つている。こちらは立派なものです。
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「屋敷が薩摩芋形になつておりますのは如何で御座いましようか」
薩摩芋形と言うのは、何んなのですか。
「元は四角でしたが、洪水で洗い流されて細長くなりました」
台湾形ですね。
「土地で御座います」
私は家だと思つた。土地は薩摩芋形でも、ジヤガ芋形でも良いんです。
「家が三角なのはいけないのでしようか」
田舎にはないでしよう。東京の町の混合つた処は、仕方ないのでそう言うのがありますが、田舎には恐らくそう言うのはありませんよ。
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「浄霊は手を振らないで、と御教戴いて居りますが、距離は何の程度が一番宜敷いので御座いましようか」
普通一、二尺ですね。場合によつては五尺でも良い。又場合によつては力を入れない場合のは、一寸でも良いですよ。自由自在です。
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「赤ん坊が眠つている時に笑いますが、何んで御座いましようか」
夢でしよう。
「赤ん坊でも夢を見るので御座いますか」
夢ですよ。
「楽しい夢で御座いましようか」
笑うんだから、楽しい夢でしよう。
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「浄霊の場合に腕を伸ばした方が宜敷いでしようか」
伸ばしたら力が入りますよ。少し曲げなければね。手も余り突張つては駄目ですよ。軽くするんです。
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「家畜を食べる場合には、この次には人間に生れ変る様にと言うと、功徳になるとの御教戴いておりますが、その様に変わるものでしようか」
然し、お願いする人に資格がなければならない。誰が言つてもと言うのではない。その資格によつて、神様の方で許されるからで、誰が言つても、そうはいかない。
「前世には人間であつたものでしようか」
大抵、先に人間だつたのです。その場合にそこの系統に飼われる事になるものなんです。
「牛を殺している商売ですが、娘が入信して居り、両親は反対ではありませんが、入信しておりません。牛の供養をさせて戴きたいと思いますが、何の様に致したら宜敷いでしようか」
形式ですか。
「左様で御座います」
お祀りする時は、白木の位牌か何かの、霊の名前を書く形のものがありますが、「牛の諸霊」として書いて、それを光明如来様の、一段低い処に台を置いて、お盛物をして、光明如来様にお願いして、牛の霊を救いたいから、御守護をお願いしたいと言う事をよくお断りして、光明如来様より向つて、少し左にはずれた処に置いて、お願いして祝詞と善言讃詞を奏げて――喜びますよ。人間で牛に生れたものは、どうか再び人間に生れ変る様にお願いする。人間が牛になつたのと生来の牛と両方とがある。人間が牛になつたのは少ないんです。然し、本来の牛でも、殺されると怨みますからね。怨みも重なると、一つの罪になるから、苦しむ事になる。そうしてやれば両方共救われるから結構です。
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「明主様の処では家畜類は――小鳥でも飼つて居られませんが――」
面倒臭いからね。
「よく、犬や猫が沢山子を持ち、捨てたり致しますが、この様な事は如何なものでしようか」
それはいけないですね。罪になりますね。捨てるのは未だ良いが、殺すのはいけない。罪になります。捨てる場合でも、良く言つてやる。家でも飼つてやりたいが、都合で飼つていけないから、良い処に飼われる様に神様にお願いしてやるから。と言つてやるんですね。そうして光明如来様に、斯う斯う言う訳で飼えないから、良い飼主が見付かる様に御守護お願いしたいと言う。そうすると、良い飼主の処に行きます。
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「仏壇の燈明、線香、鐘等はその儘で宜敷いでしようか」
良いです。
「線香は何本が宜敷いでしようか」
何本と言う事はないが、普通三本位で良いでせう。別に意味がありません。つまり香です。極楽浄土の形にするんですから、線香と言うのは、香だつて良いんです。法事や何かの時は香でしよう。あれで良いんです。
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「牛の件で御座いますが、牧場業の家庭で、牛が沢山死んで居るので『牛頭観世音』と書き、祀つて居りますが宜敷いでしようか」
宜敷いです。『馬頭観世音』があるから、『牛頭観世音』で良い。
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「氏神様にお参りに行つたら大きな、青大将が真中に居りました。青大将だから何か意味があると思い、その儘、祝詞を奏げましたが、その後霊憑りがあり、お知らせで、邪神に追われて社に入つたので、苦しいから祀つて呉れ――お供えして祀つて呉れと言う事であり、氏神様と青龍様を祀つておりますが、青龍様と言うのは、何で御座いましようか」
先祖です。氏神です。青大将は殆んど先祖ですからね。先祖が龍神に落ちるんだからね。だから、先祖としての扱いをしなければならない。ですから、青大将は生米が良いですからね。之が一番好きだ。生米と水と塩を供えてやると良い。自分は別にお祀りして呉れと言うんでしよう。だから大先祖だ。一番威張つている。
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「三十人許りが共同で持つている山があり、そこに観音さんのお堂があり、一丈五尺位の銀杏もあります。今度それを切つて、お宮の修理に使いたいと思いますが、如何で御座いましようか」
いけない。銀杏は絶対に切つてはいけない。祟りますよ。銀杏は普通の木と別なんだ。銀杏には必ず霊が憑つている。相当な霊が憑つているからね。
「二尺位の木ですが、切つて仏像――薬師如来を作つて納めましたが、別に差支えありませんでした」
随分乱暴だな。直径は何の位です。
「七、八寸から一尺位です」
仏像を造つたから未だ良かつたが、さもなければ祟りますよ。何時頃ですか。
「三年程前で御座います」
何もなかつたら承知したんですね。
「神仏の社のは切つてはいけないのですか」
いけないです。絶対にいけないです。むしろ七五三を張つて、入らない様にした方が良い。
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「金神を、小さいお宮をつくつて、鬼門に祀つておりますが、宜敷いでしようか」
その儘で良いです。鬼門の金神なら差支えないからね。
(垂三号 昭和二十六年十一月二十五日)