九月一日
話の前に言いたい事は、「地上天国」や「栄光」に載せる寄書ですね。あれを少し変えて貰いたい。年中同じで、論文ばかりです。面白いかどうかは自分で考えて見ても分る。分り切つた事や真面目な事は、偶に少しは良いが、読む気にならないでしよう。どれもそうなのです。面白い事、興味のある事をですね。と言うのは何う言う事かと言うと、経験のある事――自分が感動したとか、危険に遭つたとか、戦争に行つて危険な処を逃れたとか、滑稽な事では、こう言う滑稽な事があつたとか、或は借金ですね――こう言う差し押えを受けようとして、税務署にこうされたとか――面白いですよ。恋愛でも可いです。女に想われて、漸やく――思い切つたとかね。「地上天国」なんか此頃面白くないでしよう。年中同じ事言つている。信者さんでも同じ事言つている。それから、此頃座談会がありませんがね。座談会はいいですよ。農業の事はよくあつたが、農業の事ばかりではないですよ。浄霊の事でも良いし、地方的に何処が発展するとか、発展しないとか、こう言う失敗があつたとか、こう言う御神徳があつたとか、そう言うのは良い。先にはちよいちよいあつたが、この頃無いですね。兎に角理窟はあんまり書かないで――理窟ばかりですからね。理窟は面白くないからね。私の理窟で沢山です。理窟を書こうと思うから書けないんです。私の言つた理窟を聞いてから書くので、私の言わない事は書けないんです。頭の置きどころが違う。生まれてから今迄に一番感動した事とか、よく雑誌なんかにありますね。実際に一番面白かつた事、苦しかつた事をですね。それから土地でも――こう言う変つた風俗があるとか、習慣があるとか、そう言つた意味の記事を出して貰いたい。それから和歌ですが、うまく書いてあるなら出しても可いが、まずいんです。そうかと言つて訂していては暇がかかるんでね。それで、しようがないから没にして了うが、それより自分の感想でもいいです。こんなに思うとか、そんな風にしてやる様に。「笑の泉」は読むんでしようね。あれは大いに結構なんです。あれは非常に教えがある。一言で言い表わす。一番良いのは「馬鹿野郎よく考えりや俺の事」之が一番いいです。
………………………………………………………………
「美術館の事で御座いますが、今日の御論文で、美術館が出来上つたら完成になると言う事で御座いました。何時か、其資金には今度山から金が出ると言うので考えさせて頂きましたが若し山から出させて頂きますと――我々は普段、そう言う御奉仕をさせて戴く他に、何によつて御魂磨きと申しますか――磨かせて頂けると考えて居りますが、其方法がなくなるので御座います。そう言う事で御奉仕をさせて頂くのが、一番だと考えて居りますが」
山から出ますよ。直き出ると思つているだろうが――必ず出ますよ。やつぱり、色んな準備や何かで、相当かかる。やはり熱海の時と思います。ここじやない。ここは僅かで建築が出来ますから。
「天国の型の時に本物が出る筈がないと思いまして」
本物と言うのは世界全体です。だから、世界に型をこしらえるだけで百億の金が要る。世界の型ですよ。
「やはり、出来上りますには、悪魔の方で困るので――どうにもならない様になるので、色んな妨害があると思いますが」
そりやあります。それがなければ今頃は日本一の宗教になつているからね。悪魔の方では大変な事だからね。
………………………………………………………………
「今日の御論文を拝聴させて戴きまして、あれをお聴きして分らん奴はと思いますが――」
そうだな、つまり邪神の方で一番恐いのは神様の方だからね。どうしても神様はないと言う無神論を植え付けるのが一番の目的なんです。そこで、無神論と言うものを人類に――一生懸命に植え付ける為に二千年もかかつているんです。つまり物質ですね。病気を治せると言う処を見せ様と思つたんです。それで一生懸命に――ユダヤは学者が多かつたからね――やつて来て、未だにそれに瞞まされている。その奥には邪神の親玉が居る。物質で治そう――病気を解決しようと、それ一方で進んで来たのが医学ですからね。だから屁みたいな事を、発見したと言つている。ついこの間、癌の原因を発見したとか、なんとか出ていたが、原因を発見しなくてもいいんで、治して貰えばいいんです。原因を発見してから治すと言うのですが、治ればいいんです。処が、原因を発見したと言つて喜こんでいるが、一つの遊戯に過ぎない。驚きますね。あんな事をして無駄な金を使つて、ありもしない頭を使つて死んでいくんですね。それだけのものですね。
「少し分りかけましたら大変で御座います」
大変です。肝腎な――力のないもので、一生懸命解決しなければならないと言うのが、今の文明ですね。それを教える仕事です。色々な法律を作るとか、一家が一生懸命やつて――今もラジオの街頭録音で、現代の世相と言うのは――世相が悪いと文句を言つている。親子心中だとか、家庭争議だとか、瞞まし合うとかね。政府の政治が悪いとか、教育が悪いとか、金が無いからとか、色んな事言つているが、宗教と言う事を言つた奴は一人も無い。一人、トルーマンもマツカーサーもキリスト教信者だと言つたが、もう少し言うかと思つたら、それでお終いだからね。それだけ、宗教と言うものは世の中から認められなくなつた。何故かと言うと、力がないからです。出来たては力があつたが、段々無力になつた。そこで信用がなくなつたから、結局忘れられていつた。だから我々は、宗教が信用をされる様にするのです。宗教の信用――信じさせると言うのは奇蹟なんです。奇蹟がなくて理窟だけだつたら、道徳や教育と同じで、奇蹟のある処に、理窟や教えで及ばないものがある。それが奇蹟だから、奇蹟即宗教だ。最初は多少あつたが、今日ではなくなつたから、宗教の使命がなくなつたと言う訳で、それが長く続いたので、奇蹟がないのが宗教で、あるのは迷信邪教となつた。凡そあべこべになつた。
キリスト教の方は、二千年経つてキリストが再臨すると言うが、この方が現実的です。仏教の方は謎みたいに書いてあるが、そうしないと本当はいけない点もあるんです。仏教の中で弘法大師は良い方です。極楽の方ですからね。少しは地獄の方に行つたかも知れませんが、早く上がつた。親鸞だとか、日蓮だとかは地獄に行つている。
「高野山にあれだけのお寺を作つたと言うのは、政治的にも偉らかつたのですね」
偉らかつたんです。奇蹟なら奇蹟を、お互いに話し合うといい。体験のない人はないからね。役員でなくて、会なら会で信者の人を集めてやつても良い。奇蹟と言えば、数カ月前に鉛の山を買つた。非常に鉱石が良い。段々調べてみると、そこの山から砥石が出るんです。砥石の採集を長い間やつていたんですね。それで、抗道が四十カ所ある。大抵二、三十間はある。それを掘っているとちよいちよい鉛がある。処が法律では砥石の許可を得ていると、他の物は採集出来ない。鉛なら鉛の許可を得ていると、他の物は掘れない。然し、四十カ所あれば、必ず鉱石のある処があるに違いない。その中に段々調べて見る。それが今迄分らず、つい四、五日前に分つた。非常な奇蹟ですね。非常に良いものです。だから見付かりさへすれば素晴らしいです。それには、色んな施設が要るんです。機械もです。鑿岩機や精練機や電機具類もです。ああ言う山と言うものは、必ず大きなものがある。鉱脈も大体見当ついている。色んな機械が相当かかります。今は進歩しているのでね。分けたりする薬だとか――大変なものです。それに対する金も日数も相当かかります。
もう仏教は駄目ですね。二、三日前に鎌倉の長谷観音で、こつちを観音教と思つていたのでしよう。長谷観音を引受けて呉れと言うんです。御本尊は高さ三丈三寸かで、大きな観音さんがありますね。それで、こつちはメシヤ教になつて観音様には縁が薄くなつたから、と言つて断つた。
「そんなに大きく作るのは――観音さんとしては、あんまり大きくしてはいけないのでしようか」
いけないんです。阿彌陀さんは、どんなに大きくしても良いが、観音様は上等に小いさくするんです。
………………………………………………………………
この間、大谷光瑞のもので、支那から持つて来たのですが、二、三点買いました。未だ光瑞の素晴らしいのがありますが、見せる様に言つた。それから、上に絵が画いてあつてお経になつているのがあるが、因果経といつて一行五万円ですがね。それを切つて三行か五行で十万はする。この間三行持つて来たが、行の少ないのは嫌だつたから止めた。美術館の為に五十四行と言うのを買いましたが、巻物はそれが一番です。値打ち物です。あれは、一寸でも切るか洗うかすると国宝にならない。八十三行と言うのを、切らないで絶対に取つて置けと言つたが、どうしても欲しいと言う人に分けてやつて、五十四行になつた。それを一行四万五千円で買いました。
「大雅と言う人が画いたのが御座いますが、あれは値打があるものでしようか」 少しはあります。傑作物なら幾らかあるが大した事はない。大雅と蕪村と華山の三人が良いとしている。
「大体に於て掘出物は御座いませんのでしようか」
ありますよ。私は随分掘出物を買いました。面白いんですね。仮に素人が預かつて、それを道具屋に見せるでしよう。道具屋も目がきかないので――道具屋も分らない。そう言うのが時々あります。この春にも、高野山にあつたので、坊さんがお経奏げてるのを五万円で買いました。それは、私の目がきいている訳ではないのですが、藤原時代に出来たもので、日本で最古のものです。今安くても五十万です。五十万か六十万です。
「色んな古いものを持つている人がありますが、そう言う中から――」
そうです。そう言う中から、たんとは無いが一つや二つはある。今アメリカでは書を買うんです。色紙ですね。之を馬鹿に欲しがる。それで、高くなつたですね。終戦後、財閥が――三井とか、ああ言つた人達が、生活を制限されたでしよう。その為に食つて行けないので、内証で隠してあるのを売つたのを買いましたが、今はみんな、何倍、何十倍になつている。だから、売つたら随分儲かるけれどもね。その時、私は随分買つた。高い高いと思つて買つたのが、随分安い。日本でも、ぼつぼつ美術館を造りますが―近畿鉄道もそうですね。之から建築にかかるんですが、品物も相当あります。今でも集めているんです。それが、うつかりすると良い物を買うかも知れない。それから文部省では、文化財保護委員会と言うのが出来たんです。それが三億の予算を取つたので、之がうんと買う。アメリカは目を皿の様にしてますからね。それを、こつちは他に取られない様に、ひつこ抜きする訳です。
こつちも金はそう無いからね。チビチビ内金々々でやつている。大抵三月位はかかつている。然し他のもやつぱりそうです。近畿鉄道でもやつぱり月賦か何かで買つている。一品百万か二百万ですからね。そうかと言つて離してはつまらないしね。美術館になくてはならないのがあるからね。金が苦しくてもしようがない。借金や貧乏で苦しいんではなくて、買わなければならない物を買うんで苦しいのです。世間で言う金に苦しいのと違う。併しやつぱり神様がやつてますからね。私が欲しいと思えば、きつと誰かが持つて来る。よく道具屋が、こう言うものは出るものじやないが――と言う。白鶴も実際不思議ですね。あの中で欲しいのが五、六点ある。それが入ると何処にも負けません。あそこには再び手に入らないものがあるんです。この秋に行こうか何うしようかと迷つていたが、神様は行かなければしようがない様にされちやつた。
………………………………………………………………
三村さんは名前が非常に悪いのでね。あれでは絶対いけない。
「奥さんの名前も――」
後家名前だからね。命令の令は五画です。息子の正の字も五画でしよう。全然駄目です。之はどうしても、生き別れ、死に別れです。令(零)と言うのは、数でないと言う字でしよう。百子で、一ぺんに百も数が出来た。
………………………………………………………………
山ですが、こう言う塊りがぱつぱつとある。つながつてはいないが――つながつたら大変です。この山の選鉱は手選鉱で良いんです。ポケツトの脈になつているのでね。水上のは至る所にある。山中何処を掘ってもあるんです。非常に大きな鉛ですね。大したものです。一噸二十万円かね。八十%位ですからね。十八、九万、二十万でしようね。百噸にして千八百万円です。山で百噸位は直ぐです。之から経営していくのに何億かかるか分らないから、神様はそれだけの金が入る様に、ちやんとされるんですがね。
「今、金山の方は如何でしようか」
金山はあんまりね。でも良いのは良いですよ。金山は難かしいからね。脈が切れるんでね。北海道の鴻ノ舞なんかも切れて、一人の鉱夫か何かが、最初の中は何十年やつても駄目なんで、失望して自殺しようと思つて欄干から飛び下り様とした時、腹を打つて倒れ、自分は未だ死なないと言うので、その時――その二、三日前に北海道の札幌精鉱所と言うのがあるが、そこに見本を持つて行つて、預けて帰る処を、専務取締が窓からのぞいて見ると、一人の男が情ない様な恰好で帰つていく。「あれは」と言うと「今鉱石の分析に来たんです」と言うので「それでは、可哀相だから、してやろう」と言うので、分析したのが大変なものです。家に帰つたらその知らせが来ている。そこで権利を売つたんです。その時六十万円でね。そして自分が世話になつた人に十万円お礼して、自分は五十万持つて隠居した。それから住友で買つてやつて見たが、最初良かつたが駄目になつて、飛んでもない失敗をした。十年掘り続けても駄目だつたが、もう一年だけ言う通りにして呉れと、一年延期した。そして十一年目にあてて、それが大変なものです。それから住友家は大変なものだつた。終戦前迄は日本一だつた。九州の鯛生と競争した事があつたが、鯛生が負けたですね。金山と言うのは、そう言うもので難かしい。銅鉱と言うのは脈が平行している。何本も平行している。それを、こう(貫く)ぶつつければ、みんな当つちやう。足尾銅山がそうです。十何本あつて、その中六本が良いんです。ああ言う処は製錬所が大仕掛になつている。それで、釜石の製錬所――あれも鉱石が足りなくて弱つている。又岩手県宮古の太郎とか、茨城県の日立みたいなやり方ですが。
「煙突が高いのは、農作物が駄目になるのでと言うのですが」
そうですね。硫酸を使うので日本一だつたがね。今日は骨董の話と鉱山の話だつたが、関係はあるからね。
………………………………………………………………
「明治初年に、仏から神社神道に変りましたので、お宮をこしらえ、お宮の中に鏡を入れ、先祖を入れて居りますが、何の様に置きましたら宜敷いでしようか」
鏡の前が本当です。
「お宮の中に鏡を入れましてで御座いますか」
そうです。
「白木でなければいけませんでしようか」
白木が本当です。神道ですからね。
「発熱してから八日経つて居り、漸く頸が動ける程度になり、脳炎の様な症状が終つたと思いましたが、脈が七、八十しかないそうです。生まれつき心臓肥大症と言われ、二十に一つ位結滞して居り、京都帝大で調べて貰いましたが、原因不明でした。十二日に危篤になり、脈が一つに一つの結滞になり、胸の辺に、鉄瓶の中に氷を入れた時の様な白い汗が二時間位出て、それより幾らか落着きました。熱が高い時は脈が早くなり、低い時は結滞します」
おかしいな。鏡の方をお宮に入れ、御先祖を前にする。それを直してやつたら良い。それと関係があるでしよう。早速やつてやると良い。よく生きて居たね。脳炎じやないですよ。
「心臓肥大症は――」
そんなのはないんです。やつぱり、先天性梅毒か何かです。背中の固まりです。背中は痛まないでしよう。
「痛まないそうです」
頸筋から背中の方を浄霊していれば治るでしよう。
「便をしたいと言い、力みますが出ません」
それは、便を止(ト)めては悪いと思つているからだ。止つてもなんでもない。
「朝一膳、昼一膳に牛乳を飲んで居ります」
その牛乳が便秘するんです。あれ位便秘するのはないからね。何故普通にしないんですか。
「牛乳は止めさせた方が宜敷いでしようか」
そうですね。お茶漬がいいです。癖になつているんです。茶漬に香の物が良い。胃にも毒があるんです。熱が出た時注意すれば分るんです。
「三十分もすれば、直ぐとれます」
根気良くやつたら良いでしよう。段々毒を減らしていれば治ります。
「今の様な病気の人が居りますが、浄霊をした場合に、一度から二度上つて居りましたが、最近は下がる様です。之は溶ける為でしようか。見当違いの為でしようか」
両方ですね。浄霊すると、溶ける為に上がりますよ。それから、見当違いしても上がりますね。
「二、三日前から下がる様になりましたが」
それじや見当違いじやない。浄霊すると、之がこうなるでしよう(山の頂上迄をお示しになる)それを、こうしなければならない。(頂上より下迄をお示しになる)
「最初チブスではないかと言うので、流動物にして居りますが」
チブスなら直ぐ治つちやう。お腹をやれは直ぐ治つちやう。
「頭がぼけて居ります」
普通で良いです。頭の浄化です。
………………………………………………………………
「真症癌に就きまして」
真症癌ですね。
「お腹の中に蛇が二匹居るのが自分で分るそうで、小便は出ず、軟便がかすかに出るそうです。ヌラはどんどん吐くそうです」
真症癌だね。蛇が二匹か――夫婦だな。ヌラが出るだけ出れば治ります。ヌラは減る処にいつてませんか。
「減つて居ります。腎臓を主にして居りますが」
腎臓もですが、背中、胃と前の方ですね。
「浄霊します時、祝詞を奏げても宜敷いでしようか」
祝詞も良いが、やはりそこを浄霊するんです。
………………………………………………………………
九月五日
この頃は大分質問が少くなつたが、大体聞きたい事は聞いたと言う事じやないですか。最も、無限じやないんだから、やつぱり或程度迄分れば、それで良い訳だがね。それから先は深い事になるからね。
「家を出る時はお尋ねする積りで居りますが、午前中に御面会頂きますと、お伺いする事がなくなつて了います」
恋人に会うみたいだね。会う迄は話しようと思つて居ても、会つたら何も言う事が出来ない。そう言う事がありますね。
「大変な事と考えて居りまして、御言葉戴きますと、小いさな事になつて消えて了います」
そう言う事もあるでしようね。私も、始終色々用意や計画はそうしないんですがね。唯、喋ろうと思う事を喋らないで、思いもつかない事を喋つたりしますね。文章なんか書いていても、自分に分らない事が、あとで分つて来ますね。随分教わりますね。さつきなんか――「×」なんか、神様から教えられた。「人」と言う字を書く時、こつち「ノ」は霊で、こつち「 」は体になる。霊が上の方になるのに、幅守護神の方を抜くと「×」になる。「×」は物を消す時に使うからね。それでお終いになる。
「争いの印にもなりますので――」
そうですね。チヤンチヤン、バラバラですね。
………………………………………………………………
「昨日聞いた話で、群馬県の村長のお母さんで、八十五才ですが、最近月の物を見始め、乳が若い娘さんの様にふつくらとふくれて来て、恥かしがつているそうですが、之は霊的でしようか。体的でしようか。霊的に若い娘さんが憑いたのでしようか」
珍らしいですね。若い娘の霊が憑いたんですね。
「御浄霊をさせて戴きましたら宜敷いでしようか」
まあ、そうですね。お母さんに執着があるんですね。
………………………………………………………………
「母親が六月十七日より発病、医薬を用いた結果死ぬ様な苦しみを致し、このお道を知らせて頂いて、六月二十九日に子供三人入信、御屏風観音様を御奉斎し、浄霊させて戴いて居りました。六月三十日に死の状態となり、家中嘆いて居た処、十数年前に破損して仕舞つてあつた柱時計が動き出し、一生懸命御浄霊していると、コツコツ動き出し、吃驚りして見に行くと、暫くして動かなくなり、お母さんを見に行きますと瀕死の状態となり、七月二十日午後九時頃霊界に行きましたが、その時部屋一杯に七色の光が出、仏壇にも光が見えました。一同御礼申上げましたが、それから以後本人は農機具の製造を致し、今年は乾天続きで、水を汲み上げる物を作つて居りましたが、入信後一つも註文がないと言うので、何か御神意があるものか、明主様に御垂示戴きたいと言うので御座居ますが」
それは商売を止めろと言う事だ。そして宗教専門でやれと言う事ですね。祖霊の中で、信仰によつて大いに徳を施して貰い、祖霊が皆んな救われたい。それで、商売していては思う様に出来ないから止(ト)めちやつた。
………………………………………………………………
「名古屋市外の春日井市の経師屋で、中々熱心であり、別院の表装もお願いして居りますが、家族はおじいさん一人と夫婦と子供三人で、長男十五才、次男十才、長女十三才で御座いますが、長男は生まれつき白痴であります。次男は八月廿五日に苔猿と言う有名なお寺に遊びに行き、小川で溺死しました。去年の三月二十五日には当人の叔父が縊死して居りますが、何か関係があるものでしようか。おじいさんは、本当のおじいさんですが、家がなくなつたので、伴と言う家に行き、その家を立てたのですが、禅宗で、今迄おじいさんの家でお祀りしてましたが、次男が亡くなつてから本願寺でお祀りしてます」
代々禅宗ですか。
「代々禅宗で、その家の息子が養子したのです」
家が本願寺ですね。おじいさんが禅宗で、夫婦先の家が真宗ですね。家と言うのは夫婦養子の家ですね。おじいさんのは他にあつたのですか。
「狭い為に真宗の仏壇は家に預けまして、おじいさんの禅宗の仏壇でお祀りしてました」
別に構はないですがね。それは良いが、祖先はおじいさんの方に祀つてあるんですね。
「子供が死んでより、家に引取り、別々にお祀りする様にしてます」
おじいさんの家は絶へちやつたんですか。
「はい」
しようがないですね。
「叔父が縊死しましたのと、次男が溺死したのは、因縁が御座いましようか」
叔父は夫婦養子の兄弟ですかね。縊死したのは祀つてあるでしよう。縊死したのはどつちですか。夫婦養子の方の叔父さんですか。
「生まれ元の叔父です」
すると禅宗ですね。それは何処に祀つてある。
「一軒持つている為に嫁が祀つてあります」
そうすれば、そんな事はありませんよ。何時入信ですか。
「二十三年の冬で御座います」
そう言う訳はないがね。おかしいですね。男に祟つてるんですね。余程罪があるんですね。祖先の罪ですね、信仰の間違いじやない。長男が白痴と言うのは、余程前世に罪があつた。男に跡が継げない様にさせられている。妻君は幾つ位ですか。
「三十四、五位と思います」
未だ子供が出来る可能性がありますね。どうしても、人間にひどい罪があると、子供を幾らか犠牲にしないと追いつかないんです。普通では、そうでもないが、段々世の中が切変えになる時になると、清算されて来るから、大きな罪が取れると良くなります。信仰を一生懸命やると良い。伴と言うのは藤原から出たものですね。
………………………………………………………………
「四国の剣山の麓では仏壇の扉はしめた儘で、お供へする時は開けて居りますが、之は開けて置いた方が宜敷いのでしようか」
無論開けて置いた方が良いです。祖霊に聞かして置いた方が良いです。閉めるのは大変な間違いですね。
「そう言う習慣だそうで御座います」
単に習慣と言つてもね。先にも――祖先に話してやらなければならないと言うので、六でもない話をして居た。今迄の人間の習慣は、六でもない事が多いですからね。それから、霊ですからね聞きたければ出て来て聞けば良い様なものだが、閉めてあるのを出て来ると、忍び出ると言う事になり、霊界では許されない。開けてあつて、はじめて聞けると言うものです。
………………………………………………………………
「先日、名前の『大』は面白くないと言う御教戴きましたが、名前の下に、何々太郎、太三郎と言うのがついている家は、運が良くない様で御座いますが」
必ず一度は没落します。劃数なんですね。四劃と言うのは。どうもそう言う傾向がある。それから、近衛文麿ですね。そう言うのは、必ずそうなります。善太郎とか――下についているのは構はない。之から名前をつける時は、書いて来ると私が選んであげる。一般の人はそういかないが、特別面会の人は名前を書いて来ると良い。
………………………………………………………………
「代々大社教をやつている家で、大社教では先祖代々の位牌がない訳ですが、それは何う言う風に作れば良いでしようか。剣の様な形をした白木に死んだ人の名前を書いてありますが」
代々大社教でしよう。それでは、今更仏界の方では――しようがないから、その儘で良いでしよう。
………………………………………………………………
「講和の成立と海外への布教の見通しに就いて、何か――
そうですね。将来アメリカとは非常に関係ある事になりますが、だけども余程先ですよ。順序から行くと、日本に拡がつて、東洋に拡がつて、西洋と言う事になるが、アメリカだけは、又別の意味で――緯ですからね。日本が経です。だから、結ぶと言う意味から行くと、別な意味があります。だからと言つて講和には関係ないですね――ずつと先だから。「結核の革命的療法」を一般に新聞広告で売るつもりだつたが、日本の法律では何うする事も出来ないけれども、無理にくつつければ、ポツダム宣言に基く命令違反にくつつけられない事もないから、講和になる迄はパツと出さない方が良いと言う様な注意があつた。だから、講和になつたら大々的にやる。
「信者で、外国に親戚があるのは、そう言う事は構いませんか」
構はないどころか、結構です。アメリカとは結ぶ必要があるんですから。
「ブラジルですが」
ブラジルも結構です。併し又、そう言う点も人間が計画立てなくても、神様がやつているから、そう言う事情の時は神様がされるから。
………………………………………………………………
「鳴戸海峡では年に一度、一噸位の使い古した船を投げ込むそうですが、その時は欠片が出ないそうです。他の日の事故の時は欠片が出るそうですが、そうなると、年に一回地軸に向つて垂れるものでしようか。それ共常に地軸に向つて垂れているのでしようか」
絶え間なくやつているんです。船を投げ込むと言う事は、人間の方の想念です。身代りです。神様の方は、全て型で――大きな事を小いさい型で済まさせて頂くと言う事が出来る。と云う事になつている。大きな難破をするとか、船に被害があるとか言うのを、小いさく済まさせて頂くと言うんです。人間の想念で吸収されていくんです。年に一度づつ型をやるんですね。世界中の海の穢れが――段々穢されて、極くしようがない物は、あそこに集つて地軸に行つて、地熱で――何万度か分らない位のもので――焼かれて、浄まつていくんです。潮流の関係で出て来る事もあるが、結局下に行つているんです。
………………………………………………………………
「新聞の論説に雄と雌と言うのが出て居り、雄は左を上にして寐るとありましたが、我々が手を握ります場合(組合せる)は、拇を右上の方が気持が良いのですが、中には左上の方が気持が良いと言う人もありますが」
大した事はない。左ぎつちよと言う――あんな様なものです。全て、左は男なんです。左が霊です。だから、言霊から言つても――「ヒダリ」「ミギ」でしよう。「ミ」は体だからね。「ヒダリ」と言うのは「タリ」と言つて「充分」と言う事ですね。だから、霊が一杯だと言う事ですね。充実している事です。「ミギ」の「ギ」と言うのは、「技」ですね。だから、仕事には右の腕を使う。左は、使わずに隠居している様だが――最も、上の人の方が、あんまり労働しないですからね。それから、左進右退と言つて、左が進み、右が退くと言う事ですね。一番分るのは、炭団や団子を作るのに、こう(左進右退)する。こう(右進左退)すると壊れますね。不思議ですね。理窟は同じですが、こう(左進)やると、ちやんと丸くなるが、こう(右進)すると壊れる。右進左退は逆だから壊れる。破壊される。遠心的です。こう(左進)すると求心的です。求心的は寄つて来るんです。遠心的は離れるんです。それで、求心的が「日」の働きなんです。「日」と言うのは「ヒク」と言うんですね。之は天理教でも言います。「月」は「ツク」と言つて遠心的になります。それで破壊される。争いは「ツキ」「ツク」ですね。「ヒク」「引寄せる」之が平和です。だから言霊と文字だけで解釈しても、随分色々な事が現われている。
………………………………………………………………
「長野県で教会をやらして戴いて居る丸茂と言う人ですが、昭和十九年に横浜に居り、明主様に御面会戴き、その後信州に行く事になりました時『信州は大変だそ』とおつしやられ、現在熱心に布教を続けて居りますが、明主様の御言葉の通り、本当に大変だと言う事を体験させて戴きましたそうです。(中略)『信州は大変だ』とおつしやられました事に就きまして、之からは何う言う事になりますでしようか」
之からは良いです。段々神様の方が勝つて来るからですね。神様が勝つ――勝ち戦です。信州が難かしいと言うのは、素盞嗚尊の息子の建御名方命と言う神様ですが、之は本に書いてあります。素盞嗚尊――大国主命の次男ですが、之が、信州に逃げて行つて、水に飛び込んで死んだ。それが御神体として祀られている。それが、以前は非常に暴れる――大人しくない神様で、それが一般を支配している。あの時分では、それが邪魔するから、中々大変なものです。併し、今では本尊様は改心しているからね。併し眷族が沢山あるから、それが邪魔している。併し、段々神様が勝つて行くから、之からは段々開けていく。今の話では大分峠を越している。何しろ戦いなんだ、邪神との戦いです。だから、私は軍人だと言うんです。目に見えるのではなく、目に見えない戦いです。毎日戦つているんです。「⇒文明の創造」を書き始めたからね。之が一番恐ろしいんです。だから、この妨害と言うのは素晴らしいです。家の人から妨害している。家の人は知らないんです。別に妨害する積りではないが、邪神に使われるんです。この頃は割に良いが、最初のうちはしようがなかつた。
………………………………………………………………
「最近豊橋地方で疫痢が発生し、特に信者に多い様です。六つになる子供が浄霊戴いて死にまして、村人から信仰をしていて死人を出してはいけないと騒がれました。次に赤ん坊を懸命に浄霊致しますと、熱が下がりました。すると出歩いた事のない十になる女の子が、行きたいと言うので連れて参りました。赤ん坊が治り、その女の子を浄霊し始めますと、泣き出します」
何んで浄霊したんです。病気でない時浄霊してはいけません。
「常に食慾が進まないで、梅酢とシソばかり食べて居り、胃が悪いと言うんです」
それを治す為に浄霊したのか、それを言えばいいんです。
「何うして泣いたと言うと、兎に角泣きたくて泣いたと言うんです。すると、ひどい熱が出たんです。四十度以上あり、浄霊すると吐く液が梅酢の様な色をし、中に汚ない黒いものが入つていました。同時に便にも黒いものを出し、最後には引きつける様になり、医者に診せますと、之は疫痢の症状だから気をつけなさいと言われました。私の知り合いの医者で御座います。それで、浄霊していると症状がおかしいので医者に預け、注射をしました。そして死んだのです」
注射しているんでしよう。それで死んだのです。
「村では騒いで居りますが」
おかしいですね。仮にメシヤ教で疫痢で死ぬね。すると、いけないと言う。医者がやると皆んな治つて、メシヤ教でやると死ぬと言うなら、いけないと言えるがね。先に、医者に行つて疫痢と言うと、留守だと言う。疫痢を一カ月に四十何人かやつたが、全部死んだ。それで疫痢はやらないと言う事にしているんです。電話がかかつて来て、何う言う症状ですかと聞いて、アクビをしていると言うと、それじや疫痢だ。今日は遠くに行つてますから、今日はお帰りにならないでしようと言う。そう言う医者がありました。
「医者万能ですから、どうしても医者にかけて呉れと言いますので」
そう言うのは、先方が言う通りにして、先方が頼みたいと言う時だけやつてやるんです。どうしても、時期が来なければならない。早いんだね。
………………………………………………………………
「群馬県新田郡の天理教の大変な先生の子供が盲で唖だそうですが、お嬢さんが二十六で、教会の財産を半分貰つて、不具の子供を守りしてましたが、天理教の力では治らないと言う事が分り、信者さんが持つている新聞を読み、メシヤ教に入信したいと言い、七日入信。唖の子供の額を浄霊する時は大人しくしていますが、延髄、後頭部をしようとすると、怒つてやらせないそうです。浄霊戴く様になつてから、夜は一寸の物音にも起きて、安心出来ないそうですが、之は治るものでしようかと聞かれましたが」
耳が聞えないのに目を覚す事はない。音だけ聞こえて声が聞こえないんですね。延髄をするんですね。
「そこをさせないのだそうです」
それでは前からで結構です。それから、天理教でやつていたら、天理教の神様が邪魔するから、普通言う様にスラスラとはいきませんよ。
「お守様を戴かせても宜敷いのでしようか」
戴きたければ良いんです。教祖は分つてますが、末端が中々大変です。狐と言うのは中々改心しないものですがね。信仰心があると、けしからん。良い事をするのは飛んでもない事だ。と言うんです。
「警察官がけしからんと言うのも、そう言う霊が憑つてやつているのでしようか」
そうです。皆んな邪神ですからね。戦いですからね。之から色んな事がありますよ。何しろ大変な事です――邪神にとつてはね。段々光が強くなりますからね。改心するか滅びるか、どつちかと言う断末魔になつて来るからね。今度関西に行く事も、何うしようかと思つて、考えが定まらなかつたと言うのは、野村の別荘に泊まれるなら行つても良いがと思つていたら、うまく泊まれる様になつた。それから白鶴美術館に非常に欲しいものがあるが、それも、二、三点か四、五点譲るらしいんです。どうしても行かずばならない。私が迷つている時は、神様が行かなければならない様に仕向けますからね。だから私の方は神様に、こうして呉れと言うんではなくて、神様の方で、こうしないかと言う様にさし向けるんです。
………………………………………………………………
「以前霊憑りで、関ケ原の戦いで、逃げ込んで匿まわれていたのに、親父が訴えた為、処刑にされ、霊が出て跡取りが出来たら取殺すと言つて居ります」
そう言う執着は何百年も祟つてますからね。まあ三百年位は祟つてますからね。兎に角来年からは本当になりますね。箱根が完成しなければね。ここが完成すると、霊界に一つの中心が出来た訳になる。神様には順序があるからね。だから無理が一番いけない。それから、人間が計画を立てて、ここをやろうと言う時、為悪(シニク)いのは止せと言う事です。処が、最初に目的を立てると、ついそこをやりたがる。今迄はそうだが、昼の世界になると違う。だから、骨の折れる事なんかはいけない。楽な処が良い。そして面白い処は良い。嫌だと思う処はいけない。嫌だと思つた処は止せと言う事です。それこそ、歌でも唄つている様な事でなければいけないですよ。だから、私でも一寸厄介だなと思うと諦らめて、時日を待つんです。そうして、時節が来ると、きつとうまくいく。土地なんかもそうですが、熱海の地上天国の処にも、ずつと以前から欲しくてしようがない処があり、交渉してみるが未だ早い。幾度も交渉したがね。放任しておいたら先方から、どうかと言つて来る。そうするとこつちは気が強いからね。勝手な事を言える。神様はうまい事をするんです。相手の土地を袋の鼠にして了つた。そうすると、他に売れつこないんです。結局メシヤ教に買つて貰うよりしようがない。それで、買つて呉れと言つて来たが、こつちが想像したよりか安い値になつた。そう言う訳ですからね。神様の方は、一寸やつて見ていけなければ手を引いて時節を待つんです。そうすると、ちやんとうまくやつて呉れますからね。とてもひどいと思つたり、とても困難と思つても、放つたらかして置くと案外楽にいくものです。実に、言うに言われない面白さがありますね。私なんか、美術品を欲しいなと思うんですが、思つているだけで良い。ふと転り込んで来る。之が如意宝珠の働きなんです。「如意」と言うのは、「意の如く」と言うんですからね。全て思う通りに行くんですね。処で面白い事がありました。昔或信者に額を書いてやつた。「如意」と書いてやつたんですが、すると落して了つた。私が書いたものを落す事があるかなと思つていると、普通の人のに「如意」とは言わないんです。だからそれつきり「如意」と言う字は書かない。が、邪神の方が未だ勢力があるから、「如意」を邪魔する。だが、もう「如意」の働きになる。唯、今の処は「如意」が暇がかかるんです。
「早くなりますと恐くなります」
悪人に言わせると恐くなるが、善人は嬉しいんです。
………………………………………………………………
この前に言つたが、寄書ですね。論文書くのに、皆んな同じ様な論文の書き方です。それで興味がないから、成可く多方面に――お蔭話や奇蹟は結構ですが、その他は、自分の実際の経験とか、興味のある事を混ぜて貰うと良いと思うから、その積りで――。それから座談会がないですが、座談会をやると良いですね。この間も言つたが、奇蹟の座談会ですね。お互いに奇蹟を語り合うと言う事ですね。
………………………………………………………………
九月八日
麦、米の二毛作は、麦が成績が良くないが、其事に就いて御神示がありました。麦は畠に作るもので、麦を田に作ると言うのが間違つているので、穫れる訳がない。そんなにこすつからくしなくても、稲を田に作るだけで、食うだけは充分穫れる。肥料なんか――ああ言う事をするから穫れないんです。
「陸稲は違う訳ですか」
陸稲もいけないんです。やつぱり水田が本当なんです。だから陸稲は今年は随分やられてます。やつぱり畠は麦と野菜に定まつているからね。人間は理窟でやろうと言うので、違つているんです。反つて理窟は悪くても実際は良いんです。全て――やる事する事――都合なんです。一切はちやんと定まつているんですからね。それを乱すから、うまくいかないんです。昨日ある偉い人が来ましたが――粗末な形(ナリ)して、タビも履かないでね。あれは間違つているんです。真善美ですからね。美がないんです。信仰によつては、汚たない形して、粗末な恰好して、粗末な家に住つてますが、真善美ですから美しくしなければならない。美と言うと――こんな美しい処は何処にもないですよ。美と言う事を忘れているから本当のものじやない。強いて、不味いものを食つて――不味いものを食べなければ生きて居られないと言うなら良いですが――態々不味い物を食つて、粗末な形をして、粗末な家に住うと言うのが、かたい信仰の様に、人に思わせ様と言うのは間違つている。美味い物を食うと言うのは、美味い物を食う資格がその人にある。悪い事をしてではいけないがね。順調にして美味い物が食え、良い家に住めるなら本当です。さつきの論文の様に――ダイヤモンドと鉄の様にね。鉄は鉄として鍋や鉄道のレールを作る様になつている。金で鍋や釜を作つたり、鉄砲作つたりしても駄目です。金は金として、きれいにしてこそ値打がある。と言うのは装飾に使うべきですね、貨幣なら貨幣でもそうです。
他の宗教でも間違つているのは沢山ありますよ。天理教では、相当な人が印半纏を着て居るが、あれは間違つている。印半纏と言うのは職人とか何かの――礼服にもなるが――平等と言うのは嘘です。あれは衣服の平等と言いますが嘘です。悪平等ですね。神様は公平なんだからね。あれは嘘です。上中下に差別をつけるのが平等ですからね。だからあれは間違つている。
………………………………………………………………
「凡て職業に従事している時の服装の方が美しく見えると言う事は、職業に尽くしていると言う事がそうさせるのでしようか」
やはり、仕事を真面目に――誠でやつているのは美しく見えます。又怠けたり、仕事を第二、第三にするのは美しく見えないですね。私はバスの車掌なんかで、とても美しく見える事があります。反つてお嬢さんが座つて居るより美しく見えるのがあります。お嬢さんなんかは、始終怠けているでしよう。享楽的考えばかりでね。真面目でないね。だから上辺だけ美しくして居て、感じがないですね。片つ方は生活の為に一生懸命やつていると言う、その美しさでしようね。バスに乗つて居る娘より女車掌に魅力があるね。
「神様が心を引かれる位ですから、人間は尚更――」
人間は何うか分りませんよ。私は車掌に限らず、つまらない服装した百姓の娘とか――そう言うものに、非常に心を引かれますね。非常に愛したい様な気持がしますね。銀座通りを歩いて居る――爪を染めている様なのは――棘々しく不快を感じます。あれは、やつぱり霊主体従と体主霊従の違い差ですね。一般の人は体を主にするからね。
美術品もそうです。色々手間をかけたり、したりするが、ちつとも見たくない。昔の、一筆か二筆のものが反つて魅力がある。二、三日前に妻の友達ですが、その人は画き過ぎるんです。この前、竹薮を画いて、それから苔寺の苔を画いたが、画面一杯に画くのは駄目です。職人が美術をやる様なんです。一筆か二筆画いて、画面一杯に画いてある様な感じを出す。と言うそこに芸術がある。写生でも――画面一杯に画くが、そうしないで簡略に画いて、自然よりも一層感じを出す。その点が芸術です。だから喋るのもそうです。ペラペラ喋るだけで人が動くものではないんです。一言か二言で先方にしみ込む――刺戟を与える。だからその点ですね。
………………………………………………………………
「芸術家に志している若い娘ですが、婚期が来て勧めるのですが、嫁ぐと芸術に精進する事が出来ないと言うので、聞きません。こう言う場合は如何致しましたら宜敷いでしようか」
その人の思う通りで良いです。それが一番良い。それが幸福なんです。家の為とか、何とか言つて――極端でもいけないけどね――常識があるけれども。どつちでも大した影響はないと言う時は、好きな様にして良い。処が、親は――女は結婚して家庭を作ると言う考えばかりで、無暗に奨めるが、大体は結婚すべきだが、女によつては結婚してはいけないのと、結婚の出来るのとあるんです。その見別けがつかないし、そう言う女があると言う事すら知らないんですからね。全て、年頃になると、犬か猫を交尾させる様な考えですからね。特に龍女なんかは駄目です。結婚の話が出ると、きつと病気になるとか、向うが死ぬとか――よくありますが、反つて不幸な事を作る事になる。
………………………………………………………………
「明主様を知らない一般大衆の場合に、明主様の御名を申上げる時は何と申したら宜敷いでしようか」
明主様で良い。
「一回や二回ではのみ込めない場合がありますので」
一回でのみ込めますよ。唯、以前に大先生と言われた時分に、頭にこびりついた人は少しはあるが――明主様で良いですね。岡田先生では変だしね。岡田先生と言うのは世間では沢山居るからね。
………………………………………………………………
「西宮の教師で、病人に祝詞を奏げますと、早く治る人の場合は銀の玉が見えるそうです。早く治らない人の場合には見えません」
祝詞を奏げる時ですか。
「奏げ終ると同時に見えるそうで、そう言う方は、大抵早く治りますそうです」
それは良いですね。便利です。それは正守護神が知らせて呉れるんですよ。正守護神でも相当神格を得ているんです。産土神様位の神格を得た正守護神がその人に憑いているんです。
………………………………………………………………
「女の資格者で、主人が五月頃から生米を食べる様になり。農家で、田に出て行く時持つて行かなければならないそうです。主人だけだつたのが、娘さんがなり、資格者もそうなり、子供も真似して食べて居ります。之は何で御座いましようか」
何つて――蛇ですよ。蛇の霊です。何時信仰に入つた。
「四年程前です。大光明如来様も奉斎して居ります」
宣伝も毎日してますか。
「左様で御座います。御神前の下に長いものが見えると言つて居ります」
それは蛇であつた時分に、非常に――何か――檻なんかに入れられるか、或は米を食いに来ても入られないで、長い間食えなかつたので非常に腹を減らして――蛇の餓鬼道みたいなものですね。蛇が食物の執着が取れないんですね。やつぱり正守護神がさせている。その儘にして置けば良いんです。之からは段々治ります。
………………………………………………………………
「然毒は種痘以前からあつたと言う様な事を聞きましたが」
勿論です。薬を飲み始めてからです。
「その前には」
なかつたんです。
………………………………………………………………
「先妻と後妻の死後の祀り方に就きまして――」
それは、先妻が上です。
「墓石は――」
勿論そうです。石に彫りつけるんでしよう。そうしなければならない。
………………………………………………………………
「三十五、六歳の女の信徒で、霊憑りとなり、『何とかしてやつつけようと思つたが、あんまり熱心な信仰の為に倒す事が出来なくなつた。二、三日中に光明如来様をお祀りすると言うから、愈々離れなければならない』と嘆いたそうです。御救いに励めば良いと言うと、それから頻々として霊憑り状態があり、今度は教師の――信仰の見方が非常に違うと言うので本守護神が出たり――」
本守護神は絶対に出ませんよ。
「正守護神です。もつと一生懸命に信仰する様とか、教師として二月に一回づつは御参拝戴く事が出来ない事はない。行かないからなのだ。霊界は大変なんだから、一生懸命に信仰して、明主様のおつしやる事を良くお聴きする様にと言い、非常に常識的な事が数多いのです。尚一週間は邪神が狙つているから、支部に泊めて置けと言う様な事があり、夕方だつたのでその儘にして置きました。翌朝に霊憑り的な事があり、非常に几帳面な事を言い、明主様の御教えとそつくりな事を言います。昨日の朝やはり霊憑りになり、この女は、現在裸一貫であるから、中教会の奥さんの着物があれば、一枚でも別けてやれと言います。何の様にしたら宜敷いでしようか」
それは、祖霊のうちで、しみつたれなのがあり、それが分担して言うんです。別に大したものじやない。霊と言つても色んなのがあり、性質が違いますからね。人間と同じで、気の小いさいのも、大きいのもあるからね。之は気が小いさいのですね。実際の常識に合つて――良いのは用いるが合つていないのはいけない。実際の事情と喰違う場合は、あなたのは取越し苦労で、心配し過ぎるんで、心配しなくても良い。神様にお任せして置けば良いと注意してやるんです。
………………………………………………………………
「鳥取県に賀露神社と言うのがありますが、そこの霊が出て参り、その神社には桃の実があります。黄泉比良坂の戦いの時、桃の実を投げる役目をしていたそうです。すると金毛九尾が沢山の眷族を連れて出て来、賀露神社の方も軍勢を集めて、最初桃の実を十八投げても収まらず、三十八投げて、それでも駄目で、五十づつ二回投げて、それで幾分退散したらしいのですが、親玉は浄霊しても祝詞を奏げても、全然手に負えません。之に対しては如何したら宜敷いでしようか」
それは本当でしよう。本物です。
「淫蕩的で、映画を見てもああ言う色目は見た事がありません。舞をまい、唄を歌い、吉備真備の袖の下に隠れて入つて来たと言つてました」
金毛九尾は今だつて大変な力があります。何故と言つて、つまり人間を淫蕩的に堕落させるんです。女ですね。皆んな金毛九尾がやつている。ストリツプ・ガール、パンパン――皆んな金毛九尾がやつている。そんな事ばかりではない。方々の妻君にも憑いている。金毛九尾の力が無くなつたら、五六七の世です。五六七の世になる迄はやつてます。然し、段々弱つて来るが、未だ相当力が強い。金毛九尾に絶対に勝つのは私位しかない。他の者は負ける場合がある。然し負けつきりにはならない。神様の御守護があるから、そう恐れる事はない。兎に角、相当力のついた信者の妻君にも、どんどん憑つていきます。
「吉備真備の尊に聞いて見ましたら、信者の中にも居ると注意されました」
私の周囲にも相当居ります。
「吉備真備の霊が見える人に見て貰つたら、胴が一廻り位だそうです」
中位ですね。金毛九尾と言うのは、黒龍が活躍している。それから赤龍ですね。
「金毛と九尾は種類が違い、金毛は朝鮮から来て、九尾は唐から来た。と言つて居りますが」
そんな事はない。
「八面六臂と言いますか、あれは狐で――」
狐です。
「賀露神社の上に金毛九尾の祠があり、その前に七五三があり、御幣が二本あり、それを持つた時ピリツと来たそうです」
やつぱり、霊は何かを道具にすると憑り良いんです。
「金の指環を戴き、それを貰つてから変な気持がすると言います。霊の見える人に見せますと、霊的に何か憑依しているらしいとの事で、御神前の脇にお供えして置いてますが」
良いです。眷族が憑いているんですね。実に活躍してます。ですから、私が今度、神軍戦士と言うのを書きますが、最初からの戦いなんです。私は始終戦つている。霊的の軍人なんです。然し、全然――そう言う邪神が無駄かと言うと、そうではない。それが大きな御用をしている。
例えて見れば、日本がアメリカから、あんなにひどくやられた。処がアメリカの方で、段々日本を助ける様になつたと言う元は、ソ聯なんですからね、中共や、北鮮軍――あの為なんです。大体、共産主義は人民が疲弊困憊する。それに乗じて宣伝する。処が、生活がそう困らないで、安定すると、共産主義の宣伝が非常に難かしくなる。特に日本は豊かな国で、日本がアジアで一番なんですからね。ソ聯は日本を共産主義にして了えば、アジアは共産主義に出来ると考えた。今度の講和がソ聯のお蔭ですからね。ソ聯は赤龍がやつている。サタンがね。そうすると、日本を助けた元ですね。善悪は糾える縄の如しと言うね。邪神だからと言つて――やはり大きな働きをしてます。さもなければ、日本は何の位――未だ未だどんなに困るか分らないです。
………………………………………………………………
「月並祭に浄霊していると、先祖が出て来て――」
月並祭に浄霊やつているんですか。
「月並祭が済みましてから」
ああ終つてからね。
「二十五年前に首を吊つて死んだ霊で、非常に苦しがり、未だ紐がかかつて居り、浄霊しても、何うしても取れず」
三十年は駄目です。
「咄嗟に言霊で繩を取りましたら、直ぐに取れました」
祝詞を奏げてやればちやんとなります。
「戦争で、お腹に弾が入つているのも言霊で宜敷いでしようか」
そう言うことは、メシヤ教以外では駄目ですからね。他ではお経奏げるが駄目です。この力は大変ですよ。
………………………………………………………………
「正守護神は体の外に何時も居られて、中に入る場合もあるのでしようか」
そうです。外で働く場合もある。何かに衝突するでしよう。ああ言う時は、パツと止めるんです。場合によつては体をこつち(衝突しない別の処)へやる。何時か、堀内さんはそんな事ありましたね。あれは正守護神がやるんです。信仰に入つて居ると正守護神は力が出るんです。信仰に入つていない正守護神は力が出ないんです。 正守護神が色々指図する。そうすると副守護神が邪魔するんです。併し信仰に入ると、正守護神が副守護神を負かして了うから、ちやんとなる。
「本守護神は――」
本守護神は神様との取次者です。始終取次いでいるんです。本守護神が正守護神に伝えるんです。神様と人間との取次をするんです。処が、正守護神に力が出ないから、そこで副守護神の方に負けちやうんです。それで副守護神は善悪無差別に、善もなく悪もないからね。何となれば、悪の方が主体だからね。あとは野となれ山となれ――でやるから、犯罪を犯す。馬鹿々々しい嘘を吐いたり、失敗するのが分つている様な事をしたりね。失敗すると副守護神は喜こぶ。どうだい、見やがれ、とね。副守護神にそれだけの力があると言う事は、その人に曇りがあるからです。曇りが副守護神の力になる。罪を犯したりすると、それだけは曇りになる。副守護神がそれだけの苦しみを与える事になり、苦しむとそれだけは曇りが取れる。取れるときれいになるから、副守護神が働けなくなる。副守護神は曇りを取ると言う役目ですね。やつぱり、黴菌の様なものです。黴菌が発生すると言う事は、人間が曇つているので、曇つていると言う事は、人間の霊界が曇つている。それを掃除しなければならない。溜ると、それを払うべきものが出来るんです。それが黴菌です。論文にあるでしよう。人間に黴菌がある。それが曇りを払い、それが結局人間をきれいにする。
「三つの守護神は体の何処に居りますので御座いますか」
本守護神は魂にです。腹の真中――中腑ですね。丁度体の真中です。正守護神は体に入つたり出たりしている。定めては働きが出来ない。副守護神は方々廻つてますが、大体は下腹に居て、始終上つたり下がつたりしている。頭に来ると精神病ですね。
「よく、ここ(前頭部)を浄霊せよと言う御言葉がありますが――」
副守護神も、ここ(前頭部)をやられると困る。ここで考えるから、ここは成だけ清めなければならないからね。
「本守護神を浄めると言う訳では――」
そうではない。本守護神は浄いものだからね。それを囲んでいるのがいけない。
「ランプの火屋みたいなもので御座いますね」
艶消しの火屋みたいなものです。天の雲と太陽の光ですね。黒雲が来ると暗くなるでしよう。大抵は黒雲です。
………………………………………………………………
「結核の革命的療法の中で、霊体の曇りは外からと中からとの二つの原因があるとありますが、それを浄めて頂きますには、浄霊で浄める場合と、御神書の拝読による場合と区別が御座いましようか」
浄霊は外からで、御神書読むと、つまり魂ですね。魂は何でもないんだが、曇らせると、魂に影響するんです。之は魂が眠つているとか、曇つているとか――外形の影響に依つて、之だけが之(縮小)だけになる。御神書読むと、アツと目覚める。だから中心から曇りが取れていく。魂と言うものは、心(シン)の心(シン)は絶対に清いんです。何かの状態で、悪人でも目が覚めたり、愈々と言う時に良い事をしたり、人の性――性善説、性悪説とあるが――極く中心はそうなんです。その周囲だけが色々になる。だから、魂が大きくなつたり小いさくなつたりする。御魂のふゆを、と言うのは、御魂が増えると言う事です。
「人助けをさせて頂きました場合は如何なりましようか」
人助けをすると、その人が感謝するでしよう。感謝の想念は曇りを取るから魂はそれだけ大きくなる。魂は伸縮自在です。
「月並祭に参拝する場合は、光を沢山頂き、魂を浄めて頂くのでしようか」
神様がそうなんです。それと同じなんです。人間が多勢上りますね。そうすると、神様の光が強くなる。それでお蔭を頂く。神様の光は蜘蛛の巣がかかつたりしていると出ないんです。
………………………………………………………………
「信者の方で、長い間熱心に、資格も戴きやつてますが、薬で、とことん迄行つて、このお道に入りましたが、それだけの薬を飲んだ浄化を戴かない。他の人は戴いているので、それが羨しい。自分はそれ迄行かないのだろうかと言つてましたが、如何で御座いましようか」
何処かはずれている処があるでしよう。無論、飲んでいる以上は出ますが、薬に依つて強いのと弱いのとあるから、一概にはいかない。その人が熱心にやつたから良いと言うのではなく、線にはずれていては余り良くない。線に合つていると言う事は、何処かと言うと、信者を多勢救うとか、支部をつくると言う事です。その褒美が神様から来る訳です。そうなると、智慧と言う事も必要になる。一生懸命にやると言つても――結果ですよ。一生懸命も結構ですが、唯、結果が現われなければね。何彼に言うより、結果ですよ。そう言う事は、怠けている様でも、あんまり感心しなくても、確かに信者が出来るなら、それが救いですからね。それが一番です。
………………………………………………………………
「大光明如来様をお祀りしている家ですが、弟が亡くなり、お婆さん一人なので看護に行つているうちに、そこの商売をする様になり、一週間に一回しか家に帰りませんので、大光明如来様に恐れ多いので、如何したらと言うので御座いますが――
現在ですがね。問題は――行つたり来たりですか。
「一週間に一回帰つて来ます」
留守番は。
「誰も居りません」
仕方がないです。だつて出来ないんだからね。神様はそんな事はない。つまりそう言う場合に――出来る場合はやらないと、人間の方が疎そかになるが、出来ないのは仕方がない。ですから、こう言う訳で毎日は出来ないから、お許しを願いたいと言う事を言つて――そうすれば良いです。
………………………………………………………………
「最近、大光明様のお守様を頂き、大浄光を額にします場合の順序ですが、地上天国とかありますが、順位の点は如何にしましたら――」
大浄光を一番良い処に掛ける。
「最近お守がよく変りますが、信者から、変る事を聞かれましたら何と言えば良いでしようか」
神様が必要あつてそうさせるんです。それで、神様の思し召しは、大浄光の額を掛けさせると言うのが、神様の思し召しですよ。そうして霊界を浄めるんです。大体それだけですね。未だ説明すれば幾らもあるが、そうすると、神様のやり方は、何うもおかしい、納得が出来ないと言う事になると、人間の方が、上になるから、あんまり説明したくない。兎に角神様の方で、そう言う意味があつてなさるんで、それで良いんだ。その方が、何か良い――と言う様に思うのが本当ですね。
………………………………………………………………
「赤痢の場合、水菓子をやつてはいけないのですか」
下痢の時にはね。果物は全部そうです。
「リンゴの皮をむいてやつても――」
やつてはいけない。拵え方ではない。食物そのものです。
「明主様、申上げます。関西なので、水菓子と言う意味が分らなかつたのだと思います」
ああ――関東では果物を水菓子と言うんです。
「果物の汁もですね」
毒と言う事はないが、下痢の回数が増えるのです。回数が少くて治つた方が良いでしよう。水菓子と言うのは、健康体が食べるんです。リンゴをすつて食べるのが本当じやない。噛んで食べた方が美味しいですからね。
「果物は病人にやらない方が宜敷いでしようか」
そうではない。下痢に関係しなければよい。
「便秘した病人には――」
結構です。それからチフスはいけないですね。熱を高くするからね。
「チフスや赤痢の場合にお腹を見ますが、赤痢は分りますが、チフスは分りません」
チフスや赤痢にしろ、お腹に必ず熱がある。チフスの方は頭が痛い。赤痢はそんな事はない。チフスと言うのは、熱の高い割に脈が低い。チフスと定めるには、熱と脈の関係、頭が痛い事、それから四時になると熱が高くなる。そうしたら流動物にして、浄霊すると二、三日したら治ります。
「流動物は重湯で宜敷いのですか」
そうです。熱が下つたら、お粥をやる。
「長瀬と言う医者ですが、チフスは脾臓が腫れていると言つてました」
脾臓が腫れるのは糖尿病ですがね。チフスは場所が違う。チフスは小腸ですからね。そう言う患者が二、三あつたから、そう思うんでしよう。
「チフスを致しましたが、検便しない先に治りました」
治りますよ。大体、チフスは小腸に穴があくんです。それに固い物がつつかえると熱が出るんです。浄霊すれば流動物でなくても治ります。唯、流動物の方が早く治ります。
………………………………………………………………
「山形の信者のお寺で、白蟻が随分出たそうですが、何う言う訳でしようか。霊的の曇りのものでしようか」
無論そうです。そこの家の柱とか、そう言うものが曇つているからで、曇つていると言うのは、買つた金が宜しくない金なんです。きれいな金じやないんです。すると、曇るから、虫がわくんです。
「お寺の奥さんが一生懸命に、このお道でやらせて頂いて居りますが、仏滅とか――と言う事とは――」
関係がない訳じやない。やつぱり浄化作用ですからね。
………………………………………………………………
「父は死亡して居りますが、母は三月入信して御奉仕に熱心で、長男は戦病死して居り、次男が七月より発作を起し、物凄く暴れます。メシヤ教の悪口を言う家に行き暴行致します。又赤痢患者を『俺が治す』と言い、消毒班が来ると器物を毀すので、警察問題にもなり、座敷牢に入れて居ります。御神体を戴きます事になつて居りますが、座敷牢は如何致したら良いでしようか」
その儘で良いです。
「御神前に休ませると言う事になりますと――」
御神前でなくても良い。暴れるんだからね。そうかと言つて、お祀りしたからと言つても、パツと良くなるんではない。大分良くなつてから出してやると良い。
………………………………………………………………
「信者で、物に恵まれず、光明如来様を戴いて居て、大光明如来様を戴きたいと言う場合に、知合いに譲りまして宜敷いでしようか」
良いです。
………………………………………………………………
「熱心な信者の妹の家で、二十年位前から井戸の水が出ず、光明如来様にお願いすると良いと言われ、お願いしましたら、第一回でバケツ一杯出、二回、三回となるうちに、非常に良い水が出たそうです。それで、日に十円づつを御奉仕して感謝しなさいと申したそうですが、二十五日程して感謝が薄らいで来て、御奉仕の気持もなくなり、姉妹喧嘩となり、恩だけは受けて感謝がないから止まると言うと、二、三日して止まりました。妹も不便を感じ、又お願いしましたら、真黒いものが出たそうです。それで、お前が未だ黒いからだ、と申したそうです。最近は赤い水に変りました。」
兎に角、最初恩義を忘れた事、その罪です。そこで、そう言う魂の人は相当曇りが多いので、水によつて曇りを取つて下さるんです。或る程度そうされなければならないんです。そう言う訳で、それでいいんです。病気でも、お蔭頂いて良くなつて、一生懸命感激して信仰しようと言い乍ら、しないが、今度はハツとして一生懸命やるが、その為に死ぬ様な人があります。本当に、余りにはつきりしてますね。
………………………………………………………………
「信者で亡くなつた場合にお守を掛けて入棺させて頂いて埋葬しても良いと言う風に御伺いして居りましたが、山形の信者さんから問合せがあり、先生により、火葬の場合はお守りをつけて良いが、土葬の場合は、はずしてと言うので御座いますが」
それはその人の考えで言つたんです。私はそんな事言わない。原則としては本人の希望なんです。お守りを掛けて行きたいと言うなら行つても良いんです。希望がないならはずすんです。はずして立派な包みにして、仏様に供げて置くんですね。
「仏壇にで御座いますか」
そうです。
「本人が意志表示が出来ない場合には、何の様にしましたら宜敷いでしようか」
意志表示の出来ない場合も沢山ありますが、はずして仏壇にね。仏壇にも永久でなくても良い。大体一年位預けて、あとはお礼を言つて仕舞つて――額なら額にしても良い。
………………………………………………………………
「絶対反対論者の家だけの家の廻りから入口に、車の歯の形がついて居り、一本で、二寸五分から三寸位のもので、朝の露が消えますと見えなくなりますが、それを引く姿を見たものはないそうです。音はギツコンギツコンと言うそうです。足跡とかは全然見当らないそうです。猛犬が居り、狐霊なら吠えるそうですが、其猛犬の廻りをグルグル廻つて居ります。体がスレスレの様な処も、入るそうです。八月十三日より約半月続いて居ります。隣の家迄はそう言う筋がついても、信者の家にはつかず、飛び越して次の家について居ります。之に就きまして――」
一本ですか、じや蛇でしよう。龍神でしよう。龍神が最初は気をつける位の意味でしようが、気がつかないので、もう一層の何かをやるでしよう。非常に神様を分つた龍神で、やはり神様に御奉仕しているんです。
………………………………………………………………
「教会で浄霊する場合も、自宅でする場合でも、天津祝詞を奏上して居りましたが、大変な間違い――何か神様に御無礼になる、と言う事を聞きましたが――」
間違いと言う事はないんです。それは臨機応変です。仮に多勢が浄霊受けに来て居る。そう言う時、そんなに丁寧にしなくても良い、時間がかかるから、そう言う時は『惟神霊幸倍坐せ』か、唯黙つてお願いしても良い。インテリとか――そう言うのが来た時は、一々神様にしなくても良い。そうかと言つて、あんまり区別をつけてはいけない。
「霊的の場合はそうしても宜敷いでしようか」
霊的と言うと狐ですね。あの先生が天津祝詞を非常に恐がる。善言讃詞の方は軟らかいので、祖先の方が非常に喜びます。その区別は中々分らない。人間に聞かせるのは非常にいいです。浄まりますからね。
「天津祝詞を人間に向つて奏上するのは、人間の方が上になるとの事ですが」
その人がそう言う判断をするんで、間違つてます。そうすると狐には幾度やつても良いですからね。そうすると狐の方が上になるかと言うと、そんな事はない。
「動物霊等は、幽世大神様に――」
そんな訳にはいきません。動物霊は的はずれです。死霊ですね――人間のね。それは意味がありますがね。決して悪いと言う事はないが、必要ないのです。
………………………………………………………………
「三種の神器は山陰にある様な霊視をさせられ、色々聞いて見ますと、宗良親王が広島に行く時埋めたと言うのですが――
三種の神器は沢山あるんだからね。あれは、代々でなくても、天皇が随分拵えたんです。一番の元――古いのは天津教にある。あれが一番古い。神武天皇のもつと前です。一番新しいのは伊勢にある。あの時代に拵えた――千何年か前ですね。
「日の川上で八岐大蛇は、オロチヨン族と言うのが――砂鉄が出て居りますが、其砂鉄によつて太刀を作つたのだそうですが――」
併し本当に大きな蟒が居たんです。八つ頭があると言う事は作つたんです。
………………………………………………………………
「長野の善光寺の本尊様は印度にお帰りになつて居るのでしようか」
帰つてます。
………………………………………………………………
「親鸞は霊界では何う言う地位に居りますでしようか」
暫く地獄に行つて居た。
………………………………………………………………
「歯ぎしりするとか、寐て居て半分目を開けるのは何故で御座いましようか」
動物霊です。寐るとそれが体一杯になる。歯ぎしりと言うのは、動物によつては咬合せるのがあります。処が人間の方は動物より脆いから、音がするんです。
………………………………………………………………
「肥つて居る人は腎臓其他の機能が悪くて、体内の毒を出せないのでしようか」
肥つて居る程度にもありますがね。体は重くないですか。本当に毒で肥つたのは重いですからね。
………………………………………………………………
「新しいお守をお取換え戴き、前のお守には何う言う手続を――」
別に要りません。
「御礼を申上げるだけで宜敷いのでしようか」
それで良いです。
………………………………………………………………
「夢と言うのは、何処で見るものでしようか、副守護神、正守護神とありますが――」
何処で見ると言うのは一寸変だが、夢は大抵自分が作るんです。観念によつてね。その時には大体副守護神ですね。副守護神ばかりではないが、正守護神と混じる場合もある。正守護神の夢は、霊夢になる。何かお知らせがある場合とかね。副守護神は出鱈目ですね。大抵副守護神ですね。
「一晩のうちに、良い夢と悪い夢を見たりする事がありますが――」
そう言う関係です。
………………………………………………………………
「文明の創造に、悪の想念、悪の行為は魂を曇らせ、濁血となるとありますが、痛みの強弱は罪の強弱で御座いましようか」
そうじやない。浄化の強い弱いです。
………………………………………………………………
「足の甲の浮腫んだ時は死の直前と御教え戴いて居りますが、この浮腫みは如何なる作用でしようか」
死の前と言う意味ですね。大した意味はないですね。やつぱり薬毒で――足の甲なんてのは、つまり浮腫むべきものじやないんです。そう言うものは浮腫まないうちに、他に排泄されるものですがね。腎臓で排泄されない人は体が弱つているから、凡る汚物は下に下にと下がります。それを途中で処分するだけの力がなくなつているんですね。そこで、生命を保持する事が出来なくなる。足の甲ばかりじやない。よく口が乾きますね。唾が出なくなる。あれがそうです。唾と言う粘液を出す力がなくなるんですね。
………………………………………………………………
「結核患者で喉が痛むのは――」
そう言うのは危ぶないですね。医者の方でも、喉頭結核は絶対駄目だと言いますがね。
………………………………………………………………
「大光明如来様の鎮魂の時――」
鎮魂と言うのは。
「お祭りで御座います。お軸の右側に「辰巳」と言う字が白く浮上り、祝詞が終りましたら、地獄の十一段目から天国の十一段目に救われたそうですが、そんなに早く上れるものでしようか」
そりや、上れますよ。
「息子が『辰巳」と言う名前で御座います」
知らせたんです。言葉だけでは信じないからね。地獄から救うのは簡単なものです。祝詞一つで、どんどん上つて行く、私は先に血の池地獄から救いましたが、祝詞を一ぺん奏げると極楽に行く。
………………………………………………………………
「信者の息子で未入信ですが、死ぬ寸前に、母親のお守を掛けさせて呉れと言い、十五日位掛けて非常に喜び、之で神様に救われたと言つて死にましたが、お守は穢れてはいないかと申しますが――」
そんな事はない。
「その儘お掛けして居ても宜敷いでしようか」
その時御礼を申し上げるんです。それで良いです。
………………………………………………………………
「位牌を新しく作つた場合、前の位牌は何う言う風にしたのが正しいのでしようか」
焼いた方が良い。
「新しくしたのにお移り願う時には――」
お断りしてすると、霊は移るから。
「坊さんの手を経なくても――」
そんな必要はありません。
………………………………………………………………
「お守の袋と紐は絹でなければいけないのでしようか、金の鎖ではいけないでしようか」
紐はいいでしよう。袋は絹でなければいけないですね。絹がなければ仕方がないが、あればそれでしなければならない。紐も、絹がなければ仕方がないが、あるのにしないのはいけないですね。なければ差支えないですね。
………………………………………………………………
「人相、手相は人の話を聞いても、良く当る事がありますが――」
当ります。併し全部は当らない。当る率が多いのです。
「変るそうですが、簡単に変るものでしようか」
併し、今日、明日変るのではない。段々変つて来ます。
「信仰を持つていると良い様に変るものでしようか」
信仰に入ると良い方に変るんです。手相を見てもはずれちやいます。以前、石龍師に見て貰つたが全然反対です。反対に解釈すると、実に良かつたと言う事になる。
「正守護神がその人を向上させるべく、相応の罪の浄化をさせるのでしようか」
そうです。
「五六七の御世には――」
そう言う事はなくなります。
………………………………………………………………
「小児麻痺とかひどい病気のあとで、霊が憑きますのは――
前から狙つていた。動機と言う事もあるが、体が弱ると憑き良くなるんです。
………………………………………………………………
「入信前に御屏風観音様を戴かせて宜敷いでしようか」
結構です。
「未入信ですが、何かと有難つて居り、観音様のお姿や彫刻に向つて善言讃詞を奏げさせて戴いて良いかと言う事で御座いますが、直ぐに光明如来様をお祀り出来ない、非常に困つている人です」
まあーいいです。その代り、無論光明如来様をお祀りする迄、何か拝みたいと言う意味でさせるんです。
「遠い処の人で、教修を受ける前に、何か拝みたいと言う時に御神体はいけないでしようか」
それはいけません。絶対に教修を受けてからです。屏風観音様は構いませんがね。
(垂二号 昭和二十六年十月十日)