はしがき中にもある如く、昭和廿五年五月八日未明、突如として青天の霹靂の如く、本教関係の熱海所在の建物六ケ所、小田原一ケ所、合計七ケ所に対し、一大家宅捜索が行はれた。其際動員された警官、無慮八十名と言ふのであるから、如何に大仕掛であったかが判るのである。恰度暁の大捕物という形だ。而も全員ピストル携帯、物々しい出立ちは、最近行はれたボスの、大親分検挙を思はしむるものがある。誰か、宗教団体が此様な扱ひを受けるなどと、想像されたであらう。
終戦前、彼の大本教や、人の道教等が、大弾圧を喫した其記憶は、未だ吾等の頭にも残ってゐるが、其頃の宗教関係事件と言えば、殆んどは、不敬罪と婦人関係で、之が通り相場のやうになってゐた。然し不敬罪は、今日跡方もなく消えて了ったし、エロ問題も本教に限ってない事は、世間誰でも知ってゐる。とすれば一体全体何の容疑なのか、全然見当がつかない。只不思議といふより外はない。其処で捜査の遣り方によって、判断するより外に考えようがないから、家人や立会った人達に詳しく聞いてみた。
先づ、五月八日午前五時何十分、私は急に眼が醒めた。すると台所の方で、何か騒がしい音がすると思ふや、一人の女中が慌ただしく部屋へ入って来た。『今警察の方が大勢見えて調べに来たと言うのです』私は驚くと共に不思議で堪らない。次の間に寝てゐた妻はソッと襖を開け、私に近寄り小声で『あなた泥棒じゃないですか?』と言う。私は『真暗な夜中なら兎に角、夜が明けた今そんな筈はない、確かに警察官だよ』と言ふか言はない内、早次の間へ入って来たらしい気配がする。慌てて次の間へ引っ返した妻は、まだ信じられないと見え、相手に対って『あなたは泥棒じゃありませんか?』という声がする。『イヤ、僕は斯ういう者だ』と令状をみせたらしい。妻は『それではどうぞお調べ下さい』という。私は事態容易ならずと床を蹴って襖を開けてみると、成程警官らしい一人が、キョロキョロ辺りを見廻してゐる。彼は私に対って“起きるには及ばん、寝てゐなさい”というので、私も寝てた方が捜査に都合がいいのだらうと察して床に入ったが、胸がドキドキして眠る処ではない。然し別に家宅捜索されても心配の点は些かも無いのだが、落着けないのは人間誰もが有つ、共通心理であると思ったりした。私は朝飯の仕度が出来たので起床し、不味いのを我慢し乍ら一杯で済ました。心配事があると何よりも食事に影響する事が熟々思はれた。其時乗り込んで来た私服は、十二三人であった事を後から聞いた。それから彼等は家中隈なく捜査し、書類やら郵便物、銀行通帳、現金及び数百枚の名刺等々、調査資料になりそうな物は、悉く押収して引揚げたのである。何でも後で聞いた女中の話によると、六畳の女中部屋を六七人の警官が、三時間もかかって調べたのだといふ。尤も数人の女中の行李であるから、相当品数はあったであらうが、何しろ腰巻からズロース迄も一枚一枚丹念に調べたといふのだから推して知るべきだ。役人何れも“変だな、ヘンだな”を連呼してゐたそうである。察するに大きな期待をかけてゐた隠匿物が見当らなかったからであらう。とは誰もが語り合った話である。総勢引揚げたのは午後三時頃であったから、食事の時間を差引いても悠に八時間に及んだ訳である。
右は私の住宅であるが、熱海清水町にある別院の如きは、押入の根太を外して縁の下迄調べたそうであるから、如何に大きな期待をかけて来たかが判るのである。又私の旧住宅である熱海東山の家には金庫があったが、長い間使はなかった為、番号を覚えてゐる者がゐないので、開ける事が出来ず封印をして帰り、其後数日経って三人の警吏が来て漸く開けたが、何もなかったので大いに失望して帰ったとの事を、留守番から聞いたのである。其後五月三十日箱根強羅の別院へ、総勢五十人の警吏が乗込んで、数時間に渉って頗る綿密な捜索を行った由であるが、此時は私は抑留中であった為、後で聞いたのである。
以上のやうな大々的家宅捜索が行はれたに拘らず、大山鳴動式に終ったのであるが、然し考えれば考える程、どういう訳で此様な大掛りな捜査をしたかと言う事である。実に判らない。みんなの一致した観方は、余程の隠匿物資があるとみて来たらしいといふ。処が令状には金久平に関する贈賄容疑としてあるので、それ位の容疑で武装警官八十人とは愈々以て判らない。而も其時私の秘書井上福夫、造営部熱海主任金久平の二人まで逮捕留置されたといふのである。
此様な訳で、当局の意図なるものはサッパリ見当がつかない。それだけ何かしら穏かならぬものを感じない訳にはゆかない。勿論井上も金も弁護士を頼んだのであるが、それから私の身の上を心配した信者の誰彼は、知合の弁護士を頼んでくれたり、連れて来たりして慰めてくれた。尚之以上進展するかも知れないといふ懸念から、其対策を相談した事もあった。といふのは井上も金も二三日で帰るだらうと思ったのに、一週間経ち二週間経っても帰らない。井上にしろ金にしろ大した犯罪など犯すやうな人間でない事は、永い間部下として使った経験によっても明かである。殊に井上の如きは廿年前から忠実に仕えており、今日は家族同様の待遇さえ与えてゐたからである。
右の両人が引張られる余程前から、信者である銀行員山田仁太郎氏が抑留されてゐる事を聞いたが、罪状は浮貸問題とかであった。同氏は以前は時々来たが、今年になってからは、一回面会しただけで、御無沙汰勝ちとなってゐたので、彼の事情については、知る由もないが、彼とても信者である以上、それ程間違った事を、する筈がないと思ったが、之もサッパリ見当がつかない。又斯ういふ説をする者もあった。それは例のユスリの一団が当局を動かしたのではないかといふのである。茲で此ユスリ団を、詳しくかく必要があらう。
(法難手記 昭和二十五年十月三十日)