強請団

此ユスリ団というのは、一、二年前から本教団を狙っており、目的は、巨額の金銭を獲得しようとして、彼の手、此手の策略を用ひて、教団を執拗に揺ぶるのである。噂によると国会議員数人を初め、宗教人、旧右翼系の利者、本教の反対者等々、少くとも十人内外の者が、一団となって謀略を廻らし、当局はもとより司令部方面に迄働きかけ、本教団を伏魔殿のやうに思はしめ、結局解散一歩手前に迄追ひつめておいて、それを免れるには巨額の運動費が必要であると持ちかけ、何千万円の大金をせしめようと、企んでゐると言うのである。

そうして右の計画を達成する為の宣伝としては、本教は医学を誹謗するとか、無肥料栽培は、怪しからぬなどと言ひ、脱税問題、贈賄問題等其他種々の捏造やデマを絡ませ、特に彼等が力を注いでゐるのは、勿資隠匿である。ヤレ金塊やダイヤモンド、何億を隠匿してゐるとか言うのだから、当局を刺戟するには絶好の資料である。其他新聞雑誌を悪用し、デマを飛ばし与論を作り、世間からみて本教の存在が如何にも、社会に害ある如く思はしむる等、凡ゆる苦肉の手段を弄し、目的を達しなければ止まないというやうな気構えであった。其表はれの一つとして昨年夏CIDの大袈裟な手入れがあった。忘れもしない八月二十五日夜九時頃、箱根強羅別院に十人程の部員が突如家宅捜索に来たのである。容疑は多量の金塊、白金及びダイヤモンドを、ドラム缶一杯に入れて隠匿してゐるといふのである。それが頗る確信に満ちてゐるやうで二日に渉って厳重なる家宅捜索をなし、最後にはレーダー迄も使用し、住宅の床下の土まで掘起した程であったに拘らず、此時も大山鳴動して鼠一匹も出なかったので、事なく済んだが、訊いてみると密告と投書によったと言うのである。

彼等ユスリ団が此様に官憲を欺瞞し、躍らせる巧妙さは感嘆に堪えないのである。斯様に私利の為に罪なき良民を苦しめても、何等法の制裁を受ける事なく、公然として社会を横行し、良民がいつも被害を受け泣寝入りに終るのであるから、善人は損をし、悪人は得をすると言う結果になるので、全く法の制度か又は運営に欠陥があるのか、兎も角軽視出来ない問題である。今回の家宅捜索がCIDの手入れの当時を知ってゐる人々の多くは、隠匿物資の疑ひの点が余りによく似てゐると話し合ってゐるのを私は聞いたのである。

前述の如く、信者が紹介したり、連れて来た弁護士達が、如何に何でも明主様が引張られるやうな事は、万あるまいといふ意見の方が多かった。そんな訳で私としても、呼び出し位の事はあるかも知れないが、勾留などは絶対ないと安心してゐたのである。処が五月二十九日、家宅捜索のあった八日の日から数えて二十一日目の二十九日未明、就寝中の私は突如起された。見ると静岡県清水市庵原(イハラ)警察署、刑事部長K氏という名刺を出し、一人の刑事を伴ひ、私に対って「直ちに同行されたい」と言うので、私は愕然とした。余りに意外であったからである。其時私は斯う言った。“部下が長い間取調べを受けてゐるのは、何か氷解しない点があるからであらう。それで一度私の口から充分説明したら解るだらうと思ってゐたので、恰度よい”と快諾した。途中自動車の故障などがあって大分遅延したが、零時半警察署の門をくぐり、留置所へ入れられたのである。

留置所の経験は昭和十一年二回、同十五年一回あったが、一回目は二日、二回目は十一日、三回目は三日間であった。一、二回共宗教問題で、三回目は医師法違反で何れも無罪であった。当時の調べは三回共特高であったが、特高の調べなどといふと、非常に封建的であるやうに想像されるが、今回の取調べに較べてみると、比較にならぬ程、今度の方が峻厳苛烈で、戦慄の一語につきると言ってもいい。それを有りの儘かいてみようと思うのである。

(法難手記 昭和二十五年十月三十日)