次に自然農法の原理について簡単にいうと、土の偉力を発揮させることだ。自然農法の名は人肥、金肥は一切用いず堆肥だけの栽培で堆肥の原料である枯葉も枯草も自然に出来るものだから私がこうつけている。そもそも森羅万象どんなものでも大自然の恩恵に浴さないものはない。つまり火、水、土の三原素によって生成化育するということがいえる。三原素を科学的にいうと火の酸素、水の水素、土の窒素であって、どんな農作物でも、この三原素から成立っているわけだ。
大体神は人間をこの地上に造った以上、人間に食物を与えないわけはない。国がその有する人口だけの食糧を保障することも出来ないなら、それは神の造った自然の法則にそわないものがあるからだ。だから自然の法則を無視した人間が、人為的な肥料ばかりを使ってきて食糧不足に悩むのは当然である。この意味から現在の農耕法と進歩どころか逆に退歩したといえるだろう。なるほど農産物に肥料をやれば一時は相当の効果はあるが、しばらく続けると逆作用が起る。つまり作物は土の養分を吸うための本来の性能が衰え、いつのまにか肥料を養分としなければならないように変質してしまう。このことは人間の麻薬中毒にたとえれば一番よく解る。最初麻薬を使うと一時は快感を覚えたり、頭脳明晰になるが、程度を越すと、その味が忘れられず、だんだんと深味に陥り、ついには抜き差しならぬようになるのと同様である。
農民は長い間肥料の盲信者になっているから中々目が醒めぬ。わたしの自然農法は信仰が土台となっているから私のいう通り何の疑もなく実行して貰わなければ困る。農民の中には私の説を信じて、最初は人為肥料をやめて農耕するのだが、数カ月して思わしくないとすぐやめてしまう。これではだめだ。自然農法はまず最初苗代から本田に移したとき、しばらくの間は葉色が悪く茎も細く、他の田より見劣りがするが、二、三カ月過ぎると立直りを見せ、花の咲く頃には更によくなるという状態が続く。愈々収穫の段になると数量は予想以上によく、品質が良好で、艶も粘着力もあり、美味で目方も有肥料米よりは五パーセントから十パーセント位重く、特に面白いことは、コクがあるから二、三割位炊増しとなり、経済上からも非常に有利だ。だから日本人全部が自然農法を行えば三割増しになって輸入米などの必要はなくなるということになる。
この経過を更に精しくいうと最初の二、三カ月位は見劣りがするのは種子にも田地にも肥毒が残っているからで時が経つにしたがって土も稲も肥毒が抜けていくので、本来の性能を取り戻し、だんだんと好転してゆくわけだ。例えば洒水したり大雨が降った後で不良田が良くなるのは多かった肥毒が洗われて減少するのである。少し作物の生育が悪いと客土し、少し良くなると農民は長い間土の養分を作物に吸われ土は痩せたのだから新しい土を入れればいいというのは、間違った考えで、実は段々と肥毒によって土が衰え痩土となったためで、こんな考え方は農民が肥料迷信にかかっているからだ。自然肥料実施をくわしく説明すると稲作に対しては稲藁を出来るだけ細かく切り、それをよく土にこね混ぜる。これは土を温めるためで又畑土の方は枯葉や枯草の葉筋が軟かくなる位を限度としてくさらせ、それを土にまぜる。これは土が固まっていると植物が根伸びする場合、尖根がつかえて伸びが悪いから固まらないようにするためである。
(東日 昭和二十八年二月二十七日)