地上天国第40号  妙智之光  講話集

昭和二十七年九月二十五日

【お伺】“空飛ぶ円盤”について、お伺い申し上げさせて戴きます。

空飛ぶ円盤の話題が新聞を賑わしてから一年以上になりますが未だ正体が分らないらしく、本年八月一日、日本人の実見者の話を綜合すると、

(イ)水色がかつた光のかたまりが長い尾をひいて南から北に走りアツと思つた瞬間二つに割れて消えた。

(ロ)大きさは月齢五日位で、ダイダイ色の光だ。

(ハ)突然青光りするような閃光体が現われ、高さは成層圏ではないかと思われる位の高度で、目撃された大きさはレコード盤ぐらいで厚みあり、進行速度はゆるやかで灼熱の発光体からだんだん赤みを帯びて海上の上空に消え去つた。

と言つております。  此の空飛ぶ円盤はアメリカ上空に多く出没して騒がれているとの事で御座居ます。新兵器という説、そんなものとは考えられないという反説、流星という説、流星ではないという説等々、諸説紛々として居ります。此正体に就て御垂示の程御願い申し上げます。

【御垂示】之に就ては、世間で考えるようなものではない。非常に神秘的なものであるから、何れ詳しくかいて、栄光に載せる筈である。

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昭和二十七年九月二十五日

【お伺】建御名方尊の信濃入りの御順路は、東海道から天龍川の川添いに上つて、諏訪へ行かれたとの説、又北陸を廻つて信濃川の川添いに上つて上田を経て、和田峠を越えて諏訪へ行かれたとの説、又長野から信濃川の支流の遅川の川添いに上つて松本を経て諏訪に行かれたとの説等聞きましたが、いづれが正しいので御座いましようか。

右御垂示戴き度く御願い申し上げます。

【御垂示】此神様は神武天皇の軍勢に追駆けられて、諏訪へ逃げたので、其経路など今更知つた処で、何の意味もないではないか、そんな事に関心を持つようなチツポケな了見は止めなさい。何となればそんな事を知つたとて、世界人類を救済する上に、何の必要があるかという事を、よく考えれば分るだろう。

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昭和二十七年九月二十五日

【お伺】長野県小県郡塩田村(上田市の南)に国幣社生島足島神社が御座います。宮司様の話では国土の守護神で、又、此神様は元大本教本部でも御祀りしてあるとの事ですが、御祭神はどういう神様で御座いましようか。

又、右神社は古い神社で、建御名方尊が信濃入りをなされた時すでに御鎮座なされて居りまして、尊が諏訪へ行かれる御道すがら御参拝なされたとの伝説があるそうで御座いますが、其様に古い御社で御座いましようか。

【御垂示】そういう事は、神主に訊いたら一番よく分るだろう。私としては低い神様だから教える必要はない。

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昭和二十七年九月二十五日

【お伺】金龍神様は八大龍王の上にましますものでございましようか。又は八大龍王の筆頭が金龍神様なので御座いましようか。又八大龍王の御名は何と申し上げる龍神様で御座いましようか。

【御垂示】之は御神書にあるから、支部長に訊いて其処を読みなさい。但し御名前は神名と仏名と両方あるが、之を覚えたとて何の役にも立たないから、書く必要はないだろう。

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昭和二十七年九月二十五日

【お伺】謹んで御伺い申し上げます。

私宅は現在家族四人暮しで御座います。昭和二十五年八月次女(智恵子)三女(登美子)入信さして戴き、九月長男(光夫)入信、十月私入信、同月光明如来様並びに御屏風観音様御奉斎さして戴き、御神業に邁進致さして戴いて居ります。

(一)愚妻あさの(五十四才)事三十六才頃眼病(トラホーム)にかゝり、約十  年間程色々と医療薬物を用い、只今では左眼が失明致して居ります。其間肺  炎、心臓、脚気等を病みました。

(一)次女(智恵子)は入信後十カ月にて腸結核にて死亡。

(一)三女(登美子)は五年程前より母と同じ様な眼病にて、右眼が段々と悪化  して、今では薄く見えるのみです。御浄霊は家族又は協力者方にも御願い致し  て居ります。

(一)長男(光夫)は只今は健康ですが、子供の時大きな柿の木より落ちて右額  部に傷を致して居ります。

私は小学校時代に窓ガラスにて鼻の上部を傷致して居ります。之等の事柄と  次の事と何か霊的に関係が御座いましようか。謹んでお伺い申し上げます。私の父よりの言伝によりますと今より約百年前の事自宅に鶏を養い居りました  (当時の戸主)畑の仕事より帰宅致しました時、鶏小屋へ猫が入り鶏を取殺さ  んと致すのを発見、直ちに竹槍にて猫の顔、目、鼻、口をつき、殺した事があるとの事。

自宅より約十間程卯寅の方向に大きな黒木と云う木があり、其の所にお宮を作  り、祭神は摩利支天神、火之峰、午之峰とか云つて御祭り致して居ります。今  から三十五年余り前に其の木を伐りました。

イヌイ(西北)の方向に約百五十年より二百年位経つ大きな松の木がありまし  たが、十年前に落雷にて枯れました。それを私の父が八年程前に伐り、伐つて  より二年後に死亡致しました。死因は日頃胃弱にて病みましたが、急に体全体  が悪寒が致し、ふるいが激しく来まして、冷やしてくれ冷やしてくれと約一カ  月程苦しみ、其の間は只水を飲むのみで食事は致さず死亡致しました。

今から二十五年前自宅が火災になつた事もあります。

私が十五、六才の頃、大きな蛇(青大将)がツバメの巣を知つて、ツバメの子  を取り食うのを私がはたき落して、鍬にて頭部より六寸余りの所より切り殺し  た事があります。

住宅より辰巳の方向に(約三十間の距離)昔の武士の墓場がありますが、面積  約二十坪のが何時の間にか約半分余りになつて畑に使用致して居ります。以上の事と家族の病気と霊的関係が御座いましようか。如何致しましたら宜しいか御教示御願い申し上げます。

【御垂示】右御家内の眼は、薬毒の為失明したのであるから、気長に浄霊すれば必ず治る。急所は後頭部下方に固まりがあるから、そこを浄霊すればいゝ。次女の腸結核は誤れる医療の為、三女の眼は母親の遺伝と薬毒故、之も気長に浄霊すれば必ず治る。右の如く三人の病人は霊的関係なし。又三十年以上経た霊の祟りは先ずないと思つていゝ。但し松の木の木の霊の祟りは多少あつても、光明如来様を御祀りしていれば解決するから心配しなくてもよい。

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昭和二十七年九月二十五日

【お伺】私の下腹部(臍下右寄り)に拳大(スポンヂ・ボールの如き)の固りが出来、御浄霊を御願い致しましたがむしろ大きくなる程でありましたが別に痛みはありませんでした。

昨年二月明主様に御伺い申し上げ、御参拝の節名前の「ちゑ」を「みゑ」と改名迄戴き、変な霊(別に何とも申されず)によつてなつて居るから相当永くかかると思うから浄霊を受け大いに働いて気永にやつていく様にとの有難き御垂示を賜わり、其の後其の如くに主人から毎日浄霊をして戴き、時々先生にも御浄霊願い、毎日の様に野良仕事等相当の重労働も致し今日に至りました。其の間時々下痢等を戴きましたが休むことも無く御守護戴いて参りました。然し未だ固りは大した変化なく、従って子供も御座居ません。本年七月、強羅に御奉仕させて戴き、帰宅後八月八日下腹部に痛みを生じ食欲もなくなり便秘し、九日には尿も出ず一時呼吸も苦しい程の浄化を戴きましたが、十日には御守護により楽にさして戴きましたがやはり固りに余り変化は見えません。

当家にては主人と私のみ入信し両親及び弟は未入信で余り積極的ではありません。御屏風観音様は御奉斎して居りますが御神体はまだで御座居ます。又主人より御浄霊して戴く場合、及び此道の話しを致します都度弟はブツブツ言つて変な反対する様な態度をし、霊的に何かある様に感ぜられます。

右の通りに御座いますが、浄霊の不足によるものでしようか。後二、三年位はかかるものでしようか?罪深き身を感じ大いに徳を積んで御赦し願うべく御奉仕さして戴きましても、短期間のみで嫁の身で思う程に出来ませんのが残念に存じますが、何卒御守護賜わり度く御願い申し上げます。尚現在の私及び一家として如何様にして参るべきで御座居ましようか御伺い申し上げます。

【御垂示】固まりが少し大きくなつたのは非常に結構である。之は普通は大きくなつて穴が穿き、膿が出て治るのであるが、うまくゆくと或程度まで腫れてから、下痢で治る事もある。此人は右の腎臓部に固まりがあるから、其所をよく浄霊する事、浄霊の場合は出来るだけ力を抜くようにすれば、長くは掛るが必ず治る。

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昭和二十七年九月二十五日

【お伺】野崎きぬゑ(三十七才)は昨年二月頃より発作的に物を投げたり怒つたりする様になり、九月に男児分娩後は殊に発作が激しく、家人の監視が必要の為脳病院へ入れましたが其の時院長は全快の見込なく預かるだけだと言われ、電気治療を致し、約六カ月後の本年五月退院致しましたが、日常絶えず何者かの霊と話をして居ります様で、返事をしたり笑つたりしやべつたり致して居り、他から話を致しましても、とんちんかんな返事を致し、げらげら笑います。時々大切な物でも無理に人にあたえて困らせたり、たらいに水を入れて、行水のまねを致します。六月十四日より主人に此御道の話を致し御浄霊を致して居りますが変化が御座居ません。七月一日家出致し三日目に警察に保護されて居りました。七月十八日、主人と本人と入信致し御屏風観音様を御奉斎させて頂きました。(先祖代々の霊の位牌は作つて居りません)其の後は動作がそはそはする様になり、二十二日夕刻よりひどい発作が起り「坊様や御客様が多勢くるから」と家中騒がせました。翌朝は激しく「神様が切れと言われたから」と刃物で手を切り、首を締めたり、たらいに水を入れて着物のまゝ入り、祝詞をあげ、歌を唄い、飛んだり暴れたり致し、やつと上げて御浄霊致しますと「わしは御日様の次に悟りを開いたのだからそんなもの(御浄霊の事)いらぬ」と申し、又「家に火を点けて焼け」とか色々大声でどなつて居りましたが天津祝詞、善言讃詞、御讃歌、明主様のレコード等聞せまして御浄霊させて頂きましたら、夜八時頃やつと平常の精神状態になりました。其の後、御浄霊をきらいます。主人は野崎家へ養子に来まして、一男一女を置いて戦時中に先妻と死別致し、二度目に今の「きぬゑ」を娶りました。次々と三人分娩致しまして長男は幼児の時死亡致して居ります。尚本人は最初嫁ぎまして三カ月位で生別、男児分娩後、男親に渡し里子に出し、現在十六才で其子供が生みの親を慕つて居るそうで御座居ます。尚本人は野崎家へ来まして三カ月位の時結核性脳膜炎で入院致し、氷冷で良くなつたそうで御座居ます。尚本人の実母は生駒の聖天様の熱心な信者で人助けも致して居るそうで御座居ます。主人も入信は致しましたが中々わかりません。御浄霊の個所は前頭部、後頭部、肩、首、腎臓部をさせて頂き、御浄霊の時は天津祝詞、善言讃詞を一回づゝ奉誦させて頂いて居ります。之は如何なる原因で御座居ましようか。如何に致しましたら御赦し頂けますで御座居ましようか。謹んで御垂示の程を御願い申し上げます。

【御垂示】之は狐霊、狸霊、其他種々の霊が憑るもので、一般精神病の状態である。之は本人の浄化作用というよりも主人の方の浄化作用である。何故なれば苦しみはズツト主人の方が多いからである。従つて主人が熱心な信仰によつて人助をし、神様の御役に立つようにしなければならない。その徳によつて罪穢が減るから、それだけよくなるのである。勿論浄霊、祝詞、御神書拝読等も結構だが一番の急所は右側延髄を中心に、首の周りに固結があり、又前頭部にも毒素が大いにあるから、右の二個所をよく浄霊すれば長くは掛るが必ず治るのである。

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昭和二十七年九月二十五日

【お伺】私の弟貢(二十四才)は、昨年十月中頃より肋膜症状の御浄化を戴きましたが、御蔭様で御浄霊に依り全快、本年四月中頃より頭の御浄化を頂き、前額部及び後頭部並びに首の周囲等に高熱あり、特に声がれがしておりました。又右横腹部に痛みがあり、寝返りに困難を致しました。御浄霊に依り御守護賜わり一時快方に向いました。

五月二十八日再び同様の御浄化を戴き現在に及んで居ります。現在は頭部首の周囲腎臓部、尾 骨(ビテイコツ)、臑等に高熱があり、やはり声も出しにくゝ息苦しく一寸歩いても非常に苦しく御座居ますが、脚部特にスネの部分がいたみ歩行困難の状態で御座居ます。又足首及び手の両親指もしびれて居ります。御浄霊致しましてもなかなか下熱致しません。食欲は茶椀に一杯位で御座います。

十一時頃より三時頃まで毎日発熱し寒くてふとんをかぶることも御座居ます。  弟は絶家した親戚を(堀田家)継ぐべく入籍致して居り、堀田家の父は大腸カタルで、母は中風にて三年前に、息子は肺病にて十五、六年前それぞれ死亡致し絶家となりました。

弟は昭和二十四年入信以来余り熱心で無く途中御守を掛けて居りませんでしたが現在は申訳なく感じお掛け致して居ります。誠に申訳なき事と謹みて御詫び申し上げます。

堀田家には去る七月五日御屏風様を御奉斎戴きましたが浄化の為生家に居りますので御祀り出来ず、蔭膳を致して居ります。  弟の浄化はこれらと関係御座居ましようか。御浄霊の個所等御教え賜わり度く謹みて御伺い申し上げます。

【御垂示】之は霊的関係はなく、薬毒病である。熱が執つこいのは、浄霊が急所を外れているからで、触つてみて一番熱い所を見附け其処を浄霊すれば、段々熱は下るものである。其他圧して痛い処を浄霊する事、食事は野菜を多く摂る事、何よりも衰弱を増させないようにする事でそれには普通の安静にすればいゝ、それで治る筈である。

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昭和二十七年九月二十五日

【お伺】左記の者、松永重徳四十五才は、現在長崎県崎戸島にて、崎戸炭鉱に勤務して居ります。昨年十一月入信以来御守護いたゞき夜は腹痛に悩み乍らも毎日出勤は致し居り、帰宅後は熱心に浄霊に従事し、以来入信者約二十名を導き、現在協力会員二十四名の責任者として、一生懸命御神業の御手伝いを致して居りますが、最近、特に浄化はげしくなり、支部長、安田三六、毎月当地に出張浄霊二~三日と義兄、教師、箱丸恵、毎月一週間程出張致し浄霊する他は妻より浄霊をいたゞき、他人を浄霊している間は楽ですと毎日自分も浄霊に従事している状態でございます。現在迄に手術四回をはじめ相当色々の手当もして居りますので、胃薬及び消毒薬の浄化作用と思いますが右につき浄霊の方法、個所等御指示仰ぎ度く尚併せて御守護の程御願い申し上げます。

【御垂示】無論薬毒である。浄霊の急所は腎臓部を主とし、次に腹の痛い処を出来るだけ力を抜いてやればいゝ。

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昭和二十七年九月二十五日

【お伺】三男雅紀(十三才)は小学校に入学する頃より(昭和二十一年)手足の自由がきかなくなり出して心配しておりました処、この御道を知らせて戴き、昭和二十三年入信させて戴きました。同年光明如来様、御屏風観音様を御奉斎させて戴きましてその後御浄霊はつゞけておりますが、だんだんと自由になれなくなり、今では殆んど動かさず、食事の時は飯台の上に置けば自分でどうやら食べられる程です。長男はやはり入学する頃より体が不自由となり、十二才(昭和二十年)で小児麻痺で死去致しました。雅紀の祖母は中風で昭和二十六年十二月に死亡、祖父は同二十七年五月に腎臓病にて死亡致しました。右何卒御守護御願致しますと共に雅紀の御浄化につきまして浄霊の急所とその原因を御教示願い度くお伺い申し上げます。

【御垂示】此病人の最近の状態を知つている教師の人から、直接詳しく訊いて返事をする。

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昭和二十七年九月二十五日

【お伺】信者赤池貞一郎(三十七才)の家について御伺い申し上げます。

右の家には近親者に変死した者が数人居ります。長男栄一は昨年三月水溜へ落ちて死亡(当時三才)長女(本年七才)は栄一が死んで一週間程後三日間昏睡状態となり、浄霊しても変らず、栄一の死んだ場所へ行つて善言讃詞を奉唱して頂きましたら良くなりました。

又二十年前本家では信者貞一郎の妹澤子が大きな池の中に落ちて死亡(当時十三才)、姉トヨキは三十七年前やけどして間もなく死亡(当時六才)、引続いて翌日次の弟義勝(当時三才)が腹痛を訴えて前方に転んですぐ(死亡)其の外にまだ二人死亡して居ります(病死)。

信者貞一郎の二女邦子(昨年十二月三十日出生)は生後二三日位から吐気があり、黄疸の状態となり、夜昼の別なく泣き通し、毎日御浄霊を続けて居りましたが、一進一退で発育も悪く、遂に、本年六月六日死亡致しました。死亡の直前に医師に診療して貰いましたところ「先天性輸胆管閉塞症」との事でした。

是等近親者の死亡、殊に変死者が多い様に思われる事には如何なる霊的関係があるのでしようか。今後も不幸が続発するかと思うと非常に心細く、どうすれば良いかと迷つて居る様子です。

御屏風観音様は昨年御奉斎させて頂きましたが、光明如来様は御奉斎させて頂くつもりで貯金して居られます。

何卒右御垂示を御願い致しますと共に御守護の程御願い申し上げます。

【御垂示】之は龍神の祟りであるから、一日も早く光明如来様を御祀りして、そうして熱心に信仰を励めば段々よくなつて不安は消えて了うものである。

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昭和二十七年九月二十五日

【お伺】私は心臓弁膜症で御守護戴き、昭和二十五年に入信致しました者で御座います。二十四年に長男(幸作現在四才)を分娩し、生後十カ月位の時、お祖母さんの一周忌後急に発熱し、医師にみて戴いたら佝僂病と云われ、毎日通つている中に小児麻痺と診察されました。不具の子供を持つ悲しみ絶望感はひしひしと身に迫るものがありました。軟弱で骨の無い如き症状で、言語明晰を欠き、涎を流し、全部が屈曲麻痺しております。御浄霊戴きましてから握つたまゝの手が今は開く様になりました。やつと物を持つ様になり、目もどろんとして年寄の様だつたのも少し良くなりました。私も一生懸命神様におすがりし、会長先生からも幾度も御浄霊を戴き、「貴女の御先祖には中風で亡くなられた人は御座居ませんか」とたずねられました。私が子供を生む五年前に姑が中風で亡くなつております。幸作がお祖母さんと同じ様な状態で顔迄がそつくりで御座居ます。御屏風観音様は奉斎する様に再々お祖父さんに云いましたけれど、天理教の信者で聞き入れず、私の実家で弟が入信しているので御屏風観音様を御奉斎致し中風で亡くなつた祖母も実家にお祭りさせて戴いて居ります。私は浄霊戴き乍らも再び子供を授けて戴き、その子供は幸作に比べものにならない程達者な子供で御座居ます。弟が丈夫なので幸作は泣いているので御座居ます。或時天理教の布教師にすゝめられ奈良の本部迄行きましたが、何の変化もございませんでした。只今は御浄霊は弟より戴いておりますが余り変化がございません。御浄霊の際は善言讃詞を奏上させて戴いて居ります。御神書も聞かせて居ます。

今後如何致したらよろしいでしようか。

謹んで御教示御願い申し上げます。

【御垂示】光明如来様をお祀りしなければ、本当には治らないが、併しそういう事情なら仕方がないから、支部の神様によく御願して、時節を待ちなさい。

(註)千本操の質問に就ては十月二日の特別面会の時直接話をする。

(地天四十号  昭和二十七年九月二十五日)