序文

抑々全人類が要望する最大にして最後の目標は何であるか、それは一言にしていへば幸福そのものであらう。之に対し否定する者は一人もあるまい。然し乍ら幸福を獲んとする者も、既に幸福を得てそれ以上を持続せんと欲する者も切離す事の出来ないものは、何といっても「身体の健康」であらう。ナザレの聖者基督は曰った。『爾(ナンジ)、世界を得るとも生命を失はば何の益かあらん』と、宜なる哉である。此事の為に人類は数千年来医学なるものを創成し進歩し発展させつつ今日に到った。然し乍ら悲しい哉、それ等の努力は無に等しいものである。否現実は逆効果さへ示してゐる。その何よりの證左は文化民族全体の人口増加率逓減といふ悲しむべき一大事実である。そうして以上の如き逆効果は如何なる原因に由るのであらうか、医学はそれ等に解答を与へない。否与へ得ないのである。見よ英国を初め各国為政者の此問題に対する憂慮は益々深刻になりつつある事実である。

然るに私は数十年来此問題に没頭研鑽し、医学によらざる特殊的研究によって、その根原を突き止め得たのである。それは医学そのものの根本に一大誤謬が伏在する事である。そうして人間から病苦を除去し、溌剌たる健康人たらしめ、その結果として寿齢の延長可能に成功したのである。実に全人類が何千年来翹望して熄まなかった処の大理想が茲に実現したのである。

人間生命の延長といふが如きは痴人の夢でしかないと誰もが想ってゐた。此意味に於て斯る偉大なる発見は人類史を通じて、その価値に於て恐らく他に比肩すべきものは絶無であらう。故に此新医術が全人類に及ぶ時こそ、世界は一大革命を起さない訳にはゆかない事を確信する。然し読者よ、驚くには当らない。それは過去に於けるが如き血腥(チナマグサ)いものや憎悪に満ちた革命のそれとは雲泥の相違であり、実に歓喜と光明に輝く処のものである。又之によって永遠の平和の基礎は確立さるるであらう。

私の言分はあまり大胆過ぎるかも知れない。然し読者よ、此書を熟読玩味しその内容を検討し、そうして実施するに於て些かの詐(イツワ)りのない事を認識するであらう事を私は信ずるのである。

抑々文化の進歩とは何を意味するか。言ふ迄もなく人類一人一人がより福祉を増す事にある。而もその基調としては何よりも人間の健康と生命の延長とであらねばならない。今日迄の人類は医学の進歩によってのみ達せらるべきものと信じ、凡ゆる努力を傾倒し来った事は何人も知る通りである。

一切の科学は日進月歩の進歩を遂げつつあるに拘はらず、最も重要であるべき人間生命の科学のみは一歩の前進だもないといふのは一体如何なる訳であらうか。成程医学と雖も他の科学に劣らざる絢爛たる外容は調へてゐる。大病院に於ける手術室、無数の薬剤、顕微鏡装置、レントゲン、ラヂュウム、種々の光線放射設備等々は固より、微に入り細に渉って学理を探究し、頻々たる新発見、新学説の発表等を観る時人間は幻惑されてしまふ。之によって終には凡ゆる病気は解決され得ると思惟するのも無理からぬ事である。然るにも拘はらず、その目標は余りにも遠くして何れの日に捉へ得るかその日を知らない現状である。

私は徒らに医学を誹謗するものではない。ただ余りにも医学の真目的と背反する方向に進みつつある現実に対し警告を発するのである。そうして医学の最後の目的とは人間を無病者たらしむる事である。如何に大衆の眼を驚かすべき様相と雖も、右の目的に一歩一歩接近しつつないならば医学は科学の分野に於ける無用の存在でしかない。

然し乍ら医学にも功績はあった。それは解剖と分析によって人体機能の詳細なる説明であって、之は一応感謝に価ひすべきである。斯様な医学の誤謬に何故人類は永い間気づかなかったのであらうか。実に世界の奇蹟である。私の創成した医術によって、何千年間閉されてゐた神秘の扉は茲に開かれたのである。私は惟ふ、神は人間の健康をして本然の姿に立還らしむべく、斯かる大事業の遂行を私に委ね給ふたのではなからうかと!

(西暦一九四五年十一月 著者識)

(天国の福音 昭和二十二年二月五日)