中村氏、真山氏との御対談(二) 恋愛はよいが罪を作らぬ事

真山氏 少し柔かい処で恋愛につきましては……。

明主様 私の方では、恋愛は神が与えた恵みだから大いにやりなさいと言うのです。

中村氏 教祖御自身おやりになりましたか……。

明主様 大いにやりました。

中村氏 教祖も人間であったというわけですね…。

明主様 そうです。

真山氏 そういう話も聞いておきませんとね……。我々の勉強になります。

明主様 大いにやってもよいですが、罪を作ってはいけないです。

真山氏 教祖は罪をお作りにはなりませんでしたか……。

明主様 少しは作ったでしょうが、大しては……。

真山氏 我々の唯一の教祖的な事は恋愛をしているという事だけ、という事になりそうですね。

明主様 負けおしみを言うようですが、それが無駄にはなってないです。それは、社会の裏を知る上において相当必要があったわけです。ですから神様にやらされているのです。

真山氏、そういう時には神様が“いけない”というようにはなさらないのですか……。

明主様 それがあるのです。それは信仰に入ってからですが、どうにもならなくなって私はこれは神様のお試しだとみたのです。オレの信仰に対する熱烈さがあるかどうかという事を試しているのだ、ここで及第しなければならないというので、ピタッとやったわけです。

真山氏 それでは自然に逆らったような事になるのではないですか……。

明主様 そうなりますが私は特別な使命がありますから、そこが普通の人間にはできない事と思います。

中村氏 私は宗教の教祖に合ったのは先生が初めてですが、お会いした処、我我が思っていた方とは違いますね。庶民的ですね……。

明主様 それはそうです。宗教家というのはそれが本当です。

中村氏 白足袋をはいてもっと……と思ったのです。白足袋というと吉田茂ですが、教祖のお名前の岡田茂吉というのは、吉田茂の名前をはさんでしまっていますが、私はこれに何かをこじつけようと思っているのですがね。とに角、一応我々の考えでは、鉄のカーテンではなくても、少なくとも竹のカーテンぐらいはやられるのではないかと考えていたのですが……。

明主様 私はそういう事は嫌いなのです。そういう事をすると、こっちが窮屈でしようがないです。だから、普通人としてやった方が気楽でよいです。又、そう気取る必要はないです。

中村氏 保全の伊藤教とは違うというわけですね。伊藤の方が余程教祖らしいですね。

明主様 最近は森脇教という事になりますかね…。

中村氏 一つの線まで行くと教祖になって来るのですね。アメリカに行って帰って来るとみんな教祖になるのですね……。

(昭和二十九年七月二十八日)