中村氏、真山氏との御対談(二) 貧から解放されるには

真山氏 色々な問題がありますが、病気から離れて貧を救うという事は、どんなものでございましょうか……。

明主様 その前にもう一層根本的に言えば、人間は霊と体との両方で成立っているのです。処がその霊を認めないのです。医学というのは体を根本にして研究しているのです。併し私の方では霊主体従と言っているのです。つまり、人間一人一人の中心は魂ですが、魂というのは霊界に属していて、体は現界に属しているのです。この霊界というのは現界と同じで層になっていて、その層は百八十段ありそのどれかに魂は属しているのです。例えて言えば地獄にあれば、貧乏、争い、忌わしい悪い事ばかりがあり、だんだん上に行くに従ってだんだん良くなって、真中の中有界というのは良い事もあるし悪い事もある中位の所です。それを越すと天国になりますが、此処は良い事の方が多いのです。良い事ばかりが流れているのです。そこで人間に曇りがあると、罪によって、下の地獄に行きますから、地獄の凡ての影響を受けます。そこで貧乏で苦しむという事も、そういった下段の方に影響されているわけです。籍が下にあるからです。そこでその籍を上にすればそういう忌わしい事が少なくなるから、貧乏や色んな苦しみはずっとなくなるわけです。だから籍を上にすれば、嫌でも良い事ばかりが来て、悪い事は来ないというわけです。其処はそういうような事になっているのですから仕方がないのです。貧乏もそういう訳です。今の人間はみんな地獄にいますから、それをだんだん上に引上げなければならないのです。ですから救世教の信者はみんな貧乏をしなくなります。

真山氏 では救世教の信者はみんな、病気もないし貧乏もしてないわけですか……。

明主様 併し最初はありますが、だんだん年限が経つとそうなるのです。

真山氏 それは、どういうようにして引上げるのでしょうか……。

明主様 魂の罪が減ればよいのです。つまり、罪の重荷と言いますが、その罪を取れば軽くなるから上るのです。

真山氏 どう致しましたらその罪が取れましょうか……。

明主様 浄霊による事と私の本を読むとかする事です。それは光が出るからです。私の方で発行する新聞の活字から光が出るので、それをみる人があります。

真山氏 そうしますと私どもは当分の間は貧から救われないわけですね。

明主様 あなた次第です。救われたいと思えば信者になればよいのです。そうすればドンドン良くなります。併し、うまい事を言って信仰させようとするのだろうと思うでしょうが、思っても思わなくても、“信じろ”と言うのは嘘です。物は試しだ瞞されたと思ってやって“なるほど、これだな”と思えばよいし、思わなければ御守は捨ててもよいのです。

真山氏 私も救われたいとは思いますが……それはやはり罪が多いわけでしょうか……。

明主様 人を苦しめるというのは罪になりますが、自分が仕合せになろうというのは本当の欲求です。人をいじめてオレだけというのはいけませんが、人も良くなりオレも良くなるというのは良いです。共存主義です。

真山氏 私共は、経済的に心配がない方だからと思うのですが……。

明主様 そうではないのです。今地上天国というのを造ってますが、その金はみんな信者が寄附するのです。それも、金がある人が寄附するのではないので、自分が信者になって得た金を献げるのです。

真山氏 ははあ、そうですか。では救世教自体も貧から抜け出ているわけですね……。

明主様 まあ、そうですね。

真山氏 我々のように貧に追われて来ますと、もうあまり考えないようになって来ますが、これも貧故というわけですかね……。

明主様 併し貧というものも必要ですよ。

中村氏 疑問に思う事があるのですが、教祖はさっきから、暑い暑いと仰言ってますが、我々はあまり…。

明主様 それは光の関係です。

中村氏 やはり我々は貧の関係で……というわけでしょうかね……。金に対する執着と言いますか、今の人間は本能的なものがあるようですね。

明主様 執着は構いませんがその手段です。金は結構な物であり、これほど重宝な物はないから、幾らでも得てよいのです。ただ、それを正しい方法で得ればよいのですが、正しくない手段がいけないのです。

真山氏 やる仕事はどんなものでも構いませんですか……。

明主様 と言っても、罪になる事はいけません。

(昭和二十九年七月二十八日)