中村氏、真山氏との御対談(二) これからの世を救うものは

真山氏 話は変りますが例えば強盗殺人をしたような、どんな悪い奴でも、信者になってそれを克服する事は出来ますでしょうか。

明主様 そこですが、悪だから救う必要があるので善人なら救う必要はないわけです。ですから悪が強ければ強いほど救う必要があるわけです。親鸞の言った“善人すら救わる。いわんや悪人に於てをや”というのはその消息を言ったものです。これを文字通り解釈したらおかしなものになりますが、これは悪人でも救われるというので、悪人ほど救う必要があるのです。そこで浄霊は善悪無差別に病気を治す事ができるのです。

真山氏 浄霊というのは魂を浄めるわけですか…。

明主様 魂と言うと少し違います。魂というのは霊の中心です。霊というのは体全体です。

真山氏 他の宗教にもそういう考えのものはありますでしょうか……。

明主様 幾らかはありますが、救世教ほど徹底してないです。

真山氏 璽光尊とか色々ありますが、ああいうものについては如何お考えでしょうか……。

明主様 あれはあれでよいのです。併し私の方とは違います。今迄の時代の程度においてはああいう救いが必要だったのです。併しこれからは救世教でなければ駄目なのです。時代においてもそうです。

真山氏 理想とする処は世界人類の者が救世教の信者になればよいという事ですね。

明主様 まあ、そうです。

真山氏 今までは認めるが、これからは救世教でなければならないというのはどういう段階がそうさせたのでございましょうか……。

明主様 そうさせたのではなくて、神様の目的、神様の経営がそうなっているのです。例えば子供が育つようなもので、子供、青年老年と、年によって考えも違って来るわけですが、そういうようで世界が大分成長して来たわけです。そうするとそれに適当した色々なものが出るわけです。

真山氏 そうすると、他の宗教の教祖というのも神様の御教え、霊感を感じているに相違ないと思いますが、神様の意志が救世教に集まるということならば他の教祖達が、我々の宗教は終ったという事を考えないものでしょうか……。

明主様 それは分りません。いずれは分りますが、やはり時です。

真山氏 霊を通じて教祖同志の話はできないものでございましょうか……。

明主様 私の方でそうであっても、向うが……。

真山氏 電話みたいなものですね……。

明主様 そうです。向うが受話機を外しっぱなしなわけですから……。

真山氏 大変面白い話でした。こういう話は今まで聞いた事がありません。

(昭和二十九年七月二十八日)