竹内四郎氏外との御対談(一) コルビュジエ式に宗教感覚を

明主様 それに、大抵の宗教建築というのは古臭いもので、何百年何千年前の様式になってます。ところがそれでは何も意味がないと思います。やはり凡てその時代に合っていかなければなりません。むしろその時代よりも先にいかなければなりません。つまり指導的にやるべきものだと思います。従って救世会館はその意味に於てこれからの宗教建築はこういうように造るべきだ、ということを天下に示す意味もあります。そこで今一番新しい建築様式はフランスのコルビュジエ式ですが。これはよく時代に合った一番新しいやり方です。ところがこの型式はアパート、官庁、会社というものにはいいですが、宗教的なものには全然駄目なのです。そこで私はコルビュジエ式を基本としてごく新しい図案にしようと思ってます。それは大体コルビュジエ式というのは荘厳味がありません。そこで荘厳味があるものというと、どうしても、洋館ならばもっと曲線的のルネッサンス様式というようなもの、日本ならば純東洋的の伽藍式とか神社式とかになります。そこで私はコルビュジエ式に荘厳味を表すという考えでやったのです。ですからこれが出来上ったら世界的に相当注目される建築になると思ってます。

竹内氏 それは教主の御設計ですか。

明主様 そうです。

竹内氏 ステンドガラスか何かお使いになられるのですか。

明主様 いくらか入れるかも知れませんが、沢山は入れません。あんまり入れると安っぽくなりますからね。

竹内氏 日本ではあんまり出来ないのでしょうか。

明主様 そうでもないでしょう。マチスがステンドガラスの図案を出しましたが、あれは感心できませんね。

竹内氏 マチスのは妙に色を組合わせて、それで三回目くらいに、やっと“これだ”ということになるのだそうですね。

明主様 われわれから言えば千代紙の新しいものでしょうね。

竹内氏 そうですね。日本の千代紙細工を新しくしたという感じですね。マチスの絵は日本の浮世絵からヒントを得たのですかね。

明主様 そうです。あれから出たのです。マチスは日本の写楽を研究したのですね。

阿部執事 谷川徹三さんが「改造」の新年号に書いておりましたが、コルビュジエ式も日本の建築様式からとってある。西洋式のは窓がせまいが、それを広くとってある。それから壁などもそうだ。というようなことを言っておりました。

明主様 そうです。日本の光琳がフランスにはいった時は、ルネッサンスの極端になっていた処で、そこに光琳がはいっていって、その単純さに驚いたのです。そこでアール・ヌーボーという人が曲線的のヌーボー式をつくったのです。又、それとは逆にその曲線的に対して直線式にやったものがセセッションで、これも相当流行しました。私もその時分に本をとりよせて相当研究しました。私はその時分小間物屋をやってましたので、セセッションの模様でやって相当売りました。その時博覧会でそれをとり入れてました。しかしセセッションではあまりに軽薄です。それから構成派とか未来派とかいろいろのものが出来ましたが、結局コルビュジエが狙ったのは、極端に制約して、凡てを簡素化したのです。だからできるだけ煩雑なものを省いたのです。それで屋根も無駄だというわけで切ったのです。丁度豆腐のようにしてしまったのです。それから庇(ヒサシ)も無くしてしまったので真四角になったのです。それから色も、白一色で外の色は使いません。ですからあれ以上の簡素化はありません。従って製作費も安く様式も簡単ですから図案にそう苦心することはありません。それで非常に享けたのです。そこにもっていって戦争で各国が財政的に困っているので、大きな建物を造るにも、なるべく安くという意味からもピッタリしたわけです。しかし宗教建築となると、それだけでは全然条件に適いません。そこで私はコルビュジエ式に宗教感覚を出そうと思って、ああいう様式をつくったのです。あれですと大体荘厳味が出ると思います。

竹内氏 色調はどういう工合になさるのですか。

明主様 柱は人造石ですから鼠色で、間は白です。玄関は、建築家はもっと高く立派にしようとしましたが、私は削ってああいうようにしたのです。某大家にも図案を書かせましたが、どうも気に入らないので、直接私が指図して製図屋に画かしたのです。それも幾度も直させて、やっと外郭だけは思った通りにいったのです。それがあの模型です。そういうわけで玄関もずっと小いさくして、腰の大理石を高くして天井も大理石で色を互い違いにして格天井にしました。天から欄間は金メッキで金色の新しい図案ですが、今話はできないです。ですから純然たる西洋式ではなくと言って日本式でもないという一つの新しい試みです。

(昭和二十八年一月二十八日