竹内四郎氏外との御対談(一) 完成の暁は世界的大演奏会を

竹内氏 救世会館が完成したらああいう処も世界的の音楽家、たとえばコルトーとかをよんで、演奏させたら、非常にいいと思いますね。私は若い時に聞いたことがありますが、それも粗末な市の公会堂でしたので、なんとなく気の毒な気がしましたが、やはり周囲の環境にマッチしなければなりませんからね。

明主様 そうです。だから私はあれは将来演芸館と言うか芸能専門の処にするつもりです。従って宗教的の本山という意味のものではないのです。救世会館という宗教的な名前ではありますが、将来は劇場的なものにするような考えでやっているのです。たとえば外国の有名な音楽家に演奏させて大いにいいものを聞かせるとか、すばらしくよい映画を写すとか、日本の第一流の芸能人にあそこを使わせるとかするつもりです。つまり絵とか彫刻ではなく芸能的の芸術家に、環境のいい、景色のいい処で、建築もごく新しい立派な所でやらせるというのが将来の計画です。又そういう日本人の文化的頭脳の優秀性と言うか、それを世界の人に見せようという意味でもあります。

竹内氏 壁画などは附けませんか。

明主様 壁画を附けるには何年も暇がかかりますからね。小川菊蔵さんがイタリアのヴァチカン宮殿の壁画の写真を今度持って来ましたが、それはすばらしいもので、一寸頭を下げざるを得ないくらいのものです。将来は日本にもそういう物は必要になりますが、金もかかるし、年数もかかりますからね。いい物は十年も二十年もかかりますよ。

竹内氏 現代の画家では画くチャンスがありませんですね。

明主様 それは画かせる者がないのです。

竹内氏 最近では大きい物があまり出来ませんようですね。

明主様 あれは国家が非常に興隆した時代に出来るのです。日本で言えば桃山時代、西洋ではローマ時代という時代に出来るのです。ですから日本の桃山時代の建物には、天井まで金箔極彩色にしてあるのが多いです。京都の二条城などはその代表的なものです。兎に角日本は明治維新この方はそういう時代がまだ来ませんからね。というのは戦争に熱中して、そういう事に金を出す余裕がないからです。しかしこれからはそういう時代が来るでしょう。と言っても米ソの問題の決まりが附かなければ駄目です。

(昭和二十八年一月二十八日)