日置昌一氏との御対談 天皇制で悩まされる

明主様 そこで小間物屋を止めちゃって、神様の方をやった。それよりちょっと前から、私がやると病気がよく治る。私自身も自分でやっても、具合がいいし、これで食うだけは食えるという自信が出来た。食うだけは収入があったわけだ。そんなわけで大本教に入ったのだが、まあ、非常に重要な地位につかされて、出口王仁三郎さんから特別扱いされた。だんだんやっているうちに、どうも大本教にはいいところもあるが、欠陥もあると気づいた。欠陥というのは、あの人の個人的な行為になんかというと不敬にわたることがある。こりゃいづれは必ずやられると思った。ちょうど私が大本教から脱退した翌年、大本教事件が起った。で、私はつかまらずに済んだわけだ。それからそのころは岡田式指圧療法というのをやってた。

日置氏 “生長の家”の谷口雅春さんも大本教にいたんじゃないですか。

明主様 一緒でした。あの人は、わたしより上の役をしていた。わたしは平信者で谷口さんのところへ訪ねて行って話を聞いたことがあった。ところが、あの人はインテリ型で、つまり大本教とはソリが合わない。大本教は古い神道だからね。

日置氏 戦争中はずいぶん苦労されたでしょう。

明主様 戦争中も苦労したが、宗教法人になるまで、これには苦労したよ。官憲に誤解されたのは根本は天皇制で、ともすれば、官憲は信者に向って『君の方の教祖は、教祖と天皇とどっちが有難いといったか』なんてやらかす。ですから拝むもとは生きた人間ではいけない。死んだものならいいわけだ。天理教も教祖が生きている時はやっぱり圧迫された。死んでしまえば、もういいのだ。ちょうど昔、徳川時代に偉い人が出ると、当局は恐れてだましちゃう、あの思想だね。

日置氏 敗戦で解放されたものは、国民ばかりでなく、メシヤ教が一番というわけですね。

明主様 そう、前のようだったら、とてもだめだ。

(昭和二十七年十月二十五日)