日置昌一氏との御対談 生れながらの能力

明主様 全然退屈しません。ごく特殊な信者には話くらいできるが、あまり世間へ知られると、いわば璽光尊的な宗教視される。それではダメで、むしろ、さわりになるので、あくまでも普通にやってます。

日置氏 大本教の王仁三郎さんもやってたのですか。

明主様 やってた。

日置氏 ああしたことは修養をつめば出来るものですかね。

明主様 修行をして出来るのと、生れながらの能力と二つある。璽光尊など、生れながら、そういう能力をもっている。修行したのでは、ある程度までしか出来ない。

日置氏 ぼくなども出来ましょうな。ボクだったら迷宮入り殺人事件の被害者を片っぱしから呼び出すね。そして犯人の名を言ってもらう。そうすりゃ警察の捜査もヘ チマもない、ピシピシ判ってしまうワケですからね。人助けだし、第一、こうなったら悪い事をする奴なんかいなくなりますよ。ところが石川五右ヱ門の歌じゃない が、浜の真砂と悪人の数はいっこう減らない。フシギですね。(笑声)

明主様 あんたは口寄せの様なことは出来ない。ぽおっとしたバカみたいな人間がかえって、そういう能力があるね。わたしはある程度までやると、もう興味はなくなっちゃう。分っちゃうから。

日置氏 実際、璽光尊あたり、あまり偉くなって我々と違った世界の人になってしまっている。会うなり頭から「日置、しばらくであった」(笑声)はじめっからこれなんだから、こっちは「ははあ」とかしこまるほか処置なしですよ。

明主様 私は、それはきらいで、俗人でも結構だと思ってる。それに一切秘密なしというのが、私の主義だ。ところでメシヤ教だって、外国人が信仰し出したら日本のインテリも、みんなついてくるよ。日本人を認めさせるには、まず米国人を先にする方が早い。(笑声)だから、こんど米国に手をつけてみようと思っている。

(昭和二十七年十月二十五日)