実談・虚談神がかりな話 日置昌一氏との対談続き 口寄せに頑固だったスターリン

日置氏 どうも新興宗教というと、霊媒とか口寄せとか、いささか神がかりなことが多いので、ついまゆつばみたいな感じになるんですが、私、璽光尊とは、いろいろ縁があったんで、何度か会ってますけど、これはどう見ても、立居振舞いがただの人間じゃない、神様ですよ。それに引きかえ、ここの教祖さんは、まあ、ただの人間ですね。

明主様 私は大体神様ぶるのがきらいなんです。窮屈な、いやにてらったりするのはね。大体どんなに偉くても同じ人間なんだから、人間としての扱いをするのが、先きもよしこっちもよし、それで気に入らないやつは勝手にしろ、という気持だね。「もう少し重味をつけてくれなくちゃ、どうも有難味がないから困る」と、ちょい、ちょいそういうことを言われるが、いや、ワシはそういうことは大きらい、それで気に入らなかったら、よしたらいいじゃないか、と突っぱねてしまう。今でも教祖なんていうと、ナンか神々しくてね。

日置氏 璽光尊なんか、見ただけでも気どって、神々しく大変なんですよ。

明主様 私は、それをしない。今でもワイ談を大いにやりたいんですが、信者のいるところでは、どうも具合が悪い。

日置氏 しかし、ああいう口寄せという奴、璽光尊がよくやっていたが死んだ人を呼び寄せたり……本当に出来るんですか。こっちの戒名と死んだ人名をいうと、すぐ巫女さんが死んだ人になっていろいろやる。死んでから四、五年の人はすぐ十分ぐらいで呼び出すが、古い人は二十分もかかるらしい、地獄も大分混雑していると見えてね。(笑声)

明主様 それは霊の階級による、よい霊だと早い、何百年前でも一分かからない。私も、そういうことはできるけれどもやらない。私は低級の霊とかはしないんです。その霊の中の親玉のやつをやる。二十五年に静岡の刑務所に入った時に退屈ですし、静かでちょうどいいと思って大いにやりましたよ。その時にスターリンの霊も呼んだ。共産主義は間違っているからどうしてもよせといったら、スターリンいかにしても、がんとしていうことをきかない。毛沢東は割合に素直だった。あれはいずれソ連と離れる。これは時間の問題だということになった。だから、とうとうスターリンは改心しないうちに死んじゃった。それから釈迦、キリスト、大本教祖、天理教の教祖もやったし、弘法大師も呼びました。

日置氏 ホホウ、それでは教祖さんはソビエト語、中国語、ユダヤ語、なんでもペラペラというワケなんですな。(笑声)じゃ少しも退屈なさらなかったでしょう、むしろ出獄するのが惜しいくらい。(笑声)

(昭和二十七年十月二十五日)