近頃、世間の評判になっている、世界救世(メシヤ)教とは、一体どんな宗教であるのか、という事を知りたい人は、巷に溢れているという声をよく耳にする。そうして救世教とは本当に善いものなのか、又は悪いものなのか、という疑問は誰しも有っているに違いない。何しろ新聞雑誌や、世間の噂だけではインチキ邪教のように思われるからである。然し若しそうだとすれば、段々衰退に向わなければならないし、而も当局の大袈裟な弾圧などがあったりするから、猶更それが予想されるのだが、事実は些かも其様な事なく、相変らず堅実に発展しつゝあるのは一体どういう理由であろうかというであろうし、其処に何物か不思議な力強いものがなくてはならない事を誰しも感じない訳にはいくまい。
諸君も御存知の通り、昔から新しい宗教が出ると、必ずといゝたい程、初めは迷信邪教とされ、非難攻撃を受け、法難に引っ掛るものである。中でも一番迷信邪教として、槍玉に上げられたのは、誰あろう-イエス・キリストであった。而も遂に十字架の刑にまで処せられたのであるから、法難としては最大のものであろう。日本に於ても法然、親鸞、日蓮等の如き聖者が、迫害の結果遠島までされたのは、普く人の知る処で、近代に至り天理教々祖の十数回に及ぶ入牢等も有名な話である。それ等に比べれば、本教などはまだ軽い方で、之も全く民主政治の御蔭であると言ってよかろう。
以上によってよく考えてみると、こういう事になろう。もし内容のない無価値なものであるとすれば、攻撃や迫害に堪えられずして、没落の運命を辿る事になろうし、そうでない真に立派なものとすれば、幾多の受難に耐えて漸次世の中から認められ、確固たる地位を占める事になるのは当然であろう。此様な訳であってみれば、本教が果して白か黒か、何よりも先ず深く立入り、充分検討すべきであろうし、吾等はそれを大いに望むのである。
そうして本教は、新興宗教の中、特別世の注目を集めている事は、誰知らぬ者もあるまい、というのは、本教発展の前例のない程速かな事である。それは何故かというと、本教の信者となるや、素晴しい現当利益を恵まれるからである。然るに世間或一部の人々は現当利益を目的とする宗教は、低級信仰であり、信仰の妙諦は精神的に救われる事であるとしてゐる。然し之は大変な間違いであって、真の救いとは、精神も物質も両方救われなければならないのは言うまでもない。例えば病気に苦しみ乍ら、観念だけの満足では本当の救いとはならない。病気が治り、健康になって働けるようになる事こそ真に救われたのである。又国家社会から言っても之こそプラスとなるではないか、処が既存宗教に於ては、宗教即ち教えであるから、精神のみを救うのが本当であり、物質は第二義的であるのみならず甚だしきは、物質否定を可とするものさへあるのである。
右によってみても、現在迄の文化は唯心的には、宗教、道徳、教育等の目に見えざるものを以て、目的を達成しようとし、其反対である唯物主義は、目に見える物質を豊富たらしめ、人類の幸福を企図したのである。従って今日迄は唯心文化と唯物文化とは別々にされていた。其表われとして宗教者は科学を非難し、科学者は宗教を非難していたのである。
処が、本教は精神と物質を両々一致させ、其上に劃期的新しい文化を作ろうとするのである。故に本教の建前は唯心主義であって又、唯物主義である以上、宗教であり乍ら現当利益を本意とするのである。要するに、理論からも実際からみても、完全する処なき救いである事を認識されるであろう。
茲に天の時到って、空前の超宗教、超文化的、新しいX(ナニカ)が生れたのである。全く全人類救済の一大福音である。救世の二字に教を付けたのは、法規の関係上宗教部門に入れる必要からである。そうして何よりも本教の信仰によれば、病人は減り健康人が殖え、貧乏も争いも解消するのであるから、本教のモットーである、病・貧・争、絶無の世界を実現し、地上天国建設というのは其意味に外ならないのである。
最後に一言したいのは、以上のような大事業は到底人間業で出来るものではない。もし出来るなどという者があれば、それは大山師か、誇大妄想狂以外の何物でもないといえよう。とすれば一体此計画者は、何者かというと、それが即ち大神霊であって、救世の為いよいよ金剛力を揮わせ給うのである。本教に奇蹟の多い事実を見れば、何人もそれを肯定しない訳にはいくまい。奇蹟とは空理空論ではない。マザマザと目に見え、手で掴める現実であるから之を体験する以上、如何に頑冥な無神論者と雖も、頭を下げずには居れないであろう。世間よく実際に触れないで、只新聞雑誌のデマや、人の噂等を信じて想像し、独断し、進んで本教の実体を掴もうとしない人があるが之は、自からの幸福を拒否する哀れなる小羊というの外はない。
来る月日時に於て座談会又は講演会開催致すべくに就き、奮って御聴講あらん事を希望致します。
主催者
(昭和二十五年十月)