明主様と文学 メシヤ教の目標は最高の文化 -或る文士と御対談の中より-

去る十月十二日、某雑誌の特派記者として新進作家H氏が来訪し明主様には一時間余り、文学、芸術等に亘って種々有難い天啓を放たれ、H氏は文筆の上に新生命を入れて戴いたと讃歎を禁じ得ずして帰られた。記者も傍聴の栄に浴し、今更乍らに明主様の偉大なる御構想の一端を窺い知り、心悸躍動を禁じ得ず、其時の速記の中より文学に関するもののみを集録し皆様と共にお蔭と喜びを分ち戴きたいと思います。

H氏 貴方は大変美術を愛好していられますが、美術学校にでも行かれたのですか。

明主様 そうです。美術が非常に好で、それで段々宗教をやっている中に、矢張り宗教とは関係があると言う事が分ったのです。

H氏 文学は如何でしょうか、中々良い文章をお書きになって居られますが、みんな貴方がお書きになられたのですか。

明主様 みんな私が書くんです。だから忙がしくて仕様がないのです。

H氏 商売人でもあんなに書けませんね。

明主様 そうですか、それは私は宗教と言うのを出来る丈分りやすく書こうと思うので、むつかしい処があります。普通の見たまゝ感じたまゝを書くのなら簡単なのですが…深い処を極く平易に書くので、そこに苦心が要るのです。

H氏 文士連中も、一宗の教主と言う方に力瘤を入れて戴けば、みんな活きていきます。

明主様 ですから私は文学でも芸能でもやってます。

H氏 そうしますと、文士を五人でも十人でも連れて来ますから息を吹きかけて戴き度いと思います。

明主様 日本の文学の一番の欠陥はスケールが小さいと言う事と、主張がない事です。売らん哉主義です。唯売れて金になって儲かればよいと言う非常にレベルが低いのです。何か社会の欠陥とか、政治の欠陥とかに対して一つの主張を以て動かすとか、それを攻撃すると言う骨がないのです。大体日本の文学はその点に於て西洋に非常に劣っています。

H氏 私が非常に嬉しく思った事は、宗教家に芸術を理解して戴いたと言う事です。宗教家と言うのは芸術には余り関心がないと言うのが定石の様ですね。

明主様 木石みたいなのが多いのです。つまり神様臭くなってしまってね。

H氏 我田引水みたいですが、国が亡びても芸術と宗教は残るのではないかと思いますが如何でしょうか。

明主様 勿論そうですね。私は時間的に余裕がないので、一つ一つ読む事は出来ないから、僅かに映画で渇を医しているのです。ですから一晩置に必ず映画を見ています。外国のと日本のと両方見ていますが、将来映画は非常に大きな役割をすると思います。

H氏 メシヤ教と言うのは非常に文化性をもっている宗教ですね。私は宗教は余り知りませんが、兎に角殆んどの宗教は文化性がないようですね。

明主様 そうです。私が言うとおかしいですが、私は宗教には興味がないのです。メシヤ教の目標は、最高の文化です。寧ろ文化を指導する位の権威がなければならないのです。処で現在は宗教の方で時代に迎合したり、自分から文化より低い様に、科学より低い様に思ってやっていると言う事が大変な間違いです。ですから大抵の宗教と言うのは病院を作っているのです。併し、私の処は作らないのです。若し病院を作るとするならば、その宗教が科学に負けている事になります。処が私の方は科学より上だから、病院は作らないのです。つまり宗教は最高の科学です。宗教は霊的科学です。今の科学と言うのは唯物的科学ですから、どちらも科学と言えるのです。只唯物的に進むのと唯心的に進むのとの違いです。一方は目に見えるものを対象とする科学で、私の方は目に見えないものを対象とする科学です。ですから病気でも医者よりもズッとよく治るのです。何でも四年とかの盲目で五分間で目があいたと言うのがありました。キリストの奇蹟位訳ないです。私の弟子がキリスト位です。それで最近私はアメリカの病人を調べさせたのですが、その報告をきくとアメリカの病人は大変なものです。現在医者に御厄介になっている者は千七百万人で、全人口の約一割以上が病人という訳です。それはアメリカが非常に間違った事をやっているから病人が殖えるのですが、それを私は「アメリカを救う」という題で書いてます。之を飜訳してアメリカの大統領、有識者、医学界、病院に配ってやろうと思っています。日本にも新聞広告をして出します。

H氏 同時に海外に御布教と言う様なお考えはおありなのですか。明主様 勿論あります。世界メシヤ教と言って、世界がつくのですから、それで大体外国を救うと日本人を救う事になります。日本人は舶来でなければ有難がらないですからね。ですから私は米国に宣伝しようと計画してます。日本人相手でなく、米国人相手です。日本人は自分自ら劣等感が非常にあるのです。処が私は逆です。本当の日本人は一番偉い、素質は生来立派なものだと思っています。それから大体米国で日本を救うと言う本が出たのなら良いのですが、日本人が米国を救うと言うのですから之丈でも日本人の劣等感を大いに医す事が出来ると思う。それで米国の医学の間違いをすっかり書きました。そうしてみんな実例を挙げて書きましたから、相当センセーションを起すと思います。

H氏 話は元に戻りますが、私が小説を書く時、インスピレーションと言いますか、後で二度とは書けない様な智慧が浮んで来るのを感ずる事がありますが、それで私は仕事をするのに一番いゝのは夜中です。みんなが寝静まった時にやっていると、丁度、神と二人でやっているという気持がします。

明主様 私も好いものを書く事が出来るのは十二時から二時までです。

H氏 そういう意味で作家はよく神を知っていますね。

明主様 つまり、作家は可成り上の処まで行っているのです。それで日本は作家はもう一息上に行くと良いが、みんな止ってしまうのです。西洋の作家ユーゴーとか、トルストイとかの不朽の名作は人類に対する感化力が非常にあるのです。そう言うものは日本の小説にはないのです。唯単なる恋愛的心理描写とか、私小説とか、唯娯楽本位と言う様なもので、兎に角つまり超人的なものはないのです。例えてみれば、ジャンバルジャンとかあゝ言った超人的の傑作を書いて貰い度いです。

H氏 私が文学をやる根本の理由は斯うなのです。若し間違っていたら訂正して戴き度いのですが、文学は世の中から美を抜き出す事だと思います。美と愛と光の三つをあらゆる森羅万象の中から抜き出してそれを表現するのが私の任務だという事を考えて居ります。

明主様 結構ですね。

H氏 それでそれを主張して文学の主流から離れて来たのですが、生活の為にはエロ文学とか、あゝ言うものを書かざるを得ない時もありました。

明主様 それは何でも書いて良いんですが、併しそればかりではおしまいです。一つ大いなる作品を残さなければならないのです。それは精神美です。ですから通俗小説でも吉川英治君が書いている宮本武蔵は可成りな処へ行っています。

H氏 あれは宗教的ですね。宮本武蔵というのが宗教家なのですね。

明主様 宮本武蔵と言うのは偉いです。何故偉いかと言うと絵が旨いのです。宮本武蔵の絵画と言うのは日本では沢山ありません。大変な名人です。そうすると剣を持つ人間が筆があれ丈出来ると言う事は普通の人間ではないです。

H氏 それでは佐々木小次郎が負けると言う事は当然ですね。佐々木小次郎はそこまで行って居りませんからね。

明主様 そうです。高さがないからです。高さが違うのです。矢張り剣でも筆でもレベルがありますからその高さに到達する事です。ですから私は庭園でも建築でも最高のものを造るというのはレベルが上だからです。

H氏 結論的になりますが、非常に厳しい修養の結果到達されたと言う事が言えますが、先生の場合にはそう言う閃(ヒラメ)きにはどう言う修養をなされたのですか。

明主様 それには随分修行しました。その修行と言うのは滅多にないでしょう。

H氏 長い間どうも有難うございました。

(昭和二十七年十一月十九日)