ダヴィット女史会見記 私の弟子はキリストの奇蹟をあらわす

田付女史「十年程会わなかった男ですが、今度会員となって御面会を戴き、御浄霊を戴いて帰った処、何んだあんなつまらない事をと思って居たそうです。その男にはイボが三つありましたのですが、翌る日に髯をそろうとしましたらイボが無くなっていたそうです。で、奥さんにオレのイボを何処にやったと言ったそうですが、オレは不思議という事は考えないのだが、何んにも苦労をしないでイボが無くなったという事は何ういう訳だ。そんな馬鹿な事があるかと私に怒るのです。ですから、最近お伺いするから、イボが何処かに行くものか伺って来てあげると言ったのです」

木原先生「今の世の中の人の議論的考え方を代表している様で御座います」

明主様「今それ以上の事があります。今度『栄光』(一七一号)に出しますが、十分間息が止って死んで、それが生返ったのです。それを今度出します」

新聞人「病気で死んだのですか」

明主様「病気で死んだのです。医学でだと、大々的に出しますが、我々の方での事は鼻クソ程です」

新聞人「教主がやりましたのですか」

明主様「私でなく弟子がやったのです。私の弟子はキリストの奇蹟位の事は毎日やってます。それを知ったら大変ですよ」

新聞人「ウーム」

明主様「脈が十分間止ったのですからね」

新聞人「そういう事が毎日の様にあったら大変ですね」

明主様「そうですよ。それを考えれば美術館なんか何でもないです。今私は“文明の創造”という本を書いてますが、之は世界中の大学や色々の方面に配ります」

新聞人「一冊にしてですか」

明主様「そうです」

新聞人「相当長いものですか」

明主様「そうですね、何頁位になりますか。二、三百頁でしょう。それを書いて、今迄の文明は仮の文明だ、本当の文明ではない。本当の文明は斯ういうものだという事を書きます。色々ありますが、今度出版するのも大変と言えば大変ですが、“結核信仰療法”というのですが、之も出たら問題になります。というのは、結核は医学が作っているという説なのですから--。それから結核は伝染しないという事をすっかり立證的に書いてます。之は相当のセンセーションを起すと思います。そして新聞広告もする積りです」

新聞人「生命の実相という事を谷口氏が書いてますが、何う御考えですか」

明主様「私は問題にしていません。新しい説は一つもありません。古い聖書や仏教の意見や何かを綜合して書いているのです。併しあれでも只、唯物的思想に対して唯心的思想を吹込む丈の事は出来てますから、之は結構です。そういった意味で非常に賛成もしてます。ですからそういった、つまり霊的文化に対する一つの入門の手引という様な形式があるわけです。私が今言う“文明の創造”というのは、宗教とかそういうものに対する大学の講義というか、そういったものです」

新聞人「そういうのが一つになって運動を起そうというのがあるのではないでしょうか」

明主様「ありません」

新聞人「此間代議士の花村四郎氏に連れられて立正交成会の会長に会い話を聞きましたが、病気は心にあるわだかまりを吐出して了えば良くなるという話をしてました」

明主様「大体あそこはそう言うのです。私の説くのはあんまり桁が外れ過ぎるのです。一寸話がしにくい位なものです。だからメシヤ教の説というと、あんまり桁外 れなので反って誤解を受ける事がある位です」

木原先生「新宗連で集まりましても話が出来ませんので、黙って聞いて居るより仕方がありません。話しますと相手の痛手になりますから」

明主様「そうです。だからウンと割引して話さなければならない。大袈裟に言うとか言いますが、あべこべです。余程加減しているのです」

田付女史「カルティユさん(此人は一カ月程前明主様と御面会された有力な仏人です)から手紙が参りまして、忘れられない御方で、そうして心の中に非常に残って居られると宜敷く申し上げて下さいとの事でした」

(註)まだお話はつきないが余り長くなるから以下略す。

(昭和二十七年十月二十五日)