本紙一年を記念して 自観教主感懐を語る 聖堂近く竣工

国際親善にも一役

(問)ただ今熱海瑞雲郷に建設中の本教の聖堂はいつ竣工しますか

(答)当初の規模より壮大になったので、予定よりやゝ遅れ、本年一ぱいかかるかもしれない。だが、その竣工の暁は東洋に類例のない一大景観を呈するとともに、壮麗極まりないものが完成するものと思う。しかしこうした時代でもあるから一さいムダな華美を捨てゝ、建築は質素にして優雅なものとする。様式はコルベジュヱのフランス風で、白亜の塗り、熱海では最初の様式で、ちょっとモダンなシックな感じがする。数千人を収容できるし、信者以外の一般の結婚式場にも充てたいと思う。本教団はこんにちまで、この建造のために莫大な費用を投じてきたのであり、これが竣工さえすれば本教の真髄が必ず納得ゆくと確信している。どうも日本人は何か眼で見える一つの物体をつくり上げないうちはいろいろなセンサクをするので弱る、これが大衆の眼前に現れると成程と解ってくるであろう。聖堂の他、信者の宿泊所、温泉場、展望台、それに外客に開放予定の一大美術館もできるから、国際親善にも大きな役割を演ずることともなる

(問)こういうようなことから本教団が熱海市をまるで牛耳るというような風説をまく者があるが

(答)全く驚いたネ、熱海市は自治体であり、市民によって形成されている。本教団はこの自治体のなかの何万分の一の存在でしかない。市をろう断することもできないし、宗教の建前からいって市政とも無関係である。熱海市発展のためにはどんなことでもお手伝いはしようと思うし、また今日迄その意味ではやってきている。熱海というところはそんなちっぽけな都市ではないのだから、そんなことを気にする連中は熱海を知らないにもホドがある。熱海は熱海市民のものである。なんぴとにも侵されない立派な自治権がある。ナンセンスをまことしやかにつくるナンセンス頭脳がいる、全く笑止千万だ

(昭和二十五年三月十一日)